Fate/reverse alternative   作:アンドリュースプーン

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第42話  理想の果て、ユメの始まり

 炎の海で一人の強欲な暗殺者が身を翻す。背徳の信仰者が疾走する。

 性質の異なる黒衣に体を包ませた二人の参加者は自らの信頼する武器を手に殺し合いを始めた。互いの存在を否定するために。

 

Time alter(固有時制御) square accel(四倍速)ッ!」

 

 この相手に切り札の出し惜しみこそが愚策。もはや先の戦いを心配する必要もない。"戦い"はこの日ここで終わるのだから。

 切嗣は全ての切り札を惜しみなく晒す。

 固有時制御の四倍速。

 時間とは万人が等しく享受するものだ。しかし切嗣の固有時制御はそれを覆す。この術が発動した瞬間、唯人の1秒は切嗣にとっての四分の一秒となった。諸人が一日を一日として生きるのなら、この身は一日を四日として生きよう。

 

「……!」

 

 宿敵――――言峰綺礼は流石に切嗣の速度に驚いたようだ。目が見開くが狼狽えることはなかった。

 言峰綺礼の腕に刻まれた予備令呪が輝く。一画を消費すれば『魔法』に比肩しうる神秘を可能とする紋様は言峰綺礼に人間を超越した力を与える。

 四倍速で動く切嗣にも追従しうる速度を得た言峰は真っ直ぐ切嗣の心臓目掛けて突きを放った。

 

(あの光は令呪か!?)

 

 一目で言峰にあるものの正体を看破した切嗣は、高速の突きを紙一重で交わすと至近距離から起源弾を発砲した。

 切断と結合という切嗣の起源を強制的に発現させる魔弾。魔術師にとっては真実必殺となりうるものだったが、言峰はその魔弾の効果を知っているかのようにニヤリと笑い地面を縮めた。

 それがどういった技法なのか、切嗣は知らない。しかしなんとなくだが、それが八極拳における独特の歩法なのだということは分かる。最初の一歩にして全速力のスピードを実現する歩法、言峰綺礼の常人ならざる速度をもってすれば彼の縮地にすら匹敵しよう。

 

「衛宮切嗣。生憎だが、貴様の魔弾の正体は我が師より聞き及んでいるぞ」

 

 消えたように姿を晦ました言峰は、切嗣の右の死角に回り込み急所へと発勁を打ち込もうとする。

 外面ではなく体の内にこそ真価を発揮する八極拳、その発勁ともなれば一撃のみで衛宮切嗣の内臓器官は粉々に粉砕されるだろう。アヴァロンを身に宿す切嗣は内臓が破壊され即死しようと蘇生することはできる。だが瞬時に蘇生できるわけではない。

 もしこんな火の海で十数秒でも意識を失っていれば火に巻き込まれ焼け死ぬ可能性もある。それに例えアヴァロンの加護があろうと脳髄まで破壊されてしまえば蘇生はできない。

 であれば言峰綺礼の攻撃は切嗣にとって致命となりうる。

 なんとしても受けるわけにはいかない。

 

「――――!」

 

 右手にもっていたトンプソン・コンテンダーと起源弾の弾丸を宙に放り投げ、懐から別の拳銃を抜き去る。

 そして抜いて直ぐに発砲した。構えなしでの早打ち。固有時制御なしでも切嗣は一流の戦士に相応強い早打ちの業をもつ。それが更に四倍で動くのだ。抜いてから発砲に至るまでの時間は0.5秒未満である。

 人間の頭をトマトのように破裂させる殺傷力の弾丸が必殺を打ち込もうとした言峰の顔面目掛けて殺到した。

 言峰が自滅覚悟で切嗣を殺そうとするのならば分からないが、もし言峰に自分を生き残らせる気が欠片でもあるのならば攻撃を止め回避するしかない。

 

「ちっ!」

 

 予想通り。言峰は弾丸の回避のため攻撃を停止した。

 そこにジャストのタイミングで先程宙に投げたトンプソン・コンテンダーが落ちてくる。それを掴んだ切嗣はコンテンダーを折り開くと、そこに投げておいた起源弾が降りてきて弾の装填が完了した。

 言峰は弾丸を回避したばかりで隙が生まれている。そこに容赦なく必殺の魔弾を放った。だが言峰は令呪による爆発力で魔弾を回避する。

 それも切嗣は織り込み済みだ。令呪のバックアップさえあれば言峰なら魔弾の回避もできるだろうとは思っていた。

 切嗣は手榴弾を投擲し炸裂させると一旦距離をとる。

 接近戦においては切嗣より言峰の方に一日の長がある。相手の得意とする戦場でわざわざ戦ってやるのはバトルジャンキーだけだ。切嗣はそういった連中とは違う。

 戦いの基本は相手の嫌がることをやることだ。

 言峰がどれだけ優れた歩法をもっていて、姿を消したように移動することができても、実際の速度までが目にも留まらぬ速度なわけではない。令呪によるバックアップさえなければ、言峰のスピードは四倍で動く切嗣には到底及ばない。

 自分の優位を活かし、30m以上の距離を開かせるとサブマシンガンを掃射した。

 

「ふんっ!!」

 

 数えきれぬ弾丸の雨を前にして言峰は冷静だった。冷静に五臓六腑に空気を送り込むと、両手に黒鍵をもちそれで弾丸を正確に弾きながら突進してきた。

 

「!」

 

 余りにも無茶苦茶。令呪によるサポートがあるとはいえ、言峰の戦意は鬼気迫るものがあった。言峰にはそれだけの意志力で戦う理由があるのだろう。生涯において唯一つの生き方しか出来なかった男の戦気は限りなく純粋だ。

