魔法少女リリカルなのは~遥かなる悟空伝説~   作:群雲

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第77話 強さの代償

 肌を突き刺す北の風……地球では冬真っ盛りであり、少女達はその中を懸命に生きていた。 だが、今現在の物語はそんな寒冷の時期とは無関係な温暖な地域での話。 生命が自身の成長を存分に謳歌しているその世界で、独りの幼子が駆けていた。

 齢、4、5歳程度の女の子。 青い髪を短くそろえた、いかにも活発そうな彼女は何がそんなに楽しいのか思いっきり走っていたのだ。

 

「きーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!」

 

 両の手を広げてまるで飛行機のよう。 そんなハツラツさを存分に見せつけた少女の背後をゆっくりと歩く者が一人。 女性だ、歳にして20代後半の成人女性が少しだけ汗をかきながらついて来ているのだ。

 

「スバル―! そんなに走ったら転ぶわよー」

「平気平気!!」

「まったくあの子は」

 

 どうやら元気娘の名はスバルというようだ。 幼子に注意を投げ放った女性は片手であ額を拭う。 少しだけ水分を感じると、自身が汗をかいていることに気付く。 まだ運動不足を嘆く年頃ではないと思いつつも、時間という概念の恐ろしさを垣間見た瞬間だろうか。

 あまりにも元気な幼子に手を焼きつつ、それでも表情は明るい。 どうやら、少女に振り回されるのは満更でもないようだ。

 幼子の晴天の空のような色の髪を歩きながら追いかけていくと、女性の目が見ひらかれた。

 

「ぐえっ!?」

「あ、スバル!?」

 

 元気に走り回っていた幼子が突然地面にダイブしたのだ。 かなりの速度で走っていたモノだから、当然その被害は比例するように大きい。 顔面はなんとか守ったようだが、転んでどこか擦りむいたのだろう、一向に起き上がる気配がない。

 

「えぐっ……うぐ……」

「まったく、ホントに仕方がない子なんだから」

 

 転んで地面におなかを付けたまま涙ぐんでしまう幼子。 あまりにも情けないその様子に呆れつつも、やはり手を焼くことは満更でもないようだ。 女性は特にペースを上げるでもなくゆっくりとスバルの方へと歩いていく。 すると、ひとつ知らない影が近寄ってきた。

 

「えぐ、えぐぅぅ」

「なんだ、コイツ?」

「あのこ……」

 

 青い女の子を前にひとりの少年が呟いた。 どこから、何時から、どうやって? 接近に気が付かなかった女性は疑問に思うが、相手が相手だからかすぐにその問いはどこかへ逃げてしまう。

 さて、スバルがいまだ腹ばいで泣きじゃくりかけている中、女性は近くに来た少年に目を向ける。 年にして10才かそこらだろうか、元気盛りの体格にこれまた特徴的な髪型。 まるで手入れの届いてなさそうな自由に伸ばされた黒髪は見ていてむしろ清々しさを感じさせる。

 だが、女性が目を下に降ろしていったとき、状況は一変する。

 

「どうした? 立たないのか?」

「えぐ……ぅぅぅ」

「あれ? この子……」

 

 視線を下に、というより少年の臀部(でんぶ)に注目すると何やら見えてはいけないモノが見えた気がする。

 

「なに、あの“ふさふさ”……?」

 

 長くて茶色い。 妙にクネクネ動くそれは何となく少年の気持ちを補っている風でもある。 女性からは何となく昼寝中のネコを連想させられたらしく、妙に微笑ましかった。

 だけどそのままでいるわけにもいかない。 スバルという少女がいつまで経っても地面に吸い付いているのだ、ああ成ってしまうともう自分からは起き上がらない。 いままでの経験則の話だが、なんとも情けない話である。 女性は、足早に彼女の元へ近づく。

 

「なんだおめぇ、ケガしてんのか?」

「うぇ?」

「え……って、転んだきり立たないじゃねえか」

「だって足がいたいんだもん」

「ん? けどよ、どこも擦りむいてねえだろ? だったら立てんだろ」

 

 女性はここで足を止める。 少年の言葉が幼子に届いているのがわかったからだ。 その証拠にいつもはすぐに駄々をこねる彼女も、どこか呆けるように少年を見つめ、言葉に耳を傾けている。

 

「立ってみろ、別に痛くねえからさ」

「できないよ……」

「やってもみねぇのにもうあきらめんのか? とりあえずがんばってみろって」

 

 

 見た目はどこにでもいるような子の筈なのに、公園で遊んでいるような年齢の筈なのに、其の言葉には奇妙な“重み”を感じてならない。 女性は十巻きながらに二人のやり取りを観察してみた。

 

「ほら、がんばれって」

「う、うん」

 

 少年に言われるがまま、少女は立ち上がる決意を固めたようだ。 まず、小さな手で地面をさわり、撫で、手の平で受け止める。 そのまま腕立て伏せの要領で力を込めると、自然、足腰に力が入り込んでくる。

 

「ぅぅ……」

 

 少女の呻く声に、だけど助ける手はどこからも伸びない。 少年は眉の一つも動かさず、けれどどこか機体の眼差しで見つめている。 そんな目で見られたんじゃ、いまさら辞めるなんて言えない。 うまい事乗せられた幼子は、そのまま両の手に力を入れると腹ばいから卒業した。 遂に彼女は独りで立ち上がったのだ。

 

「ほれ! できるじゃねえか」

「うん……できた」

「足痛えか?」

「ううん、痛くない……痛くないよ!」

「な? ヘッチャラだろ?」

「うん!!」

 

 先ほどまでの曇り顔とは打って変わって、どこか満ち足りた表情の幼子。 それを見た少年はそれ以上に満足そうに笑い、両手を後頭部に持って行く。 だが、そんな少年を見た幼子は不意に首を傾げてしまった。 なにか、気になるものがあるようだ、視線が揺らめいている。

 

「……う?」

「なんだ?」

「なんか背中で動いてる」

「せなか?」

 

 ボサボサ髪を揺らしながら背後を見る少年。 別に何にもないし、誰かがイタズラしているということもない。 再び視線を戻して少女を見て、見間違いじゃないかと問い詰めようとした時だ。 少女の目はキラキラに輝いていた。

 

「わぁー……」

「な、なんだよ?」

 

 その姿が異様に映ってしまったのは仕方がないだろうか、少年が一歩だけ後ずさる。 が、それを追うように少女が近寄ってくる。 気分は餌を全身に巻きつけてサバンナを散歩する感覚だろうか。

 目の前の女の子があまりにも肉食獣なものだから、いかな少年も警戒心が湧いてしまう。 だが、少女には関係ない話だった

 

「なにこれ!」

「うわ!?」

 

 一気に飛び付き『それ』に肉迫する。 華麗な空中飛翔を敢行した幼子は少年の背後へ一直線。 何ら迷いもない姿は純真そのものだが、如何せん相手が悪かった。 目の前からいきなり獲物が消え、気が付いたら地面が見えていた。

 

「ぐえっ!?」

「おめえいきなりなんなんだ?」

「いだい……」

「わけ分んねえヤツだなぁ」

 

 少年に向かって尻を突き出す形でズッコケている幼子、哀れとしか言いようがない。

 そろそろだろうか、時間もそれなりに立ったことだし、大人が子供たちのじゃれ合いに介入し始めた。

 

「大丈夫? スバル」

「あ、お母さん! うん、全然大丈夫だよ!」

「そ、そう……?」

 

 見た感じ顔面を強打した気がするがそれでも元気だという我が子の成長に涙を禁じ得ない。 いや、若干ヒキ気味ではあるが。

 少しの深呼吸、若干のリラックスを済ませて現実に向き合うと、女性……お母さんと呼ばれた彼女は少年に向き直る。

 

「ごめんね、この子ったらすごい甘えん坊だから。 迷惑かけちゃったわよね?」

「そんなことねえぞ? ん? でもいきなり飛びつかれたときは驚ぇたけど」

「そ、そうよね。 まったくこの子ったら何をいきなり……?」

 

 などと、頬に片手を持って行くこと数秒の間があった。 最初は平静を装っていたが、次第に青くなる顔。 まるでクエン酸に浸けたリトマス試験紙を無理矢理塩化ナトリウムにぶち込んでみた様な感じだ。 むちゃくちゃだ。

 

「ちょ、ちょっとキミ。 それ……」

「なんだおめぇまで?」

 

