自分の自分による自分の為の物語   作:悪役好き

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オカルティックな陰陽術が、現代科学と戦ったなら……?

 薄めのお洒落なシャツを着て、上には灰色のジャケットを羽織る。下はスラックスのようにすっとしたズボンを履く。姿見をしっかりと見、服装に乱れがないのをきっちりと確認する。それから髪をとかし、結い上げる。しっかりとトリートメントもつけ、なるべく髪が跳ねたり寝癖などがないように整える。今日は伊達メガネをかけようかな、いや今日はいいか。

 そろそろ暑くなってきたことだし、いっそのことこうして一房だけを結い上げるのでなく、ポニーテールにでもしてしまおうか。首元が涼しくなるだろうし……。

 ……いや、それは駄目だ。飛耳長目を目指す自分だ。あくまで中国の言に倣わなくては。まぁ、どうしてもやばそうなら熱中症になる前に髪型を変えることも致し方ないだろう。

 一人でうんうんと頷き、鏡を眺めて髪や顔など一通り眺め回すと、くるりと振り向いた。

「ご主人…………ぷっ、くくく…………」

 ……訂正。部屋に一人でいるつもりだったが、いつの間にか胡蝶が入り込んでいた。

「……胡蝶、部屋に入る時は……」

「あーっはっはっはっはっは!! ご主人僕より女の子みたい! それともナルシスト!? 髪の毛綺麗にして鏡とずーっとにらめっこしてるんだもん! 次はレギンス履いてホットパンツでも履いてみます!? それともファンデ塗ってメイク!?」

 そこにはゲラゲラと腹を抱えて笑う愛らしい容姿の、白髪で、斑状の黒い点が散らばる白いひらひらした服をまとう雅飛の式神がいた。笑うのに夢中で、雅飛が静かにこめかみに青筋を立てているのには気づいていないらしい。

「でも確かにご主人細身だから女の子の格好してもバレないかもね! ちょっと背が高すぎるかもだけど、モデルの女性も背高いしいけるいける! あとはオールバックにしちゃってるからちょーっとご主人おデコが」

「胡蝶」

 雅飛の密かな怒気がこめられた声で、胡蝶は肩をびくんと跳ねさせた。

「…………ご、ご主人?」

「人の部屋に入る時はノックしろ」

「は、はい」

 胡蝶が嫌な汗を垂らしていると、雅飛は目だけが笑っていないまま、笑顔を浮かべていた。

「俺は身だしなみをあくまで清潔にしようとしているだけで、女装趣味はない」

「は、はい」

 徐々に雅飛の拳が震え始めている。雅飛は大声を出して怒鳴ることはないが、あくまで静かに静かにゆっくりとキレるタイプだった。

「で、でもご主人」

「何だ」

「……多分、お綺麗ですよ? 着物貸しましょうか?」

 とうとう雅飛も限界が訪れたのか、雅飛は目をくわっと開いて言った。

「お前と一緒にするな!!!!」

 この時胡蝶は雅飛の後ろに、鬼神を見たと言う。

 

 

「……雅飛、さっき大声出してたみたいだが、どうかしたのか?」

「……なんでもないよ父さん」

 朝食の席で、雅飛はイライラした様子で納豆をかき混ぜていた。あまりの勢いに納豆が器を抑える指についたが、雅飛は我関せずとばかりに納豆に憎しみをぶつけていた。

「……坊ちゃん、納豆に罪はありませんよ」

 珍しく苛立って納豆に八つ当たりする雅飛を見かねたか、波結がなだめた。

「……そうだね」

 白く泡立ち、ふわふわした納豆を一気にご飯の上にあけるとすかさず雅飛は納豆ご飯をかき込んだ。納豆独特の匂いと、醤油とネギの風味が口の中に広がった。

「……ところで雅飛、その、玉の話だが」

 少し言いづらそうにして、雅飛の父親、晴芳は口を開いた。

「にわかには信じられないが……紗苗の事態は一刻を争う。とりあえず、知り合いの住職に聞いてみることにしようと思う」

「……うん、分かった」

 多少の疑心はあれど、ほかならぬ息子の話であったからか、雅飛が真剣に訴えたからか、父親はあちらこちらにいる退魔師の仲間に聞いてくれるそうだった。雅飛は少しだけほっとした。

