登校する早紀の手に、紀子さんがポスターやフィルムなどを持ち運ぶときによく使っている、厚めのボール紙でできた円形の筒がありました。
このなかに壁新聞が入っているのですが、さて、それを水野くんに渡そうと考えたとき、ふと、彼のクラスを知らなかったことに気がつきました。せっかく、少し早めに登校したというのに行くあてがなくなり、放課後に体育館にいくしかないかと自分の席で苦笑いを浮かべるしかありませんでした。
翔子が登校してきたのは、そろそろ朝のホームルームが始まる頃でした。
「おはよ、翔子」
「おはよう。ねぇ、早紀。あの新聞、けっこう好評みたいだね」
「え、本当!」
「うん。私、掲示板のところでちょっと様子みてたんだけど、みんな、けっこう見てくれてたよ」
「そう、よかったぁ」
そういえば早紀は、今朝は壁新聞が掲示されているのを確認するを忘れていました。きっと、水野くんに壁新聞を渡すことで頭がいっぱいだったからなのでしょう。
あの壁新聞の目的は、もちろん文芸部の部員募集にあります。だから、さりげなく広告欄も作り、文芸部入部の勧誘告知をしていましたので、多くの人の目に触れる必要があったのです。その意味から、一般の生徒たちに好評を得る、ということは大切なことでした。皆に読まれなければ、部員増にもつながるはずがないのですから。
「と、ところでさぁ」
「なに?」
「水野くんのクラス、知ってる? 壁新聞持ってきたんだけど、渡すに渡せなくて」
「あ、えっと私も知らないや」
そう言えば、早紀も翔子も聞いたことがありませんでした。翔子は、なんとなく彼が2年生ではないかと思っていたのですが、早紀はどうだったのでしょうか。ともあれ、やはり放課後に体育館で渡すしかなさそうでした。
その日は何もめだったことはなく、ゆっくりと静かな時間が流れていきました。昼休みには早紀も、壁新聞を掲示した渡り廊下まで出向いたのですが、そのときも、わりと壁新聞は読まれているという印象でした。これなら、新入部員が入ってくるかな、という期待が膨らんでくるのを感じた早紀だったのです。
そして、放課後。授業が終わると早紀は、ひとまず文芸部の部室に寄り、そこにカバンを置いて、壁新聞を入れた筒を手にさっそく体育館へと向かいます。もちろん翔子も一緒だったのですが、その途中、偶然水野くんを見かけると、早紀はさっさと駆けだしていました。
「水野くん、新聞持ってきたから」
翔子も後を追いかけたのですが、早紀に追いつくよりもわずかに早く、水野くんに声をかけていました。手渡された丸い筒を、水野くんは嬉しそうに受け取ってくれました。
「ありがとう。この入れ物も貰っていいのかな?」
「うん。城南に送るんでしょ。そのまま送ったらいいよ」
「サンキュー。あいつら、けっこう楽しみにしてたみたいだから、喜ぶと思うよ」
「ね、ねえ、水野くん」
そのとき、少しだけ早紀の顔がマジになりました。それまでの笑顔が消えていました。きっと、水野くんのクラスを聞こうとしたんだと思ったのですが、早紀の口から出た質問は、そうではなかったのです。早紀としては、やはりこちらのことのほうが、より気になっていたからだと思います。その『城南の人たちと、試合後に話をしたのか』という質問に、水野くんは、ちょっと照れくさそうな笑いを浮かべていました。
「話したよ。キミたちにも心配かけたみたいで、悪かったね」
「ううん、そんなことは・・」
その続きを、早紀は言えなかったようです。きっと、自分にも理由を聞かせてくれと、そう言いたかったに違いありません。それきり早紀は黙ってしまったので、水野くんのクラスは、翔子が尋ねることになりました。その結果、彼はやはり2年生だったのだとわかりました。つまり上級生なのですが、だからといって、このあと早紀の口調が敬語混じりに変わることはありませんでした。早紀にとっては珍しいことなのですが、でもそれでよかったのだと思います。というか、それが自然だったのですから。
※
それから半月ほどがたち、11月も間近となった頃。
相変わらず文芸部に入部してくる生徒はなく、早紀と翔子の2人だけという状態が続いていました。早紀と翔子以外、誰もいない文芸部。その部室は、いつのまにか、2人だけの城となっていました。ときには作業所であったり、息抜きの場であったり。この頃には、お昼のお弁当も部室で食べるようになっていました。
文芸部で年4回発行している『せいじょう』という名前の作品集の作業にとりかかる時期でもありましたので、その内容の打ち合わせも兼ねているはずなのですが、どうしても昼休みは、おしゃべりが主体となっていました。
その部室のドアが、コンコンッと軽くノックされました。昼休みも半分ほどが終わったところでしょうか。
ノックに応えてドアを開けたのは、翔子でした。
「み、水野くん」
「教室にいなかったから、こっちかなと思ってさ。ちょっといいかな」
「あ、うん。どうぞ、入って。入部の申し込みかしら?」
そんなわけないと分かってはいたのですが、ふと口をついてでたのは、そんな言葉でした。もちろん、彼が来たのは、他の理由です。でももし彼が入部してくれたら、早紀はどんなに喜んだことでしょう。もっとも、このすぐあと、彼女は別の意味で大喜びすることになるのですが、その喜びとどちらが上なのかは、微妙なところでしょうか。きっとそれは、早紀だけしかわからないのかもしれません。
水野くんの手には、紙袋が握られていました。
「こないだの壁新聞、城南に送っといたよ。でね、おととい電話で光一と話したんたけど、あいつら、それを校内に貼りだしたらしいんだ」
「ええっ!」
「壁新聞なんだからいいだろって言ってたけどね。向こうでも好評らしいよ」
たしかに、壁新聞です。掲示することを前提とされたものですから、クレームをつけるようなことではありませんが、でもまさか、他校でも掲示されているなんて・・ このとき早紀は、変なことを書いてなかったかなと、その文面を思い返していたんだそうです。なにせ、城南に送ったのは、彼女の母親の紀子さんが作ったもの。一応、記事の差し替えなどのチェックをしたとはいえ、見落としたものがなかったのか。それに、部員不足を訴え、入部を勧誘した文芸部の広告欄もあったのです。
中学時代から、さまざまな作品展に自分の絵が出展されていた早紀です。多くの人に作品を見られることに、いまさら恥ずかしさを覚えたりはしないはずですが、このとき早紀は、赤い顔をしていました。
「それと、これ。お礼だよ」
差し出されたのは、しゃれた包装紙に包まれた小さな箱。彼の持ってきた紙袋の中にあったものです。その箱が、早紀の前に。早紀は、あわてて首を振りました。
「だめだよ。こんなの、貰えないよ」
「いいって。壁新聞のことだけじゃないんだ。あの日は、ほんとオレ嬉しかったんだ。キミのおかげで光一たちとまた、バスケットができた。浅川だってやる気になってくれたんだよ。だから・・ あの感激に比べれば安いものだよ」
そんな水野くんの訴えに、早紀は自分の気持ちをどのように整理したのでしょうか。自分の心になんと言い聞かせたのでしょう。なにより、それが欲しかっただけかもしれませんが、その頬をより赤く染め、その箱を受け取ったのです。
「じゃあ、貰うね。どうもありがとう」
「うん」
「それから、倉田さんにはこれ。キミはいらないって言ってたけど、そういうわけにもいかないと思ってさ」
え! まさか!?