 言峰の腕がしなる。音を切り裂きながら投げつけられた黒鍵が切嗣に襲い掛かってくる。

 投擲という単調な攻撃も、それが音速に迫る速度であるのならば大砲の一撃にも匹敵しよう。それでも切嗣は黒鍵の軌道を正確に読んでいた。

 迫りくる黒鍵は合計三つ。その一番手前にある黒鍵の切っ先に拳銃の弾丸を撃ち込む。

 正確無比な射撃は狙い通りに黒鍵の軌道をそらし、続く二つの黒鍵はその黒鍵に当たり空中で交え弾ける。

 

「墳ッ!!」

 

 空中で弾けた三つの黒鍵。言峰はそれを突進しながら回収すると、その両手で黒鍵を切嗣に振り下ろしてきた。

 切嗣は後ろに宙返りしてそれを避けると、ナイフをありったけの魔力で強化させオーバーエッジさせるとがら空きの心臓へ突き刺した。

 耳にまで響く空気の軋む音。

 これは殆ど全ての刀剣類にいえることだが刃は鋭利でも刃の腹は撃たれ弱いものだ。

 ジャンルこそ違えど言峰も黒鍵という刃物を武器としているためナイフの特性も理解している。

 言峰はしなる腕を武器に、猛虎の如き膂力でナイフの腹を殴りつける。強化されオーバーエッジしたナイフだったが言峰綺礼の埒外の力の前に砕け散る。

 防御に回っていた言峰が攻撃に転じる。

 腕をまるで刀に見立てて切嗣の左肩に振り落した。令呪の力も働いた手刀は威力も刀そのものだ。切嗣の肩など容易く切り裂かれてしまうだろう。

 二つの手に二つの銃。両方の手にもった銃を『強化』すると銃をただの鈍器にみたてて手刀の一撃を受け流し、もう片方の銃を発砲した。弾丸が言峰の頬を霞め一筋の血を流させる。

 

「覇ぁぁぁぁあああ!!」

 

「くっ――――!」

 

 至近距離で銃弾が飛び、拳打が踊る。

 常人にはなにが起きているのかも分からぬ高速戦闘。互いに攻守を入れ替えながら、時に切嗣が言峰をあわやというところまで追い詰め、今度は追い詰められる。

 そんな攻防が終わりなく続く。

 切嗣が蹴りを叩き込めば、言峰は腕でそれを防ぎ黒鍵で突き刺す。

 言峰が拳打を放てば、切嗣は銃でそれを流して弾丸を発砲する。

 それでも切嗣の弾丸に限りがあり、言峰の黒鍵と令呪にも限りがある以上、無限に続くということはありえない。このまま続けていれば数が切れた方が負ける。

 二人はほぼ同時にそのことを直感した。 

 五分五分のギャンブル。

 言峰綺礼はそれもまた良しと、運命に身を委ねる。

 一方で衛宮切嗣はそんなギャンブルを良しとはしない。

 切嗣は人間の『運命』というものを打破するために冬木の戦場に降り立った。ならば運命に任せるなどという選択をとるはずがない。

 懐にあるもう一本のナイフを取り出すと、ありったけの魔力で再びオーバーエッジさせる。

 一見なんの変哲もないナイフのように見えるが、これは錬金術の名家アインツベルンが切嗣のために用意した特別性の刃物だ。

 切嗣はアインツベルンでただ安穏とアイリスフィールやイリヤスフィールと過ごしてきた訳ではない。生粋の戦闘者である切嗣は先ずアインツベルンの『錬金』に目をつけた。

 ホムンクルスという人間を超えた生命すら創造を可能とするアインツベルンの錬金術。これを軍事に応用すれば、強力な武器を作ることが出来るのではないか。そんな切嗣の意見にアインツベルンは首を縦に振った。アインツベルンは聖杯を手に入れるために衛宮切嗣という最強の手駒を用意したのである。ならばその手駒をより強力にする提案を呑まないはずがない。

 そうして切嗣はアインツベルンにて製造された武器の多くをこの冬木市に持ち込んだ。今持つナイフもその一つ。

 サーヴァントにさえ一定の効果を発揮するように設計されたナイフである。

 人間を殺すのにはオーバーキルなほどの切れ味をもつし、言峰の筋力をもってしても破壊することは困難だ。

 それが『強化』されたのであれば猶更である。

 切嗣は体重をのせながら、ナイフで言峰の心臓を狙う。言峰はナイフを躱すのかと思いきや、驚くべきことに逆に向かってきた。

 そしてナイフの刃を殴りつけるでもなく、剣の腹を掌で掴んで見せた。

 

「ふっ――――!」

 

 そのまま掴んだ箇所を軸にして空中へと回転しながら飛ぶ。突きのパワーがそのまま言峰を回転させるためのエネルギーへと変わった。

 余りにも曲芸染みた動きに切嗣は唖然とする。だが唖然としながらも行動を止めることはなく切嗣は背後に回転すると拳銃弾を放った。ナイフと同様アインツベルンに用意させた特殊弾丸。如何に言峰の纏っている僧衣が防弾性能をもっていようとお構いなしとする代物だ。

 一つの弾丸を錬成するのにそれなりの金はかかるが、どうせこの戦いを終えれば不要となるものだ。使い潰しても問題はない。

 言峰は黒鍵で弾丸を切り落とそうとするが、特殊弾丸は黒鍵を砕きながら直進し言峰の肩を射抜いた。しかし強すぎる貫通能力がここでは災いした。弾丸は言峰の肩を貫通し、致命傷とはなりえない。

 そして言峰の精神力もたかが肩を貫かれたところで動じるようなものではなかった。

 言峰は新たに右手から三つの黒鍵を出現させると切嗣に投げつけながら自らも突進してくる。しかも黒鍵は先の轍を踏んで一つを逸らされ三つを全て落とされるなどということがないように一定の距離を置いて突き進んでくる。切嗣は特殊弾薬を装填した拳銃で三つの黒鍵を正確に撃ち落としていく。

 しかし黒鍵を撃ち落とすために使った僅かな時間が言峰の接近を許してしまっていた。

 

(まだだ!)

