降り注ぐ陽光と、ぽかぽかとしたぬるま湯のような気温の中、いつも通りと神社の縁側でお茶を啜っている。脳天気に息をつき、脳天気にぼやっとし、何も考えていない姿で、そこに座っている。
暢気に平和な、その少女――自称・楽園の素敵な巫女、博麗霊夢。
幻想郷のパワーバランスの一角、というよりも、その中心として重要な役割を持つはずの博麗の、さらにその中でも飛びきりの才能を持っているといわれる……いや、ほとんど誰もそんなことは知らないのだけれど、そうであろうはずの彼女は、今日も今日とてのんびりと。
いつものおざなりな掃除を終わらせて、やることもなさそうにぼうっとしていた。
ずずっと、湯呑みを傾ける以外、まったくといってもいいほどに動かない。
どうにも、ゆるい。
「……?」
その彼女が、何かに気づいたようだった。
ただでさえ人里離れた場所に存在し、妖怪の巣窟として人々に噂される神社において、ほんのわずかにだけにある数少ない来客の一人――金色の髪に、白と黒の衣装を纏う。
「お、おーう、れいむー」
「……」
頭をぐらぐらとさせた、妙に不格好に背の高い。
黒の帽子に黒のマントを着込んだ魔法使い。
「まりさだぜー」
そうきりさめまりさ、その人で――
「あんたら、何やってんのよ」
「うきゃあ!」
頭が吹っ飛んだ。
そのまん丸い頭がごとりと音を立てて転がった。
「……わけのわかんない格好して、頼んだお使いはちゃんと済ましたの?」
ごろんと落とされた首……残った身体の、その下から出てきたのは、肩車をした小さな身体が二つ。
頭のすぐ上を霊夢の放ったお札が通り過ぎ、汗だくだくと顔を引きつらせた橙色とあたふたと言葉を失っている金色の、妖精二人。
ついでに、その後ろでは飛んできたその生首に飛び上がる黒いのがもう一人。
「な、なんでばれ……」
「わからいでか! あんたらねぇ、本当にあれで化けているつもりなの?」
生まれたばっかりの子狸だってもっと上手く化けるわよ。
そんなことを言いながら、呆れ顔の巫女は、その橙色の額に向けて、ぴんっと指を弾いた。それだけで「わたたっ!」とバランスを崩してしまった二妖精はぐらりと傾ぎ、べしゃりと地面へと顔をぶつけて落ちた。
当然ながら、痛そうに。
「いったあ、何してるのよルナ……ちゃんと支えて」
「い、今のはサニーがバランスを崩したから……いや、そんなことより」
ぶつけた箇所を擦り擦り、文句を言いながら立ち上がった二人に、すっと指した影。笑顔ながらも、どこかしらとおっかなさを持ち合わせた表情で、巫女が立つ。
「で、お使いは?」
その迫力に、びくんっと身体を震わせる二人。
どうしようと後ろを振り向いても、すでにもう一人は逃げ出している。裏切りものである。
「こ、ここは……」
「ここは?」
目を瞑って額に手を当てるリーダー。
口を三角にして、その言葉を待つ相方。
「戦略的撤退よ!」
「あ、待って……」
一目散と背中を見せて逃げる主犯と、慌ててその後を追いかけて――ばたんと転び、涙目になりながら必死でかけていくドジな姿。
何をしたかったのかもわけのわからない妖精たちのそんな背中を眺めて――巫女は、ほうっとため息をつく。
流石に追い打ちは止めておいたようだ。
「まったく、何だっていうのよ」
そして、ぶつくさと文句を言いながら、再び元の場所に座ろうと
「ふふふ、妖精に理由なんて求めても無駄よ」
後ろを振り向けば――にこにこと、楽しそうに愉しそうに笑う少女。
特長的な形をした白の帽子。そこから伸びる金色の髪は、陽光にきらきらと輝いて、人間離れと整った美麗な顔によく映える――その名の通りの色を主としたひらひらと靡くドレスを淑女然と着こなす少女。
八雲紫がそこにいた。
片手には、用意しておいたお茶受けのお饅頭と自分用の湯呑み。勿論、その中身は霊夢が煎れたもの。
「お邪魔していますわ」
毒気なく――けれど、悪気たっぷりといった様子で微笑む。
「あんたも何を――」
「はい。これ、お土産よ」
