Fate/reverse alternative   作:アンドリュースプーン

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第26話  敗北者の遠吠え

 綺礼が教会へ出立して十分ほどが過ぎた。 

 余裕を持って優雅たれ。遠坂家の家訓を胸に刻む時臣は聖杯戦争中であろうと日々の日課を変えたりはしない。

 アーチャーに見張りを命じると休養をとるためにも暫し休もうとして。

 

『お休みのところ悪いがマスター、不穏な来客だ』

 

 ライン越しに届いたアーチャーの進言で足を止めた。

 素早く時臣はいつかと同じように先端にルビーが埋め込まれた杖をもつと服を整える。

 

「こんな夜更けに来客か。いや文句は言うまい。聖杯戦争は夜に行うのがセオリーなのだからな。遠坂家当主として歓迎せねばなるまい」

 

 魔力を溜めた宝石を何個か服に忍ばせる。これで時臣の方は万全だ。

  

「して来客者は誰かな? ケイネス・エルメロイかウェイバー・ベルベットか、それとも衛宮切嗣か? サーヴァントのみというのもあるが」

 

『クッ。生憎とどれも不正解だ。この屋敷に近付いているのはサーヴァントではないしマスターですらない』

 

「……? というと何某かの協力者なのか?」

 

『協力者か。それもなかろう。君の情報が正しいのならアレは嘗てマスターであって今はマスターでないものなのだから。たしか名は間桐雁夜だったかな?』

 

「雁夜、だと……」

 

 聖杯戦争に参加する以前に敗退した参加者以前のマスター。間桐雁夜が行方知れずとは聞いていたがどうして今になって此処へ。

 時臣と雁夜は多少面識がある。だがその面識は良いものとは到底言えないものであり、まさか旧交を温めに来たというわけでもないだろう。

 なにか他に狙いがあるのか?

 だが目的があるとして、それはどのようなものなのか。

 

『どうする時臣。間桐雁夜は一人だ。正真正銘に。令呪の気配もサーヴァントの気配もない。やれと命じるのなら始末するが?』

 

「…………」

 

 一人前の魔術師未満の雁夜などアーチャーにかかれば矢一本で事足りるだろう。

 アーチャーが宝具でもない矢を射る――――それだけで雁夜の命運は尽きる。弓の英霊にとってそのようなことは造作ないことだ。

 けれど気になる。

 まさか意味なく雁夜がこの屋敷に来る筈がない。間桐家とは不可侵の盟約があるという以上に、魔術師にとって他の魔術師の領地に踏み込むということは命を賭けねばならぬ行為だ。

 未熟者とはいえそのようなルールを雁夜が知らないとは考えにくい。つまり雁夜にとっては今宵この屋敷に来ることには命を懸けるに値する理由があるということだ。

 

「サーヴァントを伴っているのならまだしも、雁夜は一人でここへ来た。そんな雁夜を相手にサーヴァントを盾に自分は穴熊など遠坂頭首のすることではない。客人は私が担当しよう。それが敵マスターだろうと間桐雁夜だろうと、戦う意思がないのならば客人なのだから」

 

『そうか。だがこれが何らかの罠ということもある。間桐雁夜が君にとって想定外の行動を起こしたのならば即座に射殺すが如何か?』

 

「頼もう」

 

『頼まれた』

 

 時臣は遠坂邸のドアを出る。

 夜風が肌に染みる。しかしその寒さに顔色一つ歪めることなく時臣は遠坂の門を開け。

 

「―――――よう。遠坂、時臣」 

 

「雁夜か。随分と……姿かたちが様変わりした」

 

 時臣にとって嘗て間桐雁夜に対して抱いていた印象は平凡というものだった。

 才幹にも見た目にも特筆すべき特徴はなく、街中にあれば直ぐに群衆に紛れてしまうような普通の人間。

 しかし今はどうだ。 

 無理な魔術の修練の影響か、左半分は妖怪染みたように変形し片腕はなく無事の右目もどろりと濁っている。化物特有の力強さこそ感じないが、この不気味さは幽鬼そのものだ。

 

