夏休みのあいだ、真実は、達也や栄作、有紀子らと、プールやキャンプ、花火大会など、遊びにはことかかぬ毎日を過ごしていた。この夏で、達也たちとも、より親しくなれたような気がしていた。そんな楽しい夏休みもまたたくまに終わり、新学期を迎える。
その新学期最初の日、真実の通学路となっているサクラ公園の並木道に、槙村千春の姿があった。千春がこの道にくるのは、ずいぶん久しぶりのことである。その並木道のなかほどに立ち、千春は、真実が来るのを待っていた。少し時間が早かったのか、真実がそこにやってきたのは、10分ほども経ってからだった。
「千春さん、おはようございます」
「おはよう」
朝にふさわしく、さわやかにあいさつ。千春も真実も、笑顔である。
その千春は3年生。夏の甲子園大会も終わり、いよいよ野球部のマネージャーを引退することになる。いや、もうすでに引退していることになるのか。
「今日ね、昼食も兼ねてなんだけど、野球部で3年生の追い出し会をやるのよ」
「追い出し会?」
「うん。つまりが送別会だよ。始業式が終わってみんなが揃い次第にね。バスケット部でもやるでしょう?」
どうなんだろう? そういえば、夏の大会で負けたあの日、試合後のミーティングの席で、これで3年生は引退すると言っていた。キャプテンの麻川が『あとのことは頼むわね』と、有紀子にその座を譲っていたのだが、その場が女子バスケット部での次の世代への委譲の場であったような気がする。他に、そのような会の予定は聞いていなかった。
「その会にさ、真実も来てくれないかな」
「え? 私がですか」
「うん。ぜひ来てほしい。これは、先輩としての命令だからね。イヤだって言っても聞かないからね」
「そ、そんなぁ、千春さん」
千春の顔は笑っているから、冗談なのかもしれない。いや、野球部員ではない自分が、そんな会に出ていいはずはないのだから、きっと千春にからかわれているのに違いないと、そう思った真実である。
「野球部がさ、県大会とはいえベスト4までいけたのは、達也の存在が大きかったと思うんだ」
「彼、頑張ってましたからね」
「その達也を、野球部に入部させてくれたのは、真実だもんね。どうもありがとう」
「いいえ、そんな。私なんてなんにも・・」
頑張ったのは達也なのである。ただ自分は、その回りで、みんなに迷惑をかけていただけ・・ だから、こうしてお礼を言われると、恐縮してしまう。
「それに真実、達也にちゃんと言ってくれたんだね」
「は?」
「達也、野球部辞めるって。私たち3年生と一緒に引退だよ。高校生活の最後の夏に、いい思い出ができた。中学のときから引きずってた気持ちにも整理がついたし、思い残すことは、なんにもないよ。ほんとにありがとう」
「千春さん・・」
「これからは受験があるからね。だから、真実とはあまり会えなくなると思うんだ」
「千春さんも受験生なんですね」
「うん。だからさ、今のうちに言っておこうとおもって来たんだ」
「何をですか?」
「真実とは、ずっと友だちだってこと。これからもずっとずっと友だちだからね。女子大生になっても、OLになっても、結婚してからも、ずーっと仲良くしてよね」
それはまるで、卒業式での別れを思い起こさせるような、そんな言葉であった。真実の手をぐっと握り締めている千春。その千春の目に涙が光っていたように見えたのは、ひょっとしたら真実の見間違いだったのだろうか。
校門をくぐり、千春と別れて教室へ向かう。千春も言っていたように、達也には、球場こそ甲子園ではなかったものの、スタンドから絵を描きたいという望みがかなったことを、たくさんのスケッチ画を見せながら話をした。達也は、嬉しそうにそれらの絵を見ていたっけ。
そのとき達也がニコニコと笑っていたので、調子に乗った真実は『今度は、バスケットの全国大会の絵を描かせてね』と言ってみたのである。そのことが、どれだけ影響したのかは、わからない。いや、何ら関係なかったのかもしれないが、でも達也は、バスケット部に専念することにしたようだ。そもそも、これが本来の姿ではあるのだが。
少し、回り道をしたのかな、と思う真実であった。甲子園のスタンドで絵を描きたい・・ これは、まぎれもなく作り話のウソであったはず。だが、達也は本気にしていたし、千春も同じだ。ウソだと思っていたのは、実は自分だけで、これらのことは本当のことだったのではないかと、真実は考えたのだ。だからこそ、そのことにキチンとけじめをつけるべく、スタンドから絵を描き、壁新聞をつくり、たくさんの絵を達也に見せたのだ。これで結果的には、あのウソは、本当になってしまったことになる。
今日は、2学期の最初ということで、始業式とホームルームだけで終わりである。その後、真実は、2学期から入部すると約束していた美術部へと顔をだし、部員たちとあいさつを交わす。
「あなたは、美術部期待の星なんだからね、よろしく頼むわよ」
「はい。でも、前にも言いましたけど、あくまでメインはバスケット部ですから」
「わかってる。それは部員のみんなも納得してくれてるわ。でも、いつでも美術部メインにしてくれていいんだからね」
「は、はあ」
と、そんな調子でひとまずあいさつを済ませると、今度はバスケット部へと顔を出す。美術部のほうは、これからは10月下旬にある作品展の制作が主体ということで、『美術室に顔を出して進行状況の報告はしてよね』と念はおされはしたのだが、個人個人が自分のペースで制作にとりかかっていればいいようだ。
