点滅する無機質な緑色、定期的に光るそこからは微風が流れている。耳に入る風音はとても小さく、澄ませば聞ける程度であり、時に涼やかに、時には弱々しくそよいでいた。
浴びて心地良い程度の風を吐き出すソレは暫く前から快適さを届けてくれていたが、とある時刻に近づくとその快適さに揺らぎを見せ、代わりに小さな警告音を響かせた。
静けさで埋まる部屋の中、誰宛ともない機械音が鳴ると姿を変えていく室内の様相。暗がりに浮かんでいた緑色はオレンジ色へ変わり、流れていた風音も次第に消え失せていった。
対流していた流体の流れが消えると動きの死んだ空間が出来上がり静寂を迎える、はずだったが一番目立っていた物音が消えた為か、今度は別の物音が台頭してくる。
次に聞こえてきたのはカチコチと、すぅすぅ。
床で寝そべる時計の針とともに聞こえてくるのは寝息。それは日も落ちぬ時間から眠っている少女の呼吸で、ベッド上の歪な丸みより漏れ出ていた。
平穏を貪るように上下する毛布からは先ほど止まった空調の風よりも暖かな生ぬるい風が漏れてくる。上掛けを揺らす彼女も、今でこそ静かに寝付いているがこうなれたのはつい昨晩の話で、この1週間の殆どは宿す力に振り回されてしまい、
どのような過ごし方だったのか、それは彼女の周囲を見てもらえればわかるだろう。唯一荒れていないベッド周辺には本棚に収まっていたはずの書籍が散乱していて、まだこの時間帯であれば明るさや暖かさを取り込んでくれるはずの窓もシャッターの封鎖がなされたまま。部屋の飾りも担っているシンプルなカーテンなどはその端が裂けていたりめくれ上がったままになっている。
まるで物取りにでもあったような部屋。冴えない独り身の男か、或いは行けず後家の
「あぅ……もぅ朝?……」
寝起きの第一声は腫れぼったい瞼を擦りながら。
そうして体を起こすと見つめる先へ手を差し出した。気怠げに伸ばされた指の先には寝具と揃いで備えられたサイドテーブルがあり、それはよくよく見なくともわかるくらい使い慣れた家具ではあるが、寝起きの彼女は敢えて意識を集中して手を伸ばした。
彼女の意識が強まると緩く伸びていた指達は丸くなる。その手がきゅっと握り込まれると備え付けられたランプが
そうして浮かび上がってきたのは乱雑な寝室。薄ぼんやりと映し出された室内を眺めてもう一度目を細める彼女だったがこうしたのは彼女自身だ、滅入る事もないまま視点を変えて、今度は左手も握り込み、別の目当てにも力を向けていく。
折りたたまれた手のひらの延長線上、テーブルランプの暖かな明るみには眠る前までかけていた眼鏡や走り書きが目立つノート、小さな青が点灯し続けている携帯電話などがみられ、そのうちの二つが手首を返す少女の動作に吸い寄せられる。
ふわり浮かぶと顔の前で止まる
「ちょっ! 待っ!?‥‥ぃたぁっ!」
操り手が待てと命じるも止まらず、携帯電話は菫子のおでこへ直進し、そこで跳ねた。着弾した物はそのまま跳弾となり、シーツの上を経由してすべり落ちると寝室のドア前まで走っていく。
滲む瞳でその始終を眺めていた少女は吐き慣れた息を一つ吐き捨てながら体と気持ちをもう一度ベッドに沈ませてしまうが、目覚めた意識までは沈みきらなかったようで。やや仰け反りながらも姿勢を戻すと、背面に伸びてしまった華奢な首を揺らしてベッドに座り込み、痛めた額に両手を充てがった。
「うぅ……いったぁい」
潤んだ瞳に新たな赤みをプラスしてぶつけた患部を撫で擦る。彼女からすれば慰めるだけの仕草だったつもりがやはり落ち着いてはいないのだろう、動かしたその手の所作ままに室内で散らかっていた物が動き、浮かび始め、寝室中に散らばっていってしまった。
どうやら狙った得物以外にもテレキネシスが作用してしまったようだ。半泣きで室内を眺める住人の目に、躍る書物や羽ばたく衣類が写り込む。
「ま、待って! 勝手に動かないでって! お、落ち着いて!」
室内で遊び始めた物達へ強い口調で命ずる菫子。
しかしその動きは止まるどころか強まるばかり。彼女の声など届いていないと言うように物達は回遊し、次第にその勢いを強めていく。
力を与えた張本人は確かに落ち着けと言い放ったがその言葉を無視、もとい逆転するかのような動きを見せる室内の品々。何故荒れるのか、いうことを聞いてくれないのか。自身の周囲で回る日用品や制服・学生鞄を思わず睨みつけてしまう菫子であったが制御が効かなくとも当然ではある。今落ち着くべきは飛び回るもの達ではなくこれを動かしている菫子の方なのだ、自身の心の動揺が目の前で表現されていると認識し、そのブレを修正せねば彼らが止まるはずもない。
「止まってよ! ねぇってば!」
グルグル回る群体は声を荒げる主を囲み、そのまま姿を隠してしまう。取り囲まれて益々焦り、落ち着きがなくなる菫子の思考。ついには溢れる物をしまうべき箪笥や本棚までもガタガタといい始め、棚や窓が鳴り出す始末。
