「天羽さん。今回は、何の仕事なんですか?」
伊402へ乗り込んだ私は、琴乃さんに尋ねた。
「今回は会談よ」
「会談?」
「ええ。貴女たちには、私の護衛をお願いするわ」
「分かりました」
私は頷く。
私たち二人を護衛に付ける。
これは、かなり珍しいことだった。
別に私や簪が弱いわけではない。
むしろ逆だ。
だからこそ、琴乃さんは私たちを選んだ。
こちらの切り札を、必要以上に見せないため。
霧の技術を持っていることを知られても、私たちの正確な戦力まで知られる必要はない。
それが、今回の護衛任務の理由だった。
「目的の場所に到着しました」
402のメンタルモデルが報告する。
「ありがとう、402」
琴乃さんが立ち上がる。
私と簪も続く。
三人ともロングコートを羽織り、外へ出た。
そこは、ごく普通の港だった。
ただし、周囲から死角になる場所を選んでいるため、人目はほとんどない。
「行きましょう」
「はい」
私たちは琴乃さんの後ろを歩く。
その姿は、どこから見ても普通の少女にしか見えない。
けれど――
その正体を知っている私にとっては。
この少女ほど、世界の常識から外れた存在を他に知らない。
◇
「さて……これでよしっと」
ホテルのスイートルーム。
スコールは最後の仕上げとばかりに香水を吹きかけた。
豪華なドレス。
首元には大小様々なダイヤモンドが散りばめられたネックレス。
耳にはピアス。
指には指輪。
腕にはブレスレット。
どれも一流品だと、一目で分かる。
「…………」
その隣で、エムはつまらなそうにしていた。
胸元のロケットを弄びながら、ぼんやりと虚空を見つめている。
「なあに、エム」
スコールが鏡越しに笑う。
「まだ食事に行くことが不満なの?」
「……私が同行する理由はない」
「あるわよ」
スコールは振り返った。
「私の護衛が必要じゃない?」
「笑わせるな」
エムの返答は即答だった。
スコールの実力。
そして、彼女の専用IS――ゴールデン・ドーン。
その性能を知っているエムからすれば、皮肉にしかならない。
護衛など必要ない。
むしろ――
「あなたが私を連れて行きたいだけだろう」
「ふふっ。そうとも言うわね」
スコールは楽しそうに笑った。
「さて、行きましょうか」
「……ふん」
エムは渋々立ち上がる。
「少しくらい笑いなさいな」
スコールが肩をすくめる。
「今日は、あの天羽琴乃とのご対面なのだから」
「…………」
その名前を聞いても、エムの表情は変わらない。
ただ、ロケットを握る手だけが僅かに強くなった。
結局。
仕方がないというより――
従うしかない。
エムはスコールの後に続いた。
◇
「…………」
地下に設けられた、隠れ家的なレストラン。
その一室で。
天羽琴乃は、スコールと向かい合っていた。
世界中の企業が面会を申し込んでも、本人ではなく代理人しか応じない。
そんな『蒼き鋼』の業務執行取締役。
天羽琴乃。
その本人を、こうして直接呼び出した方法。
それについては――
スコールだけが知っている。
「お気に召しまして?」
スコールが笑顔で尋ねる。
「そうね」
琴乃はスープを飲み干す。
「そこの睡眠薬入りのスープ以外は」
「…………」
一瞬。
スコールの笑顔が止まった。
けれど、すぐに元へ戻る。
「まあ」
「隠す必要はないでしょう?」
琴乃は何事もなかったようにナプキンで口元を拭いた。
「これくらいで私がどうにかなると思ったのなら、少し残念ね」
スコールは内心で苦笑する。
――まあ。
これくらいは想定内。
『あの』天羽琴乃なのだから。
「それでは、本題に入りましょう」
スコールはテーブルに両肘をつき、笑みを浮かべる。
「天羽さん。以前お話した件について、考えていただけたかしら?」
「以前?」
「ええ」
スコールは言葉を続けた。
「我々、『亡国機業《ファントム・タスク》』に侵食弾頭の情報を提供していただく件です」
琴乃は黙っている。
「もちろん――」
スコールは微笑んだ。
「設計データ込みで」
「…………」
数秒。
沈黙。
そして。
「うふふふ……」
琴乃が笑った。
「お断りよ」
「……そうですか」
「あなたたちのような小物に、そんなものを提供するとでも?」
笑顔。
しかし、その言葉には明確な侮蔑が含まれている。
侵食弾頭。
霧に対抗できる、数少ない兵器。
その存在について、琴乃は隠していない。
だからこそ――
亡国機業は欲しがっていた。
「そこを何とかお願いできないかしら?」
「もう一度言いますね」
琴乃はワインへ手を伸ばす。
「お断りします」
「…………」
スコールは笑顔を崩さない。
「ふう……どうしても?」
「ええ」
「そう」
スコールが指を鳴らした。
パチン。
すると――
琴乃の背後。
「――!」
オータムが現れた。
銃口を琴乃へ向ける。
「それでは――」
スコールは笑う。
「お返事を変えていただけますか?」
「…………」
琴乃は振り返らない。
そして――
「本当に三流以下の組織ね」
「――え?」
次の瞬間。
ドゴォンッ!!
