学校に残された奴らの避難誘導のため、校内を駆け巡る俺たち。
そんな中、柳田の姿が突如として消えた。どこへ行ったのかと思った矢先、さっき曲がった廊下の方から俺たちを呼ぶ彼女の声が聞こえた。あまりに深刻そうな声色に、俺たちは急いで元来た道を戻る。
そこには尻餅をつき、戦慄く柳田。そして目の前には、廊下を埋め尽くすほどの謎の黒い霧のようなものが広がっていた。どことなく空を覆う曇り空に似ており、先を見通せないほど色濃くはないものの、肉眼ではっきりと視認できるくらいの靄だ。
その光景を目撃した俺たちは感覚で察した。あれに触れたら他の奴らと同じく無気力状態になってしまうのでは、と。
この学校で事態解決のために動ける人間は既に多くない。俺たちも、生徒会室でサポートしてくれている秋葉と椎菜もいつまで精神が保てるか分からない。つまり、俺たちがダウンすれば蓮ノ空全体がゲームオーバーになる可能性が非常に高いってわけだ。
気力を失ってしまうのではないかという怖気と、ここで倒れたら蓮ノ空に未来はないという焦りが混ざり合い、俺たちは脊髄反射で動き始める。
「ここから離れるぞ! 急げ!」
「セラス! ほらこっちだ!」
「泉!?」
桂城は柳田の手を握って強制的に立ち上がらせると、やや強引に引っ張ってその場から離脱する。
その間にも霧は徐々に廊下を進軍し、俺たちを飲み込まんとする。当然俺たちはそれを避けるため一目散に逃げる。靄の動きはスローペースなものの、ずっと一定の速度とも限らない。それ以前に俺たちは焦りによって思考が乱されているので、ただただ全速力で廊下を駆ける以外に選択肢がなかった。
「お前ら! 速度を落とさず走れ!」
「君は!?」
「やることがある!」
「そんな! まさか囮になるってこと!?」
「んな自己犠牲するかよ! いいから早く行け!」
桂城と柳田を先へ行かせる。
そして俺は廊下の防火戸のスイッチを押す。するとすぐに防火戸が閉まり始めた。ただ閉まるスピードは安全面を考慮してかゆっくりであるため、黒い霧がここを通過するか防火戸によってブロックされるかはまだ分からない。最悪の事態を想定すると黙って見届けるわけには行かないので、俺はすぐその場から離れて桂城と柳田を追いかけた。
防火戸が閉まって霧をブロックできたとしても、果たしてどれだけの時間が稼げるかは分からない。無駄な抵抗かもしれないが、ただ俺たちが解決しなきゃいけないのは今この瞬間の事態だ。
後ろを振り向きつつ走り続ける。防火戸が閉まろうとしてる中で黒い霧が迫る。先に閉まるのか霧が通り抜けてくるのか、あまりの僅差に俺たちに緊張が走った。
そして、重い金属の音がする。
視界には廊下が閉ざされた光景が映る。俺たちと霧は重たい金属の扉によって断絶され、さっきまでの焦燥が消え去ったことで世界が無音に聞こえた。それはつまり、ひと時の安心が訪れたということだ。
桂城と柳田は脱力してその場で腰を下ろす。
本当に扉から霧が抜けて来ないかを念のため確認した後、俺も二人に追いついた。
「はぁ、はぁ……逃げ切ったの?」
「あぁ、今のところはな」
「ひとまず危機は脱したけど、相当侵食されているようだね。私たちの蓮ノ空は……」
「まともに動ける奴らも少ないだろうし、外部から助けを得られるかも分からない。むしろ本当の窮地はここからかもな」
そもそも外に助けを呼べたとして、誰かが蓮ノ空に踏み込んだ時点で他の奴らと同じく気勢を削がれるのでは、と思ってしまう。まさにミイラ取りがミイラになる状況。となると、既に現場にいる俺たちでなんとかするしかないか。それに逃げていても霧の侵食で行動範囲がどんどん狭まっていく。ダウンする未来が見えているのであれば、誰かの助けを待たず早々に動き出す必要があるだろう。
想像以上に早く背水の陣へと追い込まれている。
とりあえず現在の状況を秋葉と椎菜に伝えておこう。向こうでも何か掴んでいるかもしれないし、大変な状況だからこそ情報共有は大切だ。
ビデオ通話で二人に繋ぎ、さっき起きたことを説明した。
『随分と深刻な状況だねぇ。でも相手は未知の自然だから、防火戸が突破されてもおかしくない。早くそこから離れた方がいいかもね』
「とは言ってもどこが安全なのかも分からないけどな。みんなを集めてる講堂だっていつ侵食されてもおかしくないし、それはお前らもだろ?」
『ただ皆さんを一か所に避難させてくださったおかげで、被害状況と生存者の数が明確になりました。英川三年生と美堂三年生はまだ健在なので、彼女たちに介抱をお任せし、こちらはこちらの成すべきことをやるべきでしょう』
英奈と美和子はまだ無事なのか。アイツらがいれば講堂でパニックが起きたとしてもなんとか収まるだろう。極限状態の学校で、全員が自分のできることを最大限に果たそうとしている。俺たちは現場で走り回っているので一番危険なポジションなのだが、他の奴らのサポートを無駄にしないためにもここで足を止めるわけにはいかないな。
