Ideal Smile ~脳内鎮守府カッコカリ 鈴熊編~   作:subroh

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2.ガラスのブルース

 鈴谷は電車に乗ってあの病院へと向かっていた。事故のおかげで、愛用のママチャリはあっという間に粗大ゴミと成り果ててしまった。買い換えるにしても、今月はもう資金の余剰はない。目指す病院への交通費もバカにならない。貧乏学生はつらいとしみじみ感じる鈴谷であった。

 

 高校とは正反対の方向、潮の香りが漂う海岸方面へと電車は向かう。未だに危険の多い海沿いに、何故あんなにも大きな病院があるのか、鈴谷は疑問に思う。高い崖の上に位置している分、ある程度の安全は確保されているのかもしれない。

 

 病院の門には「東洋海洋大学医学部医療センター」という文字が刻まれていた。入院している時にも思ったのだが、何ともちぐはぐな名前の病院である。『海洋大学』と名乗っておきながら医学部も併設している。世の中には色んな大学があるのだと、とりあえず納得し、目的の病室を探す。両手の紙袋には、溢れんばかりの漫画や小説、雑誌を詰め込んでいるためにとても動きづらい。

 

 病室はすぐに見つかった。まだ入院中だったことは喜ぶべきではないのだが、少しほっとした。

 

 病室の扉を開けると、彼女はそこにいた。ベッドの上で、テレビの画面に釘付けになっている。と思うと、突然笑い出したり、テレビの中の芸能人と会話をしたりしている。紛れもなく、数週間前の熊野そのままの姿だった。

 

「あのー、熊野?」

少し緊張した面持ちで熊野に話しかける。声に気づき、ゆっくりと振り向く熊野。

 

「と、突然押しかけちゃってごめん! 元気してた?」

努めて明るい声で話そうとするのだが、何故か声がうわずってしまう。入院してた3日間、嫌になるほど振り回されたのはこっちじゃないか、何をこんなに緊張しているのだ。心の中で焦る鈴谷に、目を丸くした熊野が尋ねる。

 

「鈴谷……さん? もしかして、わたくしのお見舞いに来てくださったのです…?」

「うん? ま、まぁそうとも言うかな? なーんかやることなくて暇だし?」

照れ隠しに曖昧な返事を返し、横を向く鈴谷だったが、次の瞬間、全く予想外の事態が起きた。熊野がその目から大粒の涙を流しはじめたのである。

 

「え? え? ちょ、そんなに私、迷惑だったかな……?」

大慌ての鈴谷などお構いなしに、熊野は鈴谷の体に抱きつく。

 

「ぐすっ……、今まで……、今まで何人もの方がわたくしの隣に運ばれて……、ひっく……、来ましたわ……、ぐずっ……、でも退院してから、お見舞いに来てくださったのは……、鈴谷さんが初めてですわ……」

 

声を絞り出した熊野は、鈴谷の胸の中で大声を上げて泣き出してしまった。重い紙袋を両手に抱えたまま動けなくなってしまった鈴谷は、ほとぼりが冷めるまでその場に立っていることしかできなかった。さながら、宿題を忘れて廊下に立たされる小学生の気分である。

 

 

 

「はぁ……、やっと落ち着いた?」

10分以上経ってから、鈴谷はようやく解放された。腕が痺れて感覚がない。

 

「申し訳ありませんわ……、とても嬉しかったんですの……」

おもむろにチリ紙で鼻をかむ。その目は真っ赤に腫らしていた。

 

「全く……、病院行くだけでこんなに体力使うなんて……」

鈴谷は持ち込んでいた午後ティーに口をつける。

 

「そういえば鈴谷さん、立派なモノをお持ちですのね! 柔らかくてとても気持ちよかったですわ!」

立派なモノ……? 柔らかい……? 少しの沈黙の後、言葉の意味を理解した鈴谷が盛大に吹き出す。薮から棒に、一体このお嬢さまは何を考えているのだ、

 

「わたくしの方はいつまで経っても成長いたしませんの……、何か秘訣がおありでしたら教えていただきたいですわ」

「な、な、何を突然……、もうちょっとデリカシーってモノを……」

「そうですわ、前に一度、誰かにマッサージしてもらうと大きくなるってお話を耳にしましたわ! 鈴谷さん! 是非やってくださらない!?」

このお嬢さまにとんでもない知識を植え付けた執事はどこのどいつだ。今すぐクビにしなければ、彼女の将来に関わる。マッサージなどと、いかにもそれらしい言葉を使う辺り悪意がにじみ出ている。純粋な目つきのまま迫ってくる熊野をどうにか諌め、特別な努力など何一つしていないことを懇切丁寧に説明した。鈴谷も根拠の薄い俗説ならいくつも知っているが、下手に教えればこのお嬢さまは命をかけて実践しかねない。教えない方がおそらく幸せだろう。

