Fate/reverse alternative   作:アンドリュースプーン

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第14話  正義の軌跡

 酷く心が拒否したくなる景色だった。

 自分の目の前で死んでいる――――つい少し前までは普通に平穏を享受していた人々。

 顔見知りなんて全員だ。

 友人だって沢山いた。

 それが今では死体になって死体を増やし続けている。

 一人が一人を殺し、二人が二人を殺し、四人が四人を殺し、八人が八人を殺し……犠牲者は鼠算式に増えていく。

 彼等はもはや生者ではない。吸血鬼(死徒)が生み出すという意志なき動く屍、死者と呼ばれるものだ。

 死者に自己意識などなく、あるのは人を喰らいたいという飢えのみ。肉親への愛情も、恋人への情欲も、人としての理性も失った人間の成れの果て。

 伝え聞いていた煉獄よりも悍ましい。地獄よりも恐ろしい。

 これが本当の地獄。見ているだけで気が狂いそうになる。夢だと、逃避に浸りたかった。

 だが逃げられない。コレは自分の咎だ。背を向けてはいけない現実だ。

 自分はこの地獄の発端を開いた最初の一が誰だったのか知っている。

 この死者達を最初に生み出してしまった大本の一、彼女の名はシャーレイ。自分が姉のように慕い、同時に仄かな淡い恋心を抱いていた少女だ。

 

―――だからお願い。君が殺して。

 

 彼女の笑顔が好きだった。いつも弟扱いすることが偶に癇に障ったが、いつか追い抜いてやろうと思う事も出来た。

 その彼女に取り返しのつかなくなる前に殺せ、と懇願された時、自分は在りもしない『正義の味方』に縋って逃げ出していた。

 自分では彼女を助けられない。だが自分以外の誰かなら彼女を救える。

 そんな『正義の味方』に縋った結果がこれだ。

 もしも自分があの時、シャーレイを速やかに殺害していればこんなことにはならなかった。死ぬのはシャーレイ一人で、この島の人々が死ぬ事はなかったのだ。

 地獄の中、一人の女と出会う。

 女はナタリア・カミンスキー、賞金稼ぎを生業とするフリーランスの魔術師……いや魔術を手段として扱う魔術使いだった。

 封印指定の執行者と名乗っているものの、魔術協会に所属する正しい意味での執行者ではなく、封印指定の魔術師を協会よりも先に確保しそれを協会に転売するというあくどい商売をしている女性。

 そして今回彼女が来たのもまた『正義の味方』として死者に苦しめられた人々を救う、などという目的ではなく封印指定の魔術師を確保するためだった。

 自分はどうしようもなく悪運に恵まれていた。

 これは確信である。もしもナタリアに偶然にも巡り合わなければ、自分はとっくに死んでいただろう。

 今や自分の過ごしたアリマゴ島は人が人を喰う地獄から、一人の魔術師を巡って二つの勢力が殺しあう戦場となっていた。

 聖堂教会の代行者と魔術協会の執行者。

 異端、死すべしを旨とする狂信者。

 秘奥、回収すべしを旨とする魔術師。

 二つの思想は相容れることはない。

 代行者は異端を殺し尽くすために。

 執行者は神秘の漏洩を防ぎ、原因となった魔道を回収するために。 

 死者を殺しながら生者同士でも殺しあっていた。

 彼等は正義の味方ではない。

 死者ではなく一人前の魔術師とすらいえない自分ですら、彼等からすれば獲物に過ぎないのだ。

 しかしナタリアは良くも悪くも生粋の魔術師でも狂信者でもなかったが故に、自分を殺さずにいてくれていた。

 命の恩人というべきなのだろう。

 

――――今回の吸血鬼騒ぎの元凶になった悪い魔術師がこの島のどこかにいるはずなんだ。君、何か心当たりはないかい?

 

 ナタリアは自分にそう訊いてきた。

 心当たりといえば自分には誰よりもあった。

 件の魔術師。アリマゴ島に隠れ住んでいた封印指定の魔術師、彼の名は衛宮矩賢。

 自分の実の父親だった。

 

――――すぐにでも逃げるぞ

 

 家に帰った父は慌ただしくしながらも、自分が生きていたことを喜んでいる様子だった。

 いや、真実喜んでくれているのだろう。

 矩賢は魔術師として冷酷でありながらも、魔術師の常というべきか身内には甘かった。優しい、と言い換えてもいい。

 同時にどうしようもなく悟ってしまった。

 

――――あぁ、この人はこれからも同じことを繰り返す。

 

 アリマゴ島という小さくとも一つの世界を地獄へとかえながらも、父には魔道の研究を顧みようとする心は全くなかった。

 これからも父は殺すだろう。

 魔道の研究のため、人々を殺していくだろう。

 同じだ、シャーレイと。衛宮矩賢はこれから多くの人間を殺していくであろう大本の一だ。

 自然と自分はナタリアから渡された拳銃を構えていた。父はなにも気付いていない。息子が凶行に及ぶなど一切思わず背中を向けている。

 尊敬していた。冷たいようでありながら垣間見える自分への愛情、期待。

 魔術師の師として以上に、一人の父親として愛していた。シャーレイを失い、この人まで失いたくない。

 自分の中の人間としての感情が悲鳴をあげる。

 けれど感情に囚われてはいけない。私情をもってはいけない。

 正義の味方なんて世界にはいなかった。全てを救う英雄などはどこにもいない。

 

――――ケリィはさ、どんな大人になりたいの?

