夢を掴む、その瞬間まで・・・   作:成龍525

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大変、大変、大っ変お待たせ致しましたああああああ(;.;)
約三ヶ月ちょっとの間更新出来ずすみませんでした(あれ? 毎回ここに同じようなこと書いてるような……orz)
今回の回はちょっと大切な伏線の含む内容だったのであれこれ考えたりしてて、それプラス文章や台詞が場面に適切なのかどうか……そういうのが気になり出すと一切筆が進まなくなり画面と睨めっこしたまま一文も書けずに一日終わった。なんてことが多々ありまして(汗焦)

予定では十月半ばくらいに更新したかったのですが、取りあえず年内に更新出来たことだけが救いです。

そしてそんな更新のない中でお気に入りにして下さった皆様方、本っ当にありがとうございました!(≧∀≦)ノシ
止まり出すと中々這い上がってこれない豆腐メンタルな作者ではありますが、これからも長い目で見守って頂けたらと思います。
もうほんと感謝感謝です!
同じく1点でも評価して下さった皆様方もありがとうございました(*^-^*)


さて、今回ですが鈴ちゃんのお家事情とか兄弟や両親と色々と出てきます。
しかも三ヶ月分の何か?が詰まっているのか文量も普段の約3倍となっており……!
というか書き終わって気付いた頃にはそうなってました(爆)
40×40の17ページとか、長すぎて読むの大変じゃないかが心配です…。


それでは今回もどうぞ良しなにーーーっ(*'▽'*)←日本語おかしい……


第11話~迫り来る不安~

 午後の授業も終わり、月曜日の放課後。

野球同好会の練習も終え全員が帰るのを見送り、一足遅れで学校を後にした矢野。

練習で程良く温まった体を維持する目的も込めて軽く走り出した。

走り続けて暫く、自宅まであと少しとなったところで矢野は視線を落とす。

羽和川(ぱわがわ)に沿うようにして広がる河川敷を見渡してみるとそこに見慣れた人影を見つけ、堤防の階段を一気に駆け下りた。

 

「鈴ちゃんこんにちは!」

「……あ、矢野さんこんにちはーっ」

 

 いつもの場所、いつもの時間。

呼び声に気付き振り返ってみると矢野は笑顔、それにつられて自然と鈴も頬がほころぶ。

いつもと変わらず鈴はそこに居たのだ。

季節はもう夏、半袖のシャツにスパッツという動き安さを重視した服装で、矢野が学校での練習を終えて来るのを待ちながらストレッチをこなしていたところだった。

土曜日にあった女子軟式野球大会決勝戦のあと、この河川敷でお互いに本当の気持ちをぶつけ合い、受け止め合った矢野と鈴。

憧れや期待、思い――。

気付かぬうちにそれらが二人の心を縛り、知らぬ間に誤解も生んでいた。

すれ違いかけた二つの心がもう一度重なり解れかけた絆は、更に強く固く結び直された。

そして前日の日曜日、二人の日課となっていた合同自主トレも気持ち新たに再開されていたのだ。

 

「ストレッチ、そろそろ終わりそうな感じ?」

「です。あとちょっとなのでもう少しだけ待っていてくださいねっ」

 

 鈴がこの河川敷に着いてからすぐにストレッチを行っていたからか、既にその工程は最後の方。

隣で持つ矢野と雑談しながら残りの工程を終えていく。

「――――これでよしっと! 矢野さん準備オッケーですよ?」

「それじゃあ時間も時間だし、もう始めよっか」

「はい!」

スパッツに付いた草を手で払いながら元気に立ち上がった鈴に、頷く矢野も明るく応えた。

太陽はまだ空にあり、地平線に沈むのも時間的にはもう少し先のこと。

だが、自分の父親は時間に厳しい性格であり別段な理由が無い限り父親よりも先に帰ってなくてはいけない……。

そんな家庭事情を矢野も鈴から聞いて知っていたため、二人は今日も早速自主トレを開始した。

 

 暫くの間続くノックマシン相手の守備練習。

一つとして同じ打球は飛んでこない、速さであったり角度であったり、バウンドもその都度違う。

ランダムに射出されていくボールで一歩目を踏み出す方向や捕球の入り方、捕球しながら目的の塁に送球する際の動きのチェック等々――。

一つ一つの動作の精度を高めるのがこの練習の目的だ。

左利きでありながら同年代の男子と比べみても飛び抜けて高い守備力とセンスを持つ鈴、そして元々中学の頃から肩の強さと巧い守備が持ち味だった矢野。

守備に人一倍の心得がある二人だからこそ見えてくる、お互いの良い部分苦手な部分。

この練習に限らずそうやってお互いに実力を高め合っていく、これが二人の日常なのである。

出逢ってからずっと続いてきた、一度は崩れかけたりもしたがそれでもこうして今も続けられている。

時間にすれば一日1時間あるかないか。

それでも鈴と矢野にとってこの短い時間でのやり取りは掛け替えのない、大切な日常なのだろう。

 

 そんな充実した本日の合同自主トレも終わり、二人は休憩がてらいつものベンチへ腰を下ろすことにした。

汗が滲む額をそっと撫でていく夏の爽やかな風がどこか優しい。

茜色に色付いていく空の下、隣り合って他愛のない会話に花を咲かせていた二人。

どちらからともなく、気付けば言葉を発し、その隣で柔らかな笑みで応えていた。

「――で、結局はるかちゃんの卵焼きを強奪してしまったんだよ」

「ふふっ、矢野さん達のお昼ってなんだか賑やかなんですねえ」

今回も自然と会話の流れが生まれていく。

「放課後の練習中にも色々話があってさ、今でもこの地区は“あかつき一強”でしょ? だけど、今のあかつきはたぶん歴代最強。だから仮に今の俺達が戦えてもきっと歯が立たないんだよなあって、ちょっとみんなして落ち込んだり…」