こうなってしまうと菫子だけではどうしようもないらしい、部屋の主の泣き出しそうな命令が周遊する物の間から聞こえ始める。
すると、聞こえた声に反応して閉めきりのドアが叩かれた。4度叩かれすぐに開けられたドア、そこから現れたのは現在同居している悪魔。
「主様? この物音は……なるほど、お目覚めから研鑽されるとは、殊勝な事にございますね」
「うっさい!」
姿の見えない女子高生と漂う浮遊物を交互に眺めるアイギスがこの状況を理解したような口振りで微笑むが、修練を褒める声は一言で散らされる。
悪魔の囁きを素直に捉えれば怒られる事ではないがそれを突き返すよう不機嫌を露わにした菫子。それもそうだろう、蠢く壁の合間合間に見えるアイギスの顔には苦難を励ます以外も含まれていて、その笑顔には多分な皮肉が混ざっていると数日間の同居で既に知っていたからだ。
「貴方を構ってる暇なんてないの!」
「そのようで。単身で励まれる御姿に賛辞を送るべきなのでしょうが‥‥僭越ながら芳しくないご様子と見受けます」
「わかってるならほっといてよ!」
多少の落ち着きは見せたが未だ飛び交う物、規則的に飛び交う不規則な物体達の其間を縫って菫子の叱責が飛ぶが、アイギスの顔は変わらなかった。
対照的な二人。片方は落ち着いて、もう片方は焦りの色がありありとわかる様子。普段の暮らしではもっと穏やか、関心事に当たれば少しばかり賑やかさが目立つ事もあった菫子ではあるが常には目立つ事もなく、今のような大慌てな姿を誰かに晒す事もなかった。そうやって暮らしてきたのに今では声を荒げてしまうのだ、腹の一つも立つものだろうし、それを見られて笑われもすれば当たりたくもなるものだろう。
そんな癇癪娘を見守る者だが、こちらは変わらない顔で菫子を見つめるだけかと思われたが雰囲気だけは幾分変えたようだ、嫌味の強かった笑顔にほどほどの優しさが含まれた気がする。
「その顔やめてよ、 気分悪い」
「それはそれは、配慮が至らず申し訳ございません。ですが、嫌だと仰られるのでしたら笑われないようになさればよろしいのですよ。私に悪態をぶつけるよりも他に関心を寄せなければならない事柄が眼前にあるのでは?」
八つ当たりに近い返事が菫子から吐かれるもアイギスは気にしていない、それどころか長々と言い返す始末である。
今は焦りばかりが募ってしまい力が暴走している状態なのだと菫子本人は考えている、この力に流されず平静を取り戻して対処すれば荒ぶる超能力も落ち着いていずれは静まってくれると、そんな仮説を立てたようだ。
そして、その読みは然程間違っていないが、実際はそこまで難しいものではなく、寧ろもっと単純で明快なものであった。
「そんな事‥‥言われなくてもわかって――」
「然様ですか? 現状を見る限りは――」
「貴女が横でうるさいから集中出来ないの!」
「騒ぎ立ててはおりませぬよ、私は少しでも主様のお役に立てればと――」
「ほんとにうっさい、もう出てってよ!」
たじろぐ菫子の返答に煽り文句を被せるアイギスだったが、全て言い切る前に更に被せられその口は止められてしまう‥‥しかしその煽りは正しく伝わったようだ。
出て行けと命じながらもどうしたらいいのか悩む菫子が一睨みすると、彼女の意識が小憎らしい悪魔に向かうと同時に宙を彷徨う物達の
今発現している超能力は元々が菫子の内に存在していたものであり、彼女の場合はアイギスと出会う前から好きなように扱えていた力だ。唐突且つ強引にリミッターカットされたせいで見知っていた効果に大小の違いが現れてしまったけれどもその本質は何一つ変わっておらず、本来であれば菫子の
「この数日間は見守るだけに努めて参りましたが‥‥八つ当たりなさる余裕は持ち合わせておられますのに、私に意識を向けている暇がおありなら振るわれる御力を理解し、御することも容易くなされませんと‥‥」
少し溜めてから『面目も立ちませぬ』と言い切るアイギス。それは仕える主としてなのか、それとも一端の能力者としてなのか。どちらが真意かはわからないけれど慇懃無礼な態度には違いない。
そうできて当たり前という口振りには菫子の怯えなど伝わっていない感覚があるが‥‥いや、表情に混じる穏やかさは強まっていて多少の伝達はしていそうではあるけれど、微笑む悪魔はそれを無視して、小さな空笑いと共に小言を述べるだけであった。
こうした力を操るに慣れきった立場にしてみれば手足を動かすことと変わりないのだ、身に宿る魔力や超能力などは本人から無意識的に発せられているもので、そう在ることに慣れてしまえば感覚だけで扱えていいものなのだとアイギスは理解している。そして菫子も本当はそうあるべきなのだと言いたいようだが、そこまで理解する余裕が今の菫子にはなかった。
