辺り一面が壁に囲まれた、窓のない地下室。
グランドピアノやドラムなどが備え付けられている、いわゆるスタジオです。
悠人の強い要望によって、今日は真姫と悠人、そして私の3人で会うことに。
数少ない趣味が音楽の悠人は、真姫の作るμ'sの曲が相当気に入ったらしく、
その熱意に私が折れて今日の場を用意しました。
まぁ、用意したと言っても、真姫と話をつけるだけだったんですが……
女子高という特殊な環境に長くいるお陰で、
「会って欲しい男の人がいる」の一言を伝えることにもかなり苦労しました。
真姫に伝えるときのセリフを考えるのに数日、心を落ち着けるのにまた数日。
できれば他のμ'sメンバーには聞かれたくなかったので、
真姫と2人きりのシチュエーションが来るのを待つのにも多少かかりました。
まぁ、真姫のことですから茶化したり他のメンバーに広めたりする心配はしていませんでしたが。
要件を伝えた時の真姫は、ほんの少し驚いていましたが、
「海未の知り合いなら大丈夫ね」と言ってくれました。
今日になっていざ会ってみると、
悠人も真姫もすんなり距離感を掴んで、2人とも楽しそうです。
やはり共通の趣味を持つ人は馴染みやすいのでしょうか。
それにしても、違うコミュニティの友人同士が話してるのを見るのは新鮮ですね。
真姫をべた褒めする悠人、それに顔を真っ赤にして照れている真姫を見た時は、
なぜだか少し、モヤモヤしましたけど……あれは一体……?
そんなこんなで、今は真姫の家の地下にあるスタジオに来ています。
私は詳しくないのですが、これから悠人と真姫は「セッション」なるものをするみたいです。
真姫いわく、『複数人で行う即興の合奏』とのこと。何だか難しそうです。
とはいえ、2人の合奏をこんなに間近で見られるのはやはり楽しみですね。
「……小節ずつ交代でいいかしら」
「ああ、キーは
「ええ、大丈夫よ」
ちょっとした打ち合わせ、でしょうか。音楽の専門用語が飛び交います。
「それじゃあ、行こうか」
悠人の合図に真姫が頷き、演奏が始まりました。
~~~
おそらく私にとっては初めてのセッション。
始まってしばらく経てば、その仕組みは私にもわかりました。
ある時は真姫が伴奏をし、悠人が主旋律を演奏。
またある時は、悠人が伴奏をし、真姫が主旋律を。
簡単に言ってしまえば、この2つの繰り返しのようです。
もっとも、この演奏が即興という点が素人の私には信じがたいですが。
2人とも、滑らかに、鮮やかに音を紡ぎます。
まるで、最初からこうなることがわかっていたかのように。
しかも、ただ交代交代で弾きあっているだけではないみたいです。
片方が静かな演奏をすれば、もう片方はそれに瞬時に合わせます。
展開が盛り上がってくると、伴奏の方も音数が増えて激しくなります。
その様子は、まさに
とても2人が今日出会ったばかりだとは思えないほどです。
お互いにアイコンタクトを取りながら、曲はどんどん展開していきます。
そんな2人は、付き合いがそれなりに長い私も見たことのないような、
真剣で、心から楽しんでいるような表情をしています。
――ッ、またです。
なんとも言えない、モヤモヤした感じがします……
2人の楽しげな演奏に、私も混ざりたいのでしょうか。
そんなことは無理だって、分かっているのに――
「海未!次のところで歌ってみてくれ」
考えに耽っていると、演奏中の悠人にいきなり声をかけられました。
「ええっ?!そんな急に……」
さっきまで考えていたことが、悠人には伝わっていたのでしょうか。
私に舞い込んできたのは、『セッション』への参加権でした。
「即興でもラララでもいいよ!」
……まったく、それは無茶ぶりと言うんですよ、悠人。
「はい!」
なんて思いながら、本当は嬉しい気持ちでいっぱいです。
上手くやる自信はないです。でも、精一杯楽しみましょう。
悠人、ありがとう……。
~~~
「……ふぅ、こんなものかしら」
予定していた長さが終わると、西木野さんが鍵盤から手を離して一息ついた。
癖なのか、特徴的な巻き髪を指でクルクルといじっている。
「やっぱり西木野さんはすごいな」
「ふふ、当然でしょ」
柔らかな笑みを浮かべつつ、自信満々なのが彼女らしい。
クラシックやジャズをよく聴いていただけあってか、演奏の引き出しが多彩だった。
「海未も無茶ぶりに答えてくれてありがとう」
「難しいですね……結局ラララしか言えませんでした」
演奏中、チラッと海未を見たら少し淋しげな表情をしていたように見えたので、
思い切って途中で誘ってみたけど吉と出たようだ。
とんだ無茶ぶりだったけれど、日頃から歌っているだけあってか違和感もなく、
何よりイキイキと歌っていたのでこちらも俄然楽しかった。
数十小節の短い間だったが、間違いなく、3人だけの『音楽』が演奏できていた。
お互いの音に、心に耳を傾けながら、思いのままの音を奏でる。
音を楽しむと書いて音楽とは、よく言ったものだ。
「……真姫、お花を摘みに行きたいのですが」
「ん、階段上がって右に曲がった突き当たりよ」
「ちょっと失礼しますね」
