魔都聖杯奇談 fate/Nine-Grails【中国史fate】   作:たたこ

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1月22日 雷剣英と雷の家

 結局事をし終えたあと、セイバー――鈴季と剣英は余韻もなくソファの上で爆睡していた。眠るのはセイバーの方が早く、その早さは剣英が驚くほどだった。しかし蒼白だったセイバーの顔色が良くなり、出血も止まったのを見て取って彼は胸をなでおろした。理由は全く不明だが、「交わることで傷が治る」と言った彼女の発言は本当だったわけだ。

 

 そして夜が明けた早朝、電気をつけっぱなしにしていたために明るい室内で、セイバーと剣英はソファの上で焼きもしていない食パンを食べていた。ここはエリーの家のため、食事も英国仕様のものが多い。暖房を昨日から入れっぱなし、かつお互いにくっついたままで冬の朝でもそれほど寒くはなかった。ちなみに、二人とも全裸のままである。

 

「全く交合で魔力も因果線もどうにかるたぁサーヴァントは楽なもんだね。しかし君、マスターでも魔術師でもないのに私と契約ができるのはどういうことだ?というか、君自分が何に首ツッコんでるのかわかってる?」

 

 恥じらいも色気もなく、鈴季ことセイバーは口をもぐもぐと動かしながら剣英に問うた。しかしそんなことを言われても、剣英は自分が「マスター」であるとも思えず、「魔術師」であるとも思わない。昨日あの公園へ突撃したのも、料理屋からさっさと立ち去ってしまったセイバーを探して公園近くを通りかかった時、あの戦闘を見たからだ。

 

「知らん。昨日のアレは何……」剣英はそこで一度口を噤んだ。「……もしかして、あれが九鼎戦争ってやつなのか?」

「知ってんのかい!!」

 

 知っていると答えたのに、なぜかセイバーは余計に混乱の中に叩き落とされたようで、胡乱な目つきで剣英を見つめた。しかしすぐに何かに思い至ったようで、まさかという目で剣英を見返した。

 

「……そういえば、君姓は雷だったよね」

「そうだ」

「……この九鼎戦争は、今のこれが一回目じゃない。十年前にも起きてて、その時の優勝候補の一角に雷家っていう魔導の家がいたんだけど」

「ああ。多分俺はその雷家の一員だ」

 

 雷家の使いが九鼎戦争に参加しろと言ってきたから、わざわざ日本から上海に戻ってきたのである。そう剣英は素直に答えたのだが、却ってセイバーは苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。

 

「だのになんで君はそんな戦争初心者ですみたいな顔してんだ?」

「俺は雷家の人間だけど、ずっとこっちで育ってきたわけじゃない。言ったと思うが、六歳か七歳から日本の山奥で生活してた」

 

 剣英にとって、日本に渡る前の記憶は薄い。上海に既視感があるかと聞かれればあるようなないようなうつろさで、日本に行くまで上海で育ったかどうかも怪しいと思っている。雷家にどんな人間がいたかもよく覚えていない。

 ただ八極拳の真似事は日本に渡る前からさせられていたと記憶しており、その先生のことはよく覚えている。確か李書なんとかという名前だった気がするが、先生としか読んでいなかったから名前は覚えていない。我ながら覚えていないこと尽くしだと、剣英は呑気に思った。

 相変わらずセイバーはげんなりした顔をしていたが、剣英のからだをしげしげと眺めて言う。

 

「……体を見るところ令呪みたいなものはなかったし……そんなに知らないところを見ると君は雷家の正式なマスターの補佐をするために呼ばれたのかもしれない」

「そうなのか。そういえばそうだったか?」

「いや知らんわ。もうこれは雷家に乗り込んだ方が早いな」

 

 でも本マスターがいるなら、私まで一緒に行くのはちょっとまずいかなどと言いながら、セイバーはひらりとソファーから立ち上がった。隣の部屋へつながる扉を開くと、がさごそと音を立てて何かしている。あっという間に昨日と同じ旗袍に身を包んだセイバーが姿を現した。

 

「ホレ君もブラ下げてないでさっさと着替えな。雷家に行って話を聞こう。君がマジで一般人ならともかく、雷家なんてもんが控えているなら放っておくのも事だ」

「お前、雷家知ってるのか」

「悲しいことに君の話を聞く限り、君よりは知ってると思う」

 

