西木野邸、地下スタジオ
個人のものとは思えないほど設備が整った室内。
4、5人組のバンドくらいなら余裕を持ってリハーサルを行えそうな広さだ。
そんなスタジオの中で一層存在感を放っているのは、部屋の後方に佇むグランドピアノ。
こういう本格的なピアノは、ちょっとした乗用車が買えてしまうくらいの値段だと聞いたことがあるが、恐れ多くて訊く気にはなれない。
そしてそのピアノでウォームアップをしているのは、この家に住むお嬢様の西木野真姫。
もっとも個人的には、音楽が大好きな“普通の女の子”、というイメージが先行している。
……この設備を持つのが普通か、と言われれば何ともいえないが。
一方の俺は、少し離れた位置にある丸椅子に腰を掛け、ギターのチューニング中だ。
クリップチューナーの矢印が中央に集まるように、各弦の張り具合を調節していく。
『作曲を手伝って欲しい』
そんな要望に応えてここまで来たが、具体的なこれからの流れはまだ聞かされていない。
ひょっとしたら真姫なりの考えがあるのかもしれない。
真姫の方に何となく視線を送ると、向こうも丁度いいところなのか目が合う。
彼女もお互いの準備が終わったことを察したのか、一息ついて微かに笑みを浮かべる。
「それで、俺はどうすればいいかな?」
「そうね…… いくつか案があるから、まず聴いてくれる?」
そう言うと真姫は、視線を鍵盤の方に落とす。
久々の真姫の生演奏が聴けるというだけで、心が躍るのを感じる。
それだけじゃない、μ'sの曲が生まれる現場に立ち会えるのだ。
……
…………
演奏が始まるのを待つが、なかなか始まらない。
「……真姫?」
「……大丈夫、大丈夫……」
思わず声をかけてしまったが、今の彼女には声が届いていない様子。
視線を下したまま、何かを呟いているが、聞き取ることが出来ない。
少し気になったが、彼女なりの演奏前の儀式か何かと思うことにし、おとなしく待つことにした。
~~♪
ようやく真姫の指先が動き始めた。
繊細で、それでいて軽快な音色が空間を揺らす。
前奏だろうか、製作段階だけあってまだ荒削り感が残っている。
とは言え、真姫の指は一音一音正確に音を刻む。
……凄いな。
気のせいじゃなければ、先日のセッションの時よりも腕を上げている。
リズムの正確さはもちろん、抑揚の付け方も非の打ち所がない。
海未から話には聞いていたが、相当練習したのだろう。
ふと視線を上げ、真姫の方を見ると、とても真剣な顔つき。
彼女のキリリとした顔立ちと相まって、ほんの少しだが畏怖すら覚える。
ふと気が付くと、歌メロの方に曲が進行していた。
そう言えば、真姫の歌声をしっかりと聴くのはこれが初めてかもしれない。
特徴的な歌声をもつメンバーが多いμ'sだが、真姫も例に漏れていない。
普段の彼女の声のハスキーさを、より濃縮したような歌声。
ほんの少し鼻にかかるような部分が、個性を際立たせる。
……正直かなり好きな歌声だ。
アイドルらしいポップな曲よりも、かっこいい曲を歌わせたらもっとハマるかもしれない。
◇◇◇
真姫の歌と演奏が終わり、スタジオ内に静寂が戻る。
ゆっくりと鍵盤から目を離すと、おずおずとした様子でこちらを見てきた。
「お疲れ様」
「……どうかしら」
当然、気になるのはこちらの感想だろう。
少し不安げな様子で尋ねられたその問からは、先日の電話の時の真姫の様子を思い出させる。
――率直な感想。
以前よりも上達を感じさせる正確な演奏、圧倒的な歌唱力。
初めて間近で聴いた真姫の『弾き語り』に、驚かされることばかりだった。
駅前のストリートミュージシャンと肩を並べる腕前。ひょっとすると超えているかも。
けれど、きっとこんな感想は求められていない。
今日は、あくまでも作曲がメインだ。腕前がどうこうの話ではない。
「悠人……先輩?」
先程から言葉を発していない俺に、真姫が不安げな声を漏らす。
どこか弱々しい、こちらの様子を窺う声。
もはやそこに、演奏中の彼女の面影はほとんど残っていない。
……こんな心配そうな表情でこちらを見られると、思わずお茶を濁して褒めちぎってあげたくなる。
でも、それでいいのだろうか?