 

 幾ら言峰が人間離れした身体能力をもっていようと肉体は人間のものだ。

 左肩を撃ち抜かれたばかりでは満足に左腕を使うことはできない。得意とする治癒魔術をもってすれば左肩を治療することも可能だろう。だがそんな時間を切嗣が与える筈もなく、言峰は左腕を失ったままでの戦闘を強いられている。左肩が使えなければ当然戦闘の幅も狭まるだろう。そこに勝機はあった。

 これまでの戦い方から左腕が使えなくなることで最も攻撃しにくくなる位置を割り出すと、切嗣はそこへ歩を進めナイフを振るった。

 確かに言峰綺礼の白兵戦の実力は切嗣を上回っているだろう。しかしだ。言峰綺礼はその戦闘力故に距離を開けての射撃では効果が薄い。もしも『起源弾』の正体が知られていなければ、どうとにでも戦いを運んで行けるのだが遠坂時臣が魔弾の情報を言峰に伝えてしまっている。起源弾の正体を知っている以上、言峰もそれに対しての警戒はしているだろう。種の明かされた手品ほどチープなものはない。故に起源弾はただの戦う上での布石以上の効果は期待できないのだ。

 

(この炎とセイバーと分断されたのが災いした……もしこの炎さえなければ、仕込みを使えたものを)

 

 言峰綺礼の衛宮切嗣への『憎悪/執念』。それらが加算され言峰綺礼は歴戦の魔術師殺しの哲学を超えてきた。

 けれど今言峰の左肩は撃ち抜かれ左腕が使用不可能となった。それならばチャンスはある。左腕が使えずとも遠距離からの射撃なら問題なく防御できるだろうが、より繊細にして精密な動きが要求される近距離戦ならば隙を見いだせる。

 言峰の蹴りが切嗣の膝を抉る。だがそれは敢えて喰らった一撃。膝の骨を粉砕されながらも、どうにか転ぶことなく踏みとどまりオーバーエッジしたナイフを左腹に向かって振るう。左腕が役立たずな以上、言峰は別のもので防ぐしかない。右手にもった黒鍵でナイフを受け止める。だが右手で防御をとったせいで今度は右手が使えなくなった。切嗣は右手で拳銃を抜くと言峰の眉間に発砲する。

 

「――――!」

 

 驚きは切嗣のもの。あろうことは言峰は右腕が封じられたと悟るや、その口で切嗣の銃に噛みついて銃口を逸らしたのだ。逸らされた銃口からはやはり逸れた弾丸が放たれる。

 切嗣は拳銃から手を放すと後退しトンプソン・コンコンテンダーを抜く。既に弾丸は装填済みだ。

 距離は依然として至近。連続攻撃を防御したばかりで言峰も万全ではない。

 この位置と距離ならは先ず回避されることはないだろう。そして『起源弾』はただの防御では絶対に防げぬ魔弾である。

 勝利を信じ切嗣は銃爪を引いた。コンテンダーから切嗣の骨によって作り出された弾丸が放出される。

 

「っ!」

 

 言峰の腕から同時に二画の令呪が消失する。

 一画の使用でさえ純然たる空間転移という魔法一歩手前の魔術行使を可能とする魔力原の相乗作用。言峰の肉体は過剰なブーストを得て、まるで雷光の如く切嗣の視界より消失した。

 

「ぐぅ――――っ!」

 

 だが如何に五体を鍛え抜いた言峰綺礼の肉体も令呪の相乗作用の動きに耐えきれるほど頑丈ではなかった。

 筋肉が悲鳴を上げ、内臓が押し潰されそうになる。常人なら内部より肉体が崩壊しても不思議ではないほどの負担。それに言峰はどうにか耐えきった。

 言峰が肉体の苦痛に怯んだ僅かな隙、そこを切嗣は狙う。コンテンダーを銃口を真っ直ぐに言峰へ照準し引き金を引く。

 

「させん!」

 

 刹那の差だった。言峰の蹴りがコンテンダーを切嗣の手より弾き飛ばした。鞭のような蹴りの直撃を喰らったコンテンダーは空中で粉々に破壊され炎の海の中へ消えていく。

 地獄を衛宮切嗣と共に渡り歩いてきたトンプソン・コンテンダーの呆気なさすぎる終焉だった。

 喪った愛銃を嘆くでもなく、悼むでもなく即座に切嗣は後退して次なる武装を取り出そうとする。しかし言峰の踏込がほんの僅かに早かった。

 

「、は――――っ!」

 

 心臓にめり込む言峰の掌底。しかしそれだけで言峰は終わらせてくれず、膝蹴りを切嗣の頭部に喰らわせた。

 

「――――――」

 

 切嗣の足がよろめく。

 咄嗟に腕で防御したお陰で脳味噌を破壊されることはどうにか免れたが、脳にまるで血が届いてくれない。

 最後のとどめとばかりに言峰がその拳を放つ場面が何処か遠い世界の出来事のように思える。

 

