Fate/reverse alternative   作:アンドリュースプーン

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第3話  女の記憶

 数年前の話だ。父の紹介で時臣と出会うよりも更に前のこと。

 

――――生まれながらにして異端者である。

 

 その真実を受け入れてから、男はあらゆる努力を重ねてきた。

 父と共に聖地を巡礼して回り、時に主のためにと神の代行として異端者を狩る組織にも身を置いた。善行といえるものも数えきれないほど積んできたし、悪行といえるものは努めて行わないように律してきた。

 しかしそんな『答え』を見出すために費やしてきた青年期の努力は全て無為に終わる。

 どれだけの日々を費やしても、どれだけ人々が幸福と思う事柄に触れても。

 男の本質は何一つとして変わる事はなかったのだ。

 誰かの笑顔を見るたびに、その顔を絶望に染め上げたいと願い。

 清らかな聖地を訪れるたびに、その場所を地獄に変えたいと祈り。

 男はただ自分の異常性だけをありありと突きつけられた。

 なんのことはない。

 男にとっては人々が美しいと感じるものを醜いと感じ、醜いと感じるものを美しいと感じる。

 人々が誰かの幸福に至福を感じるなら、男は誰かの不幸にこそ至福を感じた。

 それだけのことだ。

 もしも狂えてしまえたら、どんなにも良かっただろう。

 もしも怒れてしまえたら、どんなにも良かっただろう。

 もしも堕ちてしまえたら、どんなにも良かっただろう。

 生まれながらにして人とは真逆の道徳と哲学をもった男は、一方で誰よりも常識というものを弁えていた。

 常識を識るが故に生まれながらの悪に染まることを良しとはせず。

 道徳を識らないが故に、何一つとして至福を得ることが叶わなかった。

 男は最後の希望に一人の女を愛した。

 特に大それた理由があった訳ではない。

 ただ人間ならば誰しも、一度は妻を愛し子を愛し家庭を成して平穏な家庭をつくることに焦がれるものだ。

 もしかしたらそんな誰しもが焦がれることならば自分を満たしてくれるのではないか。そんな一縷の希望にかけてみたのだ。

 女は病魔に侵され、もう何年も生きられない身の上だった。

 だからこそ選んだのか、女だから選んだのか。

 もはや女の顔や声すら思い出せぬ男にとって、それはもはや迷宮入りとなった解である。

 結婚生活は二年ほど続いた。

 女は男を愛したし、男も懸命に女のことを愛そうとした。二年の生活の中で子も生まれた。

 だが男は変わる事が無かった。

 女を愛そうとすればするほどに、女の苦痛こそが男の救済となっているのだから。

 男に言わせれば女は聖女だった。

 この世界の誰よりも男の内にある激情と憤怒を理解し、それを癒そうとしていた。父などよりも遥かに女は男のことを識っていた。

 それ故に男の絶望は深かった。

 これより先、女以上に自分を理解する者は現れないだろう。

 もはやこれ以上、生き続け答えを問う必要もない。男が生まれたこと、そのことがもはや何かの間違いだったのだ。

 間違って生まれ出た生ならば、そんな生はもはや消してしまおう。

 自分の命を終わらせる前、最後に別れを告げようと男は女の元を訪れた。自らの欠落を埋めるために妻としたのならば、その試みが終わったことを告げるのは当然の責務だった。

 女は男を愛した。男も女を愛そうとした。だが男には女を愛せなかった。

 言うなればそれだけの話である。

 石造りの部屋を訪れた男は短く、別れの言葉を告げた。

 

「私にはお前を愛せなかった」

 

 男の言葉を受けても女は微笑んだ。

 そして死病に侵され骨と皮だけとなった体を起こし。

 

「―――いいえ。貴方はわたしを愛しています」 

 

 そうして自らの命を断った。

 男には止めることが出来なかった。止めようとする感情すら浮かばなかった。

 

「ほら。貴方、泣いているもの」

 

 血濡れの体で女はそう遺した。

 無論。泣いてなどいない。女にはそう見えただけのことだ。

 だが女は自らの死をもって、男は誰かの為に涙を流す――――人を愛せる人で、生きている価値があるのだと。そのことを命を懸けて証明したのだ。

 なるほど。たしかに男は女の死に悲しみはした。だがそれは女の死に対してではない。

 

