机上にて描く餅(短編集)   作:鳥語

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※東方鈴奈庵のネタバレを含みます。ご注意ください。


破れ目出づる

 

 温い陽が照っている。

 真っ昼間のかんかんお天道様からそれなりに傾き加減の熱量が、水平から斜めに当たって反射して。

 笠や帽子を被っても、それらは正面に立ってしまえば眩しく目に刺さる――まるで、溶けて崩れたような姿となって縦に伸びている。

 日の入りには随分早く。夕焼けにもまだ早く。それでも、確かに夕入りだと感じる時間。

 

「よいしょっと……」

 

 小鈴は、商品を整理していた。

 カウンターとしていつも使っている机の上にうず高く積まれた――それはいつものことでもあるのだが、今日はさらにと数段多い――書籍の山を、少しずつ切り崩し、うんうんと唸りながら汗水垂らして、種別の本棚へと並べていく作業。

 それはかなりの力仕事で、彼女のような小さな体にはあまり向いていないようにも見えて……けれど、案外本を扱う仕事というのは力仕事が多いものだ。本の厚さと重さは比例して、さらにそれが何冊もと束ねられていれば、それこそ鈍器にもなりえる重器ともなる。

 知識の重さに物理の重さ。

 それに押しつぶされるというのも、ままある話ではあるのだ。だからこそ、その扱いになれている彼女は、慣れた調子でそれを扱っている。

 決まった通りに、いつもの方法で――それでも、辛く腰に手をやりながら。

 

「――はあ……これで半分はいったかな?」

 

 ぽつりと呟くのは苦労と弱音の混じったもの。

 流石に、その数は平常を超えているのだ。

 普段の数倍以上……もしくは数十倍か。確かに、仕入れた分だけ実入りは多くなるのかもしれないが、彼女一人で扱えるキャパというものがある。それをすぎてしまっていては、ひいひいといくら息を切らして頑張ってみても、やはりと辛い。

 

「……今日はここまで、かな」

 

 そんな諦めの言葉も吐くというものだ。

 実際、それら全て今日中にやり遂げてしまわねばならないわけではないのだから、さも当然。それを急いでいたのは、ただ、小鈴自体がそれらに早く読みたいなんて、我欲に燃えていたというだけなのだ。

 やった、こんなにも本がある――そんな生粋の古書狂い(ビブリオマニア)の本能に従って。

 

「――邪魔するよ」

 

 チリンチリン……と、鈴の音。

 一緒に涼やかな声が入る。

 

 それは、すっかり馴染みとなった燻し銀のもの。

 

「……ああっ! いらっしゃいませ!」

 

 本に向かっていた首と声が跳ね上がった。

 疲れの表情は吹き飛んで、結んだ髪の先がまるで小犬の尻尾のようにひょこひょこと――さっきまでの調子が嘘のように、小鈴の顔が輝いている。

 格好のよい人。憧れる人。名無しの権兵衛風来人。

 そんなヒトの訪れに、らんらんと。

 

「やあ店主殿。達者なようじゃの」

 

 眩しき憧れに、眼鏡を押さえて片手でひょいと。

 大親分は片目を瞑って暖簾をくぐり、にこりと小鈴に笑いかけた。

 

「はい、御陰様で!」

 

 元気よくと返る答え。

 そんなところも格好がいいと、小鈴はますますと舞い上がり、愉しそうに迎える。

 いつの間にやら奥から盆を、とっておきの茶葉で煎れた茶器が揺れて……それに「すまんの」とこれまた渋く答えながら、机の前に置かれた椅子へと腰を下ろす。

 よっこらせと、まるで重いものでもぶら下がっているかのような大げさな仕草で。

 

「……今日は何かご入り用ですか?」 

 

 わずかに首を傾げながら小鈴は尋ねた。

 『みすてりあす』というのだろうか。

 この名も知らない謎多き女傑はたまによくわからない行動や言動をして、小鈴に不思議を感じさせる……まあ、そういうところが魅力であり、似合いではあるとは思っているのだけれど。

 

「いや」

 

 ずずっと一口茶をすする。

 ふむ、と一言呟いてから――その格好の良い人は語る。

 

「外で珍しいものを見かけてな……あれは確か」

 

 目線は今通ってきた入り口……その脇辺りに向けられている。指しているのは、そこの軒先に置かれた存在のことだろう。この鈴奈庵に溢れる本の――今日、ほんの少しそれが多い理由を運び込んできたもの。

 

「ああ、あれですね」

 

