魔法少女リリカルなのは~遥かなる悟空伝説~   作:群雲

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大変遅くなりました。
繁忙期開け、久しぶりの投稿です。 では……


第81話 月が見える夜

 

 

 

 

 

 

「…………ん?」

 

 そこは、白い部屋だった。 ベッドと狭い窓枠が置いてあるだけで、何も無い部屋だった。 そんなところに見覚えの無い少年は、視線を迷わせながら布団から出る。

 

「あ、れ?」

 

 出る。 いいや、出ようとしたのだが身体が言うことをきいてくれない。

 全身の運動神経が抜き取られたかのように、ぴくりとも動かないのだ。 こんなこと、どんな修練を積んだ後でもなったことが無い。 初めての感覚に戸惑いを見せながらも……

 

「まぁ、いっか」

 

 彼はやはり、そう言うのであった。

 動かないと言うことは、自身は途轍もない無茶をしたのだろう。 だから、今は休むべきなのだろうと理解していた。

 

 でも、何か変だ。 ……そう、彼自身、どうしてこのような場所にいるのか、皆目見当が付かないのだ。 ちがう、身に覚えがないのだ。

 

「メシ、食って。 変な三人組懲らしめて……なんだっけ」

 

 記憶がはっきりしない。 ここまでボロボロになったというのに、そこまでの経緯を思い出せないのはどうにもすっきりしない。

 普通に走って転んだと言う訳じゃ無いだろうし、自身の頑強さならば、並大抵のことではこんなことにはならないのは、少なからず理解している。 なにか、あったのだ。 小さな不安だったが、ソレは時間が経つほどに大きくなっていく。

 

「そうだ、アイツならわかるかもな」

 

 少しだけはっきりしてきた意識で、現状を打破出来そうな頼りになる存在を思い出す。 しっかり者で、それでいてどこか面白くて……自身が知らないことをすぐ教えてくれる彼はどこに居るのか、わからない少年はとりあえず口にしてみることにした。

 

「おーい、ティーダー……」

 

 どこかにいるんだろう? そんなニュアンスの、彼にしては珍しいほどの小さな声。 身体が弱り切っていると言うのもあるが、それ自体が問題では無い。

 彼は、心の奥底から彼を呼べていないのだ。

 居るのかどうかもわからないから、少し控えめなのだ……そう、思うことも出来る。 だけど、ソレは違う。

 

「おーい、だれかいねえのかー」

 

 自身の違和感に気づこうとしない少年は、今度は別の誰かを呼んだ。 こう、状況もわからずに動けないで居るのは不安でしか無い、どうにか打開しなければ。 何でもいいから状況を知りたい彼は、少しだけ声を張り上げた。

 

 少しして、部屋のドアが開けられた。

 大げさにならされる足音と、数人とわかる声のざわめき。 少年が静かに疑問符を作っていると、一人、初老の男性がベッドに近付いてきた。

 

「キミ、意識はあるんだね?」

「あぁ、大丈夫だぞ……でもな、身体がうごかねえんだ」

「ソレは当然だよ、キミは――いや」

「どうした?」

「いやいや、何でも無いんだ。 でも、キミは大けがをしていたからね、ここに運ばれたときはひどい物だったんだよ」

「そっか……」

 

 医者なのだと、少年は思った。 白い服、薬品臭い身体と、首からぶら下げている聴診器が、彼の中の医者像と見事に合致していた。

 そんな初老の医者は、少年のベッドから少し離れると、そっと背中を向けた。

 

「少しだけ、わたしとお話をしてもらってもいいかな?」

「うん? なにをだ?」

「いろんな事だよ。 そうだね、まずはお名前を聞きたいな」

「おら、悟空。 孫悟空だ」

「……そん、ごくう……そうか」

「おらの事、知ってるのか?」

「ん? 大事な患者さんだからね、いろいろと知っているよ」

「そっか……じゃあさ、おらがなんでこんな事になってるのかも知ってるのか?」

「あぁ、そうだよ」

 

 ここでようやく振り向いた。 医者が優しい顔をするのだが、どうにも悲しい表情にも見える。 まるで、少年に対して申し訳ないと謝るようで……悲壮なのだ。

 

「あんな、おらなにか大事なこと忘れてる気がするんだ」

「……そう、か」

「アイツなら知ってる気がするんだ……そうだ、ティーダ…………おらと一緒に居たと思うんだけどさ、どこに居るか知ってるかな」

「…………その、だね」

 

 ごめんね。 医者は最初に言った。

 わからないと言う意味だと、悟空は思うことにした。 だけど医者の表情が曇り、陰り、苦い物になっていけば、いくら純朴な少年でも嫌でもわかってしまう。

 

「あいつ、どうかしたんか」

「キミと一緒に居た、管理局員の彼は、その…………息を引き取ったよ」

「……………………え」

「亡くなったんだ」

 

 もう、あの男とは二度と会えなくなってしまった事実を。

 

「…………うそだ」

「出血がひどくてね、こっちに到着したときにはもう……」

「ウソだ……ウソだ!! あ、アイツ結構腕も立つし、しぶとくて、それにイモウトの為にガンバルって!」

「……残念だけど」

「あ、……ぁぁ」

 

 凍り付き、青ざめていく悟空の脳裏にはあの男の笑い声が木霊する。

 頑張るぞ、などと自分を舞妓しながら日常を送り、たったひとりの肉親のために働く姿は、ずっと前に別れた祖父を彷彿とさせる。

 そんな彼が、死んだ。

 どうして? なぜ………………いや、答えは、すぐに見つかった。

 