 

「そうですの……、やはり努力ではどうしようもないのですのね……」

「ってか、いくら入院中一緒だったからって、あんまり恥ずかしいこと聞かないでくれる?」

病室に入って1時間も経たないのに、鈴谷は既にヘトヘトだ。

 

「大丈夫ですわ。こちらの病院、男性の入院患者は稀ですのよ」

「そういう問題じゃ……、ていうか、なんでそんなこと分かるのよ」

「こちら、運ばれてくる患者の8割が艦娘の方々でしてよ。戦いで傷ついた体を癒すのと、『艤装』と呼ばれる兵器の開発と調整、それから深海棲艦の生態や体の構造の研究も同時にしているんですの」

 

なるほど、海洋大学なのにこんなに大規模な医療施設を持っているのはそういう理由だったのか。海と人体に関わる研究を一緒くたにやってしまおうという姿勢で、この大学はおそらく作られたのだろう。施設が全て海沿いにあるのも、その方が研究をする上で便利だからだ。怪我をした艦娘を運んでくるのも、海に近いほうがやりやすいに違いない。

 

「あれ? それじゃあもしかして熊野、アンタも艦娘の1人?」

「違いましてよ。わたくしはただの造船所の1人娘、正真正銘の民間人ですわ」

鈴谷の問いかけに、熊野はくすりと笑い否定する。そして、鈴谷の持ってきた紙袋に視線を移す。

 

「ところで鈴谷さん、こちらに入ってきた時から気になっていたのですが、そちらの紙袋は一体何が入ってるのです?」

唐突に熊野がこちらを向いた。

 

「え? ああ、これね。うんまぁ、熊野にお土産……って言えばいいかな? 花持ってくるよりは喜んでくれるかなーって思って」

そう言いながら、袋の中身を次々と空いているベッドに並べて行く。紙袋がしぼんでいくごとに熊野の興奮が高まっていくのが分かった。

 

「こここここれは……、漫画に文庫小説に雑誌がたくさん!? これ、全部わたくしのために?」

「いやー重かったんだからねー。電車もなかなか座れなかったから、腕が疲れちゃったよホントに」

少しばかりの愚痴をこぼすが、決して嫌味ではない。熊野の喜ぶ顔をまた見たいと思ってえっちらおっちら持ってきたのだ。予想通りに嬉しそうな反応をしてくれるだけで十分だった。

 

「とりあえず、これがこの前の漫画の続き。んでこれが、ケータイ小説の書籍版、これがファッション雑誌で……、あ、また感激して泣き出したりしないでよ?」

「すごい……すごいですわ! 本当に感謝いたしますわ!」

「まぁその、気長に読んでよ。私もちょくちょくここに来るからさ。欲しいモノがあったら何でも言って、私の持ってるモノだったら持ってくるから」

 

熊野の顔は喜びを通り越して動揺してしまっている。

「わ、わたくし、もしかして明日ぽっくり死んでしまうかもしれませんわ……」

「何変なこと言ってんの! 人間ってさ、今やりたいことを全力で楽しむことができればそれが1番の幸せで、それが長生きの秘訣なんだってさ。友達が言ってた」

 

熊野はなるほどという顔をした。

「そうですの! ならわたくし、これから100歳まででも難なく生きられますわね!」

 

2人は互いの顔を見て、そして笑った。鈴谷の心の中は、学校では感じることのなかった充実感と幸せでふつふつと沸き立っていた。なぜそんな感情になるのか、鈴谷にも理由はさっぱり分からなかったが、熊野といる時間はただただ楽しくてしょうがないことだけは事実だった。

 

 

 

すると突然、病室の扉が開いた。

「くっまのー! いるかーい?」

 

扉から顔を出したのはショートカットの少女だった。中性的な顔立ちで、一瞬男なのか女なのか見分けがつかなかった。背格好は鈴谷や熊野と同じくらい。おそらく年代も同じだろう。

 

「最上さん! おはようございます」

「おっはよ。あれ、この人友達?」

「そうですわ。数週間前にお隣のベッドに運び込まれて、退院してからお見舞いにきてくださったのですの」

 