「ご馳走様。じゃあ、大学行ってくるから」

「行ってらっしゃいまーくん、気をつけてね」

「……母さん、もうまーくんはやめてってば……」 

 多少過保護な母親と、くすくす笑う波結に見送られ、雅飛は大学へと向かった。

 

 

「えー、みなさんプリントは行き渡りましたかー?」

 広い広い教室の、真ん中より少し前の方の席に雅飛は座っていた。きちんとノートを広げ、授業の日付を書き込み、サブタイトルを書き、几帳面にきっちりと整った字でノートを取り始めた。決してプリントに直接書き込むような真似はしない、落書きなんてのはもってのほか、というのが雅飛の授業中の考えだった。

 授業開始から十分ほど経過した時、遠慮がちにゆっくりとドアが引かれる音がした。おそらくは遅刻者だろう、それもカツコツうるさいヒールの音からして女の子。まぁこれだけ受講者の多い授業だから、遅刻者の一人や二人、仕方ないだろう。

 だが、その後しばらく何度もドアは開閉を繰り返し、あまつさえ堂々と扉を引いて遠慮も何もあったもんじゃないような授業の入り方をし、しかも友人を見つけて一応小声とは言えぺちゃくちゃ喋り出す。雅飛はだんだん苛立ってきた。

「(……呪符でも貼ってやろうかあいつら。それとも拉致って百鬼夜行の進行ルートに放り出してやろうか……)」

 心が荒み始め、こころなしか筆圧が強くなった気がするが、それでもしっかりと授業は聞いていたし、ノートもきちんととっている。

 大体遅刻というマナー違反をやらかしておいてよくもまぁ堂々と教室に入ってこれるものだ。それにさっさと席について授業を聞く体勢になりもせず、することと言ったら友人とおしゃべり。バカにしているのか。

 雅飛が下を向いてノートを取っていると、突然扉が勢い良く開け放たれ、大人数がどかどかと入り込んでくる音がした。

「(……どこのバカ野朗共だ!? 静かって言葉知らないのか!? 畜生頭に来た、睨むくらいはしてや――)」

 雅飛が顔を上げると、そこにいたのは映画やゲームでしか見たことがないような、真っ黒な防毒マスクに真っ黒なアーマー、真っ黒な服装に、その手に持った、いくつもの真っ黒な大きい銃火器類。雅飛はそこまで銃に詳しいミリオタというわけではなかったが、サバイバルゲームに興味があったため、彼らの持つ銃が、M16系統のアサルトライフルであると分かった。

「騒ぐな! 妙な動きもするな! 少しでも逆らったら黙らせてやる!」

 リーダーらしきその男がそう声を発する前に、雅飛は本能的に動いていた。それに応えるかのように、現れた式神、胡蝶もすかさず白いキラキラした粉を雅飛と自分の周りに振りまいた。

「ん、オッケーだよご主人! これでもうあいつらは僕達を見れないよ!」

 胡蝶は、その名の通り蝶の式神である。彼の鱗粉には幻覚作用があり、常にそれを自分たちの周囲にまとわせることで、雅飛と胡蝶を「認識不可」の状態にすることができる。問題として、粉をまとう前に撃たれでもしたら意味がないのだが、そこはさすがに修行の成果か、比較的前列に座っていたとは言え素早く行ったためにこの行動には全く気づかれていなかった。

「いいか、この中で宝石を持っている奴は大人しく出てこい! ……一人ずつ確認するからな!」

 それを聞いて雅飛は手早く勉強道具をまとめると、カバンにしまいこんでから堂々と教室を出ていった。その最中、黒い武装集団は誰一人気づかなかった。

 廊下に出ると、びゅうと風が吹きつけてきた。どうやら窓が開いているらしい。慌てて胡蝶と二人で窓を閉め、再度鱗粉をかけ直してもらった。

「これでよし、と。さて、宝石ね。俺の玉を狙っている親玉はどこかな。大口」

 雅飛は廊下に出て、すかさずもう一枚依り代を出した。それに呼応して現れたのは、雅飛とは正反対に、茶色いボサボサの髪を垂らしたツリ目の獰猛そうな雰囲気をまとわせた、「婆娑羅」と呼ぶにふさわしいような姿をした男だった。

