Fate/reverse alternative 作:アンドリュースプーン
召喚された時は本当に何が何だか分からなかった。
英霊は聖杯を求めるからこそ、サーヴァントは召喚に応じる……というのは正しくない。他の霊格ある英霊はどうだか知らないが、彼にとって召喚とは常に強制的なものであり、相手側がこちらの意志を確認してきたことは一度としてない。
だから彼が彼の祈願を成就する可能性……を一手外したと知ったのは己が召喚者の名を聞いたその時だ。
遠坂時臣。記憶をすり減らし摩耗した彼にとって『時臣』の名は訊き覚えのないものだったが『遠坂』という姓を聞いた瞬間に雷光の如き速度で己が『目的』を思い出したのである。
しかしそこで彼は途方にくれてしまった。
彼にとっての本命は十年後の第五次である。第四次では意味がないのだ。ここにいる者は己であって己ではないもの。英霊となった彼は未だ『誕生』していないのだ。
ならば適当にマスターに忠実なサーヴァントとして道具のように戦うか、と当初は思いもした。
だが戦っている内に欲が出た。
もしかしたら衛宮切嗣に当てられたのかもしれないし、言峰綺礼という男の毒気があの光景を思い出させたかもしれない。
そう。無銘の英霊は死の中から生まれた。
摩耗し守護者となった今でも思い出せる己が誕生の日。数えきれぬ救済を望む声とそれに耳を塞ぎ自分のみを守ろうとした己。
地獄の中、自分だけが生き残った。
そして唯一人生き残った自分は唯一人の生存者を見つける事の出来た男に見つけられ、呪いを受けたのだ。
無銘の英霊となった彼が鮮明に思い出せる光景が二つある。
その一つが月下の下で出会った彼女であり、もう一つが地獄から自分を救い上げた男の死にそうで幸せそうな笑顔だ。
「……今の俺には目的を果たすことはできない。ならば、せめて」
無銘にあるのは下らない子供じみた八つ当たりだ。
自分に呪いを残した男を絶望させたい。子供じみた理想をもった男に現実を見させてやりたい。貴様の理想などが存在しないのだと教えてやる。教えて絶望させその精神を叩き折ってやりたい。そんなところだ。
別に地獄の再現を防いで犠牲を減らしたい、なんて正義の味方染みた願いはもっていない。
心中に宿るのは薄汚い身勝手な願望である。
それでもいい。
遠坂時臣、自身のマスターを聖杯戦争の勝利者にするということは衛宮切嗣を倒すということに等しい。ならば時臣とアーチャーの目的は一致している。
アーチャーにとっての願いは遠坂時臣を聖杯戦争の勝利者とし、衛宮切嗣の理想を打ち砕くことなのだ。
だから――――
「言峰、綺礼」
記憶を取り戻すと同時にこの男の名も思い出していた。生前の自分にとっての最初の壁であり、自分と対極の行動原理をもった同類。
勿論、摩耗しきった彼は言峰綺礼が具体的にどういう人物だったのかは覚えていない。
ただ油断ならぬ相手ということは否応なく覚えている。否、覚えていなくとも感覚で分かる。あれは良くないものだ。生理的な嫌悪感といってもいい。
もしも奴を生かしておけば必ずや遠坂時臣にとっての障害となるだろう。
皮肉なことだが遠坂時臣にとって真の敵なのはケイネス・エルメロイでも間桐雁夜でも、ましてや衛宮切嗣ですらない。言峰綺礼、己が協力者なのだ。
そして今日。
「…………」
遠坂時臣は衛宮切嗣との戦いに赴き、完全に言峰綺礼は自由となっている。
今までは言峰綺礼は遠坂邸にあり遠坂時臣も邸宅にいた為に監視は完璧といって良かった。しかし先日のアサシンのことといい、もはや一刻の猶予もない。
アーチャーのとるべき選択は一つだった。
午後11時。
人払いの魔術の影響で辺りには人っ子一人としていない。野良猫や羽虫さえこれから始まる不穏な雰囲気を悟ったのか姿を隠してしまっている。
