「教室でも練習中でも、わたしが隣にいても凛ちゃんの視線はずっと真姫ちゃんの方にあるんだもん。きっと誰でも気付くと思うよ」
そんな風にかよちんに言われたけど、それは自分でも自覚してることだった。極力気付かれないようにはしていたつもりでも、ずっと隣にいる幼馴染には見抜かれてしまう。でもそれはかよちんだから、凛のことをずっと傍で見ていてくれた人だから気付けたのであって、そうじゃなかったらわからなかったんじゃないかな、とも思う。
実際に。凛が真姫ちゃんにアタックするまで、真姫ちゃんの方から何か言われたことはなかったし、穂乃果ちゃんや海未ちゃんやことりちゃん、絵理ちゃん、にこちゃんにも何か言われたことはなかった。希ちゃんなら、多分わかっていて言わなかったのかもしれないけど、結局何も言われてないことには変わらない。気にはなったけども、そんなことをいちいちみんなに訊きに行くことなんて出来るわけなかったから、本当はどうだったかはわからないまま終わりにした。
『星が見たい』
と真姫ちゃんに言ったそれは、精一杯自分で考えた台詞だった。真姫ちゃんが星を好きなことを、どこで聞いたかは思い出せないけどそれだけ凛は覚えていた。
後は、前に希ちゃんに言われたこと。
『星空凛って言うくらいなんやから、星を好きにならんとね』
って言うのも、結構影響してたかもしれない。あの日、海未ちゃんと希ちゃんと三人見た星空は見渡す限り星が散りばめられていて、一言で言い表すにはもったいないくらい、とってもとーっても綺麗だった。そんな素敵な夜空を、素敵な人と一緒に見ることが出来たなら。一生残るくらいの、ふたりだけの思い出になれたなら――そう考えると、自然と頬が、胸が、熱くなる。それはまるで恋する乙女みたいで、凛は何だか顔を覆いたくなってしまう。こんなこと、生まれて初めての経験みたいなものだから、自分自身、どうすればいいのかわからない部分って言うのはいっぱいあった。
でも男の子みたいだった凛が、ちょっとずつでも女の子みたいになろうって、そう思って。
僅かな一歩からでも、女の子っぽく前に進んでいこうって、そう思えて。
ウエディングドレスを着たあの日――凛は本当に、本物のアイドルになれたような、そんな気がした。そのきっかけをくれて、躊躇う凛の背中を押してくれたのだって、大好きなかよちんと、大好きな真姫ちゃんだった。
『いままでもらった分を少しでもお返しできたらな』
なんてかよちんは言ってたけど、そうやって凛はいろんなところでかよちんに助けてもらってる。だから凛はそうやって助けてくれるかよちんのためにも、目の前の女の子にきちんと「大好き」を伝えなきゃなって、そう強く思う。さっきは……言えてたようで、言えてなかったような気がするし。
『他に、何か聞きたいことはある?』
そう真姫ちゃんに言われたとき、ここだ、って、そう思った。だから訊いてみた。凛のことは好きか、って。暗闇の中、顔が見えないのをいいことに、そうやってストレートにたずねてみたけど、正直部屋の中が真っ暗なのはほんとによかった。自分でも初めてなくらいに、あの瞬間は鼓動が早かったから。精一杯普段通りでいようと頑張ったけど、そんな凛の姿は、真姫ちゃんの目にはどう映ってただろう……暗がりだから、わかんないっか。
けれど例え暗がりでも、ここまで近くに――吐息を感じられるほどの距離に真姫ちゃんの顔があれば、その表情だってちゃんと見ることが出来る。でもいま起きてるのは凛の方だから、凛が真姫ちゃんのことを見てるわけだけど。
それは初めて見た時から思ってたこと。真姫ちゃんは綺麗だって。
綺麗なだけじゃなく、かよちんとはまた違った可愛さもあるし、無意識のうちに視線を送ってしまいたくなるような独特のオーラもある。凛と同級生とは思えないほど大人だし、でも時折見せる凛よりも子供みたいな一面にきゅんとなることもたくさんある。上から目線で素直じゃないところも、からかってみるととても楽しい。すらっとした指で弾くピアノは凛だって大好きだし、そのピアノの音に乗せて歌う声も好き。音楽に触れている時の真姫ちゃんが、一番きらきら輝いて見える。
そんな人がいま、凛のすぐ隣で眠っている。
改めて思う。凛はなんて幸せなんだろうって。