 母親の顔にハチャメチャが押し寄せてきた。 改めて見ればこの少年にはどこか見覚えがあったのだ。 そう、数か月前に仕事で会ったあの男。 軍属でもないのに戦果を持ち、魔導の素質がない癖に魔力値がSSSランクの数百倍では足りないくらい持ち合わせているわけのわからない存在。

 そうだ、先ほどから目にしている『それ』だって彼を語るうえで最大級の特徴ではないか。 思い返し、見返して、頭の中で反復すればもう完全に一致した。

 

「ね、ねぇキミ

 

「なんだ?」

「スバルのことありがとうね。 ……その、お名前聞かせてもらってもいいかな」

「なまえ? 別にいいけど」

 

 彼女の考えが正しければこの子は相当のVIPに違いない。 なぜこんなところに居るのかはわからない。

 

「……けど、早急に保護して“あのヒト”に送り届けないとマズイ……わよね」

 

 連絡先を速攻で練り上げていく。 まずは管理局の顔見知り、リンディ・ハラオウンだろうか、運が良ければ彼女で事が済むだろう。 それがダメならばこの間紹介にあったプレシアという女性だろうか。 あまり素性のしれないヒトであるが、あのリンディが頼るくらいのヒトだ、かなり大きな力があるとみていい。 “彼”ともつながりがあるのだろう。

 そのふたりが頭に浮かぶと、すぐさま少年に向き直り彼の口もとを目で追う。

 

 その動き、発音、一元一句を聞き逃さないように。

 

「おら悟空だ」

「うん、じゃあゴクウくん。 スバルがお世話になったし、お礼もしたいから家まで来てもらいたい……ん?」

「なんだ? またか?」

 

 女性の顔が一気に凍り付く。

 そうだ、いままでこの“少年”を見て“彼”と断定できた人物は少ない。 そして彼にメカニズムを理解していない者にとって完全なる初見殺しだ。 宴会の一発芸から潜入捜査まで幅広く使える彼の足枷のひとつ。 それをいま彼女は知ることとなる。

 

「ご、ごごごごごごっ?! そんご――――ッ!!?」

「お、おかあさん?」

「はぅ……」

「ど、どうしたんだおめぇ!?」

「おかあさん!! お母さんがたおれた!!」

 

 ……少しだけ先延ばしになりそうだ。

 

 それから少女に道を教えられる形で彼女の自宅にたどり着いた少年、いいや悟空は、スバルの母親を背負いつつもなんら窮屈そうにしない。 その姿は既に普通の子供ではないし、どこか負傷者を扱うのに慣れた感じがするのは日常離れしているようにも見える。

 さて、悟空が彼女の家にたどり着きスバルが玄関のドアを開けると家のリビングに寝かせる。

 

「……お母さん大丈夫かな」

「平気だろ? いきなり倒れたの見ておどろいたけど、特に辛そうじゃないしなぁ」

「そうなの? くわしいね」

「まぁな、おらいろいろ知ってんだ」

 

 負傷者と死人の見分けくらいならばお茶の子さいさいだろう。 悟空がスバルに言い聞かせると、安心したのか段々と身体から力が抜けていく彼女。 母親の近くに移動すると、少しだけ目がうつろになっていく。

 

「……ぅぅ」

「眠いんか? アレだったら少し休んでろ。 おらが診とくから」

「うん……」

 

 そのまま目蓋から力が消え失せてしまう。 一気に脱力したスバルはこの先の事を覚えていない。 数時間後に目を覚ますまでこのまま深い眠りに落ちていくのだろう。

 

 

 

 

 

 数十分の時が過ぎて……

 しばらくの間は悟空は尻尾を動かしながら静観していたのだが、次第に持ち合わせていた落ち着きの無さが顔を出してくる。 あたりを見渡すと少しだけ散策、だけどお世辞にも大きいと言えない一般家庭などすぐに制覇してしまったのか、5分と経たずにリビングに戻ってしまう。

 

「ヒマだなぁ」

 

 やる事がないというのはこの少年からすれば珍しいことだ。 いつも何かに熱中しているか修行、もしくは冒険の真っ最中だからだ。 でも、この状況ではさすがに動くに動けない、せめて母親らしき人物が目を覚ますまでは居てやらないといけない。 少ない常識感から出した答えをひたむきなまでに彼は守った。

 

 さらに10分が過ぎた頃だろう、布団が少しだけ動いた気がした。

 

「う、ううん」

「あ、起きたか?」

「ここ……あれ?」

 

 微睡に片足を突っ込んだままの女性。 低血圧なのだろう、寝起きが悪い彼女は寝ぼけまなこで声のする方を向く。 しかしまだ視界がぼやけているのだろう、何と勘違いしたのか判らぬが気軽に声を投げかけた。

 

「ごめん、ちょっとお水取ってきてもらっていい……」

「水か? なんか勝手に使うけどいいか?」

「えぇ、おねがい」

「わかった」

 

 言われて何ら躊躇なくキッチンに入り込んだ悟空。 しかし如何せん身長115センチの彼には台所というのは高く出来過ぎていた。 背伸びをしたって蛇口に手が届かない彼は、やや急いでリビングの椅子を搬入、足場にしてコップに水を入れる。

 

「ほれ、これでいいんだろ?」

「ありがとう、いただくわ」

 

 渡された水は酷くおいしかった。 寝起きで喉が渇いていたのもプラスに働いたのだろうか。 スバルの母親が気怠そうに状態をお越し喉を鳴らしている中、悟空はなん御気もなしに彼女の方へ顔を近づけた。

 

「な……!」

「顔色もいいな、んじゃ、もうおら行ってもいいよな?」

「え、あの!」

 

 突然の彼の退出に、しかし不意に呼び止めてしまう。 落ち着いたことで意識がはっきりしたのだろう、今までの事が激流のように思い返されると、使命感にも似た感情が彼女を突き動かしたのだ。

 

「その……」

「なんだよ、はっきりしねぇな」

「孫、悟空……さん、ですよね?」

「ん? そうだけど、それがどうかしたんか?」

「…………………………どうしましょう」

 

 戸惑いは当然である。 そもそも、彼女が勤める仕事先では都市伝説クラスの人物で、かのじょが関わる隊では神話急な扱いである。

 

 次元振を気合でかき消した。

 いやいや、気合が有り余って次元振を引き起こした。

 アースラに搭載されている主砲の弾道を片手で変えた。

 いやいや、アースラを片手でひん曲げる。

 闇の書討伐の中心メンバー。

 それどころか闇の書の闇というのをワンパンで倒した。

 闇の書の中心人物を仲間にしたらしいぜ。

 

 などなど。

 おそらくいくらか誇張は入っているのだろうが、とにかく彼に対する驚きの噂は絶えない。 

 7、いいや5割ほど誇張があると思っている彼女ではあるが、それでも本人と思しき人物が目の前にいると嫌でも緊張してしまう。 だけど、だ。

 

「なぜ、そんな格好を?」

「ん?」

 

 彼女……そう、スバルの母親である女性は悟空と面識があるつもりだった。 以前ある事情で彼と手合せをした時に大体の人となりを理解していたつもりだし、実力というのが非常識だというのも理解している。

 だけどだ、こればかりは納得がいかない。

 

「どうして子どもの姿になっているのですか? もしかして、極秘任務……とかでしょうか」

「……」

 

 彼は答えない。 いや……

 

「なにいってんだおめえ?」

「はい?」

「子供の姿って言ってもなぁ、おらこどもだろ?」

「え、あの?」

「おかしなこと言う奴だなぁ」

「???」

 

 何も知らないのだ。 それにさっきから自身の事を赤の他人だとでもいうような素振り。 それどころか前に在った時の落ち着き払ったというか、何となく感じられた山のような静寂さすら見えない。 活発過ぎる、良くも悪くも子供のような慌ただしさすら見え隠れする彼。 彼は本当に彼なのだろうか?