「それで我が屋敷になんの用かな? 私は聖杯戦争のマスターとしてこの戦いに臨んでいる。お前がマスターの一人というのなら相手にするのも吝かではないが、今のお前はマスターではない。私の側にはお前と戦う理由は何一つとしてない。私はバトルマニアでもないし血を見て喜ぶ人間でもないのでね。用がないのならば去れ。それとも茶を望むなら淹れても良いが?」

 

「……相変わらずだな時臣。お前はいつもそうだった。そうやっていつも平然としていて、余裕気でいて、高い位置から俺を見下す――――!」

 

 どろりと濁った眼にどす黒い殺意が宿った。

 時臣は礼装である杖に魔力を込める。どれだけ未熟だろうと付け焼刃だろうと雁夜は魔道の一端に触れた者。

 それが脆く細い小刀とはいえ、時臣を殺すに足る力をもっているのだ。

 

「俺が貴様に言いたいのは一つだけだ! 答えろ時臣! お前はどうして桜ちゃんを間桐に送った! 葵さんや凛ちゃんから引き離したんだっ!?」

 

「桜だと……? 何故お前が桜のことを気に掛ける。確かにお前が出奔したこともあって、間桐家は桜を養子にと申し入れてきはしたが。よもや魔道から背を向けた貴様が、今になって間桐の家督に未練が出たのか?」

 

「答えろ!!」

 

 鬼気迫った雁夜の形相。それに押されて、という訳でもないが時臣は口を開いた。

 別に隠すような事情でもない。

 

「なんでもなにもない。父として娘たちの未来に幸あれと願ったまでだ」

 

 途端、雁夜の表情が信じられないとでもいうように強張っていく。

 

「幸、だと……? 家族から引き離すのが桜ちゃんにとって幸福だと抜かすのかお前は!」

 

「然り。常であれば魔術師の家に二人以上の子があった場合、一人を頭首(後継者)として育てそれ以外は凡俗のまま、自身の家が魔術師の家系であることすら知らせぬままに育てねばならない。だが凛と桜は幸か不幸か、二人が二人とも稀代の才覚をもって生まれてしまった。私など比較にもならないほどに」

 

「あれほどの才だ。時計塔に見つかれば良くて生涯の監禁。最悪の場合はホルマリン漬けの標本だ。もしよしんば時計塔に捕まらずとも、その果てに待つのは執行者や代行者の影に覚え続ける日々。父として娘がそのような末路を辿るのを見過ごせるものか」

 

「もしもその運命を逃れるとすれば魔道の名家の加護を得る他ない。だが家督を告げるのは一人のみ。故に長女である凛を後継者に。桜を養子へとやることにした」

 

「間桐家からの要請は渡りに船だったよ。冬木の地に合わず衰退したとはいえ間桐は始まりの御三家にして遠坂の盟友。魔術師の到達点たる『根源』にも近い一族だ。それに間桐の後継者ともなれば時計塔もおいそれと手出しすることはできない」

 

「凛と桜、二人が二人ともに時計塔の影に怯えずに済み。そして二人が二人とも己が才能を最大限に活かす道を歩む。これ以上に最良の決断があるものか」

 

「……なにが盟友だよ。ああ、お前は正しいことを言ってるつもりなんだろうな。だが分かっているのか! それは相争えということなんだぞ! 聖杯戦争で姉妹同士で!!」

 

「なるほど。次の第五次は六十年後。凛と桜の二人が参加する可能性は低いが……もしそんな局面を迎えたのならば至上の結果だろう。遠坂が勝てば聖杯は遠坂に。間桐が勝っても遠坂の末裔が手にするのだから。遠坂にとってこれほど素晴らしい最終決戦はあるものか」

 

「……狂っている。この人でなしが! そうやってお前は否定するのか」

 