真姫ちゃんのこの寝顔を、ずっと傍で眺めていたいって、そう思ったら眠気なんてどこかに吹き飛んで行ってしまったみたいだ。まあ真姫ちゃんのお家に着いてすぐにおやすみしちゃってたせいでもあるんだけど……あの時は真姫ちゃんの隣に座って、間近で真姫ちゃんを感じたらやけに安心してしまって、気が抜けてそのまま眠っちゃったんだった。慣れないことするとほんとすごく疲れる。でもだから入ることのできた真姫ちゃんのベッドは最高に心地良くって。もう出来ることなら一生ここで過ごしたいくらいお気に入りの場所になってしまった。きっと次に真姫ちゃんのお家に遊びに来た時も真っ先にここにダイブしちゃうかもしれない。きっと真姫ちゃんは怒るだろうな。もちろん、怒った真姫ちゃんも可愛いんだけど。
でもそれだって、次がいつあるのかわからないんだし、いまはこの時間を思う存分堪能しなきゃ。せめて三度目の睡魔が襲ってくるまでは、どうか真姫ちゃんが起きませんように――そう祈った時のこと。
「ん……」
凛の物じゃない、小さな声が上がる。凛じゃない以上、それはもちろん真姫ちゃんの声なんだけど、寝ている彼女から上がったそれに「もしかして起きちゃうんだろうか」と気持ちは焦り半分残念半分になる。
「り、ん……」
だけど二言目の後、真姫ちゃんの口から続いたのはさっきまでの「すー、すー」と言う寝息だった。よかった、と思いながらも、凛の頭の中はいま真姫ちゃんが口にした寝言の、その言葉が大半を占めていた。
呼ばれた。凛の名前が。
それはきっと、真姫ちゃんの夢の中に凛が出てきているからなんだろう。それはどんな夢なのかな。楽しい夢? 嬉しい夢? 悲しい夢や寂しい夢じゃないといいんだけど、でもこうやって名前を呼んでくれるくらいなんだから凛は夢の中でもちゃんと真姫ちゃんの隣にいるのかもしれない。夢の中でも大好きな人の隣にいられるのはとっても嬉しいことで。そして名前を呼んでくれて。
『り、ん……』
真姫ちゃんの声が、凛の名前を奏でて。
『りん』
真姫ちゃんの唇が、凛の名前を彩って。
『凛』
凛の名前を告げる真姫ちゃんの口元が、とても愛しくなって。
目の前、わずか数十センチ先にあるそれは、真姫ちゃんが眠っているせいでとても無防備で。
「…………………………」
そこに気が付いてしまった時、もうそれを止めるモノは凛の中にはなかった。
少し近づけば、届く唇。
り・ん、の音を作りだす真姫ちゃんのそれに、凛も同じモノを近づけていく。
それは好きな人だけにすることを許された行為だから。凛は真姫ちゃんが好きだから――愛してるから。
それをするのは、おかしなことじゃないはずで。
「――――――――――」
眠るわけではないけど目を閉じて、唇同士を重ねあう。
「凛」の音を奏でる唇は柔らかくて、でも少し、弾力があって。
凛にとっての初めてのキス、それは真姫ちゃんに大好きを伝えるための、もうひとつの手段。
ほんの三秒くらいの出来事。唇を離すと、でも感触はまだ残ったままで。その余韻が消えるか消えないかの頃に凛は閉じていた目を開く。
そこにあるのは、言うまでもなく真姫ちゃんの顔で。
きめ細かく潤いのある肌に、ベッドに沿って流れるセミロングの赤い髪。
そして、凛の顔を覗くふたつの瞳。
「え……?」
声を上げてしまったのは凛の方だった。だってそこにあったのは、凛が想像していた真姫ちゃんの表情とは全く違うものだったから。真姫ちゃんが起きているだなんて、考えてもみなかったから。目の前の状況に、凛はただ焦る。
すると真姫ちゃんの手が動いた。動いて、行き着いた先は、自分の口元だった。
「凛、いま……」
口元を隠す、いや、唇を押さえた真姫ちゃんは、一杯に目を開けて凛のことを見る。その顔に、凛は鳥肌が立ってしまった。
大好きだと胸を張って言えるはずの女の子のことを、怖いとさえ思ってしまった。
そんな瞬時に生まれた後ろめたさ、そして真姫ちゃんが取る最大限の意思表示――それに対して、凛が取れる行動なんてひとつしかなかった。
――凛はもう、ここには居られない。
「凛!」
真姫ちゃんの傍から、ベッドから、部屋から、漂う香りから、逃げるように凛は背を向けて走り出す。『凛』を告げるその声をも置き去りにして、凛は真姫ちゃんの家を飛び出した。