それまで翔子は、余裕の笑みを浮かべたまま、照れまくる早紀を見ていたのですが、今度は自分の番になろうとは、予想もしていませんでした。
「倉田さんの言葉に甘えさせてもらったってこともあるし、同じものってわけにもいかないと思ってこれにしたんだけど」
それは、小さな紙袋でした。いったい中身はなんでしょうか。きっとこの場で開けてみたほうがいいのでしょうが、早紀同様、翔子もそこまで頭が回りません。2人とも、そのプレゼントを手にしたまま、幸せの笑みを浮かべていたんだと思います。
「岸本さんのは、ブレスレットなんだ」
「ブレスレット?」
早紀のもらったプレゼントの中身のことでしょう。早紀は、その箱を改めてみています。ここでようやく翔子は、箱を開けてみたほうがよかったのかもしれないと気づいたのですが、彼が言葉を続けたので、言い出せませんでした。
「もし、大きさとか合わなかったら直してくれることになってるから、遠慮なく言ってほしいんだ。それから、倉田さんのは、ハンカチ。女の子にどうかと思ったんだけど、刺繍のデザインが気に入って、それにしたんだ」
「あ、あの、開けてもいいのかな?」
ようやくそう言った翔子でしたが、彼はゆっくりと首をふります。
「いいけど、もう昼休み終わりだよ。放課後にゆっくりあけたほうがいい。ぼくはこれで教室に戻るから」
その彼の言葉通り、昼休みの終わりを告げる予鈴が聞こえてきましたので、彼の言うとおりにしたのです。翔子は、そのプレゼントを部室の自分に割り当てられたロッカーに入れたのですが、早紀は、手に持ったままでした。ならば教室で開けるのかなと思ったのですが、そうする様子もなく、授業中ですらもその手に持ったまま、放課後まで。これは、よっぽど嬉しかったんだなと、そう思ったものでした。
放課後になると、2人はすぐさま部室に駆け込みました。彼が言っていたように、翔子の紙袋には、おしゃれなハンカチが、早紀の箱のなかには、小さなブレスレットが入っていました。
「うわぁ、いいなあこれ。私、こっちのほうがいいなあ」
「だ、だめだよ。絶対ダメだからね」
少々いじわるで言ってみただけでした。なにも、翔子は本気で水野くんからの早紀へのプレゼントを自分のと交換しようなんて、思ってはいません。でも、早紀はいくらか本気にしたようで、翔子に取られないうちにと、あわてて左手首に着けたのです。
着けてみて始めてわかったのですが、細めの鎖のきれいなブレスレットに並んでつけられた3つの小さな宝石が、ちょうど手元でキラリとひかるのです。宝石とはいっても、ダイヤモンドなどの高価な石ではないので、品物としては、そんなに高くはないのかもしれません。
翔子は、その箱のなかに入っていた説明書らしきものを広げていました。
「へえーっ、その真ん中の石は“クリソベリル”っていって、悪魔の眼から守ってくれる力があるんだって。つまり、魔よけになるみたいだね」
「魔よけ?」
「うん。ほら、ここにそう書いてある。これからは、このプレスレットが早紀を守ってくれることになるんだね。いいお守りになるんじゃないの。でもさ、彼っていいセンスしてるよね」
「うん、それは私もそう思う。翔子のハンカチだって、すてきだし」
翔子のは、淡いピンク色をしたハンカチでした。レースで縁取りがされており、きれいな花柄の刺繍のワンポイントもあったりと、なかなかいいもののようでした。早紀のと比べても甲乙はつけがたく、これはこれで、翔子は気に入ったのでした。
ちなみにこのときのハンカチはいまも翔子の手元にあるのですが、早紀のブレスレットはどこかへ行ってしまったのか、彼女の手元にクリソベリルの輝きはありません。それが残念でたまらないのですが、それはまだまだあとのお話。
「でもさ、もらいっぱなしってわけにはいかないと思わない?」
「うん、それは私もそう思ってた。水野くんはお礼だって言ってたけど、お礼のお礼をしてもおかしくはないよね」
思いの外、ステキなものをもらい、早紀も翔子も、水野くんに何かお返しをしようという気持ちになっていましたが、では何を、ということになるといいアイデアも浮かばないのでした。
「そういえばさ、彼の誕生日っていつなんだろ?」
「え?」
突然思い出したかのような、翔子の言葉。もちろん早紀も、そこまでは知りません。
「お礼のお礼だよ。あんたたち、どうせいずれはつきあい始めるんでしょ。だったらさ、彼の誕生日に、早紀がなにかプレゼントしたらいいんだよ」
「でも誕生日が離れていたらどうするのよ。たとえば先月とかだったら1年待つの?」
「そのときは、クリスマスイブにでもすればいいじゃない。さ来月だよ」
「あ、そうか。でも、クリスマスプレゼントだろうとなんだろうと、彼、もらってくれないかもしれないよ」
「どうして」
会話はスムーズに進んでいるのですが、翔子は早紀を意外そうな顔で見つめていました。まさか、そんなまともな受け答えが返ってくるとは思っていなかったからです。なぜって、水野くんとはいずれはつきあうのだろうと、そう、早紀に言ったのですから、怒り出さないにしても、当然、顔を赤くし、否定してくるとばかり思っていたのです。これは、その気があるに違いありません。ちょっとだけ早紀をからかってみた翔子にすれば、アテがはずれてしまったというところでした。
もちろん早紀が気づかなかっただけかもしれませんが、このとき翔子は、早紀が水野くんのことを好きなんだと、はっきりそう思ったといいます。これまでも、なんとなくそんな雰囲気は感じてはいましたが、それが、確信に変わった瞬間が、このときでした。
すでに水野くんには彼女がいるかもしれない、だったらその彼女が優先で、自分がプレゼントしても貰ってくれないはずだからと、わずかに頬を赤く染め、うつむいている早紀。つきあいの長い翔子でも、彼女のそんな表情を見たのは、初めてのことでした。
「あはっ、早紀も、そんなかわいらしいっていうか、女の子らしい反応ができるようになったんだね」