「ですねぇ、確かに今のあかつき――一ノ瀬さんを筆頭にした選ばれし九人(ロイヤルナイン)は実力も連携プレーの精度の高さも全国トップクラスって評判ですし……」

そして二人はため息を付きながら徐々に染まっていく茜色の空を仰いだ。

 羽和川の流れる音が河川敷を包み込む。

練習で火照った体が、“あかつき一強”の話題で落ち込む気持ちと共に冷えていく。

一瞬の沈黙の後、漂いだした重苦しい雰囲気を察した矢野は何かを思い出したかのように鈴へと語り掛けた。

「あっ、でも流石に敵わない! ってただ嘆いているつもりもないんだけどね」

「……え? といいますと?」

突然矢野の声に勇ましさが戻ってきたことに驚いた鈴は咄嗟に聞き返してしまった。

「うん、その実力差を少しでも埋めるために近いうち合宿でもしようかなと」

「え、え……えぇーーーー!?」

合宿という言葉を耳にした鈴、思わず声を上げて目をぱちくり。

「ちょっ――り、鈴ちゃん? 急にどうしたの?」

言った本人である矢野も予想もしていなかった鈴の反応に逆に戸惑いを隠せないでいた。

すると今度は鈴がその胸の内を切なそうにぽつりと呟く。

「でも、合宿ですか……。じゃあその間、ここでの練習はお休みってことですよ、ね……」

「本当にごめんね? 今日急に決まったことだったから、鈴ちゃんに教えたくても教えられなくってさ」

そう謝った矢野は一先ず、合宿が急遽決まってしまった経緯を鈴に説明することにした。

 

 

 それは今日の放課後。同好会での活動中の出来事――。

丁度練習メニュー間に短い休憩を取っていた時のことだった。

 

「皆さんお疲れ様です、冷たい麦茶でもいかがですか?」

「サンキューはるか、ボクもう喉からっからだよ~」

「俺も麦茶いただこうかな」

 

 練習場の片隅、比較的大きな木の木陰で涼を取る矢野達。

熱中性対策として塩が少し入っている麦茶はほんのりしょっぱい。

故に一気に飲み干すことは難しいが、一口ごとにはるかの気遣いが身体に染み入ってくるようだった。

「麦茶に塩って正直最初は飲みにくかったけど、慣れればこれはこれでいいかもっ」

「初めの頃は適切な分量掴めずに皆さんには申し訳ないことをしてしまいましが、そう行って頂けると嬉しいです」

本格的に暑さや日射しが増してからの試行錯誤だと周りに迷惑を掛けてしまう。

その思いからはるかはマネージャーとして少し前から色々と動いていたのだ。

塩入り麦茶もその取り組みの一つであり、他にもスライスしたレモンを蜂蜜に漬けたものを作ってみたりもしていた。

野球同好会の面々が健やかに活動出来る、気持ちに余裕も持てる。

夏場のマネージャー業は一年の中で一番多忙を極める、だからこそみんなが練習に気兼ねなく打ち込めているのは正にはるかの内助の功あってこそなのだろう。

 そんなはるかが用意してくれた塩入り麦茶を全員が木陰に座りながら飲み、しばし憩いの時が流れていく。

身体と心を潤していく中、お昼時のような取り留めのない会話が生まれては消えを繰り返していた。

それでもやっぱり日々野球に励む彼ら。

気付けばまた野球の事を誰からともなく話していた。

「――でもねー、いくら一ノ瀬さんが来年には卒業してるからって言ってもあかつき自体が要注意な存在なのは変わらないと思うの」

「それはそうでやんすが……あおいちゃん、おいらがお昼に言ったことまだ気にしてるんでやんすか?」

「まあね、来年どのみち戦うこと考えたらさ、今のボク達のままじゃまず敵わないかなって」

図らずも話題はまたもあかつきについてだった。

思えばあおいが口にした思いが事の発端だったのだろう。

野球同好会一人一人の実力はこの三ヶ月で確かに高まっていた。

野球経験すらなかった雪乃や宮間の二人が“野球としての動作”を一通り出来るようになっている、そのことからもそれが窺える。

経験者でもあるあおい達もそんな二人と共に今一度基礎を見つめ直し、結果それがワンランク上の技術を身につける糸口となっていた。

 

「確かに……」

 

 とは言えやはり、それでもあかつきとの実力に差があることが事実なのは変わらず――。

ぽつりと力無く呟く矢野に感化され、その場に居た全員のテンションは急降下。

他の運動部から発せられる活力ある掛け声、吹奏楽部が奏でる楽しげな音色。

そしてまだ下校していないその他の生徒達の笑い声が風に乗り、練習場へと流れ込んでくる。

 

「合宿……」

 