「あの、女か……」

「ん?」

「アイツが、やったんだ……」

「ご、悟空君?」

 

 動かないはずの身体が震えた。 純朴そうだった少年の目は既に無く、その内に眠る野生……いいや、なにか途轍もなく恐ろしい物を医者は確かに診た。

 

「アイツが……アイツが殺したんだ」

「き、キミ! 落ち着くんだ!」

 

 全身が動かないはずの少年に潜む、黒い獣が暴れ出す。

 

「グワァアアア!! よくも、よくも!! あのヤロウ!!! おらがぶっ殺してやる!!!!」

「ぜ、全身不随のはずなのに、どうしてここまで暴れられるんだ!? だ、誰か来てくれ! 鎮静剤を――――」

 

 叫ぶ悟空は既に半分理性が無い。 あの、気心の知れた男が殺されて、しかもソレをやった犯人はいまもきっとあのときと同じ顔で笑っているに違いない。 ソレを思ってしまったらもう、止まる理由などどこにも無い。

 

 彼は、力尽きるまで暴れ回った。

 

 

 

 

 

 

 悟空が全身の痛みで気を失うまでおよそ10分。 病院の人員をフル活用して、どうにかベッドに縛り付けることに成功した。 彼がここまで弱り切っていた事が幸いし、病院側には誰一人怪我人は居なかった。 奇跡的だった。

 

 ここまで暴れた少年に戸惑い、困惑した病院だが、誰一人としてもこの者を追い出そうなどとは思わなかった。

 彼の叫びがこの施設すべてに届いたからだ。

 途轍もない、慟哭。 仲間を、友を奪われた少年をいったい誰が責められようか。

 この建物にいる誰もが、彼のこの先を案じた。

 

 

 

 

 悟空が一度眼を醒して、十数時間が経過した。 心も体も限界まで酷使した彼は今も尚眠りから覚めない。 

 いまだ寝息が響く病室は暗い。 窓からの明かりも無い深夜はとても静かで、とてもこの少年には不釣り合いな空気であった。 そんな一室のドアが、静かに開く。

 

「すぅ……んぐ」

「…………」

 

 ベッドになんとか届く背丈に、オレンジ色の頭髪の少女。 彼女は無言で悟空の近くに歩居ていき、やはり無言で佇む。 何も無い空間でどこまでも無言。 永遠かと思われた沈黙の後で、彼女は突然……叫びだした。

 

「どうして!」

「……っ?」

 

 その声が少年を起こした。 どうしようも無く力尽き、誰も起こすことが叶わなかった彼を、只の少女がたたき起こしたのだ。 その、今にも掴みかからんとする怒声を持って。

 

「お、おめぇ……」

「どうしてこんなところで! あ、あんたがお兄ちゃんを……!」

「おら……」

 

 否。 掴みかかったのだ。

 

 胸元を掴まれ、ベッドから落とされた悟空は自身にまたがる少女を見上げた。 その瞬間、

彼は息を呑んでしまう。

 

「うぐっ……えぐ……」

「あ……ぁぁ」

 

 その顔に怒気は無く、既に悲壮に塗れてしまったからだ。 そんな相手に掴みかかった理由を尋ねるほど悟空は疎くないし、彼女の怒りも悲しみも自身に覚えはある。 そう、近くて遠い昔に、少年は少女と同じ体験をしたからだ。

 大ザルに踏みつぶされた“はず”の自身の…………

 

「おら、おめえのアニキ……カタキ、とれなかった」

「仇なんていらない……お兄ちゃんを返して」

「…………」

 

 少女の、いいや。 ティアナの顔を見るたびに、あの悟空が気圧される。

 自身のミスでも、まして、悟空自身が手をかけたわけでも無いにもかかわらず、彼女から向けられるこの感情は理不尽な物だ。

 少年はとても強い。 その身体は頑強で、銃弾すら跳ね返す鉄壁の身体だ。 でも……

 

 でも、こんなどうしようも無い感情を訴える相手とは、戦い、勝ったことが無い。

 

 こうまで悲壮をぶつけてくる相手と真正面から戦ったことが無い。

 こんな理不尽を相手などしたことが無い。

 

 だから、少年は困ってしまう。

 

 でも、だけど……だ。

 

「おら、なんとかするからさ……だから」

「…………」

「おらが」

「出来るわけが無い……もう、ぜんぶ……」

 

 だけど――

 

「おらがティーダを生き返らせてやる……! アイツを、このままになんか――」

「~~~~ッ!!!?」

 

 その言葉が引き金だった。 ティアナの悲壮が、一気に反転する。

 

「何言ってるのかわかるの? そんなこと、出来るわけ無いじゃない! お父さんもお母さんも死んじゃって、それでもうわかってるの! 死んだ人は帰ってこないの! わたしがコドモだからって馬鹿にして、その場しのぎでウソなんてついて!!」

「うそなんかじゃ――」

「うぅぅううううう!!」

「あ……おい」

 

 悟空を掴んだ手の力が一気に増す。

 それでも所詮5、6才程度の腕力だ。 孫悟空を絞殺するには絶対的に力が足りない。 

 

「えぐぅ……かえ、してよぉ……」

「おめぇ……」

 

 だが悟空の心には十分すぎるほどのダメージが入っていた。

 何度目かの嗚咽を聞いたとき、病室に別の足音が侵入する。

 

「悟空君、なにか大きな音が……き、キミ! 何をやってるんだ!?」

「あ、コイツは……」

「重体患者なんだぞ! 早く離れなさい!」

 

