桜蘂降 -サクラシベフル-   作:如月ミナト

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 こちらのパートには本編ではまだあかせないネタバレ要素が含まれます。閲覧にはご注意願います。ネタバレ等気にしない方のみ、本文へとお進みください。


























20××年春◆more.1《長門家一室》

 

 

 突如として鳴り響いたインターホンの音は、予期せぬ来訪者の存在を告げるものであった。部屋の主である長門有希が応対の後、招き入れた人物は開口一番にこう言った。

「あなたの主に会わせてください」

 

 ◇

 

 長門有希が県立北高へと入学するまでの待機期間としてこの部屋に配属された後、来訪者を告げる音が鳴らされるまでは七十二秒のラグがあった。明らかにこの時を狙ってきただろう彼女の顔に浮かぶは、焦燥の一色であった。

「ついいまし方、あなたの元から一体のヒューマノイドインターフェースが宇宙空間へと放出されたかと思います」

 殺風景な室内にちょこんと置かれたこたつに向き合うようにする形で、取り次ぐよう依頼された長門の主たる情報統合思念体と依頼者たる朝比奈みくる(大)は座っていた。部屋主である長門有希が三人分のお茶を用意し、各々の正面へとそれを配る。キッチンの側に近い、開いた面に長門は腰を下ろす。彼女の着席を待って出た朝比奈みくる(大)の言葉に、お下げ髪の少女は小さく頷いた。

「そうだね。あの情報爆発の弊害だ。いままでも幾度となく同じ被害を被ったが、どこに配置しようと結果は同じだったね。まるで当人の側が、思念体外への放出を望んでいるかのようだったよ」

 少女は長門の淹れた茶を啜った。「うわ、渋っ」とその味に顔を顰めたが、次なる語は大して表情変わることなく続けられた。

「ただし、本来ならばそこまで危惧すべき事柄ではなかったね。現状、問題があるとすればふたつかな。いまし方、放出されたはずのインターフェースと同じ情報を持った存在が、太陽系第三惑星時間で十五年近く前にも一度確認されていること。そして今回、キミたちにとっても甚大な被害をもたらす結果となった――と言うのが正確な表現なのかどうかは定かではないけれど――この情報爆発を引き起こした涼宮ハルヒと非常に似通った性質を持つ有機生命体が、ひとり存在すること。これは過去のシークエンスを辿っても例が無い事象だね」

「全ては私の責任です」

 顔付き堅く、朝比奈みくる(大)はそう述べる。

「情報統合思念体内部から放出された対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースのプロトタイプは、長い年月をかけ宇宙空間を漂った末に、私達が暮らす時代の地球にて確認されることとなります。私達は時空間を移動することが出来るとは言え、所詮は『同一時間軸上』の遡行に過ぎません。他のシークエンスでの事情をはかることは不可能です。私が過去に経験した終わらない夏休みでも、長門さんがいなければ未来との通信不可に途方に暮れるのみで問題の本質を窺い知ることができなかっただろうことは想像するに難くはありません。ですからいまのあなたの発言を借り、そして鑑みるに、本来ならば放出されたプロトタイプが地球上へと辿り着いたところで、本流に対し何ら異常はきたさなかったと見ていいのだと思います」

「ま、『アレ』は凍結してあったからね。正確には行動能力の停止措置なんだけど、何か影響を及ぼすことがあるとすればまず『解凍』するところから始めなければならない。ただし凍結しているとは言え、あたしらの施す解凍の方法と、キミら有機生命体が施す解凍方法には、何か絶対的な差があるんだろう。でなければ、朝比奈みくる、キミがいた時代に対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースが解凍されるはずがないからね」

「……それは、見たことも無い花の姿をしていました」

 少女の見開かれた瞳が、朝比奈みくる(大)の存在の全てを捉えた。万物をあまねく見透かしてしまうかのような視線に対し、彼女は俯き加減で目を瞑る。彼女が抱く後ろめたさが、隅々まで凝視されることに耐え切れなかったのだ。

 それが所詮はひと時の現実逃避に過ぎない行為とは言え、すべからく懺悔を済ませるためには心の平穏は必要不可欠である。

「あれは、入院した友達のお見舞いに行く時でした。途中で花を買って、とある公園を歩いてたんです。そこを抜けた方が、近道になることを知っていたので。あの花を見かけたのは、その時です」