わざと、ふざけ気味の口調で翔子はそう言ってみました。いったい早紀は、どんな反応を見せてくれるのでしょう。その早紀の顔は、ますます赤くなっていき、そして、プイっと横を向きました。
「もう、翔子のバカ」
「ごめんごめん、でもね早紀ちゃん」
「え?」
「キミ、本気で惚れたね、あの男に」
今度こそ、あわてて否定するのかと思いきや、早紀はゆっくりとうなづきました。こんなに素直な一面を見せてくれるとは、意外でした。そして早紀は。
「でも、まだよくわかんないんだ。ただ、気になるっていうか、波長が合うって感じかな、すごく話しやすいし・・ それに、安心してそばにいれるっていうか、彼が近くにいると安心できるっていうか・・」
「それが好きだってことだよ。実を言えば、私も彼にはいい印象持ってた。でも、全面的に早紀にゆずる。応援するからね」
翔子の言うことは、間違いなく彼女の本心のはずです。でも、好きになったのは早紀のほうが早く、その思いもより強かったのでした。そのことに気づいていた翔子でしたから、あの城南との練習試合を見て水野くんにあこがれの気持ちを抱いたものの、その思いを強くするには至らなかったのでした。
でも、今になって思うのですが、あのとき翔子は、早紀に譲っていてよかったのでしょぅか。もし競い合っていたならば、早紀はどうしたでしょうか。翔子には、競った場合の展開は読めていたのですが、譲ったあとの展開までは、ムリでした。それを予想するには、まだ人生の修行が足りないといったところでしょうか。
ところで、水野くんの気持ちはどうなのでしょう。早紀が心配するように、城南大付属に彼女はいないのでしょうか。
こちらの予想は、可能でした。彼の気持ちが読めるほどに親しくはなかったものの、少なくとも早紀に好意を持っていることくらいはわかっていましたし、たぶん彼女はいないはずです。
これを早紀に言えば、その根拠は何かと聞かれるのでしょうが、もちろん、そう予想するだけの材料はあるのです。
城南バスケット部の人たちにインタビューをしたとき、どうも彼のことが好きなんじゃないかと、そう思わせるそぶりの女子選手がいました。でも、どうひいき目に見ても、片思いといった雰囲気でした。そんな人がいるのですから、彼には決まった恋人はいないはずなのです。だって、本命の彼女がいるのならあきらめるだろうと、そう思うからです。
※
早紀とそんな話をしてから1週間ほどでしょうか。水野くんへの“お礼のお礼”の機会が、思いの外早く訪れました。
何年にもわたって世界的な大ベストセラーとなっていた小説がありました。その小説を映画化したということで、いま大きな話題となっている映画の、その特別試写会への招待券が、早紀のところに回ってきたのです。
もともとは、早紀の母親の紀子さんが仕事の関係先から、『娘さんと2人でどうぞ』といただいたペアチケットなのですが、紀子さんはその映画に興味がないらしく、『翔子ちゃんとでもいってらっしゃいよ』と、早紀に譲ってくれたのでした。
期日は、11月3日。祭日の日の午後4時からとなっていました。しかも、そのチケットは試写会後に食事もついているという豪華なものだったのですから、お礼を兼ねてのデートには申し分ないはずです。なのに、そのチケットをまえに、早紀は悩んだといいます。そして、翔子に電話をかけたのです。話を聞いた翔子は、あ然とした声で、こう言いました。
「あの、早紀ちゃん。もしかしてもしかすると、その映画に私を誘ってるの?」
「そ、そうだよ。だってお母さんに『翔子ちゃんと』って貰ったんだから、当然でしょ」
この言葉を、100%まともに受け取るほど、翔子は鈍感ではありません。早紀は、もちろん水野くんを誘いたい、彼と行きたいと思っているのです。でも、彼を誘うだけの勇気が持てないだけ。ならば、翔子のやることは決まっています。
むろん翔子だって、その試写会には行きたかったのでしょうが、彼女のおせっかいは、その翌日も続きました。早紀が水野くんを試写会に誘いやすいように段取りをつけ、早紀の背中を思い切り押したのです。
思えば、これが第2の失敗なのでした。あ、でも、早紀と水野くんの初デートは大成功だったのです。あの日、真っ赤な顔で、思い切りはにかみながらも水野くんを誘った早紀。その早紀に、笑顔で応えた水野くん。11月3日は、2人ともに楽しい日を過ごし、お互いの気持ちも大きく接近したのです。
では、なぜそれが失敗だったと言えるのか。そのことは、2人のデートのときの会話にみることができます。翌日の昼休み、翔子が早紀を部室へと引っ張り込み、聞きだしたデートの様子によれば、それはだいたいこんな内容だったと記憶しています。
「もう、私ね、嬉しくて嬉しくて、けっこう舞い上がってたみたいで、いろいろとしゃべりまくってたみたいなの」
「へえー、早紀にしちゃめずらしいことだね」
ちなみにこれは、早紀の報告を聞く翔子との会話です。翔子としては、水野くんとの会話は、早紀の報告で聞くしかなかったのです。
「とにかく、彼のことで私の聞きたいことは、もう全部聞いた。私のことも、たくさん話した。彼もちゃんと聞いてくれたし、いろいろ教えてくれた」
「じゃ、大成功だったんだね」
「うん。あの券くれたお母さんはもちろんだけど、その権利を譲ってくれた翔子に感謝だよ。ありがとう」
「どうしたしまして」
彼、すなわち水野くんは、いろいろと話してくれたのです。早紀の質問にあれこれと答えてくれたと、早紀はそう言ったのです。ならば、あのことも当然聞いたに違いない。翔子がそう考えても不思議はないのです。
「じゃあさ、あの疑問も当然、解明されたんだね」
「疑問って?」
「彼が、どうして星城に転校してきたのかってこと。城南の人たちだって不思議がっていたじゃない。そのことも聞いたんでしょ」
「うん、聞いたよ。なんかさ、人捜しなんだって」
「人捜し!?」