 剣英は脱ぎ捨てていた功夫服をさっと身に着けると、洗面所の場所を尋ねて軽く顔だけ洗った。事の後にも拘らず、セイバーは微塵の怠さも見せずに既に玄関前で剣英を待っていた。セイバーは首の動きだけで剣英を促し、彼もそれに続いた。

 

 

 上海の冬は通常運転――つまり、エリーのマンションがある共同租界は整然とした街並みを保っていた。まだ朝の七時を回った程度で、このあたりに住むイギリス人やアメリカ人はビジネスタイムには至っていない。見かけるのはそれらの屋敷で使われている中国人らしき人々が、洗濯や掃除をしている様くらいだった。

 貿易の為に上海に来たイギリス人やアメリカ人、フランス人は朝十時頃から出勤し、午後四時を迎える前にはバンド周辺のオフィスから退社して余暇を楽しむ優雅な生活をするものが多い。

 テニスやティータイム、そのような文化的生活をするのも同人種とであるため、様々な人種が入り乱れるこの上海と言えど、社交の場は案外閉鎖的である。

 

 閑話休題。朝の凍てつく空気が徐々に和らぎ始めた街を、セイバーと剣英は速足で歩いていた。セイバーは赤い旗袍一枚、剣英も丈夫な功夫服一枚と実に薄着であるが、二人は全く意に介さない。サーヴァントであるセイバーはともかく、剣英も寒さには強いようだ。

 歩きながら、セイバーは公園に放置してきたエリーの死体について考えたが、おそらくもうないだろうと思った。宝具の激突の余波で吹き飛ばされてしまっただろう。それはそれと置いておいて、これからのことだ。セイバーは軽く戦争について話をすることにした。

 

 

 

 九鼎戦争。大本は中華民国より東、海を渡った日本の地にて開催される聖杯戦争――それを換骨奪胎して再構成したものが、この地における聖杯ならぬ九鼎。夏王朝の始祖禹王が中国全土に命じて集めさせた青銅をもって鋳造したもの。

 生前に偉業をなした人間は、死後『英霊の座』に引き上げられ、人間の守護者となる。実在、架空に関わらず人々に信じられてさえいれば、人間の想念によって『英霊』となる。魔術師はこの『英霊』という、この世の外側にある精霊のような存在を現世に呼び出し、使い魔(サーヴァント)として使役して殺しあう。そして最後に残った一組だけが九鼎を使用し願いを叶えられるという、バトルロワイヤルだ。

 一度の戦争で召喚されるサーヴァントは七騎、セイバー・ランサー・アーチャー・ライダー・キャスター・アサシン・バーサーカー。そして一クラスにつき一つの英霊と決まっている。しかし、昨日男でセイバーと名乗る者がいたとおり、この戦争には二騎のセイバーが存在する。つまり、片方は正規のセイバーではない。

 

「この戦争は、今から十年前にも起きていた。私はその時召喚されたセイバーで、それからずっと現界を続けている。正規のセイバーはあっちなのさ」

 

 昨夜、颯爽と赤い甲冑に身を包んで現れたセイバーは、劉文叔と名乗っていた。だがこの国の歴史に疎い剣英が「お前は誰だ」という感想しか抱いていないことは、セイバーも既知であった。案の定、彼は思い出したようにそのことを訪ねた。

 

「そういえばリューブンシュクって誰だ?その英霊ってのになるんだから、すごい奴ではあるんだろうが」

「簡単に言えば後漢の建国者。皇帝、大昔にこの国で一番偉かったヤツって思っておけばよし」

「わかった。だけど、お前はなんで十年も現界をし続けているんだ……」

 

 そこで何か思い至った剣英は、はたと顔を上げた。「最後に生き残ったヤツだけが願いをかなえられるってことは、お前は前回の戦いの勝者なのか」

「それならどんだけいいか」

 

 セイバーは大きくため息をついた。「残念だが私は勝者じゃない。それどころか、前回の戦いがどういう決着をみたのかもわからない。でも多分、前回の戦いで願いを叶えた者はいない」

 