ただこれまでサバイバルは何度も経験があるけど、毎度のことながら命がけなのは勘弁してほしいよ。俺はただスクールアイドル病を治療しに来ただけなのにな……。
「そうだな。で? なにか情報は掴めたのか?」
『うん。この学校に渦巻くネガティブエネルギーの根源、それは地下にあるみたい。濃度を測ってみたんだけど地下から湧き出ているみたいなんだ。地上の濃度はこれでも薄い方だよ』
「地下? 蓮ノ空って地下施設でもあるの??」
「そういえば花帆先輩たちが言っていたな。二年前に幽霊の事件があったとき、学校の地下を冒険したと」
もう二年前か、懐かしい話だ。
あのときは過去の不幸な出来事でスクールアイドルを憎んだまま死んだ生徒が幽霊となり、現代のスクールアイドルに不眠の呪いをかけていた。そのせいで花帆たちは夢の中で悲しい啜り泣きを聞かされ、全く寝られない夜を過ごすことになった。
その幽霊が根城にしていたのが蓮ノ空の地下。どうやらかつて礼拝堂として使われていたらしく、事件解決のために俺たちはそこに乗り込んだ。まさか今回もその地下が舞台になるとは思ってもなかったよ。
「まさかそこへ行けってのか? 地上の霧ですら触れたらアウトっぽいのに、濃度が更に濃い地下に行って俺たちは正気を保てるのか?」
『もちろん対策はあるよ。いまから送るけど、当然アレは持ってるよね?』
「送るってなにを――――わっ!? ジュースみたいなのが出てきた!」
「そもそもどうやって実体のあるものをスマホで送っているんだ……?」
「これが秋葉の発明なんだよ。人知を超えた頭脳を持っているくせに、基本は私欲のためにしか使わないからお前らも気をつけろよ」
『あっ、ひどーいっ! 今回はしっかりサポートしてあげてるじゃん!』
「今回『は』って……」
肝心なときにしか役に立たない女。まあスクールアイドル病のこともコイツが教えてくれたので、女の子の命を守るためにもコイツのサポートは俺にとって欠かせない。必要悪って言葉はコイツのためにあるのかもしれない。この物理転送できるスマホも、以前に梢たちとスクールアイドルの裏クラブに潜入した時に活躍してるしな。
そして秋葉から転送されてきた三本のドリンク。透明なペットボトルに緑色の、明らかに薬品を思わせる喉を通すのも抵抗を抱く毒々しい見た目。柳田と桂城も顔を引きつらせていた。
『そんな顔しないでよ! 急ピッチで調合してたから、見た目に拘る余裕はなかったの! 味は問題ない……と思う』
「分かった分かった。それで、コイツを飲めばいいのか?」
『うん。それでネガティブエネルギーにはそこそこ対応できるようになると思うから!』
「そこそこって、本当に信用できるんですか……?」
『セラスちゃん、私は全知全能の神様じゃないんだよ……。短時間で中耐性くらいまで性能を引き上げた私を褒めてほしいくらい……』
『それに信用するのであれば、隣の男にした方がよいでしょう』
「それもそうだね。私たちがこの世で命運を預けても良いと一番に思える人だ」
「この期に及んで精神論の話かよ」
ただ相手が精神を蝕んでくるのであれば、例え迷信に縋っても心の安寧は守った方がいいかもしれない。ただでさえ未知の自然現象と対峙してるんだ。容赦のない災害に人間同士の混乱は自滅を招く。
「本当にこれを飲むの……? THE・薬品みたいな色で喉が拒否してるんだけど……」
「今から死地に乗り込むんだ、ノーガードで攻めるわけにはいかねぇだろ」
「そりゃそうだけど……。はぁ、分かった飲めばいんだよね飲めば」
「食道に流し込むのに勇気がいるのは確かだね。それでは、いただくよ」
同時にペットボトルに恐る恐る口をつけ、緑の液体を流し込む。
味は問題ないという話だったが、薬系の妙な苦みを感じ、舌もややピリつく。ただ吐き出すほど不味くはないので、緊張はしながらもなんとか飲み干した。薬品を直接注入しているみたいで、正直身体を守ってくれるというよりも害があるのではと疑いそうだ。
「うげぇ……。味は問題なくないじゃないですかぁ……」
『最初から不味いって言ったら飲まないでしょ。緊急事態だし、悠長なことしていられないからね』
『とりあえず、調査結果をまとめた資料を電子ファイルであなたに送っておきます。後で確認しておいてください。それと、地下室への鍵もさっき同時に転送しておいたのでお忘れなきよう』
「どうしてそんなに急ぐ? 今ここでお前の口から伝えてもらった方が話が伝わりやすいと思うけど?」
『携帯の電波をよく見てください』
「っ!? 一本しか立ってない……」
『いくら立地の悪いこの学校とは言え、電波状況がここまで悪くなるとは――――考えられません』
「生徒会長の言葉が一瞬途切れた……。ラグが発生しているのか」
これも黒い霧の影響なのか……?