意外なキーワードでした。そして、これこそが第2の失敗とする理由なのです。早紀は、水野くんが星城に転校してきた理由を聞いてしまったのです。そんなことは、知らないほうが良かったのです。だから、このときのデートは失敗だったと思うのですが、このときは、そんなことには気づきませんでした。もちろん、気づけるはずもなかったわけですけどね。
「内緒にしといてよ。ウワサにでもなったら、私がしゃべったってすぐにわかっちゃうんだからね」
「う、うん。わかってるよ」
早紀は、誰にも言うなと念を押してきました。たぶん、水野くんにこのことを聞いたとき、彼から内緒にしておくようにとでも言われてたのでしょう。ならば、この内容については、もう少し触れないでおこうと思います。もちろん、いじわるでそうするのではありません。ちょうどこのとき、校内放送で早紀が生徒会室に呼ばれ、この日の話は中断してしまったからです。
生徒会からの呼び出し。
これには、どうしても敏感にならざるを得ません。なにせ“5人未満の部活動は認めない”という校則に対し、特別に配慮してもらっての文芸部の存続なのです。部員はいまだ2人でしたから、方針が変わったと言われてしまえばそれまでなのです。そんなこともあり、この話はまた後で、と早紀はすぐさま生徒会室に向かったのです。このとき翔子は、早紀については行かず、部室に残って早紀が戻ってくるのを待つことにしたのですが、それはもちろん、あの話の続きを聞くためでした。
ところで早紀が生徒会室に呼ばれたのは、城南大付属高校から届いた、2通の郵便物のためでした。宛名こそ星城高校文芸部となっていたものの、基本的に学校に届いたものは、ひとまず生徒会に渡ることになるのです。もちろん、承諾なしに開封されるということはありません。
生徒会長の手から早紀へと渡されたその手紙は、城南のバスケット部からのもの、あと一通には『城南大付属高等学校 青木佐智子』の名前が記されていました。
「中身を確認してくれるかな? それで、差し支えなかったら、ぼくらにも見せてほしいんだ。学校どうしの関わりになるかもしないからね」
「はい。それじゃ失礼します」
封を切る瞬間。なぜか、とても緊張したと、早紀は後で話してくれました。それはそうでしょう、このとき彼女の前には、生徒会のいわゆる四役と呼ばれる主要メンバーが揃っていたのです。これはなにも文芸部の手紙のため、ではなく、昼休みには生徒会の役員はできるだけ生徒会室にいなければならない、という決まりがあったからなのでした。
「これは、お礼状ですね。文芸部が作った練習試合のときの壁新聞に、自分たちを取り上げてくれたことについての・・」
「ほう。あ、見せてもらっていいかい?」
「え、ええ。どうぞ」
その手紙を、早紀は目の前にいる生徒会長に渡しました。彼は、すぐにそれに目を通したのですが、この手紙は何の問題もありませんでした。むしろ、もう1通のほうに、大変な内容が記されていたのです。もちろん早紀には『城南大付属高等学校 青木佐智子』という名前の心当たりはありません。
「なるほど。それで、もう1通のほうはどんな内容だい?」
「そ、それが・・」
「どうした?」
早紀が言いよどむのもムリはありませんでした。手紙の内容は、早紀たち文芸部への入部の申し込みだったのです。早紀は、自分の目を疑ったといいます。まさか、そんなことはないだろうと、何度も読み返したそうです。でも、何度確認しても、そこにははっきりとそう書いてあったのです。
これには、生徒会の役員の方たちも驚いたことでしょう。なにしろ、青木佐智子さんは城南大付属高校の生徒さんなのです。いくら、星城が他校もうらやむ自由な校則を持っているといっても、そんなことが許可されているとは思えません。
そういえば、城南高校に送った壁新聞が、あちらの校内に掲示されたと水野くんから聞いたことがありました。その紙面のほとんどに、あの練習試合のことが掲載されていたのですが、壁新聞のメインテーマは部員募集です。そのため、部員募集の公告欄が設けてありました。手紙の主は、その広告を見たのだと思いますが、だからといって、入部できるのだと考えるものでしょうか。
「どうします、会長。無視するわけにはいきませんよ、返事をしないと」
「そうだな。でも他校の部活に、普通、入部の申し込みなんかするかな? 向こうの生徒も何を考えてるんだろう」
「ここは、あっさりと“ダメ”って返事すればいいんじゃないですか。まさか本気で入れるとは思ってないだろうし、それで納得するはずですよ」
いつのまにか、生徒会の役員さんたちの間で話し合いが始まっていました。この手紙の扱いをどうすればいいのか。誰かが言っていたように、事務的に『許可できません』と返事をするのが普通でしょう。話し合いもその方向でまとまりつつあったのですが、そこに横やりを入れ、ややこしくしたのは、他ならぬ早紀でした。
「あの、ひとこといいですか?」
早紀は、生徒会の人たちの話し合いを、さっきから黙って聞いていたのです。というよりも、じっくりと手紙を読んでいたというべきかもしれませんけれど。
「私、入部を認めてあげようと思います」
「な、なにを言うんだ、キミは」
「もちろん、学校が違うのだから正式な形ではムリだと思います。でも、交流という形だったらどうでしょうか? 文芸部ですから、お互いの作品を投稿し合ったりとかして、やっていけると思うんです」
「うーん、それはそうかもしれないが」
早紀はなにも、部員不足に悩んでいたからそう言い出したわけではなかったと思います。たぶん、そこに記された青木さんの文章に、何かしら共鳴する部分をみつけたんだろうと思うのです。この手紙の中身をみたわけではないのでなんともいえませんが、そうでもなければ、いくらなんでも、こんなことをいいだしたりはしないはず。
でも意外だったのは、生徒会の人たちが、早紀の提案をまじめに聞いてくれたことでした。他校の生徒の入部許可申請など、前例があるはずありませんし、当然、予想の範囲も超えていたはずです。