 頷いて小鈴もそちらへと視線を向けた。

 そこに停められているもの。そこから運び出されたもの――運んできたもの。

 店の前に止められている一つの車。文書を積み上げ、牽いて運ぶ役割を持つ道具。

 

「文車です。阿求の――稗田のお屋敷からの借り物で」

「ほう」

 

 感心したような声を上げて、その人は眼鏡を押さえる。

 文車――昔、貴族や豪族たちが貴重な書籍や教典を運ぶために使用していた車の一種で。牛車と似た形であり、同じく牛に牽かせていた類のものだ。

 今はすっかりと廃れて使われなくなってしまったのだが、昔は蔵書や文書を邸宅から運び出すための道具として見かけることもあった。儀礼用、緊急用、用途は様々であったが……今では、幻想郷ですらすっかり見かけなくなったもの。

外の世界ならば、精々祭り行列などに加わっている程度でしか残ってすらいないだろう。ましてや、こうして使用されているところをみられるなどほとんど存在しないといってもいい。

それくらいに、古のものである。

 

「なるほど、それでその中身がそこに積んでる古本の類か」

「ええ……これも、稗田のお屋敷の引き払い品なんですけどね」

 前に整理して、必要ないと判断されたものらしくて。

 

 そういって小鈴はその内の一冊を持ち上げて、そこに積もった埃を、ふっと息を吹きかけることで飛ばす。舞い上がった埃は、それだけその本が捨て置かれていたということ示す年月の証なのか。擦り切れた表紙にある号からは、『和訳……』としう部分的な文字しか読みとれない……きっと、中身も似たようなものだろう。

内容を読みとるには難があるほどに、それは古びて風化してしまっている。

 

「……」

 

 それを開き、懐から取り出した眼鏡をかけた小鈴は、そこに書かれた文字をそっと指先でなぞっていく。

ゆっくりと、じっくりと。

真剣な目でそれを続け――やがて。

 

「……流石にここまで紙魚が食っちゃうと、私にも読めないみたいです」

 

 困ったような顔に変って、残念そうにそういった。

 

「古いのは粗方やられちゃってるみたいで……これだけあっても、実入りは少しなんですけど」

 

 眼鏡をはずし、その本を机の片側に寄せながら残念そうに呟く。

 あの文車に乗せられてきたもののほとんどがその状態で――ある意味、それはお似合いだったのかもしれないと、小鈴は思ってしまう。

それに載せられてきた書物のほとんどが、そういうものだったこと……私たちに(幻想郷で)すら、使わなくなってしまったものにのせられてきたその子たち(書籍)の中身のほとんどが、さほど失われてしまっているということは。

 そんなことを考えてしまうくらいには、残念で。

 

「……しかし、読める部分もあるのじゃろう?」

 

 けれど、その珍客は愉しげに笑んでいた。

それら(その不要物等)を――面白いものを見つけたとでもいうように、眼を細めてながら眺めて。

 

「読めるところもあるなら、見当がつくところもあるだろうに」

 

 額にかけた眼鏡をくいと持ち上げて、小鈴が置いた虫食いだらけのそれを持ち上げる。

 開けば、埃と穴の開いた黄ばみ紙。

 描かれているもののほとんどは確かに失われ、意味など消失してしまっているといってもいい。

しかし、それでも所々と文字を拾っていけば、ちらほらと読める部分もないことはないと彼女は云う。無論、それは全体でもごく僅かの部分ではあるのだが。

 

「これを拾っていけば、大体の内容は掴めるんじゃないかい?」

「……ええ、そういうのも少し」

 

 そんな問い。

 それに――小鈴は頷いた。

 確かに、残りは想像で補えるという程度に文字を拾えるものも少しはあるのだ。それらの部分部分とに目を通せば、残りの内容の見当はつくということもあるだろう。完全に読み物としての価値を失ってしまっているわけではない。

 けれど、それでもそれは、そういう前提を知ってそれを読む者を対象とした場合、ということだ。それをすすんで行うような酔狂な人間がそう多くいるとは思えない。

 つまりは、客寄せ()にはならないということだ。

 

「一応、こっちは商品として扱うものなので」

 

 小鈴は指したのは二つの内の片方……段々と重ねられた知識の塔のその低い方である。そちらはわりかし綺麗な本が多く、少し手入れすれば、確かにこの古びた店に加えるのに丁度いいくらいにはなるだろうものが多く積まれている。中には、なかなか興味部下そうな題名のものあり、きっと人の気を引くだろうものである。