海未らしいオブラートに包んだ言葉を残すと、重い防音ドアを開けて外へ出て行った。
……昔言われた時は分からずに思わず訊いちゃったなぁ。登山用語だっけか。
~~~
「先輩も、なかなか良いフレーズが多かったわ」
「……マジか!西木野さんに言われると嬉しいなぁ」
「べ、別に私だって褒めるわよ……」
海未が抜けて2人きりのスタジオ内。
相変わらず指で髪をクルクルしながら、目を逸らされてしまった。
やっぱり音楽で西木野さんに褒められるのは嬉しい。
今日会うまでは憧れの人だったし。こう言うと今は違うみたいに聞こえちゃうけど。
今は、憧れとか尊敬ももちろんあるけど、それ以上に真っ直ぐな女の子という印象に変わった。
きっと、根は海未のように真っ直ぐで、内なる情熱を秘めているはず。
ピアノを弾く楽しそうな表情を見たら、そう思わずにはいられない。
ああ、この子は真っ直ぐ、誠実に音楽に向き合っているんだなって。
海未と違うのは、その真っ直ぐさを素直に表に出せないところかもしれない。
まだ出会って1日だけど、言動の節々からなんとなく感じられる。
「君とセッション出来て、よかった」
「~~!わ、私だって……その……楽しかった」
気づくと西木野さんは頬を赤く染めていた。
さっきのお店でも照れていたけど、その破壊力にこちらまで照れてしまいそう。
「あ、照れてる照れてる」
「照れてない!演奏してちょっと熱くなっちゃっただけよ!」
「そっかそっか、なら仕方ないね」
「その言い方、信じてないわね~!」
照れ隠しにからかったら西木野さんもツンツンモードに。
こっちの方がひょっとしたらやりやすいかもしれない。
「もう、素直じゃないなぁ西木野さんは」
「……」
「……ん?」
「……その、出来れば苗字じゃなくて名前で呼んでほしい……かも」
「…………じゃあ、真姫さん?」
「……『さん』も要らない」
「真姫」
「うん、それでいい」
突然だった。
茶化してはいけない話題だと思ったからこちらも真面目に返す。
ひょっとしたら苗字で呼ばれるのがあまり好きじゃないのかもしれない。
西木野というと病院を連想して堅苦しいのかもしれないし。
「そうだね、セッションした仲だし『西木野さん』は堅苦しいかもな」
「……ありがとう」
素直にお礼を言われるとは思わなかった。
ツンツンしたり、かと思えば素直だったり見ていて飽きないな。
「……で、真姫は俺のこと何て呼んでくれるんだ?」
「う゛ぇえ……それは……」
「それは……?」
「ゆ……悠――」
ガチャリ
気が付くと、お花摘みから帰ってきた海未がスタジオの防音扉を開けて戻ってきた。
「お待たせしました」
「……おかえり、海未」
……海未に罪はないんだ。ないんだけど、ちょっとタイミングが悪かった。
完全にタイミングを逃した真姫は、ぼんやりと遠くを見つめていた。
~~~
いい時間となったため、今日はお開きになった。
俺と海未は大丈夫と言ったんだけど、「暇だから」と真姫は送りに来てくれた。
「では、私はここで」
気が付くと海未の分かれ道まで来ていたようだ。
海未は律儀に小さく礼をする。
「海未、今日は集めてくれてありがとうな」
「ふふ、これくらいならお安いご用ですよ」
「また練習で会いましょ」
「はい、身体に気を付けてくださいね」
柔和な笑顔で応じる海未。
真姫の体調を気遣う様子はさながらお母さんだ。
「お2人は、この後は?」
「うーん、機材もあるし帰って休むかな」
「私はとりあえず、『茅野先輩』を駅まで送るわ」
「そうですか、2人ともよい週末を」
そう言うと海未はこちらに背を向け自宅へと歩いて行った。
相変わらず綺麗な長髪と姿勢だ。
「真姫も、別にここまででいいぞ」
「いいわよ、帰っても勉強するだけだし」
どうやら意地でも駅まで送ってくれるらしい。
まぁ、2人きりでも気まずくないってことだし、ありがたく送られよう。
~~~
「ありがとね、それじゃこの辺で」
結局真姫は律儀に駅の改札まで着いてきてくれた。ただのいい子だ。
「あの……」
「ん?」
「連絡先、交換しましょう?」
さっきから何か言いたげだと思っていたら、こういう事らしい。
手早く携帯のメッセージアプリを起動し、お互いを登録した。
「曲のことで、ひょっとしたら相談するかも」
「曲って……μ'sのか?」
「ええ」
予想外だった。
てっきり、作曲に関しては1人で問題なくポンポン出来ているものだと思っていた。
「了解、役者不足かもしれないけどな」
「そんなことないわ」
とにかく、少しでも頼りにしてくれるなら嬉しい限りだ。
また真姫と濃ゆい音楽の話が出来るかもしれないし。
「それじゃ、真姫、じゃあな」
「ええ、また会いましょ、『悠人先輩』」
少し名残惜しさもあったが、手を振って真姫と別れた。
――悠人先輩、か。
全然敬語使う気なんてないのに、先輩を残してくるあたり、なんだか面白い。
それにしても、真姫とは今日会ったばかりなのに、かなり打ち解けられた気がする。
多分、演奏したりセッションしたり、密度の濃い時間を過ごしたからかな?
そういう意味でも、海未には感謝しないと。
……先輩呼びってやっぱりいいな!