そんなこんなで話は長引き、午後の授業開始5分前を迎えることになります。校内にも予鈴のチャイムが鳴りますが、生徒会室には、それ以外に特別のチャイムみたいなものがあったのです。それを合図に役員の人たちはそれぞれの教室に戻っていくのですが、その時間になっても、結論は出ず。ならばと、当事者、この場合は城南の青木佐智子さんということになりますが、その青木さんをまじえ、話し合いをしようということになりました。どういう結果になるにしても、皆が納得できるはずだからと。
早紀は、青木さんへの連絡は自分がすると主張したのですが、生徒会として、これはどうしても譲れないと言われ、仕方なく妥協したのだそうです。青木さんの手紙は、生徒会が預かることになりました。
ともあれ、一段落。昼休みも終わり間近となれば、すぐに教室に戻りたいところでしたが、部室で翔子が待っているかもしれないと、早紀は部室へむかいます。このとき、翔子はすでに教室に戻っていたため、早紀は、無人の部室を確認してから、教室へ。急いだものの、5時間めの授業開始のチャイムのほうが早く、早紀が教室に着いたときは、もう授業が始まっていました。
そんなわけで、翔子と早紀が話をしたのは、その授業が終わってから。もちろん翔子としては、中断していた水野くんの転校理由について聞きたいところでしょうが、話の順序というのか、まずは生徒会室でのことが先になりました。場所が、文芸部の部室ではなく教室だったこともあるのかもしれません。一通り説明を聞いた翔子でしたが、いまいちピンときていないのか、げげんな表情をしていたようです。
「お礼状はわかるけどさ、入部の申込みってどういうこと? 城南の生徒がうちの文芸部に入りたいってこと? それをどうするか話し合うっていうわけ?」
「そうなんだけど、翔子はどう思う?」
「どうって言われてもね。そんなことできるのかって、逆にききたいわね」
「そうだよねぇ」
話し合いの場所に出席はできるものの、早紀の立場はオブザーバーのようなものでしょうから、全ては、生徒会と青木佐智子さんとの話し合いの結果次第。それでも早紀は、できるだけ彼女の要望に応えることができるように頑張ってみようと思っていたそうです。
ところで、青木佐智子さんは城南の生徒です。ならば、同じ城南から転校してきた水野くんは、当然、彼女のことを知っているはずです。彼女がどういう人なのか、事前に知っておくのもいいかもしれないと考えた早紀は、あわてて教室を出ようとしました。
「私、ちょっと直樹くんに聞いてくる」
「あ、早紀、待ちなさいよ」
「なによ」
「もうすぐ、休み時間終わるってば。放課後にしたほうがいいよ。それよりさぁ」
5時間めと6時間目の間の休み時間は、10分しかないのです。その10分も、城南からの手紙の説明で、あらかた費やしているはず。早紀も納得したのか、苦笑いを浮かべていました。その早紀へ、追い打ちをかけるかのように、翔子の目が、アヤシク光ったのです。
「いつのまに、直樹くん、なんて呼ぶようになったのかなぁ」
「あ! べ、別にいいじゃないの」
「ひょっとして、彼も、“早紀”なんて呼んでくれてるのかな」
「そ、そうだよ」
照れながらも、早紀ははっきりとそう言いました。ちょっぴりはにかみ、うっすらと頬を赤く染めている早紀。早紀のことですから、意識してそんな表情を作ったりはしていません。これで、早紀のごく自然なふるまいなのです。
それがわかっていても、そんな早紀を見るとき、どうしてキミはそんなにカワイイ仕草ができるようになったのかと、思わずにはいられませんでした。早紀のやつめ、と思ったりもするのですが、彼女のそんな女の子らしい反応を見ているのも微笑ましく、もう少しみてやろうかと、追加の質問をしてみます。たぶん、こんな質問をするのは2回目のはずなのですが、それでもいいのです。早紀の新鮮な反応がみたいのですから。
「早紀、水野くんのこと、本気で好きになったみたいだね」
前に、同じような質問をしたときは、『彼のそばにいると安心する』と言っていた早紀でした。愛というよりは、恋。そんな気持ちを話してくれた早紀でしたが、2度目の今回は、何も答えてはくれませんでした。ただ、だまってゆっくりとうなづいただけ。でも、その顔はとてもしあわせそうだったことは、今もはっきりと思い出すことができるのです。やはり、あのデートは2人をより近づけたのです。
その日最後の6時間めの授業開始を告げるチャイムが、どこか遠くで鳴っているような気がします・・
※
あいかわらず、文芸部の部員は2人だけ。そういえば、城南大付属高校から入部の申し込みをしてきた女生徒がいましたが、彼女を交えた生徒会の話し合いの席は、あれから1カ月ほどが過ぎ12月を迎えた今も、なぜか行われていませんでした。
もちろん早紀は、このことを生徒会に問い合せているのですが、本人の都合がつかないという理由で延期になっていると、そう返事を貰うだけでした。12月も彼女は忙しいらしく、たぶん年明けになるのではないかと、そんな見通しを聞かされていたのです。
忙しいといえば、12月の第2週は学期末テストが行われます。比較的自由な校則などで他校の生徒からうらやましがられることの多い星城高校でしたが、たった1つだけ、その逆もあります。そのことを、他校の生徒は知りません。そんな、おそらく他校にはないと思われる厳しい生徒への要求。これがあるからこそ、星城高校は、星城高校であるとも言えるのですが、それは文章にすればとても簡単で、ほんの1行で十分でした。
それが、『一定以上の成績を収めること』。
自由に振る舞える学校生活と引き替えに、生徒に求められる唯一のもの。この一定以上というのが、実はくせものだったりするのですが、このため試験前は、どの部活動も試験休みとなります。もちろん文芸部も、例外ではありません。