 ――そんな時だった。

重苦しい空気が漂い始めたこの場に“合宿”という言葉が突然舞い降りたのは。

「村沢、今合宿、と言ったか?」

「は、はい。私の実家の剣術道場でも長期休暇中に門下生さん達と一週間ほどやってますし、それで私達もどうかなと」

野球の神様から御託宣を授かったのは雪乃であった。

来週になれば大抵の高校は夏休みの期間に入る。夏休みともなれば活動に熱心な部活動なら合宿も執り行われる可能性は高いだろう。

事実、県内敵無しのあかつきの野球部でも合宿は毎年行われていて、もはや伝統化していると言っても過言ではない。

「まっ来年の事を考えると、同好会であるオレ達は特にやった方がいいかもしれんのぅ」

「僕達に絶対的に足りてないのは経験とそれを養うための時間なのは確かですから、僕もそう思います」

恋恋高校のスタート地点は元々他校よりもかなり後の方。

そんな中で他校との実力差をこれ以上広げさせない、。少しでも追い付きたい。

「レベルアップと言えば合宿は定番中の定番! 更にチームのみんなと親睦を深める意味でも絶対必要でやんす! おいらも賛成でやんすよっ」

「私も合宿は良いお考えだと思います。それにたまに環境変えると練習の効率上がるって聞きますし」

そのためには何をするべきか――。

雪乃の提案した夏休み中の合宿案に次々と賛成の声が上がり、矢野も何かを決意したかのように全員の顔を見渡していく。

 

「みんなが賛成なら、来週にはウチも丁度夏休み始まるし……行こうか合宿に!」

「オッケーっ、それで具体的にはいつ頃やるの?」

「うーん、八月入ってからすぐの方がいいと思うけど、みんなどうかな」

 

 そう尋ねる矢野の瞳の中で全員が頷き、快諾の意志を示していた。

八月、全国の高校球児達が憧れを抱き目指すべき目標の終着点――夏の甲子園が幕を開ける月。

各地から集まった強者達が互いに鎬を削り合う、夢舞台の裏で矢野達もまた自分たちの戦いを始めよう。その決意の表れだった。

気持ち新たに練習場へと戻っていく彼らの背中に満ちていたのは、明日への希望。

誰よりも強く、どこよりも逞しく――。

 

 

 

 これが合宿が決まった瞬間とその経緯である。

 

 

「……って! 最終決定下したの矢野さんじゃないですか~!! もぅっ」

「ほんとごめん、その場の雰囲気でつい…………」

 

 事の成り行きを目の当たりにした鈴は思わず心の叫びを外へと漏らしてしまった。

とは言え、それも仕方のないことなのだろう。

合宿を提案したのが他の人であったとしても、決断を下しのは他でもない今鈴の隣に居る矢野なのだから。

キャプテンという立場上だから――そう頭では理解しているはずなのにそこに追い付けない心。

本当は「寂しい」と、そう言いたかった。

しかし鈴も合宿の有用性は知っている。それだけに切ないのだ。

「で、でも!まだ先のことだよ?合宿始めるのは八月に入ってからだしっ」

「……」

尚も無言でむくれていた鈴に矢野は更に説明していく。

「そ、それにその合宿は二週で終わるから! 八月の後半からはまたここで鈴ちゃんと練習できるから!」

「…………」

矢野の必死な訴えが伝わったのか、地面を悶々と見つめていた鈴の表情は少しずつ元の穏やかさを取り戻していった。

そして次の瞬間、穏やかさを通り越した歓喜が鈴の全身から弾け出す。

 

「じゃあ八月まではいつも通りできるんですよね! 八月の後半からは大丈夫なんですよねっ!?」

 

 徐々に声のトーンは高くなり、興奮のあまり矢野の方へとずいっと身を乗り出していた鈴。

二人の間に空間はほとんど無くお互いの鼻先がぶつかってしまいそうなくらいまで鈴は近付いていた。

ほんの僅かな時間――。

だが、二人にしてみればもっと長く感じられたであろう時間の中で目と目が合う。

「り、鈴ちゃんち近いってっっ」

「はうっ!? ご、ごめんなさいいぃ」

 

(わわわ私ったら、また……)

 

 慌てる矢野の一言でようやく鈴は我に返った。

凄い速さで飛び退いたものの頭からは湯気が上がりそうになり、恥ずかしい気持ちでいっぱい。

それこそ耳まで赤く染まるほど、それほどまでに鈴は自分がしてしまったことにドギマギしていたのだった――。

 それでも鈴は慌ててすぐ別の話題にシフト。

鈴の照れ隠しの甲斐もあり矢野の動揺も、鈴の興奮もいつの間にか和らいでいた。

空の茜色、川のせせらぎ、風の感触、各家庭から漂い来る夕ご飯の香り。

そして口の中に広がる甘酸っぱさ。

取り留めの無い二人の会話はもう少し続き、その間中、鈴はこの幸せな一時を五感いっぱいに感じ取っていくのだった。

 

 しかし、今の鈴には知る由も無かった。

幸せの後に何が待っているのかを――。

幸と不幸は紙一重、時と場合によってはそれらが一遍にやって来るものであると言うことを――――。

 

 

 矢野と別れたいつもの帰り道。

河川敷での一連の出来事を振り返りながら鈴は歩いていた。

またこうして矢野と一緒に野球を出来ている喜びを噛みしめながら。

そして図らずも矢野とゼロ距離で見つめ合うことになってしまったことを照れ臭く思いながら。

この余韻を少しでも長く感じていたかった。だが鈴にはそう出来ない事情もあったためもどかしさに背中を押される形で家路を急いだ。

 

