うだるような暑い夏の日。
何もしていなくても、汗が噴き出してくるほどの気温。
イヤホンをしていても耳に入ってくる、ミンミンゼミの鳴き声。
昼時のテレビのニュースは、ここ最近続く猛暑日の話題で持ちきりだった。
受験は夏が勝負だなんていうが、こうも暑いと投げ出したくなってしまいそうだ。
今いるのは、最寄り駅の改札前。
コンコースを歩く人々は、涼しい場所を求めているのか、足早にどこかへと向かっている。
電光掲示板に目をやると、そろそろ快速が到着するようだ。
そろそろ、かな。
改札階に上がってくる人が、一人二人と増えてくる。
今日もこの国の電車は、ダイヤ通り運行されているみたいだ。
この駅は、高架上の駅舎に、改札が1ヶ所に固まっているから、待ち合わせで困ることはない。
自動改札機のピッという音がイヤホン越しにも多く聞こえてくる。
キリの良いところで音楽プレーヤーを止め、イヤホンを外すと、都会の喧騒が一気に大きく聞こえてきた。
視線を改札の方に向け、待ち人を探してみる。
……あっ、目が合った。
昼のピークを過ぎた時間帯だけあって、彼女を発見するのにそう時間はかからなかった。
こちらに気付いたからか、少し歩みが速まる。
急がなくていいよ、とジェスチャーで伝えたけど、遅めるつもりはないみたいだ。
「お待たせしました」
「全然待ってないから大丈夫」
夏の暑さのせいだろうか、すこし頬が紅潮している。
肌に張り付いた長い髪が、どこか色っぽく見えてしまい、視線をずらした。
「そんな汗だくで言われても、説得力がありませんよ」
「ありゃ、バレちゃったか」
相変わらず、変なところで鋭い。
家にいてもどこか落ち着かず、早めに来ちゃったからな。
「早めに来たつもりでしたが、悠人の勝ちですね」
「いつの間にそんな勝負してたんだ」
そして、こんな風に意外とお茶目なところもあるのだ。
「……じゃあ海未、
お茶目ついでに、北口と南口を交互に指差す。
「…………」
数秒の黙考ののち、おそるおそる無言で南口を差す海未。
早く答えを、と言わんばかりにこちらを見上げてくる。
「ファイナルアンサー?」
「……ファイナル、アンサー」
「よし、また俺の勝ちだ」
「うぅ、初めてなのに分かるわけないです!」
2分の1の海未の賭けは儚くも散り、俺はそそくさと北口へ歩き出す。
……出会った頃と比べたら、大分打ち解けられたなぁ。
「ああっ、待ってください……!」
◇◇◇
「ただいまー」
「お、お邪魔します」
あまりにも暑かったので、駅を出てから家まで真っ直ぐ帰ってきた。
海未は何やら興味深そうに周りを見回している。
「おかえり、早かったわね…………あなたが海未ちゃん?」
「は、はい!園田海未です!」
待ちに待っていなかった、母親と海未のご対面。
ガチガチに固まっている海未と、何やら楽しそうな母親。
「……悠人が、こんな可愛い子を連れてくるなんて!」
だめだ、目が輝き始めてしまった!
