俺には2つ年上の姉がいる。
いや、姉というのは間違いかもしれない。もはや神だ。
異常なまでの脳の発達をしていた姉は何をしても人並み以上の結果を残す。
特に絵画においては4歳の頃から色彩感覚が超越していたらしい。
そんな天童の弟である俺は一姫に劣っているというだけで周囲には蔑まれ、父にはやつあたりの「道具」として育てられてきた。
ここでは「育てられた」というより「使われてきた」の方が正しいかもしれない。
コンプレックスの塊だった俺を唯一可愛がってくれた人がいた。
その人が母であったら幾分か家族生活が楽しかっただろうが、残念ながら彼女には俺を愛することが出来なかった。
偶発の妊娠で亮二と結婚した聡子は心が弱く他者依存が著しかった。
幼いころに両親を亡くし、親戚中をたらい回しにされたのが原因かもしれない。
亮二が自分より弱い立場の人間を見下す性格であったのと相まって聡子は家の中ではほとんど発言せず、常に影の人であった。
何かを言うにも勇気が足りない母が、俺を道具として扱う父に逆らってまで、俺に愛情を注げるはずがなかった。
姉だけが唯一俺を認めてくれた。
姉のせいで俺は比べられ辛い思いをしてきたというのに。
小学校に入ったあたりからもう馬鹿にされ、道具として扱われるのには慣れて当たり前だと思うまでになった。
「できない自分が悪い」
周りの影響もあっただろうが、この考えがずっと付きまとった。
できなければ一姫の弟のくせに、少しできても一姫の弟なら当たり前。
小さいながら俺は大人の残酷なまでに正直な扱いに気付いた。
気付いたところで何も解決されないのは分かっている。
父に殴り飛ばされた時には殺されるくらいなら自分から死のうと思ったことさえあった。
だがそういうときになると一姫が分かっているかのように慰めてくれる。
時には両親を叱ってくれる。
娘に叱られる親とは何とも滑稽だが、収入源は一姫に頼りっきりで亮二ですら一姫には頭が上がらない。
しかし父は逆に怒りを募らせる。
「お前が生きていられるのは一姫が気に入っているからだ。」
自分の息子にかける言葉とは思えない。といっても他の父親を見たことがあるわけではないが。
一姫に気に入られる。それが俺の生き方そのものだった。
姉に寄生することでしか家庭内で存在を認めてもらえない。
父も母も似たようなものだった。
一姫がいなくなればこの家庭が崩壊することは誰にだって推測することが出来る。
俺にとっての姉は神だ。
崇めることで安全を保証され、啓示を聞いていれば間違いはない。
不安定ながらも道から落ちるギリギリをずっと歩み続けるものだと思っていた。
その日は急に訪れた。
一姫が所属する中学のバスケ部の合宿の帰りだった。
一姫の乗ったバスが消息不明になったのだ。
合宿に行った2日後から家の中がおかしくなりだした。
ただでさえ不安定な家庭が崩壊し始めた。
亮二は些細な事でも憤るようになった。
「コーヒーが熱すぎる」
「ビールが冷えていない」
「床が汚れている」
母が毎度のごとく
「ごめんなさい、ごめんなさい」
と連呼する。
一姫が
「『ごめんなさい』という言葉は使えば使うほど薄っぺらくなるのよ。母さんを見れば分かるでしょ?」
と言っていたのを思い出す。
父が怒鳴っては、母が謝る。時には俺も父のやつあたりを受けることがあった。
一姫が早く帰ってきてほしいと心から望んだ。家の大黒柱である一姫がいると随分ましになる。
ところがバスの消息が断ったという話を父がしているのを聞いた。
変な汗が体中から染み出てきた。何度か「姉ちゃんさえいなければ」と思ったことがあった。
「もしかしたらそのせいで……」俺は光のない世界に突き落とされた。
勿論父は大混乱。捜索は無駄に続くばかりで何も手がかりがでてこない。
バスが跡形なく消えるはずがない。
「神隠し」だとささやかれるまでであった。
捜索も諦めムードの中、希望の光が差し込んだ。
一姫と部員の1人が発見されたのだ。
他の部員と顧問の先生は全員死亡。
俺は「一姫以外の人が死んでくれてよかった」と思ってしまったが、即時に自分の残忍さに気付きその考えを振り払った。
とにかく一姫が帰ってきた、家庭が安定する、
そう思った。
ところが意識を取り戻した一姫は一姫ではなかった。
病院の先生が言うには記憶喪失らしい。心因性による逆行性健忘と診断された。
思い出を想起することが出来ない、つまり今までの日常生活の記憶が引き出せないのだ。
「困ったわね」
記憶障害があっても度胸の座った人格は今まで通りのようだ。
俺は姉が戻ってきてくれればそれでよかった。
だが父は違った。
一姫が退院してまもなく父は絵を描けるのかどうか確認したがった。
結果は父の期待を見事に裏切る形となった。
一姫の絵はいたって普通の中学生の絵だった。
俺はその絵を見て親近感を覚えた。神が人間の姿になった、そんな気がした。
勿論父は絶望した。今まで一姫の絵を収入源に成り立っていた家庭の崩壊を悟ったのだ。
「一姫、どうしてくれるんだ!お前の絵が無ければこの家はどうなると思っている。」
「知ったことではないわ。娘の絵に頼っていた貴方が悪いのよ。父親なら家族を養うことぐらいしてみなさい。」
一姫がいつものごとく言い返す。またいつものように父は納得のいかない表情で去っていくと思った。
「黙れッ!!!」
一瞬目の前で何が起こったのか理解できなかった。
父の右手が大きく振り下ろされ、その落下点には一姫の頬があった。
「きゃっ、痛い!」
一姫は頬に受けた衝撃でそのまま床に崩れ落ち、真っ赤に腫れた頬を白い手で隠すように押さえた。
一姫の目からは驚きと怯えの感情がにじみ出ている。
一姫は俺と違って殴られたことが無い。父も神に手を出すことはできなかった。
しかし今の一姫は普通の娘。雄二の姉で普通の中学生。
その現実をつきつけられた父は遠慮なく一姫に手をあげた。
「やめて、あなた!」
咄嗟に母が止めに入る。止めに入ってからふと我に返ったかのように父の目を見てすぐに目をそらした。
きっと母にとっても一姫が手をあげられることは考えていなかった。
「ちっ、母親ぶりやがって。いつも何もしてないくせに」
父は去っていった。
俺は結局何もできなかった。母が止めてくれていなければどうなっていたか。
このとき母に初めて感謝した気がする。
風見家の闇はこの程度では終わらなかった。
どうも作者のRoteroseです。雄二視点は、友人のRosalbaさん(仮名)の協力による合作となります。グリザイアの星霜の語られなかった裏側や雄二の心情の変化をお楽しみいただけると嬉しいです。R18についてですが、まだ未定です。作者としては原作ゲームのようなシーンが欲しいので、作風を壊さない程度にはするつもりです。感想、指摘どんどんお待ちしております。それでは、本編第四話か雄二編第二話でお会いしましょう(*'ω'*)