Fate/reverse alternative   作:アンドリュースプーン

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第39話  我が魂、この虚空に在り

 足を踏み入れた冬木市民会館の空気は淀んでいた。これはもしかするかもしれない。

 舞弥は警戒を怠らずに会館の中を進む。完成前だからか、それとも人払いか、或いは聖杯の意志か。

 市民会館には人っ子一人見当たらなかった。違和感を覚えるが、この状況は舞弥にとっては好ましいものだ。

 彼女は非情であるし冷酷でもある。だが人を殺して快楽する殺人鬼ではない。

 神秘を目撃した一般人を殺すのは出来ることならばしたくはなかった。人を殺すという忌避感からではなく、弾丸の無駄使いはしたくないという意味で、だが。

 

「……これは」

 

 そうして市民会館の大ホールまで歩を進めた舞弥は『それ』を目の当たりにした。

 

「成程。第二候補で確かだったか。切嗣に報告しなければ――――」

 

 大ホールにあるそれは明らかなどことなく黒く濁った魔力の瘤。空間を歪めてみせるほどの『力場』は聖杯の降霊地としてこれ以上もなく適している。

 万全を期すとすればこの土地で聖杯を降ろさなければならない。

 舞弥が切嗣への連絡用の携帯電話を取り出した。

 着信音が耳に木霊する。

 

「ほう。切嗣の名を呼ぶとは貴様……衛宮切嗣の協力者といったところか」

 

 虚空より投擲された黒鍵が携帯電話を粉々に破壊し、地面に突き刺さる。

 舞弥が黒鍵が投擲された方向を見てみれば、そこにいたのは僧服をきた一人の神父。

 

「言峰、綺礼」

 

「私の名を知るとは、やはり一般人ではないな。貴様には話して貰わねばならんことがある。悪いが帰すわけにはいかん」

 

 反射的に舞弥は言峰に自動小銃を発砲していた。フルオートで放たれた弾丸は無数の薬莢をばら撒きながら言峰に殺到する。

 

「どこを狙っている」

 

 しかし気付けば言峰はそこにはおらず、舞弥の背後へと回っていた。

 

(馬鹿な。まったく見えなかった……! この速さ、本当に人間――――!?)

 

 舞弥が銃を投げ捨て、ナイフを構える。

 だがそれよりも速く言峰は鉄のような拳を舞弥へと放っていた。

 

「ごっぁ」

 

 肺の中の空気が強引に吐き出され、舞弥の体が宙に浮く。そのまま体はホールの壁へ叩きつけられていた。

 

「なに安心しろ。殺してはいない」

 

 安心させるように言峰が語りかけてくる。

 嘘ではないだろう。言峰は自分を殺さない。殺しては情報が得られなくなるから殺さない。久宇舞弥という衛宮切嗣のパーツから本体たる切嗣の情報を喋らせるためには久宇舞弥が壊れていては駄目なのだから。

 

「くっ――――――」

 

 このままでは不味い。舞弥は切嗣から渡されていた魔術的な効果すら持ち合わせた閃光弾を炸裂させる。

 

「むっ」

 

 目を瞑っていた舞弥には被害は最小限だが、目を開いていた言峰には不意打ちに等しいだろう。

 しかし舞弥は言峰綺礼が目を晦まされただけで自分で倒せる相手に堕ちるほどの者ではないと承知していたので、これ以上の交戦を止めて逃げる。

 大ホールから出た舞弥は切嗣に渡されていた発信機の青いボタンを押してから、壁に背を預ける。

 傷が深い。骨が何本か破壊されているようだ。

 

「――――」

 

 息が荒い。動悸が激しい。吐き気もある。

 そしてなによりいつも身近で他人が放っていた死の臭いを自分が放ち始めていることに気付いた。

 舞弥はここにきて、自分がここで死ぬことを確信し受け入れた。

 

(役目は、果たした。後は切嗣がやってくれる)

 

 不眠不休での行動など慣れているのだが無性に眠りたい気分だった。舞弥はすっと目を閉じる。

 死期が近いせいで走馬灯でも見ているのか。舞弥は己の過去を回想した。

 久宇舞弥という名前は切嗣が彼女に与えた最初の偽造パスポートの名前であって実のところ本名ではない。ただ顔が東洋系で、日本人の名前にするのに都合が良かったから『久宇舞弥』となった。ただそれだけのことである。