 

「まぁいいや。 ところでおめぇ、ここがどこかしらねぇか?」

「え?」

「ドラゴンレーダーをブルマから借りようと思ったんだけどさ、あいつが住んでる西の都にいつまでたっても着かないんだ。 おらきっと道に迷ったんだろうなぁって思ったらあいつがスっ転んでさ」

「そ、そうなん……ですか」

 

 ついつい子供と会話している感覚になるが相手はれっきとした大人であるはずだ。 すかさず態度を戻した女性だが、つい、思う。

 

「あの、悟空……さん」

「どうした?」

「西の都って、どこの事ですか?」

「西の都は西の都だろ? 何言ってんだ」

「あ、はぁ……?」

 

 なんだか会話が酷くかみ合っていない。 そもそもこの人物がどこを指して西の都と言っているのかが把握できない。 何かの暗号か、それとも彼が地名を忘れて仮称で言っている……と、思っての発言だったがどうにも的が外れているらしい。

 では、西の都とは何か。 女性はさらに質問を繰り下げた。

 

「今、何をなさってるんですか?」

「おらか? おら今、ドラゴンボールを集めてんだ」

「ど、どらごんぼーる?」

 

 聞きなれない単語だ、と思う。 しかし、リンディが昔口を術せたときにそんな言葉を聞いた気がしなくもない。 とりあえず任務内容は……彼の事だ、遺失物捜索の手伝いだとみていい。

 

「早く集めてやんねぇとな。 いつまでも土の中じゃウパの父ちゃんかわいそうだし」

「……え? どういうことですか」

「ん? あのな? 少し前ぇに戦ったタオパイパイってのがいてな? そいつ、プロの殺し屋だなんて言って、ウパの父ちゃんを殺しやがったんだ」

「ッ!?」

「おら、アタマにきてさ。 いろいろあってそいつコテンパンにしてやって、占いババんとこで最後のドラゴンボールの位置を教えてもらって、探してたらここに居たんだ」

「あ、はぁ……」

「でもなんでレーダーがなくなっちまったんだ? どこで無くしたんだろうな?」

 

 何やら深刻そうな話だが、事態は徐々に収拾を付けていたようだ。 ひと段落した話に肩から力を抜くと、女性の頭に途轍もない衝撃が襲い掛かる。

 

「もう少しでウパの父ちゃん生き返らせてやれるな」

「ぶーーーー!!!!?」

「どうしたどうした?」

「い、生き返るって……え!?」

 

 主に精神的な衝撃であった。

 あまりにもあっけらかんに言い放つ彼。 女性は故あって観察眼と洞察眼の優れた役職に就かせてもらっている。 実績もそこそこだし、自分自身その仕事にやりがいを感じている。 そんな彼女が見て、彼の姿には嘘偽りも誇張すら見当たらないのだ。

 やはり、何一つ嘘の無い発言なのだろう。

 

 では、彼が探しているドラゴンボールとは。

 

「まさかロストロギア級の捜索任務中だなんて。 そんなときに私情に立ち入らせてしまって」

「ん?」

「忙しいのにすみません。 しかし、まさか悟空さんが手を煩わせる存在が居るだなんて……タオパイパイですか、聞いたこともない名前です」

「あぁ、おらもだ」

 

 この手の話はかなり聞いてきたつもりだが、まさか人の蘇生までも叶う代物があるとは思わなかった。 だが、それでも嘘だと断じきれないのが、目の前の少年からくる雰囲気の成せるわざだ。

 驚きを通り越してしまって冷静さを取り戻しているあたり、この女性もそれなりに苦労を重ねてきたようだ。

 

「んじゃま、おら行くから」

「え? あの、リンディさん達に連絡などは良いのですか?」

「だれだ? それ。 おらそんな奴知らねぇぞ」

「…………」

 

 聞き捨てならないセリフが飛んできた。

 いかに彼のような朗らかな人物でも、このような言葉が出てくるだろうか? 死線を共にしてきた、仲間の筈だ。 それを知らないと言い、あまつさえそんな奴呼ばわり。 ……なにかがおかしい。

 

「あの、悟空さん」

「どうした?」

「“この間の模擬戦”のこと、覚えてますか?」

「ん? もよぎのセンベイか?」

「で、ではジュエルシードは」

「じゅ? じゅえる……みーと? なんだかうまそうな名前だな」

「反応は同じだけどこれはちょっとおかしいんじゃ……」

 

 ようやく事の異常さに気が付いた彼女。 頭を抱え、情報の重大な欠陥を思い出す。 そうだ、リンディ・ハラオウンは孫悟空の報告書について何か最後に付けた詩をしていなかっただろうか。

 

「た、たしか『武道家』『魔力量はエース級の千倍』『ただし魔導の才能は一欠けらも無し』違う……えぇと、そうだ『記憶喪失の可能性あり』だったはず! ――――って、記憶喪失!?!」

「きおすく?」

「き、記憶喪失……あの、悟空さん」

「なんだ?」

「どうやってここらへんにたどり着いたんでしたっけ?」

「どうやってだろうな? 気が付いたら山ん中に居たんだ」

「…………そう、ですか」

 

 決まりであろう。 しかもやたらつい最近の感じがするのが悔しいというか。 もう少し早く出会えていたのならこのようなややこしい事にはならなかっただろう。 とりあえず、彼がこのような姿になっている理由は置いておくとして、記憶がないのはあたりらしい。

 彼女は、少しだけ悩んで。

 

「……ゲンヤさんに相談してみましょう」

 

 やたら疲れた精神を夫と共有することにしたそうだ。

 

 

 

 

 受話器を持ち上げて番号をいくつか押し込む。 何ともローテクな手段だが、夫の家系が代々愛用してきた代物だという事で、未だにこの電話機を使っている。 幾たびの階層と中身のアップデートを繰り返した結果、魔導師との通信すら可能になったわけのわからない性能を持つのが我々の世界とは違う証しだろうか。

 そんな高機能電話で、彼女は夫の仕事場に火急の電話を繋げてもらった。

 

『…………なんだ? こんな時間に連絡よこして。 今日は非番の筈だろ?』

「その、すごく言いにくい事なんだけど」

『どうしたそんなに改まって』

「家にお客様が来てて」

『なに? なら手土産でも買って帰った方がいいのか。 今日は少し早く終わらせて帰ろ――』

「いえ、それが来たのが“あの”孫悟空さんで……」

『は? …………はぁああああぁぁああっ!!?』

 

 襲黙ること10秒チョイからの見事なリアクション。 周囲のどよめきまで拾いつつ、夫の狼狽が止まらない。

 

『ま、まてまて。 おまえが言っているのは“あの”孫悟空さんか?』

「え、えぇ。 たぶん」

『同性同名だとかで無く』

「そうね。 前に手合せで知っているから間違いないわ」

『そう言えば確かにそうだな……だがどうして』

「それを相談したくて電話したのだけど」

『…………』

 

 しばし無言。 勤め先からはなんとも言われてないし、あの特務隊つながりでの報告もない。 それに孫悟空と言えばどこにも属さず、勝手気ままにそこいらの怪異を素手で叩きのめしてきた傑物だという。 おそらく、今回の事もどこの組織も関与していないことなのだろう。

 そこまで考えて、だけど、何かがあってはいけない。 そんな言葉が頭をよぎってしまう。

 

 ゲンヤ・ナカジマ。

 勤続10年になろうかという彼だが、その勤務態度はまじめの一言。 特に欠勤だの遅刻だのは起こさない優良な人材だ。 家族のために働き続け、一切の妥協なく仕事に我が身をささげてきた彼は、近々昇進の話もある。

 そんな彼は今日、初めて……

 

『今日は早退しよう』

「ごめんなさい、あなた」

『いいんだ……はぁ』

 

 やはり家族のために勤務先を定時前に切り上げた。

 

 

 

 

 ゲンヤという人物が会社で上司にうまい事話しを付けている間の事だろう、悟空のすぐ近くのソファで眠りについていたスバルが、小さく瞬きをしていた。 一瞬だけいつもと違うところで寝ていたことにおどろいたのだろう、あたりを見渡、悟空を見つけるとどこか納得したように笑顔となる。

 

「あ、目ぇさめたか?」

「うん! おはよー」

「もう夕方だけどな」

「おーぅ」

 

 あらびっくり。 なんて声のしそうな顔をしているがこれと言って反省しようだなんて気はなさそうだ。 まぁ、まだ子供で小学生かどうかも妖しい年頃だ、昼寝は豪勢にやっても仕方ないだろう。

 元気の塊を見た悟空は今度、女性の方へ顔を向ける。

 

「なぁ、おら今日はここで泊まるんか?」

「え、まぁ……そのほうが助かるわね。 スバルも喜ぶし」

「ふーん」

 

 下手に騒がれても厄介だし、彼に余計な混乱を与えるのは良くない。 まず夫に相談し、そのあとにリンディたちに相談すればいい。 それが彼女たちの出した結論である。 悟空自身、スバルとはなんだか意気投合しつつ、暗くなってきたから散策も終わらせるか迷ってきたところにこの誘いだ、渡りに船だろう。

 

「ねぇ! お風呂入ろ、お風呂!」

「ん? 入ればいいだろ?」

「一緒に入ろうよー せんすいの『きょうそう』しよ!」

「競争かぁ、よーしおら負けねえぞ!」

 