「海未ちゃん!うちの悠人がいつも迷惑かけてごめんね!」
「いえ、そんな…」
「でも根はいい子だから仲良くしてあげて!!」
「こ、こちらこそ是非ぃ」
水を得た魚のように、海未に勢い良く話しかける母。
その両手はガッチリと海未の手を掴んでいる。
案の定困惑する海未だが、真面目な性格だけに何とか対応しようとしてくれている。
「ほら、海未が困ってるぞ」
「もう少しだけ、そこを何とか! あとちょっと!」
このままでは埒が明かないので、母親を引っぺがして自室へ向かう。
「悠人、あんたも隅に置けないんだから!」
「あはは……」
……頭が痛くなってきた。
◇◇◇
「思ったよりきれいな部屋ですね」
「それは褒められてない気がする」
母親から逃げるようにして自室へとたどり着いた。
塾で知り合った子と一緒に勉強する、って言ったらもうずっとあのテンション。
おまけに海未のことを根掘り葉掘り事情聴取と来たもんだ。
普通なら受験生が女の子を連れてくるなんて言ったら咎められそうなのに。
つくづくあの人の思考回路は分からない。
「褒めてますよ、整ってるじゃないですか」
「そりゃあ昨日急いで片付けたからな!」
「それはそんなに威張るところじゃない気が……」
少し困ったような顔で言うと、海未はベッドに腰掛けた。
……普段自分が寝ているベッドだと思うと、少しソワソワする。
今日の海未は、シンプルな白のロングのワンピース。
清楚な彼女らしく露出は抑えているが、それでもこの時期は薄着だ。
日本舞踊の稽古などで鍛えているらしいが、それを感じさせない女性的なラインに、白い肌。
ジリジリと暑い屋外から戻ってきたばかりだからか、額には汗が滲んでいる。
「悠人……? どうかしましたか?」
「いや、何でもない」
不思議そうに首を傾げる海未。
いつの間にか、じっと見てしまっていたらしい。
エアコンのリモコンを操作しながら、誤魔化す。
「そういえば、やっと名前呼びに慣れたな」
「うぅ、それは言わない約束じゃないですか」
「海未から提案してきたのに、全然慣れなかったもんなぁ」
「もう!わざわざ思い出さないでください!」
海未の家にお邪魔させてもらって以降、呼ぼうとする度に躓いてたからなぁ。
その割に『無理して呼ばなくてもいいよ』と言っても
どこかむず痒いんだけど、なかなか微笑ましい光景でもあった。
「そうです、そんなことより勉強です!」
「あ、逃げた」
「何か言いました?」
ちょっとからかい過ぎたかもしれない。
でも恥ずかしさを隠しきれてないから、怖くないしむしろ可愛らしい……なんて言ったらまた怒られそうだ。
そう、あくまで今日の目的は受験生としての勉強。
お互いにフォローし合いながら、各科目の理解度を高めるのが理想だ。
塾で知り合った頃から、勉強に関しては海未をとても信頼している。
何より真面目だし、説明も言葉の選び方も上手いし。
勉強は、決して簡単じゃない。
出来ることなら、やりたくないという人が大半ではないだろうか。
そんな中、愚痴の一つもこぼさずに真面目に取り組める海未は、凄い。
逃げ出したいようなことにも真摯に取り組む事が出来る人は、魅力的だ。
「それじゃ海未、始めよっか」
◇◇◇
普段使っている机だと一人分のスペースしかない。
そのため、他の部屋から簡易テーブルと座布団を持ってきて、向かい合うように座るポジションで落ち着いた。
「…………」
「…………」
お互い無言で、それぞれの問題を解いている。
聞こえるのはエアコンの音と、外から聞こえる蝉の声、そしてシャーペンが走る音。
ふと視線を上げ、真向かいの海未を見る。
もう見慣れてしまった、真剣な表情だ。
使い込んでいるであろう問題集を、黙々と解いている。
さて、俺も集中しなければ。
……
チラ。
…………
チラ。
…………ダメだ、気になって仕方が無い。
この流れ、とてもデジャヴュを感じる。
自分の部屋に、同年代の異性の子と二人きり。しかも、傍目に見ても綺麗な子。
窓を閉めきっているため、普段この部屋からはしないようないい匂いも時折する。
以前海未の家に行った時にも似たような感じがしたし、園田家特有のものなのだろうか?
さっきまで、汗かいていたよな?
どうして女の子って常に良い匂いがするんだろう?
