Fate/reverse alternative   作:アンドリュースプーン

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第24話  花鳥風月

 ライダーの愛馬から降りたウェイバーはふらふらとした足取りでマッケンジー邸への帰路につく。

 初めて殺し合いの渦の中心に身を投じたウェイバーの精神は嘗てない程に疲弊していた。

 昼夜問わず寝る間も惜しんで論文に挑んでいた時間と比べれば本当に僅かな――――数時間ほどの激戦。

 されどその密度、途轍もなく濃い。

 ライダーはウェイバーの内面を察してか、今回ばかりは挑発することもなく黙って霊体化していた。

 

(ホントに……なんだったんだよ、あいつ)

 

 セイバーとキャスターは同盟していた。

 それは間違いないはずだ。そうでもなければ二人のサーヴァントが同じ場所にいることなどは有り得ないのだから。

 ではセイバーが途中でキャスターを裏切ったのは……やはり利害の不一致からだろうか。アサシンの話によるとキャスターは随分と派手に暴れまわっていたそうなので、そのことで折り合いがつかなくなったのかもしれない。

 だがそんなことはどうでもいいことだ。

 一つ確かなことは今宵キャスターが脱落し、残るサーヴァントが6騎となったということだ。いや、もしかしたらウェイバーの与り知らぬところで脱落者が出ており、5騎未満まで減っているかもしれない。

 

(あいつ)

 

 けれど不思議なことにウェイバーの脳裏に焼き付いて離れないのはセイバーでもアサシンでもなく――――あの男のことだ。

 全身を黒いコートで包んだ幽鬼のような男。殺し屋という単語が具現化したような死の化身。

 名前も知らないあの男のことが頭から離れない。

 それは正体不明の男に対する警戒か。それとも――――。

 

(駄目だ。考えてもなんにも出てこない。今日は帰って寝よう)

 

 そう決めるとウェイバーはマッケンジー邸のドアを開け、自分の部屋に戻ると着替えもせず眠りの世界に旅立っていった。

 

 

 

 

――――アサシンには名前がなかった。

 

 此度の聖杯戦争でアサシンのクラスと"佐々木小次郎"という真名を得て参加しているが、アサシンは佐々木小次郎であって佐々木小次郎などではない。

 そも歴史上に佐々木小次郎という剣士など存在しないのだ。

 宮本武蔵という稀代の剣士の好敵手として後世で用意された架空の剣客。地に足の突く歴史はなく伝説のみに存在を許された英雄もどき。

 英霊に必要とされるのは信仰である。実際には存在しない英霊だろうと確かな信仰さえあれば架空の剣客だろうと英霊たりえるし、創作物で創作された全てが創作の人物だろうと知名度と信仰を獲得したのなら英霊になることができるのだ。

 佐々木小次郎も同じだった。

 だが彼が現実に存在しなかった人間かというとそうではない。

 彼は佐々木小次郎という名前でこそなかったが、彼は特に何もない生涯を送り歴史に名を残す事もなく死んでいったただの人間だった。

 佐々木小次郎ではない彼が佐々木小次郎として召喚されたのは、彼が佐々木小次郎の秘剣を披露することができたからに過ぎない。

 英霊・佐々木小次郎の殻を被った亡霊。それがアサシンの正体である。

 聖堂教会の代行者であり魔術協会に鞍替えした魔術師でもある言峰綺礼が召喚したサーヴァントが、架空の英霊だというのはなんとも皮肉に満ちていた。

 

 佐々木小次郎ではない彼は佐々木小次郎と同年代近くに生きたただの農民だ。

 時代が時代である。農作物が不作になれば食にも事欠く事があったし飢饉になれば餓死の危険が常に付き纏った。

 現代の人間からすれば悪夢のようなその生活。

 されど彼は――――自分を不幸だと感じた事はなかった。

 確かに目に見える娯楽はない。

 自分の住んでいるのは華やかな都からも大名たちの合戦する戦場とも離れた地方も地方。

 唯一他と違うところをあげるとすれば一部の者が南蛮伝来の聖書を読んでいるということくらいだ。

 酷く娯楽にかけ、なにもない同じ日々の繰り返しだけが過ぎていく村。

 村人たちは特に目新しいことを目の当たりにすることもなく、普通に生まれ普通に育ち普通に結婚し普通に子を為し普通に老い普通に死ぬ。 

 退屈というのは否定しない。

 だが彼は代わり映えしない世界の中でも"美"を見出した。

 季節ごとに咲く花は温度は気候一つで表情を千変万化させ目を麗してくれた。

 天空を自在に泳ぐ鳥は空の雄大さと憧れ、そして饒舌につくし難い感動を与えてくれた。

 大気に舞う風は木々を揺らし季節の香りを運んできてくれた。

 夜空に浮かぶ黄金の月はその日ごとに形を変え、顔を変え、色を変え、大きさを変え。ただ美しい、という感慨を抱かせてくれた。

 特に月は素晴らしかった。円蔵山の柳洞寺から眺める月はなお良い。それに酒でもあれば一層良い。

 いつしか酒が入れば柳洞寺の石段に座り月見酒と洒落こむのが彼の日課となっていた。

 