 

 正義の味方に憧れてた。だけど正義の味方は期間限定で大人になると名乗るのが難しくなってしまう。

 自分はこの時、否応なく知った。

 犠牲なき救済なんて有り得ない。幸福という椅子は数が限られていて、どうしても座れない人がいるのだと。

 誰もが幸福で、誰もが犠牲にならない世界なんてないのだと。

 ならばせめて、最小限の犠牲で最大の人間を救うのが最善の選択だ。

 この日、衛宮切嗣は父を殺した。

 それからの切嗣の生涯はただ自分を苦しめるだけのものだった。

 心を鉄へと変え、あらゆる戦場へ赴いては一を切り捨て十を救ってきた。

 殺めた魔術師の数は両手両足の指を足し合わせても足らない。

 結果的に救ってきた人数はそれの百倍はあるだろう。

 だがキリがない。幾ら救っても救っても、殺せど殺せど。争いは一向になくなってくれないのだから。

 戦いの師であり、母のように想っていたナタリア・カミンスキーもその過程で手にかけた。悲しみがない訳ではなかったが、後悔はなかった。自分の決断が、多くの死を防ぐことになると残酷なまでに知っていたから。

 切嗣の戦いは終わらない。世界に争いがなくならないのならば、切嗣は死ぬまで戦うことを止めれないのだろう。

 父の死。ナタリアの死。そしてシャーレイの死。

 三人が三人とも大切な人だった。自分の命よりも失いたくない人達だった。

 だが自分は顔も知らない誰かの為に彼等を犠牲にした。犠牲にしてしまったのなら、犠牲にしたもの以上の結果がなければ嘘だ。

 体は唯殺すための機械として。心は鉄へと変えて。衛宮切嗣は殺し続ける。

 

――――けれど、終わりのない戦いが終わるかもしれないという希望を得た。

 

 魔術師殺しの衛宮切嗣。対魔術師戦のエキスパート。

 その悪名を聞きつけたアインツベルンが、切嗣を来たるべき第四次聖杯戦争のマスターとして招聘したのだ。

 聖杯。本来の用途は根源への到達なれど、同時に聖杯として万能の願望器たる力も備えた杯。

 

――――人の手ではどうあっても犠牲は防げない。

 

 そのことを誰よりも知っていた。

 正義の味方がいないことも、救うには犠牲が必要ということも。誰もが幸せな世界など有り得ないのだと。

 だが聖杯ならば、人の身を超える奇跡をもってしてならば人の身に出来ないことが可能のはず。

 即ち、恒久的世界平和。あらゆる戦場を超え、ただの一度の勝利を掴むことが出来なかった男は漸く人生の到達点を見出した。

 アインツベルン側は切嗣に一つの条件を出した。

 それは第四次ではなく次の聖杯戦争の為に完成したホムンクルスを作ること。衛宮切嗣という魔術師の精を提供することだった。

 このアインツベルンの面の皮の厚さには切嗣も半ば呆れたように苦笑してしまった。

 必勝を期して招聘した切嗣に、敗北した場合の備えまでやらせるとは。

 しかし切嗣は首を縦に振った。

 アイリスフィール・フォン・アインツベルンという切嗣が冬の城に来るのとほぼ同時期に錬成されたホムンクルスは、ホムンクルスの例に漏れず機械的な女だった。

 感情の機微などなく、表情はまったく変わらない。切嗣という未知の男を前にしてもアイリスフィールは眉一つ動かさなかった。銀髪に紅の目という人間離れした容貌は真実人形そのものだった。

 しかし気付けば彼女は人形から人間へとなっていた。感情をもち下らない冗談に笑いを零し、愛情を知る人間となっていた。

 そして切嗣にとっても、アイリスフィールが聖杯を掴むための機械ではなく最愛の妻となっていた。

 今から八年前のことである。

 アインツベルンの冬の城に新たな命が芽吹いた。

 衛宮切嗣とアイリスフィール、二人の間にできた子供。

 もしかしたら次の生贄となるかもしれないという『運命』を背負った少女、二人はその子にイリヤスフィールという名を付けた。

 

「ねぇ。この子を抱いてあげて」

 

 我が子を抱き抱えたアイリスフィールは切嗣に対して言った。しかし切嗣は頷かない。頷くことなんて出来なかった。

 窓の向こう側、終わりない雪景色を見ながら切嗣は返答する。

 

「僕には……その子を、抱く資格はない」

 