 公園を抜けて暫く、鈴は豪勢な造りの門をくぐりそこからまた歩き始める。

広い敷地内を縦断している真っ直ぐに伸びた煉瓦造りの道。

さながら大豪邸――決してそれが言い過ぎではないほどの所に鈴は住んでいたのだ。

鈴自身がこの事を今まで話題にしてこなかったこともあるが、今も矢野は特に鈴がどういう所に住んでいるのか疑問に思ったことは無い。

無論、鈴があの様々な業種の企業を傘下に持つ猪狩コンチェルン、その社長である猪狩茂の一人娘――であるという事実は知るはずも無いのが現状だった。

 大抵の人は見れば憧れを抱くであろう景観、そんな景色であっても毎日それを目にしている鈴にしてみれば逆にその煌びやかさが味気なかった。

と言うよりは鈴は自分の住んでいる家を好きになれないでいた。

認めたくない現実を突き付けられている、そんな気がしているからなのだろう。

矢野に出逢ってからは殊更その思いが強くなっていて、一緒の時間が楽しいものだからこそ余計にそう感じてしまっているのかもしれない。

 家族のことが嫌いだとかそういう理由ではないのだが、敷地内にいくつもの施設が入っているこの“豪華過ぎる”佇まいが少しばかり苦手なのである。

 

「うんっ、今日も無事父さんよりも早く帰れたっ」

 

 長い煉瓦造りの道も渡り終え、安堵の表情を浮かべながら腕時計で時刻を確認し、鈴は玄関を開けた。

だが中に入った瞬間、その表情は一気に曇っていく。

『――ああ、新規参入は今更無理だろう』

 普段であればまだ誰も家には帰ってきてない時間帯、例外があったとしてもそのほとんどが父親以外の家族が早く帰って来ていたケースだった。

そして今、リビングから聞こえてくるのは父親、つまりは猪狩茂(いかり しげる)の声。

誰かと仕事関連の電話でもしているのか、その声はいつにも増して威厳に満ちていた

『――だからこそだ、オーナーとしての力が脆弱な内に動く必要があるのだ』

血の気が引いていくのを感じ、その場で鈴は竦んでしまう。

(――どうして今日に限ってみんな、父さんまで、どうして……!?)

俯く鈴が見たのは滅多に揃う事が無い家族全員の靴、綺麗に横一列に並んでいた。

父親の靴もそこにはあった。

『――それにこの球団には彼が居る。彼は若い上に実力も一流で性格も良い好青年だ、これだけのスター性を持った選手はそうはいない』

今見つかったら間違えなくただでは済まない……。

それはただ単純に父親よりも遅く帰って来たから。それも理由としてあったがそれ以上の理由が鈴にはあっのだ。

(で、でも父さんが電話中の今だったら……今部屋に行けば――!)

そう思うものの体が強張って動かない、震えが止まらなくて動かせない。

まるで時間がゆっくり進んでいるような、いや、いっそのことゆっくり進んでいて欲しい。そう願った。

『――そう考えると、彼が居るうちならば球団一つとは言え安いものだとは思わんかね? とにかくプラン通りに事を運んでおくようにな』

ゆっくりと、しかし刻一刻と着実に過ぎていく時間の中で、鈴は必死に体を動かそうともがく。

 どれだけもがいていただろうか、時間の感覚無くなり掛けたその時、ようやく強張りが引いていくのを感じた鈴。

今しかないと言わんばかりに履いていた靴を一気に脱ぎ、やっと一歩踏み出せた鈴はそのまま自分の部屋がある二階へと繋がる階段を目指す。

リビングのドアの前を何とか通り過ぎ、階段まであとちょっと。

階段にさえ辿り着ければ――――。

 

「誰か居るのか?」

 

 そんな時だった。

電話を終えた茂は突然の物音に気付き、廊下の様子を見にリビングから出てきたのだ。

「と、父さん――っ」

「鈴だったか」

最悪なタイミングで鉢合わせしてしまった二人。

普段とそう変わらない雰囲気で茂は我が娘を見据えていた。

が、鈴には何となく分かっていた。父親が見つめていたのは自分自身ではなく右肩に掛けていたエナメル製のスポーツバッグとバットケースだったという事を。

その視線が何を意味していたのかも。

(まさか矢野さんとの自主トレ、ばれてないよね……この事知ってるのは母さんだけだもん)

 

「……鈴、丁度お前に話があったのだ。こっちへ来なさい」

 

 話――この言葉に一抹の不安を抱き、鈴はおずおずと茂の一足遅れでリビングへと入っていく。

リビングへ入ると既にいつも座っている革張りの薄茶色のソファーに茂が腰を下ろしていた。

大画面のテレビから流れてくる夕方のスポーツニュースの声、にも拘わらずリビング内を満たしていたのは静けさ。壁に掛けられていた時計が刻む時の音だけが響いていた。

そんな静寂の中、鈴は俯きながらも視線だけで父親の様子を窺ってみる。

やはり内心怒っているのだろうか――。

「鈴、最近河川敷で野球しているそうだな。偶然通りがかったお前の同級生の親御さんから聞いた……本当か?」

淡々と言葉を紡いでいたが、鈴にしてみればそれが逆に怖かった。

「……う、うん」

物腰こそいつも通り、しかし見つめてくる目のギラギラとした眼光に鈴は思わず返事をしてしまう。

 

