フランス――サン=マロ。
かつては多くの漁船が行き交い、海の恵みを受けて暮らしていた港町。
しかし今、その面影はほとんど残っていなかった。
霧の艦隊による海上封鎖。
漁に出ることは禁止され、海を生業としていた人々は仕事を失った。
町の一角には、いつしかスラム街が形成されている。
家を持っている者もいる。
だが、その数は少ない。
多くの人々は満足な住居を持てず、路地や建物の軒下で夜を過ごしていた。
電気も、水道も自由に使えるわけではない。
生きていくために必要なものですら、高値で取引される。
町は荒れ、人々の顔からはかつての活気が消えていた。
そんな海岸で。
「…………」
一人の少女が釣り糸を垂らしていた。
ズイカク。
その隣には、イ402がいる。
「ここも、だいぶ酷いな」
ズイカクが周囲を見回す。
「そうだな」
402は淡々と答えた。
「タカオも来ればよかったのだが」
「仕方ないさ。あいつは簪と一緒にIS学園へ行っているんだから」
「それもそうか」
二人にとって、この町の生活はそれほど苦しいものではない。
ヤマトから十分な資金を与えられているからだ。
もっとも、その金を自分たちの贅沢に使うわけではない。
ズイカクが釣ってきた魚を食料や物資と交換しながら生活する。
ヤマトから受け取った資金は、主に住居の確保や維持へ回していた。
そして何より。
ズイカク自身が釣りを楽しんでいた。
だから402も、仕方なく付き合っている。
「それで――」
ズイカクが釣り竿を持ったまま尋ねる。
「アレの方はどうだったのだ?」
「やはり、我々のことを探っていた」
「……そうか」
402はヤマトから命じられた調査について話し始めた。
調査対象は、フランスのデュノア社。
結果だけを言えば、ドイツとは違った。
「白だった」
「ほう」
「霧に対する敵対行動や、軍事的な繋がりは確認できなかった」
「なら問題ないではないか」
「ただし――」
402は少し間を置く。
「経営状態は最悪だ」
「……なるほど」
ズイカクが顔をしかめる。
「原因は?」
「今の世代に問題がある」
「今の世代?」
「いつまでも第二世代を主力としている。時代遅れもいいところだ」
402は呆れたように続けた。
「対応が遅すぎる。世界中で技術が進歩しているというのに、自分たちだけが過去に取り残されている」
「まあ、仕方ないさ」
ズイカクは釣り糸を見ながら答えた。
「無能な女たちが指揮を執った時点で、その会社は終わっている」
「…………」
ズイカクはふと疑問に思った。
「待て。デュノア社の社長って男だよな?」
「表向きにはな」
「表向き?」
「実際に会社を仕切っているのは、その男の妻だ」
「じゃあ、その夫はどこにいる?」
「監禁されている」
「………………」
ズイカクは絶句した。
「……人間ってのは、よく分からないな」
「放っておいても会社は倒産する」
402は立ち上がる。
「我々が介入する必要はない」
「まあ、待ちなよ」
ズイカクは402を呼び止める。
「とりあえず、この件をヤマトに聞いてもらうのはダメか?」
「…………」
「気になるんだよ」
ズイカクは、スラム街へ視線を向ける。
この町へ来てから。
いや。
もっと前から。
ズイカクは、人間という存在に少しずつ興味を持つようになっていた。
霧の艦隊から見れば、人間は取るに足らない存在だった。
だが――。
人間は弱い。
それなのに、生きようとする。
失っても。
奪われても。
何度でも立ち上がろうとする。
そして、この光景はサン=マロだけのものではない。
世界中に同じような場所がある。
日本だって例外ではない。
「…………勝手にしろ」
402はそれだけを言い残し、その場を離れていった。
ズイカクはその背中を見送る。
「……ありがとよ」
◇
『そうなのですか』
ズイカクからの概念伝達を受けたヤマトは、しばらく考える。
『では、ズイカク。正体が露見しない程度であれば、好きにやっても構いません』
『了解っす、総旗艦殿』
通信が切れる。
「……これは、またまた」
ヤマトは小さく笑った。
そして、視線をステージへ向ける。
現在、IS学園では学年別タッグトーナメントが行われていた。
その第一試合。
織斑一夏&更識簪。
対するは――。
ラウラ・ボーデヴィッヒ&篠ノ之箒。
「うがああああああああっ!!」
会場にラウラの叫び声が響き渡る。
しかし。
戦況はすでに決していた。
――一夏と簪の圧勝。
箒の乗る打鉄は、日本製の量産型IS。
そして、その打鉄弐式をベースに蒼き鋼が改修した機体が、簪の打鉄弐式改だ。
訓練機と専用機。
