素直じゃない――と、何度言われてきたのだろうと考えてしまうことがたまにある。
つい最近もエリーから「素直じゃないんだから」なんて軽い口調で言われたことを思い出すと、過去を遡っていくのが容易じゃないことは想像するに難くはないはずだ。
私だって、好きで素直になれないわけじゃないんだし、そもそも最初から『素直じゃない』なんて、そんなつもりは全く無くて。だけど言われてみれば言葉の端々に素直さを打ち消す恥ずかしさやら傲慢さなんかが見え隠れしてしまう、そんな瞬間があるような気がしてならない。だから素直じゃないなんてよく言われてしまうんだと思う。不本意ではあるけど。
でもだからと言ってその恥ずかしさや傲慢さのような態度や言葉に勝手に表れてしまう余計な感情をコントロールする術なんて私は知らなくて。そんな本心とは裏腹の鬱陶しい邪魔者達に私の真意が掻き消されてしまうことが本当に癪でならないと思う時が何度もあった。往々にしてこの際、相手がとる行動はふたつだ。前述のように私を茶化すか、もしくは、私から離れるか。
さっきは「何度言われてきたのだろう」なんて言ったけど、思い返してみればそんな言葉を度々耳にするようになったのは音ノ木坂に入学して以降、もっと言えば、穂乃果やエリー達とμ'sとしての活動を始めてからこちらの話のような気もする。気の置けない仲間の内で、自然と出てくるのはそう言った台詞だったってことなのだろう。年齢だとか、先輩後輩の垣根を越えてこんなふうな関係を築けるだなんて入学当初は思いもよらなかったし、そもそもこの学校でこんなにも気を許せる人達に出会えるだなんて思ってもみなかった。口には出さないけど、感謝はしてる。口に出すと、きっとからかわれちゃうだろうし。
真面目に謝意を伝えるだけなのにどこか驚いたような顔をされてしまうのは、やっぱり嫌なものだ。そう言うときにうらやましく思うのは、穂乃果や凛みたいに物事をストレートに伝えられる人のことだった。熟慮が足りない、なんて海未によく怒られてるのも見るけど、考えすぎて結局何も言えずじまいになってしまうよりは何倍もいいような気さえしている。
無いものねだり? そうかもしれない。人は誰だって自分にないモノを欲しがるものだ。持っていない物だったり、兼ね備えていない性格や頭脳、美貌、行動力、エトセトラ。はたまた、こんな自分を補完してくれるような相手の存在。
自分が奥手だなんて思わないけど、残念ながら素直じゃないことについては認めざるを得ない。ここまで言われちゃうと。重ね重ねだけど、ほんとに不本意。
だから思う。たまには自分のキャラクターに無い様な、他人が見たら驚いてしまうような一面を見せることが、恥ずかしさや傲慢さを振り払ってでもできたらいいな、と。そんな時、いつも私を茶化しにかかる三年生や二年生の先輩達はどんな反応を見せるのだろう。それを想像してみるのは、少し楽しいかもしれない。
ところで、なんで私がいきなりこんな話をしだしたのかと言えば。
それを説明するにはまず、私の隣で凛が寝息を立てているこの状況を説明しなければならないわけで。
◇
「いまから星を見に行くにゃ!」
なんて凛からの突然の誘いがあったのは日も暮れ始めた黄昏時のことだった。
「なによ、急に」
その時の私は、酷く怪訝そうな表情を浮かべていたことだろうと思う。脈絡なんてありはせず、ほんとに唐突にそんなことを言われたものだから、返す言葉に、そして表情に、とても悩んでしまったのだ。
「ほら、凛、星空なんて名字の割りに星のことなんて全くわからないにゃ。だからここは真姫先生に解説してもらえたらなーって思って」
「……そんなに胸張って言うことじゃないでしょ」
その言葉の通り、私の隣を歩いていた凛の成長過程をひた走る控えめな胸はずんと前に張り出されていた。悪びれる素振りも無く「えへへ」と笑う彼女に、私はひとつだけ息をつく。