 動けない悟空の上でまたがる少女。 ソレを見た医者は血相を変えて彼女を引きはがしにかかる。

 少しばかり暴れるかと思われたティアナもおとなしく者の手に引っ張られ外へ連れ出されていく。 その光景をただ見ていることしか出来ない悟空は、そっと奥歯を噛みしめていた……

 

 

 その後、ティアナはまだ幼く、気が動転していたと判断され、別室で療養することとなる。 しかしソレは悟空へ不用意な接触を避けるという措置でもあった。 それほどに彼女に対する孫悟空への反応は最悪であったからだ。

 その、悟空はというと……医者からとんでもない宣告を受けていた。

 

 

「……全治一年だね」

「え? おらそんなには寝てらんねぇなぁ」

 

 そんな事をしていたらティーダを生き返らせることが出来なくなるからだ。

 孫悟空の奥の手は様々な制約がある……のだが、ソレが所々強引に変わってしまっているのはこのときの彼が知るよしも無い。

 

 とにかく、このままこんなところで休んでいる場合では無くなった彼は、医者に食ってかかる。

 どうにか治せない物か。 全部じゃ無くてもいい、ただ、この身体が動けるようになればそれでいい。 そんな無理難題、当然受け入れられる訳が無く、なだめられて終わる毎日が無情にも消費されていく。

 

 病院で身体を動かせないままに10日が過ぎていった。

 

「…………うし、誰もいねえな」

 

 孫悟空はベッドの上で“起き上がる”

 周りを見渡すと一呼吸置き、ゆっくりと腕を振り回す。

 

「イデデ!? ……か、肩が……」

 

 激痛と共に彼に警告をする身体。

 まだ、全身の骨がくっつき終わっていない上に、肉離れも起こしている。 だから、とにかく動くな……と。

 

 だけど、そんな身体の警告をこの男が聞いてくれるだろうか?

 

「……よし、慣れた! 今度は歩くぞ」

 

 痛みを堪え、涙目となりながら今度は床に足を付ける。

 床に触れたところから激痛が走る……だが、コレもまた無視していく悟空。 今度はゆっくりと足を動かしはじめた。 

 一歩、少しずつ。 ほんの少しの前進を繰り返し、10分の時間をかけてようやく部屋のドアへとたどり着く。 ドアノブに、ゆっくりと手をかけた。

 

「っ!?」

 

 腕を、捻ることが出来ない。

 なんとか上下の運動には耐えてくれたものの、そこまでであった。 また別の動きが加わると、激痛が重複して身体を引き裂いていく。

 夜の病院。 皆が眠りについているこんな時間帯で叫び声を上げればすぐに見つかってしまう。 ソレは極力避けたい悟空は、歯を食い縛り、息をフーフー漏らしている。 痛みに慣れていると言っても、これ以上は本当に限界であろう。

 何が彼をここまでさせるのか。 いや、彼がなにをしたいのか……

 

「強く、なってやる……アイツ倒さねえと、ティーダ生き返らせてもまた、殺される……」

「…………」

「おら、ぜってぇ許さねぇぞ。 それに、ティーダもぜってぇ助けるんだ……」

「……………………」

 

 “彼女”には、わからなかった。

 

 

 

 

 

 

 最初は、水を飲みたくて外に出た。

 

 医者にはしばらく安静にしていなさいと言われ、必要な物はなるべくそばに置かれていた。 子供心ながらに“あぁ、ここから出るなと言っているんだ”というのも理解できた。 あんなことをした後だ、この扱いには十分納得した。

 飲み水も、備え付けの冷蔵庫の中に十分に備蓄されていた。 だから、普通に使っていれば飲み干す事なんてあり得ない……だけど、夜になるとどうしてものどが渇いてしまう。

 

 あのときの、彼を思い出してしまうから。

 

 眠りにつこうとすると、聞こえてくるのは彼の弱々しい声。

 言い訳がましい、なんとかするという声はいつまで経っても忘れられない。

 

 私はコドモだ。 ソレはわかっている。

 だけど、周りよりもほんの少しだけ多く不幸を経験しているせいか、どことなく大人びているところもあると思っている。 お兄ちゃんはそう言うところを生意気だとか、もう少しコドモっぽくていいとか言うけれど、私はコレでいいと思う。

 

 だから、コドモの絵空事のような事を言うあのヒトがどうしても許せなくて。

 背丈も、仕草も。 私とそう変わらないはずの……彼。

 そんな男の子に信頼を置く兄がわからなかったし。 それに併せてどこか対等に接していたあの子の事がわからなかった。

 

 ……本当に、わからなかった。

 

「…………のど、かわいた」

 

 もう、暗い時間だ。 消灯時間を過ぎて、周りはもう寝静まっている。 でも、私はどうしてものどが渇いてしまって。 ナースコールを押すまでも無いし、少しだけ言いつけを破って外にある自動販売機を目指してドアを開けてしまった。

 

 真夜中の病院を怖いと、昔は思っていた。

 でも、どんなに暗い廊下を歩こうが、電灯が付いたり消えたりしていても今の私に恐怖心が沸くことが無かった。 ただ、悲しくて、悲しくて…………

 

「そっか、泣いてばかりだから……のどが乾くんだ」

 

 そう気がついた頃には目的の自販機で水を一つ購入した後だった。

 お医者さんに見つかるのはよろしくない。 だから足早にここから去ろうとしたときだ、ほんのかすか……でも、途轍もないほどのうなり声を聞いた気がした。

 