「なんということだ。どうせ死ぬなら、私が手を下したかった」

 

 男にあったのは女の死を愉しめなかったという後悔のみ。女の死に嘆いたのではない。そのことを自認した男は踵を返し主の教えと決別した。

 しかし男はもう命を断とうとはしなかった。

 女は自分のために命を賭けた。命を賭して男に生きる価値があると証明しようとした。

 ならばその女の死を無価値なものとはしたくはなかった。

 "無意味"なものは本当に"無価値"なのか。"無価値"なものは本当に"無意味"なのか。価値がないものに価値はあるのか。

 男には答えを出す事ができない。これまでの人生を費やしても、あの女をもってしても答えは出なかったのだ。

 自分で答えを出せないのならば、答えを出す者に聞くしかない。

 もし男に祈りがあるとすれば、それは唯一つ。

 

 

 目蓋を開く。どうやら眠ってしまっていたようだ。時計の針がチクタクと進みゆく時の流れを示している。

 男のいる場所は冬木市内にある安ホテルだった。

 流石に表向きは聖杯を巡り師と決別したと言う事になっている以上、堂々と師の家に住まうわけにはいかない。聖杯戦争の参加者である以上、監督役である父のもとにいるということも同様だ。

 

「クッ―――――漸くお目覚めか綺礼、なにやら雅な夢に微睡んでいたようだが」

 

 すぅと部屋の一か所に人影が浮かび上がってくる。

 時代錯誤なほどに雅な群生色の陣羽織。風情ある男だった。佇まいは柳のようで掴みどころがない。腰まで届く長髪を結い、背中からは五尺余りの長刀――――物干し竿を背負っている。

 そして何が面白いのか口元は愉快気に綻んでいた。この侍こそ言峰綺礼が召喚したアサシンのサーヴァントである。本来は暗殺者のクラス適正などないこの男がどうしてアサシンとして召喚されたのかは不明だ。

 師であり自身より遥かに優れた魔術師である時臣でも分からなかったのだ。元々魔術には門外漢であった言峰に分かる筈もない。

 

「アサシンか。貴様には冬木市内での諜報を命じたはずだが」

 

 言峰はアサシンに問う。

 アサシンは自身の主の追及をサラリと受けると、

 

「いやいや。私は他のサーヴァントと違い合戦などした経験はないのでな。ましてや諜報活動などという真似は。故にどうにもコツが掴めないでいる」

 

 くつくつとアサシンは笑う。

 

「なにもお前に影に隠れ敵マスターとサーヴァントの所在を掴めなどとは言っていない。諜報でも暗殺ではなく『剣技』に優れたお前がすべきことは実際に敵サーヴァントと交戦しその情報を引き出すこと。そう申し付けたはずだが?」

 

「私もやってはいるとも。既に三度、市内を散策し殺気……というものを放ってみたのだがな。他のサーヴァントというのは慎重なのか、それとも臆病風に吹かれたのか。私の前に姿を現すことはなかった」

 

「これでも残念には思っている。聖杯などという得体の知れぬ魔性の釡には興味はないが……英雄とまで呼ばれた者の武技がどのようなものなのか。この私の業が果たして英雄に通じるのか。それには興味がある。特に剣を司るセイバーのサーヴァントとはどんな成りをして、どのような剣を使うのか。考えているだけで時の進みを忘れてしまう。私も修行が足りない」

 

「…………」

 

 アサシンの様子からして、わざと手を抜いていたということは考えにくい。昨日の段階で既に七騎のサーヴァントが揃っていると父から報告されているので、そもそも挑発を受けたサーヴァントがいなかったという線もないだろう。

 つまりどのマスターも序盤は様子見でアサシンの挑発にはのらなかった。そういうことだ。

 それを賢いととるか臆病ととるかは人其々だが、言峰はこれを賢いと受け取った。 

 

「話は分かった。だがアサシン、お前とて冬木中を隈なく回ったというわけではないだろう。今一度挑発行為を行い、それでも誰一人としてサーヴァントが出現しなければ致し方ない。今日は諦め帰還しろ」

 

「承った。願わくばセイバーのサーヴァントと見えることを……いや、これは期待し過ぎというものか」

 

 そう言いアサシンは消えていった。代行者である言峰は霊体化していようとある程度はサーヴァントの存在くらいは掴めるのだが、このアサシンは消えたと同時に本当に存在感をも消してしまった。