「へい、ご主人お呼びで……ってぐぇあ! いってぇ!!!」

 何故か現れた途端、鼻と目を抑えてうずくまってしまった大口を見て、雅飛はぽかんとした。ちなみに当然だが、雅飛と胡蝶に特に変化はない。

「ご主人今度は一体何を相手にしてんですか!? 刺激臭やべぇぇ!! うああ臭いなのに目にもクルッ!!」

「……あー、なんか、ごめん、大口」

「んー、僕はよく分かんないよー。僕が女の子だったらもうちょっと分かったかも?」

 胡蝶はこう見えて男だ。どう見ても可愛らしい女の子にしか見えない上、本人は女の子に間違われると喜ぶ。それに何故かしょっちゅう雅飛に女装させたがるので毎回雅飛はそれをかわすハメになっている。

「カマ野郎はともかく、ご、ご主人が気に病むこたぁねぇんですぜ」

「あーっ! 大口わんわん、また僕のことオカマって言った!」

「テメェ誰が犬だコラ!? 狼だっつってんだろうが! テメェのご自慢の羽根食い千切るぞ!?」

 ……そして、大抵この二人は揃うと喧嘩しだす。喧嘩するほどなんとやら、なのだろうが、正直術者の雅飛にとっては迷惑千万だ。

「……喧嘩するな。大口、その刺激臭ってどっから流れてる?」

「ふぁ、ふぁい。こっちですぜ……うう、目が、目がぁぁ」

 大口は目をごしごし擦りながら、雅飛を道案内し始めた。

「……せっかくだから、ご主人、はい!」

 ふと胡蝶が差し出してきたものを見ると、非常にどこかで見たことがあるような気がする防毒マスクがその手に掲げられていた。

「……胡蝶、それどこにあったの」

 一応かぶりながら胡蝶に聞くと、胡蝶は笑顔で指さした。そこには廊下に立っていて見張りをしていたであろう男が、涎を垂らして踊っていた。

「マスクを外して、慌ててる間に僕の鱗粉で夢見させたの!」

「……相変わらず麻薬並みだなぁ、お前の鱗粉」

 幻覚作用のある鱗粉を直接鼻から、大量に吸えばとんでもない幻覚を見るはめになる。胡蝶の武器の一つだった。

「……胡蝶、ご主人が被ってるようなの、俺の分は?」

「ないよっ!」

「畜生、後で覚えてろよ……!」

 大口は涙を流し始めながらひいひいと大分苦しそうに口で息をしていた。

「ところでご主人も鱗粉吸う? 麻薬と違って中毒性も常習性もないからあんぜ」

「いらねぇ」

 

 

 大口が案内した先は、割りと最近新しく建てられた構内のビルだった。

 もうボロボロと涙をこぼしっぱなしの大口が何だか可哀そうになってきた雅飛は、一度彼を引っ込めることにした。

「一度戻っていいよ大口、ごめんな」

「い……いえいえ、お役に立てずすいやせん……あ、臭いの元はここの4階から6階くらいっぽいっす。じゃあ失礼しやす……」

 大口は真っ赤になった目から涙をダラダラ流し、鼻水もひどそうで、なおかつ辛い辛いと道中連呼していた。

「……辛くて刺激物入りの毒ガス?」

「……んん、なんだか僕もピリピリするよぅ」

「ごめん胡蝶、今お前に消えられると辛いから消えないでほし」

「だから僕もマスクかぶるね!」

 どこから取り出したのか、胡蝶はかぽっとマスクをかぶった。

「……それはどこで調達した?」

 再び胡蝶が笑顔で指差す方向を見ると、同じように頭がお花畑になった男がいた。ただし、目から涙を流して涎も鼻水も垂れ流しというひどい有様だったが。

「……ここそんなに刺激臭すごいんだなぁ……」

 雅飛はもう突っ込みを入れるのも諦め、外を経由してここに来たため何度も途中鱗粉をかけ直してもらっていたが、改めてもう一度念の為に鱗粉をかけてもらうと、建物に入り階段を静かに上っていくことにした。エレベーターではあっさりと挙動がバレてしまうからだった。