それだけでも性能差は大きい。
ましてや――。
相手は蒼き鋼の技術によって強化された専用機。
まともに戦って勝つことなど、ほとんど不可能だった。
「くっ……!」
試合開始直後。
簪の六基のミサイルランチャーが一斉に開く。
「――行きます」
無数のミサイルが放たれた。
「なっ!?」
箒が回避行動へ移る。
しかし、遅い。
ミサイルは逃げ道を塞ぐように飛び交い――。
爆炎が、箒の機体を飲み込んだ。
「きゃああああっ!」
箒は一瞬で戦闘不能。
そして。
ラウラは――。
箒を助けなかった。
いや。
最初から、仲間として見ていなかった。
目の前にいる「織斑一夏」。
その存在だけを見ていた。
「どうしたの?」
一夏がラウラへ声をかける。
「あなたは、その程度の実力なわけ?」
「ふ、ふざけるな……!」
ラウラの拳が震える。
「貴様ごときに……私が負けるものか……!」
冷静さを失っていた。
現役軍人であるはずのラウラが、私情を優先したことで判断力を大きく落としている。
そのことに、本人だけが気づいていなかった。
「…………」
ラウラの目の前には、憎き敵。
織斑一夏。
彼女が誇りとしていたAICは、霧のクライン・フィールドによって相殺されていた。
それでもなお、ワイヤーブレードを止めようとする。
だが――。
止める。
破壊される。
止める。
また破壊される。
「くっ……!」
ラウラのシールドエネルギーは、限界へ近づいていた。
一方。
簪はすでに箒を撃破している。
「一夏、援護する」
「大丈夫」
「……分かった」
簪は一夏の言葉を信じ、その場で待機する。
勝負は、一夏とラウラの一騎打ちになっていた。
「この試合――」
天羽琴乃は、観客席から静かに戦況を見つめる。
「一夏の勝ちだね」
ラウラのシュヴァルツェア・レーゲンには、肩部に大型レールカノン。
両肩とリアアーマーには、合計六基のワイヤーブレード。
両腕の手首からはプラズマ手刀。
そして、彼女の切り札であるAIC。
だが――。
その全てが、一夏の前では通用していない。
AICはクライン・フィールドに阻まれ。
ワイヤーブレードは止められては破壊され。
シールドエネルギーも、ほとんど残っていない。
一夏は静かに右手を掲げた。
白式改から、《ヴァール》が展開される。
その形状が変化する。
刃ではない。
銃撃形態。
「そろそろ、終わりにしようか」
「……っ!」
一夏が踏み込む。
瞬時に距離が消える。
「来るなぁっ!」
ラウラは反射的にAICを展開した。
だが――。
「無駄だよ」
クライン・フィールドが展開される。
AICの力が阻害される。
「なっ……!?」
一夏は、そのままラウラの懐へ入り込んだ。
そして。
《ヴァール》の銃口を、ラウラの腹部へ押し当てる。
「な……!?」
ラウラが後退しようとする。
しかし――。
動けない。
「!? どういうことだ!?」
「クライン・フィールドは、使い方を変えるだけで色々できるんだよ」
一夏は淡々と答える。
「攻撃から身を守るだけじゃない」
クライン・フィールドがラウラの周囲へ干渉する。
「その場に固定することだってできる」
「くっ……!」
逃げられない。
防げない。
そして――。
ヴァールの引き金が引かれた。
「――っ!」
轟音。
強烈な一撃がラウラの腹部へ叩き込まれる。
「ぐううううっ……!」
絶対防御が発動。
シールドエネルギーが一気に削られていく。
残り少ないエネルギーが、さらに奪われる。
そして、相殺しきれなかった衝撃がラウラ自身へ襲いかかった。
「ぐっ……!」
視界が揺れる。
膝が震える。
もう、立っているだけで精一杯だった。
(わ、私は……)
ラウラは必死に意識を繋ぎ止める。
(私は、こんな……)
目の前には、一夏。
(こんな所で……負けるのか……?)
軍人としての誇り。
千冬への憧れ。
そして、自分自身の存在意義。
それら全てを否定されるような敗北。
「嫌だ……」
小さく呟く。
「私は……」
拳を握る。
「私は負けたくない……!」
それでも。
一夏は動かない。
ただ、静かにラウラを見ている。
「負けるわけには……いかないんだ……!」
ラウラの声が震える。
「私は……!」
その瞬間。
――ドクン。
シュヴァルツェア・レーゲンが、脈打った。
「……え?」
一夏の表情が変わる。
簪も異変に気づいた。
「一夏……?」
シュヴァルツェア・レーゲンの装甲から、黒い光が漏れ出す。
機体の内部。
何かが目を覚ます。
ラウラ自身にも理解できない。
ただ一つだけ。
彼女のISが――。
今までとは、明らかに違う反応を示していた。