IS~空を舞う蒼き鋼~   作:ぬっく~

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第31話

 ――あの日。

 

 私の「あの人」に、全てを壊された。

 

 あの人は、私にとって目標だった。

 

 追いかけるべき存在だった。

 

 私がどれだけ努力しても届かない。

 

 完成された美貌。

 

 優れた頭脳。

 

 常人を遥かに超えた身体能力。

 

 そして、多くの人々を惹きつけて離さない魅力。

 

 何を取っても、私より上。

 

 どれだけ努力しても、決して追いつくことができない。

 

 だから――私は諦めた。

 

 あの人の背中を追いかけることを。

 

 あの人を見ることを。

 

 そして――同じ「更識」という名前を背負うことさえ、苦痛に感じるようになった。

 

 そんな私に、声を掛けてくれた人がいた。

 

『なら、私の所に来る?』

 

 あれは、私の専用機の開発が、とある事情によって大幅に後回しにされた時だった。

 

 結局、自分で組み上げるしかなくなった私は、研究所で一人、黙々と作業を続けていた。

 

 そんな私の背後に――。

 

 いつの間にか、一人の女性が立っていた。

 

 黒く長い髪。

 

 白いドレス。

 

 そして、どこか現実離れした雰囲気。

 

 最初は、どこかの大企業のお偉いさんの娘か何かだと思っていた。

 

 けれど――。

 

 研究所員が、その人の名前を口にした。

 

『蒼き鋼の創立者……天羽琴乃』

 

 その名前を聞いた瞬間、私は驚いた。

 

 たった数ヶ月。

 

 それだけの時間で、あらゆる業界の頂点へと駆け上がった怪物。

 

 霧の襲撃によって世界中との海上交通が断たれ、日本もまた絶滅の危機に瀕していた。

 

 そんな中で――蒼き鋼は霧に立ち向かった。

 

 そして。

 

 勝った。

 

 誰一人として傷を付けることすらできなかった霧を相手に、蒼き鋼は勝利した。

 

 それだけではない。

 

 霧の技術すら手に入れ、蒼き鋼は圧倒的な存在へと成長していった。

 

 そんな人物を前にして、私は思った。

 

『……天才には勝てない』

 

 どれだけ努力したところで、天才には勝てない。

 

 それは、既に決められていること。

 

 覆すことのできない、残酷な真実。

 

 ――そう思っていた。

 

『そんなことは、ないですよ』

 

『……え?』

 

 返ってきた答えに、私は驚いた。

 

 何十年努力しても勝てなかった私に。

 

 最初から全てを持っているように見えた天羽琴乃が――。

 

 希望をくれた。

 

『この世に、完全というものはないのですよ』

 

『でも……』

 

『それは、貴女がまだ知らないだけです』

 

『…………』

 

『もし、力が欲しいのでしたら――』

 

 天羽琴乃は、私へ手を差し出した。

 

『ついて来て下さい』

 

 私は、その手を取った。

 

 そして――手に入れた。

 

 姉さんに勝つための力を。

 

◇

 

「久し振りだね……簪ちゃん」

 

「……っ」

 

 その声を聞いた瞬間。

 

 簪の身体が、びくりと震えた。

 

 心臓が大きく跳ねる。

 

 呼吸が浅くなる。

 

 目の前にいるのは――姉。

 

 更識楯無。

 

 自分が追い続け、そして自分から全てを奪ったと思っている存在。

 

 なのに。

 

 どうして。

 

「……」

 

 楯無は、まるで何事もなかったかのように笑っている。

 

 どうして……?

 

 どうして普通に話しかけてくるの?

 

 貴女のせいで――。

 

 私は、たくさんのものを失った。

 

 自分自身すら、見失った。

 

 なのに。

 

 どうして貴女は、そんな普通の顔をしていられるの?

 

(分からない……)

 

 頭の中が真っ白になる。

 

(分からない……分からない……)

 

 呼吸が苦しくなる。

 

(どうして……?)

 

 視界が揺れる。

 

(分からない……)

 

 何度も、何度も同じ言葉が頭の中を回り続ける。

 

『落ち着きなさい』

 

 その時。

 

 打鉄弐式改の内部から、タカオの声が響いた。

 

『簪』

 

『……タカオ……』

 

『貴女のバイタルが急激に乱れているわ』

 

 タカオは冷静に状況を分析していた。

 

 だが――。

 

 目の前に現れた「姉」という存在が、簪にとってどれほど大きなトラウマになっているのか。

 

 それは、タカオの予想を遥かに超えていた。

 

『落ち着きなさい。今は私がいるわ』

 

『……ゴメン』

 

『謝る必要なんてないわ』

 

 タカオの声が、簪の意識を繋ぎ止める。

 

『今は、目の前のことに集中しなさい』

 

『……うん』

 

 簪はゆっくりと息を吐いた。

 

 震える身体を抑える。

 

 そして――目の前にいる姉を見据えた。

 

 私は、何のために力を手に入れた?

