世界は、大きく変わった。
人類の常識を根底から覆した兵器――インフィニット・ストラトス。
宇宙開発用に生み出されたはずのその兵器は、やがて軍事利用を巡る世界的な騒動を引き起こし、最終的にはスポーツ競技へと姿を変えた。
しかし、それによって世界の在り方そのものまで変わってしまった。
ISを操縦できるのは女性だけ。
それまで男性優位だった社会構造は崩れ、国によっては女性の社会的地位が一気に上昇した。
逆に、それまで築き上げられていた男女の均衡が崩壊し、混乱に陥った国もあった。
人類は、新しい時代を迎えたのだ。
――だが。
これは、まだ始まりに過ぎなかった。
本に例えるならば、今まで起きた出来事は「目次」にすらならない。
これから始まる物語。
それは――
私、織斑一夏でさえ知らなかった物語だった。
◇
――ドイツ。
「暇だなぁ……」
軍の管制室。
モニターを眺めながら、一人の男性兵士がぼやいた。
「今時、見張りなんて必要なのか?」
「仕方ないだろ」
隣の男が肩をすくめる。
「ISがあるとはいえ、使えるのは女だけなんだからな」
「だったら女に任せりゃいいだろ」
「そう簡単な話じゃないんだよ」
いつもの愚痴。
いつもの勤務。
ISの登場によって世界の男女関係が変化した今、軍内部でも女性兵士の比率は増えている。
男たちは自分たちを「働きアリ」と自嘲することさえあった。
その時だった。
「……ん?」
一人の兵士がレーダーへ視線を向ける。
「どうした?」
「不法侵入船だ」
「数は?」
「二隻……」
そこまでは問題ではなかった。
しかし。
「……待て」
男の顔が強張った。
「どうした?」
「これ……船の種類がおかしい」
レーダーを拡大する。
そこに映っていた二つの巨大な影。
「せ、戦艦……?」
「戦艦?」
隣の男が首を傾げる。
「それって、ジャパニーズの船だろ?」
「違う。そういう意味じゃない」
男は震える声で呟いた。
「……あれは」
資料を検索する。
そして、画面に表示された写真とレーダー上の影を見比べる。
「旧帝国海軍――」
息を呑む。
「重巡洋艦、高雄……」
そして。
「航空戦艦、日向……」
「……は?」
そんな艦が存在するはずがない。
どちらも、とっくに失われた艦艇だ。
「上層部へ報告しろ!」
「了解!」
管制室が慌ただしくなる。
そして、上層部から下された命令は――
ISを一機、迎撃に向かわせることだった。
◇
「……最悪」
ジャンケンに負けた女性IS操縦者が、海上を飛んでいた。
「何で私が……」
愚痴をこぼしながら、二隻の艦へ接近する。
ハイパーセンサーが対象を捕捉。
「高雄型……日向型……?」
彼女は首を傾げた。
「まあ、いいか」
どうせ古い戦艦。
そう判断した。
「一気に沈める!」
ISから大量のミサイルと砲弾が放たれる。
空を埋め尽くすほどの攻撃。
「全弾命中!」
爆発。
炎。
水柱。
「終わった、終わったっと」
女性は安堵した。
戦艦相手とはいえ、これだけの攻撃を受ければ無事では済まない。
そう思っていた。
――しかし。
ピピピピピッ!
「……え?」
ハイパーセンサーが警告を発する。
接近物。
しかも――
「後ろ!?」
振り返った。
その瞬間。
一発のミサイルが目の前へ迫っていた。
「うそ――」
ミサイルがISのシールドへ接触する。
――爆発。
「きゃあああああっ!」
強烈な衝撃。
そして――
彼女の身体は、発生した重力波に飲み込まれていった。
ISからの通信が途絶える。
「……ロスト?」
管制室が凍りついた。
「嘘だろ……」
誰かが呟く。
その直後。
レーダーに映る二隻の戦艦が、再び動き始めた。
「き、緊急事態だ!」
しかし――
もう遅かった。
高雄と日向から、複数の魚雷が発射される。
それは通常の魚雷ではなかった。
――侵食魚雷。
魚雷は海中を進み、ドイツの海底通信ケーブルへ到達する。
そして――
世界を繋いでいた一本の線が、消えた。
◇
――アメリカ。
「こちら管制室! こちら管制室!」
「何が起きている!?」
「所属不明艦隊が領海内へ侵入しています!」
「ISを出せ!」
「了解!」
IS部隊が出撃する。
誰もが思った。
これで終わる。
ISならば、戦艦など敵ではない。
――そう思っていた。
「目標接近!」
「迎撃しろ!」
だが。
数分後。
「……IS、全機ロスト」
「…………」
管制室が静まり返る。
「……嘘だろ」
戦艦は止まらない。
通信施設へ接近。
そして――
破壊。
同じ光景が、世界各地で繰り返された。
ドイツ。
アメリカ。
イギリス。
フランス。
ロシア。
中国。
日本。
世界中の海域に、正体不明の艦隊が現れた。