もう一度海未に視線を向けると、先ほど同様の集中具合。
むぅ、俺ばっかり惑わされて悔しいぞ。
ひとまず、この状況をどうにかするために気合いを入れねば。
徐ろに握っていたシャーペンを机に置き、バチン!と両手で頬を叩く。
「ひっ……! 大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない」
「そんな……」
ただただ戸惑う海未。
これじゃ変な人と思われても反論できないな……
◇◇◇
勉強を始めてから1時間半ほど経ったので、休憩がてらリビングに飲み物を取りに来た。
「悠人、海未ちゃんに変なことしてないでしょうね」
「してないってば!」
母は未だに通常営業だ。 悪い意味で。
男友達だったら普通にリビングに一緒に行って飲んでもいいんだけど、海未を連れていったら最後、この人に何を言われるかわからないからな……
結局、氷の入った2人分のコップに麦茶を注ぎ、普段使わないお盆に載せて持って行くことに。
「このお菓子、海未ちゃんにね」
「へいへい」
こっちに長居しても仕方ないので、自室へと再び戻る。
自分の部屋で、海未が待っているというシチュエーションがなかなか新鮮だ。
……これ以上考えるとろくな事にならなそうなので控える。頑張れ俺。
「おまたせ」
扉を開けて中に入ると、休憩中の海未。
さっきまで座っていた位置を離れ、ある一点をじっと見ている。
「
「い、いえ。 触ったこともないですし」
海未の視線の先にあるのは、部屋の隅のスタンドに立てかけてあったギターだ。
言葉に反して、とても興味深そうに見ている。
「弾きたそうな顔してるのに」
「そんなこと!…………なくないですが」
「とりあえず持ってみ、はい」
「こう、ですか?」
何事もやってみなくては、ということでアコギを掴んで海未に持たせる。
チューニングは多分大丈夫だろう。
「ベッドに座った方がいいよ」
「なるほど……」
言われた通り、ベッドに腰を掛けてギターを構える海未。
その姿は思った以上に様になっており、女性シンガーソングライターっぽい。
「おっ、めっちゃいい感じ! 似合ってるぞ」
「本当ですか! ありがとうございます」
本人にその自覚は無いようで、結構嬉しそうにしている。
その勢いでピックを渡し、自分で色々と試してみるよう目で促す。
「ええと、こうでしょうか……」
~~♪
室内に、素朴な6弦の音が鳴る。
左手で何も押さえない状態の、いわゆる開放弦をまとめて弾いた音だ。
初めて持ったであろうピックを、しっかりと使えている。
「うん、いい感じ」
海未の顔が、一気にパッと明るくなる。
……こうも可愛い反応をされると、いくらでも教えてあげたくなってしまいそうだ。
「もっと明るい音はどうやって出すのですか?」
「うーんと、そうだなぁ」
楽しくなってきたのか、今度は明るい音を出したいようだ。
確かに、開放弦を鳴らすだけだと若干暗めの音だし……Cとかがいいかな?
「まず、薬指でここを」
「こう……でしょうか」
「で、中指でここを押さえて」
「中指で……こうですか?」
「そうそう、最後に人差し指でここを」
「えぇ?! 指がつってしまいますよ……!」
「大丈夫大丈夫、もうちょっと伸ばして」
「うぅ、こうですか……?」
ギターを始めて最初に練習するであろう
ド、ミ、ソの音からなるシンプルで明るいコードだ。
「そう、その状態で下5本の弦をまとめてジャランと」
「ジャラン、と」
…………
「あれ……?」
今度は、プチプチと不発気味の音が鳴った。押さえ方が甘く、音が途切れてしまったらしい。
困った顔で海未がこっちを見上げる。
「押さえ方がちょっと弱かったみたいだね」
「どうしたら良いのでしょう……」
「こう、もう少し指を立てられる?」
「えぇと……難しいですね」
どうやらちょっと苦戦気味の海未。
本人はかなり真剣だが、勢い余って指が硬くなってしまっているのかもしれない。
「ほら、こうやって」
「あっ……」
口頭での説明に限界を感じた俺は、海未の手をとって誘導する。
ちょっとというか普通に恥ずかしいけど、それを気にしている場合ではない。