 

 

 そっと階段を上っていき、二人は五階についた。四階までは何もいないということを確認したので、上に上がってきたのだ。

 すると、すぐ近くの廊下で話し声が聞こえた。どうやら武装集団の幾人かが集まって話をしているらしい。

「しっかし、一条博士も人使いが荒いよな……」

「ほんとにな。こんだけやってて何探してるんだあの人は」

「さぁな。俺たち下っ端には分かんねぇよ」

 雅飛と胡蝶はその横をすり抜けていったがやはり気づかれることはなかった。四階までにはせいぜい見張りが一人くらいしかいなかったのに、この階にだけ五人も集中しているのは不自然だと思った雅飛は、恐らくこの階に親玉がいるのだろうと予想した。だが、どの教室にもそれらしき様子は見えない。

「(待てよ? そういえばここの五階って確か……」

 雅飛は壁にある地図を見た。この狭い屋内に親玉がいるのなら、何故少し離れた位置にある、古い方の校舎にまで刺激臭が届いた? 理由は簡単だ。あの時、旧校舎は窓が開いていた。それにこの新しいビルの五階にある、特殊な設備。

「ビオトープ……!」

 そう、このビルの五階にはビオトープがあった。ビオトープと言っても、実質小さな庭園のような様相であったが、そこならこの建物にいながら刺激臭をまき散らす事ができる。

「一条博士、って言ってたな。化学薬品かなんかに造詣が深い人なのかな」

「なんで化学薬品なのご主人?」

「ん、ほら毒ガス? 撒いてるみたいだし」

 そう言いながら雅飛はビオトープへの扉を開けた。風が少し強めに吹き込んできた。一応慎重に進んでいくと、そこには白衣を着た男が何かを掲げるように両手をかざしていた。

「ほう……なるほど、これにはこういった能力があるのだな……」

 マスクをかぶっている雅飛たちとは違い、その男はマスクをかぶっていなかった。この刺激臭の中、彼は何故か平気な顔をしていた。

「さて、そろそろ来る頃だとは思っていたぞ」

 くるりと振り返り、その男は雅飛の方をしっかりと見て言った。

「え、僕たちが見えてるの!?」

 雅飛はその理由に気づいていた。これだけ風が強いのだ、きっと鱗粉が飛ばされてしまい、幻覚作用を失ったのだろう。一見便利な能力に見えて、屋外でだけは使えないという弱点があるのだ。雅飛はそれを忘れていたわけではないが、うっかり忘れていたらしい胡蝶が身を乗り出し過ぎたこともあって見つかってしまったのだろう。

「ほう、それはどういうことだね? よもや魔法使いというわけではあるまい?

「似たようなもんだけ、あうう」

 余計なことを言いそうな胡蝶の口を塞いでやりたかったが、マスクのせいでそれも出来ない。雅飛は代わりに胡蝶の首根っこをきゅっと掴んだ。

「ほう……ぜひとも研究させて欲しいものだな!」

 ニヤリと笑うと、その男は小さめのボウガンを取り出し、胡蝶を撃ちぬいた。

それに一瞬遅れ、雅飛は懐から出した反射の呪符を地面に貼った。

「なんだねそれは? 気になるな。札のようだが? まさかお遊びで紙を出したわけじゃあるまいな?」

 とても興味深そうに、白衣の男は目を輝かせた。そして、今度は雅飛に向けて矢を放った。

 すると、放たれた矢は何もない空間に刺さったかのように止まり、そのままずぶずぶと何もないところに飲み込まれていった。矢がすべて消えてしまったと思った途端、飲み込まれていった場所から矢が撃たれた勢いをそのままにして放たれた。もちろん、白衣の男に向けてだ。

「ぐっ……! ほう! 素晴らしい! それがその坊やの言っていた『魔法』とやらか! いやはや! 札を使っているということは陰陽術の類か!? なるほど、私はボウガンを使ったが確かに矢を射た! これは返し矢という物だな!?」

 白衣の男はまともに矢を受けた。皮肉にもその矢傷は胡蝶と同じで腹を貫かれていた。傷口からはじわじわと血が滲み出し、白衣を赤く染めていく。それなのに、目の前にいる男は笑っていた。腰を曲げたりして痛がるような素振りを一切見せず、堂々と立って拍手までしてみせた。雅飛は、命の危険に晒されてなお、幼気な少年のように好奇心旺盛な光を目から消さないでいる男を見てゾッとした。