週末の帰り道、私用で席を外した花陽とは放課後の時点で別れた私と凛は、いつも通りμ'sの練習を終えた後二人で帰路を共にしていた。日は段々と短くなる季節にあって、同じ時刻を歩いていても自分達の影が以前より長くなるのがずっと早くなっていることを実感するのは容易だった。私達を追い抜き行く風もまた、来るべき季節を僅かばかり予感させる。
そのせいだろうか。
並んで歩く私達の間隔が、普段よりか少しばかり近いような気がするのは。
「そんなわけだから真姫ちゃん、お願いにゃぁ」
猫なで声と共に、私の左側を歩いていた凛が私の左腕に抱きついてきた。
「な、なにがそんなわけなのよ!」
いつも以上に寄り添って歩いていた二人の間が、ほぼ零距離にまで縮まる。突如として左腕に宿る少し痛い程の感触に、当然のようにうろたえてしまった自分がそこにはいた。
「わからないけど、そんなわけにゃ」
にこにこと、いや半ばにやにやと私を見つめる凛に悪びれる素振りなど見当たらず、故に私の口元からもうひとつだけ吐息が零れてしまいそうになる。どうしてこうも無邪気に触れ合ってこれるのだろうと、少しばかり疑問にも思う。
「で、でも」
だけどもそんな疑問よりも幾分大きな謎が私の中にはあった。その答えとは果たして何なのだろうと、気になった私は私の顔をを覗き込んでくる凛の顔から目を逸らし、茜と群青が入り混じりつつある天体の嚆矢へと視線を投げる。
「天体観測なんて、どこでするのよ」
そう言われ、凛もまた同じく星空の始まりを見上げた。
上空は昼間の青天の名残を受けて雲ひとつ見当たらない快晴であったし、太陽の時期に別れを告げた音ノ木坂の周辺も迎えうる次のシーズンの準備を着々と進めている為か、空気は冷やされ空は澄み、天は一月前よりも随分と高くなった印象を受ける。天体観測を行うのにこれほどまでに適した季節が無いことは、私だって重々承知しているつもりだ。
そこにひとつでも問題があるとすれば、それはいま私達がいる『環境』だ。
「どう言うことにゃ?」
でも残念なことに、凛は私が憂う問題について理解はできなかったようだった。
「公園とかなら、いいかなぁ。ベンチに座ってお星様を見てられるし」
そうじゃなくて、と私は彼女の言葉を遮る。
「凛、あなたが星を見ようって言ったのは、普段から星空を見ることができてないからじゃないの?」
「そうだにゃ」
凛の顔に「何当たり前のこと言ってるにゃ」とでも言いたげな表情が浮かぶ。
――これほどまでに純真無垢な女の子に事実を突きつけること程、心が痛むことがあるだろうか。
嫌々ではあるが、こればかりは致し方ない、誰が悪いわけでもないのだから。私は重い重い口を開く。
「普段見る事の出来ない星空を、いまこの時間からどこに見に行くって言うのよ」
虚をつかれた、そんな表情を凛はして見せた。いつも以上に目を見開き、あっ――と零れた一言はそれが彼女の中で完全に盲点だったことを窺い知るに充分過ぎる材料だった。
私達の住む街は、ほとほと天体観測に縁が無い。何十光年、何百光年、はたまた何万光年の長きに亘り広大な銀河を旅してきた星の煌めきは、しかしこの街の中では華奢な明かりとして処理されてしまう。見上げた夜空は街のネオンで埋め尽くされ、私達の目でその輝きを拝めることなんて、ほぼ無い物と言ってもいい位だ。
だからこそ、凛は見たかったのだろうと思う。普段望むことの出来ない、自らの名字を。でもここからは見上げることはできないと、失念してしまうあたりが凛らしいと言えばそうなんだけど、現実と直面した彼女は私の隣で大層悲しそうな表情を浮かべてみせる。
そんな顔をされたら――事実を付きつけた側としては罪悪感しか生まれないわけであって。
「……いいわよ」
えっ、と凛は再び私の顔を見る。背丈に見合った小柄な顔の、その仔猫のような丸い瞳に視線を合わせ、私は言う。
「そんなに見たいのなら、見せてあげてもいいって言ってるの。いまからじゃ、本物ってわけにはいかないけど」
その言葉を発してから、どのくらいだったろうか。凛の表情に、一等星の輝きが宿るまで。