 元の名前は覚えていない。彼女が両親につけられた名前はなんだったのか。そもそも自分には両親がいたのかすら定かではない。

 彼女にとっての原初の記憶は銃をもって敵の兵士達を殺していた場面だ。

 親すら知らぬ彼女だが、自分が生まれた母国が貧しく戦争ばかりしていた国だということは覚えている。そして彼女の母国は戦争に駆り出す兵士の育成にかける資金が負担となり、最も金のかからない兵士を調達するという悪しき選択をとった。

 現代でも呆れるほどあちこちで行われる"少年兵"というものだ。物心つく前の子供を攫ってきて、兵士として仕上げる。安上がりな兵隊作り。

 舞弥は有り触れた少年兵のうちの一人だった。ただ彼女は不幸なことに"女"だった。そして戦場で力ない女が野蛮な兵士から受けることなどいつの時代も大して変わらない。

 まだ少女であった舞弥は頻繁に兵士の慰み者として扱われ――――その過程で出産も経験した。

 親の顔を知らなかった彼女は、自分の子の名前すら知らない。というより名前を付けることもなく引き離された。彼女と同じように兵士として仕立てあげられるのが手に取るように分かり、それ以上考えることを止めた。

 思えばそんな事ばかりしていて、彼女はとうに人間として死んでいたのかもしれない。

 だから精神的な苦痛はなかった。感情をもつのは生き物だけ。道具や機械に感情はない。故に機会である自分は肉体的な痛みを覚えても、精神的な痛みを覚えることはなかった。

 自分の心を守るためにそうなったのか、周りの環境がそうさせたのかは分からない。答えは永久に出ないだろう。

 そうやって幾年かの月日が経ったある日、彼女は衛宮切嗣と出会った。

 物語のように運命的な出会いがあったわけではない。偶然居合わせた戦場で偶然に出会った。それだけである。

 彼女の使い手だった集団は彼によって殺されていて既にいなかった。機械には心がない。人間によって機械は人を殺すが、機械は機械によって人は殺さない。

 故に自分の使い手を殺した切嗣にも、なんら殺意は湧かなかった。

 切嗣は彼女を戦災孤児のための施設に送ろうとしたが、舞弥は切嗣に付いて行こうとした。恩を感じていたのではなく、自分を使っていた者を殺したのなら自分は殺した者の所有物になるのだと当然のように考えていただけだ。例えるならば殺した兵士が金品をもっていたのならば略奪するように。

 衛宮切嗣は最初は彼女のことを引き取ろうなどとはしなかったが、彼女が優れた『技術』をもっていることと『魔術回路』を宿していることを知ると引き取った。否、新しい彼女の所有者となったのだ。

 切嗣は以前の所有者のように暴行を加えていることはなかったが必要以上に干渉することもなかった。彼女――――久宇舞弥の死をもって、二人以上の人間を救えるのであれば価値はある。切嗣はそう考えていたのだろう。

 そこに疑念は挟まない。己はただの機械であり道具。衛宮切嗣という殺戮機械をより優れたものにする為の部品でしかない。

 しかし今となっては衛宮切嗣という使い手を殺した者がいたとしても、他の者の道具になる気は起きなかった。

 

「……ふ、ふふ」

 

 生まれて始めて彼女は――――分かる人にしか分からないほど小さくだが――――笑った。

 とうに失われていたと思っていた感情。どうやらほんの小さくだがその残滓が残っていたらしい。ならば最後に人として行動するのもいいだろう。

 

「随分と遠くまで逃げたものだ。そんな体で」

 

 呆れたように追ってきた言峰が言う。

 舞弥は言峰を誘うために命乞いをした。

 

「……確認します。切嗣について……話せば、私の命は助けて……もらえるんですね?」 

 

「主の御名にて誓おうとも。私は別にお前に対して含むものなどない。衛宮切嗣は……あの男が聖杯にかける願いとはなんなのか。それを知りたくてね。貴様ならそれを知っているのではないか?」

 

「…………知っている」

 

「そうか。では」

 

 言峰が舞弥の言葉を聞くために近付いてきた。

 もう、いいだろう。十分に距離は縮まった。

 

「けどそれは、貴様には永久に分からぬ願いだ」

 