バスケット部のほうは、2学期初日は軽いミーティングのみ。それも1時間ばかりのおしゃべりで終わり、お昼になる頃には、身体が空いたのである。
「さぁて、どうしようかこれから」
有紀子である。新しく女子バスケット部のキャプテンとなった有紀子だが、特に気負ったところもないようだ。さすがだな、と真実は思う。自分だったら、そこにプレッシャーを感じてしまい、とても落ち着いてはいられないところだろう。
「そうだ、美術部のほうはどうするの? 今日から入部するんでしょ」
「うん、美術室にはもう行ってきた。今日はあいさつだけで終わり」
「ふーん。でも、達也くんほどじゃないんだろうけど、かけもちとなると、やっぱり大変なんじゃないの」
「かもね。とにかく、来月の作品展までに何枚か絵を描かないといけなくてさ」
「なんだ、そんな簡単なことでいいのか」
簡単? 一瞬、けげんな表情となる真実。絵を仕上げるのは、そんな簡単じゃないぞ、とそう言いたくなる真実であったが、有紀子の言った意味は、そういうことではないのである。真実にとっては、絵を描くことはいつものことであって、苦痛でもなんでもないのだから。
「真実の得意分野だもんね。なんなら、私がモデルになったげようか?」
「えー、有紀子がモデルに。うーん、じゃあ脱いでくれる?」
「ええ! ヌードですかぁ」
「水着でもいいわよ」
次の瞬間、2人は吹きだしていた。どちらも、それが冗談であることはわかっていたのだ。だが、楽しく笑いながらも、真実はちょっと惜しかったかな、などと思ってみたりもする。有紀子のヌードであれば、さぞやキレイだろうなと、そのとき思ったのである。
「楽しそうね」
そこへやって来たのは、千春であった。
「そろそろ始まるんだけどな、真実」
「え? なにがですか」
「やだなぁ、今朝言ったでしょ。野球部の追い出し会やるって」
「あ! でもあれは・・」
まさか、千春は本気だったのか。だが、いくら千春がその気でも、他の部員たちまでそうではないだろう。真実は、文字どおりの部外者なのであるから。そのとき、真実はよっぽど困った顔をしていたのだろう。その真実の顔を覗き込みながら、千春が、笑い声をあげた。
「ごめんごめん、冗談だよ。やっぱムリだよね。どうせ騒ぐだけとはいえ、一応は野球部の大切な節目の行事なんだし。でも、半分は、本気だったんだけどな」
「そんな、千春さん」
「あなた、桜井有紀子さんだったよね」
今度は、有紀子に向かって、である。有紀子と千春は、お互いの存在はよく知っているし、その間に真実という共通の友人もいるのだが、あまり会話というものをしたことはなかった。普通に話しをするのは、これが最初といってもよいくらいなのである。
「そうですけど」
「あなたね、その帽子なんだけどさ」
「え? 帽子ですか」
けげんな表情を浮かべる有紀子。そのとき有紀子は帽子をかぶっていたのだが、それがどうしたというのだろう。ピンとこない有紀子であったが、真実には、その意図がわかった。達也の好みだという、帽子の似合う女の子。まさか、有紀子にそのことを言うつもりなのだろうかと、ドキッとする。
「制服には、帽子はないわよね」
「ええ、でも禁止もされていないようですし、いいかなと思って」
「そうね」
と、そこで千春が不安げな顔をしている真実をちらっとみる。そして、軽くウインク。
「よく似合ってるわよ。よかったら、真実にも似合う帽子、選んであげてよ」
「は、はい」
「じゃ、私は行くわね。真実、明日の朝、またあの公園に行くからね。もう少しだけ話があるんだ」
「はい、わかりました」
この声は、真実に似合わぬ大きな声であった。千春が有紀子に何を言うのかと心配していただけに、ほっとしたのであろう。
「何か、変だったね、槙村千春」
「え? そうかな。いつもと同じだよ」
いまひとつ納得しきれていない様子の有紀子だが、それはともかくとして、これから野球部では、引退する3年生たちへの追い出し会が行われる。その席に達也も参加するのかどうかは聞き漏らしたが、ともあれ達也は正式に野球部を辞めるのだ。
有紀子の話によれば、これからはバスケット部に専念し、直近の大会である冬の全国大会、通称ウインターカップを目標に頑張ることにしているという。もともと、達也と栄作の実力は中学時代から全国トップクラスの折り紙付きなのである。その2人が上をめざし、真剣になって取り組めば、きっと全国大会への道は開けるに違いないと、そう思う真実であった。
※
秋もふかまりゆく11月。女子バスケット部では、ついにと言おうか、ようやくと形容するべきか。とうとう真実がレギュラーポジションを獲得するに至っていた。これは、有紀子がキャプテンとなったので融通が利くから、ということではなく、真実が、部員の誰もが納得できるだけの実力を身につけたからだった。その裏付けとして、あの、県大会準々決勝での1ゴールが大きな自信となっていたし、達也や栄作がことあるごとに真実にアドバイスを繰り返し、めきめきと上達していったことがあげられる。
もちろん、達也たちのアドバイスは、真実のかたわらで『真実にばっかりズルイ』とふくれっつらをする有紀子にも行われ、彼女もまた、1段階のステップアップを果たしていたのである。
男子も女子も、今度の大会は全国大会出場が果たせるのではないかと、誰もが期待していた。