人に助けを求めることが苦手な真姫が、意を決してお願いしてきた今回の件。
自惚れじゃなければ、そこには彼女の期待や信頼がどれだけ込められているのだろう。
だとしたら、本心を隠し、その場限りの言葉を取り繕って感想を伝えるのは、失礼じゃないだろうか。
だったら――
「演奏と歌自体は、凄くよかったし、聞き惚れた」
「……続けて?」
「だけど…… これまでのμ'sの曲と比べると、あまり刺さらなかった」
「っ!……」
嘘偽りのない俺の言葉に、真姫の顔が曇る。
すぐに訂正してそんなことないと言いたい心を押さえ、続ける。
「何というか、いい曲を作ろう作ろうと気負いすぎて、空回りしちゃってる感じがするんだ」
「確かに……そういう気持ちは強かった……かも」
もちろん、そう思うのは当たり前だし、プロの作曲家だってそうだろう。
ただ、その思いが空回ってしまうと、メロディがくどく感じたり、冗長になってしまったりすることもある。
「それと…………真姫が、この間より楽しそうじゃなかった」
「……えっ?」
多分、今回真姫の曲があまり良く聴こえなかったのは、これが大きいんじゃないだろうか。
申し分ない演奏、歌唱力。確かにそれらは凄いのだけれど。
「セッションした日の真姫は、真剣で、凄く楽しそうだったんだ」
俺は、最初に見た、何よりも楽しそうに演奏する真姫が忘れられないのかもしれない。
忘れもしない、あの日のセッション。
西木野真姫は、ピアノが、音楽が好きで好きでたまらないという想いを音に乗せ、奏でていた。
俺は、そんな彼女と演奏を共に出来たことを心から嬉しく感じたし、また聴きたいと思った。
海未に無理を言ってでも、出会ってよかったと思った。
「けど今日は、真剣なのは一緒だけど……仕事みたいな感じだった」
「…………」
そうだ。
俺は、作業みたいにピアノを弾く真姫より、楽しげに弾く真姫が見たいんだ。
ミスタッチがあったって、ちょっとリズムがよれたって、そんなのは問題じゃない。
「だから、楽しもう! もう一回最初から作曲しよう。俺で良ければ手伝うからさ」
「…………」
「……真姫?」
「……ふふ、何よそれ。楽しそう、楽しくなさそうって…… 感情論じゃない」
「うぅ、すまん……」
ようやく真姫の顔に、微笑みが戻る。一緒に微かな刺々しさも連れて。
胸のつっかえがとれたのか、彼女の声色は、先ほどと打って変わって柔らかい。
「でも………… 本当にその通り。 いい曲を書こう、期待に応えよう、って躍起になってたのは事実だもの。スランプになってからは、そういう楽しさみたいなものからかけ離れちゃってた」
「……やっぱり私、悠人先輩に頼って良かった」
「真姫……」
今、凄く恥ずかしいことを言われてしまった気がする。
いや、嬉しいけど。ツンな子からそんなこと言われたら嬉しいけど。
「……って、うわ! ナシ! 今のは忘れて!」
真姫の顔が、みるみる赤くなっていく。
自分がした発言の恥ずかしさに、やっと気がついたらしい。
「……やっぱり俺、真姫に頼られて良かった」
「真似しないで!」
「はいはい、忘れる!忘れます!」
「もう、バカ」
なんて、忘れるわけないけどな。
◇◇◇
室内には再び、真姫のピアノが響いている。
楽曲制作へのプレッシャーや締め切り、自分自身のスランプをしっかりと受け止め、
その上でもう一度楽しくピアノと向き合い始めた真姫。
こわばっていた表情には、柔和な笑みが戻ってきた。
演奏自体にも表情の豊かさが現れてきたのは、気のせいではないはずだ。
作曲に限らず、一人で何かを一から創り上げるのは、簡単ではない。
良い物を追い求めるのであれば、なおさらに。
知っている限り、作曲活動はそのイメージとは裏腹に単調な作業だ。
そして、作曲者の状況、精神状態によるところが大きい。
もちろんそればかりではないが、笑顔が戻った真姫の顔を見ていると、
不思議ともう大丈夫だと感じる。
「先輩……どうしたの?」
「ん?」
ふと気づくと、演奏の手は止まり、不思議そうにこちらを見ている真姫。
小首を傾げている様子は少し幼く見え、新鮮だ。
「だって、何か笑っていたから。 気付いてないの?」
「えっ、俺笑ってた?」
「えぇ。 ニヤニヤしてたわ」
「ニヤニヤって、ひどいなぁ…… 何でもないよ、何でも」
どうやら、安心した俺は自然と笑みを浮かべていたらしい。
彼女曰く、ニヤニヤとした笑いだったらしいが……
「そういえば、今回の曲に何かテーマとかはあるのか?」
「えぇ。 『今までにない感じの曲』、よ」
なるほど、随分と抽象的なテーマだ。これは思い悩んでも仕方ないかもしれない。
これまでのμ'sは、基本的にアイドルらしいポップスがほとんどだったから、趣向を少し変えてみる、ということだろうか。
「歌謡曲とかやってみるか?海未ならノリノリで歌詞書けそう」
「……考えとくわ」
む、あんまり考える気がなさそうだ。アイドルと歌謡曲、意外とマッチしそうだけどなぁ。
◇◇◇
携帯電話を取り出し、時間を確認すると、想像していたよりも時間が経っていたことに気づく。
……道理で、こんなに腹が減っているわけだ。
「真姫、夕ご飯どうする?」
「えっ?……もうこんな時間なのね」
どうやら真姫も、同じ感想を抱いた様子。
「せっかくだから、
「えっ、良いのか?」
「こんなに付き合ってもらってるんだもの、それくらい当たり前よ」
「ありがとう、じゃあ親御さんとかにあいさつしないと」
てっきりどこかで外食することになると思っていたが、思わぬ展開に。
西木野家の夕食、どんなものが出てくるのだろうか。
「あぁ、それなんだけど」
「ん……?」
「パパとママなら学会に行ってるから、今はいないわ」
何やら衝撃的なニュースが舞い込んできた。
どうやら、聞き間違いではない様子。 ……頭が痛くなってきた。
いや、何をするつもりもないし、今の今までこの地下室に二人っきりだったんだけど。
当の真姫は、何ともなさそうな顔で髪の毛をクルクルといじっている。
最近の女子は、何とも思わないのだろうか……?