「な、に……いまの……こえ?」

 

 声だと、本当に思えたのはもう一回同じ音を聞いてからだ。 だってヒトが出すにしては途轍もないほどの衝撃を心が覚えてしまったから。

 なんだろう。 この、身体が震えるような声は……気になってしまえば自然と足が声の方に向いていた。

 

 そして、私は後悔した。

 

 

「………………38…………39…………ぐぅぅっ!?」

「……なに、やってるの」

 

 あのヒトが……あの、男の子が病室でうずくまっている。 痛みで転げ落ちたのかと、すぐにドアを開けようとしたけど、その手は動かせなかった。

 

「40! ……よし、腕が動かせるようになってきたぞ」

「どう、して……」

 

 彼の言葉はうれしそうだったのに、その顔がとてもゆがんでいたからだ。

 怒っているわけでも、落胆しているわけでも無い。 ただ、何かに耐えているように口元を食い縛っている。 その姿に、私は全身を縛り付けられてしまった。

 

「すぐ、治してやるこんなモン! 待ってろよ、ティーダ」

「ッ!?」

 

 身体を治す事は二の次で、ついこの間まで他人だった兄の為に、ただ、意味のあるのかわからないトレーニングを継続していた。 私には彼のやっていることが正しいのかわからない。 ああやって身体を痛めつければもしかしたら治りが早くなるのかもしれない。 そう言う特異体質なのかもしれない。

 それに……あのヒトがどうなろうと、私にはもう……関係ないから。

 

 私とあのヒトをつないでいたのは、兄という存在だけだった。 正直、私にはどうでも良かったし、今まで二人暮らしだった私たちの間に突然転がり込んできて困惑していたところだった。

 だから、もう、関係は前のように他人になる……そういうはずなのだ。

 

「ガ!? イデェ!!」

「あ……」

 

 床を転がり、口を絞って叫び声を殺す彼をみると、身体が震えてしまう。

 

「フゥ……フゥー」

 

 呼吸を整えて、痛みを殺していく彼はまたも身体を動かしていく。 どう見たって無謀なトレーニングだ。 きっと彼はものすごい無茶をしている。 でも、彼は止めたってやめないだろう。

 鬼のような顔をする彼を見ているうちに、ドアをゆっくりと開けている自分が居た。 気がつかないうちに彼へと近付いていたのだ。

 それでもあのヒトが私に気がつくことは無かった。 どんなに腕が震えても、どれほどに身体が悲鳴を上げても彼は自分の身体をいたぶっていった。

 

 10回目の悲鳴を押し殺したとき。 私はついにかけだしていた。

 

「あぐぅ……まだ、だ……まだ……」

「もういい!!」

「あ、え……? おめぇは」

「もういいから、お兄ちゃんを返せなんて言わないから! もうやめてよ!!」

 

 本当はよくない。 お兄ちゃんにはまた会いたい。 でも、この人がこれ以上悲鳴を押し殺す姿も見ていたくない。 だって、あまりにもその姿が痛々しいから。

 

「頭悪いの?! そんな身体で動いたって、余計に悪くする一方だって、ふつうわかるでしょ!?」

 

 これ以上無理をする姿を見ていると、私の気がおかしくなってしまうようで。 だから、そう、コレは私の為に引き留めているだけなのだ。 この人の為などではないのだ。

 

「うごかねぇと治らねえもんも治らねぇぞ。 それにおら聞いたぞ。 こういうのを“りはびり”って言うんだろ?」

「……え?」

 

 ……ちょっと、待って。 もしかしてこの人。

 

「おら言われたぞ。 ある程度治ってきたら、今度は身体を動かす練習が待ってるって」

「……それはそうなんだろうけど。 でも、身体治ってきてるの……?」

「ここで目が覚めたときよか全然だな。 こうやって這うくらいは出来るし」

「せめて歩けるようになってからじゃない?」

「そうか? ……そうか」

 

 やっぱりというか、当然のように無理を無理とわかっていて、それでもこうすれば治る、 こうしないと動けるようにならないと思ったからやっていたんだ。

 でもその方法が極端すぎる。

 だから私は、この人のことが急に……怖くなった。

 

「もういいからジャマすんな。 言われなくったっておら、ティーダの事は生き返らせるって決めてたんだ」

「……また、そんなこと言って」

「ホントだぞ。 ホントにホントだ」

 

 背格好が私と変わらないから最初はウソか強がりだと思っていた。 だけど、こんな姿まで見せられて、ここまで強く言い切る姿をウソだと言ってやる事なんて出来ない……けど……

 

「でも、もういいから」

「ん?」

「そんなになってがんばっても、出来ないことは出来ないから。 ……倒れちゃう前に、早く寝てください。 それじゃ」

「……ウソじゃねえぞ」

 

 彼の呟きを危機ながら私はその場を去った。 買ってきた水を一飲みして、潜り込むようにベッドに入り込む。

 今この瞬間、私が眠りにつこうという時でさえ、彼はきっとお兄ちゃんを生き返らせるという無理をしようと躍起になっているのだろう。 ソレが、どういう意味なのかもわかっていないのかもしれない。

 

 そうだ、彼はきっと……大切な誰かを失ったことが無いからあんな事を言えたんだ。

 

 いつも笑ってばかりの顔は、きっと辛い現実もなんて知らなかったのかもしれない。 だから、あんな事が言えたのかもしれない――――

 

 一瞬。 本当に少しだけ彼に対して言い知れない感情がわいてしまう。

 ベッドから飛び起き、文句の一つを言ってやろうと頭に血が回りかけたときだ。 ……私は、いまになって思い出したのだ。

 

「……あのひと、家族はどうしたんだろう……?」

 

 前に聞こうとしたら話が通じてないのか“おじいさんの話だけ”しか聞けなかった。 かといってそれ以上は興味が持てなかった。 でも、今になって考えればおかしな話だ。

 あのヒトはなんなのだろう。

 どうしてウチに来て、兄と一緒に行動していたのだろう。

 そもそも、背丈と同様に私と同い年なのか?