そんな頃であった。
例年、星城高校では2年生の修学旅行があるのだ。海外旅行などをする学校も多いと聞くが、星城では国内旅行が伝統とされていた。その候補地は、北海道、東京など関東近郊、京都や奈良などの関西、九州、そして沖縄の5つの候補地から、2年生全員の希望投票によって決定されることになっていたのである。その投票の結果、今年の目的地は関西と決まっていた。
5泊6日、自由時間の多いゆったりとした日程である。その旅行を前に、真実は、千春から、この機会に達也とうんと親しくなって来いと、励まされていた。必ず“告白”してくるのだと。できれば真実もそうしたかった。だが、その一番の障壁となったのが、あのお嬢様、倉田麻衣子なのである。
真実の心の中にいまも残る『達也たちには手を出さないでね』という、和美の言葉と、達也の中学時代の恋人である千春の存在。その2つの障壁は、ようやくにして真実の中でクリアされたとはいうものの、最後の壁ともいうべき倉田麻衣子は、なかなかのクセモノであった。
自由行動ともなれば、真実は、達也と栄作に有紀子を加えた、いつものグループで行動する。となれば、告白の機会などいくらでもありそうなものだが、いつもそこに、必ず麻衣子がいるのである。あたかも真実の行動をマークしているかのごとく、ビタリとついて離れない。ことごとく麻衣子に邪魔をされ、満足に達也たちとも遊べない修学旅行。
その4日目。その日は大阪市内での自由行動となっていたのだが、この日もまた、当然のごとく、真実たちのグループのなかに、麻衣子の姿があった。しかも、大阪はよく知っているという麻衣子に何から何まで仕切られ、皆、うんざり気味で、ようやくにして大阪城公園へと着いたところだった。
「よう、麻衣子やないか」
大阪城をバックに記念写真など撮っていたとき、突然、そう声をかけられたのである。それは、数人の男子のグループ。そのなかの1人が近づいてくる。
「なんや、大阪に戻ってきてたんか」
「違うわ。修学旅行で来てるのよ。今日は自由行動だから、大阪を知らないこの人たちを案内しているところなの」
「へぇ、そうかいな」
そこで、その男の視線が真実たちに向けられる。真実たちは、麻衣子の知り合いだろうということで、軽く会釈をした。
「自己紹介しとくわ。オレは黒沼修司。敬愛学院高校のバスケ部や。近くで練習試合があってな、その帰り道なんや」
ちなみに敬愛学院は、麻衣子が星城高校へと転校してくる前の学校である。
「それじゃ、この人たちも紹介しておくわね」
「いや、それには及ばんで。そこのお2人は、よう知ってる。浅香のツインシューターやろ」
達也と栄作のことである。言われた本人たちは、黒沼修司にまったく心当たりがないらしく、きょとんとした顔である。
「ということは、お2人とも同じ高校なんやろ。その2人がおって、全国大会に出てきぃひんのはなんでや」
「あぁ、それはね、この女のせいなのよ」
と、真実へと顔を向ける麻衣子。
「どういうことや?」
「別になんでもないさ。だが、今度のウインターカップは必ず全国に行く。お望みなら、そのときお相手してやるぜ」
と、達也が口を挟む。栄作もまた、すすっと歩を進め、真実の前に出る。
「そういうことだ。でも、どうしてぼくらのことを知ってるんだ?」
と栄作。その問いに、修司は、満足そうにうなづいた。
「そりゃ忘れるかいな。キミらのほうは覚えてへんようやけど、中学時代、1度試合したことあんねんで」
「へぇ、そうなのか」
「ま、そのときは負けてしもうたけど、今度はそうはいかへんで」
「自信ありそうだな」
「まぁな。試合のときを楽しみにしとるで」
「ああ」
「よっしゃ、ほなそういうことで。で、話を変えさせてもろうてと、麻衣子、ちょっとええか」
くるっと、身体の向きを変え、麻衣子へと近づいていく。
「まだ、返事もろてへんことがあったやろ。その話や」
「あ、あれは・・ あなた、まだ覚えてたの」
「あたりまえやろ。惚れた女のことや、忘れてたまるかい」
と、ぐっと腕を掴んで麻衣子を引っ張っていく修司である。その様子を、驚きの顔で見つめているのは、もちろん真実たち4人だ。
「惚れた女だってさ」
と、ぽつりとつぶやくような、達也の声。これは、4人の誰もが思ったことに違いない。ややあって、その麻衣子から、別行動をとるからここで別れるとの申し出が。そして、麻衣子は敬愛バスケ部のグループと一緒に、さっさとどこかへ行ってしまうのである。
さて、困ったのは残された真実たちである。誰からともなく、これからどうしようかと顔を見合わせる。
「ここがどこかもよくわからないんだよねぇ」
と、大阪城を見上げながらの有紀子の言葉。あれが大阪城、ここが大阪城公園。そんなことは、もちろんわかっているのである。だが、それが大阪市内の、どのあたりになるのか。そんな地理的なことがよくわからなかったのである。それも、麻衣子に強引にあちこち引っ張りまわされていたためであり、正直な気持ちであろうか。
「とにかく駅に戻ろうぜ。あそこが駅だろ」
「そうだな。そこから、いったん天王寺に戻ろう。それでまだ時間があるようだったら、その近くでどこかにいこうぜ」
すべて麻衣子のガイドによって、いろんなところを経由してここにいるのである。大阪城公園から、宿泊しているホテルのある天王寺までどれくらい時間がかかるのか、まったく検討がつかないのであった。すでに時間は午後4時をまわっている。集合時間の6時にはホテルに戻らねばならないのだから、ともかく一度、ホテルのある場所へ戻っておいたほうがいいとの判断であった。