 

 何のために――霧の力を受け入れた?

 

「ねぇ……簪ちゃん」

 

 楯無が口を開く。

 

「教えて」

 

 その声には、困惑が滲んでいた。

 

「どうして……あなたが、あそこに所属しているの?」

 

「…………」

 

 蒼き鋼。

 

 その名前を口にするだけで、楯無の表情が曇る。

 

 昔は、いつも自分の後ろを付いてきた妹だった。

 

 もちろん、自分自身にも原因があることは理解している。

 

 それでも――。

 

 どうしても分からなかった。

 

 なぜ、妹が蒼き鋼にいるのか。

 

「あそこは、あなたがいてはいけない場所なんだよ?」

 

 楯無は必死に言葉を選ぶ。

 

「お願い……今すぐ、手を切って」

 

 更識家の情報網を使っても、蒼き鋼の情報はほとんど掴めなかった。

 

 そんなことは、今まで一度もなかった。

 

 調べれば何かしらの情報が出てくる。

 

 企業であれば、経営者、資金源、取引先、施設、関係者――何かしらの痕跡が残る。

 

 なのに。

 

 蒼き鋼には、それがない。

 

 まるで――最初から、この世界に存在していないかのように。

 

 だからこそ、楯無は危険視していた。

 

「そんな危ない場所に、あなたを置いておきたくない」

 

 それは――姉としての、純粋な心配だった。

 

 けれど。

 

「……それは無理」

 

「っ!」

 

 楯無の表情が固まる。

 

 簪は、まっすぐに姉を見つめていた。

 

「あなたは、何も分かっていない」

 

 声は震えている。

 

 それでも、言葉は止まらない。

 

「私が……どんな思いで、今まで過ごしてきたのか」

 

「簪ちゃん……」

 

「毎日、押し潰されそうだった」

 

 拳を握る。

 

「何をしても姉さんには届かない」

 

「…………」

 

「頑張っても、頑張っても……ずっと比べられる」

 

 そして。

 

「そんな私を――蒼き鋼の皆は受け入れてくれた」

 

 簪の声に、僅かな温かさが混じる。

 

「何もなかった私に……たくさんのものをくれた」

 

 自分の居場所。

 

 仲間。

 

 力。

 

 そして――自分自身を肯定する理由。

 

「だから……私は、戻らない」

 

 簪は言い切った。

 

 もう、恐れる必要なんてない。

 

 姉の背中を追い続ける必要もない。

 

 誰かと比べられる必要もない。

 

 私は――私だ。

 

「そう……」

 

 楯無は俯いた。

 

 その表情から、笑みが消える。

 

 簪は気付かなかった。

 

 その瞳の奥で――何かが壊れたことに。

 

 自分の大切な妹。

 

 その妹を、蒼き鋼が奪った。

 

 天羽琴乃が奪った。

 

 ならば――。

 

 取り戻せばいい。

 

 いや。

 

 邪魔をするものを――全部、消してしまえばいい。

 

「だったら……」

 

 楯無が顔を上げる。

 

 そこに、先ほどまでの困惑はなかった。

 

「私が、全てを終わらせてあげる」

 

「……!?」

 

 簪の身体が、びくりと震えた。

 

 楯無は静かに構える。

 

「来なさい」

 

 その声は、姉のものではなかった。

 

「貴女が手に入れたと言う力が――」

 

 一歩。

 

「全て、まやかしだったということを」

 

 さらに一歩。

 

「私が証明してあげる」

 

「…………」

 

 簪は黙って、打鉄弐式改を展開する。

 

 タカオもまた、戦闘態勢へ移行した。

 

 姉妹が――互いに武器を向ける。

 

 この時。

 

 二人はまだ知らなかった。

 

 この戦いが、ただの姉妹喧嘩では終わらないことを。

 

 蒼き鋼と更識家。

 

 霧と人類。

 

 そして――世界そのものを巻き込むことになる。

 

 後に人々が「開戦」と呼ぶことになる戦いが。

 

 今――静かに始まろうとしていた。

 

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