「弦に対して垂直に指を立てるイメージだよ」
「なるほど……」
手をとってみて、初めてわかったこと。
……海未の手は、こんなに小さかったのか。
しっかりした子というイメージが先行していたためか、予想外だった。
色白で、繊細な指先。爪一つとっても、自分のものとのサイズの差に驚く。
無骨な男のそれと、本当に同じパーツであるとは思えないほどだ。
「悠人……?」
「あぁ、ごめんごめん。 そしたら、また弾いてみようか」
「はい! ジャラン、と」
~~♪
「鳴りました!」
「いい感じ、頑張ったね」
再び、海未の顔にパッと花が咲く。
明るいCコードと相まって、喜びがひしひしと伝わってくる。
普段の穏やかな笑みと違う満面の笑顔に、思わず見入ってしまいそうになる。
「私はもう指が限界なので、交代しましょう」
「ん、了解」
◇◇◇
「海未は音楽聴くタイプ?」
「そうですね……歌番組とかはよく見ていますよ」
流れで弾くことになった俺は、ベッドに浅く腰を掛けてギターを構える。
海未は律儀にテーブルの向こうの座布団に小さくちょこんと座っている。
そんなに大それたものを見せられるわけじゃないけど。
「なるほど……じゃあこれとかどうかな」
有名なアーティストのメジャーな曲なら知っていると踏んだ俺は、一昔前のヒット曲を選んだ。
やわらかで透き通った歌声が特徴の、男性ボーカルのバンドの曲だ。
~~♪
アコギ一本しかないので、少しだけ簡略化したイントロを弾く。
どこか懐かしさを感じる、ギターのフレーズ。
「この感じ、聴いたことあります……!」
海未もどうやら分かったみたいだ。
たしかこの曲は、一昔前のドラマの主題歌だっけ?
もっとも、自分たちの世代にとってはあまりそのイメージがないけど。
◇◇◇
~~♪
弾き語りのような形で、1番だけ演奏してみた。
手を止めると、海未が目を輝かせてパチパチと拍手を送ってくれた。
練習していたわけでもないので所々粗があったけど、こんなに楽しそうに聴いてくれると素直に嬉しい。
「凄いです! さっき私が触ってた楽器と同じとは思えません……」
「ありがと、でも練習すれば海未だって出来るようになるよ」
「ふふ、ありがとうございます。 ……でも私は、聴いている方が好きかもしれません」
「そっか、なかなか似合うと思うんだけどなぁ」
その気ならギターを一から教えてもよかったんだけど。
まぁ、楽器は他人にやらされるものじゃないしな。
「それじゃ、勉強に戻ろうか」
「……」
「……海未?」
そろそろ休憩も十分とったので本来の目的に戻ろうと提案したら、
何やら海未が何か言いたげにしていた。
「もし良ければで良いんですが」
「うん」
「……アンコール、聴きたいです」
珍しく海未の口から出てきたお願いは、予想外のものだった。
答えはもちろん――
「よろこんで!」
◇◇◇
「今日は、ありがとうございました」
「こちらこそ、色々ありがとうね」
高かった夏の太陽もようやく沈もうかという頃。
勉強会を終えた俺たちは、最寄りの駅まで来ていた。
家を出る時、母親に色々と邪魔をされたのはまた別の話だ。
そして来た時よりも海未が母と打ち解けていたのが少し気がかりだ……
「それじゃ、気をつけて」
「はい」
感謝と別れを告げると、海未は改札を通り過ぎていった。
やっぱり、後ろ姿だけ見ても、長い髪と清楚なワンピースがよく似合っていると思う。
「悠人」
「うん?」
言い忘れたことでもあったのか、振り返った海未に名前を呼ばれた。
幸いまだ人が多くなる時間帯ではないので、周りにもあまり人がいない。
「また、聴きに行きますね」
「……勉強も、でしょ?」
「ふふ、そうでした」
「お互い頑張ろうね」
少しだけおどけたような顔の海未。
今度こそ別れを告げると、小さく手を振ってからホームへと消えていった。
海未はギターの印象が強かったみたいだけど、勉強も満足するまで出来たし、有意義な1日だったと胸を張って言える。
また、こんな日が何回も続けばいいと密かに願った。
アンコール、お願いされたくないですか?