 そして、それは何時の日だったろう。

 彼は五尺余り、とても合戦では使えぬ長刀をもち山へぶらりと出た。

 目的があったわけではない。ただなんとなく山の空気を吸いたくなり行ってみた。ただそれだけのこと。

 山へ行ったのも気紛れなら、燕を切ろうと思ったのもまた気紛れだった。

 彼の前に一羽の燕が降り立ったのだ。

 群青色の翼、黄色い嘴、小さな瞳。

 その美しさに目を奪われたのか、剣を振るいたかっただけなのか。彼には分からない。

 ただ彼は理由はどうであれ燕を切ろうと思い立ち、物干し竿を振った。ただそれだけのことである。

 しかしその剣先は空しく空を切った。

 風を読み風を泳ぐ燕は彼の剣先などお見通しだったのだ。

 

「――――――」

 

 それから彼はただただ剣を振るい続けた。春夏秋冬、休まずにただ剣を振るう。

 燕を切ろうと思い至ったのが気紛れならば、やはりそれもまた気紛れだった。

 言葉にする理由などない。大層な大義があったわけでもない。夢でも理想でもない。

 風を読む燕を切る、ただそれだけのために彼は悠久の時間を費やした。

 幸いにして時間はあった。最低限の農作業を済ますと、物干し竿を手にとって振った。

 何年、或いは何十年の月日が経ったころだろう。

 いつものように剣を振っていたら剣が二つに分かれた。折れたのでもなければ二刀を用いたのでもない。

 本当に剣を振るう刹那、剣が二つに分身したのだ。

 

「ほう。なにかできたな。いや、珍妙なことがあるものよ」

 

 ただの農民である彼がそれが多重次元屈折現象という『魔法』に等しい奇跡だということを知るはずがない。いや、知っていたとしても彼はそれを当然の如くありのままに受け入れていたっだろう。

 これならば燕にも届くやもしれない。そう思い至り再び燕に挑んでみたが――――またしても彼は敗北を喫した。

 何度かは成功したが何度かは失敗した。

 勘の良い燕はあっさりと二つの刀による牢獄に空いた隙間を見出すと、そこに飛び込みまんまと逃げてしまったのだ。

 

「二つでは、届かぬか」

 

 悔しさ一つ見せず呟くと、また剣を振るい続ける日々が始まった。

 二つの剣では僅かな隙から燕は飛んで行ってしまう。空を泳ぐ燕を捕えようとするのなら、三つ目をもって行き場を塞ぐしかない。

 特に根拠はなかった。出来るという確証はなかったし、三つならばたぶん切れるだろうという思いつきだった。

 そんな思いつきを実行するため彼はまた幾年かの月日を生きた。

 彼がやったことは物干し竿を持って振るう。それだけである。そうしていたら何時の間にか剣は二つより三つへと増えていた。

 

「おお。三つになったか」

 

 目標に到達したという大いなる達成感もなく、小さな感嘆だけ漏らすと彼は山に登った。

 そして普段と何一つ変わらない自然さで剣をもち、自らが辿り着いた秘剣をもって燕に挑んだ。

 秘剣・燕返し。無名の剣客が生涯を費やして辿り着いた奥義は漸く燕を切ったその時に完成をみたのだ。

 だがそれから暫くして彼はあっさりと病魔に斃れこの世を去った。

 彼には後悔も未練もない。ありのままに生きて、ありのままを受け入れた彼は、自分の死もありのまま受け取った。

 

「……お前が……アサシンのサーヴァント、か? 暗殺者には彼の山の翁が呼ばれるはずなのだがな」

 

 次に彼が見たのは僧服のようなものを着た男だった。

 一瞬疑問に感じたが直ぐに『聖杯』より自分が聖杯戦争にアサシンのクラスで招かれたのだということ、現代の知識、そして"佐々木小次郎"という名前を与えられていることを教えられた。

 彼は暫し沈黙する。

 己には聖杯などというものに興味はない。聖杯にかける祈りはない。仮に聖杯を手に入れ、第二の生を得たとしてなんだというのだ。

 自分は"佐々木小次郎"という名前でここにいる。ならばこの迷い出た現世でどれほどの善行を積もうと、その賞賛は佐々木小次郎にのみ与えられる。

 無名の剣客である自分に還るものはなに一つとしてない。

 

(いや)

 

 己が感情を否定する。認めよう、一つだけ彼には願いがあった。

 生まれも貧しくただ剣を振るうだけの生涯だった。その生涯の果てに燕を漸く捕え、己は死んだ。

 聖杯戦争には古今東西の英雄豪傑が一堂に会すると云う。その中にはセイバーという剣の英霊もいる。

 燕を切るためだけの己の剣が果たして歴史に燦然と名を残す英雄に届くのか。己の剣は英雄をも捕えることが出来得るのか。

 それが知りたい。

 生前一度として叶わなかった強者との果し合いこそが、無名の剣客である彼にある唯一の望み。

 もし言峰綺礼と無名の剣士に共通点があるとすれば、ただ一つの"答え"を求めた願いの形なのだろう。

 