果たしてそこに衛宮切嗣はいた。隣には眠らされた桜が横たわっている。規則正しい呼吸音からして生きているのは確実だ。害を与えていないのも本当だろう。
時臣に言葉はない。時臣は切嗣と話をしにきたのではないのだから。
衛宮切嗣という人格には無関心であり、ただ衛宮切嗣の強さのみに関心を払う。
「止まれ」
切嗣の鋭い声が無人の公園に木霊する。
時臣は無言のまま足を停止した。
濁ってもないし澄んでもいない、虚無的な目を切嗣はしていた。まるで立って動いているだけの死人のようですらある。
「……念のための確認だ。約定通り小聖杯は?」
「ここにある」
アイリスフィールより摘出した黄金の杯を切嗣に見せる。
これは真実ただの確認だ。ギアスの縛りがある以上、偽物の聖杯を用意し持ってくるなど出来はしないのだから。
それは衛宮切嗣も同じ。技術的問題を無視しても桜の偽物を用意するなどは出来ない。
「アイリスフィール・フォン・アインツベルンの遺体は個人的な伝手を使い城へ送ってきた。遠坂がアインツベルンの埋葬をするのも妙な話なのでね。そちらで埋葬してくれたまえ」
「交換を行う。小聖杯を自分の足元へ置け」
言う通りに小聖杯を置く。そして切嗣と時臣は同時に歩き出す。
切嗣は小聖杯へ。時臣は桜へ。二人が擦れ違う。それが二人の決定的な違いであり差だったのかもしれない。
魔術師でありながら人間の心が混在した時臣と。魔術師ではない魔術使いでありながら人間の心を排除した切嗣。
時臣が桜に触れる。切嗣が小聖杯に触れる。
瞬間だった。夜の静寂を撃ち抜く銃声が響き渡った。
「――――感謝するよ、衛宮切嗣」
仕掛けられたトラップによるものだろう。
エクスプローダー弾をあっさりと炎で焼き尽くした時臣は衛宮切嗣へと向き直り言う。
「手口こそ卑怯で卑劣だがこれは人質交換だ。紳士協定に従うならお互いの拠点に戻るまでは不干渉を貫くべきだ。私は元々この場で貴様を殺すつもりだったが、貴様が紳士協定に従っていれば一抹の躊躇を残しただろう。だがお前が先に私に手を出した――――紳士協定を破ってくれたお蔭で私の中に躊躇は微塵も残さずに焼き尽くされたぞ」
先端にルビーの埋め込まれた杖を真っ直ぐに衛宮切嗣へと向ける。
「もはやこの遠坂時臣、貴様を殺すのに迷いはない――――!!」
遠坂時臣が衛宮切嗣と戦闘に入った直後。言峰綺礼もまたアサシンを伴い教会を出る準備をしていた。
言峰は師である時臣より魔術を学んだが『魔術礼装』なんてものは持っていない。満足に会得した魔術も治癒系統が殆どで戦闘に耐えうるだけのものは皆無に等しい。
故に言峰綺礼の武器は父より教えられた八極拳を実戦の中でより殺人に先鋭化させたものと、代行者時代から愛用している黒鍵。あとは己が肉体のみだ。
だが侮るなかれ。無駄な筋肉を削ぎ落とし、作法や礼儀よりも人体の破壊に特化させた八極拳を扱い、扱いの難しいとされる黒鍵を自在に扱う言峰綺礼は殺戮兵器そのものである。
腕に刻まれた予備令呪のバックアップ、それに信仰と執着とに裏付けされた『執念』をもってすれば埋葬機関の第七位にも迫ることができよう。
しかも代行者は霊体相手のプロフェッショナル。今の言峰なら下級のサーヴァントはサーヴァントの助けなしで撃破できるかもしれない。
「お前の師、時臣の要請でお前は教会にて待機ではなかったのか?」
アサシンがそう言ってくる。
言峰はその追求にも動じないまま歪んだ笑みを張りつかせていた。
「さて。確かに私は遠坂時臣の弟子だった。だが私は令呪を得たその日に師と決別し共に聖杯を求め相争う関係となった。……そうなのだろう? ならば私が遠坂時臣の意向に沿う義務はあるまい」
「……………」
それは表向きの事情だ。否、表向きの事情だった。
言峰綺礼にはもはや遠坂時臣を勝利者とするなどという望みはない。あるのは誕生する者を祝福するという己の性と、答えを知りたいという欲求のみ。