 やはり気が合う彼等。 まさに子供のやり取りといった感じで風呂場へと駆けだしていく。 

 

「やった! おかーさーん! お兄ちゃんとお風呂入ってくるー!」

「はいはい、仲良くねぇ」

 

ほんのりと微笑みながら彼らを送り出す母は、時計を見やると思い出したように呟く。

 

「もうすぐギンガが帰って来るわねぇ。 あ、お夕飯の支度しなくちゃ」

 

 ……完全に何かを忘れている自覚もないようだ。

 

 子供たちが駆け足で入ったのは風呂場。 そこに入れば当然衣服は邪魔なので脱ぎにかかる。 しかし、その様のなんと色気の無い事か。 男はもとより、幼子の女子であるスバルですらまるで男の子のように乱雑に衣服をとっ散らかして脱ぎ捨てる。

 そのままの勢いでお風呂に突撃、かけ湯もへったくれもないダイブに湯船が盛大に零れる。

 

「きもちー!」

「ふぃー、良い湯だなぁ」

 

 どっちがどっちの台詞だか分らない。 もしかしたら二人が同じ言葉を発したのかもしれないし、そうではないかもしれない。

 しばし湯船に身体を付けると、お互いに見つめ合って笑う。 しかしその顔はどこか鋭いモノを併せ持っていた。

 

「よし! 競争だ!」

「いっくぞー!」

『せーの!』

 

 一気に湯船に潜り込む二人。

 水中でニラメッコをしつつ互いを牽制、いまだ肺の中にため込んだ空気には余裕がある。 このままでは長期戦は必須、熱さと息苦しさとの二重苦に子供ふたりはひたすらに耐える。

 

「…………っ」

「…………ッ」

 

 こぽりと口元から空気が漏れる。 スバルの顔から余裕の表情が一気に消えてしまった。 どうやらこの勝負悟空の方に分があるようだ。 ……というか、そもそも勝負になってすらいない。

 海底まで何とか泳げる悟空の肺活量を普通の子供と一緒くたにしている時点で大きな間違いだ。 この結果は当然の事であろう。 だがそのあまりにも反則的な強さがスバルにはどう映ったのか、彼女の眼は輝いて見えた。

 どこまでも必死で、精一杯今を生き抜いてきた少年のことなどまだなにも分らない、だけどその片鱗をこんな些細な場面で見てしまった彼女には、確かに輝いていたのだ。 ……というか、輝いている。

 

「!!?」

「お?

 

 

 孫悟空の身体が蒼く光っていく。 比喩でもなんでもなく、見たままに輝いているのだ。 その光は美しく、透明感のある優しい光だ。 思わず見とれ、空気を大量に吐き出してしまったスバルは咄嗟に水面に顔を出した。

 

「あ、……あぁぁあああっ!!」

 

 大きな、本当に大きな水柱が起こる。 何も見えなくなってしまった自身の視界に戸惑い、不安そうな顔をするスバル。 だけど、そんな顔などすぐに消えてしまう出来事が待ち構えていた。

 

「お、おーー!」

 

 それは、新たな出会いである。

 

 

 スバルが風呂に走り抜けてすぐ、リビングでは夕飯の支度で首をひねっている母親がいた。 今日は一人分だけ量が増えてしまったからか、少しだけ違うモノを作ってみようと画策するのだ、中々名案が浮かばない。 冷蔵庫を開けては閉めてを繰り返し、冷凍庫から骨董品をあさりだすと背中から声が飛んでくる。

 

「お母さん、ただいまー」

「あぁ、おかえりギンガ。 今日は遅かったのね」

「うん、お友達の家に行ってたの。 お母さん、どうしたの?

 

「え? あぁまぁねぇ、少しだけ作戦会議?」

「??」

 

 スバルの姉、ギンガである。 彼女は母親の珍しい困惑ぶりを見ると目を丸くしていた。 しかしすぐにいつもの調子を取り戻すと部屋を一週だけ見渡す。 足りないモノに気が付くとすかさず母へ声を投げかけた。

 

「あれ? スバルは?」

「今ね、お風呂に入ってるわ。 たぶんもうそろそろ上がって来るだろうけど

 

「スバルはカラスの行水だものね」

「あら、むずかしいこと知ってるのねギンガ」

「このあいだお父さんから教えてもらったの」

 

 なるほどねと感心したのかどうなのか、母親が頷くとギンガは何も言わずに肩からエプロンをかける。 何の気なしの行動だが、その分だけいかに彼女がこの戦場(キッチン)に立つことになれているのかがうかがえる。

 それをやはり自然に見届けた母親は、鼻歌混じりに今日の献立をあたまの中で組み立てていく。

 

「ギンガ、お野菜切っといてちょうだい」

「はーい」

「指切らないでよ? 痛いからね」

「うん、大丈夫」

 

 トントン音を立てながら均等に野菜を切っていく。 不揃いの安売りだった商品にもかかわらず、元の大きさが同じなのではと思えるくらいに丁寧に、小奇麗な形でそろえられれていく野菜たち。

 隣で母が肉を切り、揃え、焼いていくのを見届けるとすかさず大鍋に水を入れて火の上にセットする。

 

「お母さん、沸騰してきたよ」

「はいはい、ちょっと通るわよ」

「はーい」

 

 なかなかのコンビネーションで調理を進めていく母子。 銀河が用意した鍋に今まで痛めていたモノを汁ごと放り込むと今度は別のフライパンを……用意しない。 今まで肉を踊らせていたフライパンの残り油で、今度はギンガが切り刻んでいた野菜たちを硬い順で炒めていく。

 

「お米といどくね」

「あ、お願い。 さてと、こっちはあと煮詰めるだけね。 うーん、もう一品ほしいわね、なにがいいかしら」

「サラダでいいんじゃない?」

「そうねぇ。 じゃあポテトサラダにしましょう」

「ほんと!? お母さんのポテトサラダ大好き!」

「よしよし、それじゃあ頑張っちゃいましょうか」

 

 ジャガイモを適当な大きさに切り、吹かし、千切りにした玉ねぎを少量とマヨネーズを絡めてしばらく置く。 冷めてきたらタッパに移して冷蔵庫へ格納、しばしの冬眠である。

 

「これでいいかしら。 ――って、あれ? スバルったらまだ出てこないの?」

「おかしいね、スバルならもう出てきてテレビ見ててもいい頃なのに」

 

 料理が一通り済んでようやく気が付くふたり。 料理の空き時間が来るまでに上がってこないのは妙だ、まさかのぼせたのか? などと不安がのど元までせり上がってきたときだ、遂にそれは爆発する。

 

 

「わあああああああああーーーー!!」

『!!?』

 

 スバルの声だ。 声量的に相当の事態だと悟ったのか母親の表情が一気に鋭くなる。 身構え、深く息を吸いこんでは吐き出す……その場の空気を一気に作り変えて行った。

 

「お、おかあさん……今の声」

「ギンガ、奥で隠れてなさい」

「で、でも」

「早く。 ……おねがいだから」

「……はい」

 

 素早く我が子を匿うと、もう一人の我が子へ意識を集中する。 先ほどまでこの敷地内には何もいなかったはずだ。 だが、あの声の出し方から察するに転んだとか怪我をしたという感じではないだろう。 それに、女性にはひとつだけわかることがあった。

 

「……脱衣所の方から足音が……大きさから言って大人ひとりか。 いつ、どうやってこの家に」

 

 おそらく子供ではない大きさの、ドシリとした足音に警戒心の振れ幅が大きくなる。 本当なら早く駆けつけてやりたい、だがもしも原因が人為的なもので、我が子を人質に取られていたとしたら? ……襲い掛かる最悪な可能性に母親は身動きが取れなくなる。

 

「……」

 

 段々と近づいてくる。 それは彼女に決断を迫るという事だ。 降伏か、応戦か。

 もしも本当に最悪の事態が訪れたとして、自身はどうすればいいのだろうか。 永遠に続くかと思われた問答も、目の前のリビングから廊下とを遮るドアが開いてしまえば終わる。 そんなくだらないことを思い、息を呑みこんだ刹那、目の前のドアがゆっくりと開いて行った――――

 

「―――せぇぇりゃあああ!!!」

 

 気合一声。 フローリングに踏み込んだ足を反動として利用し、一気に謎の侵入者に回し蹴りを見舞いする。 腰の入った強烈な蹴りは鍛えられた彼女の肉体も相まってかなりの威力を秘めている。 それが、侵入者の頭部を貫通したのだ。

 

「え!?」

 