 遂に茂に、一番知られたくない存在に矢野との秘密の自主トレが知れてしまった。

それと同時に少しホッとした鈴。

この事を知っているのは自分と母だけ。秘密がバレてしまったのは別な経路からであり、そして母はちゃんと秘密を守ってくれていた。

その事実だけが今鈴の支えになっていたのだが――。

「野球……分かっているのか!? お前の体は他とは違うのだ、軟式も――」

茂は淡々とした態度を一変させ更に言葉を荒らげ我が娘へ己の思いをぶつけていく。

「軟式も周りの子達とお前とは明らかにレベルが違うから、全力でプレーすることもないだろうとやることを許したに過ぎんのだぞ!」

親心なのだろう。

そうだと解っていた、頭ではそうだと理解していても茂の思いは容赦なく鈴の胸に突き刺さっていく。

「それは違う! 父さんは何も分かってないよっ、私はいつだって全力でプレーしてた!」

しかし心は受け入れることが出来ず、もう我慢の限界だった。

「軟式も私がやりたいからやってたし今だって野球は私がやりたいって思ったからやってるのっ!!」

無意識に握り締められた鈴の両拳。

今度は鈴が自分の気持ちを吐露するも茂はそれを意に介すことなく、更に返した。

「いいや、野球は男のスポーツだ。守や進ならばともかく、女のお前では無理だと言っているのだ! それにお前の……」

が、何故かそこまで言いかけて言葉を呑み込んだ茂。

違う、呑み込んだのではなく言葉を詰まらせた。という方が正しいのかもしれない。

ほんの一瞬二人の間に訪れる沈黙。

苦しい表情で視線を逸らす鈴だったが茂が何故続く言葉を口にするのを躊躇したのか。その理由も、本来続くはずだった言葉が告げる“事実”が何だったのかも鈴は知っていた。

知っているからこそ余計に悲しく、そして“その事実”を何があっても認めたくはなかった。

そう涙で滲んだ銭葵(マロウ)色の瞳が訴えているようだった。

 

「どうして……どうして分かってくれないのよ!? 私の体のことは、私が一番よく知ってる!」

 

 そんな沈黙の空気を先に破ったのは茂ではなく鈴の悲痛の叫び。

普段の鈴からは想像もつかない激しい剣幕は更に続く。

「それに軟式の時だって河川敷で野球してる時だって全然平気だった! なのに、どうして……今更ダメだなんて言うのよ?!」

言い終えた鈴の頬を伝っていったのは一筋の光。

「……それは今だけだ、続けていれば悪化するに決まっている」

鈴の思いを、気持ちを目の当たりにした茂、娘をここまで追い込んだのは他ならぬ自分自身。そこから来る罪悪感から茂はゆっくりとその瞼を閉じる。

だが、それでもやはり茂は己の思いを曲げる気にはどうしてもなれなかった。

これが娘のためなのだと――そう強く信じたい。

その決意の下、茂は再び目を見開き先ほど口にすることが出来ないでいた言葉の続きを鈴に告げることにした。

「お前の体は他と違って無理は命に関わるかもしれんのだ。だからもう河川敷に行ってはならん、いいな?」

「……」

鈴に突き付けられる“事実”、そして絶望感。

 

「……もういい」

 

 絶望感に体が震えているからなのだろうか、鈴の口元もまた震えていた。

それでも鈴は自身の胸の内にある想いを支えにし、最後に勇気を振り絞って茂に抗おうとする。

「父さんなんかに私の気持ち解んないよ! 分かろうともしてないんだから!!」

「鈴っ――!」

 そう言い残して鈴は形振り構わず踵を返し走り出した。

リビングのドアを乱暴に開けて駆け込むはずだった階段へと向かう。

「あら、鈴どうしっ」

リビングから出る時丁度入ってこようとしていた母、猪狩静(いかり しずか)とぶつかりそうになるが咄嗟にかわし、そのまま脇を走り抜けた。

 母親の慌てた顔が一瞬視界に入ってくる。が今は立ち止まることも出来ずに一段、また一段と階段を上っていく鈴。

涙を舞わせながら踊り場に差し掛かると、上段の方から人影が下りてくる。

「あっ、姉さん? ……え? もしかして、泣いてたのかな」

下りて来ていたのは鈴と同じあかつき大学附属中学校に通っている弟の猪狩進(いかり すすむ)であった。

鈴にとって双子の弟である進もまたあかつき中学の野球部に所属しているが来週開催される中学最後の大会、その結果を待たずしてあかつきから直々にオファーの声が掛かる程の実力者である。

猛スピードで迫り来る鈴が涙を流していたことに気付くも、事情を聞こうとする前に鈴は既に横切って行った後だった。

 階段も残すところ後少しとなり、登り切れば二階にある自分の部屋とも目と鼻の先。

最後の段から足を踏み出し鈴はやっとの思いで二階に辿り着いた。

二階は階段へと続く通路を挟んで左右に広い造りになっていて、それぞれの方向に幾つも部屋がある構造。

主に左側には茂の書斎と夫婦の寝室、右側には子供達一人一人の自室等があった。

鈴が右側へ行こうとした、その時だった。

 

「きゃあっ」

「痛っ」

 

 誰かと不意にぶつかり両者共に軽く後方へと飛ばされてしまう。

「おい鈴危ないじゃないか、球界の未来が託されている僕の左腕が怪我でもしたら――?」

「に、にいさっ――――!」

ぶつかった相手を確認した鈴は何かを言いかけた、けれどもこのまま立ち止まってもいられない。

そう思い鈴は再び加速した。

猪狩家長男にして鈴の兄、中学時代に進とバッテリーを組んだ試合で完全試合を達成したこともある自他共に認める次期あかつきエース最有力候補、猪狩守(いかり まもる)

そんな猪狩の苦言を振り切って自分の部屋を目指す。

 

(鈴のやつ……そうか、きっと父さんか)

 