激昂しかけた、その眼前に突きつけられる『いきなり団子』というパッケージ。「むぐぐ……」と何かを飲み込むように止まる巫女。
「――お代わり用意しなさい」
「はいはい」
「藍、お願い」と八雲紫は呼びかけて……こちらもいつの間にやら上がり込んでいたのか、ふさふさ尻尾の暖かそうな少女が奥から現れ、お盆に乗せたお茶を一組、新たに置いて下がっていった。
それに……霊夢は、「はあ」と諦めの息を吐く。
どうにも、こちらは相手が悪い――性質の悪い相手である。諦めた方が賢い身の振り方だろう。
「仕方ないわ」と、霊夢は憮然と呟いて、どかっとその妖怪の隣に座る。そして、九尾の従者が運んできたお茶を一口口に含み……
「ああ、安いお茶っ葉しかなかったから勝手に用意しましたの。お気に召しましたかしら?」
「……」
霊夢は何も答えず、ぷいと顔を背けて……そのまま、もう一口とお茶を啜る。それでも、すこしは機嫌が良くなったらしく、先ほどまでつり上がっていた目尻が、幾分と緩んでいた。
それを目敏く見つめて、紫の妖怪は「ふふふ」と楽しそうに笑んでいる。
それは、いつもの幻想郷の一日。
とある日の何気ない会話。
――
縁側に並んで座り、その間の盆の上に置かれた団子とお茶に手を伸ばす。
美味しいお茶に舌鼓。
甘い団子をお茶受けに。
よく手を伸ばすのは、やはり巫女。
「――それにしても、相変わらずあなたは妙なのに好かれているわね」
こちらはお茶を少しと傾けて、隙間妖怪は口を開いた。
眺めているのは――先ほど、妖精達が置いていった白黒魔女を模す丸頭。帽子も飛んでカツラもとれて、もはやただの落書きされたボールにしか見えない。
「あの妖精たちのこと? ……なら、勝手に神社の裏に住み着いたから使ってやってるだけよ」
思ったよりは役に立たなかったけど。
紫の言葉に、団子をつまみながら面倒くさそうに答える霊夢。
打算を持って使っているのに、どうにも採算がとれていない。その現状に、いささかげんなりとしているといった様子だ。
やはり、妖精というのは使い勝手が悪いのだろう。
「神社の裏、ね」
それを横目に眺めながら――八雲紫は、妖精たちの逃げ出した方向を眺めてすっと目を細めた。
何かを確認するように。
「何よ?」
その様子に霊夢は首を傾げた。
あの少女達は、少々他と毛色の違う所もありはすれど、たかが妖精――幻想郷縁起にもあるように、調子に乗って無茶な悪戯を行うことはあっても、この胡散臭い大妖怪・八雲紫が気にするような存在ではない。
けれど、その視線は妙に気になるものだった。
まるで、値踏みするような……何かを危惧しているような、そんな気配が感じられたのだ。
その疑念に
「いいえ、少し気になっただけ」
なんでもありませんわ。
紫はふっと微笑んで返す。
どこからか取り出した扇子で口元を隠し、いつも通りの調子で。
霊夢はさらにと疑いに目を細めるが、紫は何処吹く風と笑ったままに答えない。疑い深く、胡散臭く、「秘密はあります。けれど、何も答えてあげる気はありません」といった具合にはぐらかそうとする。
暖簾に腕押し。柳に風。
大妖怪に本音を話せと迫る――それは土台無理な話だ。話したくなければ、梃子でも話さないのが、そういう輩というものである。
特に、この八雲紫という存在は。
「……まあ、いいわ」
何をいっても仕方ないと思ったのか、霊夢は早々に諦めた。
良きにしろ悪しきにしろ、この妖怪との付き合いは随分と長いのだ。こういうとき、まともな方法で口を割らせることはできないのだと、彼女は知っている。
だからこそ――
「それじゃあ、私が勝ったらってことで」
「え?」
不意の一言。
一瞬、怪訝と固まった紫の隙を見逃さず、右手を振りあげる。拳を固め、鋭い勢いに任せて――紫は、とっさに片手を握った。
そして、にこりと、巫女の隠した
「ほい!」
前へ出した。
目の前にあるのは、固められた拳と親指と人差し指を伸ばした拳銃の形。
「あら……?」
「よし」
勝ったのは巫女で、負けたのは隙間妖怪。