「……ッ!」

 

 走馬灯のようにフラッシュバックする記憶。今まで自分が喪い、自分が殺してきた人達の横顔。顔も知らない赤の他人もいたし、良く見知った友人や家族も、初恋の女性もいた。

 世の中は決して幸せに満ちてなどいない。幸せがある分、それを超える不幸が世の中には溢れている。

 泣きながら親を撃ち殺す少年、生きるために他人を殺さなくてはいけない人間、自分の夢は十歳まで生きれることと嬉しそうに語った横顔。

 人が人である以上、そういったものは永久になくならないのだと誰よりも知っていた。人類の歴史に戦争がなかった時代など一瞬たりともない。

 衛宮切嗣はちっぽけな人間だ。こんなどうしようもない現実の不条理を覆すことはできない。出来るのは最大少数を切り捨て最大多数の命を救うという生き方だけ。

 しかしそんな不条理を覆す奇跡があるのならば、なにを犠牲にしてでもその奇跡を掴み取る。

 誰もが幸せでありますように。そんな子供じみた願いのために、これまで生きてきた。

 こんな場所で衛宮切嗣は終われない。

 

「言峰、綺礼――――!」

 

 切嗣の想いに応えてかアヴァロンが嘗てない速度で切嗣の肉体を治癒する。治癒が完了したことを脳が理解するよりも早く切嗣は動いた。

 言峰が繰り出した拳を掻い潜り、全霊を込めて殴り飛ばす。

 新たに手に構えるのはコンテンダーとは違う拳銃。装填されているのはアインツベルンに錬金術で作らせた特殊弾だ。

 切嗣はトリガーを引いた。 

 

「ふん」

 

 言峰が嗤う。

 神秘とはそれを上回る神秘により敗北する運命。魔弾が言峰綺礼を貫く寸前、突然に黒い泥が巨大な鞭のように言峰の前に現れ魔弾を呑み込んだ。

 

「なんだ……これは……!」

 

 予期せぬ乱入者……いや、それは果たして者なのか。サーヴァントとも魔術とも思えぬ呪いに切嗣が驚愕で目を見開いた。

 

「せっかちなものだ。まだ聖杯は完成してないというのに……焼け死ぬ人間の臭いに釣られ出てきたのか? それとも自分で自分の担い手を決めるつもりか」

 

 言峰はさも当然のように泥の存在を受け入れる。

 未だその泥の正体を掴めずにいる切嗣に対して、言峰はなんとも毒々しい笑みを浮かべながらその正体について話した。

 

「なにを呆けている衛宮切嗣。お前が在り来たりな幸せというものを切り捨ててまで欲した聖杯、それがこうしてお前の目の前に現れたのだ。少しは嬉しそうな顔をしたらどうだね」

 

「……聖杯? 馬鹿な……そんな筈が……」

 

 聖杯とは無色の力。無限に等しい魔力の塊。

 切嗣はアインツベルンでそう教えられたし、200年以上前の資料で見た聖杯についての詳細についてもそう記されていた。

 断じてこんなものではないのだ。こんな人間を呪う為だけの代物などでは。

 

「その顔、信じられないのかね。ならば身を持って知れ。この世全ての悪を……受けるがいい!!」

 

 言峰は具体的に何をしたわけでもない。ただ願っただけだ。衛宮切嗣に呪いあれ、と。

 それだけで十分だった。聖杯とは元より願いを叶えるためのもの。言峰の願いを受け泥は切嗣に覆いかぶさった。

 避けることは出来なかった。

 

 

 

「ここは……?」

 

 切嗣は一人、暗い闇の底にいた。炎の海も、人の焼ける匂いもしない。何もない虚無の空間。

 唯一つ特徴があるとすれば――――中心にある黒い太陽くらいだろう。

 いや一人だけではない。もう一人いる。

 闇にいるもう一つの影は正に"影"という他なかった。それがどんな面貌をしているのか、どんな姿をしているのか、どんな格好をしているのかが全くもって分からない。

 影がそのまま実体として浮き出てきたかのようだった。

 

「初めまして……というべきかな。衛宮切嗣」

 

 影がどことなく軽快な口調で話しかけてくる。

 正体が掴めない。この影は何者だというのか。

 疑問は湧いたが切嗣の手元には武器はない。状況を確認するためにも切嗣は口を開いた。

 

「お前は誰だ?」

 

「誰だとは失礼だね。君達参加者が命を懸けてまで求めてきたものだというのに。名前を忘れてしまったのかい?」

 

 参加者が命を懸けてまで求めた。

 その言葉で切嗣の脳裏に天啓のようにある二文字が思い浮かんだ。

 

「まさか聖杯…なのか?」

 

「そうだ。本来ならば聖杯には自分の意志などはない、ましてや人格などない虚無の存在だ。だから僕はこうして誰かの皮を被らなければ誰かと会話することもままらない」

 

「で、聖杯がなにを話す気だ? 聖杯は言峰綺礼のものだから、僕の願いは叶えないとでも言うつもりか?」

 

 考え得る限り最悪の事態を想定して聖杯と名乗る影に問うた。

 

「いいや。そんなつもりはないさ。別に聖杯は君の物だなんて言うつもりはないが、聖杯は勝者の手に委ねられるものだ。君が勝利者として聖杯を手に入れるならその願いを叶えるさ。この僕がね」

 

「…………!」

 

 僅かに影の中身が見える。

 切嗣の視界にまず飛び込んだのは形容しがたい黒い紋様だった。人間が出来得る悪行の全てを刻み込まれたようなその呪いに切嗣は戦慄する。

 こんな呪いが聖杯で、こんなものが聖杯だというのならば、本当に聖杯は願いを叶えられるのか。

 