星城高校の生徒にとって、何よりも重要な試験期間。誰もが試験勉強に集中しているこの間を利用し、例の水野くんの転校理由について、少し、お話ししておこうと思います。
翔子が早紀を介して、水野くんの転校理由が人捜しなのだと聞いてから、1カ月余りが経っていました。生徒会からの呼び出しがあってあのときは中断はしたものの、後日、翔子が早紀から聞いた話によれば、それはこういうことでした。
すべては、水野くんの、幼い頃の記憶に始まるのです。幼稚園の頃か、あるいはそれよりもっと前のことでしょうか。幼なさゆえの、あいまいなその記憶。
水野くんは、その記憶のなかに姉か妹かはわからないものの、女の子の“きょうだい”がいた覚えがあるのだそうです。水野くんが捜しているのは、そのお姉さんか妹さんなのです。
小学生の頃は、そんなこともすっかり忘れていたそうで、中学になっても思い出すことはなかったのですが、3年も終わりを迎え、卒業式が間近に迫った頃になって夢をみたのだそうです。時期的にいって、気持ちが感傷的となりやすかった頃だったからそんな夢をみたのだろうと彼は言っていたそうですが、その夢で、水野くんはご兄姉(兄妹)がいたことを思い出した。では、そのお姉さん(妹さん)は、どうしたのか。
もちろん、水野くんはそのことをお父様に尋ねてみました。でも、お父様からは、『おまえに兄姉(兄妹)はいない』と、そんな返事が返ってくるだけだったそうです。そのときは納得したものの、後日、やはり気になって親戚の人を尋ね歩いたり、近所の人や、お父様の友人、知り合いに尋ねたりもしたんだそうです。
その結果わかったことは、水野くんのお母様が、彼を生んでから体調を崩し、1年ちかくの闘病ののち亡くなったこと。そしてその後に、再婚した女性がいたことや妹さんがいたことまでは、なんとか分かったのだそうです。記憶の通り、やはり妹さんはいたのです。
いたとわかれば、会いたいと思うのが人情というものでしょう。でも、居場所まではわからなかった。親戚の人たちも、さすがにそこまでは知らなかったようです。
やがて、水野くんがこうして過去を調べていたことは、彼のお父様の耳に入ります。もちろん水野くんも、お父様とこのことを話したかったし、教えて欲しかったに違いありません。
高校1年の冬休みも、終わりの頃だったといいますから、ちょうど1年前といってもいいだろうと思います。
そのときお父様は、隠していた理由として、その女性との約束であったことと、同居を始めたのが水野くんのお母様が入院中の頃であったからだと、話してくれたそうです。浮気や不倫といった言葉が頭に浮かびます。詳しくはわかりませんが、水野くんにそのことを責められるのではないか、と心配したためでもあるのでしょう。
やがてお母様が亡くなり2人は再婚しますが、実は入籍まではしていなかったそうで、このことも水野くんに隠していた要因となったろうと思うのです。結局、その女性とは数年で別れることになったのですが、別れたあと、住んでいる街のことだけは風のうわさで聞いたものの、会いに行くことはしなかった。その女性との約束もあって、できなかったのです。
でも、なぜ別れることになったのでしょうか。また相手の女性にも、幼い女の子を抱えての生活があります。経済的な問題もあったはずなのですが、それらの詳細まではわかりません。ただ明らかなのは、その女性とはそれきり音信不通となり、連絡を取ることはなかった。
お父様の知っていることといえばそれだけで、これ以上も以下もありません。これらは、すべては10年以上も前の話。水野くんがはっきり覚えていなくても、それは仕方のないことかもしれません。
ところで、お父様が風のうわさで聞いたという街が、星城高校があり、早紀や翔子が住み、水野くんが一人暮らしを始めた、この街です。お父様は、どうしても会いたいというのなら、その先は自分で捜しなさいとおっしゃったそうですが、今もこの街に住んでいるのかどうかなんて、もちろんわかりませんし、仮に会えたにせよ、自分は、何をどうしたいのか。
水野くんが星城高校への転校を決意するまでは、それからなお半年以上の期間を要していますから、きっと彼も、いろいろと悩んだに違いありません。でも、水野くんは、この街にやってくることを選びました。
その決断の決め手を、早紀は、妹さんだと言うのです。水野くんの転校理由である“人捜し”は、あの女性ではなく、妹さん。きっと、妹さんとなら、話ができるに違いないからと。お互いの気持ちがよくわかるに違いないのだからと。
ところで、その妹さんは星城高校に通っているのでしょうか。仮にまだこの街に住んでいたとしても、彼女が中学生かもしれないとは考えなかったのでしょうか。水野くんには、妹さんが星城にいると結論づけるだけの根拠があったのでしょうか。
本当のところはわかりませんが、水野くんは、お父様には、進学校として有名であることと、生徒主導による自由な校風にあこがれて、という理由で転校すると、そう話したのだそうです。そのとき、お父様は、なにも言わずに許してくれたのだとか。
これが、翔子が早紀から聞いた、いえ、正しくは早紀が水野くんから聞いた、転校理由の全てです。
それはともかく、いま早紀と水野くんは、もっぱら図書館で一緒に勉強をしているようです。もちろん、2人にくっついてジャマをするような翔子ではありませんから、2人だけです。2人の仲がより親密になればいいと、あえて2人きりにさせておいた翔子は、一人自宅で試験勉強をしたのだそうです。
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ある意味、星城高校の生徒にとって最大のイベントである、学期末試験。誰もが気持ちを集中させて迎えるこの時期を、早紀は、毎日笑いながら過ごしていました。試験の合間、回りの人たちが難しい顔で参考書などをにらみつけている間も、ただ1冊のノートをパラパラとめくっているだけ。そして、次の時間の試験を受けるのです。余裕、という感じがしたとは、翔子の弁です。