そのまま出された右手に、裏読みをした左手の拳銃は撃ち負けた。紫の反応――その思考までを理解している、付き合いの長さによっての先読み。
見事に引っかけられて、今度は巫女の方が一枚上手。
「さあ、話しなさい」
「ふんっ」と鼻を鳴らし、にやりと頬を持ち上げる――その態度に、紫は「やれやれ」と首を振って呆れるが。
一応、負けは負け。
了承してからの
ならば、やはりと負けなのだろう。
「仕方ないわねぇ」
妖怪は精神で生きる存在。
どんな勝負でも、受けてしまったのなら答えてやらねばならない。己の優位を保つため、己の矜持を守るために、決まり事の中でと遊ぶ。
それを破るのは、己を貶めるのと同じ事。勝負しないのなら、最初から手を出してはいけない。
だからこそ、紫は答えを渡す。
「あなたは気づいているのかしら」
周りくどく、解りづらく、意地の悪くと遠回し。
相手を迷わせ、言葉を狂わせ、答えが答えと確信できないような、霧の中へと落ち込ませる。それが、妖怪の答え――八雲紫の回答である。
「あの妖精達の、少しの特別さに」
「……?」
その胡乱さに、霊夢は首を傾げる。
彼女には、あの妖精達はその他大勢と全く変わらないものに見えているのだ。そこらにいる妖精たちより、少しだけ手強いだけの有象無象。
「確かに、何かの能力は持っていたとは思うけど……あんたが気にするほどのものだったかしら?」
一度、あの三妖精が勝負を挑んできた時に、その力の程は味わっている……その詳細は忘れてしまっているが、少々変わっているだけで、それほどの凶悪なものでもなかった。
わざわざ、追い出してしまうこともない。
そういう存在だと、判断できるほどのもの。
だからこそ、この神社の裏に住み着いているのも見逃している。
けれど――大妖怪は笑う。
「ええ、今は」
すいと指を動かし、その力によって開いた空間を空に遊ばせながら――にたりと怪しく微笑んだ。
その隙間から覗くわけのわからない目玉たちも、じとりとした意志を持ってこちらを見つめているようで――霊夢は多少、居心地の悪そうに目を背ける。
多少と慣れてはいても、あまりじっくりと眺めたいものではない。それは、彼女だからこそ扱えて、見つめていられるものなのだ。
決して、人が覗くべきものではない――といっても、本当にこの巫女に影響を受けるのかどうかはわからないが。
ただ、団子が不味くなる要素だとして、視界から外しただけということかもしれない。
「けれど……もし、それが強まっていくのなら」
開いた隙間。
手を伸ばし――ばちんっと、紫はそれを握りつぶした。それは、そこにはまるで何もなかったかのように消え失せて、内側から漂っていた妙ちくりんな空気も引っ込んだ。
元の清涼な神社の空気が辺りに戻る。
「――あんなのが強くなったからって何の意味があるのよ」
それにふっと息を吐いて
「いくら妖精の中で強くたって……どうせ、あの氷精程度のもんでしょ」
霊夢はお茶を啜る。
思い浮かべているのは、大蝦蟇が住むという池の縁でいつも見かけられる妖精の姿だろう。あの元気で間抜けな――妖精にしては、少々手強い氷精も、霊夢達にかかれば簡単に退治できてしまう相手。
上手いこと使ってやれば、ただで氷が手に入る。その程度の感覚しか持っていない。
「そうね。あれも……」
紫は畳んだ扇子の先端を口元に当て、意味ありげな目に細めた。深く、謎めいた空気を醸す、その妖艶な姿に……。
「はいはい」
霊夢は「さっさと話しなさい」というようにぞんざいに片手を振る。
横柄な態度で適当に対応する。
「……」
紫はそれに深く息をついた。
こんなにも己を適当そうに扱う存在など、他の誰にもいない。まったく大したものだと、呆れ半分と……愉しみ半分。いつもはないだろう感覚に少し微笑んで
「あなたは、本当に……博麗の巫女としての自覚はあるのかしら?」
「うるさいわねぇ。何もないならさっさとどこかへ行っちゃいなさい」
退治するわよ。
そんな間違っているようで間違っていない――ようでどこかおかしな気もする態度。
一応と片手の指に挟まれたお札に。
「はあ」とため息をついて首を振る紫。