 当たる、のではなくて貫通。 いいや、通り過ぎたといえようか。 兎に角手ごたえのない自身の攻撃に疑問が尽きない彼女はわが子を片腕に距離を取る。

 

「……な!?」

 

 その瞬間に上がる声は彼女のもの。 そうだ、距離を取ってここからだというときに上がるのは驚嘆を意味するもの。 なぜなら今まさに猛攻を加えようかとおもった相手が視界から消えていたのだ。

 居ないものに攻撃などできない。 ならば探すまでだと感覚を鋭くした彼女はおもむろに背後に蹴りを入れた。

 

「せぇえい!!」

「――っ」

 

 突きつけるような後ろ蹴りも、やはり手ごたえがない。 まるで霞を相手取っている奇妙な感覚はいままで味わったことがないものだ。 不安すら覚える感覚を振り払うように背後へと裏拳を放つ。

 

「――――ぐぅ!?」

「ちょっと、ちょっと!?」

 

 ようやく犯人の声がする。 若い、それに少し落ち着きがないように思える。 もしかしたら女性の猛攻に焦っているのかもしれない。 好機と思った彼女は攻撃の手を増やす。

 

「でぇぇえええい!!」

「なぁ、おいって!」

 

 それでも捉えることがかなわない彼女の手。 家族が、娘が危険な目にあっているのだ、多少の困難くらいは自身の手ではねのけるのが親の務めだ。 彼女はまさに決死の覚悟で犯人の懐へ攻め込んだ。 一撃必殺を込めた自身のこぶしを作り出し、深く息を吐けば足腰からの連動を駆使した渾身の一打を見舞いする。

 

「うぉぉおおおおおッ!!」

 

 彼女の一撃は、見事男のもとへと届くのであった。 ――だが。

 

「……まったく、仕方がねぇなぁ」

「……え?」

 

 それは、とてつもなく軽い溜息。 喫茶店でコーヒーを頼み、これからの予定を確認しようと手帳を持ち出した紳士のような声だと女性は記憶している。 本当に、何でもない合間のような息使いに、彼女の全身から力が抜け落ちていく。

 

「う、そ……」

「おい、大ぇ丈夫か?」

 

 渾身を込めた一撃を避けるまでもなく手首をつかむだけで済ませてしまった侵入者。 自身の力はそれなりにあると思っていた。 ただの暴漢程度に後れを取るわけがなく、凶暴な現住生物をも相手取ることだってできるはずなのだ。 だけど、それがこんなにも簡単に受け止められた。

 彼女のショックは計り知れない。

 

「…………っ」

 

 もう、打つ手がない。 そんな言葉が頭の中を走ると一気に体が震えてしまう。 心の中の何かが折れると、これから先のことを嫌でも考えさせてしまう。

 …………きっと、口で言うのも憚られる恐ろしいことをされてしまうのだろう。 この男の、とてつもない硬い手によって自身は汚されてしまうのだろう。 想像も、予測もついてしまう最悪の事態を前に、彼女は全身を震えさせてしまう。 もう、戦う気概すらない。

 

 

 

 …………対峙した男が、どれほどに困っているかも知らないで。

 

 

「いきなり落ち込んじまったけど、どうすりゃいいんだ」

「――――おい!!」

「ん?」

 

 そんな男にぶつけられたのは怒声。 いままでこの部屋に存在しなかった男の声に、侵入者は目を丸くしていた。

 

「クイントに手ぇ出してんじゃねえ!!」

「え?」

 

 気が付けば侵入者の顔面に、叫んだ男の右こぶしが叫びを上げていた。

 

 

 

 

 

 …………しばらくして

 

「イタタタ……あいた!?」

「ちょっとアナタ、大丈夫?」

 

 椅子に座り患部を冷やすも、あまりの痛さに苦悶の表情をする。 ひきつった声に子供たちが心配そうに見つめる中、投げかけられる声が一つ。

 

「オラとしたことが、悪ぃことしたな。 すまねぇ」

 

 黒い髪をぼさぼさと伸ばした男。 ……そう、孫悟空が先ほど“殴りかかってきた男”に謝罪を述べていたのだ。

 背丈はスバルをはるかに超え、もはやクイントを見下ろせるくらいに高くなった彼。 そうだ、いつもの孫悟空がそこにいたのだ。

 

「うーん……」

「どうしたスバル?」

 

 そんな彼を見上げながらに、そっと首をかしげるスバル。 なにか思うことがあったのだろうか、皆が見守る中で、彼女はそっと質問する。

 

「お兄ちゃんっておじさんなの? どっちなの?」

「え? オラか?」

『……』

 

 それは皆が待ち望んでいたことであろう。 そもそも、今の今まで“あの子”が“彼”だという自覚すらなかったありざまだ。 この問いは当然のものである。 それに彼はどうこたえるのだろうか? 少しだけ、本当に少しだけ息を吸った彼は、言う。

 

「オラな、こっちが本来のオラなんだ」

「じゃあおじさんなの? ……お兄ちゃんじゃないんだ」

「そうだな……スバルには悪ぃけ――」

「――――おじちゃん! 肩車して!」

「……お、おう」

 

 家族はおろか悟空でさえ一瞬落ち込んだように見えたスバルだったが、それすらはねのけて悟空の後頭部で片手上げて大はしゃぎ。 あまりにも早い切り替えに、周囲の人間は置いてけぼりとなる。

 

「ま、まぁスバルは以前会ったことがあるし」

「そういえばそうだな」

「たかいたかーい!」

「お? は、はは」

 

 などと、両親は納得するしかなくて。

 少しだけ困った風で、でも、どこかまんざらでもない顔で両親のほうを向いた悟空は、片手を彼らに向けるとこう言うのであった。

 

「すまねぇが今日は世話になるぞ。 クイント、ゲンヤ」

『あ、はぁ』

 

 そうして母親……クイント・ナカジマと奇妙な再会を果たした悟空は一宿一飯を甘んじて受けるのであった。

 そう、一飯をである。

 

 

 

 

 

 忘れていたわけではない、むしろ彼女は知らないのだ。 そして無知とは罪である。 この男、その人物をただの地球人と比較して想像し、勝手な自己判断に当てはめてしまった時点で彼女は終わっていた。

 

 

 

 中島家のエンゲル係数はある時期を境に一般のそれより高めの設定であった。 それは食い扶持であり、育ち盛りである娘たちによるところが大きいのだが、それは結構なものであって。

 普通の男の子が“お椀”でいっぱい“ご飯”を食べるとして、スバル嬢はなんと丼ぶりにいっぱいのご飯の上からトンカツを載せてようやく“ゴハンのお供”なのだ。 見た目としぐさからは想像できないほどの健啖家っぷりはさしものクイントですら旋律を覚えるほどだった。

 

 これ以上は無い。 どこかそう思っていたのだ。

 わが子を超える存在などいるわけがない。 ここで打ち止めだ。 そう思い込んでいたのだ。 この井の中の蛙は―――――それが、どうだろうか。

 

 

 

 

「あ、あわわわわ…………」

 

 それはもう恐怖でひきつる顔だった。

 目の前の戦乱たるや、地球史に存在するかつての戦争すらある意味超えている。 獰猛で、残酷で、単純であるがゆえにわかりやすい地獄に対して、クイントの精神は恐ろしい勢いでボリボリ削られていく。

 

「むっくんむんむ……ボリボリ! ガリガリ!!

 

 

 まるで夢を見ているみたい。 クイントの意識が現実から乖離していくさなか、悟空の横から小さくも騒がしい音が聞こえてくる。

 そう、今回の騒動は何も孫悟空だけではなかったのだ。

 

 

「わー、おいしー」

「あ、おかわり」

 

 おそらくミッドチルダ代表を張れる娘たちがそこにいた。 ……いや、何の代表かなどとは言うまいが、兎に角盛大に食器を打ち鳴らし、空っぽにしていく彼女たちは先ほども述べた通り、実はいつも通りなのだ。

それを大きく引き離す勢いで現在トップを独走する孫悟空は現在、この家の冷蔵庫へ内部浸透てきなダメージをたたき出していた。

 

「クイントーおかわり!!