もともと、早紀も翔子も成績は悪いほうではありませんでした。星城の慣習からいけば、授業中にいねむりをしても、少しくらいなら見逃してくれるレベルです。その成績を、翔子はほんの少しだけ落としたものの、早紀はかなり上げていました。きっと、図書館での勉強が、よい結果として表れたのでしょうし、翔子の場合は、一人で勉強するのにとまどっただけだと思います。
水野くんのほうは、星城で始めての試験であるため、上がる、あるいは下がるという表現はできませんが、学年の上位にランクされていましたから、3人とも、この学期末試験は成功だったと言えるでしょう。
試験が終われば、あとは冬休みを待つだけ。無事、試験を乗り切った早紀がルンルン気分なのはわかるのですが、今日は、いつにもまして陽気でした。鼻歌など歌いながら、部室で絵を描いているのです。しかも、水彩画。いったい、何がそんなに楽しいのでしょうか。
「ねえ、早紀。何か、いいことあった?」
「え、ま、まあね」
少々はにかみながらの、早紀。これは、よっぽどいいことに違いないと、なおも翔子は質問を重ねます。
「なによ、教えなさいよ」
「うーん、どうしようかなぁ。やっぱり、翔子には言えないよ」
などと言っていますが、きっと話したくて仕方がないはずです。案の定、それ以上突っ込まなくても、早紀は自分から話しはじめました。
「あのね、直樹くんと初詣に行く約束したの。あ、だから、翔子とは行けなくなったんだ。毎年一緒に行ってたのに、ゴメン」
そんなことは、どうでもいいのです。なんとなく、予想もできていました。そりゃ、初詣に一緒にいけないことは残念でしたが、そんなことで翔子は怒ったりしません。それよりも、早紀と水野くんの関係が、より近くなったことのほうが嬉しかったのです。でも、そのまえにクリスマスもあるのにと、翔子はこんな質問をしてみます。
「イブの日はどうするの? またパーティーやるんでしょ。もちろん、水野くんも呼んで」
「あ、イブは彼、都合が悪いんだって。家に帰るって言ってた」
「家?」
そういえば、水野くんは一人暮らし。実家にはお父様がいらっしゃるのです。つまりは帰省するということでしょう。あ、じゃあ、初詣はどうするのでしょう。そのときは、水野くんはまた、こっちに戻ってくるのでしょうか。
「そうか、残念だね。早紀のとこのパーティー、とっても楽しいのに」
「しょうがないよ。でも、初詣のとき、家に呼ぶつもりなんだ」
「ふうん」
毎年のクリスマスイブは、早紀の家でパーティーをやっていました。紀子さんの仕事関係の人たちも来ますし、とにかく賑やかで楽しい時間を過ごせるのです。だから、翔子も楽しみにしているのですが、そこに水野くんがいれば、もっともっと楽しくなる。そうは思うのですが、こればかりは仕方のないことでした。
「それで、初詣はどこに行くの? いつもの神社?」
「え? ええと、まだ決めてない」
おや? このときの早紀の表情は、ちょっと変でした。ウソついてるなと、翔子は直感しました。なにせ、小学校以来の付き合いです。微妙な変化くらい、すぐにわかります。でも、そのことを責めてみてもしょうがありません。たぶん知り合いにジャマされたくないのでしょうし、足を延ばせば、いつもの神社よりも二回りほど大きな神社もあります。そこは縁結びの神社として有名でしたから、そこに行こうと思っているのかもしれません。
それでも、何も言わないのはシャクにさわりましたから、翔子は、きっと3度目となる、この質問を、少し形を変えて早紀にぶつけてみました。
「ね、早紀。水野くんに愛の告白は、もうしたの?」
「バ、バカ。そんなこと、翔子には教えないもん」
おやおや、まだ告白まではしていない様子です。きっと水野くんからされてもいないのでしょう。2人が気持ちを伝えあい、晴れて恋人となれるのは、もう少し先なのかな。たとえば、初詣のあと、とかね。
その初詣の日は、あっという間に訪れます。まずは、その直前ともいえる大晦日の夜。このとき、翔子は、いつものように早紀の家に来ていました。除夜の鐘がなり始める頃、早紀と連れだって近所の神社へといくためです。例年のことなのですが、早紀は少しだけイヤな顔をしていました。その不機嫌顔の理由を、もちろん翔子は知っていますから、頃合いを見て帰るつもりだったのです。
でも、翔子が腰を上げるよりも、来客を告げるチャイムが鳴るのが早かったのです。
「あら、お客さんかしら?」
紀子さんの声。早紀は、あわてて玄関へ。そうです、水野くんが来たのです。早紀を迎えに来たのです。翔子は、もう少し早く帰ればよかったと後悔はしたらしいのですが、帰るタイミングを逸した形となってしまいました。
「どなた? 早紀のお友だち?」
そんな紀子さんの言葉から、早紀が水野くんが来ることを紀子さんに話していなかったことがわかります。やっぱり恥ずかしかったのでしょうか。それとも、いきなり紹介して驚かすつもりだったのかもしれません。
居間に引っ張り上げられた水野くんを、早紀が紀子さんに紹介しています。紀子さんは、じっと、水野くんを見ていました。
「こんばんわ、水野直樹です。あの、早紀さんと一緒に初詣に行こうって約束してまして、迎えに来ました」
あいさつすると、水野くんも紀子さんに顔を向けました。ちょっぴり赤い顔をした早紀は、今度は紀子さんを水野くんに紹介するのです。
「私のお母さん。仕事は、イラストレーター。私の目標!」
へえ、そうなんだ。このとき翔子は、紀子さんが早紀の目標なのだと聞いて、驚いていました。そんなことを聞いたのは、始めてだったからです。
「そ、そう。あなたのお名前、水野、直樹くんなのね」
「は、はい。あの、」
「あ、ごめんなさい。なんでもないの。そうか、早紀のお友だちで、これから一緒に初詣に行くのね」
「お母さん、直樹くんはね、バスケット部の名選手なの。ほら、いつか壁新聞作ったじゃない。あのときの・・」