その二人の間にある空気は――どうにも例えようもなく、緩く撓んでしまっている。
彼女には形無しで、彼女には片手落ち。
一笑に付してしまうようなぽやんとした雰囲気。
相対するには、馬鹿らしい。馬鹿になってしまった気がするほどに、捉われないのが博麗霊夢という存在だ。
だからこそ、彼女は彼女ではあり――それには、隙間妖怪も呆れてしまうほど。
呆れて、やる気をなくしてしまうほど。
「彼女達は妖精……自然の結晶ともいうべき存在ですわ」
少々、複雑な顔をしてから紫は口を開いた。
なんだかんだと言いながら、結局は話すことにしたのだ。それはここにいたいと思っているからなのか、また別の理由なのか。
自身でも、理解しているのかどうかという感覚を抱えながら――語り出す。
「そして、徐々にそれから外れている存在でもある――成ってしまう可能性を秘めている」
「……?」
その可能性。
不変なものが、外れてしまう。
「太陽の光、月の灯り、星の輝き――それらは自然現象というものの中でも、特にポピュラーな……普遍であり、人々の意識の中にありながら、そのまま無意識に見逃してしまうもの」
なくてはならないもので、けれど、あることが当たり前のもの。忘れられないものでありながら、いつもは見えていることにすら気づいていない。
ふと、気づかねば、それはわからない。
意識せねば、思い出すことはない。
「特に、月の灯りは――」
紫はそこで言葉を切って、一瞬だけ霊夢の方へと顔を向けて、それから空を見上げる。
今はまだ青い、その向こう側にある見えぬ形を眺め――少しと目を瞑る。瞼の裏で、何かを見ているように、そして、何かを思い起こすように。
「あの三匹の妖精に……あなたは一体どんな印象を持っているのかしら?」
瞼を持ち上げて、それから聞いた。
「……? どうって、ただの妖精でしょう。少しは面倒なところもあったけど、この前やっつけたときもすぐに終わったわ」
確かに、三妖精の持つそれぞれの能力。
各々が操るその力はそれほど強大なものではない。隠れ潜んで不意を打つことやこっそりとした悪戯に使うのにはもってこいなのだが、いかんせん地力が弱い。
攻撃を繰り出しても、簡単に避けてしまえる。当たってもそう対した威力も持っていない。
特に、この博麗の巫女は彼女らが行う『弾幕ごっこ』という遊びの中では無類の強さを誇り、しかも、その中で何をしているのかしていないのか、まったくといっていいほど当たらないことを得意としている。
まるで、こちらから外してしまっているような、ほとんどすり抜けてしまっているような感覚で、それを避けてしまう。しかも、ほとんど勘のみで。
そんなものに、たかが妖精が敵うはずがない。
勝負を始めても、ものの数分持たずにやっつけられてしまう。
「そうね。あなたにとってはそうで、今はまだ、ただの妖精にすぎない」
「――今は?」
引っかかる言葉に、霊夢は眉を寄せる。
その反応に「そう、今は……」頷いて、紫は続きを語る。
「あれらは、いつか至るかもしれないもの――そして、あの中で一番それに近いのが」
片手に持ち上げた扇。
それをぱっと開いて見せて――その内に描かれた夜を見せつけた。
紫と黒の下地に白の花と月が散った。
美しく、妖しさを纏う色と図像。
「あの月の光を操る妖精――彼女じゃ、あの妖精たちの中で、一番
「は? あの一番ドジそうなくるくる髪が?」
疑わしげに上がる声。
そう、あのくるくる髪――ルナチャイルドという妖精は、あの三妖精の中でも一番のドジで、悪戯の最中に置いてもいつも鈍くさくと遅れてしまう。
そんな――
「いつも転んでばっかりの、一番間の抜けた奴じゃない」
「ええ、転んでばかり――何もない場所でつまづいてしまうような、そういう感覚を得てしまった」
紫は笑みを深くする。
「だからこそ」だとでもいうように。
「……どういうこと?」
それに何の意味があるのか。
その『転ぶ』ということに、間抜けだということ以外に何の答えが出るのか。