 舞弥は自分の体に巻きつけてあった爆弾の起爆ボタンを押した。

 切嗣の不利益となる情報は欠片も残してやらない。死体からだって情報は探れるかもしれない。だからこそ久宇舞弥という人間の痕跡を完全消滅させる。

 轟音が轟く。爆弾は久宇舞弥という人間を跡形もなく吹っ飛ばし破裂した。

 爆風で天井の瓦礫がおちてくる。

 しかし爆発に巻き込まれたはずの言峰綺礼は死んでいなかった。優れた動体視力と戦闘経験に支えられた反応速度で咄嗟に回避していたのだ。

 

「また自殺か。慣れないものだ、これで私の前で人が自殺するのは三度目だぞ。聖職者失格だな」

 

 自嘲したように嘆息すると言峰は大ホールへと戻っていく。

 聖杯降霊は近い。

 

 

 

 

 これで此処に来るのも二度目だな、と柳洞寺の山門を潜ったセイバーは小さく漏らす。

 キャスターの魔術で難攻不落な神殿へと姿を変えた寺は城主たるキャスターが脱落しても未だ暗鬱とした空気を散らしてはいない。

 石段や境内のあちこちには戦闘の跡も残っていた。

 

「……マスターの話によれば『力場』があるということだが」

 

 セイバーは魔術が当然のようにあった時代と国の生まれであり、それなりに魔術について心得ている。が、魔術を使う術もたない。

 だがセイバーはサーヴァント。聖杯降霊の力場というのであれば感じ取れるはずだ。

 

「………………? この気配」

 

 直感がとある"気配"を察知し自然と足を止める。聖杯降霊の"力場"ではない。

 この敵意や悪意、あらゆる害意をそのまま流す山河のような感覚。セイバーはその香りをもつ男と二度に渡り戦った事がある。

 セイバーは真っ直ぐにその気配の発信源へと歩を進める。するとやはり――――その男はいた。

 

「待っていたぞセイバー。私もつくづく悪運が強いらしい」

 

「アサシン」

 

 アサシンのサーヴァント、佐々木小次郎がその得物を抜いてセイバーに笑みを見せる。

 

「貴方がここで待っていたということは、やはりこの柳洞寺が此度の降霊地ということか?」

 

 慎重にセイバーが探りを入れる。

 

「否」

 

 だがアサシンはやけにあっさり否定した。

 

「私もマスターの命令でこの寺を隈なく調べさせられたのだがな。珍妙な"力場"とやらは見つけることはできなんだ」

 

「――――――」

 

 セイバーが怪訝な目をアサシンへ向けた。

 アサシンはやけにあっさり答えたが、これが口から出任せということもあり得る。鵜呑みにすることはできない。

 

「尤も私にはどうでもいいことだ。私の目的は……お前なのだからな」

 

「私だと?」

 

「見よ、この体を。我がマスターは私への魔力供給を切断し、今宵一夜を過ごせるか過ごせないかという魔力のみを与え放逐した。その癖、柳洞寺の調査まで命じるのだ。とことん面の皮の厚い男よ。彼奴も」

 

 放逐。それはアサシンが己がマスターに用済みとなって捨てられたという告白であった。

 しかしセイバーは疑念を抱く。

 聖杯とは霊体であり、霊体に触れられるのはサーヴァントのみ。そしてサーヴァントを相手できるのもサーヴァントのみだ。

 故にサーヴァントは聖杯を得るのに必要なのである。それを捨てたということは、そのマスターは聖杯戦争に恐れをなして逃げ出したか。

 

(アサシンのマスターにはアサシン以外の切り札が、もう一体のサーヴァントがいる?)

 

 アサシンのマスターは言峰綺礼だった。しかし言峰綺礼が以前のビル爆破で死んで、アサシンが別のマスターと再契約していたら。その再契約したマスターが既にサーヴァントをもっていたマスターだとしたら。

 この最終局面で二体のサーヴァントを使役していることが負担になり捨て去る可能性は多分にある。

 だがそうだとしてもセイバーには疑問が残った。

 

「それならば何故お前は私に刃を向ける。貴方がマスターの裏切られたのであれば、もはやマスターに義理立てして動く必要はないはずだ。それとも使い捨てにされて尚、消えぬ忠義を抱くものか。それとも――――」

 

 サーヴァントを強制的に使役する絶対命令権。令呪を使用されたか、だ。

 

「クッ。生憎だがお前達のような英霊は知らぬが、私は私を捨石にするような輩に忠節を尽くす心意気などない。元より私は私の目的で動いている。私の意志でお前と相対しているのだ。聖杯など要らぬし、英霊としての誇りも私には無縁のものだ。なにせ私はそもそも"佐々木小次郎"ではないのだから」