 

「も、もう炊飯器の中身が空っぽなんですけど……」

「スイハンキおかわりー!」

「こ、こら! スバル!!」

 

否、致命的な一撃を放っていた。 悪乗りするスバルをたしなめるギンガ、だが手に持ったどんぶりが説得力を大きく削いでしまっているのには気がついていないようだ。

 

「いやー食った食った」

「くったー」

「ごちそうさまです」

「4日分の食料が……!」

 

 え? それだけ? 高町の主力料理人が居たら驚きそうな被害総額に対して、しかし孫悟空の顔は緊張を醸し出していた。

 

「…………クイント」

「ご、悟空……さん?」

 

 あまりの鋭さに硬直してしまう。 先ほどまでの穏やかさを打ち消すかのような雰囲気に、死線を体験したことのない彼女は一気に竦んでしまった。 何を、彼は言おうとしているのか。 彼女が注意を払い、孫悟空という男の言わんとしている意味を確かめようとした時だ。

 

「メシうまかったぞ! おっし、はら6分目だな」

「…………リンディさんに報告しないと。 家計が、家計が……」

「クイント、たぶんだがこれは援助金とかは出ないだろ」

「もう、だめ……」

 

 彼女の正気は一気に消え失せていた……

 

 しばらくしてクイントの正気度が正常ラインに浮上を開始し始めたころだろう、目蓋が重くなったスバルとギンガは寝床に入り、夢の中で羊たちと戯れている。 そんな幼子たちを置いていくように、大人たちは大事な話を始めていくのであった。

 

「あの、悟空さん」

「なんだ?」

「その、ですね。 先ほどのことなんですが」

「ハラ6分目はウソじゃねぇぞ?」

「あ、それは嘘で構わないんですけど……」

「悟空さん、今はその話を蒸し返さんでくれ」

「はは! わりぃわりぃ」

 

 ゲンヤが苦笑いして返すと悟空が盛大に笑って見せる。 その姿につられてしまう二人だが、そうしているだけで済ませるわけにはいかない。 彼女たちは、彼に聞かなければならないことがあるのだ。

 

「聞きたいことがあるのですが、いいですか?」

「ん? あぁ、いいぞ。 メシごちそうになったしな」

「すみません。 あの子供の姿からなのですが、あれはいったい

 

「お? あれか? うーん、どう言ったもんかなぁ

 

『……』

 

 しばし考える悟空。 声を殺して見守る夫婦はまるで腫れ物にでも触れるかのような空気だ。 彼自身にそうさせる雰囲気はないのだが、何せ相手は“あの”孫悟空だ。 一部とはいえ管理局の上層部、つまり自分たちの上司たちと太いパイプを持つ存在に対して、果たしてこのような質問をしてよかったのだろうか。

 いまさらながらに膨らむ疑問は、彼の沈黙が続けば続くほどに夫婦の首を絞めつけるようだ。

 

 その苦痛を知ってか知らずか、悟空はついに口を開いた。

 

「夜天のやつが言うには呪いなんだと」

『呪い……?』

「オラは忘れちまってるんだけど、前にドラゴンボールで誰かが願ったらしい。 “オラが子供のころだったらよかったのになぁ”ってな」

「また、ドラゴンボール。 願いを叶えるというロストロギア級の秘宝でしたっけ」

「ね、願いを叶える? 何のことだクイント」

「えっと、それはねあなた――」

 

 知らない単語とありえない情報にいぶかしげな顔をするゲンヤに、さっきの話を繰り返すクイント。 それがある一定のところまで終わる頃には夫の顔が青ざめたのは言うまでもない。

 聞き終わる頃に残る若干の疲労感。 信じられるだろうか? まだ、話の補足説明しかされていないのだ、この男は。

 それから茶を一杯飲みほし、目元をほぐすと孫悟空の話へと路線を戻す。 彼の、物語を聞いていこう。

 

 

 大体を掻い摘んでいく悟空。 ジュエルシードに始まり、闇の書を食い散らかした存在との決着と自身の詰めの甘さから来た結末。 ……弟子たちの奮闘。

 それらを話している時の彼は先ほどとは違った朗らかさを見せつける。 何がそんなにうれしいのか、最後のほうの説明では明らかに笑っていたように見えた。 

 

「んでだ、いろいろあって今、オラはここいるってわけだ」

「いろいろ……ですか」

「だな。 この体だって、夜天もオラも全部わかってねぇし。 もしかした大界王神のじっちゃんなにか言い忘れてることあるんじゃねぇのかな」

「いいわすれてること?」

「いやよ? オラ今まで子供に戻ったとしてもあぁ言う感じに“今までのこと”を忘れるなんてことなかったしなぁ。 こりゃ早いとこ夜天に相談したほうがいいかも知んねぇな」

「??」

 

 いまいち要領を得ない。 おかしい、彼の話を全部聞いたはずなのに。

 クイントが首をひねるとゲンヤは少しだけ彼の顔を見て……言う。

 

「悟空さん、聞きたいんだがいいか?」

「どうした?」

「どんな条件で子供になるか知ってるんですか?」

「あぁ、それならわかる。 オラの中にあるジュエルシードの魔力がすっからかんになるとガキの姿になっちまう」

「……そ、そうか」

 

 一瞬ゲンヤの顔が引きつったのだが、なんとか情報を丸呑みしたのだろう、冷静さを取り戻すと続きを促すように悟空をみやる。

 

「でだ、今回も同じように魔力がなくなってあぁなったんだと思う」

「……やけにはっきりしないですが、悟空さんなにかあったんじゃないですか?

 

「んー……

 

 

 腕を組んで首をかしげる彼。 そんな姿と、背格好とでどことなく勉強がわからない子供相手に家庭教師をやっている雰囲気なゲンヤ。 外見年齢で言えば間違いでもなさそうで、ゲンヤのほうが老けて見えるがこの組み合わせ、本来ならば立場は逆である。

 またも少しして、腰あたりを泳いでいた茶色のしっぽが力なく垂れさがる。

 

「だめだ、わかんねぇ」

『そう、ですか』

「修行してたとこまでは覚えてんだけどな、なんだかそこらへんがあいまいでさ」

「修行ですか……?」

 

 今出た単語にどことなく興味を惹かれたのがクイントだ。 彼女はとある武術の有段者であり、道を志すものである。 そのようなものが数段上、いいや、おそらく頂点に位置する存在の修行方法と聞いて目を輝かせないわけがない。

 そんな彼女の思いを知ってか、少しだけゲンヤは溜息をつく。 どうやら彼女の悪い癖のようだ。

 

「ど、どんな修行なのですか?」

「ん? なんだクイント、やっぱり興味あっか?」

「えぇ、まぁ。 あの孫悟空さんが普段行っている修練、聞くなというのが無理だと思いますよ

 

「そっか。 ……知りてぇ?」

「はい!」

 

 少しだけじらしてみる悟空。 なんとなく学生会をやっている男子中学生にも見えなくはないが、それに嫌悪するどころか乗ってくるクイントもクイントだろう。 会話が完全にそれたものだからゲンヤは一人渋茶を入れ始める。 彼は会話に参加する気がない様だ。

 

「そうだなぁ、まずは基礎的な筋トレだな」

「や、やっぱりつらいでしょうね」

「そりゃあな。 まぁ、それやったらあとはと良い相手をイメージして戦ってみる」

「イメージトレーニングですか」

「最近じゃメイソウってのもやってんな」

「え? め、瞑想って目をつむる……あの?」

「そうだ。 あれやって自分の中に流れる気をコントロールする。 心を静めて気をゼロにしたり、一気に爆発させたり。 何も考えなかったりする」

「……は、はぁ」

 

 ずいぶん簡単に言ったが、一番最後が難敵であることをクイントは知らない。 そもそも、この世界の人間は戦士で言うところの気、つまり魔力が流れる道を十全にコントロールできているのだろうか。

 発動と増幅はほとんどのものがやって見せていたが、完全にゼロにすることは……

 

「この間夜天がやってくれたけど、ありゃ裏技みてぇなもんだからな。 自分の自由に体をいじれるあいつだからこその技みてぇなもんだ。 だけど、ほかの連中はそうはいかねぇ」

「……」

「結局、なのはもフェイトもそこまではいけなかったしな。 あいつらの場合は兎に角みっちり鍛えることに集中して基礎力を上げたのもあっけど」

 

 主に体を鍛え、長所だけを引き延ばして積み上げていった。 それがあの子たちの半年間だ。 それがすんだら……描いていた計画がとん挫気味の悟空は苦笑いだ。

 

「結構みんな簡単にやってるようで、えらく難しいんだ。 気の量が多ければ多いほど、これはどんどん難しくなる。 んー、でけぇ皿だと皿回しが難しいだろ? そんな感じだ

 

「さらまわしって……」

 

 言いたいことはまぁわかるが、例えが貧弱すぎて今度はクイントが苦笑い。 なんだか結構オーソドックスな鍛え方とも思ったが、なかなかに深い鍛錬の内容。 これを真に理解する日が彼女に訪れるのだろうか……