「がっ!?」
オータムの身体が吹き飛んだ。
防御する暇すらない。
そのまま派手な音を立てて、ワインセラーへ突っ込んでいく。
「な……」
スコールの目が見開かれる。
「まさか……クライン・フィールドまで……?」
琴乃の周囲には、見えない防壁が展開されていた。
クライン・フィールド。
霧の戦艦が持つ、防御機構。
それによって弾き飛ばされたオータムは、ワインセラーの中で動かない。
琴乃は何事もなかったかのようにワインを口へ運ぶ。
「……いいワインね。これ」
「…………」
スコールは、奥歯を噛み締めた。
誤算だった。
完全に。
脅迫が効かなかったとしても。
最悪の場合、自分のIS――ゴールデン・ドーンで押し切る。
それくらいは可能だと思っていた。
だが。
目の前にいる少女は――
ISを起動する必要すらなかった。
「…………」
そもそも。
琴乃にISを起動するだけの隙を与えてもらえるのか?
いや。
その必要すらないのかもしれない。
「どうしました?」
琴乃が首を傾げる。
「お話は、まだ終わっていませんよ?」
その余裕が、スコールを苛立たせる。
だが――
その時。
「動くな」
入口から声がした。
「……!」
スコールが振り向く。
そこにいたのは――
エム。
そして、その身体にはすでにIS――ラファール・リヴァイヴが展開されていた。
(――やった!)
スコールは心の中で笑う。
エム。
彼女こそ、亡国機業が誇る切り札。
これでようやく――
勝負は五分。
そう思った。
だが。
甘かった。
「イオナ」
琴乃が呟く。
「はい」
エムの背後。
いつの間にか、一人の少女が立っていた。
ローブを深く被っているため、顔は見えない。
「な――」
エムが振り返る。
その瞬間。
「――ッ!」
ドゴォン!!
生身の少女が。
人間の身体が。
ISを装着したエムを――
蹴り飛ばした。
「な……!?」
エムの身体が吹き飛ぶ。
壁に叩きつけられる。
「くっ!」
慌てて体勢を立て直そうとする。
しかし。
「遅い」
「――ッ!」
イオナの姿が消えた。
いや。
速すぎる。
視認できない。
「ぐっ!」
「がっ!」
「うあっ……!」
一方的だった。
拳。
蹴り。
掌打。
生身の人間が、ISを相手にしている。
それなのに。
エムは――
何一つ、反撃できない。
「馬鹿な……!」
ISの装甲が、次々とへこむ。
ラファール・リヴァイヴが、見る間に損傷していく。
「これは……」
エムの思考が追いつかない。
なぜ。
どうして。
なぜ、生身でISを――
「…………!」
そして最後の一撃。
ドンッ!!
ラファール・リヴァイヴが大きく弾き飛ばされた。
ガガガガッ――!