◇◇◇
「ごちそうさまでした」
一般家庭にしては広すぎるリビングで、二人きりの夕食が終わる。
あのテレビ、大きすぎない?
この部屋、天井高くない?
ちなみに、真姫の手料理が食べられたりするイベントは一切発生しませんでした。
ちょっとだけ、本当にちょっとだけ期待していたけど。
ふふん、と何故か自信げな顔でキッチンへ向かった真姫だったが、一瞬で期待は裏切られた。
彼女は
何故か品揃えの大半がナポリタンだったのは、秘密だ。
「美味しかった?」
これまた得意気に感想を聞いてくる真姫。
まさか、冷食の感想を求められるとは思ってもいなかった。
「ああ、日本の技術力ってやっぱ凄いんだな」
思っていた返答と違ったのか、ぽかんとしている真姫。
電子レンジに入れるだけでこれだけ美味しい食事にありつけるなんて、いい時代だ。
これなら料理ができなくても生活できてしまうな。
そんなことを考えるのも程々に、2人で後片付けをすることにした。
と言っても、使ったお皿やコップを洗うだけなんだけど。
これまた広いキッチンに、2人並ぶ。
薄々勘付いてはいたが、お互いに家事のスキルは底辺をいっているようで、
本当なら数十秒で終わりそうな作業に色々と手間取ってしまう。
「こうしてると、なんだか新婚さんみたいだな」
「う゛ぇえ……!」
「うおお危ない!」
ちょっとした出来心で真姫をからかってみたら、彼女が手にしていたお皿が危うく割れるところだった。ギリギリのところでキャッチし、冷や汗。
「なな、何言ってるのよー!」
「ごめん、そんなに驚くとは思わなくて」
「まったくもう……」
明るめの白色LEDが照らすキッチンで、真姫の顔が真っ赤になるのがよく分かってしまう。
反応的には成功なんだけど、ここまで恥ずかしがられるとこっちまで込み上げるものがある。
「でも、将来お嫁さんになるなら洗い物くらい出来ないと」
「良いの、私は!それに出来ないのは悠人先輩だって一緒でしょ!」
「うっ、それを言われると何も言えない」
真姫を刺激しちゃったお返しなのか、強めの口調で言われ、詰め寄られる。
というか、さっきから距離が近い。本人は熱くなってて気付いてなさそうだけど。
距離にして、十数cm。
これだけ近いと、女の子特有の、甘い香りが否応なしに嗅覚を刺激する。
シャンプーなのか、何かを付けているのか、真姫自身のものなのかはわからない。
「わかった、わかったからとりあえず離れよう」
「え? …………ひゃあ!」
すぐ終わるはずのちょっとした洗い物、もう少し掛かりそうだ。
◇◇◇
無駄に賑やかになってしまった片付けも一段落し、リビングへ戻ってきた。
さっきまでの反動もあり、感じたのは静けさ。
今日は2人だったけど、これだけ広いリビングで一人食事を摂るのは、どんな感じなのだろう。
「親御さんがいない日って、結構あるのか?」
「少なくはない、って感じかしら」
ごく当たり前のことのように、真姫は答える。
病院、それもこの辺りじゃ有名な大病院を経営する家庭。
きっと、俺みたいな素人が想像するよりも遥かに忙しいのだろう。
「寂しく、ないのか?」
「平気。 ……もう、慣れたから」
「そっか」
そう答えると、伏し目がちになる真姫。
おそらく、慣れたというのは本当。けど、今の様子からしても、相当寂しいはずだ。
でもきっと、慰めは求めてないだろうし、そんなことをする資格も俺にはない。
だから代わりに、μ'sを応援しようと思った。
音楽という、μ'sという彼女の大事な居場所が長く続くように、無事であるように。
お楽しみいただけたでしょうか?
後編へ続きます。
海未ちゃん推しの方、もうしばらくお待ちを……!
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