 

「……! 佐々木小次郎ではない? 名乗りは虚言だったのか?」

 

「それも否。確かに私は佐々木小次郎として召喚された。だからサーヴァントとしての真名は佐々木小次郎なのだろうよ。だがそもそも佐々木小次郎という剣士は存在せぬのだ。ある天下無双と名高き剣豪の敵役として作り出された敵対者。現実にはありえぬ架空の剣豪――――それが"佐々木小次郎"。

 ああ。佐々木小次郎という名の剣士はいたかもしれん。だが私は"佐々木小次郎"ではない。私には名があるほど裕福な生まれではなかったし、誰か他の剣豪と果たしあったことは生涯一度としてなかった。ただのこの土地に嘗て生きていた農民に過ぎん。

 私はただ伝承にいる佐々木小次郎の"秘剣"を披露できるという一点のみで"佐々木小次郎”の殻を被り呼ばれた亡霊」

 

 それが真実だ。思えばこの剣士には英霊ならば誰しもがもつ威圧感がまるでなかった。

 過去とは重みである。英霊とは等しく人の身では為し得ぬ偉業を為し得た者であり、そういった英雄にはただの人間にはない気配を纏うものなのだ。

 セイバーやランサーのように正純な英霊とはいえないキャスターですらある種のオーラはあったというのに、この剣士はまったくの"虚無"だったのである。

 それもその筈。

 なにせこの剣士は英霊ではない。英霊に匹敵する剣技をもつというだけの人間。なんの偉業も為し得ていないというのであれば、英霊のような気配がないのはごく自然なことだった。

 

「分かるかセイバー。私にはなにもないのだ。例え聖杯とやらの力でこの世に生を受け、そこで私が偉業を為したとしても、それは総て佐々木小次郎へと向けられる。賞賛を浴びるのは佐々木小次郎で、無名の剣士たる私には何一つ還らぬ。

 だがもしそんな私に一つ激情を燃やすにたる願いがあるとすれば――――」

 

 アサシンは限りなく純粋な瞳でセイバーを捕える。

 

「生前、終ぞ叶わなかった極上の剣豪との果し合い。それを果たすことだけ。我が秘剣が彼の騎士王に届くのか、私はそれが知りたい」

 

 唯一つの事が『知りたかっ』た。アサシンと彼のマスターとの間に明確なる共通項があるとすれば、それはこの一点につきるだろう。

 そしてそれこそ彼の者が無名の剣士を呼び寄せた最大の因果なのだ。

 

「――――失礼。無駄な時間をとらせました」

 

 セイバーは謝罪し、風王結界の刃を構える。アサシンもまた『構え』た。

 本来明確なる構えをとらぬアサシンが唯一構えをとる刻。それこそ彼が一生を費やして辿り着いた秘剣を披露する前兆に他ならない。

 

「―――――――」

 

 セイバーは一度、その秘剣を体験していた。奇しくも此度と同じ柳洞寺にて。しかしその秘剣は万全であれば二つではなく三つの刃をもつという。

 あの時は二つだったからこそ躱すことができた。後方に残った僅かな隙間から、その首級を逃すことができたのだ。だがもし刃が三つならば、最後の刃は最後の逃げ道を塞ぎセイバーの首級を落としていただろう。

 必殺の剣。因果逆転により死の運命を決定するゲイボルクとは異なる意味における不可避の必殺剣だ。

 

(認めよう。私にはアサシンほどの……『魔法』に至る剣技はない)

 

 それは決してセイバーにとって恥ではない。そも『魔法』に至る剣技をもつ剣士など、セイバーの知る全ての騎士を見渡してもいない。

 湖の騎士や太陽の騎士は或いはセイバーを超えるだけの技量をもっていたが、剣術という"術"を魔法という"法"にすることはできなかった。

 ただ魔法に至る『奇跡』ならばセイバーにもある。

 湖の乙女より与えられし聖剣。神霊クラスの魔術行使を可能とする一撃はもはや『魔法』とすら呼んでいい至高なる一撃だ。だが致命的に隙が多い。

 セイバーとアサシンの距離は約5m。この程度の距離であれば、セイバーが『約束された勝利の剣』を放つより一瞬早くアサシンの秘剣はセイバーを殺すだろう。

 