 とまぁ、クイントが遠い風景を見ているところだ。 少し離れたところで茶を飲んでいたゲンヤが遠巻きに声をかけてきた。

 

「結局原因はわからずじまいですか」

「だな。 特に変わった修行もしてねぇし」

「なら、しばらく様子を見といたほうがいいかもしれないな……」

 

 またどこかで子供になってしまったら? そして記憶さえ失ってしまったら……クイントたちが懸念するのはそう言った事情なのだ。 彼の事情を知っているどころか、その性格ですら今ようやくわかった彼らだ、慎重になるのも仕方ない。

 ゲンヤの提案にクイントがうなずくと、続いて悟空へ提案をする。

 

「一応問題なく元に戻ったってことなら、誰かに連絡なりして合流したほうが……?」

「あぁ、そうか。 オラあれからみんなのとこに戻ってねぇもんなぁ」

『…………普通、無事の報告が先だと思うんですけど』

「はは! いろいろあったからすっかり忘れちまっただぁ」

『そうですか……』

 

 管理局員である二人からしてみればありえないほどのアバウトさであろう。 だが、驚くことなかれ、彼は修行がしたいからという理由だけで自宅を平気で数年間留守にするほどの求道者である。

 それが癖になっている時点で一般の常識が当てはまらないと見たほうがいいかもしれない。

 

「まぁ、いいや。 んじゃオラちょっくら行ってくるな」

「え? 今からですか?」

「悟空さん、今の時間じゃ転送ポートは使えないから、連絡を――」

「えぇと? なのはの魔力……あれ? あいつの魔力を感じねぇや。 フェイトでいいか。 んじゃ、オラ行ってくる…………――――――――」

 

『!!!!?』

 

 常識が当てはまらないとみて、断言していい。

 ゲンヤが通信の準備をしようかと腰を上げたときには孫悟空がこの世界から消えていた。 何を言っているのか、本人すらわからないのだが、とにかく気が付いたらあの男の姿がなくなってしまった。

 口をあんぐりと開ける夫婦はお互いを見合うとしばらくの間固まっていたそうだ……

 

 そこから10分ぐらい経っただろうか。 スバルとギンガの二人がきれいに寝息をそろえている中、夫婦が仲良く茶をすすっている。 律儀に彼の帰りを待って居る……というよりかは、管理局のお偉いさんから何か連絡が来てしまうのかという不安が大きいのだろう。

 そんな彼らを知ってか知らずか、アイツが空気を引き裂きながら帰って来る――――……

 

「あ、悟空さんお帰りなさ……」

「…………」

「うれしそうですね……?」

「ん? そう……か?

 

 

 クイントが指摘するも、悟空は大っぴらに答えない。 だがにこやかでは無いものの、その雰囲気というか空気は格闘家ですらないゲンヤにだってわかってしまう……というか――

 

「ちょっ!? 悟空さんしっぽがイタイ!!

 

「え? あぁ、すまねぇ! 大ぇ丈夫かゲンヤ?」

「これが喜んでいないって言えないわよねぇ……」

 

 体はやけに素直な悟空にあきれつつも、笑いそうになってしまうのはクイントだ。 彼女はまったくといった表情で悟空を見やると、そのまま崩れたゲンヤの服装を正してやる。 

 

「それでどうだったんですか? 向こうからウチに連絡が来ないところを見ると全部――」

「アイツら爆睡だったからな、様子見てすぐ帰ってきた」

「あぁ、それであんなに早いのか」

「どうりでリンディさんから連絡の一つも来ないはずよ~~」

『あ、はっはっは!! …………………え?! 帰ってきた!?』

「おう、そうだぞ」

『なんで?!』

「いや、アイツら爆睡だったから……」

『…………さい、ですか』

 

 すでに圧倒的な温度差を前に、完全に疲れ果てたのは誰かなのは言うまでもない。 夫婦がそろって脱力すると、ゲンヤが通信機に手を伸ばしかけて、やめる。

 

「もう24時か。 いまかけても夜勤しかいないか……悟空さん、連絡は明日にしてもらってもいいか?」

「別に構わねぇぞ」

「そいつはよかった。 クイント、悪いが俺はひとっプロ浴びてくるから、悟空さんのことを頼んだ」

「えぇ、わかったわ。 悟空さん、こっちに空いてる部屋があるので今日はこちらで」

「おう、そっちだな」

 

 そうして悟空がクイントの後についていき、たどり着いた部屋で道着を脱ぎ散らかせばkょうが終わる。 一人、布団の中で本日の出来事を思い返す悟空はどうしてか気持ちがいいくらいに笑っていた。

 

「あいつら、ウンと強くなったなぁ。 クウラをオラなしで倒しちまったもんな」

 

 弟子たちの成長ぶりに笑みがやまない。 苦心した覚えはないが、それでも彼女たちの成長の遅さは悟空にとって計算外でもある。 息子である悟飯と比べるような真似はせずとも、それでも彼女たちの歩みは――

 

「今度会ったら、なにおしえてやっかな」

 

 悟空の何かを、刺激してやまない。

 楽しいと思うベクトルが違うだけなのだ。 ベジータとの死闘、悟飯との修行、楽しい形は数多くあれど、あの娘たちとの時間も彼にとっては良いものとなっていた。 だから彼は再会を願い、それはすぐだと思い、目蓋を閉じたのだ。

 その後に起こる、彼自身も予想していなかったアクシデントさえ起らなければ……

 

 

 

「おっじさーん!」

「ん?」

 

 朝。 目が覚めた悟空が最初に聞いたのは幼い女の子の声だ。 これでもかとハツラツな声で彼をたたき起こすと、元気に満ち溢れた彼女はそのまま孫悟空のでどこへダイブする。

 

「おっはよー!」

「なんだスバルかぁ、おっす!」

「オッス!!」

 

 悟空の何気ない返しだが、彼女はそれでもとことんうれしいらしい。 なにがそんなに楽しいのか自身にさえわからぬままに悟空へ片手を上げてキャッキャと笑っていた。

 

「スバルおめぇ元気だなぁ」

「ウン! だってうれしいんだもん」

「そうかぁ、ならしかたがねぇなぁ」

 

 何がどうなってそうなるのかがわからないが、悟空が納得してしまえばスバルはただ笑うだけ。 そんな彼女を大事に床に布団に置きなおすと、悟空はゆっくりと立ち上がる。 背中から見え隠れする尾っぽがモゾモゾ動けばスバルの視線を奪い、いつもの道着に腕を通すと尾っぽは景気よく引き締まる。

 孫悟空、完全起床である。

 

「でもおじさん朝はやいねぇ」

「何言ってんだスバル、おめぇが起こしたんだろ?」

「そうだっけ?」

「お、おめぇなぁ」

 

 自身に負けず劣らずな存在は珍しい。 ……本人が聞いたらそんなことねぇ、もっとしっかりしてると言い張るかもしれぬが。 なかなかボケボケした女の子は始めてな悟空は、扱いに困る。

 

「ねえ!!」

「どうした?」

「おねがいがあるの!」

「なんだ?」

 

 だから、だろうか。

 この時の悟空は彼女に甘かったし、リインフォースから言い渡された慎重さも忘れてたし、それに彼自身えらく乗り気だったのも災いした。 ……基本的なキャラがかぶっていたというのも、大きなウェイトを占めていただろう。

 

「みせて!」

「なにをだ?」

「おねえちゃんがね、おじさんがいろんな魔法つかえるっていってたの! だから見せて!」

「え? 魔法か? わりぃけどオラ魔法使いじゃねぇんだ」

「えー! ウソだ―!」

 

 ブーブー騒いでいるが、彼にとってこれは事実だ。 遠い昔、彼の特技を聞いてリンディとクロノがどれほどに自身の存在意義を喪失したかも悟空自身知らないし、知る必要もないことだろう。

 

「しってるよ! おじさんそら飛べるんだよね」

「え? あれくらい普通にみんなできるしなぁ」

「できないよぉ、スバルそらとべないもん!」

「え? まぁ、そりゃあそうなんだろうけどさ」

 

 ちなみに今のところ魔法のアシストなしでは誰一人自力で空を飛ぶことはできないのは言うまでもない。 この次元世界で身体一つで飛行から必殺技まで使えるのは後にも先にも彼一人だろう。 ちなみにこの家にいる人間は魔法込みでまったく空を飛べないはずだ。

 

「どうすっかなぁ……あんましうるさくすると迷惑だしなぁ」

「ワクワク……わくわく!」

「あーえっと……」

 