「そもそも操る事には慣れておられたのです、次はそれを応用するだけで済みますれば、集中などされなくとも扱いは容易かと」
一度慣れてしまったものを忘れるのは難しい、自転車に乗れるようになった人間が立ち漕ぎするなどわけないことで、逆に転倒することのほうが難しい。
それと同様とまでは言わないが、今の菫子にとって力を扱えなくなることの方がかえって難しいと、アイギスの言い分はそういったもののようだが‥‥菫子には上手く伝わらない。
それでも、言われっぱなしは気に入らない、何か言い返したくて仕方がないと、アイギスを睨む形で伝えることからこの言い分自体は理解されているようだが、自転車を漕ぐつもりで大型バイクの速度が出てしまう状態に慣れるにはまだまだ時間が足りないようだ。
「やめて……」
「ですが――」
「もうやめてって! 小言ばっかりうるさいのよ!」
異能の先達に対し一言新米異能者がやめろと漏らすとなにか続きが言われかけたが、それは叫びでかき消された。どうにも、口だけが達者で行動がついてきていない部分を指摘されたのが菫子の自尊心に僅かな傷をつけたらしく、アイギスの言い分は穿った
「こんな力!……あんた達みたいにさらっとできないのよ! 嫌味ったらしく言わないでよ!」
「嫌味とは、誤解されておいでですよ主様。挑発するつもりなどございませんし、私共としましてもそれぞれで最初から慣れている者達だけでは‥‥しかしそう捉えられるのならばいいでしょう」
授かった瞬間から使い熟せた人外とは違う、肉体的にはただの女子高生なのだから易々とはいかない。そのように含ませて菫子は言うがアイギスとて最初から慣れていたわけではない、こうしたことが出来る出来ないと判断する為に色々なモノを穿ち、試してきたからこそ今があるのだ。
「な、なによ?」
「煽りを煽りと捉えられるほどに今の貴方様は冷静なのですよ? 常日頃と変わらないくらいに落ち着いておられはずです」
「だからなに? んもぅ! 昨日までは指鳴らしてさっさと出てったのに、なんで今日は絡んでくるのよ!?」
「目の前の出来事についても同様なのだと申し上げているのですよ。今まではどうされていたのか、どうぞ思い返してみてくださいまし」
主命は聞かれるどころか聞き流され、最後に『さすれば自ずと答えが見つかるはず』と、言いたいことを言い切ってアイギスは右手を差し出した。静かに動いた指先は合わされて、その照準は菫子の目線に向けて真っ直ぐに伸びている。
この数日間、こうして荒れてしまった時にはアイギスが菫子の意識を穿つことで部屋に静寂を取り戻していた。パチンと弾かれるだけで出来上がる静かな部屋、静かな少女。そうなって暫くしてから自分だけではどうにも出来なかった菫子が目覚め、騒ぎ、凹み、引きこもると、そんな生活が二人の暮らしぶりになっている。
きっと今日もそうなるのだろう、アイギスに小言を言われてむくれる菫子の頭にはそういったイメージが浮かんでいたのだが……今まではすぐに離れていったアイギスが指を鳴らさず居座るだけでいることに何かを見出したのか、微笑む羊を睨んでいた菫子の瞳に別のナニカが薄く灯る。
愛用眼鏡の奥、厄介な悪魔を怨めしく睨みつけていた双眼に込もるのは‥‥強い強い負けん気であった。
いけしゃあしゃあと言い切ってくれた黒羊の顔に獣が獲物を定めるような視線をぶつける菫子。二人の目線が重なりこのまま睨み合うかと思いきや、菫子はそのまま浮かんでいる物達へ目線を運んでいく。
「そうです、そうした扱い方をなされば――」
「いいから黙ってて、口を挟まないで」
「……仰せのままに」
室内を見渡す超能力者に向けて皮肉なしの褒め言葉が聞こえたが、邪魔をするなの一括が入り、アイギスの口は止められる。
主の声に合わせて下がる浅黒い右手と頭。
その立ち姿のまま暫しの時が流れると菫子の目線より上に残るのは頭を垂れるアイギスのみとなり、賑やぐ部屋が静まり返った。
その空間の中、垂れる髪に隠れた悪魔の顔に向かって強気な視線が刺さる。
フフンどうよと、赤みの差す額と頬にそう書いて見つめ返す菫子。先程まで浮かべていた苦々しい顔つきは静寂の訪れと共に彼女の顔から去っていったようだ。
箸が転ぶだけでおかしいお年頃らしく哀楽の差が激しい面持ちだが、今まで出来なかった事をやりきれた事と口煩い悪魔を見返せた事はやはり嬉しく、思わず綻ぶ菫子の顔。
「お見事にございました」
そんな明るい空気に面を上げた羊からの返事は素直さなど見せない、見せなかった主を自然と讃えるものであった。
それを言えばこの主はまた調子に乗る、乗りやすい性格だということはこの一週間でなんとなく察していたが不意に浮かべて見せた幼気な笑顔のせいか、アイギスからも不意に褒め言葉が漏れた。
「でしょ! 本気出せばこれくらい余裕よ」
「なれど、この程度の事はすんなりこなしていただけませんと」