鈴谷は最上と呼ばれた少女と挨拶を交わした。

「ボクは最上さ。最上型重巡洋艦の1番艦だよ」

 

その奇妙な挨拶に、鈴谷は首をかしげる。熊野が後ろでくすくすと笑っている。

「最上さん、鈴谷さんはわたくしと同じ民間人の方でしてよ」

 

その言葉に最上は驚く。

「おや、軍人や艦娘じゃない人なんて、珍しいな。僕はね、横須賀の鎮守府に所属する艦娘の1人なんだ。今は主機しか身に付けてないから、分かりにくいかも知れないけどね」

 

次は鈴谷が驚く番だった。噂に聞く艦娘とは、もっと物々しい重装備に身を包んだ、機械のような人間だと思っていたからだ。しかし、目の前にいるのは自分と同じ年頃のあどけない少女そのままだ。最上の言う通り、よく見ると腰にはウェストポーチのようなモノが服の隙間から顔を覗かせていた。離れてみても分かるその重厚な質感は兵器そのものだ。

 

「最上さん、もうおケガの方は大丈夫ですの?」

「うん、おかげさまで、明日には鎮守府に復帰できるよ。今日が入院最終日だから、つまり一言挨拶に来たってわけさ」

「ケガって、その、最上さん、どこをケガしたの?」

 

ケガをした、つまり深海棲艦との戦闘で何らかのダメージを負ったということだろう。恐る恐る鈴谷が尋ねる。

 

「うーんと、敵の砲撃が右肩に当たって突き抜けたのと、敵艦爆の攻撃が至近弾になって、ちょっと火傷したのと、だったっけ? 確か3週間くらい前の出撃でもらっちゃった」

ニコニコしたまま最上は答えたが、想像を絶する大ケガの報告に鈴谷は気が気ではない。

 

「それってとんでもない大ケガじゃん! それもたった3週間って、ホントに退院して大丈夫なの!?」

「大丈夫ですわよ」

 

慌てる鈴谷の後ろで熊野が話しはじめた。

「艦娘が身に付ける艤装は、その中心部が動き続ける限りどんな状況でも身に付けた人間の命を守るように設計されていますのよ。そして同時に、身に付けた人間の身体能力を数百倍に引き上げ、深海棲艦に対抗するための戦闘力と戦闘で受けた体のダメージを瞬時に治す回復力を得られるようになっていますわ」

 

スラスラと艤装の持つ力について語る熊野に、鈴谷は目を丸くしていた。その様子を見た最上が付け加える。

「彼女いた造船所はね、艤装の開発にも長い間携わっていたのさ。ボクたち艦娘よりも艤装に関する知識は上かも知れないよ」

 

好奇心旺盛な熊野のことだ、小さい頃から親族や造船所で働く人々に不思議に思ったことをどんどん聞いて知識を得たのだろう。鈴谷はそう思った。

 

 更に最上は、砲弾を受けた場所を見せてくれた。敵の砲撃が貫通したともなれば、普通なら痛々しい傷跡がそこに残るはずだが、彼女の話の右肩にそのようなモノは一切見当たらなかった。彼女の言う深海棲艦との戦闘が、そもそもなかったのではないかと疑ってしまいそうだった。

 

 破壊されない限り艦娘の命を100%保証し、大きなダメージもすさまじい速さで回復させる艤装の力は、確かに魅力的に聞こえた。実際、この艤装がなければ日本は今頃、丸ごと海の藻屑となっていたかも知れない。

 

 しかし、鈴谷は艤装の性能に素直に感心することができなかった。いかなる状況でも命が保証される。それはつまり、どんなに激しい戦場に放り出されても生き残ってしまうということだ。腕や脚が吹き飛ばされても、敵に絶大な恐怖を与えられても生き残ってしまう。そして、身体的ダメージは瞬時に回復させられ、満足な静養も与えられないまま再び戦場へと送りこまれるのだ。鈴谷は、実際の戦場がどんなモノかは見たことがないし、生死の境を彷徨うような極限状態を体験したこともない。だから、人間をまるで修復可能な『兵器』のように作り替えてしまう艤装に、あまり良い印象を持つことができないのだ。

 

 曇った顔で、鈴谷は最上の艤装を見つめる。不意に最上が何かを思い出したようにハッとする。

「そういえば熊野、ここに提督が来なかった?」

「衛田嶋さんですの? 今日はまだお見えではないようですが……」

 

