学園アリス If   作:榧師

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血塗れの終焉

 はっと気づけば目の前に床が迫ってきていた。咄嗟に手を出せば、腕に強烈な衝撃が伝わるが顔面衝突は免れる。しびれを感じながら起き上がって周囲を見回し、駈け出した。そこまで遠くへと瞬間移動はしなかったようだった。

 逃げるつもりは、蜜柑には毛頭なかった。

 初校長室前につく。扉を、ノックもなしに開けるが、中の人物は動じる様子を見せなかった。

 

「ようやく戻ってきたね、蜜柑。なんのつもりか知らないが、ずいぶんと遊んだんだ、もう十分だろう。部屋に戻ったら仕置をした方がいいだろうね、痛いだろうが、もうこれ以上暴れさせるわけにはいかないのでね」

 

 顔の半面を月光に照らされ、もう半面に影を落とした初校長は、余裕をもった笑みをたたえた。蜜柑が戻ってくると――自分から離れることはできないと、確信していたかのように。

 

「……なあ初校長。ウチは昔、あんたの中の石を盗った、そうやろ?」

「ああそうだ。お陰で次第に元の姿に戻りつつある。もう数年ほど必要だろうがね」

 

 およそ五年間で、初校長は二十代半ばほどにまで戻っていた。彼の言う『元の姿』とは若返りする前の姿なのだろうか、それとも、若返りしていた時間分、年を重ねた姿なのだろうか。

 初校長はいびつの塊だ。蜜柑は強くそう思う。

 

「もとに戻ることはあんたの最大目標だった。それを果たしてもなお、あんたはウチを必要とする」

「お前のアリスは何よりも有用だからね。どれほどの組織がお前のアリスを喉が出るほど欲しているか、知っているか? 学園で保護しなければどうなるか分かったものではない。――そんなことを聞いてどうする」

 

 どうやら初校長は御機嫌斜めのようだ。もちろんその原因は自分ではあるのだろう。予想外の反抗を、初校長は好まないのだから。

 蜜柑は笑みを浮かべた。ただ穏やかな、なんの感情の揺れもない笑みだった。それを維持したまま一歩踏み出す。歩み寄りながらさり気なく懐を探る。

 

「いいや。ウチはあんたを見捨てたりせえへん、そう言ったでしょう」

 

 初校長が気づいたのと蜜柑が走ったのはほぼ同時だった。結界のアリスが発動されたのを感じた。構わず突っ切れば皮膚のあちこちに裂傷が生まれる、わずかに血が飛ぶ。

蜜柑は痛みを感じなかった。それ以上の衝動に近いものが彼女を動かした。隠し持った短剣を前へ突き出した時、感じたのはズシリとした重い感覚と安堵だった。これでやっと、終わる。

 内心でペルソナに感謝した。脱出する際、短剣を調達してくれたのは彼だった。

 

「お前はアリスがあるだろう。それと持っていないのか」

 

 訝しげに聞いてきた彼に、蜜柑は首を横に振った。アリスは使いたくない、という望みを、彼は叶えてくれた。

 はたから見れば、二人は抱き合っているように見えたかもしれない。しかしゆっくりと、蜜柑が体を離した時、浮かび上がったのは凄惨な光景だった。初校長は呆然と、己の腹を――血を吹き出す傷口を見た。何が起きたのかわからない、といった顔が突如咳き込む。力を失って崩れ落ちる体を、蜜柑が支えて壁にもたれさせた。

 

「な、ぜ」

「決めておったことや。ずっとずっと昔から」

 

 淡々と言葉を紡ぐ。それは己の罪を告白するようにも映ったかもしれない。

 

「あんたがどこまでも貪欲やったから。めぼしいアリスの子をいっぱい引き入れて利用する勢いやったから。最近はそれほどでもなかったのは、ウチがいるからだと分かっていた。ウチがそばに居続ければ、ウチに執着し続けるって分かっていたんよ。けどそれも、ウチがいなくなったら終わりやろ」

 

 血を吐きながら、初校長が蜜柑を見つめる。何かに気づいたように、閉じかかった目が一瞬見開かれた。声を出そうとして、咳とともに血を吐く。

 穏やかに、蜜柑は告げた。

 

「――寿命やよ、初校長」

 

 持って二十歳。最初に倒れた時、医者はそう言った。余命宣告は、入院するたび、薬をもらうたび、短くなっていった。蜜柑の持つ盗みのアリスは、アリスを使う彼女の命を削ったのだ。

 

「本当はもっとゆっくり時間をかける計画だったんよ。それこそ、高等部になるまでは普通でいるつもりやった。それまでは平気だと思っておったから」

「わたしが……命じた、からか」

 

 その質問をするのに、初校長は数十秒を使った。もたれかかっているのも辛そうだったから、蜜柑は彼を床へと横たえさせた。

 

「Zも、お母さんのことも――いろいろありすぎて、計画は狂いっぱなしや。そのせいで、こんな騒ぎになってもうた」

 

 母は大丈夫だろうか。逃げて、と背中へ叫ばれたのを思い出すと胸が傷んだ。

 ふと視線を落とすと、初校長と目があった。薄靄がかったそれに怯えの色があるのが見えた。怖いのか、と囁やけば吐息に近い言葉がかろうじて耳に入る。

お前は、結局私を置いていくのか。

 

「――……心配いらんよ。ウチかてあと数年生きれればいいほうやろうから。すぐに追いついてしもうよ」

 

 自嘲混じりのそれが相手に届いたのかはわからなかった。初校長は事切れていた。長年学園を支配していた一人がその座を降りたのだ。未だ温もりの残るまぶたを、そっとなぞった。

 

「初校長、あんたのこと、嫌いではなかったんよ。学園に通わせてくれたことも。結果的にみんなと会えたんは、幸せやったんよ」

 




次で終わりだと思います。
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