秋葉も裏で喋っているようだが段々と聞き取りづらくなってくる。
『こっちはこっちでなんとかするから! でも一番の希望は、前線で戦うあなたたちだから――――』
「あっ、切れた! とてもいいことを言ってたのに……」
「これで生徒会長と秋葉先生のサポートも直接は受け取れなくなってしまったね……」
「そうだな。でもアイツらは十分俺たちに託してくれたさ」
サポーターと断絶された危機感は確かにある。ここからは自分たちの足だけで事態の解決に向かわなければならない。それでもどこかでサポートは続けてくれるだろうし、講堂ではまだ動ける奴らが無気力状態の奴らを介抱してくれている。ソイツらの活躍を無駄にしないためにも、俺たちが動かなきゃ意味がないんだ。
それに、花帆たちを元に戻すまではなんとしても歩みを止めるわけには行かない。
「まずは地下へ向かうか。その後の対策は、まあ道中で椎菜から貰った資料を呼んで考えるよ」
「あなたがいてくれて本当に良かったよ。もしもあなた抜きで、私たちだけだったら確実に蓮ノ空は全滅していたから……」
「そりゃどうも。でも俺と事件はズッ友なんだ。だから俺がいなかったらこんなこと起きねぇよ。自分で言ってて悲しくなるけどさ」
本当に悲しい事実だよ。だって俺がいない間は平和なんだもん。一応山あり谷ありの出来事はあるらしいんだけど、それでも今回みたいな生命の危機に瀕することはない。死神が自分で尻拭いして、それで誰かからの好感度を稼ぐってマッチポンプもいいところじゃねぇか……?
「俺は場慣れしているだけだ。俺も一人だけだと不安になる。だからお前らがいて良かったよ」
「そう言ってもらえるのはありがたいね。でも、私は恐怖を感じている。色づいた世界がみるみるモノクロになっていく様子は、私にとって強烈なトラウマだから……。それに今回は私一人だけの問題ではない。蓮ノ空のみんな、そして全国のスクールアイドルたち、全員の命運が私たちの手に握られている。未知の現象を相手に、果たして上手くいくのだろうか……って」
「桂城……」
「わたしも、力が抜けて立てなくなっちゃった……。これは黒い霧のせいじゃなくて、多分わたしが弱いから。わたしはみんなが芸術を作り上げるこの学校が大好きで、だから蓮ノ空に来たのに、こんないとも簡単にそれを踏みにじる現象が起こるなんて……。怖いよ、わたし。さっき黒い霧に飲み込まれそうになったとき、臆病風で今にも諦めそうだった。みんなの笑顔が消えていく様子がどんどん頭に浮かんで、瑞河の廃校が決定的になった瞬間をまた思い出しちゃった。泉と一緒。過去のトラウマに恐怖をぶりかえされちゃったよ……」
「柳田……」
今までずっと恐怖心を抑え込んでいたが、元凶へと向かうにあたり遂に緊張が抑えられなくなったのだろう。内なる恐れを吐露する。どちらも声も手も震え、足も満足に動かせず歩くことを拒否している。
そりゃそうだ。だって数日前までは普通の高校生活を送っていたんだから。ただここ数日でその日常は一変した。俺の人形が生徒たちの淫らな欲望を解放したり、海で遭難したり、幽霊による下着の盗難事件と立て続けに奇想天外なことを経験することになった。そして極めつけに今回のこの事件だ。そりゃ怖気づくよ。むしろ慣れてる方が異常だ。
去年の吟子、小鈴、姫芽もそうだった。ただあの時は最後まで先輩たちが自分たちのことを支えてくれたから、途中で何度か折れはしたけど立ち上がることができたんだよな。
ただ今回は花帆たちが既にダウンしている。いつも頼りにしている奴らがいない分、コイツらの心配もより大きくなるだろう。しかもそれぞれのトラウマを掘り返され、それを刺激される始末。襲い来る絶望に耐え切れないのは当然か。
二人の心中が語られる中、俺がやるべきことは――――
「零……?」
「零君……」
彼女たちの手を握った。