どうだ、見たか。と、菫子が眼鏡を光らせる反応を見せるがそれは一瞬だけ、伸びかけた鼻と乗り上げる為の図は続く小言に潰されてしまった。嬉々とした顔でいた女子高生の目に最近慣れてきたじっとり感が滲む…けれど、そうした目線高めな物言いは自尊心高めな女の子の反感に追加発注をするだけだったらしい。シンと静まった部屋の中、態度をツンケンさせた菫子が口を開く。
「……でさぁ、私言っといたよね? 勝手に入ってこないでって」
「はい、伺っておりますし、覚えてもおりますよ」
「ならさ、それ拾ったら出てってよ、それ」
「御自分で引き寄せては? 折角の練習の機会――」
「今日はもう疲れたの、いいから、ん」
真一文字にした口から『ん』を発して黙る菫子。
これ以上話すことなんてない、さっさと渡してとにかく出てけ。そんな気持ちの込もる『ん』ではあったが、アイギスはその願いを叶えないようだ。毛布を被り直した主に向かい携帯電話を差し出すと、偉ぶる少女を見つめながらそこに居座った。
「なに? まだなんかある?」
「はい。僭越ながら申し上げますが、お目覚めになられたのなら身嗜みを……洗顔か、せめて御髪を纏められるが宜しいと存じます」
佇むアイギスがサイドボードへ手を伸ばす。
灯るランプの側には菫子が眠る前まで頭に巻いていたタオルと彼女が好んでいる色なのだろう薄紫色をしたシュシュがあり、それらを摘み、手渡した。
「また余計よ、そういうのは頼んでない」
「しかし――」
「しつこいの! 出来る事は自分でやるわよ」
身だしなみを整えよ、そのように差し出されたシュシュはもぎ取るように奪われた。文句を漏らしながら菫子は豊かな髪をサイドで束ねる。
そんな姿を見ながら続きかけた悪魔の囁きだったが、こちらはしつこいの一言であっさりと片付けられてしまう。同居し始めてから今までずっとこんな調子で交流している二人、後はアイギスが退室すればいつもの引き篭もり生活が始まるはず……であった。
だが、今日は最近の一週間とはちがう日になりそうだ。
自分で出来る事は自分ですると口走るも言い噤んだ少女。いつもならばこの後は無言のまま毛布を被り直すか、寝形のついた枕をアイギスにぶつけて再度の退去を命じるかするくらいなのだが、今日アイギスにぶつけられたのは少女の臭いが染み付いた物ではなく本人の言葉であった。
「わかったならさっさと出てい――ぁ」
退出の命は途中で言い淀まれた。
漏れてしまった『あ』
それを聞いていたのはアイギスと、携帯電話。
アイギスは数度の瞬きで何事があったのか気にする素振りを見せただけだが、もう一つの方は菫子の心を揺らす何かを確かに映し出していた。数秒おきに光る携帯電話の点滅が少しだけ寄ってしまった少女の眼鏡に射し込む。
「……来なくていいって言っといたのに」
額で携帯電話を受け止めた時よりも重たい吐息を一つ吐き、菫子は固まってしまった。液晶には数時間前に送られたらしいメッセージが表示されていて、表示された返信時間と今の時間・守矢神社からこの家までの距離を考えれば早苗は今にも到着するようだ。
「何事で?」
「……早苗ちゃんがうちに来るって」
数秒の沈黙の後に漏らした、どうしよ。
そう言ったきり静まる主の声に対しアイギスが動く。
入ってきた扉を一旦締めて、ベッドでぺたんと座ったまま部屋を見回す菫子に近寄ると、両目を瞑り軽く頭を振って見せた。けれどこれだけでは仕草の意味が伝わらなかったようで、寝癖娘が眼鏡越しに睨むと、自然な流れで耳元まで寄り、一言呟く。
「ご心配には及びませんよ」
「ん? どういう意味? 掃除でもしてくれたって事? まさかね」
掃除された気配はない、それは荒れたままの室内が物語っている。だのに心配は不要だと言われ小さく考える女子高生。
一緒に暮らし始めてすぐに『余計な事はしないで』と、アイギスはそう言い含められている。私の邪魔をしない・荒波を立てないなど他にも色々言われてはいたようだが、一言で表すなら先の命令一つになる。
そうした命令、この場合は提示された条件か、それらを飲むのならば代わりに家にいてもいいし暮らしで使う設備も使って構わないと言われているようだ。
端から見れば一方的な約束だが断る理由もなかった為約束は守られている、故に掃除などしていないしそこは菫子もわかっている、だからこその疑問のようだが‥‥
「はい、主様の言いつけ通りに。私は何もしておりませんよ」
「じゃあどういう――」
「言い換えます、心配する必要がなくなったと申し上げましょう」
「だからそれって」
「ですから既に手遅れだと、そう申し上げております」
白い額と小麦色の額が触れ合うか触れ合わないか、そんな距離で交わされていた内緒話は手遅れという単語を最後に終わった。
