残暑が厳しい9月、唐突に佐倉が休んだ。
「いつもの定期入院だそうよ」と今井がなんでもないことのようにみんなに言う。春に転入してきた彼女は、今ではすっかり佐倉の親友に収まり、彼女の事は今井担当のようになっていた。
「そういうあなた、棗君は? 知ってるんでしょ」
「棗は・・・・・・どこかでサボってると思うよ」
嘘だ。棗は任務だった。入学してからずっと、初校長にこき使われている。葵ちゃんと俺のせいで。俺なんかのために。みんなは知らない。棗がふらっとサボることはいつものことだと、気にしないでくれている。気づかないでくれている。その間の多くは、任務に行っているなんて。
傷ついている棗を見守ることしかできない自分。流架はただただ己を恥じ、無力さを噛みしめるしかできない。意味がないのに。どうして、みんなよりも多くの事情を知ってしまっているのに、なんにも手出しができないのだろう。ただ知っているだけしかできないなんて。
「・・・・・・早く戻ってくるといいわね」
今井の言葉に、素直に頷いた。
棗も。佐倉も。
二人とも戻ってきて、またクラスは日だまりに満たされる。そう信じていた。
病室の前に立ったとき、ゴホゴホと咳き込む音が聞こえていた。嫌な予感が去来した。それを押さえつけながら遠慮がちにノックして、入った。
「――佐倉?」
いつもならすぐ、満面の笑顔で迎えてくれるのに。
そこにいたのは、苦しげに咳き込み口元を抑える佐倉だった。指の間から流れている液体は。その赤い不吉な液体は。
「あ、ルカ、ぴょ・・・・・・」ゲホッ、と激しく噎せて言葉が消える。また口から血が溢れた。何もできなかった。頭が真っ白で、ただただ、紅い血が不吉にこびりついて――
「――どいて。邪魔よ」
後ろから入ってきた今井が流架を押しのけベッドに近寄る。持っていたペットボトルを佐倉の口元に押し当て、薬を飲ませる。慣れた手つきだった。しばらくして、咳き込む音は収まった。
「ふぅ、落ち着いた落ち着いた。ごめんなぁルカぴょん。びっくりしてもうたやろ」
こちらへ笑いかける顔に、痛々しさも影もなにもない。それなのに、流架には酷く痛ましいものに思えた。どうして。
どうして、笑っていられるの。
「佐倉・・・・・・定期入院じゃなかったの?」
重なってしまう。棗の様子と。一年前から咳き込む事が多くなり、病院通いになった彼と。任務の度に死んだようにうなされて眠る彼と。まさか、まさか。
「今回はちっと長引くかもしれへん。病気がまたぶり返してしもうて」
「それ、病気なんかじゃ・・・・・・」
「流架君」
今井に腕を掴まれる。言わないでというように。口に出すことを恐れるように。佐倉から否定の言葉もなくて――知ってしまう。悟ってしまった。そんな自分が嫌で嫌で、でもそれに気づかない鈍い自分になりたいわけでもなくて。どうすればいいか分からない。
「みんなには言わんといてな。特に、棗には」
「どうして」
「心配なんてさせたかないやんか。あいつ、自分のことでも手一杯やのに。まあ、あいつ鋭いからいずれ気づかれてまうかもなぁ」
あいつはもう少し鈍うなってもええのに。
困ったような笑みが、ずっと頭にこびりついて離れない。
気づけば北の森にいた。どうしてここにいるんだっけ。確か、今井に――「酷い顔よ。少し寄り道しましょう」そうして、寮にそのまま帰らなかったのだ。良かったかも知れない。他のみんなに、普通を取り繕う自信がなかったから。
今井は平気なのだろうか。スワンに腰掛け蟹味噌を食べる彼女。いつも通りに見えすぎて、逆に空恐ろしい。
「いてくれるだけでいい――そう言うのよ、あの子」
どんな顔をしているのか分からない。
「分かってくれているだけでいい。それだけでとても助かっている、ずっとずっと楽になっているから。私の気持ちを、全く考えもしないで」
怒っているのか。違う、悲しんでいるんだ。
「そんなの、何も変わらない。私は何もしていないのに。ここまで関わらせといて、もう巻き込みたくないって言って――ふざけんじゃないわよ」
分かりすぎるほど分かった。俺と同じだと、流架は彼女に共感していた。あのとき、棗を一人にしてはいけないと強く思った。そうでなければ壊れてしまう。一人で抱え込んでしまうと。その選択を間違ったとは思っていない。だけど、棗の重荷になってしまっている。そばにいるしかできない、それ以上踏み込むことはできない。何て歯がゆいのだろう。自己嫌悪の海にずっとずっとおぼれ続けている。
彼女も同じだ。ああ、なのに。
「佐倉は・・・・・・」彼女へ、救いのない慰めを言ってしまう。「今井に感謝してる、と思う。クラスの誰よりも、今井に心を開いていると思う」
春に二人に何があったのかは知らない。けれど、他のみんなにはからっと接する佐倉が、今井に関しては幼く甘えた様子を見せる。頼っている。よりかかっている。流架からはそう見える。
今井が流架を見ている。分かっているわよ、と声が聞こえる気がした。分かっているから怒れない。そばに居続けるしかできない。そう儚げに笑っていた――
「よく見てるのね。蜜柑のこと」
その一言で、今井の顔がにやりとしたものになる。なんか黒いオーラがにじみ出ている。さっきのあれは、真面目なしおれた雰囲気は一体どこに。
「な、なんだよ」
「いいえ、別に。蜜柑は私の親友だから。――いちばんの、ね」
あなたの親友にも言っといてちょうだい。
今井はすっかり、いつもの今井に戻っていた。
初流架視点なので蜜柑や蛍が名字です。