足りないのは、心の温かさだと思ったから。俺がこんなことをするのは珍しい気もすると、自分ながらに違和感を覚えてしまった。
「今の俺はこんな小さなガキだ。この幼い手でお前らを温もりで包めるとは思わない。でも、俺は同情できない。だからこうするしかない。俺がいることで、俺の姿を見させて安心させることしかできない」
「零の手、暖かい……」
「そりゃそうだろ。目の前にいるのが誰だと思ってんだ。確かに怖いかもしれない、確かにトラウマは刺激されるかもしれない、確かに自分の手にみんなの命運が握られているかもしれない。俺にとってはどれも結構な話だよ。俺の隣にいるんだ、お前らがこの事件が解決できないわけがない。それでも心配か?」
「それは……。完全に払しょくできるわけではない。でもあなたは世界で一番の安全地帯だ。安心できないはずがないね」
「だろ? この先も怖かったら怖いって言えばいい。いくらでも安心させてやるよ」
「零……。こんな小さな身体なのに、今はとても大きく見えるよ。花ちゃんたちが言ってた通りだね。尊大だけど、実力が伴い過ぎて頼りになり過ぎる。とてもカッコイイよ、零」
結局は自分の自信を見せつけるしかない。俺は他人の悩みに寄り添うことができないタイプなので、こうして自分の意見を貫くことしかできない。ただ過去を含めこの方法でみんながやる気を取り戻しているので、やり方は間違っていないのだろう。元々俺のことを慕ってくれているから、こちらの言葉を聞き入れてくれやすいというのもあるかもしれない。絆ってのはどこへ行こうが最も重要な要素だな。
柳田も桂城も、手の震えが徐々に収まっていく感じがした。そのため手を離したのだが、二人が少し寂しそうにしていたのは敢えてツッコミを入れない方がいいだろう。
「大丈夫、心配すんな。俺がなんとかしてやっから。だから俺の隣から絶対に離れんなよ」
「はーい! あっ、じゃあ一緒に手を繋ごっか?」
「ガキ扱いすんな。そんな冗談が言えるってことはもう心配はいらねぇかな」
「冗談じゃないかもね……」
「ん?」
「な、なんでもないよ! なーんでも!」
「ふふっ、零君は悪い子だね」
なにを笑ってんだコイツは。お前だって数多の女ファンを泣かせてきたくせによく言うよ。その無自覚な騎士様精神で何人の女を誑かしてきたのやら。
ともかく、コイツらが立ち直ってくれて良かったよ。自信満々なところを見せつけるのはいつもの手だが、当然仲間がいた方がいいに決まっている。俺だって全く恐れを感じないわけじゃないからな。誰かが隣にいてくれる。それだけで頼もしく、安心できる。俺だってひとりぼっちはイヤだから。
「それじゃあそろそろ行くか。サクっと蓮ノ空を救っちおう」
「うん! わたしたちが解決して、吟子先輩にたくさん自慢してたんまりと褒めてもらおうかな」
「彩の世界を絶対にモノクロに染めさせない。勇気を持つよ、私も」
意気込みは十分のようだ。蓮ノ空の地下で何が起こっているのか。まだ未知数だが、このメンバーとであれば絶対に解決できるって俺は信じてるぞ。
ただ気になるのは、どうしてこの学校にネガティブエネルギーが発生したのかだ。秋葉はどこでも発生する可能性があるとは言ってたけど、ここまで影響力がある理由は必ずあるはず。それにブルパに参加するスクールアイドルが特に狙われているのも気になる。手がかりは椎菜が送ってくれた資料の中にあるのか。ネガティブエネルギーを相手にするのも大事だけど、この怪現象に至る背景も掴まないといけないな。
To Be Continued……
頑張れEdel Note! と作者ながらに描きながら応援してしまいました(笑)
未知の恐怖に苛まれる中で、零と共に徐々に解決への道を歩み始めています。そして彼女たちが彼に向ける気持ちも少しずつ、変わっていく様をお楽しみいただければと思います!