見計らったかのように、病室にノックの音が響く。扉の裏からは、低くて芯のある渋い声が聞こえてきた。

「横須賀鎮守府の衛田嶋だ。失礼する」

 

熊野が返事を返すと、衛田嶋と名乗る人物は丁寧に扉を引き、恭しくも堂々とした所作で部屋へと入ってきた。混じりけなしの純白でシワ1つない軍服に身をつつみ、鋭い光をたたえた眼差しが圧倒的な指揮官の風格を作り出していた。

 

 見ず知らずの並々ならぬ威厳を漂わせる男を前に、鈴谷は完全に体が硬直してしまった。衛田嶋はまず最上に声をかける。

「ここにいたのか最上、もう傷は癒えたのか?」

「バッチリだよ! と言いたいところだけど、治療のためにフルで主機を動かしてたから、いきなりの出撃はちょっと厳しいかも。調子が完全に戻るまでは後方支援に回りたいんだけど、大丈夫かな?」

「そうか。今は戦力にも余剰がある、体調が戻るまでしっかりと静養してくれ」

 

「了解しました!」と最上は敬礼とともに返す。衛田嶋の視線は鈴谷に移った。ただこちらを見つめているだけのようなのだが、鈴谷には睨まれているようにしか見えない。一層肩に力が入ってしまう。

 

「衛田嶋さん、こちらの方は鈴谷さんですの。今日はわたくしのお見舞いに来てくださったのですわ」

ガチガチの鈴谷を見かねた熊野が紹介してくれた。衛田嶋は意味ありげに小さくつぶやく。

 

「鈴谷……、ふむ、そうか」

「あっ、あのっ、その私、ただの民間人なんで、聞いちゃいけないこととかあるようでしたら、すぐ退きますから! 要件はもう済んでるんで!」

衛田嶋から発せられる威圧感に耐えられず、鈴谷の声は完全に裏返っていた。

 

「心配することはない。私は軍事秘密をここで話すつもりも、君と友人との時間を邪魔するつもりもない。最上の現状視察と熊野さんへの伝言を伝えに来ただけ、5分ほど時間をもらえればそれで十分だ」

「はぁ、そうですか……、それじゃあ、その、廊下の方で待ってます……」

言葉の裏に圧力を感じ、強引に最上の腕を引っ張りながらすずやはそそくさと病室を出る。扉を閉めると、ふーっと息を吐き出しながら壁にもたれかかった。

 

「なんなのアイツ……、威圧感すごすぎだって……」

 

最上が苦笑いを浮かべる。

「確かに。ボクも初めて会った時は殺されるんじゃないかと思ったよ」

「あの人が、アンタの上司?」

「そう、ボクが所属する横須賀鎮守府を仕切ってる人さ」

「軍事秘密じゃないのに、なんで追い出すような目で話しかけてきたんだか。そんなに大事な要件なら、素直に言いなよってカンジ」

 

最上はブツブツと文句を垂れる鈴谷を嗜める。

「多分、熊野のプライバシーに関わることなんじゃないかな。提督は意味もなく初対面の人を邪険に扱ったりはしないから」

 

その言葉を聞いた鈴谷の頭にある予想が生まれた。

「もしかして、アイツ熊野を艦娘に誘う気じゃ……」

 

最上は慌てて否定する。

「そんなわけないよ、ずーっと入院してる熊野を艦娘に引っ張り出すなんて。横須賀鎮守府は海軍の数ある拠点の中でも1番大きなところだから、戦力も十分足りてるし」

「それじゃあきっと、熊野にはよっぽど才能があるのかも。自分の手元にできる限り戦力になる人間を集めたいってことでしょ?」

「提督は重病人を振り回すような薄情な人間じゃないんだけど……」

 

呆れ顔の最上だが、鈴谷は全く気にしていないようだ。

「熊野を戦場に連れてくなんて言い出したら、文句言ってやるんだから」

「文句言うのはいいけどさぁ、君、提督目の前にしたらガッチガチだったよね? ホントにそんなことできるの?」

 

内心ギクリとしたが、お構いなしに鈴谷は、扉に耳をつけ室内の話に耳を澄ませた。声量を落としているようだが衛田嶋の声はよく通るために会話も思いの外ハッキリ聞き取ることができた。

「適正検査の結果、君に適合する艤装が判明した。最上型重巡洋艦の3番艦鈴谷、および4番艦熊野のいずれかだ」

 

