μ's初のレコーディングも、いよいよ終盤戦。今録っている海未のハモリパートが終われば、あとは大トリの真姫のレコーディングを残すのみとなる。残り時間にはかなり余裕があるので、無事終えることが出来そうだ。
分厚いガラスを隔てた向こう側、レコーディングルームには、ヘッドフォンを付けて真剣に歌入れをしている海未の姿。彼女と知り合って大体2年が経つが、こうして歌う様子を長々と見るのは初めてだ。
……これは誰にも、もちろん本人にも言っていないが、俺は海未の声をかなり気に入っている。何というか、少し低めの、凛々しい声。気高くて、でも嫌味がなく耳にスッと入ってくる声。上手く一言で表せないけど、出会った時からずっとそれは変わっていない。
μ'sのメンバーもそれぞれ個性的で、魅力のある声をした子が多いが、それでも海未のが1番だと思ってしまうのは、以前からの知り合いだからだろうか……?
海未のことはついついからかったり褒め殺したりしてしまうが、このことは流石に恥ずかしくて言っていない。言ったら言ったで顔を真っ赤に染めて抗議してくるだろうけど、こっちがそれ以上に恥ずかしくなるのが見えてるからな。
そんなわけで、海未の歌声をずっと聴いていられるこの時間はなかなかの役得なのである。もちろんこの事は誰にも知られてはいけない機密事項といっても過言ではない……!
ちょうど今は、Mermaid festa vol.1の下からハモるパートの録音中。ボーカルについてはそれほど詳しくないが、海未は腹式呼吸がよくできており、声量のある歌声が特徴的だ。今回の曲の曲調とあいまって、伸びやかな声が心地よい。
「やっぱり海未の声って綺麗よね……」
「さすが真姫、よく分かってるな!!」
「?!」
……
…………
「コホン」
「……誤魔化せてないわよ」
いけないいけない、真姫が何気なく口にした言葉に同感し過ぎて反応してしまった。咳払いで無理やり誤魔化すも、真姫はジト目でこちらを見るばかり。
すまん、いくら真姫といえども、機密事項は流石に話せないんだ。
「……海未の声が好きなの?」
「んなっ?!」
あれ??機密事項とは一体……
「ふふん、それくらいさっきの反応で分かるわよ」
「ナンノコトヤラ」
真姫はまるでいたずらっ子みたいに、口角を上げて攻撃してくる。というか若干したり顔なのはどうしてだろう。悔しいけど、どうやら真姫にはお見通しのようだ。
「先輩って、結構分かりやすいところもあるのね」
「ぐっ、まさか真姫に分かりやすいとからかわれる日が来るとは……」
「ふふ、真姫ちゃんの手にかかればこれくらい余裕なんだから」
得意気な顔で、挑戦的な目線を送る真姫はなんだかイキイキしている。海未のレコーディングが始まったあたりで調子が悪そうだったのがウソのようだ。
『あの……歌い終わったのですが?』
「「あっ……」」
ふと我に返る俺と真姫。ガラスの向こう側では、海未が眉をハの字にして困り顔をしていた。どうやら動揺したり真姫にからかわれたりしているうちに海未の歌録りが終わっていたようだった。
「先輩、しっかりしなさいよ」
「……ハイ」
◇◇◇
「お疲れ様、それじゃ真姫と交代しよっか」
『はい、ありがとうございました』
途中アクシデント(?)もあったものの、海未のレコーディングは無事終了した。次の真姫で、Mermaid festa vol.1のボーカル録りはラストだ。向こうのブースではヘッドフォンを外した海未が満足気な表情で水分補給をしている。
「あとは俺がやっておくから、真姫は向こう行って大丈夫だよ」
「一人で大丈夫?」
「あぁ、ちょっとやることが増えるだけだしなんとかするよ」
「それもそうね」
ここまでスムーズに作業が進んだのは、他でもなく真姫が手伝ってくれていたおかげだ。歌入れの直前まで手伝ってもらうのは申し訳ないので、あとは俺がやらねば。
「……悠人先輩」
「ん?」
「…………」
手元のパソコンでファイルをいじりながら、真姫の呼びかけに生返事で返す。しかし、それっきり真姫の反応がなくなった。少し変に思ったものの、PCから目はそらさずに作業を続ける。
「先輩?」
「……っ! 真姫……?」
突然の真姫の言葉に、思わず声が出てしまった。
