「あー……」
参った。
これはマズい。
ダメ。
ギブ。
――誰か、どうにかして。
「………………」
一限目のIS基礎理論の授業が終わり、現在は昼休み。
本来なら、友達と昼食を食べたり、入学初日の感想を話したりする時間なのだろう。
けれど――
「…………」
教室内の空気が、ものすごく重い。
原因は分かっている。
天羽琴乃。
正確には、天羽さんを取り巻く状況だ。
IS学園では、可能な限りIS関連教育を詰め込む方針らしく、入学式当日から普通に授業がある。
学内の案内?
「地図を見ろ」
だそうだ。
……実に合理的。
そして、実に不親切。
そんなことより問題なのは――
「…………」
教室の外。
廊下にまで、人が溢れていることだった。
他クラスの生徒。
二年生、三年生の先輩。
果てには、別棟からわざわざ見に来ているらしい生徒までいる。
その全員が――
天羽琴乃を見ている。
(……よく平気だなぁ)
琴乃はそんな視線など気にする様子もなく、廊下にいる生徒たちへ笑顔で手を振っていた。
「こんにちはー」
「きゃっ!」
「天羽さんが手を振ってくれた!」
「かわいい……!」
「こっち見た!」
廊下から悲鳴のような声が返ってくる。
……アイドルかな?
いや。
実際、琴乃は世界的に有名な存在だ。
『蒼き鋼』。
その創立者として知られているのが、天羽琴乃なのだから。
しかも、その存在は単なる企業経営者として知られているわけではない。
霧の艦隊によって世界中の海と空が奪われた現在。
各国は海上輸送を失い、航空輸送も大幅に制限されている。
結果として、人々は陸路による移動と物資輸送を余儀なくされた。
当然、日本も例外ではなかった。
むしろ島国である日本は、その影響をまともに受けた。
一時は国家そのものが危機的な状況に追い込まれたほどだ。
そんな中――
日本への物資搬入を成功させた企業があった。
『蒼き鋼』。
霧の戦艦が支配する海域を突破し、日本へ物資を届ける。
その偉業によって、『蒼き鋼』の名は一躍世界中へと知れ渡った。
そして、その創立者である天羽琴乃にも注目が集まった。
だからこそ――
今、この状況なのだ。
(……それにしても)
私は琴乃を見る。
「…………」
本人は笑顔。
余裕。
まったく動じていない。
まるで何事もないかのように、廊下の生徒たちへ手を振っている。
(プラグイン、切ってるのかな……)
琴乃は霧のメンタルモデルだ。
感情も、人間らしい反応も持っている。
それでも、この状況で一切動揺しないあたりは、やはり霧の艦隊なのだろう。
……私なら無理。
絶対無理。
そんなことを考えていると――
「……ちょっといいか」
「え?」
突然、横から声をかけられた。
私は声のした方を見る。
「……箒ちゃん?」
「…………」
そこに立っていたのは、一人の少女だった。
篠ノ之箒。
私が昔通っていた剣術道場の――幼馴染。
最後に会ったのは六年前。
それ以来の再会だった。
「…………」
黒髪のポニーテール。
肩より少し下まで伸びた髪を結んでいるリボンは、昔と変わらず白い。
……神主の娘だからだろうか。
篠ノ之家は神社と剣術道場を兼ねている。
その環境で育った箒は、幼い頃から剣道に打ち込んでいた。
身長そのものは女子として平均的。
けれど、長年の鍛錬で引き締まった身体つきは、実際よりも長身に感じさせる。
そして――
少し不機嫌そうに見える目。
本人曰く、生まれつきらしい。
「廊下でいいか?」
「え?」
「ここでは話しにくい」
「あ、うん……」
別に断る理由もない。
私は席を立った。
「早くしろ」
「はいはい」
箒はすたすたと教室の外へ歩いていく。
その瞬間。
廊下に集まっていた女子たちが――
ざっ。
まるで申し合わせたかのように道を開けた。
「…………」
何これ。
怖い。
私は箒の後を追う。
教室から少し離れたところまで来ると、箒が立ち止まった。
「どういうことだ」
「え?」
「何故、お前が『蒼き鋼』に所属している!」
ああ。
そのことか。
私は少しだけ困ったように笑った。
「スカウトされたのよ」
「スカウト……?」
「そう。天羽さん直々に」
完全な嘘ではない。
でも、完全な真実でもない。
私が『蒼き鋼』にいる理由を、箒に説明することはできない。
私は今――
人類の敵と呼ばれている存在の側にいる。
霧の艦隊。
彼女たちと共に生きることを、私は自分自身で選んだ。
「…………」
箒は納得していない。
むしろ、表情が険しくなっていく。
「あそこは……」
「……?」
「…………」
箒が何かを言おうとする。
けれど――
「箒ちゃん」
私は、静かに言った。
「『蒼き鋼』の皆を侮辱するなら……私は許さないよ?」
「っ!」
箒の目が見開かれる。
私も自分で驚いていた。
こんな言葉が、自然と口から出てきたことに。
でも――
嘘ではない。
私は、あの人たちを守りたい。
琴乃を。
金剛を。
高雄を。
日向を。
ハルナを。
キリシマを。
マヤを。
そして、霧の艦隊のみんなを。
それだけは譲れない。
「…………」
箒は何かを言い返そうとした。
けれど――
キーンコーンカーンコーン。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
「……時間切れね」
廊下にいた生徒たちも、一斉に自分たちの教室へ戻っていく。
「またね。箒ちゃん」
私はそう言って、自分の教室へ戻った。
「…………」
その背中を、箒は黙って見つめていた。
そして――
私には聞こえないほど小さな声で呟く。
「……私は認めない」
握り締めた拳が、わずかに震えている。
「あんな……」
言葉が続く。
「霧に魂を売った企業なんかに……」
箒が『蒼き鋼』を嫌う理由。
それは、あの企業が霧の艦隊と関係しているという疑念だった。
霧に勝てるのは――
同じ霧だけ。
それは、今や世界中の人間が知っている常識だった。
だからこそ。
霧と共に行動し、霧の技術を使い、霧の艦隊が支配する海を越えて物資を運ぶ『蒼き鋼』。
その存在を、人類の側に立つ者たちがどう見るのか。
答えは決まっている。
――裏切り者。
――人類の敵。
――霧に魂を売った企業。
そして、その中心にいるのが――
天羽琴乃。
「…………」
箒は、遠ざかっていく一夏の背中を睨む。
六年ぶりに再会した幼馴染。
その一夏が、自分とは正反対の場所に立っている。
その事実を――
箒は、まだ受け入れることができなかった。