 

 わからない。

 わからない。

 

 延々と自問自答を繰り返していくにつれて、やはり疲れがたまっていたんだと思う。 気がつけば深い眠りに落ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ――――とある、拘置所

 

 

 狭く、薄暗い空間の中に一人の男がうずくまっていた。

 時間にして280時間。 ただ、何かに怯えながら身体を抱き、奥歯を鳴らしながら時間を消費していくだけの存在。

 これには看守も対応に困り、とにかく言葉が通じるようになるまで待つことにしたのだ。

 

 牢屋の中でおとなしくしている彼を前に、看守は一枚の紙を取り出す。

 そこにはデバイスに記録として残せない情報がいくつか書かれており、情報が漏れそうになった際には燃やすことで隠滅させる。 数少ない紙媒体の資料だ。

 

 そのなかにある、男の数少ない発言を看守は確認したのだ。

 

「オ? ア? ンナ、ツキオ? ……えっと、あぁもう殴り書きはやめろって言ってるのにさぁ」

 

 とてもヒトが読めるような文字じゃないのは、そのときの状況が切迫していたから。 そう、男をここに収監したときは、誰も彼も忙しなく動いていたからだ。

 そう、この男をここに運び込む際、この施設はかなりのパニックに陥っていた。

 看守が数日前の事を思い出しながら、紙をたたみ懐に入れる。

 すると背後のドアが開き、自分と同じ格好の人物が現れた。 ソレを見ると、左腕に巻いた時計を確認し、少しだけ肩の力を抜く。

 

「やっと休憩時間か」

「お疲れ様です。 どうですか? なにか、変化は」

「いいや。 相変わらずダンマリだ」

 

 牢屋に居る男の変わらぬ姿を一目見ると、交代で入ってきた彼は帽子を被り直した。

 

「意味不明の言葉を叫ぶだけ叫んで、その後は糸が切れたように寝たきり無反応」

「おそらく“あの現場”の生き残りなんだろうけど。 せめて何か喋ってくれるといいんだがな」

「ほんとですね」

 

 今まで座っていた椅子を、交代の人物に譲るとそのままドアの向こうへと歩いて行く。 やっと今日の職務も終わり、帳簿に記録を付けたら隊舎に帰るだけ。 足取りも軽く、彼は牢屋から離れていく。

 

「…………」

「いやぁ、ホントに何も喋らない」

「……………………」

「出来れば何か、彼への手がかりを掴めればいいと思ったのですが」

「――――っと、わりぃ鍵渡してなかったな」

「!?」

「どうした?」

「い、いえ、なんでもないで……っす。 お元気で」

「? あ、あぁ」

 

 少しのハプニング。 だが、ソレもすぐに収まる。

 去って行く男を見送ると、今度は寝たきり怯えたきりの男性に視線を固定する。

 

 この男が、知っている。

 いま鍵を渡された看守が、最も知りたい情報をこの男は高確率で知っている。

 

 “あの、破壊されたビル街の中心地”に居た男ならば、きっと……きっと。

 

「孫悟空に何があったかを、きっと知っている」

 

 だからこの人物はここにやってきた。

 だから慣れない男装なんかしてここにやってきた。

 

 眼深く被った帽子を、そっと机に置くと、その身体を静かに輝かせた。

 

「…………さて、不用意に悟空に近付けば私の存在を気取られる。 慎重に行かなければならない故、このような手段に出ることをどうかお許しください」

 

 “銀髪”をたなびかせてゆっくりと男に向かい状態を下げる。 顔を近づけ、吐息がかかると言うところで“彼女”はそっと右手を伸ばす。

 

「孫悟空がナメック星で使った技……は、これですね。 さて、なにが見えるのやら」

 

 目を閉じ、男の過去を追体験していく。

 悟空の技と、魔法による複合がなせる技だ。 彼女は男の経験をさかのぼっていく。

 

 しばらくは黒い世界。 余計な情報を遮断しているせいか、視覚情報すらない世界で彼女はひたすらに考えた。

 自身がここに居る理由。 そう、孫悟空とティーダ・ランスターに仕掛けた“お守り”が同日、ほぼ同じ時間に消失したのだ。 後者はともかく、前者に会っては“絶対にあってはならない”事態のはずなのに……

 ソレが発生した経緯と、どうやって鎮圧したのかを彼女はどうしても確認しなくてはならなかった。

 

 男の過去、いいや、少年の軌跡を辿る旅がはじまろうとしていた。

 

 

 

――――――恐ろしい。

 

 ただ一つの感情が、この男を支配している。

 ソレは、目の前で行われた惨劇では無く。 いま、この場に現れた名も知れぬ存在に……だ。

 

 

 

 

「おい、何やってんだおめえ! そいついやがってるだろ!」

 

 皆が振り向いた。

 黒い髪、茶色い尾を持つ少年が、なぜか息を切らせながらオンナを睨み付けていた。

 