だからこそ予備令呪のことも時臣には話していないし、こうして敵対者である遠坂時臣を始末するために動くのだ。
裏の裏は表……正に言えて妙なことである。
今の言峰にとって裏の事情こそが表であり、表向きの事情こそが裏なのだ。
(衛宮切嗣と時臣師か。その戦い、見物したくないと言えば嘘になるな。だが今は衛宮切嗣はいい)
答えを知る。価値のないものが存在する価値を知る。言峰綺礼はその為だけにある。その為だけに生きてきた。他の生き方など知らないし、するつもりもない。
そして求めてやまない"答え"を知るであろう者こそが衛宮切嗣だ。自分と同じ"無価値"な男がアインツベルンで見出した"価値"。それを知らなければならない。
だが答えを問うには邪魔者がいる。言うまでもなく他の参加者だ。
バーサーカーとキャスターは脱落したが、己と切嗣を除けば未だ三人のマスターとサーヴァントが冬木にいる。
間桐雁夜のように言峰綺礼を満たす"欲の形"を持つ者がいるならば別だが、あれほどの逸材はケイネス・エルメロイやウェイバー・ベルベットのような価値ある者にはなかろう。
故に彼等を排除するのに躊躇は必要はない。師である時臣も例外ではなく、寧ろ時臣は三人のうち最初の一人とするつもりだ。
時臣のサーヴァント・アーチャーが自分を警戒しているというのもある。
衛宮切嗣が三人のうちの一人目の標的として選んだからでもある。
しかしそんな戦術的目的以上に、言峰綺礼は己が娯楽のために遠坂時臣をこの手で殺めたいのだ。
(後悔先断たず。後の祭り……だったか。世にあって『後悔』ほど歯痒く惜しいものはあるまい。どれほど過去を想っても過去へ戻ることはできんのだからな)
聖杯という万能の願望器という例外中の例外を除けば、だが。
もし過去の改竄という"祈りの形"を持つ者がいるのであれば聖杯をくれてやっても良いかもしれない。
(しかし『後悔』は決して無駄なことではない。人間は『後悔』することで『教訓』を得ることができる。教訓を糧に次こそは、と願うことができるのだからな)
霞みがかった妻の面影と死んだばかりの父を想う。
(数年前、私はあの女を殺す事ができなかった。そして私を愛し私が敬った父も殺す事ができなかった。もしもあの女をこの手でその顔を苦痛に歪めさせ殺していれば……父上に我が歪みを見せつけ殺していたら……二人は私にどんな表情を見せてくれただろうか)
後悔はある。だからこそ、今度こそはと願うのだ。
(遠坂時臣は是非にも私が殺したい。願わくば衛宮切嗣、遠坂時臣を殺してくれるな。遠坂時臣、殺されてくれるな。私の愉しみが減ってしまう)
目的こそ歪んでいるが、どこまでも純粋に言峰は遠坂時臣の生存を祈った。
無心の祈り。傍から見れば「なんと敬虔なる神父なのだろうか」と溜息をもらすほどの光景。
されどその願いは邪悪に染まっている。
「言峰、来客だ」
アサシンが言峰を抱え跳躍する。
人間を超えた反射神経を超えた反応速度。それがアサシンと言峰の命を救った。
歴史に名高き宝剣、魔剣、聖剣。無銘でありながらも相当の神秘をもった名剣。それらが豪雨の如くアサシンと言峰の居た場所に降り注いだのである。
英霊がもつ宝具は基本的に一つ。どれほど多い英霊でも二つ三つが精々だ。ギリシャの英雄として有名なペルセウスすら所有する宝具は五個なのである。
そんな宝具を雨あられと降らせることができるサーヴァントなど言峰が知る限り一人しかいない。
「これはこれは。何用かなアーチャー。我々は協力関係にあったはずなのだが?」
緊迫感を宿さず白々しく言峰が嘯く。
教会の屋根の上から剣の雨を降らせた赤い外套の騎士は常日頃の皮肉さはどこへやら。真剣そのものの表情で言峰を鋭く睨んでいる。