伝わりやすいように言い直した悪魔の顔には種族の気配が多分に薫る笑みが浮かんでいたが、部屋の主はその表情も気に食わない。言い切り、少しだけ離れはしたが変わらず手の届く距離にある悪魔の笑みに細めた瞳で睨みつけ、いいから答えを教えろと少女は訪ねる。
だが、胡散臭く微笑んだ悪魔は何も言わず視線を別のところへ向けるだけであった。
仕草に促され菫子も目線を動かす。
すると、求めている答えはそちらから現れた。
タイミングよくドアノブが降りると、中を伺うようにゆっくり開くドア。その奥からは両手に荷物を持った誰かの姿。
「菫子ちゃん?」
半開きのドア越しに生えたのは見慣れた友達の頭。
菫子の懸念虚しく早苗は既に到着していたようだ。
「風邪はどうです? っていうか、大丈夫?」
膨らんだビニール袋をぶら下げる早苗が荒れた部屋を見回しながら放った問いは体調・この部屋の荒れ具合・同居している人外、その全てに対しての問いかけであった。
数年ぶりに見る友人の住まい。
幼かった頃、菫子が一人暮らしを始める前までは何度も上がり込んでいて仲良く遊んだり泊まっていったりもしていた、それこそ住まいの間取りや雰囲気が早苗の記憶の中に残るほどにだ……だからこそ、覚えていた風景よりも随分と荒んだ今の絵面に少し戸惑っているらしい。
ぐるりと室内を見渡し、菫子で視線を固める困惑少女。そんな友人と見合った後、アイギスのタイを掴んで引き、小声で問うのは部屋の主。
「……なんで入れたのよ」
「手出しをするなと命ぜられておりましたので」
囁かれた質問に何くわぬ顔を見せるアイギス。
命じた菫子からすれば誰かが来ても出るな入れるな、居留守ででもつかってくれと含ませたつもりでいたがそう伝わりはしなかったらしい……言われたアイギスも長く商売してきた身だ、本当ならそのくらいの気配りは出来て当たり前だが今回は敢えて気を回さなかったようだ。何故かと問われてもアイギス本人にしか真意はわからない。が、先日には八雲、今日は他の誰かと、懇意にしている相手の面影を見てしまう主人に対して表した、小さなお節介焼きのつもりなのかもしれない。
「あの、お二人で何の話です?」
「いいの、なんでもないよ、早苗ちゃん」
イマイチ状況の掴めない早苗に気にするなと、深々とした溜め息と共に菫子が返す。早苗は当然掴みようもない話でわからない顔を浮かべているが、菫子も悪びれもしない言いっぷりに嫌な顔をして見せている。
そんな中で一人だけ微笑んでいたアイギスだったが流石に空気を読んだのか、ベッドに着いていた片膝と両手を離し、未だ覗き込む形でいる早苗と向かい合うようにドアノブへ手をかけた。
「? どこか行くんですか?」
「先程より再三出ていけと命じられておりますれば、その命に応えようかと。仲良しのご友人もいらっしゃいましたし、このままお邪魔して水を差すのは気が引けますから」
「仲良し? あ、私のことですね! そういえばすっかり忘れてました、私、東風谷早苗っていいます」
「これは、私としたことが気が付いておりませんで。私めのことは羊でも悪魔でも、なんなりとお呼びくださいまし」
不意に始まるご挨拶、ドアを挟んだままの自己紹介にアイギスの足が止まる。学校で顔を合わせ、会話も既にしているけれど挨拶はまだだったことを思い出したらしい早苗が今更感を吹き飛ばす勢いで話し、微笑んだ。
さすがに今のタイミングはどうなのか、と思えなくもない。そして、その感覚はアイギスも感じているようだがその辺りは商売人だ、おかしな部分が多少あろうとも落ち着いて返答を述べていく。
挨拶と共に深く下がった羊の頭に習いを早苗もペコリ、同じく下がるとフワリ、早苗の長く綺麗な髪が揺れた。爽やかな香りが湿気た室内を漂い、犯し、緩い空気を作っていく。
そうして出来上がった柔な空気感に耐えかねた一人が軽く笑って、喋り出す。
「二人して今更なにやってんの?」
「だって、学校で会った時は突然だったから忘れてたんですよ」
「でもさぁ、今のタイミングっておかしくない?」
「いいんです! ちょっとくらい変でも礼儀作法は大事なんです! 八坂様も常々そう言われてます!」
鼻で笑う女子高生と、鼻で息巻く女子高生。
幼少中高と付き合いの長い二人、幼い頃から早苗を見ている菫子は早苗が時々抜けた事を言うのは知っている。けれど、常識に囚われないタイミングはさすがに笑えてしまったようだ。
さも当然と語る早苗を自然と笑ってしまった菫子、つい先程まで焦りや憤りに忙しかったはずだが、顔を合わせるだけで途端に姦しくなるのはその年代のせいなのか、それとも気の許せる友人の顔をしばらくぶりに見たからなのか、どちらにせよ菫子が開き直るには早苗の到来がよい機会になったようだ。
「常々って、最近は出てこなくなっちゃったって」
「八坂様とは毎日お会いしてご飯も一緒に食べてますし、諏訪子様ともちょっと前にお会いしましたよ!」