なぜなら、その一言は
至近距離で感じる真姫の声に、不覚にも驚いてしまった。そして次の瞬間には、聴覚だけでなく嗅覚でも彼女の存在を感じざるを得なくなる。
さっきまでより密度を増した、真姫の甘く品の良い匂いがほぼゼロ距離で鼻孔をくすぐるせいで頭がクラクラしそうになる。そりゃ耳元で囁かれるほど接近されていたら当たり前なのだけど、急な出来事に思考が追いつかない。
今すぐ振り向いて状況を確認したいが、振り向くということは何を意味するか。
そう、間近にいる真姫の顔と正面から対面することになるのだ。やむをえず、次の真姫のアクションを待つ。
「私だって、歌声には自信あるんだからっ」
再び、至近距離で優しく紡がれる真姫の言葉。それと同時に漏れる吐息。それらをダイレクトに感じ、頭の中が真っ白になる感覚。
前後不覚に陥るような状況で何を返せばいいのか分からなくなってしまう。
その一方で満足したのか、真姫は耳元から離れて後ずさった。
「それじゃあ行ってきます、先輩♪」
呆けている自分を尻目に、防音扉を開けて鼻歌交じりでコントロールルームから出て行く真姫。けれど、去り際にしっかりと見てしまった。
これまで見たどんなときよりも、顔を赤くした真姫を。
……そんなに恥ずかしいなら、やらなければいいのに。
だけど、こんなことを思っている俺も、悔しながらきっと赤面しているはずだ。
◇◇◇
「お疲れ様でした!!」
μ's初の試みであるボーカルのレコーディングも、9人分無事終了した。今はこうしてスタジオのロビーでお互いにねぎらっているところだ。
「録音した音源はこっちの微調整が終わり次第送るからお楽しみに!」
「うわぁ、早く聴きたいなぁ!」
「完成が楽しみだにゃ!」
心から待ち遠しいと言わんばかりの穂乃果ちゃんと凛ちゃんは、まるで姉妹のように思える。それをにこにこ笑顔で見守ることりちゃんは、はたまたお母さんのよう。
「にこのパートはとびきりカッコ良くお願いしますね♡」
「ダメだよにこちゃん!アイドルソングはみんなのバランスも大事だよ!」
相変わらずキャラが立っているにこちゃんと、熱くなっている花陽ちゃん。海未から聞いていた通り、アイドルのこととなると情熱的になるみたいだ。
「悠人、今日はμ'sのためにありがとうございました」
「いやいや、俺に出来ることがあればこれからも協力させてくれ」
「ふふ、こういうときは真面目なんですから……真姫も、お疲れ様でした」
「別に、大したことはしてないわよ。ほとんど先輩がやってくれたし」
謙遜する真姫だが、結構色々なことをしてもらっていた。今日で真姫もいろいろと覚えただろうから、ひょっとしたら次レコーディングする時は真姫だけでも大丈夫かもしれない。
ちなみに、真姫の歌録りのことはよく覚えていない。ちゃんと他のメンバーの時のようにこなしたとは思うけど、あんなことがあったせいであやふやだ。帰ったら音源で確認せねば。
「茅野君、今日は本当にありがとう」
「いえいえ、みんな上手だったおかげでスムーズでしたよ」
「ふふ、ありがとう」
「おっ、絵里ちがいつの間にか茅野くんと仲良うなっとるなぁ」
「の、希!……別にそんなんじゃないわよ」
年長組の絵里ちゃんと希ちゃんは、相変わらず仲が良さそうで何より。……あれ?3年生はもう1人いたような? まぁいっか。
「茅野くん、ちょっと耳貸してくれへん?」
「は、はい」
おいでおいで、という風に手招きする希ちゃん。可愛い。……じゃなくって、一体何なのだろう? 真姫に続いて希ちゃんまで耳元でどうしたのだろうか。
「――――――――」
希ちゃん独特の声で、囁かれた言葉。茶化した口調ではなく、至って真剣なその言葉は、ハッキリと聞き取れたものの、その内容自体はピンと来ない。
「……それってどういうことですか?」
「その時が来たら、でええんよ♪」
囁かれた瞬間とはうってかわって、そこにいたのはいつもの希ちゃんだった。
「希、何を話したの?」
「うーん、絵里ちの秘密?」
「ちょっと、何のこと?!」
「うーそ♪ 別に大したことやないよ」
「もう……」
どうやら、その言葉の意味を教えてくれるつもりは今のところないらしい。これが海未が言ってたスピリチュアルなのか……?