 では――そのもう一方の側はというと。

 

「――なら、そっちはどうするのかのう?」

 

 染みによれ。虫食いに破れなどと、簡単には修繕できぬだろうというほど破損した書籍の山である。そのとても商品としては並べられぬだろうぐらいに擦れてしまっているだろう方はどうするというのか。

 そこらの人間から見れば、それはただの紙くずの束程度にしか価値は見出せない。

 

「こっちは……」

 

 少々、困ったように小鈴は笑んだ。

 貸本屋として扱うのに足らぬだろう品々……なの、だけれど、小鈴はそれらを分別してはいても、処分しようとしているようには見えない。

 商品として扱うもの等と同じように埃を払い、分別整頓しながら重ねて並べ――捨てる気などさらさらないというのが、透けて見える程度に、それらを大切に扱おうとしている。

 

「私物として、ということかの」

「ええと……まあ、その通りなんですけども」

 

 つまり、商売人ではなく好事家として……ということである。

 小鈴がそれを分別していたのは、それらが不要品だからというわけではなかったのだ。ただ、店に置けるものと自分の隣に置いておくもの(非売品)とを区別して、置き場を考えていただけなのである。

 店に余剰の品を置くというのは商売品としてはどうか、ということもあるだろうが――まあ、自営業の個人経営。少しくらいは趣味に走ってもよいだろうと、同じように蒐集品が並べられているとある棚へと視線を向けて。

 

「同じ内容の原本が見つかれば修繕できるかもしれませんし……そういうものを拾い読みしていくのも結構面白いですし」

 

 染みと黴に、時間と虫にと食い破られて、それらがどれだけ破損した状態にあったのだとしても……小鈴にとってそれらが芥であるとは思えない。

 店には出せなくても側に並べておきたい稀覯本の一種として――ついつい、入れ込んでしまっては、また一角の棚が。

 

「まあ、本は本ですし」

 

 言い訳臭く言葉を濁しながら、視線を明後日に泳いで逃がす。

 カウンターの下に並ぶ、置く場所すらなくなってきた趣味の品を想いながらも、反省なしに。

 そんな小鈴に、かかかと笑んで。

  

「まあ、そうじゃのう」

 

 片目を瞑った視線が向かう。

 埃混じりの香りの先――歯抜けの題字の塔を眺めながら。

 

「無駄にものが多いのは見苦しいとはいうが、積まれた本と塵塚の塵はその例外ともいうことじゃし」

 

 ぱらりぱらりと、その一つを捲り、空いた穴、欠けた分を指して。

 

「こういうものを想像で穴埋めしながら呼んでいくというのも面白い」

「そうですよね!」

 

 憧れの人の同意にて、ぱっと笑み。

 読書家として、物読みとして、本の虫として――本居小鈴として当然の感覚として。

 

「こんな内容だったのかな。もしかしたら、こういうことだったのかなぁなんて」

 

 きらきらと小鈴は瞳を輝かせた。

 書の内から出づる物語の――その欠けた穴を補う創作の文字を浮かべ読むこと、想像と別像の物語が組み合って、また新たな物語として心を躍らせること。

 その愉しき空想に、また笑んで。

 

「夢のうちに思いぬ、か……」

 

 ふっと笑むのは古きモノ。

 彼女がその言葉を思い出したのは……以前に、それと似たようなものをこの場所(鈴奈庵)で見かけたからか。それは、とある絵師の空像を語ったことについての種明かしの証拠ともいえる結びの言葉であり――一つの予感を持たせる可能性の話。

 

「もしかしたら、そういう人の想念が形となって、新たな化生が現れるということもあるかもしれんがのう」

 

 わからぬものに足して描いた――その先にあるモノとして。

 

「妄想、空想の類から産まれる怪、ですか?」

 

 妖しき怪しき物の怪。

 破れた先に、失くした底に現れる(化ける)モノ。

 

「ああ、どこにでも生まれえるというのが怪異というものじゃろ?」

 

 懐からの手がすっと伸びて、机の上へ。そこに置かれた音盤に針が置かれて、ゆるやかに音が響き出す。店に響く、古びた音の波。

 

「どこかで聞こえる音。どこかで見かけたもの。どこかで聞きかじったもの――そんな曖昧な何か一つで、十分な理由にはなる」 

 

 仕組みは知らない、けれども音が。楽器はないのに、そこから曲が。誰もいないのに、どこかで歌が。そんな始まり(きっかけ)で、怪は始まるのだから――もしかしたら、こんなものでも。