「あ、そうなんだ。だってほら、ちょっと前に会えなくなったって泣きそうな顔してたからさ」
「いなくなっちゃったみたいに言うのはやめてください! まだまだご健在ですし、これからは私も頑張れるから大丈夫なんです! まったく、そんな事ばっかり言ってるとまた叱られちゃいますよ」
緩んだ空気のまま続いていくガールズトーク。
自ら望んで友人を作ってこなかった菫子や付き合う相手を選り好みされていた早苗にとって過去の情景は根強く染み付いているようで『また』と言うだけでどうなるのか伝わったようだ。
「ヤサカサマにスワコサマ‥‥はて、聞き覚えのある御名前にございますね」
語り合う少女達を余所に一人呟くのは年寄り。
話題に出たその名は何処か、いつか聞いた名前で、記憶の断片ほどではあるが確かに覚えのあるものであった。
そんな呟き、声量は独り言程度のものだったが耳敏い少女達は聞き逃さず流さず、揃って本当なのかと質問をぶつけていく。
「渡来した頃に噂で耳にした程度ですが、鳥居と注連縄は大層ご立派で、御神体である御柱も神々しく聳えるものなのだと評判でした‥‥話に聞いたあの神社はこの近くにありましたか」
江戸が隆盛を極めた時代に現れた西洋の悪魔、彼女が語るにその頃の守矢神社は既に日の本で名を馳せており、神社の膝元であるこの一帯だけではなくアイギスが訪れた出島の辺りにまで信仰は広まっていたようだ。噂を流した者達の中には神への信心よりも神の教えを体で説いて歩く巫女目当ての罰当たりな者達もいたようだが、善し悪しに関わらず八坂の祭神の名前自体は広く知られていたのだからそこは論じるべくもないだろう。
「そうそう、あの神社の神様って昔は有名だったんだよね」
「はい、大陸にもよく似た名前の神がおりまして。どの国でも似た名はあるのだなと強く印象付いている次第にございます」
「貴方の覚えてそうなのって他国の神様だよね、だったら‥‥あぁ、古代イスラエルのモレヤの神様かな?」
「そのような名前だったかと。少しのヒントでするりと出てくる辺り、博学にございますね」
「ちょっとは見直した? でも煽てはいらないわ……こっちの神様は洩矢神で確かに名前も似てるけど、それだけじゃなくってさ、残ってる記録にも色々な共通点があるんだよね」
「ほぅ、それはどのような? よろしければ御教示頂けると――」
「あ、あの、うちの神様で盛り上がってくれるのはすっごいありがたいんですけど‥‥」
忽然と話された話題は気をよくし始めた菫子の琴線に僅かながらも触れていたらしい。関心事には多弁な好事家らしく雄弁と語らい始め、アイギスも一度は興味を惹いてくれた対象に対し再度の興味が沸いているようで深く聞く素振りを見せた‥‥けれどその話題は残る一人、盛り上がりに乗りきれなかった神社の娘に断たれてしまう。
「うちとは、もしや東風谷様は」
「そうよ、かの有名な守矢神社こそが早苗ちゃんちで、
話題の神様も早苗ちゃんのお母さん達に当たるのよ」
「それはそれは。しかし合点がいきました、東風谷様から感じられる御力の源は偉大な神であらせられましたか」
「そ、そんなに誉められても‥‥今は人の出入りもなくなっちゃった神社ですし……」
実家の話題に幾分静まる早苗。流れからすれば胸を張りその名を知らしめてもいい雰囲気だったはずだが‥‥言われ慣れていない実家の褒め言葉を聞いて体裁が整わないのか、しどろもどろな様を見せると、やきもきする気持ちを落ち着かせるように垂れ下げた左のおさげに手を添えた。
「私達が小さかった頃は縁日があったりしてさ、お客さんも今よりもっと多くて、参拝するのに並んだりしたのよ。お母さん達も挨拶に来た行列眺めて嬉しそうに……って、あ、そだ、忘れてた。貴方も挨拶済んだみたいだしもう用事もないでしょ? それならもう出てってよ」
「もぅ‥‥だからお母さんじゃないって何度も言ってるじゃないですか、八坂様も諏訪子様もうちに祀られる立派な神様なんです、冗談ばっかり言ってると本当に叱ってもらいますからね!」
そんな早苗に菫子からのフォローが入る。
実家から神社へ、スルリと話題の筋をずらすと早苗もそれに合わせて言い返した。暗い顔は似合わないからと意識して言ったのか、それとも流れで思い出したから口にしたのか、そこは長い付き合いの二人だ、言わずに伝わり目と目を合わせて笑い合うのみ。
明るい笑い声に乗るのは幼少の頃の記憶だろうか。
思い出の中にある神の顔は間違いのない保護者面をしており、早苗のほうも天罰が下されるとは言わず叱ると今も言ってしまうくらいだ、体面上否定したが祀り奉る神とその巫女という関係ではなく、己を愛してくれる家族と見ているのだろう。
「はいはい、ごめんなさ~い。両方とも口煩いんだから内緒にしといて」
「謝るなら私じゃなくて二柱に謝って下さいね」