「ご主人……痛いよぅ……」

 足元に倒れ伏している胡蝶がそう弱々しく呟いたのを聞き、雅飛は助け起こしてやりたくなったが、今白衣の男から目を離したら何が起こるか分からないと思い、気を張りながら頭の中で次の一手をめまぐるしく探り続けた。

「どうして私がぴんぴんしているのか不思議に思っているだろう? 簡単なことだ。麻酔を打ったからだよ!」

 そう言うと、男はトランシーバーを取り出し、ノイズの響いたトランシーバーに向けて言った。

「各隊、最低人員を残し、本部へ帰還せよ。目標人物、本部にて存在確認。通信確認した者から順に応答せよ」

 ノイズがジャッと鳴り、何度も何度も「了解、帰還します」とトランシーバーが繰り返した。

「さて……おや?」

 白衣の男前から、雅飛はすでに胡蝶と共に姿を消していた。

「ククク、あの一瞬で気取られず逃げるとは。若い身ながら素晴らしい! 隠れん坊か、久々に童心に返ってみるとしようか?」

 そういうと、男は悠々と室内へと入っていった。

 

 

「ハァッ……ハァッ……」

 雅飛はあの一瞬で一度胡蝶を元の姿に戻し、気配を消す術式を不完全ながらもかけて逃げていた。この術式がきちんと発動すれば、胡蝶の鱗粉に頼ることもなくなるのだが、まだ未熟な雅飛は胡蝶に頼る面も多かった。

 ふっと胡蝶が一度だけ人の姿に戻り、なけなしの気力を振り絞って鱗粉を雅飛にかけた。

「とりあえず、これで、しばらく、だいじょうぶ、だからね、ご主人」

 痛みはひどいようで、途切れ途切れにしか喋れないらしく、胡蝶は区切るようにして声を出していた。それでも健気に、雅飛に向かって微笑んだ。

「……ありがとうな胡蝶。今休めるところ探すからな」

 そう言うと胡蝶のいたところには、再び羽根をわずかにだけ動かす、力なく横たわった白地の羽根と黒の斑の模様の蝶が現れた。雅飛はそっと手で胡蝶をつまみ、すくいあげると、残された胡蝶のマスクと、腹部に刺さっていた矢をジャケットのポケットに入れ、走って逃げた。幸い、武装集団はまだ集結してはいないらしく、誰も雅飛に気づいていなかった。

「とにかく外へ……いや、ダメだ。外は風が強いから鱗粉が飛ぶ。……ってことは俺、この建物から出られない!?」

 雅飛にとっての不幸は2つ。1つは、この建物は大学構内で独立して建っており、一階の連絡通路からのみ他の校舎に向かえる。しかし、その連絡通路は壁などなく、吹きっ晒しのスロープと階段しかない。この建物から他の場所に向かおうとすると、どうしても外に出ることになる。そうなればまず間違いなく胡蝶の鱗粉は飛び、今この建物に集まりつつある武装集団に見つかる。そうなったら恐らくその場で撃たれるか、よくても先ほどの白衣の男の元に送り返されるだろう。何にせよ、捕まったらまず無事ではいられない。たとえ玉を素直に渡したとしても、だ。もう一つは、この建物は26階建ての大きな建物であるが、大きいのは縦にだけで、横は実はそれほどでもないということ。内部にあるのは主に授業用の教室や、教授たちの研究室で、唯一ありがたいのは診療所があることくらいだが、教室などで面積を取っている分、狭い。ガラスは基本的にすりガラスなので、一見して姿がバレるなどということはないだろうが、移動はエレベーターでの縦の移動となる。鱗粉は雅飛には効くが、さすがにエレベーター丸々一基、それに各階層のエレベーターの移動表示までは効かない。つまり雅飛は強制的に階段を使わざるを得ないの