 困り果てるもボリボリと後頭部を核とすぐに結論が付いたのだろう。 彼はゆっくりと立ち上がるとこぶしを握って前に突き出す。 そうだ、彼にできることなんてそれしかない。

 

「修行、見てくか?」

「……?」

「あ、えっと。 オラこれからいろんな技の練習をだな……」

「?」

 

 どうにも子供には難しい単語だったらしい。 首をかしげて不思議そうに悟空を見る彼女のい視線がやけに痛い。 そうか、修行と聞いて喜ぶ関係の人間ではないのか。 少しだけ残念そうにしたが、それでも彼のやることは変わらない。

 

「いろんなすげぇもん見せてやる、来るか?」

「わぁ! 行くいく!!」

「うっし! いい返事だ!」

 

 両手を上げて喜ぶスバルに、まるでつられるように勢いを取り戻した悟空。 こうなった彼はチチの雷でなければ止まらない。 早速スバルの左手をつかむと、彼はおもむろに遠くを見渡す。

 

「スバル、山と海どっちが好きだ?」

「白いごはん!」

「…………オラも好きだけどな、今はそうじゃなくてよ」

「うーん、うーん。 きのうはお肉だったからお魚がいるところがいい!」

「お、おう……!」

 

 精神年齢がなのはたちに比べるとウンと低いのをようやく理解した。 ある意味大物なスバルの手を握って……――靴を履かせると……―――彼は遠い世界へヒトっ跳び。 いつか見た楽園を思わせる海岸へとたどり着いた。

 

「――……ん? あれぇ?」

「ここがちょうどいいかな。 強い生き物もほとんどいねぇし、スバルが襲われるってことはないだろ」

「おじさーん、お家がないよ?」

「そりゃあ、こんなところにはねぇだろ」

「どうして?」

「瞬間移動で飛んできたからな」

「ほぇ~」

 

 だめだ、口が半開きになっている。 話のほとんどを理解していない。

 孫悟空が困った風にそっぽを向くが、スバルの表情は反対に晴れやかだ。 早く何か見せて遅れ――紙芝居の前の子供のように目を輝かせると、自然、悟空が道着の帯を引き締める。

 

「はぁぁぁぁ」

「わ、わ!」

 

 目つきからすべての気を引き締めると、ただそれだけで周囲の空気を一変させる。 風が不自然な流れ方をして、流れてくる波の勢いが増した気がした。 空気と波の流れにつられるように、空に浮かぶ雲さえ悟空の真上を通ることを嫌がる。

 ひどく不自然な快晴な空を背に、彼は一気にあの姿になる。

 

「ふん!」

「え!? なになに変わっちゃった!!」

 

 ゴールドよりも黄金色に、エメラルドよりも深い緑に。 彼のパーソナルカラーを塗りつぶして、その姿は強き戦士へと変わっていく。

 

「どうだスバル、驚いただろ――」

「お、おじさん……へんになっちゃった」

「へ、へん?! おいおい、そりゃねぇだろ」

 

 超戦士も戦いがなければ子供から見てこんなものなのだろうか。 というか、スバルから見れば今の彼を悟空と認識しずらいようで、やや、表情が硬くなっている。

 

「さっきのがいい!」

「え? いやぁ、じつはこれからもっとすげぇのが」

「やだやだ! おじさんの姿がいい!」

「これもオラなんだけどなぁ……こまったなぁ」

 

 もうあと何個か驚きの策を組んでいたのだが、思わぬ感想に超サイヤ人のしっぽが垂れ下がる。 

 

「なにもないところにスゴイモノだしたり、けがを治したり、変身したりできないの?」

「そういうのはピッコロやデンデの専門だぞ、オラはできねえかな」

「えー……」

 

 後半は実はできたりするが、やってしまうと世界が終わってしまうのでぜひ遠慮願いたい。

 

「ま、ま! そう文句言わずに見てけよ。 夜天にすら見せたことのないすんげぇもん見せてやっからさ」

「やてん? だれ?」

「オラの仲間でな、いろいろと……っと、アイツあれで地獄耳だからな、あんまし変なこと言うとどやされるからやめとくか」

「ふーん」

「とにかくさ、すげぇもんみてぇだろ? 修行がてらとっておきを見せてやっから、そこでおとなしくしてんだぞ?」

「はーい」

 

 興味なさげにスバルが適当な木陰に腰を落ち着ける。 ボスンだなんて派手な音を立てるその姿はどことなくボーイッシュさを見せつけ、女の子らしさを消し去っていた。 なんだかウトウトし始めたところを見るに、早起きのツケが回ってきた感じもする。 それすら放っておいて、孫悟空の修行は始まり――――――

 

 世界は、光に包まれた。

 

 あまりにも突然に、唐突に。 いいや、それは嘘だろう。 先ほどから世界はこの男の周りだけを避けて自然の摂理を送って来たのは変えようのない事実だ。 雲も、海も、大地だって彼のことを恐れていた。

 そうだ、前兆はすでにあったのだ。 ただ、結果がわからなかっただけで。

 

「わ、わわ……わ……」

 

 ソレを目撃したスバルからは畏怖にも似た声がただ漏れていき……その男は、世界から消えてしまった。

 

 

 

 

 

 

「ん? ”おら”どうして海になんかきてんだ?」

「お、おじさん……?」

「お? おめぇこの間会った奴じゃねぇか! なんだ、おめぇも迷子か?」

 

 最悪な出来事が、起きてしまった。

 目の前には女の子がいて、でもその子は何の力も持たない活発な子供に過ぎなくて。 事態の中心にいる男の子はひたすらに男の子で、ほんの少しだけ力はあっても、それはこの次元世界中で見ればそこそこのレベルであって。

 

 伸長120センチ未満、体重が高町なのはと並んでいる彼はどこまでも子供の枠内であって……

 

「なぁ、おら帰りたいんだけどここどこだ?」

「え? え! そ、そんなこと……わかんないよぉ」

 

 悟空の変化に戸惑いを隠せず、だが、それでもこの子はここぞというときには聡明であったらしい。 

『オォーーン!!』

『グルゥゥ……』

「ひ!?」

 

 海岸、その遠く離れた森林からは獣のうねり声が聞こえてくる。 絶対強者(ゴクウ)の気配が薄くなって彼らも活発になり調子づいてきたのだろう。 小さな獲物二つに対していじめともいえる牽制攻撃をけしかけてきた。

 

 それを聞き、自身の置かれた立場を深く理解すると、途端に静かになり……一気に爆発する。

 

 

 

「おかぁぁぁあああさぁあーーーん!! たずげでぇぇ!!」

「いきなりうるせぇ奴だなぁ、やかましいったらねぇぞ」

 

 ようやく気が付いた緊急事態にスバルは泣きじゃくることしかできず、悟空はそれをただ迷惑そうに眺めていた。

 そんな後も先もなさそうな彼らは無事に家に帰ることができるのだろうか。 そして、このような事態になっても現れないリインフォースはどこで何をやっているのだろうか。

 

 それは、やはり悟空にさえわからない。

 

 

 

 




悟空「おっす! オラ悟空!」

スバル「びえぇぇーーん!」

悟空「しっかりしてくれよ。 おめぇがきちんとしてくれねぇとこの先話が進まねぇんだからさ」

スバル「むりなものはむりだよぉ……おうちにかえりたいよぉーー!!」

悟空「こういう時どうすりゃいいんだ? ピッコロのやつ、あの悟飯をどうやってあそこまで育てたんだ、聞いておくべきだったかなぁ」

スバル「びえぇぇーーーー!!」

悟空「誰か助けてくんねぇかなぁ」

スバル「にくまんがたべたいよー!」

悟空「は、話が進まねぇ……よ、よし! 今日はここまでだな! 次回!! 魔法少女リリカルなのは~遥かなる悟空伝説~ 第78話」

スバル「サバイバルはヤダ! 地獄の林間学校開始……」

悟空「いいか? よく覚えておけよ。 これは食えるもんで、これはダメなもんで……」

スバル「えぐ?! お、おじさん……からだがしびれてうごかな……っ?!」

悟空「あれ? オラが食っても平気だったんだけどなぁ。 なんでだ? …………ああ!? オラシャマルの料理で鍛えられたからだ!!」

スバル「じ、ジビレバビビ……ブブぅ」

悟空「と、とりあえず水飲ませりゃいいのか!? どうすっか、どうすりゃいいんだ?!」

???「このひとたち、何やってるんだろうか。 ……皆さん、また今度」


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