きっとそれは、宵の口に一番星を見つけてから天体をあまねく星が埋め尽くすまでにかかる程の時間に酷く似ていたかもしれない。
私の言葉の意味を理解し、噛み締めて。
その感情が行きつく先は、やはり私の左の腕だった。
「真姫ちゃんっ!」
刺激は先程よりも強く、痛いと言っても過言ではなかった。
「ちょ、ちょっと! いい加減離れなさいよ!」
そうは言っても、相手がまともに聞き入れるはずが無いのは始めから承知の上で、案の定、凛はこちらを見て「えへへ」と微笑むばかりで一向に私の腕から離れようとはしなかった。
「……ふんっ」
だけどもどうしてか、左の腕に伝わる痛いほどの感覚が、その時だけは無性に嬉しくて。この感覚を、少しだけでも長く感じていたくって。
そっぽを向いた私の歩くスピードは、隣にいる少女の想い分だけ遅くなった。
◇
「上がって」
「おじゃま……します」
凛を我が家の中に招き入れると、彼女からどこかそわそわし落ち着かない雰囲気を感じた。顔を見ずとも、視線が泳いでいるだろうってことは簡単に想像できた。これは凛に限った話ではないし、以前花陽がうちを訪ねて来てくれた時も恐らく同様の反応を見せたに違いない。
「今日はふたりともいない日だから気にしないでいいわ」
両親共に家を空けることは珍しいことではなかった。だからこう言う場所に帰ってきたからと言って何か特別な感情が芽生えるわけでもないし、それはもう今更の話だ。逆に両親が不在だからこそ、気兼ね無く凛を家に上げられることにむしろ感謝したいくらいでもある。
「座って」
リビングへと凛を通す。手近なソファーに彼女を座らせると、普段から華奢な凛がなお小さく見えた。萎縮しているのだろうか。珍しいなと私は思う。
「何か飲むものを持ってくるわ。お茶でいいかしら。それとも、時間も時間だし何か食べる?」
すぐ食べられるものなら何かしら用意されているはずだし――と言った私の、その言葉を凛がきちんと聞いていたかどうかは怪しかった。致し方ないのかもしれないけど、やはりきょろきょろと目を泳がせ落ち着きが無い。
「凛?」
「あ……ごめんにゃ」
私の呼びかけに反応した凛はぽりぽりと頬を掻く。
「こう言うの、あんまり慣れて無くって」
こう言うの、とは大広間のようなところに通されることを差すのだろうか。単に友達の家に遊びに行くだけならば凛は何度と無く花陽の家を伺っているだろうし、不慣れな雰囲気があるとすればやはりここだろう。まあ目上の人が訪ねて来たと言うわけでもないのだし、無人の我が家で何もリビングで過ごす必要性なんかどこにもないのかもしれない。
「じゃあ、私の部屋にいく? 狭いけど」
「いいの!?」
途端に、花が咲いた。どうやら私の考えは正しかったようだ。
「別に、減るもんじゃないし。でもその前にキッチンに立ち寄っていいかしら。何か食べるものと飲むものを見繕って行くわ」
「りょーかいにゃ!」
言うと凛は立ち上がり、文字通り私にくっついてきた。これが鬱陶しいと思わないことがないとが言わないけど、でも凛はこうじゃなきゃ何かが変だと思ってしまう。慣れと言うのはそう言うことなんだろうなと私は薄く思った。
◇
「……充分、大きいと思うにゃ」
私室を開けた凛の、第一声がそれだった。
「そうかしら」
「そうだにゃ! 凛の部屋なんて、これの何分の一かわからないけどそれくらいしかないにゃ! ベッドだってほら、こーんなに大きいし」
長い時間を過ごしてきた自分の部屋だからこそなのかもしれないけど、特別広いとは思ったことが無いのは本心だ。どうせ居住者は私一人だけなのだし、無駄に広いのでは寂しいばかりではないかとも思ってしまうけど、それを凛に言ったところで話が拗れていくだけなのでこの件に関して私は口を紡いだ。
キッチンから持ってきたサンドイッチとロイヤルミルクティーをテーブルの上に起き、私は凛に腰を下ろすよう促す。
「適当に座っていいわ」
するとどうだろう、凛が腰掛けたのは私のベッドの上だった。
「どこでもいいんだったら、凛はここがいいにゃ!」