「妖精は自然の結晶。大地に、風に、森林に。様々と、何かを媒介にしてしか、存在できない存在」
辺り全体を指すように、紫はすっと目を細めて視線を回す。
神社を囲う草木とそこに流れる空気と光の明陰、育む土と吹き込む風と――その全てに感じられるもの。自然が営むものを見つめる。
「それは生きている姿を持ちながら、ある一種の現象ともとれる存在。風雨や雷、霜や霧……そういったものと同じように、それが起こる環境さえあれば、勝手に現れる」
何処にでもいて――けれども、いつのまにか消えている。
形こそはあれど、その力は周囲の情景に倣ったもので、それ以上にもそれ以下にもならない。消えても現れ、消しても生まれ、巡り巡って元へと後へと。
「つまりは、その環境が揃っていなければ出現することさえできない」
一回休み、また始まり。
生まれ落ちて、再び戻る。
「――あなたは、なぜ妖精といった存在のほとんどが、あんなにも知識を保有していないものなのか考えたことがある?」
「知らないわよ。ただ、頭が軽いんじゃないの」
天真爛漫――純真無垢に。
思ったものを、感じたものをそのままに進む。
「ええ、とても軽い……何も持っていない存在」
生きることも死ぬことも。
食事をとることも、悪戯をすることも。
そのままに等分と。
「思うままに、流されるままに生き、本能のままに動き回る――生まれた瞬間から、ずっとそのままに」
動物以上に自然のままに。
風の吹くままに、気も向いて。
「彼女らに積み重ねはない。経験を持ち、物事を知り、成功と失敗を繰り返しながらも――そこには、過去も未来も持つことができない」
変わらない。
変化しない。
「時間というものを、己で己を動かすという感覚を知らないから。ただ、自然と生きて、考えは進み、身体は動く」
その必要がない。
ただ、そうやっていた方が面白そうだと。
「妖精たちは、己が何で動いているのかを理解できない。実感を持つことができない。それに疑問を抱かない」
頭は軽い。
頭は空っぽに。
生まれたまま時のまま。
「でも、あいつらは何だかんだと考えて動いていることはあるわよ……主に悪戯ばっかりだけど」
「勿論、時間とともに変わっていくこともありますわ」
妖精も思考する。
その思考はとても浅く、獣の浅知恵にも過ぎないものだが――それでも、その場限りと思い考える。
次の日は、忘れてしまうことを。
「歳を得て、時間をかけて、万物は他へと変化する――種は芽に。蕾は花に。人は骨に」
それでも、それが重なって――積み重なって変わることもある。
「――ふとしたきっかけで、鬼となることも」
ある。
そういうものが――
「……妖怪であり、怪異であり、
自然のままに。けれど、それからはみ出していく。
規定から外れ、現象から事象へと。
わからぬものへと変化をとげる。それが怪へ至るということ。
真っ白と生まれた妖精も、己という存在を覚えていく。己の色を知っていく。
「なら、妖精が妖怪となることも、何ら不思議ではない――よくある不思議の一つ」
そういうことがある。
そういうものがよく起こるのが、この幻想郷という楽園だ。
曖昧なものが、不確定が現れる。
「――で、何であの子が一番それに近いの?」
「よく転ぶから、ですわ」
霊夢の疑問に、ふっと笑って紫は応えた。
冗談めかして――けれど、まっすぐと霊夢を見つめて
「それだけ、己の身体が動かしづらいものとなっている――何も考えずに動かせるはずの妖精の身体が、意識しなければ動かせぬものとなっている」
その空論に彼女は何を受け取るのかということを探るように、言葉を重ねていく。
「徐々に、自覚も生まれるのでしょうね。触覚や視覚、聴覚にも変化が現れて、味の好みや好む香りも変わっていく」
人の真似であったものが、己の好みというものに。
好奇心であったものが、自身の望みを原動として。
「徐々に、彼女は彼女ではなくなっていく。彼女は、彼女自身を得ていく」
自立し、自覚し。
自戒し、自学し。
変化する。
「いつかは、それは――」
並ぶ三つの身体。
それは――別の形へと。