◇
そこからどこをどう走ったか、なんて全然覚えていない。
息が切れるまで、兎に角夢中で走った。
息が切れても、気にせず走った。
少しでも真姫ちゃんから離れようと思って。
少しでもあの真姫ちゃんの表情を忘れようと思って。
だけどやっぱり途中で走れなくなって、凛は立ち止まる。
「はぁ、はぁ……」
立ったまま膝に手を付いて、荒く呼吸をする。秋の真夜中のひんやりとした空気を吸い込むと、火照った体もオーバーヒート気味の頭も少しクールダウンしたような気がした。
それでも落ち着いて思い返せば、真っ先に浮かぶのは真姫ちゃんのあの姿。
凛が触れた唇に手を当て、目を見開いた時のこと。
「そう、だよね……あんなこと」
目を覚ましたと思ったら凛の顔が目の前にあって、そして、知らないうちにキスまでされちゃってる。
それは言い訳するまでもなく凛の身勝手な行動で。
真姫ちゃんの気持ちを、きちんと確かめたわけでもないのに。
「いきなり、あんなことされたら、誰だって怒るし……」
大きく揺れていた凛の肩が、今度は小刻みに震える。
「――嫌いに、なるよね」
目の前は涙で視界が閉ざされ、何も見ることが出来なくなっていた。右手で拭っても、だけど涙は次々と止め処なくて。抑えきれない感情に、凛はその場でだただた泣き続けるしか出来なかった。いつの間にかその場にへたり込んで、両手で両目を押さえ続けた。
「うぐ……えっぐ……」
漏れる嗚咽。泣き声を抑えられたのは、きっと周りがしんとして静かだったからだと思う。そうじゃなきゃ、凛は間違いなく大きな声で泣いていたはずで。感情の限り、それを表に出していたはずで。
『だから凛ちゃんも、真姫ちゃんへの『好き』を我慢しないで欲しいな……』
あの時、かよちんはどんな気持ちでこの言葉を凛に向けて言ってくれたのか。それを考えてしまうと、涙はさらに、その勢いを増して。
「ごめん……っぐ、ごめん、なさい……」
謝っても、かよちんに届くわけじゃないのに。
「――りん」
悔やんでも、真姫ちゃんにしてしまったことがなくなるわけじゃないのに。
いまの凛には、ただここで泣くことしか出来ない。
「凛」
だけどそうやって凛の名前を呼んでくれたひとのことを、手放してしまったのは他でもない凛自身で。
これから先、凛はどんな顔をしてかよちんと真姫ちゃんに会えばいいんだろう――
「凛っ!」
突然の大声に、凛は涙目のまま顔を上げた。
暗闇に包まれた街の中を薄ぼんやりと照らす街灯の、そのやわらかなあかりを遮る影がそこにあった。
「……ま、きちゃ――」
そこにいた、さっきまで凛の傍にいた女の子の名前を凛が呼び終わるかどうかの間で、冷え切った凛の体にあたたかさが宿る。
「あ――」
どうしてだろう……凛の体を抱きしめる真姫ちゃんの、そのチカラはとてもやさしくて。
「こんな時間にうちから飛び出して、こんなとこに座りこんで、風邪でも引いたらどうするつもりなのよ」
そしてその声も、とてもやさしくて。
「だって、凛……真姫ちゃんに」
「……始めは、夢かと思ったわ。でも、唇の感触が……妙に現実的で。そしたら凛がどこかに行っちゃうんだもの。私がどれだけ焦ったのか、わかってるの?」
「焦って、いたの?」
「当たり前でしょ!」
でもその瞬間だけ、真姫ちゃんは声を張り上げた。
「凛が――大好きな子が突然いなくなって、どうして冷静でいられるって言うのよ!!」
凛に回した腕の、凛を抱きしめるチカラを強くした。
「ねぇ、お願い。お願いだから私に黙って勝手にどこかに行ったりしないで……私に寂しい思い、させないでよ……」
「真姫、ちゃん」
抱きしめられているだけだった凛は、さっきの凛みたいに小刻みに体を震わせ始めた真姫ちゃんの背中に二本の腕を回した。
そして、ぎゅっ――と。
真姫ちゃんの体温を、分けてもらった。
「ごめんね……真姫ちゃん」
そう言うと、凛はまた、涙を流した。
だけどこれはさっきとは違う、悲しくない、嬉しい涙。
自分の勝手な行動で、勝手な思い込みで、勝手に秋の真夜中に寒空の下独りで震えて流した涙じゃない。
凛と一緒になって涙を流す真姫ちゃんの、その涙のほんとの理由は真姫ちゃんじゃないからわからない。でもきっと、それは悲しみのせいなんかじゃないって、そう思う。だって真姫ちゃんはさっき、凛にちゃんと言ってくれたんだから。