IS部隊はことごとく撃退される。
通信施設が破壊される。
海底ケーブルが寸断される。
衛星通信設備までもが破壊されていく。
そして――
一週間。
たった七日間で。
世界は、国と国を繋いでいた通信網を失った。
さらに、海上輸送網までもが寸断される。
人類は初めて知ることになる。
自分たちが築き上げてきた文明が――
海を支配する存在によって、いとも簡単に切り離されることを。
◇
「……これって」
私は新聞を握りしめていた。
大きな見出し。
そこに書かれていたのは――
『正体不明の艦隊、世界各国の通信施設を攻撃』
『IS部隊、相次いで敗北』
『海底ケーブルの大規模損壊』
私は震える声で尋ねた。
「……天羽さん」
「はい?」
「これ……」
新聞を彼女へ向ける。
「これをやったの……あなたたちなの?」
「ええ」
天羽さんは、あまりにもあっさりと答えた。
「私たちがやりました」
「…………」
頭が真っ白になる。
「どうして……」
「アドミラリティ・コードの命令です」
「……アドミラリティ・コード?」
聞いたことのない言葉だった。
天羽さんは静かに頷く。
「私たち霧の艦隊には、アドミラリティ・コードの命令には必ず従うよう設定されています」
「じゃあ……」
私は新聞を見る。
「みんなは、その命令に従って……?」
「ええ」
「…………そんな」
信じたくなかった。
私が知っている琴乃さんは優しかった。
マヤちゃんも。
アシガラちゃんも。
他の皆も。
少なくとも私に対しては――優しかった。
「でも」
天羽さんが続ける。
「一つ問題があります」
「問題?」
「私たちは――」
天羽さんは少しだけ困ったように笑った。
「アドミラリティ・コードが何なのか、知らないんです」
「……え?」
私は耳を疑った。
「知らない?」
「ええ」
天羽さんは頷く。
「命令には従う」
その目が真剣になる。
「でも、その命令を出している存在については、何も分からない」
「…………」
「だから私は――」
天羽さんは海の向こうを見る。
「アドミラリティ・コードの正体を知りたい」
そして。
私へ手を差し出した。
「一夏ちゃん」
「…………」
「一緒に探してみませんか?」
差し出された手。
私は見つめる。
怖かった。
このままついていっていいのだろうか。
霧の艦隊は、人類にとって敵なのかもしれない。
実際に、世界中の通信網を破壊した。
でも――
私が知っている彼女たちは、そんな人たちではない。
琴乃さんは優しい。
マヤちゃんも。
他のみんなも。
そして何より――
私は、あの場所で初めて「自分が必要とされている」と感じた。
「私は……」
私は差し出された手を見る。
そして――
◇
二年。
世界中の海域が封鎖されてから、二年の月日が流れた。
人類は未だに、霧の艦隊への有効な対抗策を見つけられていなかった。
いつしか、世界は彼女たちをこう呼ぶようになった。
――霧の艦隊。
正体不明の戦艦群。
人類の兵器を遥かに凌駕する力を持つ存在。
しかし。
奇妙なことに、彼女たちは陸地を攻撃することはなかった。
都市を破壊することも。
人間を虐殺することも。
ただ――
通信施設。
海底ケーブル。
海上輸送路。
それらを破壊するだけ。
そして、いつしか霧の艦隊は海の彼方へ消えていった。
◇
――日本。
ある島。
春。
桜が舞う中、一つの学校で入学式が行われていた。
「皆さん――」
壇上に立つ教師が、新入生たちへ語り掛ける。
「IS学園への入学、おめでとうございます」
世界唯一のIS操縦者育成機関。
IS学園。
そして今日。
私は、この場所へ足を踏み入れていた。
「……なんだか、緊張するね」
隣を見る。
「そうですね、一夏ちゃん」
そこにいるのは――
天羽琴乃。
二年前から、ずっと私の隣にいる少女。
いや。
彼女は――
霧の艦隊総旗艦。
超戦艦ヤマト。
そんな彼女と私は、今こうしてIS学園へ入学している。
「……これから、どうなるんだろう」
「さあ?」
琴乃さんが笑う。
「きっと、楽しいことが待っていますよ」
その時。
私の左腕にあるシルバーのブレスレットが――
僅かに輝いた。
そして。
琴乃さんの右腕にあるゴールドのブレスレットもまた、同じように輝く。
「…………」
私たちは互いの腕を見る。
何故、この二つのブレスレットが同じように輝いたのか。
この時の私は知らなかった。
それが――
これから始まる物語において、決して偶然ではないことを。
世界を覆った「霧」。
謎の命令。
アドミラリティ・コード。
そして――
私、織斑一夏を中心に動き始める、新たな物語。
これはまだ。
本当の始まりにすら、到達していなかった。