残るのか。失われるのか。
どうなってしまうのかもわからない。
「良くも悪くも、彼女は可能性を得た」
そう成れる。
そう成ってしまう可能性――あの妖精達の中にはそれがある。今、一番早い可能性が彼女にあるだけで、もしかしたら、いつの間にか入れ替わっているかもしれない。
なるかもしれないし、ならないかもしれない。
それでも、確かにそこにあるのだ。
「大きく、『今まで』を捨ててしまう可能性が」
紫は怪しく笑んで、それを言葉とした。
そして、何かと何かを重ねるように空を見上げて目を瞑り――それから、隣へと向ける。
博麗の巫女のその表情を眺めるために。
可能性。
それがいつか壊れるかもしれないと聞かされて――彼女は何を思うのか。興味深く――何か他のものを攪拌させた想いを重ねて紫は見つめる。
そこにあるもの。
それは――
「ふーん」
興味なさそうに、空を見上げる少女。
ずずっと一口とお茶をすすり、平和そうに息を吐く。
いつもの通りのままの姿。
「だから?」
「え?」
ほう、と息を吐き出して、霊夢はいった。
何も変わらぬ――軽い調子に。
「だから、どうしたっていうのよ」
最後となった団子を口に放り込み、名残惜しそうにしてから――ひょいっと、縁側を飛び降りる。
「あいつらが妖怪に変わったからって、私に何か関係があるの?」
本当に、そんなに興味もなさそうに。
「うーん」と気だるそうな伸びをして、その背中をさらす。
「まったく、三人一まとめになったってそんなに役に立たないんだから、少しくらい変わったって何の変わりもないわよ」
適当な言葉を、適当なまま。
そのままに紡ぐ。
理屈も理由もなく、確信も信頼もないのだろうけれど――けれど、本当にそうしてしまうのだろう、という自信を見せつけて。
「同じように、そのままこき使ってやるわ。三人ともね」
ま、逆らってきたなら、いつもの通り妖怪として退治してやるけど。
そんなことを宣って、彼女は笑う。
勝ち気に、何事にも捉われない気軽さで。
それが、博麗霊夢――今世の博麗の巫女という存在。
「……」
黙り込んだ
その前で脳天気に、霊夢は「さて」と辺りを見回して――
「あんたたち! お使いはもういいから、境内の掃除を手伝いなさい。落ち葉がたまっちゃって仕方ないのよ」
「……!」
向かい側の茂みへと呼びかけた。
その言葉に、ぶるりとそれは揺れ――隠れ潜んでいた三妖精の姿が現れる。
「わきゃ!」とか「ひえ!」やら「あらら」なんて素っ頓狂な声を上げて、それぞれを巻き込みながら転んでしまい、急いで慌てて立ち上がる。
そうして――わたわたわたと、博麗の巫女の前まで駆けてきて
「了解です。霊夢さん!」
「わかりました!」
「ふふ、あとで集めた落ち葉でお芋でも焼きましょう」
そういった。
そうして始まる。
妖精を扱う巫女の――噂通り、人以外の者ばかりが寄る光景。
その状況に――
「ふふふ」
紫は笑ってしまう。
そう彼女は変わらない。
たとえその三妖精が時を経て変化して、妖怪となり、害を持つ存在となったとしても――
「貴方にとっては、何の変わりもない。いつも通りにとっちめて、それでおしまい――ただ、それだけのこと」
その程度のお話なのだ。
彼女にとって――今の世の博麗の巫女にとって、相手が妖怪か妖精かなどということは何の関係もない。
全て等閑に、平等にこらしめて、後は放ってしまう。
それくらい、無責任で――気ままに、自由な存在なのである。
「だからこそ、誰も彼もが、垣根を感じない。なにも考えぬまま、この場所へと集まっていく」
そういうことなのかもしれない。
そんなことを朧に考えて、八雲紫は空を見上げた。
お天道様は天気と暢気に、のんびりと雲に戯れている。今日も今日とて、妖精騒がしいいい陽気。
幻想郷は、今日も幻想郷らしく――残酷で、それでいて美しい。
そんな時間が続いている。
そのまま、続いていく。
妖怪と妖精の間、人と妖の間。
過程と結果。
色々と考えてこのように。
少々語り足らず、といった印象かもしれません。