「でも早苗ちゃんだって神様みたいなもんでしょ、 神様の娘なんだし、それっぽい力を感じるってそっちの悪魔も言ってるし。だから神様に謝ったってことにして、ね?」
誰かが話せば被せられた姦しいトークは菫子の冗談めいた謝罪を境に静まっていく。そうして落ち着いた室内に『んもう』と、早苗の呆れが満ちていくと共に無音が戻ってきた。
数分、いや数十秒だったかもしれないその静寂は各々の頭を整理させる時間として十分だったらしく、早苗は持ち込みそのままにある両手の荷物を預けにリビングへ向かい、菫子は自室で髪を整え始め、アイギスは命じられた通り早苗の後に続いて部屋を出ていく。
「うわ、やっぱりなんにもない‥‥冷凍庫まで空っぽだ。私が来なかったらどうするつもりだったんだろう」
先に部屋を出た早苗の声はキッチンから。買い込んできた食材をしまいながら冷気だけが詰まる棚を見つめてぼやいている。
「今はネットという大店があるようでそちらで購入すると話されておられましたが、なにやら上手くいかなかったようですよ」
頭を冷蔵庫に隠す少女に向けて黒髪の女が述べる。一人部屋から出てこなかった話題の人物は買い物くらい出かけなくとも余裕なのだとのたまってはいたが、少し体を動かすだけでふわりと浮いてしまっては荷物の受け取りどころではなく、僅かに備蓄され ていたレトルト食品やインスタント食品ですらなくなる状態となっていたようだ。
「なるほど、それで空っぽ‥‥あれ、それじゃ羊さんも何も食べてないんです?」
「いえ、私は外で済ませておりますので、主様ほど飢えた思いをしておりませぬ」
「ならよかったです! あ、それでですね、一応羊さんのも……あぁ! そういえばまだお名前教えてもらってないです!」
話ながら一度は閉じた冷蔵庫、その二段目を開けて手を突っ込む早苗から問いかけが始まる。いつまでも羊や悪魔じゃ失礼、いや早苗自身が呼びにくいとでも感じたのだろう、名を教えてと語りかけられる。が、アイギスは何も答えず早苗の手元、正確には野菜室の陰や隙間といった辺りに視線を向けながら黙り、笑みを浮かべるのみであった。
またも感じる微妙な気配。イエスにしろノーにしろ欲しかった答えは返って来ない。整った眉をいくらか困らせる早苗。
何か変な事を聞いちゃったのかな?
もしかして名前がなかったり、変な名前だったりするのかな、人とは感性が違ったりするのかもしれないし。
そんな懸念と気まずさを苦い笑顔に混ぜて髪を撫ぜると、それに合わせて聞こえてくるもう一人の少女の声。
「気にしないでいいよ、早苗ちゃん」
アイギスからの返事を待っていた早苗に違う相手から代わりが届く。
少しだけ整えた頭に携帯電話片手の姿で出てきた菫子があいつは構わなくていいと、そんなことを言い始めたのだ。何気ない表情で色々と解った素振りな返答をする菫子、まだまだ振り回されてはいるが人外の力に目覚めたこと自体は伊達ではないらしく、夜更けにアイギスの魔力が離れたり消えたりしている事には気が付いていて、どうせ今日も出掛けるんだろう、どこかでなにかをしてくるんだろうと、そういった読みで言い放つ。
「でも」
「いいから、それよりなに作ってくれるの?」
「卵とかは買ってきたんですけど」
「なら卵焼きね、早苗ちゃんちの味付け私好きなのよ」
口に続いて菫子が体も挟んでアイギスと早苗の間に割り込んでくると、この部屋には二人しかいないと言わんばかりに早苗だけと会話し始めた。
そして、やや困り顔のシェフに通されたリクエストは卵焼き、二人が幼かった頃は神社の神がほぼ毎日焼いていたソレは今はその娘が自ら弁当に詰めていて、ランチを一緒にした際には度々菫子に奪われている。
「あの、羊さんは」
「主様の仰られる通りに、そのお気持ちだけで恐悦に存じますれば、どうぞ御二人で。私などに気兼ねなさることなく」
菫子の関心はなくなったがもう一人は未だ気にしているようで、絡んでくる先輩女子の横から半分だけ顔を出した早苗がアイギスに問いかけた……けれど、アイギスは貼り付けた営業スマイルで淡々と言い切り、その流れのままにアイギスは出ていく。足早にリビング、廊下と抜けていき、住まいの外廊下で響いたハイヒールの反響音もすぐに聞こえなくなった。
「行っちゃいましたね」
「ね。ま、いいんじゃない」
「いいんですか?」
「いいのいいの、それよりお腹減ったんだけど。だから早く早く」
「ちょっ、ちょっと待って下さいよ!‥‥ふふ」
「あ、なんで笑った!?」
「だって」
やり取りに思わず笑ってしまった早苗。どこを見て笑われたのかわからない菫子が賑やかさを増して追求すると、今度は真っ直ぐな笑顔を見せて笑い始める。
部屋に通された瞬間はその荒れようから訝しんでいた早苗だったが、アイギス相手に気安く話しかける菫子とそれを誂う会話を聞いて、態度を見て、なぜだか安心したようだ。
二人で上手くやれているのか、体調はどうか?
そもそも無事なのか?