 

 

 戦いは上手い具合に運んでくれた。ここが師である遠坂時臣の邸宅でなければ祝杯の一つでもあげたい気分だった。

 言峰は自分に与えられた一室で佇みながら小さな笑みをこぼす。

 事ここに至り言峰はセイバーがキャスターの居城にいた真の理由が分かっていた。そして衛宮切嗣の狙いも。

 衛宮切嗣がキャスターを排除するのに掛けるであろう僅かな空白の時間。その時間を要しアサシンに聖杯の守り手を確保させることにも成功した。

 師である時臣の言葉が正しいのなら、あの女が脱落したサーヴァントを納める『聖杯』をもっているのだろう。

 

「さて。最後の駄目押しだ」

 

 アーチャーが柳洞寺の第二陣としてここにいないにも幸いだ。

 これは勘なのだが、アーチャーは何故か自分に対して疑惑の目を向けている。警戒と言い換えてもいい。

 故にアーチャーのいる前では言峰は自由に動けないでいた。

 やはり衛宮切嗣との邂逅を確実のものとするためには他のマスターとサーヴァントの排除は必須だろう。

 

「令呪をもって命じる。アサシンよ、帰還しろ」

 

 あっさりとした令呪の発動。

 言峰の腕には今や父に刻まれていた予備令呪がある。その数は通常のマスターがもつ三画を遥かに凌ぐ。

 これは時臣やアーチャーすら掴めていない言峰綺礼の絶対的アドバンテージであった。

 令呪に従いアサシンが空間を割り現れる。アーチャーの死角となる場所で転移させたのでアーチャーはアサシンの空間転移には気付いていないだろう。

 

「そら綺礼、お前の望み通り連れてきたぞ。現世に迷い出てまで人さらいの真似事をする羽目になるとは思わなんだよ」

 

「安心しろアサシン。コレは人間の形をしているがその実、人間ではない。故にアサシン。お前は火事場泥棒であって人攫いではない」

 

「どちらにせよ盗人であることに変わりは無かろう。それに……私には見目麗しい女子を物扱いするほど下賎な者ではないつもりだ」

 

 アサシンが鋭い視線を送ってくる。

 言峰もアサシンと人間か非人間かについて議論し、無意味に不仲となるほど愚かではなかったのでそれ以上は何も言わなかった。

 アサシンも未だ言峰綺礼という憑代が必要な身の上。言峰が言葉を返さないのならばと黙っていた。

 言峰は眠るアイリスフィールに治癒魔術をかける。

 救う為ではない。ただアイリスフィールに意識を取り戻させ自分の問いを投げかけるためだけに治癒するのだ。

 切り開くことに特化した言峰綺礼の魔術回路は、こと治癒や霊媒治療にかけてのみ時臣に勝ることを許している。

 ほどなくアイリスフィールは意識を取り戻した。

 しかしバーサーカーとキャスターの二体を取り込み、キャスターの呪いをも受けているアイリスフィールには立ち上がる力は残っていない。

 ただ朦朧とした目で言峰綺礼を見た。

 

「女、私の声が聞こえるか」

 

「………………」

 

 女は返事をしない。しかし強い瞳で自分を睨んだのを肯定の意だと言峰は受け取る。

 

「アイリスフィール・フォン・アインツベルン、お前は衛宮切嗣にとってなんだ?」

 

「…………妻よ」

 

 アイリスフィールが小さく絞り出した。

 妻という一文字に言峰は否応なく自らの『理解者』を思い出してしまう。

 

「ならば最後に問おう。貴様の夫、衛宮切嗣は貴様が死んだという報告を受け涙を流すか?」

 

 アイリスフィールは覚悟を決めるように目を閉じると、真っ直ぐに言峰綺礼の目を睨み言った。

 

「いいえ。泣かないわ。……あの人は、私が死んでも泣かない。あの人がお前を倒す……」

 

「そうか。そうか泣かないか! 奴は泣かないのだな。妻が死のうと己が伴侶が敵の手で無残に殺害されようと、奴は涙一つとして流さないのだな」

 

 狂ったようでいて理性的な笑みを浮かべ言峰はアイリスフィールの首の骨を折り絶命させる。

 もはや語るべき言葉も、投げるべき問いもない。

 

「やはり奴は私と同じだ。私も泣きはしなかった。ああ悲しみはあったとも。妻を自分の手で殺せなかった悔恨があったからだ。だから悲しみはしたが涙は流さなかった。ふは、ふはははははは! お前も涙を流さないか衛宮切嗣。ならば衛宮切嗣も私と同じだ。お前は私と同じだ!」

 

 致命的な勘違いをしたまま言峰綺礼は衛宮切嗣を同類と確信する。

 部屋には黙って佇むアサシンと狂笑する言峰綺礼、そして冷たい死体となったアイリスフィールだけがあった。

 

 

【アイリスフィール・フォン・アインツベルン 死亡】


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