「しかし、驚いたね。大阪に麻衣子の恋人がいたとは」
「ほんとだな。しかしあの男の関西弁、大阪弁っていうのかな。オレ、聞いてて思ったんだけどさ」
「なにを?」
「いや、倉田も関西弁しゃべるのかなって」
達也と栄作の会話。わずかの時間をおき、4人ともが笑い出していた。彼らの知る倉田麻衣子のイメージに、どうにもあの関西弁が合わなかったからである。
さて、それからおよそ30分後。天王寺へと戻ってきた真実たちは、そこで時間をもてあますことになった。まさか、大阪城公園から天王寺までそんな時間で戻ってこれるとは思っていなかったからだが、結局出歩くことはやめにして、近くの喫茶店に入っておしゃべりを楽しもうということになったのである。
そして6時が近づくと店を出てホテルへと戻る。麻衣子がちゃんと戻ってくるのかが心配であったが、その麻衣子はすでにホテルに戻っていた。敬愛の黒沼といったい何を話していたのか、そのとき以来、麻衣子は、ずっとなにか考え事をしている様子であった。
そして修学旅行5日目。その日はあいにくと自由行動はなく、あらかじめ決められた京都の観光コースを巡る旅となっていた。その間も、麻衣子はほとんどしゃべらず、じっと何かを考えているのだった。
最終日は、午前中は京都の名所周り。そして午後からは京都駅より上りの新幹線に乗って一気に帰るのである。
その車中でのこと。
麻衣子が、強引に有紀子を席から引き剥がすようにして、真実のとなりに座った。当然、有紀子は怒ったのだが、麻衣子の一言が、その動きをピタリと止めたのである。
「私、転校することにしたから」
「て、転校!?」
真実も有紀子も、声を合わせてそう言わずにはいられなかった。それほどに、驚いていた。
「そうよ、敬愛に戻ることにしたの」
「で、でもどうして」
「その理由をあなたがたに話す必要が、どこにあるのかしら。ま、それはともかくとして、達也のことも、もういいわ、西崎さん。もうあなたの好きにしてくれてかまわない。それだけ言いにきたの」
「え?」
そう言われても、とまどうことしかできない真実である。まだ、麻衣子が転校するということが、頭の中に強く印象付けられていた。
「どうしたの? もっと喜んだらいいじゃない。恋敵がいなくなるのよ」
「そんな、倉田さん」
「ほんとのこと言うとね、もっと好きな人ができたのよ」
「まさか、あの黒沼とかいう人?」
これは有紀子である。それは、大阪城公園で会った、敬愛学院の男子高校生のことだ。
「そうよ。桜井さん、よく覚えていたわね」
「それより、本気なの? 転校するにしても、敬愛に簡単に戻れるものなの?」
「それは大丈夫よ。だって、あの学校の理事長は、修司のお父さんなんだから」
「へぇー」
びったりと声のあった2人。真実と有紀子の、ふたたびの二重奏である。
「とにかくそういうわけだから。いろいろと騒がせて悪かったわね」
「倉田さん」
「西崎さん、私ね、いまだから言うけど、あなたのような人、けっこう好きなタイプなのよね。もっといろいろ話をしていればよかったと、今、ちょっぴり後悔してるところ。達也のことがなければ、いい友だちになれたかもしれないなぁってね。今度会ったら、ゆっくりと話をしましょう。それじゃ」
すっと立ち上がると、自分の席に戻って行く。その麻衣子に声をかけることが出来ず、ただ見送る真実と有紀子であった。麻衣子は、それきり、星城高校に登校することはなかったのである。こうして真実や達也の前から姿を消した、麻衣子。
転校までして達也のそばへと来たのだ。麻衣子が、達也を好きだったのは明らか。なのに、麻衣子はどうやって自分の気持ちに整理をつけ、大阪に戻る決心をしたのだろうか。麻衣子にも言われたことだが、一度、麻衣子とゆっくり話す機会が欲しいと、そう思う真実だった。
「驚いたわね」
「うん」
真実たちの修学旅行は、最後のこんな出来事を経て、とにもかくにも終わったのである。いろいろとあったのか、なかったのか。それはともかく、思い出は多かった旅であった。ちなみに、千春に励まされ、真実自身もそうしたいと願っていた達也への愛の告白は、結局できずじまいであった。
修学旅行が終わればウインターカップに向けての練習が本格化する。4人はそれぞれ、練習にあけくれる日々が続くのである。
そんな合間の日曜日。その日真実は、いつものサクラ公園のお気に入りの場所でベンチに座り、サクラを木を見ていた。その木に花が咲くのは、まだ半年ちかくも先である。
「待ち遠しいな。早く咲くといいのに」
そうつぶやきながら、スケッチブックを手にとる。そのスケッチブックの中はまだ新しく、すべてのページが白紙である。真実にとって、これが何冊目のスケッチブックとなるのかは、自分でもよくわからないほどだ。それほど頻繁に絵を描いてきた真実なのに、この新しい青い表紙のスケッチブックの、その最初のページが、なかなか埋まらないのである。絵が描けない。こんなことは、真実にとって初めての経験であった。
“なら、わたしを描いてみないかい”
「え?」
そんな声が聞こえたような気がした。
「でも、花が咲いてないじゃない」
“花びらがなければサクラじゃないというのかね”
「そうじゃない。でも、そのほうが・・」
“描きやすいというのかい?”