「聖杯、答えろ。お前は本当に僕の祈りを……恒久的世界平和を成就させるのか?」

 

「是と返答させて貰うよ。君が望むのならば僕は必ずや恒久平和を実現させる」

 

 答えはYes。しかしやはり疑念は尽きない。

 影はそんな切嗣の心を読んだかのように――――実際に読んだのかもしれない―――――言った。

 

「それじゃあこちらからも問おうか。衛宮切嗣、君は己の祈願がどういう形を成して実現をすると思うかな?」

 

「なにを……言っている」

 

「恒久的世界平和。争いのない世界。……だがね、そんなものは有り得ないんだよ。この世界のどこにも。そんなもの君が一番理解しているだろう?」

 

「今更お前に説明されるまでもない。だからこそ僕は聖杯を求めた。人間ではそんな望みは叶わない。だがあらゆる望みを叶える聖杯なら人間に不可能な願いを叶えることができる。それが聖杯、万能の願望器のはずだ」

 

 元より切嗣はその為だけに生きてきた。恒久的世界平和を実現するためにこれまで戦ってきた。

 故に迷いなく答える。

 だが影はそれで納得することはなかった。逆により鋭利に衛宮切嗣を糾弾する。

 

「然り。聖杯とは無限なる力だ。その魔力をもってしてならば、確かにその願いは成就するだろう」

 

「ならば叶えろ。それともまだ生贄が必要なのか? 言峰綺礼を殺さないと願いは叶えないか?」

 

 聖杯が首を振る。否定しているのだろう。

 

「そろそろ最後の生贄がこちらにくる。もう生贄は必要はない。完成した聖杯は正しく君の願いを叶える筈だ」

 

――――しかしその過程こそが問題なんだ。

 

――――恒久的世界平和、それをどういう手段を持って聖杯が叶えるが知っているかい?

 

――――聖杯はね。ただの暴力なんだ。どこぞの機械仕掛けの神様みたく、平和を願えば脈絡なくいきなり世界が平和になるわけじゃない。

 

――――必ず『過程』があるんだよ。

 

「……過程?」

 

――――難しく考える事はない。君がやってきたことと同じだ。

 

――――人間が人間である以上、恒久平和などありえない。ならば争いを起こす人間が消えれば、世界は平和になるだろう?

 

「ふざけるな!」

 

――――ふざけてなどいない。僕は至極真面目さ。

 

――――仮に世界の全人口を60億だと仮定しよう。であれば40億と20億、どちらか一方を切り捨てずに平和がならないのであれば君は20億を切り捨てる。

 

――――15億を切り捨て25億を救い、10億を切り捨て15億を救う。7億を切り捨て8億を救う。3億を切り捨て5億を救う。2億を切り捨て3億を救う。そうやって続けていけば最終的には世界に三人だけが残る。

 

「三人……だと?」

 

 聞いてはいけない。そう分かっているのに聞かずにはいられなかった。

 第一切嗣には耳を塞ぐなんてできない。……それに許されないのだ。正義のために常に一を切り捨ててきた切嗣には、切り捨てられた側の糾弾に耳を塞ぐことはできない。

 

――――そうだ。衛宮切嗣、アイリスフィール、イリヤスフィール。この三人を除いた全ての人間を抹殺する。

 

「……ッ!」

 

――――約束された理想郷。争いのない平和なるユートピア。人類最後の三人は戦争という争いなどすることはなく、幸福な一生を過ごす。

 

――――59億9999万9997人の人間を切り捨て、久遠の平和を僕は保障しよう。

 

「……違う。それは……確かに平和だが、そんなものは違う。僕が望んだのは……そんな形の救世じゃない」

 

 誰も傷つかない世界。誰もが理不尽な暴力に怯えることなく、一生を幸福に生き遂げられる世界。

 そんな世界を切嗣は求めていた。それが自分の力で出来るはずがないと理解していたから、聖杯を求めたというのに。

 

――――然り。我が身はこの世全ての悪。全人類を呪うという呪縛をもちし、人類の敵対者だ。

 

――――アンリ・マユたる僕はあらゆる願いを『破壊』という方法によって叶える。

 

 影の姿が露わになっていく。その影は衛宮切嗣の形をしていた。

 まるで鏡写しのように二人の衛宮切嗣は対面する。

 

「そんなのは……違う」

 

 本物の切嗣が縋るように声を漏らす。

 

「違う? なにが? ここまできて希望を打ち砕かれたことを呪う気か。こんなものは理不尽だと呪いを吐くつもりか。ふざけるなよ衛宮切嗣。お前にそんな権利があると思っているのか? お前はその手で何人の命を殺してきた。何人の希望を、夢を、未来を奪ってきた」

 

「っ!」

 

「一を切り捨て十を救う為なんて言い訳はするな。それはお前の独善でありエゴだ。そんなものは免罪符になりはしない。お前は恒久的世界平和の実現という己の欲望のために、他の命を踏み躙って来た」

 

「……そんなことは知っている。一々お前に説明されるまでもないことだ。正義の味方なんていうものは所詮はエゴイストだ。味方をした側しか救えない。だから殺したさ。常に命が多い方の味方をして、少数の命を殺し尽くした」

 

「それならば今度もまた己のエゴに満ちた選択をすればいい。聖杯を受け入れ、恒久平和を実現させればいい。大多数のために少数を切り捨てる。切り捨て続ける。その果てに僕の予見した三人だけが救済されるはずだ」