それほどまでに気に入ったのだろうか。確かにひとりで寝るには幾分ゆとりがあるとは思うけれど、別に特注品でもなければもちろんのこと天蓋だってついていない、ごく普通のベッドだ。
「ちょ、ちょっと」
とは言えいくらなんでも少々不躾ではないだろうか。テーブルの傍にはソファーだって置いてあるのに、わざわざ他人の寝床に腰を下ろすなんて。
「早く早く、真姫ちゃんもこっち来て座るにゃ!」
だけど凛はそんな私の反応など意にも介さず、むしろ素知らぬ振りで、家主であるはずの私を促した。自分の横に来て、一緒に座るようにと。
「もう……」
彼女の爛漫さに抗えないのは、もしかしたら私の欠点かもしれない。けれどあそこまで我を通してくると反対にどこか清々しささえ覚えてしまう。結局はそれが私にはない物で、無意識のうちに強請ってしまうことなのだろう。素直にうらやましいと思っているのは、最初に話した通りだ。
言われるがまま凛の隣まで歩いて寄って、その小柄な体躯の真横に腰掛ける。凛は私が座るや否や、ぎゅうと自らの体を寄せてきた。
「真姫ちゃん」
猫なで声、とはいくらか違うが、私の耳に触れる凛の声は大層柔らかで、甘い。
「凛……?」
さっきからそこかしこに見受けられる、見慣れない凛の姿に、私は軽度の狼狽を覚えた。ほんとに、一体どうしたというのか。元より凛は気分のままころころと態度を変える――と言ってしまったらただの悪口にしかならないけど、思いのままに手を動かし、足を運ぶ猫のような女の子だと思っている。だからこそ溌剌として、行動的で、そこが凛の長所でも短所でもあるとも思っている。
だとすれば、隣で物静かに私に甘えてくる星空凛らしからぬ少女は、一体誰なのだろう……?
「……すぅ」
そんな答えの見えそうにもない思考をめぐらせていたときのことだ。
私の隣から、か細い吐息が幾度となく聞こえてきたのは。
「…………………………」
つい先刻まで、星が見たいと騒いでいたのは一体どこの誰だったかしら。
私は小さく息をついた。とは言え深い浅いの程度はあれど夢の世界へ旅立ってしまった友人を無理やりに浮世へと引き戻すような無粋さを私は持ち合わせているつもりなどない。私には見せなかっただけで、実は疲れていたのかもしれないし。もしかしたら凛は初めからこれを狙ってベッドに腰を下ろしたのだろうか――なんて意味の無い勘繰りを向こう側へと押しやって、私は静かに凛の身体をベッドへと倒すと、抱きかかえてベッドの中央まで持って……行くには少々大変なほどの広さがあったから、中央よりいくらか手前の側へと凛の、私よりも小さな身体をそっと寝かせた。上から布団を掛けてやれば、いよいよ凛は朝まで目を覚まさないのではないかと思う程に幸せそうな顔を私に見せた。一体全体その丸い瞳の奥でどれほど清福な物語を視ているのだろうか、なんて疑問に思って、凛の寝顔を覗き込む。でもその顔が私が考えていたより何倍も可愛く映り、背徳心半分気恥ずかしさ半分で十秒と眺め続けることができなかった。
ベッドの傍から離れる。頬の辺りがなんだか少し熱っぽいような気がするのは、凛の寝顔を見つめてしまってからで思い違いでは無いだろう。冷静に考えれば自分と共にスクールアイドルとしての活動を行っているのだから、普通に考えて可愛くないはずは無いんだけども、それが一般的な『可愛い』と同義かと言われると、ほんの少しだけ、そうじゃない気がしてしまう。背徳心や気恥ずかしさなんてその最たる感情だろうし、そんな不埒な気分のまま純粋な少女を眺めていたくないと思った私は一度、凛の眠る自室を後にした。丁度良くも室外の空気を吸い込みたいと思っていたし、そもそも凛を我が家に招き入れたのにもきちんと理由がある。当の本人は寝てしまっているが、彼女にいつものような喧騒がない分ある意味では功を奏している気がする。いまいま目を覚ましてしまうとも思えないし、事を済ますのに都合をつけるのならいまが最適だろう。私は一路、目当ての物がしまってあるだろう物置を目指した。