 真っ直ぐな廊下を全力で走り、自分の部屋はもう目前。

靴を脱いですぐ部屋に向かおうとしていたから鈴の足下はいつも履いてたスリッパではなく靴下のまま、そのため途中で何度か滑りそうになりながらここまで必死に走ってきていた。

そして何とか辿り着いた部屋のドアを開け、中に入り、制服の入っているスポーツバッグもバットケースも教科書やノートの入っている鞄も無造作に地面へ放り、そのままの勢いで鈴はベッドへと潜り込む。

 薄手のブランケットとはいえ中は暗かった。薄暗闇の中、今まで抑えていたつもりだった、それでも止めることが出来ないでいた涙が堰を切って溢れ出す。

ぼつっ、ぽつっ、と大きな粒となって溢れ出してくる。

「ううぅ……何で分かってくれないの?」

父の言っていることは大概いつも正しかった。

「どうしていつも、私の意志でやりたいこと……選ばせてくれないのよ!」

 

 いつもそうだった。周りの子と違う我が子の事を人一倍心配し、時には度を超すほどの過保護で娘を守ってきていた父。

他の子供達が普通にこなしていた物事であっても父の許し無くばさせてもらえない。

鈴がまだ小さかった頃、当時リトルリーグで活躍していた兄と弟の影響を受け二人と一緒にこっそりキャッチボールや素振りをしていたら激しく怒られたということもあった。

無論、中学生になった鈴が野球をやりたい! そう言い出した時も例外ではなく、当然の如く茂に猛反対された。だが静達が懸命に説得してくれたお陰もあり、何より兄や弟にも勝るとも劣らない野球センスを持つ鈴であれば“女子軟式”なら大丈夫だろうという結論に落ち着いていたのである。

そういう経緯(いきさつ)があったからこそ河川敷での事だけは鈴も納得出来なかったのだろう。

 

 一方、鈴が居なくなったリビングでは――。

 

「――それはそうですけれど、あまりに言い方が酷すぎではないですか?」

「酷いも何もこれが現実であり、鈴にとっても一番の選択なのだ」

 入れ違いで出ていった鈴の様子が気になった静は夫である茂にその経緯を訊いていたところだった。

静には心当たりがあったのだ。ほんの一瞬しか見ることが出来なかったが鈴がバットケース等を肩から掛けていたことから、きっと“あの事”だと、そう直感的に思ったからだ。

「茂さんと同じで私も無理させないことが一番なのはよく分かっています。けれど河川敷に行ってはいけないと決めつけてしまうのはどうなのでしょう……」

「行けばまたやりたくなる、そうさせないようにするのもまた親の務め。しかし静、その様子だと以前から鈴が河川敷で何をしていたのか知っていたのか?」

伏し目がちに小さく頷く静を見て茂の表情が厳しいものへと変わり、語気も強まっていった。

知っていたのなら何故、止めさせなかったのか。大事になってからでは遅いのだと。

「……」

茂をなるべく刺激しないよう、怒らせないよう静は今まで訊いていたつもりだった。

だが大切な一人娘のこととなると言動が盲進しがちな茂に対し、普段穏やかな物腰の静も思わず反論してしまう。

「例え私達にとってこの選択肢が一番であっても、だからと言って鈴にとってもそうだとは限らないはずです」

言葉を発する度に切なさも込み上げてくる、それでも静は話すことを止めない。

「鈴はもう年頃です、一人の女の子なんですよ? 今は一番繊細な時期なんです」

「だから何だと言うのだ。鈴を守り、鈴の未来も守ってやれたならその先にある無数の選択肢を鈴自身に選ばせてやれるかもしれんのだぞ?」

しかし、鈴の時と同じく我意に介せずといった感じの茂――。

 

「……もういいです、私が鈴から直接本当の気持ちを聞いてきます」

「既に決まったことだ。行かんでいい!」

 

 そう言い残し、茂の怒声を背に受けて静はリビングから出ていった。

ドアを閉めその場で立ち止まる。鈴と同じ銭葵(マロウ)色の瞳は少し潤んでいた。

夫の思いと娘の想い、最愛なる二人がぶつかり合わなければいけなかったこの現状があまりに悲しく。

どちらの言い分も理解出来るから、それ故に溢れる涙だった。

が、母親である自分が涙を湛えたままではいけない。

そう思い右手の甲で涙を拭いていく。

 再び階段への一歩を踏み出していた静の瞳には涙はもう無い。

涙の代わりにその両目を満たしていたのは強い意志と、娘への愛であった。

 

 そして二階、鈴ははまだ泣き止めず未だブランケットの中。

涙で濡れるシーツの跡が悲しみの大きさを表しているようだった。

薄暗く、静かな部屋に鈴のむせび泣く音が虚しく響いていた。

どうしたらいいのか分からない、そんな時――コン、コン。

不意に部屋のドアがノックされる。穏やかな音だ。

「…………」

それきりノックの音は聞こえてこない。

鈴も応えることはしなかった。いや、応えることが出来なかった。

こんなに穏やかな雰囲気を持つ者はこの猪狩家にただ一人であり、その事実を知っていたのと今の鈴に応えるだけの余裕が心になかったからだろう。

 

「鈴? 母さんだけれど入っても……いい?」

 

