IS~空を舞う蒼き鋼~   作:ぬっく~

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第29話

「…………」

 

一夏は、旅館の縁側に座っていた。

 

目の前に広がるのは、夜の海。

 

先ほどまで激しい戦闘が行われていたとは思えないほど、ほとんどの海域は静かだった。

 

ただ――。

 

一部だけは、未だに異常な姿を晒している。

 

海面が大きく波打ち、ところどころで光が揺らめいている。

 

《ミラー・リング》によって生じた異常。

 

それ以外は、いつもの海と変わらない。

 

「調子はどう?」

 

「ん?」

 

声に振り返る。

 

そこに立っていたのは――ヒュウガだった。

 

「……あぁ。問題ないよ」

 

一夏は笑って答える。

 

作戦開始前。

 

天羽は、ヒュウガを一夏のもとへ向かわせていた。

 

理由は単純。

 

今回の作戦で、一夏が白式改のリミッターを解除する可能性が高いと読んでいたからだ。

 

そして、その予想は――完全に的中した。

 

「……あんまり無茶はしない方がいいわよ」

 

「そうだね」

 

「…………」

 

ヒュウガが黙り込む。

 

「はぁ……」

 

やがて、大きなため息を吐いた。

 

一夏の表情には――反省している様子がまるでない。

 

「何よ、その顔」

 

「え?」

 

「『無茶したけど仕方なかった』って顔してるわよ」

 

「……まあ、実際そうだったし」

 

「開き直らないの!」

 

ヒュウガが呆れたように言う。

 

そして、少しだけ真剣な表情になる。

 

「貴女のコアが完成するまでは、無茶は止めておきなさい」

 

「……その口ぶりだと」

 

一夏がヒュウガを見る。

 

「もう少しで完成するってことかな?」

 

「……そういうところだけは鋭いのね」

 

ヒュウガは肩をすくめた。

 

「えぇ。そうよ」

 

一夏の表情が少しだけ変わる。

 

「そっか……」

 

霧。

 

それぞれの艦艇には、一つの《コア》が存在する。

 

その用途や容量は艦艇によって異なる。

 

そして――。

 

一定以上の性能を持つコアは、メンタルモデルを形成することができる。

 

重巡洋艦クラスともなれば、その条件を満たす。

 

一夏と簪に与えられたコアも、その領域に達していた。

 

だが。

 

二人が進めているのは、それだけではない。

 

「ユニオンコアの作成……」

 

ヒュウガが呟く。

 

「本当にいいの?」

 

「……」

 

「それはつまり――」

 

「もう決めたことよ」

 

一夏は海を見る。

 

夜の海。

 

その向こうには、霧の艦隊がいる。

 

自分がこれまで歩んできた場所。

 

そして――これから歩んでいく場所。

 

「私は――」

 

一夏は、自分の胸元へ手を当てた。

 

「霧の一人になる」

 

その言葉に、迷いはなかった。

 

「人間として生きることを捨てるってことよ?」

 

「分かってる」

 

「今までの身体も、全部……」

 

「分かってるよ」

 

それでも。

 

一夏は笑った。

 

「それでも、私は決めたの」

 

その笑顔を見て――。

 

ヒュウガは何も言えなくなった。

 

止めることなどできない。

 

彼女自身が選んだ道なのだから。

 

ただ――。

 

ヒュウガは、一夏を見つめ続けることしかできなかった。

 

 

「…………」

 

薄暗い部屋。

 

窓から差し込む月明かりだけが、室内を照らしている。

 

二人の少女が、向かい合うように座っていた。

 

片方はグラスを傾ける。

 

もう片方も、静かに口を付ける。

 

「……そろそろ、白状したらどうだ?」

 

「さて、何のことでしょうか?」

 

月光が二人の姿を浮かび上がらせる。

 

織斑千冬。

 

そして――天羽琴乃。

 

千冬はグラスを置くと、窓の外を指差した。

 

「あれだよ」

 

その先にあるのは――。

 

未だ荒れ続けている海。

 

「…………」

 

天羽は小さく息を吐いた。

 

「一応、企業秘密だったのですが……」

 

「そういう問題じゃないだろう」

 

千冬の目が鋭くなる。

 

「《ミラー・リングシステム》」

 

「……それですか」

 

「ミラー・リングシステム?」

 

千冬が聞き返す。

 