だが、果たしてどこまで体力が持つか……。

「……一旦、診療所目指すか……」

 雅飛は現在五階におり、診療所は三階にある。近いのと、胡蝶を休ませたいということから雅飛は階段をゆっくりと降り始めた。

 幸い早朝の授業中という時間帯であったためか、授業用の教室のない三階には誰もいなかった。雅飛はまっすぐに診療所を目指し、そっとドアを開けた。

 診療所は営業時間内だったが人がいなかった。どこかに集められているようだ。飲みかけのコーヒーがそれを物語っている。

 奥のベッドに胡蝶を寝かせると、胡蝶は羽根を少し羽ばたかせて鱗粉をまいた。ベッドにいくらかかけたので、これでベッドとそこに寝る胡蝶は認識されなくなる。目に映っても、それがベッドであると認識出来ないように。

「ごめん胡蝶。今はここで寝てて。必ず後で迎えに行く」

 小さな白い蝶は、弱々しく羽根を震わせた。

 雅飛は診療所から出ると、雅飛は携帯を取り出した。

「……え、圏外?」

 地下にいて、なおかつ電波を受信するのが弱い携帯ならまだ分かる。しかし雅飛の携帯はやや機種が古いとはいえ、電波を受信する力は比較的強い。それに今いるのは屋内とはいえ、地上3階だ。

「……創作でしか見たことなかったけど、妨害電波って奴かな……」

 携帯が使えないとなれば、次なる連絡手段は消防署だ。すぐ見つけることの出来た赤いボタンを強く押す、が全く反応がない。ボタンを押した手応えはあるのに、あの耳にうるさいベルの音が鳴り響かない。

「……これもダメか」

 となればもう、雅飛の選べる選択肢は一つしかなかった。

 

 

「さて……彼の玉は一体どんな力があるのかな? とても楽しみだ」

 白衣の男、一条博士は私兵をすでに各階層に配置し終えていた。蟻の子一匹たりとて逃さないとでも言うような、厳重な警戒ぶりだった。

『報告します! 25階、レストランにて目標確認! 交戦ちゅっ……』

 一瞬トランシーバーががなりたて、すぐさまその声は消えた。

『どうした!? 何があった?!』

『こ……こちらベータ部隊! 隊員の半数以上が動けなくなっ……うわああああ!』

『どうした!? ベータ、応答せよ! 応答せよ!』

 次々とトランシーバーが会話を受信していく。25階に次々と部隊が集まっているようだった。

「ふむ、彼が動いたかな。」

「は、博士、どうしますか?」

 不安そうな声で、傍に置いていた私兵たちが問う。

「おそらくは陽動だろう……だが何をしているのかも気になるな。……五人ほど残れ! 他は応戦しに行ってやれ」

 一条博士のその一言で、部下たちは五人を残し、ほとんど全員がエレベーターを使って登っていった。

 そうして一度、シン、と静まり返ってから、すぐに残った五人は、上から降ってきた二つの影に倒された。瞬きをする間もなく、二人は噛まれて昏倒し、三人は殴り倒されて気絶した。

「ほぅ! 式神、という奴かね? 君は噛み付いていた、ということは蛇かな? そちらの君は……あーなんだろう。分からんなぁ」

 加賀智と大口の二人が、五人をあっという間に捌いたのだった。

「なんだこのオッサン……」

「気持ち悪ぃったらありゃしねぇなァ?」

 そう言うと、加賀智はすかさず防毒マスクを被った。彼の武器である麻痺毒を扱うには、マスクを被ったままでは都合が悪かったのだ。

「ほうほう、防毒マスクを奪ったか。さて、ではこれではどうだろうな?」

 そう言うと、一条博士のネクタイピンが輝き、何やらシュウシュウという小さな音が聞こえてきた。

「ああん? 何やって……」

 大口が最後まで言い終わらない内に、彼はその場に倒れこんだ。

「大口!? お前何……」

 加賀智もそれに続くように、倒れこんでしまった。

「クク、ルイサイト、という毒ガスはご存知かな? これはなんともマイナーではあるが、即効性は折り紙つきでねぇ……喉が焼け付くように痛むだろう? これは嘔吐感や、咳、くしゃみなどを伴う場合もあるのだ……」