大好き、って。
◇
そうやって、ふたり抱きしめながらどのくらい泣いていたんだろう。わからないけど、秋の夜はまだまだ更けそうにもなかった。
「ほら、凛。そろそろ帰るわよ」
真姫ちゃんは立ち上がると、凛に手を差し伸ばす。真姫ちゃんの手をとって立ち上がると、その最中に凛の視界に入ってきたものがあった。
「あ……」
まだ街が明るいうちは絶対に見ることの出来ない、小さな光の数々。夜空全体を埋め尽くしたあの日のような景色ではないけれど、それは確かに星空だった。
「星、見えるんだね」
「さすがにこの時間なら、街の明かりもないものね」
真姫ちゃんも一緒に空を見上げた。ふたりで星空を見る、そんな凛の願いはふとした瞬間に叶ってしまった。
だけどやっぱり、いま見えるその夜空は、さっき真姫ちゃんと見た星空よりも何倍も物足りなくて。
「ねぇ、真姫ちゃん」
「なぁに?」
訊き返す真姫ちゃんに、凛は呼吸をひとつ置いた。
「いつか、一緒に。ふたりだけで空一杯に散りばめられた星、見に行こう」
それは昨日も言ったこと。真姫ちゃんとふたりになりたくて、真姫ちゃんとふたりで、ロマンティックなことがしてみたくて。そんな思いから問いかけた、天体観測。
でもいまのはちょっとだけ違う。いまの凛が求めたのは、そんな非日常じゃない。
真姫ちゃんが隣に、ずっと凛の傍にいてくれるって言う、日常。
「そうね」
真姫ちゃんはそう答えると、凛の顔をジト目で覗き込む。
「でも行くのならこんな寒くなる時期じゃなくて、夏とかにしようって私も思ってたところだったわ。心底、そう考えたのは正しかったと思ったわよ。また人の寝込みを襲ったかと思ったら勝手にどこか行って、ひとりで震えられてたらたまったもんじゃないし」
「うぅ……ごめんにゃ」
「いいわよ、もう過ぎたことだし。それにそんなに怒ってだっていないし」
だけど、と真姫ちゃんは続けた。
「仕返しはさせてもらうわよ」
えっ――と。
凛が声を上げるのが先だったか。
それとも。
真姫ちゃんの唇が、凛のものに触れるのが先だったか。
「――!!」
あのキスの時、真姫ちゃんが眠っていたのかどうかを凛は知らない。唇と唇が触れるその前に、凛は目を閉じてしまったから、その時真姫ちゃんがどんな表情だったかを凛は見ることができなかった。
そんな凛のように、真姫ちゃんは瞳を閉じて、凛の顔にその綺麗で整った顔を近づけてきた。
突然のことだったから、凛は目を閉じるなんてできなかったし、むしろ逆に目を大きく見開いてしまった。
全然、ロマンティックなんかじゃない、そんなキス。だけど真姫ちゃんが「仕返し」と言うのなら、きっと凛のこの行動は真姫ちゃんの思い通りだったろうなって、そう思う。
凛がしたのと同じ、三秒くらいの短いキス。だけどその三秒間は永遠になってと思い、願うくらいに、幸せな時間だった。
「――真姫、ちゃん」
「……仕返し、なんだから。これも、さっきのもノーカン。こう言う大切なものってもっと情緒的にいってもらわないと困るんだけど」
ぷい、と顔を向こうに向ける真姫ちゃんは、そのまま体も翻して歩き出す。
「今度こそ、帰るわよ」
凛を立ち上がらせてくれた時から、繋いだままの右手。取っているだけだったその手は、気が付けば指同士が絡み合っていて、凛を引っ張る真姫ちゃんの方へ体は自然と寄って行く。
恋人繋ぎ。星空に気を取られすぎていた凛がこれをやった覚えなんてないから、きっと真姫ちゃんがしたのかな。
繋がれた手は、あたたかい。そして凛の心もまた、とってもあたたかい。秋の夜、冷えた空気の中を歩く凛達だけど、寒さなんて全然感じなかった。
それはきっと真姫ちゃんが――凛が大好きって言って、凛にも「大好き」って言ってくれた、そんな女の子が隣にいるから。
この気持ちに、素直になれて、本当に良かった。
これからも凛は、ふたりの大好きな女の子と一緒に高校生活を、そしてスクールアイドルを続けて行く。そしていつか、大好きな真姫ちゃんと一緒に、ふたりで本物の星空を見に行くんだ。
その時に、今度はちゃんとできればいいな。
真姫ちゃんと、凛の。
――初めての、キスが。
(おしまい)