 途轍もない嫌な予感が胸をかきむしったのだろう。 彼は一切の笑顔もなく、ついにこの現場に現れた。

 

 孫悟空はそこに居た…………

 

「この生命反応は……?」

 

 背後からの気配に、わざわざ眼を向けてればそこには一つの影があった。

 

「…………」

「そこに居るのはもしかしてティーダか……? おい、ティーダ!」

「    」

「ティーダ?」

 

 “ソレ”を確認しようとして、足を前に出したそのとき、影の主が表情を歪める。

 

「…………お、おいおめえ。 コイツに何したんだ…………?」

 

 鼻に届く異臭で事の次第は把握した。

 倒れている彼と、知らぬ男を持ち上げている女を見れば状況などすぐに理解できた。

 

 でも、彼は“ソレ”を認めたくなかった。

 

「来るのが遅かったな。 楽しい時間はもう終わりだぞ?」

「…………おめえが、やったのか」

「“あぁ、そうだ”こいつは私が始末――――――グォ!!!??」

 

 女の顔面に、彼の足が突き刺さる。

 雷のように強烈な音を鳴り響かせ、女の頭部を破壊する勢いで彼はケリをぶち込んだ。 ありったけの感情をその一撃に込めたのだろう、着地した彼は、ひたすらに無口。

 

「……」

 

 その背後に見える尾がまるで代弁するかのように総毛立つと、彼の……いいや、少年の中のなにかが……切れる。

 

 

 

 

 

「よくも……おめぇ……ティーダを…………殺しやがった…ナ………コロシ…………コロシテ、やる……」

 

 

 

 

 “この姿”になった彼が初めて至った境地であり、ソレは女の最後を……意味していた。

 

 本気になった戦闘民族が、女を襲う。

 

 

 だが、それでも女の表情はただ……笑顔だった。

 

「どうした戦闘民族、吠えるだけか?」

「ウォォオオオオ!!」

 

 悟空と呼ばれた者が、その内に秘められた力を存分に発揮していく。

 わき上がる怒りを怒濤の攻めで体現し、嵐のように周囲一帯をえぐり、削り取っていく。 だがその猛攻が女に届くことはなかった。 踊るようにステップを刻む彼女には、見えていたのだ。

 

「ガアアア!!」

「……がっかりだ」

 

 悟空の、すべての動きが見えている。

 

 あの孫悟空の、しかも怒りにより潜在能力を“今の限界”まで振り切らせた彼の攻撃をこうも簡単に捌いていく。 おそらく既に修行初期のなのは程度ならば余裕で圧倒している嵐をだ。

 それでも、今の悟空が攻撃をやめることなどあり得ない。

 攻撃を受け流した女の真横にクレーターを作ると、振り向きざまに蹴りを放つ。

 

「ダァアアアア!!」

「……」

 

 その攻撃を紙一重で躱した女はついに無口。 獣相手に語ることなどないのだろう。 先ほどのティーダよりも激しい戦いのはずなのに、心ここにあらずである。 彼女は、ついに悟空から興味を失った。

 ……その時である。

 

「おめぇ……ユルサネエゾ……ヨクモ……」

「はぁ、お前の底は見えた。 怒りにまかせてその程度じゃ……」

「はぁあああああああああああ――」

「もういいって」

 

 彼女が悟空に落胆を見せた、そのときである……彼の中で、何かが起る。

 

「ぁぁぁぁぁあああああああ――――」

「ん、なんだ? ……やつの戦闘力が異常な上がり方をしていく」

 

 今までが池の波紋ならば、今起っているのは大海原の激流。 大海を前に、たった一人の女が足下をすくわれないわけがない。 怒気だけで怯んだヤツ相手に、少年は一気に肉薄した。

 

「しまっ――」

「ハァァアアア!!!」

「うぐ――!!?」

 

 少年の右拳が女のハラを抉る。

 いきなりだ。 先ほどまで見えていた彼の動きを既に、女は追えなくなっていた。 獣となった少年の攻撃が続く。

 

「アアアアアアアッ!!」

「ご!?」

 

 拳が女の身体を打つたびに、少年の怒りの炎は激しさを増していく。

 まだだ、まだ足りない。 あの男の無念も、自身の怨嗟もこんな物ではない――

 

「ガアアア!!」

「は、ぅあ?!」

 

 あの、男の……

 

「アアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

「が、ふ……」

 

 あの、オトコ……?

 ダレの、コトだ………………

 

 少年の瞳から理性が消えていく。

 その声にはなんら意味は無く。

 対裁きなど素人以下。

 

 獣と成り果てた彼にもはや意味などあるわけがない。 やることなどただ一つ、目の前の障害を唯々かみ砕くことほかない。

 己が衝動に身を任せ、すべてを焼き付くさんと怒りの炎を舞い上がらせた……金色に。

 

「ウォォオオオオオオ!!」

「がは……ぅぅ……まさか、こんなことになるなど。 あ、あれは超サイヤ人……では無く疑似の方だったか」

 

 周囲を金色に燃え上がらせ、しかしその瞳に理性の光はない。

 黒い頭髪は怒髪天を突くように天に向くが、色素が変わることはない。 ただ夜のように黒い髪を怪しく揺さぶるだけだ。

 

 制御の効かない強大な力を、完全に解き放ってしまった彼は大空に向けて吠える。

 

「オオオオオオオオ!!」

「挑発が過ぎたか……しかし、あの孫悟空だろうと私は渡り合えるよう設計をされたはずだ、何が違う。 ターレスの時と何が……!」

 