「あの幸せだった……葵さんや凛ちゃん、桜ちゃんの三人が居たあの時間を……」

 

「否定はしない。凡俗には凡俗の、魔道には魔道の幸がある。いいや単純に俗世の幸せを得たければ、ただの人間のまま一生を終えるのが良いのだろう。だが世の中にはその選択肢が最初からない者もいるということだ」

 

「だからって……もっと、あったんだ。ふざけるなよ。お前はそうやって全部を不幸にする。……殺す。お前みたいなイカれた魔術師はぶっ殺す! お前なんていなければ、桜ちゃんは苦しむこともない! 葵さんも泣く事もないんだ!!」

 

 どこに潜んでいたのか雁夜の周囲に喧しい羽音を響かせながら数えるのも馬鹿らしい蟲が展開された。

 間桐の魔術属性は水。特に使い魔の使役に長けている。あの蟲は雁夜の使役する使い魔で、それを操り敵を襲うというのが雁夜の戦術なのだろう。

 しかし――――所詮は付け焼刃。 

 時臣が一言呟き炎が顕現する。それだけで無数の蟲達の悉くが焼き払われた。

 

「なっ……! 一撃で蟲共を……!」

 

「驚くことはなかろう。お前は魔術に触れて何年だ? 私は私の生涯をただただ魔術の研鑽に費やしてきた。たかだか一年程度の付け焼刃が通用するものか。もしお前が一年の地獄で数十年を地獄を耐えられると思っているのならば……それは魔術だけではない。あらゆる学問、あらゆる術に対する侮辱だよ」

 

 時臣と雁夜の間に横たわる差は決定的にして絶対的だ。

 先代からの問いに是と応じたその瞬間から時臣は厳しい修練に挑んできた。それは時に命を賭けるものもあったし、全身を切り裂かれ毒を流し込まれるような苦痛も味わった。

 遠坂時臣は雁夜が思うような天才ではない。どんな物事でも余裕にこなしているが実際には余裕ではない。

 水面下で必死にもがく白鳥のように、誰からも見えぬ場所で果てなき努力をしてきたからこそ、外面が余裕をもって優雅に見える。それだけだ。

 時臣は凡才だ。歴代の遠坂にあって時臣ほどの凡人はいないだろう。それでも不屈の精神で凡才でありながら天才に肉薄するまでに鍛え上げたのが遠坂時臣という魔術師であり人間なのだ。

 雁夜が一年間命を削る拷問のような修練に励んだとはいえ、時間にすればたかだか一年。

 時臣を前にすれば密度が違う。濃度が違う。

 同じ魔術師という土壌で戦うのなら、間桐雁夜に万分の一の勝利すら有り得ない。

 ましてやここは遠坂家の領地だ。待機中に満ちる魔力から調度品の一つに至るまでが雁夜の敵であり時臣の味方となる。

 サーヴァントもなく、地の利もなく、地力にも欠ける雁夜に勝機など欠片もない。

 

「まだだ! まだ終われるか! 俺はお前を殺すために魔術を身に着けた! お前を殺さすためにだ!!」

 

 最初の蟲よりも鋭い牙を持った蟲が現れる。

 恐らくはアレが雁夜の切り札。遠坂時臣を殺すための奥の手といったところか。

 あの蟲共の牙は牛の骨すら噛み砕くに足るだろう。だが違うのは蟲の強さだけではない。

 解析の魔術で見たところ炎への耐性をも付与されているようだ。あれならば時臣の炎を浴びても早々に焼き殺されはしないだろう。

 しかしそれを前にしても時臣は焦り一つとして見せなかった。

 

「魔術を身に着ける……か。やはり雁夜、お前は魔術師ではない。我々は誰よりも弱いからこそ魔術師という超越者であるを良しとした。魔術を便利で強いただの力として捉えるお前はやはり間桐の後継者に相応しくはない」

 