壁を削りながら滑る。
そして――
「…………」
沈黙。
「SE……ゼロ……」
エネルギーが尽きた。
強制解除。
エムの身体が露出する。
イオナは、それを確認すると攻撃を止めた。
「…………」
エムは動かなかった。
動けない。
いや。
正確には――
動けば負ける。
身体が、本能的にそう理解していた。
イオナはじっとエムを見つめる。
ローブの奥から覗く顔。
その表情には――
微かな笑みが浮かんでいた。
まるで。
気に入った玩具を見つけた子供のような――
そんな笑み。
「天羽様」
「なに?」
「この子」
イオナがエムを指差す。
「貰ってもいいですか?」
「「!?」」
スコールとエムの声が重なった。
琴乃は少しだけ考える。
そして――
「そうね……」
にっこり。
「気に入ってしまったのね」
「はい」
「では――」
琴乃はスコールを見る。
「侵食弾頭の情報と、この子を交換しましょう」
「え――」
今度こそ。
スコールの顔から笑みが消えた。
「もちろん」
琴乃は付け加える。
「設計データ込みで」
「そ、それは……」
スコールは言葉を濁す。
当然だ。
今の亡国機業にとって、エムは切り札そのもの。
ここで失えば、今後の計画に大きな支障が出る。
「困りますか?」
琴乃が微笑む。
「ですが――」
一歩。
琴乃がエムへ近づく。
「霧に対抗できる兵器」
さらに。
「そして、織斑千冬のクローン」
「…………」
「この二つを天秤にかけているのですよ?」
琴乃は優しく笑った。
「十分すぎる条件だと思いますけれど?」
「…………っ」
スコールは唇を噛む。
侵食弾頭は、喉から手が出るほど欲しい。
だが。
エムを失うわけにはいかない。
しかも。
目の前にはクライン・フィールドを使う琴乃。
そして、ISを生身で叩き潰した少女。
勝てない。
仮にゴールデン・ドーンを展開しても――
勝てる保証など、どこにもない。
「…………分かりました」
絞り出すように、スコールは答えた。
「交渉成立ね」
琴乃が笑う。
「ありがとう」
「…………」
「イオナ」
「はい」
「帰りますよ」
「はい」
イオナがエムの側へ歩く。
そして琴乃たちが部屋を出ようとした、その時。
「ああ、そうでした」
琴乃が振り返る。
「一つ、忘れていました」
「?」
琴乃はエムの頭に手を置く。
「ナノマシンは無効化させてもらいますね」
「――!?」
エムの表情が変わった。
身体に仕込まれていた監視用ナノマシン。
それが――
一瞬で沈黙した。
「な……」
スコールは言葉を失う。
完全に。
完全に切り札を失った。
◇
「402」
会談を終えた私たちは、402へ戻っていた。
「予定を少し変更するわ」
「はい」
「私たちを送り届けたら、ムサシのところへ彼女を連れて行って」
「了解しました」
琴乃さんの隣。
そこには、先ほどの少女――エムがいる。
いや。
正確には、もう『エム』ではないのかもしれない。
402が潜航準備を進める。
私と簪はフードを脱いだ。
「…………」
エムがこちらを見る。
そして――
「……な」
目を見開く。
「お、織斑一夏……だと?」
「あ」
私は笑った。
「そうですよ」
エムは呆然としている。
「やっぱり驚きましたか?」
違う。
彼女が驚いているのは――
自分が織斑一夏に負けたことではない。
『あの場にいた人物が織斑一夏だった』
その事実にだ。
「…………」
エムは私をじっと見る。
「どうして……」
「ん?」
私は首を傾げる。
「エムってコードネームなんでしょ?」
「…………」
「本当の名前は?」
しばらく沈黙。
そして。
小さな声が返ってきた。
「……織斑」
「うん」
「……織斑、マドカ」
「マドカちゃんか」
私は笑顔になる。
「よろしくね」
「…………」
マドカは困惑していた。
当然だろう。
つい先ほどまで。
自分を完膚なきまでに叩きのめした少女が――
今はまるで別人のような顔で、自分に笑いかけている。
「ねえ、マドカちゃん」
「……何だ」
「好きな食べ物は?」
「……は?」
「趣味は?」
「…………」
「普段は何してるの?」
「…………」
次から次へと質問が飛んでくる。
マドカは完全についていけていない。
「ちょ、ちょっと待て!」
「え?」
「何故、私にそんなことを聞く!」
「だって気になるじゃない」
「…………」
さっきまでの戦闘との落差が激しすぎる。
マドカは戸惑いながらも、一つ一つ質問に答えていく。
やがて――
402は静かに潜航を始めた。
そして、しばらくして。
「……あ」
窓の外を見れば、IS学園が見える。
「もう着いたんだ」
私は少し残念そうに呟く。
マドカはそんな私を見ていた。
そして思う。
この少女は――
本当に、あの時の少女と同じ人物なのだろうか。
戦場では、容赦なく敵を叩き潰す。
それなのに今は。
まるで昔からの友人のように笑っている。
「…………」
織斑一夏。
その名前を、マドカはもう一度心の中で繰り返した。
そして私たちは。
誰にも気づかれることなく――
再びIS学園へと戻っていった。