 女が吐き出した名前に、一瞬だけ世界が揺れる。

 だが、それでも悟空の理性が戻ることなく、ひたすらに周囲と共に女を破壊していく。 再度迫る暴風に女はようやく構えを取る。 この獣相手に様子見をした致命的失策を取り戻さんと、必殺の構えをだ。

 

「グアアアア!!」

「たかが獣に……遅れを取る物か!!」

「ギィィィイイイ!!」

 

 突っ込んできた悟空の攻撃をいなし、躱し、空いた土手っ腹に膝を深くめり込ませる。 せり上がる背中目がけて両手で拳を握ると、一気に振り落とした。

 

「ハ――!」

「!!!?」

 

 足下にクレーターを作り出し、悟空を埋め込ませた刹那。

 その場を一端離れて徐にビルの壁面を拳で叩く。 すると崩れたところにあらかじめ隠していたのだろう、50口径ほどの大型銃が出てくる。 手に取り、弾丸を装填すると照準を悟空に定める。

 

「ドクター謹製の対サイヤ人弾頭。 威力はその身で思い知れ!!」

「――――」

 

 悟空が吠えるよりも早く女がトリガーを引いた。

 

 だが、引いただけだ。

 

 ソレが悟空に届くまでに若干の猶予がある。

 

 …………それを直感で理解していた獣は、ここで驚異的な行動に出る。

 

「フゥゥゥゥゥ――――ガアアアアアアア!!」

「な、な? 馬鹿な!!」

 

 金色のフレアを巻き上がらせれば女の攻撃を真っ向から消し去っていく。 指向性のある攻撃ではない。 只ひたすら周囲にあふれ出た気力の余波で、大型の弾頭を消滅させて見せたのだ。

 

 ここまでの力を見せて、女の余裕はついに無くなる。

 

「ふ、ふふ……ここまでの物だとはな。 正直、舐めていたよ」

「フゥゥゥゥ」

「所詮は子供のサイヤ人一匹。 どうとでもなるという我々の判断は間違っていたと言うことか……」

 

 手首、足首、そして首元。 その5点に触れると、女の間接部から異音が唸る、 モーターの回転音から、タービンの起動音に切り替わり、やがてソレはジェット機のエンジン音に変貌する。

 それほどの騒音を奏でれば、当然熱量も上がっていく。 彼女の周囲がゆがむほどの熱気が放出されれば、その場で陸上選手のとるスタートダッシュの構えとなる。

 

「リミッター……解除。 行くぞ化け物」

「    」

 

 言葉すら発せ無い悟空と、先ほどまでとは違い饒舌となる女。

 立場が逆転しているコトすら気がつかないまま、女の最後の攻撃が……始まる。

 

「せぇぇいい!!」

 

 それは只、音を超え一筋の弾丸が如く……

 

 獣が防御を取ろうと、フレアを吹かしたその瞬間、彼女は悟空の胴に右拳を突き刺していた。

 音越えの威力に周囲のビル群が半壊する。

 ソニックブームの余波が彼等の周囲をねじ伏せたのだ。 あまりの威力は悟空すら沈黙させるほどの物だろう。 獣は一瞬、その場で躯が硬直してしまった。

 

 必殺の一撃は彼の肉を裂き、骨を砕き、その理性無き咆哮を止めさせたのだ。

 

 倒壊寸前のビルで倒れた怪物。 ようやく幕を閉じた戦い。 ソレを確認すると、女の右半身から異音が漏れる。

 次々と役目を終えていく部品達が、彼女の身体から排除されていく音だ……女は、右半身を失っていく。

 

「……この程度とはな。 あの怪物相手に少ない被害だろう」

 

 むしろ左半身が残っているだけ奇蹟に近い。

 先ほどの弾頭で本来ならけりが付いた。 だが、反らすどころか消滅させた威力をもつフレアをかいくぐったのだ。 当然、それ相応の代償は払わなければならなかった。 故の損傷、故の大破。

 もう、これ以上の戦闘行為は自壊の危険すらある。 再起不能は眼に見えている。 早急に創造主の元へと帰らなくてはならない。

 

「さすがの貴様も、もう動けないだろう。 任務続行、貴様を連行する」

「…………ぅぅ」

 

 獣の気配は既に無く、只の少年に変わり果てた孫悟空。

 自慢の力も使い果たし、満身創痍の身体がただ、女の手によって持ち上げられるだけだ。

 

 そう、彼自身にこの状況を打開する力は無い。

 

「時間がかかりすぎたな。 騒ぎを聞きつけた管理局が来る前に……ち、通信障害か……だが、もう日が沈む、隠密行動に切り替えて――」

「………………ぁ」

「っく、コイツまだ意識が……ここで完全に絶っておかなければ」

 

 彼自身に、この危機を脱する力は1ミリも残っていない。 だから、力を借りしかないのだ。

 

 大空に眼を向けたのはほとんど無意識。 女が自身の首元を持ち上げて、後頭部が後ろに転がったからだ。

 だからコレは、彼自身によるものではない。

 

 こんな遅くまで彼を連れ出したのも。

 こんな日に彼を外に連れてったのも。

 こんな世界に彼をながくとどまらせたのも。

 こんな風に彼が大空を向いたのも。

 

 

 …………すべては、偶然なのだ。

 

 

「…………つ、き」

「なに?」

「お、つき……さん……だ」

「……………………はっ!!!!!!!!!!」

 

 即座に振り向いた。 まさか……まさかまさかまさか――――この状況下で!?