 そう感じてしまうほどには、そういう本を小鈴は読みすぎている。知っている。

 

「私が思い浮かべられるのなんて……きっと妖怪になったとしても、ちょっとしたことしか起こせない妖精みたいなものになっちゃいそうですけど」

 

 軽口めいた小鈴の言に。

 そんな大物はにたりと笑う。

 

「なあに」

 

 くいと眼鏡(がんきょう)持ち上げて、薄く覗いた口元隠し……隠し切れない妖しをかぐわしながら、半眼の目は破れ目を覗く。

 ぽっかり空いた空白の、子供が落書きを描くには丁度よいだろうその空間の――潜む何かを眺めるように。

 

「そういうまっさらなのがまた、良い子分にもなるのさ」

 

 深く軽く、そう告げる。

 ふわりと羽織が舞ったのは、その内にある何かをゆるりと揺らしたからか。

 

「……」

 

 よくわからないまま、その雰囲気に呑まれて、小鈴は何だか呆然としてしまった――それに、彼女は「ああ、いや、何でもないよ」と取り繕うようにして慌てて手を振った。

 何でもない。何も起こってはいない。迷惑なんてかけないから……ここには何もいないのだと。

 

「まあ、どうせなら……その足りずを埋める部分を書いてみるというのも面白いかもしれないがのう」

 

 差し出す指で、前にそれがあった場所を。

 少ない頻度といえども、未だに現れる異物の怪の行列を差し示し――

 

「虚破れから描く、見たままに想い浮かべた話などとな」

 

 冗談めかして、それを誘う。

 たらりと、額に汗をかく少女に向けて。

 

「……いやいや、そんなことをしてもし本当に新しい妖怪なんかができてしまったりしたら、なんて」

 

 横目に剃らし、何にも知らないと自白して。

 小鈴は少しとそれを想像して。

 

「構うことなどなかろうて、この幻想郷にはくさるほどに妖怪がいるのだからのう」

 

 詭弁の言がそれを揺らす。

 なりたい。格好のよい。憧れてしまうその表情が覗いていて――それを面白そうに惑わしている。

 

「心配することはない――そういう新入りを躾て使ってやるのが、それこそいい大人(儂ら)の役目じゃしな」

「……?」

 

 不思議な言葉に、また首きょとん。

 ところどころの引っかかり――それはまた、新たな正体不明を産み出して。

 

「いやあ、なんでもない」

 

 知ってか知らずか。

 その当の相手は片頬を持ち上げ、意味ありなさげに片目を瞑り、小鈴の肩にぽんと片手を。にたりと大きく口あけ笑い――

 

「まあ、その時はその時。なったらなったで、博麗の巫女やら妖怪退治の専門家やらがすぐにどうにかしてしまうだろうさ」

 だから、安心して遊ぶといい。

 

 優しくいって、ふわりと離れた。

 一瞬だけ感じたおどろおどろしいような感じは、気のせいのように吹き飛んで。

 

「……」

 

 つかめぬ間に、それは離れていた。

 からりからりと草履が鳴って、帰るきびすと片手がひらり。今度は前の時(・・・)とは違って何も引き連れてはいない――けれど、そうも見える大きな背中で。

 

「何か面白そうなものが見つかったら教えておくれよ――代金は弾むからのう」

 

 そういって、暖簾に手を当てするりと抜ける……ひらりと、消えて。

 それを外まで追いかけたら……また消えているのだろうか――それとも、にこりと笑ってそんな小鈴の様子を見つめてくれるのか。

 それは小鈴にはわからないけれど――とりあえず、いることにして。

 

「はい!」

 

 大きな声で、小鈴はそういった。

 また、そのうち来てくれるだろうと楽しみにして――また、古びた本の整理へと戻った。

 

 外は既に暗闇の色。

 ぼうっと光る何かが通って――何かが、ぞろぞろと付いて行った。

 

 そんなこともあったのかもしれない。

 夢うつつのまま、誰かはそう想った。

 

 

 

 





 副題 文車妖妃

 ※
〈文車妖妃〉
 歌に、古しへの文見し人のたまなれやおもへばあかぬ白魚(しみ)となりけり。かしこき聖のふみに心をとめしさへかくのごとし。ましてや執着のおもひをこめし千束の玉章には、か〃るあやしきかたちもあらはしぬべしと、夢の中におもひぬ。
(鳥山石燕『百鬼徒然袋』より「文車妖妃」の項 引用)
 

 ……もう少しひねれたかもしれません

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