 

 切嗣は思う。『この世全ての悪』の提案はなんて魅力的なことだろうかと。

 愛した妻と愛する娘と文字通り三人だけでの生活。あらゆる命や責任にも背中を向けての生活はきっと楽しいだろう。毎日毎日が幸せに違いない。

 

「では問おう。衛宮切嗣、君はこの世全ての悪を担うか否か」

 

 けれど切嗣の答えなどとっくに決まっていた。

 

「断る。僕は三人のために59億9999万9997人を犠牲にすることはできない」

 

 生涯を鉄の心で生きてきた男は『この世全ての悪』に覆われながらも変わる事はない。

 誰よりも合理的で最善の選択のみをとり続けた男は、たった三人の恒久平和よりも59億9999万9997人の世界を選び取った。

 

「そうか。ならば適応者ではない君は眠るといい」

 

「……ッ!」

 

 自分を受け入れないのだと知った『この世全ての悪』の動きは早かった。

 切嗣の意識はこの世全ての悪によって呑み込まれ沈んでいく。切嗣にはそれに抗う力などは残っていない。

 

「最後に一つだけお前に言おう」

 

 この世全ての悪が話す。

 

「世界なんてものは基本的に足し算引き算なんだ。マイナスはプラスでしか打ち消せない。希望を打ち砕くのはいつだって絶望だし、絶望を乗り越えるのはいつだって勇気だ。そして衛宮切嗣、お前は虚無だよ。プラスもマイナスもない全くのゼロ。一を切り捨て十を救う? つまらない冗談だ。お前は生涯で誰一人として救ってなどいない。ゼロでしかないお前はなにを為す事もできていない。お前はただ何にもならないゼロを、死を世界にばら撒いていただけだ」

 

「ぁ」

 

 それで完全に折れた。あらゆる糾弾にも、あらゆる絶望にも決して折れぬ男が膝を屈した。

 地獄の底で弱々しく声を漏らす。衛宮切嗣にはもはやなにも残っていない

 理想のため、恒久平和を目指して鋼鉄とした心は砕けていた。指一本に至るまで力が入らない。総ては無駄だった。その事実だけが否応なく突き刺さる。

 恒久平和、その実現のためだけの戦いだった。

 そんな遠い理想を目指して、自分は多くの命を殺してきた。ビルの倒壊に巻き込んだ無辜の命は数百を数えよう。この大火災でもかなりの数の人間が死んだはずだ。

 久宇舞弥、自分の一部ともいうべき女もこの戦いで切り捨てたし妻のアイリスフィールも犠牲にした。

 恒久的世界平和を為してイリヤのためだけに生きるという誓い、それすら守れない。

 この世全ての悪。

 六十億の人間が等しく善性と平等に備える悪性。あらゆる悪が衛宮切嗣という人間を否定する。

 思えば意味のない生涯だった。あのアリマゴ島での災害から一を切り捨て十を救うという生き方をしてきた。その果てに一度の勝利も掴めず、ただの一度の偉業らしい偉業も為し得なかった。

 アンリ・マユはまことに正しい。

 多くの命を踏み躙っておいて、自分は誰一人として救うことができなかったのだ。こんな無様な男が世界を救うなど出来るものか。

 

「お前が私を殺したんだ」

 

 父が切嗣の心臓を銃で撃ち抜く。

 

「お前が私を殺したんだ」

 

 ナタリアが切嗣を消し飛ばす。

 

「お前が私を殺したんだ」

 

 顔も知らない誰かが切嗣の首を切り落とした。

 

「お前が私を殺したんだ」

 

 十歳にも満たぬ子供が切嗣をナイフで突き刺す。

 

「お前が私を殺したんだ」

 

 花嫁衣裳の女性が切嗣の首を絞める。

 

「お前が私を殺したんだ」

 

 無残な赤子の亡骸を抱えた母親が切嗣を焼き殺す。

 

「お前のせいだ。お前がいなければ死なずに済んだ。お前が殺した。お前なんていなければ。お前が生まれなければ。お前なんて存在しなければ」

 

 ある時は肉体ごと消し飛ばされ、ある時は刃物で両手両足を切り落とされ、ある時は毒で苦しみながら内臓を溶かされた。

 衛宮切嗣の処刑は終わらない。だって少し目を落とせば、切嗣が殺してきた人間が果てのない列を作って順番待ちをしている。数えきれないほどの犠牲者達は幾千か幾万か。

 全て衛宮切嗣が殺してきた者達だ。衛宮切嗣を殺す権利のある者達だ。

 やめてくれと懇願はできない。切嗣は延々と壊れた様に謝罪の言葉を吐き出しながら、彼等に殺され続ける。

 ふと処刑執行人の行列から一人の少女が飛び出してきて、自分の前に立った。 

 

「……君は」

 

 日焼けで小麦色に焼けた肌。溌剌としていて一緒にいるだけで自分まで元気になるその笑顔。シャーレイ。なにもかもが遠い初恋の女性だった。

 シャーレイは優しく切嗣に言った。

 

――――ケリィはさ。どんな大人になりたかったの?

 

 より多くの命を救う為、人を救いたいという感情を排除して生きてきた。

 恒久的世界平和。それだけを望んできた。それを実現する最後の希望が『聖杯』で、たった今その聖杯に裏切られた。

 その果てがこれだ。

 数えきれないほどの人間を犠牲にしておいて、結局なにも成し得ることができなかった。

 

「僕は恒久的世界平和を実現したかった」

 

――――それは、本当に?