「というより、見栄えがするでしょ」
“おやおや、キミがそんなことを言うなんて”
だって、そうでしょう・・ と、そう言いそうになったところで、ふと、思いついたことがあった。“見栄えがする”とは、どういうことだ。よく見せようということか。目をひきやすいということか。そして、人に見せようというのか。いままで、そんなことを気にして絵を描いていただろうか。
真実にとっての絵は、そのときどきの自分の気持ちの表現であったはず。嬉しいとき、悲しいとき、辛いとき、落ち着かないとき、泣きたいとき、不安なとき・・ そんな気持ちを込めて絵を描いてきたはずで、それだからこそ、何冊もたまっていくそのスケッチブックを他人に見せるのは控えてきたのだ。
なのに、美術部に入り、その作品展にと絵を描いた。それは単に星城高校だけの作品展ではなかったようで、思いがけずに大きな賞をもらったりした。それが話題となり、かなりの人がその絵を見たに違いない。
表彰などされたものだから、美術部員たちの、次の絵にかかる期待もますます大きく膨らんでいる。決められた日までに、その期待に応えられるだけの絵を描かなければいけない。知らないうちに、それがプレッシャーとなっていたようだ。
「そうか、そうなんだよね」
人に見せるためじゃない、いい評価をもらうためじゃない、自分のための、自分が描きたい絵・・ これまで真実は、そんな絵を描いてきたのだ。ならば、これからもそうすればいい。そのとき思いついたのは、槙村千春であった。あと半年もすれば、春になる。この道にサクラの花が咲き始める頃、千春は卒業していくのである。彼女の絵を、卒業のときに彼女に贈る絵を描こう。
千春とは、思えば不思議な関係であった。達也という存在を挟んでのめぐり合い。決して口に出しては言わないのだが、間違いなく達也のことを、きっと今でも好きな人。その千春が、何を思って自分のところへ近づいてきたのかは、今もってよくはわからないのだが、ずいぶんと世話になったのは確かである。いろいろ相談にも乗ってもらった。
彼女とは2学期を迎えたばかりの頃に何度か話をして以来、会う機会がぐっと減ってはいるものの、有紀子とはまた違った形の、良き友人。それに、卒業したら、もう会うこともなくなるかもしれない。
そう思うと、ことさらに千春の絵が描きたくなったのだ。その千春のバックには、このサクラ公園こそがふさわしい。この並木道で、初めて会ったあの日を、あの日の千春を。
「それでもやっぱり、サクラの花びらは必要だわ。ね、千春さん」
風に舞う、サクラ吹雪。その中を歩いてくる少女。現実には花びらなどはないし、千春もいないのだが、描けると思った。しっかりとイメージが固まった真実は、まだ新しいそのスケッチブックの最初のページに、ようやくにして、絵を描きはじめたのである。
※
冬休みを前に行われた、全国大会予選。その予選では、かつての実力を思う存分に発揮する達也と栄作の名コンビ復活とでもいうのか、その活躍もあって楽々突破した。女子部のほうは、その準決勝にまでコマを進めたものの、試合経験のなさがうらめに出た真実のミスの影響もあり、惜敗した。
結果、男子部だけの全国大会出場となったのであるが、もちろん真実たちは、男子部を応援に全国大会の会場に行ったのである。
だが、真実がひそかに期待していた麻衣子との再会は、敬愛学院が全国大会に出場できなかったようで、実現しなかった。そのことがちょっぴり残念な真実であった。
ちなみに試合のほうは、全国的に名の知れたバスケットの名門校を相手に大激戦を演じたすえの、ベスト8敗退となった。それでも、達也と栄作は満足していた。まだ来年があるのだ、今はこれでいいと気持ちを納得させていた。
季節はめぐり、春がくる。いよいよ3年生である。
あのサクラ公園では、今まさにサクラが満開。その中をゆっくりと歩いていく真実。いつか、頭の中で思い描いた、風に舞うサクラの花びら。その中を、真実の前方からゆっくりとこちらへ向け、歩いてくる人影ある。遠くて誰だかわからないが、同じ星城高校の女生徒のようだった。その姿が、卒業式の日に千春に贈った絵とダブる。まさに、あのイメージそのままである。
その絵を千春に贈ったとき、彼女はとても喜んでくれた。そのことが思い出された。まさかその人影が、東京の大学へと進学が決まり、いまはその大学近くに部屋を借りて一人暮らしをしているはずの千春ではないのだろうけれど。
歩くたび、その人影が近づいてくる。よくみればそれは、有紀子であった。
「おっす。とうとう3年生だね」
「有紀子、どうしたのよ、こんなところに」
「へへ、ちょっとアンタに話があってさ」
2人は並んで、このサクラの散歩道を歩く。有紀子は、引き返すという形だ。
「ねぇ真実。こうやってさ、男の子と一緒にこの道を歩きたいって思わない?」
「え? なによ急に」
「もう1年しかないんだよ。高校生活最後の1年なんだよ」