 自戒の念に駆られるからこそ、そこに過去を懐かしむ余裕らしきものはない。

「出会いまでが例え短き人生だったとしても、あれほどまでに魅力的な花を見たのは初めてでした。綺麗とか可愛らしいとか、そう端的には言い表せないのですが、これは私だけが独占していいものではないと瞬間的に感じたことはいまでも強く覚えています。だから私はその花を摘んで、手持ちの花と一緒にその子にプレゼントしようって、そう思ったんです」

「だが、それは叶わなかったと」

 ええ、と朝比奈みくる(大)は頷いた。

「摘んだ瞬間は、確かに茎の感触はあったんです。でもすぐに、その感触も摘んだはずの花自体も右手からは消えていました。狐につままれたような顔、って、あの時の私みたいなのを言うんだろうなっていまは思います」

「それがあたしの元から放出されたヒューマノイドインターフェースのプロトタイプだと言う裏付けは?」

「確定的な情報と言うのは、ありません。私達、有機生命体にはあなた方のような同期機能も、情報共有機能もありません。だけどあの時、魅力的な花を見た後、私の背後から去っていくひとりの人がいました。人気のない公園に突如湧いたかのような人影に当時の私は酷く驚いたのですが、その時の後ろ姿が、この時代に配属される過去の私が今後見ることになる折笠めぐるさんの後ろ姿と瓜二つだったんです」

「折笠めぐる、ね」

 噛み締めるように幼子は言う。

「なるほど、大体の経緯はわかったよ。『アレ』はプロトタイプがゆえに、あたし自身創る時にいろいろと権限を与えすぎた部分があってね。あたしには劣るけど昨今の主流としたヒューマノイドインターフェースよか強大な能力を有してる。だからキミの行為が『アレ』が解凍する原因だったと言われても何らおかしなところはないよ。そして『アレ』が十五年も前に表れることが出来たのは、キミが花を摘み取った時にキミの中からTPDDの理論をそっくりそのまま写し取ったと言うことだろうね。基本的に、あたしらは肉体そのものの転移を重要視はしていないから、キミたちが持つ転移システムは採用していない。だが『アレ』の場合は、それでは問題が生じると言うわけだ。『彼女の姉』と言う涼宮ハルヒに匹敵し得る存在を、彼女に対抗するための勢力として祭り上げるためには、『アレ』自身が現在より過去の世界に飛ばないことには始まらないのだからね。有機生命体には不可能な時空間のうねりの解析も、『アレ』のレベルなら苦にすることはないだろうさ」

 一度は不味の烙印を押したはずの緑茶を、少女は口に含んだ。用意した長門はその姿に対し何を言うでもなく無表情で幼子の顔を視線で捉える。彼女らの称する有機生命体的見地からすればいまの長門有希の顔は畏怖の対象にすらなり得るのだが、情報統合思念体はその限りではないようだ。

「あたしは緑茶についての成分的評価を端的に言い表したのであって、ユキの淹れたお茶にイチャモンをつけたわけではないよ。むしろこれが相対的な緑茶の旨さだとするならば好んで嗜みたいくらいだね」

 朝比奈みくる(大)も彼女に倣い、少し温くなった湯呑みの手を伸ばした。仮に幼子が緑茶初体験であったとしても、苦味の程についての反応は些かオーバーリアクションだと言えた。

「これ……」

 同じくして、朝比奈みくる(大)は思う。舌の上で転がした緑茶の味が、遠い昔、ひとりの少女に連れ込まれた部屋の中で毎日のように淹れ続けたそれに通じるところがあると。

 味蕾の記憶が呼び覚ます、過日を想う懐旧の情。そしてそこから派生した後悔の念は、自分の責を痛感し業をひとりで背負わんとする彼女の顔を僅かに歪めた。それを見た幼子は静かに口を開いた。

「当時のキミは、そこまでの大事を知る権限を持ち合わせてはいなかったはずだ。むしろ組織に与しない一般人からしてみれば、時空間を司る神的存在が涼宮ハルヒであろうと『彼女の姉』であろうと私生活には何ら影響を及ぼすことはないのだと推測するよ。『事』が起きた時、キミがいたのは『一般人』の側だった。何もそこまで気負う必要はないだろう」