天羽は静かに頷いた。

 

「えぇ」

 

そして、説明を続ける。

 

「霧の艦艇の中でも、超戦艦級だけが持つ特殊兵装です」

 

「……待て」

 

千冬が眉をひそめる。

 

「あそこにいたのは――」

 

「織斑先生の言う通りです」

 

天羽は苦笑する。

 

「本来であれば、あの海域にいる艦艇が使えるはずのない装備です」

 

「なら、なぜ……」

 

「実際に作動した」

 

天羽の声が低くなる。

 

「それが答えです」

 

千冬はしばらく黙った。

 

「……ミラー・リングシステムとは、一体なんだ?」

 

「対超重砲防御兵装です」

 

天羽はグラスを置く。

 

「そして――超重力砲を防ぐことができる、数少ない手段の一つ」

 

「超重力砲を?」

 

「はい」

 

天羽は窓の外を見る。

 

「原理は単純です」

 

「単純?」

 

「ワームホールを生成する」

 

千冬の眉が動く。

 

「ワームホール……?」

 

「えぇ」

 

天羽は淡々と説明する。

 

「超重力砲のエネルギーを別次元へ転移させることで、砲撃そのものをこの世界から消す」

 

「…………」

 

「ただし」

 

天羽は続ける。

 

「ワームホールを閉じる際、膨大なエネルギーが周囲へ放出されます」

 

「だから――」

 

「現在の海域です」

 

千冬は改めて海を見る。

 

荒れ狂う海。

 

そこには、普通では説明できない異常が残っている。

 

「ある場所では一次元」

 

「…………」

 

「別の場所では七次元」

 

千冬は絶句した。

 

「異なる次元空間が、まだら状に残っています」

 

「……そんなものが、現実に?」

 

「えぇ」

 

天羽は苦笑する。

 

「正常な状態へ戻るまで――数年単位で考えた方がいいでしょうね」

 

「…………」

 

千冬は黙り込んだ。

 

霧の技術力が、束を遥かに上回っていることは知っている。

 

だが――。

 

「ワームホールまで、兵器として扱うのか……」

 

「私ですら、実物を見るのは初めてでした」

 

天羽は静かに答えた。

 

 

太平洋。

 

その海域を、一隻の巨大戦艦が航行していた。

 

超戦艦――ムサシ。

 

福音事件を終えた第一艦隊を率い、この海域から離脱していた。

 

もちろん。

 

撃沈されたアシガラも回収済みである。

 

その甲板。

 

一人の少女が、海を眺めていた。

 

織斑マドカ。

 

天羽によって亡国機業から連れ出された少女。

 

「…………」

 

夜風が吹く。

 

マドカは静かに海を見つめていた。

 

「お身体の具合はいかがですか?」

 

背後から声がする。

 

振り返る。

 

そこにいたのは――。

 

ムサシのメンタルモデル。

 

「問題ない」

 

マドカは立ち上がる。

 

「むしろ……凄く気分がいい」

 

そして。

 

マドカの身体を覆っていたISスーツが、光の粒子へと変わっていく。

 

「…………」

 

装甲が消える。

 

その代わり。

 

私服が構成されていく。

 

それは着替えではない。

 

ナノマテリアルによる――新たな構成。

 

「メンタルモデルっていうのは……凄いな」

 

マドカは自分の手を見る。

 

人間だった頃と変わらない。

 

指も。

 

腕も。

 

顔も。

 

何も変わっていない。

 

それなのに――。

 

もう、以前の自分とは違う。

 

「今なら……」

 

マドカは拳を握る。

 

「姉さんに勝てる気がする」

 

その言葉に、ムサシは何も答えなかった。

 

ただ、静かにマドカを見つめる。

 

マドカはもう――。

 

人間ではない。

 

肉体そのものを捨てた。

 

人間としての身体を情報へ変換し、《ユニオンコア》へと書き込んだ。

 

肉体ではなく。

 

情報として存在する生命。

 

霧のメンタルモデル。

 

その中でも――。

 

彼女は特別だった。

 

「人間から霧になった存在……」

 

ムサシが小さく呟く。

 

マドカは海を見つめる。

 

その瞳には、もう迷いはない。

 

「……そうだ」

 

織斑マドカ。

 

彼女は――。

 

世界でただ一人。

 

自らの意思で、人間という存在を捨て、霧となった少女だった。

 

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