 これはセイバーもエリーから聞いたことだが、戦争開始のための魔力を溜める時間はおよそ六十年周期だという。これは模倣元の冬木聖杯と同じらしい。しかし、此度の戦争は前回から十年しか経っていない。これは、前回分の魔力が願いを叶えることに回されず残り、再充填の時間が短縮されたためだ。

 

「私逃げるのは得意だから、前回わりといい線はいってた。だけどホントの最終局面にはたどり着けなかった。ちなみに九鼎はこの世の内側で完結する願いなら、他サーヴァントを全滅させなくても叶えられる。つまり、前回本当に最終局面までたどり着いたヤツの願いはこの世の内側で完結するものだから、私のことは捨て置いてもいいと思っていたんだろう。それで私は生き残った」

 

 セイバーは世界の内側、外側の話は気にするなとことわり、かつサーヴァントを皆殺しにする必要のある願い――根源に至る――を知っていたが、このさい関係ないため省いた。剣英は頷き、理解の意を示した。

 

「お前が生き残ったわけはわかった。じゃあ、なんでお前はこの戦争で戦う気なんだ。何か叶えたい願いがあるのか」

「願いはあるけど、長い話だから今度話してやる。で、問題は君だ」

 

 エリーのマンションから出てきてから、概ね南にむけて歩いてきていた。既に租界のはずれにまで歩いてきており、そろそろ徐家匯という、まだ開発の進んでいない区域に入る。租界と比べれば、人通りも遥かに少なく樹木が林立している区域だ。

 あと少しで雷家の拠点周囲に広がる、結界のセンサーにかかるであろう。そこでセイバーは足を止め、剣英に向き直った。

 

「君は私と、九鼎戦争を戦う気があるのか?」

「ある」

 

 寸分の躊躇いもなく、剣英は即答した。だからセイバーはさらに問いを重ねる。

 

「死ぬかもしれないぞ。昨日みたいに」

「別に構わない」

「何か叶えたい願いがあるのか」

「ない。強いて言えば、昨日のランサー?みたいな強い奴と戦いたい」

 

 セイバーはじっと剣英の顔を見据えた。背は既に百八十を超えた長身の青年の表情は、真顔で固定されて変化がない。嘘をついているようには、見えない。

 

 男という生き物は、生まれながらに最強という呪いに取りつかれている。強い雄が多くの雌を得て多くの子孫を残すという自然の理論からすれば、わからないこともない。

 しかし人間とサーヴァントは、例えればアリと人間。人間の身でサーヴァントと戦うことは、最強を志すことでもなんでもなく、単に自殺行為である。

 

 しかし目の前の男は、押され気味とはいえ、ランサーと渡り合って見せた。

 

「人間だ。混ざりものがあるらしいが」――と、昨日剣英は言った。

 雷家の正式マスターを補佐する為に使わされた人間――これが、今セイバーが考えている剣英の立ち位置である。仮にこの説が正しいとして剣英の言葉を考えると、彼はむしろ「雷家を助けるために造られた人間」ではないのだろうか。

 

 そう考えれば、剣英が腕っぷしに優れても学がないことにも納得はいく。魔術には金がかかるもので、それを代々受け継いでいくのだから自然魔導の家は地主や名家が多い。同時にそれは学があることを示す。雷家ほどになれば全員が科挙合格……とまではいかずとも、合格者に負けないくらいの勉学はしてしかるべきである。

 しかし、単に戦わせるだけのモノに学は不要である。むしろ読み書きを覚え、書物から様々な見識を得てしまうと、思いもよらぬ思考をしてしまうようになるかもしれない。

 

 だから武術を教えても、学を与えない。山に閉じ込め、修行に専念させる。

 戦うことそれが全て。強ければ生き、弱ければ死ぬ。

 

 セイバーは改めて剣英を見据え、再び口を開いた。

 

「……昨日、君は私を助けてくれたけど、あれは何故?」

「俺がお前を好きだからだ。死なせたくなかったからだ」

 

 照れも恥じらいもなく、剣英は正々堂々、まっすぐに答えた。しかしその愛の告白というべきものに恥じらうほど、セイバーはうら若く純粋にできていなかった。

 

 ――これが、人間の部分か。

 