訪れる途中にも若干の不安を覚えていた早苗だったけれど、考えていたよりも親しく見えた二人のやり取りや自分に対しても何も変わらない菫子の様子を知り、この空気は私が実家で過ごしている時と変わらないものだと感じ取ったのだろう。相手こそ神と悪魔で別物だが、先の緩んだ雰囲気からは種族の壁などないように見えてしまい、安堵を得るに十分であった。
「あ、そうだ、折角だし夜食とかも作っちゃいますか」
「しつこいけど、誰の?」
「羊さんですよ」
「ほっときなって、朝には帰ってきてるみたいだし」
「で、でも」
「さっきから『でも』が多いね。聞き分けの悪い子は私好きじゃないなぁ」
「だって菫子ちゃんが」
「だからって『だって』でも駄目だよ‥‥だったらそうね『どうせ』にしよう! どうせ作るならお泊まり用のなにかにしよ! ね、そうしよう!」
すっかりずれた菫子の生活時間、朝に目覚める事もあれば深夜に起きる事もある。その逆転した生活時間の中で数度風呂上がりや帰宅したてのアイギスを見かけてはいて、その度に何をしてきたのか気にしてはいるようだが‥‥
この界隈で起きている事件、黒羊が現れたタイミングと同じくして流れ始めたニュースと、引きこもってから覗く事が多くなった
「でも‥‥」
「ハア、また出た‥‥だからぁ、いいのよ。それよりさ、来なくていいって私言ったじゃん」
「だって、風邪にしては長引いてるみたいだったし、心配だったから‥‥でも風邪じゃなかったんですね」
菫子にじゃれつかれながら持ち込みのエプロンをかけた早苗が問いかけるが、菫子は苦笑いを浮かべるだけ。
あからさまに答えにくい、菫子の顔にはそう書いてあるが早苗はそこはどうでも良かった。何故嘘をついたのか、それは部屋の惨状を見てある程度把握出来たし、それ以上に菫子の無事を知れたことのほうが早苗は嬉しかった‥‥
逆に、この場において複雑な心情にあるのは寧ろ菫子のほうか。出来れば今は会いたくなかった、いや、もう少し力に慣れてから、せめて平静を装う事ができるようになるまでは顔を合わせるつもりがなかったというのが正しい表現か。
目覚めてしまった超能力を恐れられるのが怖い、得てしまった力で早苗や他の誰かに何かしてしまうかもしれないのが怖い。そういった心もあるにはあるが一番の恐れは誰かに知られれば周囲にバレる可能性が高まる、そうなれば過去の超能力者が辿った道と同じ道を私も辿る事になるかもしれないと、自分に対しての恐怖が強まるのが嫌だったようだ。
これだけでは早苗に対し打算的な思いを向ける菫子と、そう捉えられてしまうかもしれないが、菫子の名誉の為にそんな考えだけではないと伝えておこう。
昔から付き合いのある早苗は菫子の異能を知っている、けれど知っているだけだ、事が起きてしまった場合の対応や解決策などは知り得ない。だからこそ、いざ何事かと成ってしまった場合に頼れるのは己のみだと菫子は結論づけ、それ故に伝えず秘匿した、秘密を秘密としたままでいられるようになるまでは触れずにいるつもりだったのだと述べておく。
実態は目覚めを告げた悪魔の世話になりっぱなしではあったがこれ以上は話が逸れるので戻そう、噤んでいた少女の口が開くようだ。
「あ~‥‥うん、ちょっと色々あって、こんな状態なのよね」
こんな状態だと、菫子が荒れたリビングへ目配せしていく。
すると早苗も無言のままに室内を見回すけれど、早苗に驚きはなく普段見せる表情と変わらぬまま菫子へ視線を戻した、その目には危惧していた悪感情もないようだ。早苗自身も両神の親心からその力は封じられているが神秘なる力は確かに宿しているのだ、同じ時を過ごしてきた二人の間に悪意が目覚めるなど今更に過ぎることだろう。
そうして今の状況もドア越しに聞いた菫子とアイギスの会話からある程度察しているようではあったが、本人から話されたのがいいきっかけとするようで、改めて確認するように早苗が問う。
「‥‥これって羊さんじゃなくて菫子ちゃんがやったんですよね、幼稚園のお芋掘りの時みたいに」
「おぉ、覚えてたんだ……そうみたい、アイツが言うには私の中にあったファンタジーな力を引っ張り出したからこうなったんだって。おかげで怪我はするし部屋は散らかるし外にも出られないし、もう散々なのよ」
「なんか、大変そう」
「大変よ! ぼんやりしてると身体まで浮いちゃうし。アイツは簡単だって他人事みたいに言うけどさぁ……早苗ちゃんだって大変だったりするでしょ? そだ、こういうのってコツとかないの?」
「今は八坂様や諏訪子様とお話できるだけだからそういうのは……わかんないなぁ。でもいいの? さっきからアイツって、そんな言い方して」
「いいの、そもそも名前で呼んだ事なんてないし、アイツも気にしてないし、なんかあってもなんとかなるよきっと。それよりさ、敬語なくなったね」
「あ、そうでした」
「その抜けた感じも懐かしいなぁ。ちっちゃな頃の早苗ちゃんを思い出しちゃうね。髪染めるのもやめたみたいだし、やっぱりそっちのほうが似合うと思うよ」
「え?」
「ん?」
言われて傾ぐ早苗の頭。
揺れる髪は過ぎた季節の色合いを強く匂わせる。
それは生まれたままの色合いであり、現代で暮らすには目立ち過ぎるからと早苗が知らぬうちに両神が秘匿した色。
菫子は小さかった頃の早苗を知っているから気にならない、寧ろ似合うと話しているが、物心がつく頃には自身の髪が自然な黒髪に見えていた早苗には、少しだけ不思議な感覚となってしまった。