 自分は多くの人間を殺してきた。

 一を切り捨て十を救うため、殺した数の何十倍もの人間を救ってきたなんて微塵も免罪符にはなりはしない。してはいけない。

 理由がどうであれ自分は殺人者。今までに殺してきた外道の魔術師となんら変わらない。両手は拭いようのない血で濡れている。

 穢れを知らない我が子にそんな汚れた手で触ることはできなかった。

 

「忘れないで。誰もそんな風に泣かなくていい世界、それが、あなたの夢見た理想でしょう? あと八年。それであなたの戦いは終わる。あなたと私は理想を遂げるの。きっと聖杯があなたを救う」

 

 衛宮切嗣の伴侶であり彼の最大の理解者でもある彼女は、慈しむように切嗣の慟哭を受け止める。

 

「その日の後で、どうか改めて、その子を、イリヤスフィールを抱いてあげて。胸を張って、一人の普通の父親として」

 

 アイリスフィールの真摯な目に逆らえず、切嗣は小さな我が子を抱き抱えた。

 瞬間、涙が溢れる。

 イリヤスフィールは軽い。産まれたばかりの体は、切嗣が戦いの中で使ってきた銃が羽に思える程に体重を感じさせない。

 だが重い。今まで衛宮切嗣が背負った全てより、イリヤスフィールは重かった。

 これが命の重さ。

 思えば殺すばかりの人生だった。殺して殺して、その何十倍の命を救ってきた。

 けれどこんな自分にもたった一つ新たな命を生む手伝いができた。

 涙が頬を伝う。

 八年後、自分はこの子の母親を奪う戦いへ赴く。恒久的世界平和を、顔も知らぬ誰かを救うために最愛の妻を生贄とするのだ。

 ならば、せめて。

 全ての戦いが終わった後、自分の人生の総てをイリヤスフィールに捧げよう。

 顔の知らない誰かなど考えない。正義の味方ではなく、イリヤスフィールだけの味方となろう。

 この身が地獄の閻魔に引き裂かれようと構わない。この世全ての人間に恨まれ批難されようと構わない。

 アイリスフィールを殺す覚悟は当に済ませた。否、恒久平和の為ならば億の命すら殺す覚悟はできている。自分が死ぬのも一向に良い。

 だがイリヤスフィールにだけは争いのない平和な世界で幸せに生きて貰いたい。いや絶対にそうしてみせる。

 恒久平和が実現されれば、もう誰も涙を流す必要などなくなるのだ。誰も銃を握らずに済むようになる。誰も理不尽に死ぬことはなくなるのだ。

 八年後。

 衛宮切嗣はその決意のままに冬木の戦場へと降り立った。

 体は殺すための機械となり、頭脳は敵を殺すための回路となり、心は鉄となった。

 手段は選ばない。

 卑怯悪辣、あらゆる手段を使ってでも聖杯を掴み取る。

 そう。手段は選ばない。どんなことがあろうと絶対に聖杯を掴む。何を犠牲にしても、誰を犠牲にしても。絶対に。

 

 

『――――報告です。キャスターが立ち去った後、セイバーとマダムの気配はありませんでした。恐らくはキャスターに連れ去られたものかと』

 

 ホテルの一室で舞弥の連絡を受けながら切嗣は弾丸の整備をする。

 ここは冬木市外のホテルなので、冬木市中に根を張っているキャスターの監視もここには届かない。

 

「そうか。それで円蔵山の柳洞寺はどうなっている?」

 

『住職の全てが修行という名目で一人残らず出払っています。キャスターによる厄介払いかと。やはりキャスターが柳洞寺を根城にしているのは確かのようです』

 

「……アイリスフィールとセイバーはそこ、か」

 

 柳洞寺には結界が張られている。人間には影響のないものだが、霊体であるサーヴァントが柳洞寺に侵入しようとすればステータスが低下してしまう代物だ。

 しかし逆に言えば一度中に入ってしまえば柳洞寺は最高の城塞となる。

 

「柳洞寺の結界は正しい道を行く者、つまり石段を普通に登る分には影響がない。そしてセイバーがキャスターのサーヴァントになったことを考えると、セイバーが配置されているのは恐らく山門。キャスターご自身はご自慢の工房……神殿で穴熊か」

 

 しかし穴熊を決め込むのがいつまでか。

 まだ派手な動きはしていないが、もしもキャスターの戦力が十分なものとなったら満を持して打って出るだろう。

 キャスターから無尽蔵の魔力供給を受ける最優のセイバーと、魔法使いクラスの魔術師であるキャスター。

 まともに戦えば聖杯戦争の勝者は決まったも同然だ。

 

『どうしますか切嗣、ご決断を』

 

「決断? 何を今更、僕がこの戦いを降りるとでも思ったのか。まだたかだかサーヴァントを失っただけだ。死んでいない限り敗北じゃない」

 

 今後の聖杯戦争を勝ち抜く上でやはりキャスターは消しておかなければならない。

 時間が経てば経つほどにキャスターは強大となっていく。

 切嗣の脳裏には既に対キャスターの方程式が組み上げられつつあった。


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