 そう、この穏やかさは鈴の母親である静のもの。

穏やかで、そして優しくて、だかそれさえも今の鈴には怖くて。だから鈴は返事をしなかった。

「……じゃあ、入りますよ?」

少し待ってみても無言のまま、静は仕方なく一言断りを入れてからドアを開ける。

 部屋の中は薄暗かった。

極力音を立てないようにドアを閉めた静が目をやったのは窓の外。

沈み行く夕陽の赤と空の青とが混じり合い、独特の色味の世界が空のキャンパスに描かれていた。

夜のとばりも間もなく下りる頃。

「ほら、りぃん? 顔ぐらいお布団から出しなさいな。そのままだと話しづらいでしょ?」

いつもの声、優しい声で鈴へと語り掛けながら明かりを点けカーテンを閉めていく静。

それでも尚、鈴は体を抱え込むように丸めて黙るほかなかった。

静も小さく一つ息をつき、再び鈴へと語り掛けていく。

「怒りにきたわけではないのですから、安心なさいな♪」

「――ほ……と?」

「ん、なに?」

本当は静の耳には聞こえていたのだろうが、少し悪戯っぽく鈴に聞き返してみた。

心なしか鈴の籠もっているブランケットが微かに動いた。薄手の生地越しに感じた光が鈴の心にも光をもたらしているのかもしれない。

「……ほんと?」

「ふふっ、ほんとうです」

そして鈴は柔らかな声に導かれるようにしてゆっくりとその重たくなった体を動かしていった。

母の優しさにはやはり敵わなかった鈴、ブランケットを纏ったままゆっくりと体を起こしていくとベッドの上にブランケットの山が出来ていく。

その山のてっぺん付近の隙間から声のする方を確認しようと、鈴は顔だけ出してみた。

「あらあら、そんなに泣いてしまって。茂さんに何を言われたのか敢えては訊かないけれど――」

鈴が視界に捉えた静はベッドの端に腰掛けていて、二人の距離は手を伸ばせばお互い触れられるくらい。

すると静はおもむろに左手を伸ばし掌を鈴の額へと軽く添えて、頬笑みながらこう囁いた。

「泣きたい時は涙を我慢してはだめ。気が済むまで泣くのも大切だと、母さんはそう思いますよ?」

「母さん……」

温もりが、伝わってくる。

 

「……う、うわああぁあぁぁあああぁーーーーっ!!」

 

 たった今の今まで枯れそうな勢いで涙を流していた鈴であったが静の言葉と温もりがきっかけとなり、更に激しくそして悲しく泣き出した。

大きな雫で一粒ずつ零れていたのが、まるで滝のように流れ落ちていく。

少しだけ鈴の傍へと近付いた静は額に添えていた左手を、今度は鈴の後頭部へ回し優しくゆっくりと撫でていく。幼い子供をあやすように――。

 どれだけ時が経っただろうか、長かったのか短かったのか。それすら鈴には分からなかった。

静の腕の中、母親の優しさに抱かれながら思いっ切り泣いた鈴。

今は涙もほぼ止まり、乱れていた呼吸も正常な状態に戻りつつあった。

それを静も気付いていたようで、少し待ってから鈴に話し掛けてみた。

「どう? 少しは楽になった?」

「…うん」

静の問い掛けに鈴は微かに首を縦に振り、この様子なら大丈夫そうだと静は思ったことだろう。

「よかった♪ 母さんも少し安心しました。それで、鈴がよかったらでいいのだけど……」

そこまで言うと一旦言葉を句切り、深呼吸を一つ。

そして頬笑みを絶やさずに、それでいて真剣な眼差しでこう続けた。

「母さんに教えてもらえないかしら? 涙を流したくなった、その想いを」

「……うん」

 

 母にだったら、矢野とのことを知っている母になら――話せる気がした。

 

「父さんが、私の体のこともあるからって……河川敷にもう、行くなって…」

静がリビングに入ろうとする前に一体何があったのか、掻い摘んで説明していく。

しかし、自分の口から改めて語ることは予想以上に辛く、せっかく治まりかけていた涙が瞳の奥から込み上げてきそうだった。

それでも鈴は懸命に静へと伝えていった。

一通り聞き終え静もその時の鈴の気持ちを察して項垂れてしまう。

そんな静であったがその悲しみの中で一つ感じたことがあったのだろうか、沈んだ視線を鈴へと戻していく。

「だけどそれだけが理由じゃない。そうでしょう?」

「う、うん。河川敷に行けないと一緒に野球の練習ができない……練習出来ないと、会えなくなっちゃうかもしれないの…あの人と」

そう、河川敷は鈴と矢野が出逢った場所であり、二人にとってそこはかけがえのない場所。

言わば矢野との唯一の接点。

今の鈴が矢野に会うことの出来る理由が“河川敷での合同自主トレ”しか無いのだと、鈴は思っていた。

「でも、それだったら何もそこで野球をしなくても、そこに行くだけでも会えるんじゃないかしら?」

それしか矢野に会いに行く方法がない。一種の思い込みを鈴はしているのではないか……そう静は先ほどの話の中で感じていたのだ。

「――違うのっ!」

茂の時と同じく静の問い掛けは至極御もっとも。

そうと分かっていても今回もやっぱり自分の気持ちを曲げない鈴。

全身で否定するように言葉と共に凄い勢いで立ち上がる、その勢いは纏っていたブランケットは跳ね除けるほどだった。

「違う、違うの……ただ会えるだけじゃダメなの!一緒にっ――一緒に野球できなきゃ、意味ないのっ!!」

だったのだが……。

 

「つまり、好きなのね?野球も、その人のことも」

「すっ、すすすす好きだなんてっ――どどどどうして分かったの!?!?」

 