「そんなこと、わかってるよ」
「だったらさ、ちゃんと告白しようよ。もう2年もたったんだよ」
「・・」
「ね、ちゃんと告白しようよ。真実は達也くんに、私は栄作くんに。いままでみたいな仲の良い友達じゃなくて、ちゃんとした恋人になろうよ」
「有紀子・・」
「いやなの?」
その返事のかわりに、ゆっくりとクビを振る真実。そして。
「まえにも、こんなことあったよね」
「え?」
そう。あれは、まだ1年生になったばかりの頃のこと。たしか夏休みを前にした7月ではなかったか。達也に告白しろ、しないでもめ、しばらくは口も聞かなくなった時期があった。それと同じ展開である。ただ、違うのは少しは真実や有紀子も成長したところであろうか。
「いやだからね、また有紀子と話もできなくなるのは」
「ごめん。でもそれとは別の話だよ」
「うん、わかってる。私だって、このまま卒業なんてイヤだもん。でももう少し待ってよ。まだ思い切れなくてさ。それに私のことは気にせず、有紀子だけでも進藤くんに告白すればいいじゃない」
「いや、真実がしないんなら私もしない。どっちかだけが恋人になっちゃったら、4人の仲がおかしくならないとも限らないしさ」
「へぇ、栄作くんとはうまくいくって信じてるんだね」
「そりゃそうよ。この有紀子さまを振るような男なんていないって」
「ふふ、そりゃそうだね」
「じゃあ、あと少しだけだからね」
「うん」
と、この場はおだやかに話はまとまったかに見えた。ちょうどサクラの散歩道も終わり、その話は、そこまでである。そしてしばらくは、これまで同様の日々が続くのである。
形式上、ちゃんとした“恋人”ではないものの、真実や達也、有紀子に栄作は、いつも一緒にいた。あちこち遊びにも出かけ、様々な思い出を積み重ねていたのである。その意味でいけば、恋人同士と、さほどの差はなかったのかもしれない。だからこそ、有紀子も待つことができたのであろう。
そして春が過ぎ、梅雨も終わり、夏本番。
今度こそはと、全国大会に出かける達也たち男子バスケット部。そして念願かなっての初出場を果たした女子バスケット部。いまや、真実の上達ぶりは目覚しく、チームでの存在感は有紀子以上と言われるまでになっていた。その大会で、男子は準優勝、女子も3勝をあげるなど、輝かしい成績を残して、秋の訪れ。
ある日、有紀子のもとに、充分に彼女の心をゆさぶるだけの噂が届いた。なんと、栄作が美女と2人、街を歩いていたというのである。『単なる噂でしょう』と一笑にふしたものの、だが、有紀子は不安であった。しかも、その2日後の日曜日、有紀子自身が噂そのままのシーンを目撃するに至っては、もう黙ってはいられなかった。この噂の真相は、後日、この女性が栄作の妹であったというオチがつくのだが、今の有紀子は、そんなことは知らない。じりじりとする思いを抱えたまま日曜日を過ごし、翌日の月曜日。有紀子は、真実にかみついたのである。
「真実、早く達也くんに告白してよ」
「え、で、でも。どうしたの、急に」
「もう待てない。早くしないと手遅れになっちゃうんだってば」
「けど、いまはできないよ。クリスマスイブの日とかにさ・・」
「もう、私はずいぶんと待った。もういい頃だと思う」
「だ、だからクリスマスのときに・・」
もちろん真実も、このままの状態で卒業などはしたくないのである。だが、真実の性格的なものかもしれないが、何か、後ろから背中をおしてくれるような、そんなきっかけのようなものが欲しかった。あと1カ月ほどに迫ったクリスマスイブは、それにふわさしい日だと、真実自身は思っていたのである。それがムリなら、次はバレンタインデーになるのだろうか。
だが、有紀子はあせっていた。栄作に恋人が出来たのではないかという噂。もちろん本人に確かめてはいないのだが、それらしき女性と歩く栄作を目撃もしている。このままでは、栄作は、あの女の子にとられてしまう。そのあげくに達也と真実が付き合うようになれば、自分は1人でどうしろというのか。
やはり、なんとしても、いますぐ、真実に達也に告白させなければならない。そして、自分も栄作に告白するのだ。あの女の子に取られないうちに。
次の瞬間、有紀子のなかに、ある考えが浮かんだ。あの女の子の存在が、ここまで自分に告白を迫っていることに気づいたのだ。ならば、真実にも同じ思いをさせればいい。そうすれば、すぐにも達也に告白するだろう。それが、最も効果的な方法だと、そう思ったのだ。
「どうしても、真実が告白しないって言うんなら、私がするからね。私が達也くんに告白するよ。そして、達也くんとっちゃうから。それでもいいのね?」
そう言うまで、有紀子はそれが一番いい方法だと思っていた。だが言ってしまった瞬間に、その言葉の本当の意味に気づいたのである。自分が達也に告白するって? 一体何を言っているのだろう?? それがベストな方法? まさか??