(されど『勝算』はある)

 

 セイバーは騎士である前に王だ。その優れた戦術眼は決して根拠なき自信をもたせない。だからこそセイバーの『勝算』は紛れもない勝機だった。

 アサシンは確かに稀代の剣士である。だが彼が振るうその刃は悲しいまでに彼の技量と釣り合っていない。業物ではあるだろうが『宝具』といえる神秘ではないのだ。

 千年の歴史をもつ『業物』も、英霊の『宝具』と比べれば鈍と同じ。

 アサシンの物干し竿は以前のセイバーとの一戦を因としたのかはたまた別の理由があるのか僅かに歪んでいる。

 そしてアサシンのマスターの不手際なのか、ランサーとの戦いの傷も完全には回復しきっていないようだ。

 ゲイボルクが破壊された今、もはや治癒不可の呪いはないはずだが……それがなくとも回復するだけの魔力がなかったということだろうか。隠せないダメージが残っている。

 それらはランサーとの戦いではなく、アーチャーとの死闘でのダメージなのだが勿論セイバーはそんな事情を知る由もない。

 

(勝負は一瞬だ)

 

 恐らくは瞬きする間もないほどの虚空、これで決着がつく。

 必要なのは大岩を砕く力ではない。風よりも疾い速度。セイバーの速度はアサシンに僅かに及ばないが、

 

「――――――」

 

 セイバーの鎧が消失していく。アサシン相手に鎧など無意味だ。鎧に回す分の魔力をただ速度につぎ込む。それでも足りない。ならば、

 

「――――秘剣」

 

 佐々木小次郎の声が、無名の剣士の言霊が風と混じり消える。静かだった。騎士達の王と魔法に至りし剣技の戦場とは思えぬ静かさだった。

 無音の結界、その中心にセイバーとアサシンだけが向き合っている。

 もはや殺意や敵意すら失せてしまっている。

 あらゆる邪念はなく、あらゆる感情は無くなった。二人はただ己が最高の剣を相手に披露するということのみに全神経を傾けているのだ。

 那由多のような刹那。虚空のような永遠。

 騎士王も農奴もない。あらゆる束縛の届かぬ俗世などを超えた位置に二人はいた。

 この虚空にこそ騎士王アルトリアは在りて、この虚空に無名の剣士は在って対等に立っているのだ。

 例え佐々木小次郎などではない無名だったとしても、誰の記憶にも残らぬ亡霊だったとしても、人の身で神域に踏み込んだ男の生き様は確かにここに在る。

 

――――ふと、

 

 風に誘われたのか、一枚の木の葉が宙を舞う。

 木の葉が二人の中心をひらりひらりと踊り、それが地面に落ちた時。

 

「燕返し!」

 

 二人の戦いは終わっていた。

 アサシンはまるで自らが勝利者であるかのように、満足した晴れ晴れとした表情を浮かべると口元を釣り上げる。そして五臓六腑から湧き上がる血反吐を呑み込んだ。

 彼は花鳥風月を、美しいものを美しいままに好む男だ。その男が、どうして己が吐き出したもので思考の"美"を穢せるものか

 

「……見事」

 

 小次郎は惜しみない賞賛を騎士王へと送る。

 

「剣を覆う風をも自らの味方にしての一撃。花鳥風月……空に舞う鳥までは届いたのだが、空を吹き抜ける風を捉えることはできなんだか。私もまだまだ未熟」

 

 セイバーの疾さでは佐々木小次郎には届かない。そのことを佐々木小次郎以上に承知していたセイバーは風王結界の風を自らの速度に合わせたのだ。

 それでも。こうして首が繋がっているのは奇跡だった。ほんの阿頼耶の差が二人と勝者と敗者とに分けた。

 

「いいえ。見事、と言う他ないのは私の方です。佐々木小次郎。貴方は私が見えたどの騎士よりも強く険しき頂きだった」

 

「それはまた――――お前のような者に賞賛されるとは、私も剣に生きた甲斐があっというもの……か」

 

 万事を万事、あるがままに受け入れた雅な男は。

 己が死すらもありのままに受け入れ、僅かな醜態を晒すこともなく潔く逝った。

 敗者は早々に消え、残るは勝者のみ。

 遂に聖杯戦争はセイバーともう一人を残すのみとなった。

 

【久宇舞弥 死亡】

【アサシン 脱落】

【残りサーヴァント:2騎】


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