 予想通りだ。衛田嶋は、重病人であるはずの熊野を艦娘という駒として、自らの手中に収めようとしているようだ。衛田嶋の言葉から、鈴谷はそう確信した。艤装の持つ悪魔のような力を知ってしまった彼女の心に、にわかに怒りが湧き始める。

 

 しかし、続く熊野の反応は、鈴谷の想定していたモノとは全く異なるモノだった。

「それは……、本当ですの! わたくし、艦娘の適正があったのですね! 良かった……、長い治療とも、これでお別れできるのですね!」

ウソ偽りのない喜びの声だ。そして、長い治療とお別れできる、とはどういうことだろう。鈴谷の頭に混乱の2文字が浮かぶ。

 

喜ぶ熊野にも一切表情を変えず、衛田嶋が続けた。

「しかし問題が1つある。鈴谷および熊野の艤装は、今まで我が海軍のどの工廠でも建造に成功したという報告が一切ない。艤装の一部を敵勢力下から回収した例も皆無だ。つまり、ここに届けることができるのがいつになるのか、見通しはゼロだ」

「それでも、艤装が見つかればわたくしは助けていただけるのですのよね?」

「以前伝えた通り、次の適正者が見つかればそちらに艤装は回すことになる。艤装の管理にかかる費用は、全て国民の税金で賄われている。1人の病人のために重要な戦力を無駄にすることはできないのでな」

「それは承知の上でしてよ。わたくしも、他に方法があればこのようなズルをするような治療は御免こうむりたいのですが……」

 

「ねえ最上、つまりどういうことなの?」

扉の向こうの会話の意図は余りにも理解不能だった。我慢できずに最上に尋ねた。最上も一緒になって扉に耳を当てていた。

 

「うーん……、話を聞く限りだと、多分熊野は艤装を力を使って自分の病気の治療をしたいって提督に要望を出してたんじゃないかな。ケガを治すことができるんだ、病気の治療だって不可能じゃないと思うよ」

「じゃあ、何で今の今まで艤装……だっけか、それをつけて治療してなかったの?」

「艦娘の艤装は、病気やケガの治療に使うモノではないからだ」

 

鈴谷の疑問に答えたのは最上ではなかった。いつの間にか病室の扉は開け放たれ、そこには衛田嶋が後ろに手を組んで立っていた。

 

「鈴谷、と言ったかな。君の気分を害すことのないように遠まわしにご退出を願ったのだが、どうやらその方法は間違っていたらしい。最上、お前も何をしている」

 

相変わらずよく通る声だ。鋭く光る眼光が鈴谷と最上の体を貫く。2人の体は冷や汗脂汗でビショビショだ。

 

「衛田嶋さん、お気になさらないでください。そちらお2人でしたらわたくしは大丈夫でしてよ」

 

なんとか衛田嶋をなだめようとする熊野。衛田嶋は先ほどよりもハッキリと口を動かす。

「何を言っている。深海棲艦の攻撃を受け、愛する人間を亡くした者や故郷を奪われた者がこの国には大勢いるのだ。そういった人々の血税をつぎ込んだ艤装を、一般市民の病気の治療に使用しているなどと知られてしまったら、どうなると思う?」

「それは……、その……」

「その上、この件の裏にはあなたの親族と海軍の特別な関係が絡んでいる。新たな友人を大切にしたい気持ちも分かるが、この件は事情が複雑なのだ。今日最初に私に見せた反応といい、あなたには少し自覚が足りないようだ」

「そう……ですわね……、申し訳ございません……」

熊野は俯いてしまった。衛田嶋が再び鈴谷達に向き直る。

 

「鈴谷君、そういうことだ。君が考えているより、事情は遥かに複雑だ。知ってしまった以上、ここで聞いたことは内密にしてもらう他ない。友人の幸せを願うなら、大人しくしていることだ。分かったか?」

無表情のまま迫る衛田嶋の前に、鈴谷は首を縦に振るよりなかった。

 

「行くぞ最上」

そう言うと、衛田嶋は鈴谷の目の前から去っていった。最上は「今日はごめんね、待たね」と手を振り、上司の後をついていく。

 

 鈴谷と熊野、2人きりになったことにようやく気づいた鈴谷はへなへなとその場に座り込む。

「鈴谷さん、大丈夫ですの……?」

 

鈴谷の身を案じる熊野に力なく答える。

「何なのよあの殺気……、人殺してる目だよアレ……」

「申し訳ないですわ、わたくしの配慮が足りず……」

 