「衛宮切嗣の提示した契約は完璧だ。時臣のサーヴァントである私も契約期間が終わるまでは一切マスターの援護をすることはできない。だが何事にも例外がある。時臣の戦いの手伝いはできないが……獅子身中の虫を取り除くことはできる」
「時臣師が命じた事とは思えないな。我が師は愚かにもこの私の事を信頼しきっていた。となればこれはお前の独断か。健気なことだな。望みはないと言っておきながら、そこまで我が師に入れ込むとは」
「貴様こそ勘違いをしている。確かに私には聖杯にかけるような願いは何一つとしてない。だが俺は望みがないといった覚えはない。俺の望みのために時臣を殺す訳にはいかん」
「ほう。それなら遠坂時臣が聖杯戦争を制し六騎が脱落した後、令呪をもって貴様を自害させるつもりでも構わんと? 聖杯は万能機として使う分には六体のサーヴァントを生贄とするだけで事足りる。だが『根源』へと到達するには――――」
「七騎全てのサーヴァントが必要、か」
「おや。知っていたのかね?」
「いいや。貴様の発言から推測したまでに過ぎん。なるほど聖杯を餌に呼び出して置いて最後には自害させる、か。とんだ詐欺があったものだ。だが、それがどうした。生憎とこの手のことには慣れていてね。それにさっきも言っただろう。俺の望みは聖杯にはないと。無論、第二の生とやらにも興味はない。俺の望みはサーヴァントとして時臣を勝利者とすることで果たされる願いだ」
「……これは、つくづく」
面白い。本当に面白い。
この弓兵は表面上はマスターに忠実を装っておきながら、内には誰にも隠した願いを秘めている。
その在り方は真っ当なようでいて歪。無銘と名乗った赤い弓兵、このサーヴァントが一体どのような者なのか興味が湧いてきた。
或いはこの弓兵に聖杯を使わせるのも面白いかもしれない。
「が、すまんが今は貴様の相手をしている時間はない。押し通らせて貰うぞ」
「なっ。その腕にある令呪は――――!」
さしものアーチャーも驚愕する。言峰の腕から赤い光を放ち浮かび上がったのは数えられない程の令呪だ。
父から継承したこの令呪、その数は六つ九つどころではない。
歴代マスターたちが未使用のまま残した遺産。言峰璃正の腕にあったはずの予備令呪だ。
「アサシンよ、二つの令呪をもって命じる。アーチャーを足止めしろ。決してこの教会の敷地内から出すな」
「――――了解した、綺礼」
言峰は正道の魔術師ではないため、他のマスターと比べて令呪による強制権もやや弱い。
だが二つの令呪の重ね掛け。しかも単一の命令によってならば効果は絶大だ。今のアサシンはアーチャーを足止めするという目的においてワンランク相当のステータス増加の恩恵を得られるだろう。
けれど永久ではない。言峰の予想では令呪の効果が続くのはどれほどアサシンが頑張ろうと一時間が限度。それ以降はどうなるか分からない。
アサシンの剣術は聖杯戦争随一だが、戦術眼にかけては実戦経験が皆無のアサシンは戦上手のアーチャーに遥かに劣る。
「さらばだ。アーチャー、また会えることを心待ちにしていよう」
そしてその時はお前の心も切開させてくれ、と祈り言峰は背を向け疾走する。
「逃がさん!」
アーチャーはそれを追おうとするがアサシンが割って入った。
「邪魔するか――――アサシン!」
「気に食わんがな。アーチャー、お前のお前の望みがある通り私にも私の望みがある。その為にはあの男にはまだ生きていて貰わねば困るのでな」
それにアサシンには遠坂時臣に対してなんの義理もない。ましてやアサシンは英霊ですらない亡霊。英雄としての誇りもなく、守るべき名も存在しない。
故にアサシンは己にある唯一つの目的のためならば戦う事を惜しみはしない。
アーチャーとアサシンが激突する。
だがその間に言峰は令呪を魔力源に己が身体能力をブーストすると全速力で教会の外へと走っていく。
ここに完全に遠坂時臣と言峰綺礼は決裂する。遠坂時臣が与り知らぬままに。