「抜かせ! 自分の子供を殺しあわせようとする貴様が言うことかーーーーッ!」

 

 雁夜の怒声と同時に蟲共が一斉に時臣へ殺到してくる。

 炎への耐性を付与された蟲。ただ炎で迎撃しても蟲共は平然と進撃してくるだろう。

 

「Intensive Einascherung(我が敵の火葬は苛烈なるべし)」

 

 炎への耐性がありながら時臣が唱えたのは炎の魔術。

 されどただ闇雲に撃った一撃に非ず。如何に炎への耐性を付与されているとはいえ、羽の付け根や足の付け根などは耐性も薄い。

 そこへ最大火力を集中させて叩きつければ――――蟲共に為す術はなかった。

 勿論そう簡単なことではない。蟲は決してダンゴ虫のようなスローな動きではなく、天を貫く鷹の如き高速だ。宝石の十分の一は小さく高速で飛翔してくる一匹一匹の蟲。その蟲の更に小さい羽の付け根を同時に焼き払うなど一流と呼ばれる魔術師でもそう出来ることではない。

 針の穴を通す絶妙なコントロールと魂の髄にまで魔術を刻み込んだ成果。

 それらが合わさり時臣は当たり前のように蟲の悉くを焼き払った。

 

「Fliege(飛べ)」

 

 時臣の詠唱で庭内に満ちる魔力が雁夜の腹を殴り敷地外に吹き飛ばした。

 更に時臣が杖を一閃すると敷地外と内に炎のラインが引かれる。

 

「失せろ雁夜。私は魔術師とサーヴァントを倒すために聖杯戦争に参加している。魔術師ですらなかったお前は倒す価値はない。命が欲しければ教会へと急ぐことだ。脱落者であるお前に治癒を施してくれるだろう」

 

 それだけ言って時臣は背を向けて去った。あれでも一応は妻の友人。最低限の義理は果たしただろう。

 だがもしもラインを超えて死地へ踏み込むのなら是非もない。容赦なく焼き殺すだけだ。

 

「はは、くくくっ、あはははははははははははははははははは!!!!」

 

 狂ったような雁夜の狂笑が響き渡る。

 いや既に雁夜は狂っているのかもしれない。片腕を失い左半分の顔を変形させ―――――どれほどの苦痛を一年のうちに味わったのか。

 その一年は間桐雁夜という人格を狂わせて余りある。

 

「なにが娘の幸せだ!! お前は馬鹿だ!! 大馬鹿だ時臣!! あの臓硯が桜を真っ当な後継者になどするものか!! 臓硯にとって女はただの胎盤だ! 間桐の魔術師はあの妖怪の醜悪な願いの食い物にされて食い潰されてるだけだ!! お前はそこに娘を送ったんだ人でなしがッ!!」

 

「……な、に――――?」

 

 雁夜の言葉に初めて時臣が顔を歪める。

 それでも雁夜は止まらない。雁夜は時臣の引いたラインを超える。蟲を全て失った雁夜にはもはや魔術師としての力を振るう力も残っていない。

 故に雁夜が頼れるものは己が体のみ。片方となった拳を握りしめ、雄叫びをあげながら雁夜は時臣へ殴りかかる。

 

「――――!」

 

 それは一瞬だった。魔術師としての時臣は反射的に自分を殺そうとする雁夜に炎の魔術を放っていた。

 炎を受け雁夜が悶え苦しむ。それでも怒りと絶望とが入り混じった狂笑をしながらに雁夜は敷地外まで転がっていった。

 

「…………」

 

 それでも時臣には嫌な感触が残る。勝ったというのに、まるで勝った気がしない。

 

『マスター、どうしたのかね?』

 

 ラインから伝わるアーチャーの声。

 

「すまない。一人で考えたいことができた。後の事は任せる」

 

 雁夜の断末魔が脳髄にこびりついて離れない。

 時臣は桜と雁夜のことを交互に思い浮かべながら遠坂の屋敷へ戻っていった。


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