 

 本当に……そうだったのだろうか。これまでずっと争いのない世界だけを夢見ていて、最初の想いなどとっくに置き去りにしてしまっていた。

 己が……自分が……僕がなりたかった大人は。

 

――――嗚呼、そうだ。僕は正義の味方になりたかったんだ。

 

 漸く思い出せた。自分が最初に抱いていた願いは恒久的世界平和なんてご大層なものではない、もっと簡単な有り触れたものだった。

 自分はただ……誰かを救いたかったのだ。誰かを助けて、そうして「ありがとう」という感謝だけが嬉しくて、正義の味方に憧れていたのではなかったか。

 

「……ぁ」

 

 だとしたら終われない。思い返せば間違いばかりの人生だった。生涯を振り返っても、自分という人間ほど碌でもない者はいないだろう。

 悪人が笑い善人が泣くのが世界の在り様なのか。

 嘘つきは頭が良くて、正直者は馬鹿を見るのか。

 欲望のままに生きるのが正解で、誰かの為に生きるのは間違いなのか。

 

「そんなはずが、ない」

 

 体内にあるアヴァロンが光り輝く。衛宮切嗣という存在そのものを否定する呪いを真っ向から受け止めて乗り越えていく。

 もういいではないか、と甘い声が囁く。全てを投げ出して死んで楽になってしまえと呪いたちが嘯く。

 そんな安易な救いに背を向けて、切嗣はただ苦しいだけの生へと一歩を踏み出していく。

 思えば間違いだらけの人生だった。最初の想いを捨て、ただ殺すだけの日々。

 衛宮切嗣の生涯は、張り通した生き様は全て間違いだったのかもしれない。だが、だとしても。

 

「誰かを救いたいという想いだけは間違いであるはずがない!!」

  

 生きることが地獄でしかないとしても、衛宮切嗣は『誰かを救いたい』という想いを張り通すために死という安寧ではなく生という地獄を生きる。

 

「おおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 体内にあるアヴァロンが闇を照らす。その一筋の光を道しるべとして、雄叫びと共に切嗣は泥を払いのけた。

 泥を払いのけたとはいえ既に体は『この世全ての悪』の呪いに侵されている。それでもこの一瞬、切嗣は最盛期以上に最盛期であった。

 敵を見据えろ。宿敵はそこに立っている。

 言峰綺礼が守るのは六十億の人間を殺すこの世全ての悪。あれを破壊しなければ大勢の人間が死ぬ。

 どうして言峰綺礼があんな代物を守ろうとするのか、そんなことはどうでもいい。

 言峰綺礼は衛宮切嗣を打倒し聖杯を守り通し。

 衛宮切嗣は言峰綺礼を打倒し聖杯を破壊する。

 聖杯は唯一人勝利者に与えられるというのならば、聖杯を破壊するという願いのために言峰綺礼を倒さなければならない。

 夢見た理想郷はもはや本当に理想の中に消えてしまった。言峰綺礼を倒したところで六十億の人間が救われることはない。

 それでも衛宮切嗣は戦う。

 恒久的世界平和実現の為などではない。

 誰かを殺す為ではなく誰かを救う為に戦うのだ。生まれて初めて『正義の味方』として。

 

「泥を振り払ったのか。そうか……それがお前か衛宮切嗣!! それが剥き出しの貴様かっ!!」

 

「言峰、綺礼――――!」

 

 言峰綺礼の歓喜を無視して衛宮切嗣は突進する。もはや手元に武装はない。あるのは生まれたその時より共にある肉体のみ。

 十分だ。これほど信頼できる武器は他にない。

 

Time alter(固有時制御) fifth accel(五倍速)ッ!」

 

 肉体の不可。四倍速という限界を超えた限界を超えるデメリット。そんな合理的な計算式を完全に頭から追い出した。

 切嗣は鋼鉄の精神に覆われていた感情をむき出しにして拳を振るう。

 

「感情任せな動きが、通じるものか――――!」

 

 言峰とてこれまで四倍速で動く切嗣と互角以上に戦った化物。五倍速になったとはいえ、武装を全て失った切嗣であれば対応できなくはない。

 だが、なら対応できなくすればいいだけだ。

 

「六倍速ッ!」

 

 言峰が令呪でブーストするよりも早く、切嗣がその鳩尾に拳打を叩き込んだ。言峰はそれでも切嗣の動きに食いついてきたが、

 

Time alter(固有時制御) last accel(七倍速)ッ!」

 

 切嗣の速度が完全に言峰綺礼の認識を超えた。もはや言峰には切嗣を捉えることはできない。

 そうして最後の一撃が言峰綺礼を穿った。

 

「がっ――――ぁっ」

 

 遂に言峰が地面に膝を突き倒れる。すると同時に固有時制御の限界時間がきて振り戻しのダメージが切嗣に殺到した。

 もはや苦痛すらありはしない。七倍速という人間の分を完全に超えた固有時制御は一瞬にして衛宮切嗣という男を絶命させる。

 

「、――――――!」

 

 しかし一瞬で絶命した切嗣は数瞬の後に蘇生を果たす。言うまでもなくアヴァロンの力だ。

 切嗣は足元に自分が落としたらしい拳銃が転がっている事に気付き拾う。

 少し遅れて言峰がよろよろと立ち上がる。

 生きていたのは切嗣だけではなかった。言峰も半死半生の身ではあるがどうにか命を長らえていた。

 もはや息をするのも苦しいだろうに。こうして立ち上がるのは精神力の為せる業か。

 