「そうよね、あの写真の人よね、やっぱりそうだったのね」
「ねぇねぇ、写真よりも実物のほうがいいでしょう」
早紀は上機嫌でした。時間は、まだ10時前。除夜の鐘までは少し時間がありましたから、皆は、リビングのテーブルに座りました。夕食はもちろん済ませていたのですが、夜食にと、紀子さんがいろいろと料理を並べていくのです。
紀子さんは、早紀のボーイフレンドということで、少し舞い上がっていたのでしょうか。水野くんにいろいろと質問を浴びせていました。水野くんのほうも、少し緊張気味の顔で、それらの質問に1つ1つ答えていきます。その横で、早紀はちょっと怒ったような顔をしているのが印象的でした。
たぶん、質問の内容が、家庭のことなど水野くんの個人的なことに偏りすぎていたからだと思います。初対面なのに、ちょっと失礼じゃないかと、そんなことだったと思うのです。
それよりも、時間の経過とともに、翔子はだんだんと居づらくなっていました。どうも紀子さんは、水野くんと翔子、そして早紀の3人で初詣に行くものと思っているようで、そのうちに紀子さんも神社へ行くと言いだし、結局は4人で初詣に出かけることになってしまったのです。それも、いつもの近所の神社へ。
それはそれで楽しいひとときだったのですが、あらかじめ紀子さんに話していなかった早紀の、明らかなる作戦ミス。早紀は、どう思っていたのでしょう。
さすがに翔子は、早紀に悪いことをしたと思ったのか、それからしばらくは早紀と会っていませんでした。電話もかけないままに、そろそろ冬休みも終わろうとした頃。たしか、5日の夜だったと記憶しています。
とても寒い夜でした。雪になってもおかしくはなかったろうと思うのですが、その日は、夕方から冷たい雨が降っていました。
翔子に、紀子さんから電話がかかってきました。そのとき、紀子さんがひどくあわてていたのを覚えています。
「と、とにかく私、そっちに行きます。心当たりを捜してから、そっちに行きますから!」
早紀が家に帰ってこないというのです。いったい、何がどうなったのか。とりあえずそれだけ言うと、翔子は電話を切り、コートとマフラーを掴んで外に飛び出しました。心当たりがあるとは言いましたが、本当は、ないのです。ただ、そう言えば紀子さんを落ちつかせることができるかなと、とっさにそう考えただけでした。
翔子の家から早紀の家までは、普通に歩けば10分くらいでしょうか。でも、いったん公園通りに出て、そこから公園のなかを突っ切っていけば、2~3分は短縮できるはずです。あまり人気のない公園でしたから、夜中にそこを通りたくはないのですが、翔子はまよわずその道を選んでいました。
公園通りは明るく、車の交通量もかなりあるのですか、公園の中はひっそりとしています。公園には、すべり台やブランコなどのいくつかの遊具と、ベンチが10脚ほど。それに水飲み場とトイレに、公衆電話があります。もちろん、人影はありません。
その中を足早に行く翔子。その公園の中程まで進んだとき、翔子はふと、水野くんのことを思い出したのです。そうだ、早紀が何か連絡しているかもしれない・・
紀子さんに心当たりがあると言いました。でもそれは、ウソも方便といったものでしたが、それが本当になったのです。
多くの人が携帯電話を持っている時代です。水野くんの一人暮らしのアパートに電話はないのですが、代わりに彼は、携帯電話を持っています。仮に、実家に戻っているにしても、携帯電話ならば、直接彼につながるはずです。
翔子が、彼の携帯電話の番号を暗記しているわけではありませんが、家に置き忘れてきた彼女の携帯電話のメモリーには、それが記憶されています。ひとまず自宅に電話をかけ、家族にその番号を見てもらおうと、電話ボックスへと向かったのです。
公園内を引き返すことにはなるのですが、仕方がありませんでした。そして、その電話ボックスのなかで、翔子は見つけたのです。
雨に濡れた髪、ずぶぬれの服のまま、電話ボックスのなかに膝をかかえて座り込み、丸めた背中を震わせながら、泣いている女の子がそこにいました。
「早紀!」
思わず、翔子は叫んでいました。そして、自分も地面に座り込み、彼女を抱きしめたのです。いったいどうしたのか、なぜ、こんなところで泣いているのか・・ 聞きたいことはきっと山ほどあったろうと思うのですが、そのとき、翔子はなぜかなにも言えず、早紀を抱きしめていました。きっと、理由なんてないのです。ただ、早紀が・・ ただ、無性に悲しかったのです。
それでも、いつまでもそのままというわけにはいきません。幸い、ここは電話ボックスですから、とにかく、紀子さんに連絡しようと受話器を取ったとき。
「やめて、翔子」
「え、どうして?」
そのとき始めて交した会話がそれでした。涙でくしゃくしゃになった顔を翔子に向け、早紀は電話をするなと、そう言うのです。早紀の瞳からは、まだ涙が溢れていました。
「お願い、もう少しだけ。もうちょっとだけでいいから」
「早紀、あんた・・ どうしたの、何かあったんでしょう。紀子さんだって、心配してるんだよ」
早紀は、何も答えません。ただ、悲しそうな目で・・ そして、下を向いて・・
「紀子さん、さっき私のところに連絡してきたんだよ。心配そうな声で、早紀が帰ってこないって。だから、私・・」
「ごめん、翔子。お願いだから・・」
「早紀・・」
「あと、少しだけ」
くすん、くすん、という早紀の泣き声。それ以上、翔子は彼女にかける言葉を見つけることはできませんでした。いったい、何があったのでしょう。翔子は、電話ボックスの外へでて、そのドアをゆっくりと閉めました。
そっとしておいてくれという、早紀。でも、このままほおっておくわけにはいきません。この寒い夜に、早紀はびしょぬれなのです。翔子は、走り出しました。とにかく、紀子さんに早紀がいたことたけでも知らせようと、早紀の家まで一気に。
そんなことがあったのは、冬休みも終わりに近づいた、雨の降りしきる、とても寒い夜でした。