 歪めた顔から、涙が零れた。境遇と環境と感情、それらが彼女の胸中でうねり、答えは言葉に出来ない無垢の滴となって表れた格好だ。

「無責任な発言であることは百も承知だよ。だがいまのキミがいくら負い目を感じたところで、キミ自身に出来ることは少ない。キミを、いやキミだけじゃなくあたしも、ユキも、他の存在全てを忌々しいセカイ様が配置したプログラムのひとつだと定義すれば、ふたりの『神』が存在し得る当シークエンスにおいて、キミの役割はもう終わったと言っても過言では無いのだからね」

「そう、ですか」

 朝比奈みくる(大)は目を閉じたまま天井を仰ぐ。

「私はもう、用済みなんですね」

「言葉を悪くすればそうなるけれど、キミに落ち度は無い。被害者然としていればいい。後は、若いキミが頑張ってくれるんじゃないかな」

「私は。あなたにこの問題に対する最適な解決法を訊ねるために、壁の間際までやって来たんです。責任の所在は全て、私にあるのだからと、そう思い、今日まで過ごしてきたんです」

 何だか馬鹿みたいですね、と彼女は言った。

「あなたの仰る通りなら、この諸問題はあるべきセカイの姿を変えてしまった私が元凶です。そんな私が、何も出来ないなんて。出来ることはもう何も無いなんて。情けなくって、馬鹿みたいで」

 ごめんなさい。そう言いながら朝比奈みくる(大)は笑う。瞳に湛えた涙を拭うと、彼女はもう一口だけ昔を懐かしんては立ち上がった。

「私にできることはなにもない、でもその事実を知れただけでもひとつの収穫です。ありがとうございました。突然お邪魔してしまってすみませんでした」

「朝比奈みくる」

 しかし足早に立ち去ろうとする彼女の、その足を止めるのはお下げ髪の少女の声であった。

 それは文字通りの静止である。

「キミの望みはなんだい?」

「……私、の」

「そう、キミの望みだ」

 立ち止まった足は再び、こたつの方へと向けられる。同時に少女の正面へと直る上体と、朝比奈みくる(大)の顔。充血し腫れ上がった双眸には、一度は除き去ったはずのそれがまた溢れ出さんとしていた。

「キミがここに来た理由は、あたしに助言を求めるためだと、さっきキミは言っていたね。その助言を元に、キミが助けたかったのは一体誰だい? 彼女か、彼女の姉か、はたまた、自分か」

 声音は年相応の幼子のものなのに、その芯には冷徹さが見え隠れする。それを正確に感じ取ってしまった彼女は幼い頃の彼女のようにどこか怯えた子猫の如く立ち竦んでしまう。

「表には必ず裏が存在する以上、大団円なんてものはありえない。ハッピーエンドの物語は、相対する敵を倒すからそうなるんだろう? あたしには、その敵に該当するのが現段階ではひとりしかいない。朝比奈みくる、もしキミがあたしの敵になる存在を擁護すると言うのならあたしがキミに出来ることはない。これははっきりと言っておくよ。敵も、味方も、この忌々しいセカイさまのご都合主義でしか無い以上、それ以上のご都合主義を被せることは不可能なんだからさ」

「それは、どう言う」

「キミがもう少し情報をくれる気になったらお話するよ。いまのキミに必要なのは事実を受け入れ、思考し、選択する時間。そうじゃないかな」

 朝比奈みくる(大)は押し黙った。それが正論なために口に出す言葉が無かったのだ。

「先程も説明した通り、此度は始まりのシークエンスだから、いまのあたしに出来るのは観察と演算だけ。だから明確な敵が存在したとしても事を起こさないのならあたし達は何もしない。でもそんな日々がいつまでも続くとは到底思えないから、その時が来るまでキミの答えが聞ければ、あたしはそれでいいよ。願わくは、次に会うときに聞かされるのが宣戦布告でなければ、と思うけれどね」

「――わかりました」

 朝比奈みくる(大)は一礼すると「またいつの日にか」と言い残し部屋を後にした。今度ばかりはその行く先を阻もうとするものは居らず、どこか寂しげに去っていく彼女の背中を長門有希はただ無心で眺めていた。

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