「……聖杯を拒んだのか。残念だな。お前の大層な祈りが世界を犯し尽くす様にも興味はあったのだが……まぁ、良かろう。どうやら私のアーチャーもやられたようだ。直にセイバーが来るだろう。私にも戦う力は残っていない」

 

 言峰は無防備に背中を晒すと両手を挙げた。

 

「令呪も破棄しよう。衛宮切嗣、納得はいかんがお前が此度の聖杯戦争の勝者だ。そして聖杯は勝者のもの。……行って、己の願いを叶えるがいい」

 

 迷いはなかった。切嗣は感情の宿さぬ瞳のまま銃爪を引く。銃弾が背中を向ける言峰綺礼の心臓を正確に貫いた。

 しかしまだ切嗣の仕事は終わらない。

 

「……あれは、生まれかかっているのか」

 

 聖杯からは『この世全ての悪』が誕生しかかっていた。

 先程自分を襲った泥などは前兆に過ぎない。泥は聖杯より溢れだし今もなお冬木の土地を焼いている。そしてあれの本体が聖杯の魔力により受肉して外に出ようとしていた。

 あれが外に出てくれは冬木市一つで済みはしないだろう。この世全ての悪は六十億の人間を呪う宝具をもったサーヴァントとして誕生し世界は滅びる。それだけは阻止しなくてはならない。

 今すぐ止めなければならないが、例え泥をいくら破壊してもこの災害は終わりはしないだろう。泥をなんとかするには『聖杯』の中で受肉しかかっている『この世全ての悪』を一刀のもと両断する必要がある。

 そして『この世全ての悪』を完全消滅させるだけの切り札に一つだけ切嗣には心当たりがあった。もはや一刻の猶予もない。一秒でも早く聖杯を破壊しなければならない。

 

 

 

「マスター!」

 

 セイバーが切嗣のもとに辿り着いた時、丁度戦いは終わっていた。

 背後から切嗣に撃たれ倒れていくのは言峰綺礼。アサシンのマスターであるはずの言峰がどうしてここにいるのか今は考えるまい。最後のサーヴァント、アーチャーを下した今となっては些細な問題だ。

 切嗣は敵を倒して一息ついているのか、静かに聖杯のある方向を見つめていた。尤もセイバーのいる位置からは炎が邪魔で聖杯を見ることは出来ないのだが。

 無理はないことだろう。

 衛宮切嗣という男が一生をかけて目指していた願い、それが漸く叶おうとしているのだから。ある種の達成感や感慨に襲われるのが普通だ。

 セイバーはゆっくりと切嗣へと近づく。

 数えるほどしか会話などしたことのない相手。二回しか話しかけられなかったマスター。

 しかし同じように聖杯を求めて共に戦った主だ。ガウェインや兄へ向けられたものとは別種の信頼がセイバーにも芽生えていた。

 マスターの健闘を称えようとしたセイバーだったが、その前に切嗣が口を開いた。

 

「我がサーヴァント、セイバーに令呪をもって命じる」

 

 呆れ顔でセイバーが立ち止まる。この状況で最後の令呪を使うとすれば、それは一つしかない。

 聖杯とは霊体。霊体である聖杯を掴めるのは霊体であるサーヴァントだけ。切嗣は令呪によってセイバーに聖杯を掴ませるよう命じるつもりなのだろう。

 我がマスターならがせっかちなものだ。セイバーは苦笑してしまう。

 だが次の瞬間、セイバーは信じられない命令をマスターから告げられた。

 

「聖剣の一撃をもって聖杯を破壊せよ」

 

「な、なにを……! マスター! 血迷ったのですか!?」

 

 突然のことに上手く言葉が出てこない。しかしそんなセイバーの心中とは裏腹に令呪によって命じられたセイバーの体は、セイバーの意志とは関係なく聖剣を発動させようとしている。

 

「どういうことですかマスター! 貴方は恒久的世界平和を目指していたのではなかったのか! その為にアイリスフィールや舞弥を切り捨てて来たのでは……答えろ!!」

 

 しかし切嗣は沈黙するだけだ。 

 その間にもセイバーの体はエクスカリバーを振り下ろそうとしていた。彼の騎士王が振るいし星の光を集めた剣は、彼の騎士王の意志とは関係なくその真価を晒す。

 

「やめろぉぉぉおおおおおお!!」

 

 極大の眩い光が炎を蒸発させながら『聖杯』を跡形もなく完膚なきにまでに破壊していく。それを目の当たりにしてセイバーは自分の聖杯探索がまたしても失敗したのだと悟った。

 

(どうして……マスター)

 

 どうして土壇場で自分を裏切ったのだという疑問だけが残る。しかし直ぐに思い至った。

 

――――王よ。貴方には人の心が解らない。

 

 そう言い残してキャメロットを去ったのは誰であったか。セイバーは疲れ切ったように目を瞑る。

 

「……ああそうだった。私は――マスターのことを名前で呼んだことすらなかったではないか」

 

 これでどうして信頼関係が結べるものか。なんていうことはない。騎士達の心を解さなかった王は主の心も解することができなかったというだけだ。

 体が消えていく。聖杯という力を失い、エクスカリバーを放ったせいで魔力を枯渇させたセイバーが世に留まれる道理はなく。

 人の心の解らぬ王は、最後までマスターの心が分からぬままに消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第四次聖杯戦争。歴代において最高峰のサーヴァントが集いし聖杯争奪戦。

 誰の願いが叶うこともなく。誰が幸せになることもなく。

 ただ犠牲者の死体の山だけを築き上げて。

 

――――第四次聖杯戦争はここに終結した。

 

 

【第四次聖杯戦争 終幕】

【勝者 衛宮切嗣】


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