 思いもかけない静の指摘、全く心の準備の出来ていなかったところへの指摘だったため鈴は慌て出す。

それもそのはず、矢野とのやり取りや河川敷での自主トレのことは静に話こそすれど鈴自身の想いは今まで口にしたことが無く、それ故に急に慌てていたのだ。

母の一言に図星を突かれ頭の中が真っ白になっていく。それとは対照的に頬は真っ赤に染まっていく。

その様子を見て静の表情は自然と和らいでいた。

「ふふっ、ただの女のカン、かしら♪ それに私は鈴の母さんですよ? 顔と仕草を見れば大抵のことは分かります」

「……はぁ、母さんには敵わないや」

言葉の最後を飾ったのは茶目っ気たっぷりなウインク。

そんな静の柔和な雰囲気に当てられてさっきまでの鈴の勢いはどこへやら、全身から力が抜けていき鈴はベッドの上に座り込んでしまった。

 鈴が逃げ込んだ時には暗かった部屋も、今はすっかり明るくなった。

明かりが点いたから、もちろんそれも要因の一つではあるが一番の要因はきっと静だろう。

その存在が鈴を癒し、温め、そして包み込んでくれたからこそ絶望の底で倒れそうなりながらも今苦笑いしていられる。だからこそ素直になれる。

これが母の優しさなんだ。鈴はそれを全身で噛み締めていた。

「うん、だからね? 好きな人と好きなことをしたいなって……初めてなんだよ? こんな気持ちになったの」

「それは分かるけれど……鈴、あなたは――」

あの時、鈴がリビングで茂に伝えられなかったことを静に打ち明けてみた。

すると静もあの時の茂のように言葉を詰まらせてしまった。

そして鈴には静が何故言葉を詰まらせ応えることを躊躇したのか。その理由も、続く言葉が何だったのかも分かっていた。

何故ならば静と茂が言おうとしていたことは同じ内容だったから。

「私にはもう、十年後――もしかしたら数年後の未来だってないかもしれない。だからね? だからこそ」

それを承知の上で尚、鈴は語り続ける。

「ワガママ言ってるのも分かってる、家族に心配かけてるってことも知ってる………」

静を真っ直ぐに見つめる鈴、静もまた真っ直ぐに見つめ返してくれていた。

「いつまであるのか分からない時間だからこそ……その時間を自分の意志で生きたいの!!」

「……」

その瞳は矢野と約束を交わした時と同じ、あの夜空の下で矢野を見つめていた時と全く同じものだった。

自らの意志で選び未来へと歩んでいこう。そんな強さが溢れる銭葵(マロウ)色の瞳。

 言葉を詰まらせはしたものの、静は鈴の言葉ちゃんと耳を傾けていた。

心からの素直な言葉を、黙って聞いてくれていた。

「…………はぁ、分かりました」

そして鈴が決意して気持ちを語ってくれたように、静もまたとある決心をする。

「鈴のその瞳に母さん負けました。けれど、今のその気持ちとその瞳、忘れてはだめですよ? 母さんは鈴を信じます」

それは静にとって、母親という立場にとってとても難しく、辛い決断だった。

茂が言っていたように鈴の“体”のことを考えたならこの決断は間違ったものなのかもしれない。

しかし鈴の“心”を思うならばきっとこの決断は間違ってはいない。

「ほ、ほんとっ!? あっ、でも父さんは……」

迷いがないと言えばそれは嘘になる、決断した今でも迷いが消えることは無かった。

「茂さんには時間を掛けて母さんからも話してあげます。けれど最終的に茂さんを納得させることが出来るのは、鈴と……その瞳だということも忘れてはだめ、ですからね♪」

色んな問題に直面したその時、選択し立ち向かい、乗り越えていくのは他ならぬ鈴自身だから。

だからせめて、鈴が困っている時は隣に居てあげよう。大丈夫だと頬笑もう。

それが鈴の、大切な一人娘の支えになるのだと自ら信じて。

鈴を見つめる静の瞳はとても温かだ。

優しさ、そして同時に厳しさもその中に込めて。

鈴もそれは感じていた。

 

「うんっ、母さんありがとう! 母さんのことも大好きだよっ♪」

「あらあら♪」

 

 鈴はもう泣いてはいなかった。

母の胸の中へと飛び込み、そこにあったのは笑顔。

母と娘、とてもよく似た二つの笑顔。

いっぱいの温もりに抱かれ、優しく頭を撫でられて。

もう暫く静の胸の中でこうしていたいと――。

そう思った。

 




ここまで読んで下さり誠にありがとうございます!
鈴ちゃんの秘密が少しずつ語られた今回ですが肝心なところが明らかになるのはまだ先になります。

そして猪狩ママンこと静さん、自分の作品内では原作と大分性格等が違っております。
と言うのも、この小説の構想を練っていた時が丁度パワプロ8~9が出ていた頃で、その頃は当然ゲームの方に静さんは登場していませんでした。
で10が発売した時にまさかの登場!
しかも性格も自分が考えてたのと違っていて……でも自分で設定していた静さんのが個人的にしっくりきてたので思い切って原作無視してオリジナル設定のままにしてたりします。

しかし、あれですね。
文章ってちゃんと考え出すと難しいですね。
一文一文の印象もそうですが全体的に見た時にまた違った印象になりバランスも変わって見えたり。
その折り合いをつけていくのが今回特に大変でした><。
しかもこれだけ1話の中に文章が続く話内のどこかで同じ表現してたり言葉使ってたり……。
もっともっと精進せねばです!


ではでは今回はこれにてですっ。
読んで下さった皆様も良いお年を~(≧∀≦)ノシ

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