うしろめたいような気分に包まれ、いわなければ良かったと後悔してみても、一度真実の耳に届いてしまった言葉に取消しはきかない。真実をみる。実際は、引きつっていただけなのかもしれないが、真実が薄笑いを浮かべたように見えた。
「何をバカなこと言ってるのよ。うそだよ。有紀子にそんなことができるはずがないじゃない」
その言葉に、有紀子はカチンときた。この有紀子さまにできないことはない。常日頃、よく真実にも言っていた言葉である。その私にできないですって! 達也くんに告白できないのは、アンタのほうじゃないの!! 後悔の裏返しなのだろうか、照れ隠しに怒ってみせるといったような、そんなところだったのかもしれないが、有紀子は、叫ぶようにしてこう言った。
「できるわよ。そんなの簡単でしょ。この有紀子さまにできないことなんてないんだから」
「だったらすればいいじゃない。できるものならね」
冷たい感じでそう返事を返しながらも、真実は、内心ではドキドキしていた。達也に告白するぞと言った有紀子だが、彼女は栄作のことが好きなのだから、まさかそんなことをするはずがないと、たかをくくっていたのである。だが実際には、真実のその言葉は、さらに有紀子の感情を逆なでし、拍車をかけてさえいたのである。
「よ、ようし。その言葉に後悔しないでよ」
「あ、有紀子!」
そのまま駆け出していく有紀子を、真実は驚いて追いかける。まさか、まさか本当に告白なんてしないよね、達也くんだってOKなんてしないよねと、これまであれこれとバスケットの指導をしてくれた達也のことを、その顔を思い出しながら、有紀子を追いかける。バスケットの腕は有紀子に追いついたと思うのだが、残念ながら、足の速さはかなわなかった。すでにその姿を見失った有紀子を探し、真実は、校内を駆け回った。
そして、ようやく有紀子をみつけたとき。その瞬間、真実の足は凍りついたように、ピタリと止まっていた。
その真実の視線の先では、有紀子がしっかりと握手をしている。その相手は、あろうことか、はにかむような笑みを浮かべた工藤達也、その人であった。その瞬間、すべての音が消え、空気の流れすら止まった。いったい、あの握手は何? 達也の笑いの意味は?
1秒、2秒、3秒・・ ようやく動き出したその足は、有紀子たちとは逆の方向に走りだしていた。途中、栄作とすれ違うものの、それに気づかず走り去る真実。
どうしたのだろうと、いぶかしげに真実を見送った栄作が歩いていると、今度は達也と有紀子に出会った。
「あ、栄作。ちょうどいいところに」
「なんだ、どうした?」
頭をかきながら、栄作の前に立つ達也である。その後ろから、これもうつむきかげんに歩いてくる有紀子。
「実はさ、いいにくいというかなんというか・・」
「なんだよ、はっきり言えよ」
「俺ら、付き合うことになった」
「な、なにぃ」
驚いた栄作が、有紀子に視線を向ける。
「そういうことなの。栄作くん、ごめんね」
「お、おい。ごめんとはどういうことだ」
「だって、私たち2人が恋人同士になっちゃったら・・」
「そんな心配は無用だ。けど、達也おまえは・・」
おまえは、西崎のことが好きだったはずじゃ・・ そう言おうとして思い出したのは、走り去る真実の姿だった。そうか、西崎はこのことを、おそらくは告白の現場を見たんじゃないのか。
「いつからだ」
「は?」
「いつから、そんなことになったのかって聞いてるんだ」
「あ、ああ。ついさっき桜井に告白されてさ。俺もOKした」
「ねぇ、恋人同士になったんだから、有紀子って呼んでくれる約束でしょ」
「え?」
そんな約束をした覚えはないと、そう言おうとした達也であったが、恋人ということであれば、それもいいかもしれないと思った。それに、よく考えてみれば、女の子を名前で呼ぶのは恋人だけ、というポリシーを持つのもいいのかもしれない。
「おい達也、このことを西崎は知ってるのか?」
その達也は、返事の変わりに、有紀子を見た。有紀子は大きくうなづく。
「もちろんよ。さっき達也くんにも言ったんだけど、真実が告白してみろってすすめてくれたんだから。だから私も、告白することができたの」
ニュアンスはちょっと違うのだが、告白できるならしてみたらいいと真実が言ったのは、たしかに事実であった。おそらく達也にしても、真実がそう言ったことを聞き、ならばと有紀子の申し出にOKしたという面は否定できないのではあるまいか。
「まさか、そんなことがあるはずが」
「でも、ほんとだよ」
「そ、そうか。なら、俺が何も言うことはない。仲良くやれよ。ただし、」