 如何に素養が限りなく低いとはいえ、アサシンのクラス別技能である『気配遮断』は少なからず効果を発しているようだ。

 言峰はアサシンが向かったであろう街並みを見て、

 

「衛宮、切嗣……」

 

 自分と同じように聖杯戦争に参加しているマスターの名を呟いた。

 衛宮切嗣。言峰はその男の経歴に自分に近いものを見出した。

 師である時臣はただ金目当てに魔道を使う許し難い男、と言っていたがそんな筈はない。本当に衛宮切嗣が金を目当てに行動をしているのならリスクとメリットが釣り合わない。

 まるで自らの空虚さを埋めようとするかのような行動の連続。それは正に青年期の言峰綺礼そのものだった。

 そんな切嗣はアインツベルンに招かれると唐突に"魔術師殺し"としての活動を止め聖杯戦争に参加した。

 

(衛宮切嗣にはアインツベルンでなにかを得たのだ。自らの空虚を満たすなにかを……!)

 

 だからこそ聖杯戦争に参加している。

 だからこそ言峰綺礼は衛宮切嗣に問わねばならない。

 言峰綺礼には『答え』を出すことができない。ならば『答え』を知る者に問いただすしかない。

 自身の空虚を満たしたものの正体を。

 

 

 

 冬木市内を飛び回る青い影が一つ。

 猛禽類のような赤い瞳、荒々しさをもつものの整った顔立ち、全身を覆う青い軽鎧、なによりも右手に携えた真紅の槍。

 彼こそがこの聖杯戦争にランサーのクラスで召喚されたサーヴァントであった。

 ランサーはマスターの命令でこの冬木市内の地形や地の利、マスターやサーヴァントの所在などを調べていたのだが。

 

「―――――――っ! こりゃ誘ってやがるな」

 

 刺すような殺気を感じランサーは疾走を止めビルの一つに降り立った。

 ランサーには分かる。この気配は紛れもなくサーヴァントのもの。そのサーヴァントの顔もクラスも知らないがランサーにはそのサーヴァントの言わんとしている事が理解できた。

 

"私はここにいる。誰か私の首級を獲りにくる者はいないのか?"

 

「面白ぇじゃねえか」

 

 つまらない情報収集だけのつもりが予期せぬサプライズを送ってきた。

 ランサーはこの聖杯戦争にただ死力を尽くした戦いを望んで参加している。であればこのサーヴァントの挑発は寧ろ望むところだ。

 問題はマスターの意向なのだが、

 

「おいケイネス、どうも敵さんは俺を誘ってるみてえなんだが……どうする。このまま尻尾振って逃げるか? 今ならあちらさんも俺の居場所を掴んでねえから逃げるのは楽だぜ」

 

 敢えてマスターを小馬鹿にするような言い方をする。

 敵サーヴァントが戦うためにランサーを挑発するのなら、ランサーは戦うためにマスターを挑発したのだ。お前は敵の挑発に怯えて戦いを回避する臆病者なのか、と。

 すると案の定、苛立ちを交えたマスターの声がラインを通じて聞こえてきた。

 

『良かろう。このケイネス・エルメロイのサーヴァントに対しての挑発はこの私に対しての挑発と同義。不届き者を速やかに排除せよ』

 

「了解、その言葉が欲しかった」

 

 マスターからの許しが出るとランサーは殺気を感じた方向へと真っ直ぐに疾走する。

 やって来たのは『学校』というこの時代の学び舎だ。

 ランサーは遥かな過去の人間であるが、聖杯から与えられた知識により現代の情報を得ていたので難なくわかった。

 校門には穂群原学園と記されている。この学校の名前だろう。

 その校庭の中心。待ちわびていたとばかりに一人のサムライが立っていた。

 

「おう色男、テメエが挑発の主ってことでいいんだよな?」

 

 そのサーヴァントはなにが可笑しいのか、それとも嬉しいのか苦笑すると。

 

「アサシンのサーヴァント。佐々木小次郎」

 

 そう名乗った。敵サーヴァントであるランサーの目の前で。

 監視の目であろう鳥などの使い魔たちの監視の前で。

 サーヴァント、アサシンはするりと得物である物干し竿を抜いた。

  


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