気になって仕方がないが、答えは出そうにないので、一旦置いておくことにした。
今日はいろいろありすぎて、一度整理する必要がありそうだ。
◇◇◇
『まったく穂乃果ったら、後先考えずに注文して……』
レコーディングが終わった日の夜、自室にて海未と久しぶりの通話。あの後μ'sメンバーは打ち上げとして焼き肉の食べ放題に行ったようだ。一応自分も誘われたのだが、9人の団欒を邪魔してもいけないので今回は遠慮させてもらった次第だ。あの賑やかなメンバーのことだし、盛大に盛り上がったに違いない。今になって後悔してるのは言わないことにする。
「そういえば、音ノ木坂はそろそろ修学旅行かな?」
『はい。沖縄まで飛行機で行ってきますよ』
「沖縄なのか、羨ましいなぁ」
高校2年の秋といえば、修学旅行だろう。海未の言うとおり音ノ木坂は沖縄らしく、羨ましい限りだ。沖縄、行ったこと無いんだよなぁ……
『悠人も音ノ木なら一緒に行けたのですが……』
「……今から何とかならないかな?」
『ふふ、ことりのお母様に訊いておきますね』
「いや無理だから!男だから!理事長が困っちゃうだけだよ!」
いつもはすぐツッコんで訂正してくれる海未が、今日は珍しく乗っかってくる。気分がいいのだろうか。
『そうですか……残念です』
「海未さんそれ最初から分かってたじゃん」
『ふふ、どうでしょうか』
やっぱり今日の海未は上機嫌だ。柔らかい笑顔が電話越しにも目に浮かぶよう。
「でも修学旅行終わったら、中間テストだね」
『うっ……現実に引き戻されました』
今度は、しょんぼりしてる顔が浮かぶ。
「そういえば、海未は高校のテストは大丈夫?」
『えぇ、今のところはなんとか。でも最近、なんだか数学が難しくなってきましたね……』
海未のことだからしっかりやっているだろうとは思っていたが、中学の頃も数学が苦手だったからなぁ。とは言っても、あくまで他の教科と比べて、だったが。
海未は文系だから、数IIかな? 確かに、そろそろ三角関数とか指数対数に入るあたりだからなぁ。
「俺で良ければ、また教えようか?」
『本当ですか?! ……でも、悠人の負担になってしまいます』
「今更気にする仲じゃないし、俺は大丈夫だよ」
『それでは、お言葉に甘えても……いいですか?』
恐る恐る、といった感じで尋ねてくる海未。まったく、本当にこの子は真面目だし律儀だよなぁ。こういうときはもっと頼ってほしいな。
「もちろん、OKだよ」
『ありがとうございます……!』
これまた海未がパッと笑顔になるのがわかる。よく聞いてきた海未の声だからだろうか。
『それで、あの……試験勉強なのですが……』
「うん」
『えっと、その……』
「……」
今度は急にモジモジし始める海未。
『や、やっぱりなんでもありません……!』
「海未、こういうときは遠慮しないで頼ってくれたほうが嬉しいんだけど」
『で、ですが!何というか、その……』
「海未」
少々強引かもしれないけど、遠慮はしてほしくないので続きを促してみる。
『じゃあ、言いますよ?』
「うん」
『……また、悠人の部屋でやっても……いいですか?』
返ってきた海未の言葉は、予想外の内容だった。てっきりどこかの店とか図書館でやるものだと思っていたから。だけど返事は、予想以上にさらっと出て来た。
「海未が良ければ、大丈夫だよ」
更新間隔が空いてしまいましたが、レコーディング編ひとまず終了です。
いつも通り誤字脱字報告・感想・評価・○○ちゃん可愛い・その他諸々お待ちしております!