 

 普段ならば眼を隠し、気を失わせるという処置に入れただろう。

 だが、獣に翻弄され、戦力の大半を奪われた女には、この程度のリアクションしか許されなかった。 ほんの少し、時間にして5秒もなかっただろう。 女は悟空から視線を移してしまったのだ。

 

 

 ……綺麗に輝く、金色の満月にだ。

 

 

「……っ……っ」

 

 ―――ドクン。

 

 鼓動が一つ跳ねる。

 

「ま、まずい! 始まったか!?」

 

 ――――ドクン。

 

 身体が一つ跳ね上がる。

 

「そ、早急に息の根を止めなくては――ぐ!? 出力が落ちていくだと! 先ほどの攻撃で限界が……」

 

 ―――――――――――ドクン。 ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン。 ドクッドクッドクッドクッドク――ドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドク!!

 

 悟空の視線は大空に固定されて動かない。

 ――身体の肥大化が始まった。

 

 悟空の意識は相変わらず薄い。

 ――尾が逆立ち、その長さを増大させていく。

 

 悟空の頭髪は黒いままだ、超化などあり得ない。

 ――骨格が膨大な質量を持つ。

 

 

 この生物の変化が超化だけだと、どこか決めつけるように対峙していたのは、大人になった彼自身がこのような事態を避けながら暮らしていたから。 おかしな話だ。 こうなられて困るのはこっちなのに、その配慮を真っ先に忘れていただなんて。

 

「くそ、巨大化が始まって……ええい! 気を失え!!」

「――!? ぐぉぉぉおおおおお!!」

「ぐあああ!?」

 

 明らかな敵対の意思を見せた女を、既に樹木より太くなった腕で無造作に凪ぎ払った黒い獣。 ソレは、大地に両手両足をつくと、大空に向かってその身体を持ち上げた。

 

「……さきほどよりは戦闘力の上昇は少ない……が、この損傷では到底……」

「ギャアアアアアアア!!」

「増援を呼ぼうにも通信装置が機能しない……冗談ではない」

 

 孫悟空だった者が、ついに変異を終えた。

 月夜に向かって吠えるそのさまはまさに異形そのもの。 理性の欠片もなく、ただ、破壊と暴力の限りを尽くすその姿は、戦闘民族のなれの果てだった。

 そびえ立つビル群を追い抜くその姿に畏怖を感じない物は居らず。 女は戦慄し、盗人は既に自我を失っていた。 ……だが。

 

「…………ぅぅ……なんだ、どう……なった」

「ギャアアアア!! ガアアアア!!」

「……あ、あいつ」

 

 この男は、その中で眼を醒す。

 ハラに手をやると出血が激しい。 死ぬ寸前の走馬燈のような物だと、ダレもが思うだろう光景だが、目の前の獣を見上げれば、イヤでも思ってしまう事がある。

 

「……“あいつ”、なにやってるんだ」

 

 畏怖でもなく、恐怖でもなく、混乱でもない。 それは只単なる疑問であった。

 

「グワアアアア!!」

「バカヤロウ……あんな姿になってまで戦いやがって……」

「ガアアアア!!」

「落ち落ち寝てらんねぇだろうが」

 

 ゆっくりと身体を持ち上げる。 死に体だった我が身に最後の鞭を入れると、今も尚、月に咆える者に向かって歩き出していく。

 

「お、お前」

「悪いがお前は後だ……いまは、……ゴホっ……アイツ、止めてやらねえとな」

「なぜだ……その身体でどうやって? もう、動けないはずだぞ」

「さぁな、知らねえよ」

 

 いまはただ、あの小僧をどうにかしないといけない。

 大猿となった悟空を一目で見抜いたその眼力は驚嘆するべきだろう。 だが、本当に驚くべきはそこではない。

 彼が、いま悟空を止めよう歩き出していることに女は驚いたのだ。

 

 

 

 

 男の記憶はそこで終わった。

 これ以上は何も残っていない。 気を失ったのか、はたまたなにか妨害を受けているのか。 だから、これ以上銀髪の女が知り得ることは何もなかったのだ。

 

「……ここまで、ですか」

 

 孫悟空の今現在の居場所を探る術はない。

 リインフォースという存在は気を探る術を持たない。 なぜなら、生物でない魔力の塊が、生きる者を理解できるわけがないからだ。

 それは、どうしようもない彼女の仕組みだ。

 魔力を探ることは出来る。 でも、今現在の悟空には魔力など感じようもない。 

 

「ここで、終わりですか。 しかし起ったことは大体説明が付く。 そうですか、例の研究者は彼をここまで追い詰めますか……!」

 

 拳を握る。

 女神にあるまじき姿だが、誰も居ないここでそんな者を気にする必要も無いのだろう。 そっと広げた翼の周りには黒い光が漂い、空間を歪める。

 

 彼女は、その感情を必死に押さえ込んでいたのだ。

 

「……冷静に、迅速に。 “守り”が残っている悟空はまず大丈夫でしょう。 問題は“守り”が全部消失したティーダ・ランスターですが……いったいどこに行ったのでしょうか」

 

 彼自身にはそれ相応の魔力がある。 悟空と違い、その総量がゼロになることもほとんどあり得ないはずだ。

 なにか、おかしい。 人為的な隠蔽を感じるが、それに対する解決策は今のところ持ち得ない。 やれることは、本当にここまでだ。

 

「とにかくこの情報を持ち帰りましょう。 リンディ・ハラオウンへ情報を回し、管理局員の捜索も出さなければ」

 

 そう、出来ることはここまでだった。

 

 

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