と、語尾を強め、そこで一旦言葉を切って、達也の顔をしっかりと見る。
「なんだ」
「俺たちの友情は、変わらねぇんだからな。もちろん、西崎も含めて」
「あたりまえだろ」
それは、達也にとっては針の先ほどの偽りのない、本心であった。もちろん有紀子も大きくうなづいたのだが、正直有紀子は、ちゃんと真実の顔がみれるのかどうか不安であった。この展開は予想の範囲を超えていた。いや、予想すらする間もなく、勢いのままに達也に告白していたし、まさか達也がOKしてくれるとは考えてもいなかったにちがいない。達也は真実が好きなのだから、ちゃんと断ってくれるはず、という思いもどこかにあったのではあるまいか。
今ならまだ間に合う、正直に言えばいい・・ いまここで栄作の顔をみた瞬間から、有紀子はそう思っていたのである。真実に合わせて告白こそしなかったものの、栄作を好きなのだと感じはじめてから、もう1年以上は経っているだろうか。私はあなたが好きなの、本当はあなたに告白するはずだったの・・ そう叫びたい気持ちが、心の中でふつふつとわきあがってくるのを感じつつも、このとき有紀子は、何も言えなかった。ただうつむいて、達也と栄作の話を聞いているだけだったのだ。自己嫌悪といった言葉が、頭に浮かんだ。
そして翌日。
有紀子は、真実と顔をあわせづらくて、ずっと教室の中ですごしていた。いつもなら、真実のクラスに出かけていって真実と話をするのに、である。すでにバスケット部は引退していたから、部活で真実と顔をあわせることもない。内気な真実が、自分からこの教室に来るはずはないのだから、これからずーっと会わずにすませることだって出来る。
だが、そんなことでいいのか。有紀子は迷っていた。いったい、これが桜井有紀子なのだろうか。いつもの自分なのだろうか。桜井有紀子という人間は、こんな女の子だったろうか。放課後まであれこれと思い悩み、とにかく真実と話をしようと、有紀子は真実のクラスへと出向いたのである。
「ね、ねえ、真実いる? それとも、もう帰っちゃった?」
ちょうど、和美が教室を出てきたところだった。
「真実なら、美術室に行ったけど」
「美術室? なんでまたそんなところへ」
「なんでって、彼女、美術部じゃない。まさか、有紀子ちゃんがそのことを知らなかったとはねぇ」
「あ、そうじゃなくてさ。まだ美術部引退してなかったんだね」
「そうみたい。あとは、卒業記念の作品を仕上げるだけらしいんけどね」
「ふーん」
「じゃ、そういうことで」
「あ、どうもありがと。さよならっ」
和美を見送ると、腕組みする有紀子である。さて、どうするか。
「よし。ともかく美術室に行ってみるか」
ということで、美術室へと向かう有紀子であったが、美術室に近づくにつれ、足が重くなってくるのは、どうしようもなかった。
「よう、桜井。どうした?」
ふいの声に、横を向くと、そこに栄作がいた。その男子生徒にこそ、名前で呼び捨てにされたいと願っていた有紀子であったが、まさか、そう呼んでくれと言うわけにもいかないのだった。
「ちょっとね、美術室に」
「西崎か」
「うん。たぶん、そこで絵を描いてると思うんだ」
「よし、オレも行くよ。その絵、見られるものなら見てみたいし」
どうしようか・・ 一応は並んで歩き始めたものの、栄作が一緒では真実と話しをしづらい。いや、むしろ、栄作が一緒のこの機会に、全部正直に話してしまえば・・
そんなことを考えているうちに、美術室へとやってくる。そのとき、ちょうど、その入り口が開いたのである。
なかから出てきたのは女生徒が2人。たぶん、美術部の下級生なのであろう。その2人は有紀子たちが教室の中に入ろうとしていると思ったのか、そのドアを半開きにしたまま、行ってしまったのである。
そのあいた入り口から、そっと中をのぞき込む有紀子。
「どうした、桜井。中に入ればいいだろ?」
「あ、うん。でも、真実、いないみたいだから」
あわてて、入り口を閉める有紀子。だが、そのとき美術室の中に真実はいたのである。有紀子は、その真実に声をかけることができなかった。そばに行くことができなかった。一生懸命に絵を描いているその姿を見、その絵を見て、声をかけてはいけないような気にさせられたのである。
「そうか。じゃあ、いつものところでスケッチしてるんじゃないのか」
「う、うん。そうだね、これから行ってみるよ」
「ああ。じゃあ、オレは帰るわ」
「うん。付き合ってくれてどうもありがと」
「どういたしまして。おやすい御用だよ」
といって、帰っていく栄作を見送り、有紀子もまた、美術室を後にしたのである。