自分を責める熊野の言葉を慌てて遮る。

「いやいやいや、熊野は何も悪くないから! 私が盗み聞きなんてしたから……、その……、ごめん……」

 

病室に沈黙が生まれる。何もない時間が過ぎる。

 

「鈴谷さん、わたくしのこと、どう思いました?」

先に沈黙を破ったのは熊野だった。

 

「どう思ったって……、どういうこと?」

鈴谷が聞き返す。

 

「今、わたくしは、日本防衛のために作られた艤装を、自分の病を治すためなどという自分勝手な理由で使おうとしていますわ。そして、衛田嶋さんの言う通り、この国には深海棲艦に幸せを奪われた多くの人々がいますの。それだけではありませんわ。わたくしと同じように、病に苦しみ、迫り来る死に恐怖する人々もですわ。そういった人々の見えないところで、ズルをして自分だけ幸せを掴もうとし、あまつさえそのチャンスが巡ってきたと分かると喜んでしまう。そんなわたくしを見て、鈴谷さんはどう思いますの?」

 

その目には涙が光っているように見えた。重い病であることを全く感じさせない、天真爛漫な少女はそこにはいなかった。今にも自分の背負った運命に押しつぶされそうな、脆くて弱い少女だ。無尽蔵の好奇心の裏に隠された、彼女の本当の姿がそこに見えたような気がした。

 

「少なくとも、少なくとも私だったら、多分、熊野と同じ道を選ぶと思う」

鈴谷には、生死の境を彷徨うような経験もなければ、戦争で心に傷を負った人々に思いを馳せるようなことも真面目にしてこなかった。言葉を選びながら、たどたどしく答えを紡ぐ鈴谷だったが、その目はしっかりと熊野を見つめていた。

 

「病気を治す方法ってさ、それしかないんでしょ? それにさ、ズルをしても生きたい、自分にはまだやりたいことがあるんだって、思ってる。だよね? もっと広い世界を見て回りたいって、前に言ってたじゃん。そのために、はっちゃけすぎなくらい動き回る熊野、私は何回も見たからさ。そこまで必死に生きようとしてる人間だったら、神様はきっと怒ったりしないって、思うよ」

 

鈴谷は熊野のベッドに腰掛ける。

「それからさ、後ろめたい気持ちがちょっとでもあるんだったら、体を治した後に挽回すれば、いいんじゃないかな? 熊野の造船所ってさ、艤装……だっけか、それを作ったり、修理したりとかやってるんでしょ? そこでズルしちゃった分をさ、一生懸命人のために働いて、取り返せばいいんじゃないかな」

 

鈴谷の励ましの言葉に、熊野の顔はもうくしゃくしゃだった。

「ちょっとー、最近見た恋愛物のドラマだか映画だかの台詞言ってみただけだし、そんなに泣かないでよねー」

「鈴谷さん……、わたくし、あなたのような友人が持てて幸せですわ……」

 

そう言うなり熊野は熊野の胸に顔を埋めてしまった。ボロボロと流れ落ちる涙が鈴谷の服を濡らす。

 

「ああっちょっと……鼻水服についちゃうじゃん! もう……」

鈴谷は熊野を引き剥がそうとして、止めた。熊野が現代医学では回復の見込みがないような病に冒されていることを知り、そしてその重い現実に潰されそうになりながらも、自分の興味を持ったことに邁進し、1日1日を努めて大切に生きようとしていることも知った。鈴谷には、これからしたいこと、これさえやっていれば幸せだということがまだ無かった。白紙の進路調査表、それが今の鈴谷の象徴だ。だからこそ、熊野の生き方は宝石のごとく輝いて見えた。羨望や嫉妬の感情もある。しかし、それ以上に、そのような感情が気にならなくなるほどに熊野と一緒にいたいという気持ちに満ちていた。

 

 気づけばもう、日が傾きはじめている。そろそろ帰らなくては。次もまた、お土産をたっぷり抱えて来よう。

 

 いつの間にか寝息を立てていた熊野を静かに寝かせ、ゆっくりと病室を後にする。

「それにしても、なんでどっかで聞いた台詞が突然思い浮かんだんだか……」

 

 台詞からその作品のあらすじを思い返していく。確かそれは、よくあるベタな恋愛物語だったはずだ。恋愛……?

 

 鈴谷の顔がなぜかあっという間に紅くなった。

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