 言い終わるが早いか、大口は咳をし始めた。加賀智はひたすら臭いから逃げ回ろうとするが、何故か風の強い屋外であるというのに、臭いは拡散しないままだった。

「これは特殊なガスでね……防毒マスクなどは通り抜けてしまうのだよ……」

「……自分の部下もいるのにか」

 ふと一条が倒れ伏した二人から前へと視線を移すと、そこには堂々と立っている雅飛の姿があった。

「おや、この毒ガスの中平気なのか?」

「アンタもでしょう」

「ふん、フグが自分の持つ毒で死ぬか? 残念ながら私は陰陽道に明るくはないが、まぁ結界の類でも自分の周りに張っているのかな……」

「……なるほど、これがアンタの能力なんですね。……化学薬品を作り出す能力、とでも言うんでしょうか」

 一条はそれを聞くと、パチパチ、と拍手をした。

「頭のいい子は私は好きだぞ」

「それに、作り出した薬品はある程度散布範囲を操れる……」

「そうそうそのとおりだ。ふむ、出来がいい子にはご褒美をやらねばな」

 雅飛がそれを聞いて警戒しようと思った途端、自分の後頭部にひどく強い衝撃を感じた。とっさにポケットに入れてあったヘアゴムから玉を抜き、手に握りこむとうつ伏せに体を丸めて倒れこんだ。

「ったく、このガキ!!」

 薄れる意識の中、強い衝撃が熱を持って腰の辺りに走った。そうして次々と、体のあちこちに熱が走る。

「こらこら、お前たち。かよわい少年をいたぶるものでない。早く玉だけを奪え」

「ですが、博士! こいつしっかり握りこんじまって離しやしない!」

 どうやら別働隊が戻ってきてしまっていたようだった。徐々に熱は痛みに変わっていく。今や雅飛は後頭部に一番強い痛みを感じ、じわじわと他の熱を持った部分も痛みに変わり始めていた。全身に与えられる痛みに必死に耐えて、たとえここで死ぬようなことがあっても玉だけは渡すまいとしていた。

 これがなければ、妹を救えない。たとえ自分が死んだとしても、しっかりと持っていれば父の手にいずれ渡るだろう。

 雅飛は体を無理やり仰向けにされるのを感じ、執拗に玉を握りこんだ両手を殴りつけられたり、無理やり指を開かせられようとしているのを感じた。

「(命なんてくれてやる……でも、玉は、これだけは持っていくな!!)」

 ぐ、と力をこめたが、あちこちに鋭い痛みが走り始め、息をするだけで激痛が雅飛の体に走った。いよいよ限界も近かった。

「(く……そっ…………!!!)」

 とうとう雅飛の両手が開かれ、玉が露わになった。玉は深い透き通るような青い色に輝いていた。

「が、ボッ…………」

 雅飛の玉を奪おうとしていた男の一人が、突然もがき苦しみ始めた。必死に両腕を天に向かって振り回し、そして倒れた。それに続くように、今まで雅飛を攻撃していた部隊の者たちは次々と同じようにばたばたと倒れていった。

「ほぅ……!」

 ふと雅飛が目を開けると、何やら視界が歪んでいた。

 いや、違う。これは雅飛の目がおかしくなったのではない。雅飛の周りには、水の膜が出来ていた。内部の空気も新鮮な物のようだった。同じように、大口と加賀智の周りにも水の膜が出来ている。倒れている男たちのマスクの下からは、水がじわじわと染みだしてきているようだった。

「水を操る力かな? ……どうもその様子だと私の能力も効いていなさそうだな。ふむ。いいだろう。ここは一旦引くとしよう」

 そう言うと、トランシーバーに向けて一条は「全員退却!」と指令を出した。

「今日のところは少年、君の勝ちとしてやろう。では、また会おう!」

 そうして、一条は悠々と歩いて行ってしまった。一条がいなくなり、毒ガスが消えたのか、大口と加賀智が水の膜を通り抜けて雅飛を助け起こしに来るのが見えた。

「……もう会いたくねぇよ…………」

 ボソリと雅飛はつぶやき、ようやく意識を手放した。

 

 




第七話です。

ようやく物語が回り始めた気がします。次もまた既出のキャラが主人公です。

しかしジョジョの方ばっかし取り組んでしまっていまいち嫁ロワ進んでないですね……。いかんいかん。もうストックがないぞ。
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