 戦うことだけで生きてきたのなら、それ(・・)は不要である。あるいは子孫繁栄という意味では、動物のそれかもしれないが――。剣英も自覚していないだけで、それは恋や愛とは全く違うものかもしれないが――

 

 

 

「よしわかった。ならば剣英、お前は儂の剣として戦え」

 

 

 皇帝の鋳型は、それでも彼を是とした。

 

 人間に何を混ぜたか。魔獣か、霊か、神か。セイバーにはわからない。だがそれでも人間ならば、どうにか使いこなしてみせる(・・・・・・・・・)

 仮にこの男が獣であったとしても、彼女の結論は変わらなかっただろう。彼女に猛獣使いの経験はないが、生前、天下取りも四十過ぎてからの話だった。人生死ぬまで、いや英霊になってからも学習である。今あるものでどうにかし、必要ならば力を身につけてみせる。

 

 それに剣英自体は、サーヴァントと戦えるという意味では悪いマスターではない。希望的観測だが、これから雷家で話を聞き剣英自体のことを知れば、もっとサーヴァントに戦闘で肉薄できる可能性もある。その上雷家自体は金持ちかつ魔導の家柄で、イギリスからこちらにやってきたエリーよりも物資量で遥かに上回っている。本拠は上海ではないため開催間近になるまで雷家のマスターを見られないが、そうでなかったらもっと早くから協定でも結びたい相手だった。

 正直セイバーの願いは九鼎を必要としないため、本当に雷家の正式マスターの補佐をして、最後には雷家のサーヴァントに負けても構わない。

 

 問題は雷家がセイバーを信用してくれるかどうかだが、そこは剣英でなんとかならないかと思っていたところ、彼女は剣英の妙な視線に気づいた。

 

「お前、一人称何だ?儂?」

「げっ、生前は一人称儂だったんだ。たまに戻るけど気にするな」

「……そういえば、お前も英霊なんだろう。何の英雄だったんだ?」

 

 剣英は既に、セイバーの裸体を見ている。彼女の外見は深窓の令嬢もかくやという美少女で戦闘には全く似つかわしくなかったが、服に隠れた部分は違った。完治しているものの古傷がいくつも残り、烈しい戦闘の中に身を置いたことがあると一目でわかった。特に左胸に残った矢傷と見えるものは一段と激しい。

 そういえば昨日も、左胸を触ろうとしたら露骨に嫌な顔をされたことを剣英は思い出した。

 セイバーは腕を組んでかぶりを振った。

 

「私の真名な。言いたいのはやまやまだが、今は秘密にしよう。魔術師の中には相手の頭の中を覗けるやつもいる。君は魔術に疎いみたいだから、そういうのにはイチコロの可能性がある」

「そうなのか。だけど昨日の男セイバーは真名言ってたぞ」

「……あんな完全無欠セイバーと一緒にするな。あいつは真名言っても損にならない自負があるんだろうが、私にはない!」

 

 何故かドヤ顔で自信満々に言い放つセイバー。妙な女だなと思いながら剣英も、無理に聞き出そうとはしなかった。聞いたところで、昨夜の男セイバー同様にわからないと思ったからだ。鈴季――セイバーと戦争を戦う、それだけでよい。

 

 

「ん?いやあいつはあいつでデッカイ欠点がありそうなんだが……まあいいや。それより雷家はもうすぐだ。いくぞ剣英」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 九鼎戦争。これは、極東にある片隅の国で行われる「聖杯戦争」を換骨奪胎した夜の戦争――というのが、魔術師道士たちに知られる一般的理解である。

 なるほど大筋では間違いではない。着想は――七騎のサーヴァントに七人の魔術師で殺しあう――聖杯戦争だ。

 しかしこの地に聖杯の概念はない。否、列強によって無理やりに開かされた現在ならばあるといえばあるが、中華に伝わるものではない。

 ならばこの地に相応しい器が必要と選定された概念が「九鼎」である。

 

 中華太古における王権の象徴(レガリア)を元にして、万能の釜を成す神の業。しかし――その術式において、聖杯と同様にはいかなかった。

 そも、聖杯と九鼎では成り立ちが全く異なる。概念と人の抱く幻想は魔術に多大な影響を与えるため、魔術において決して無視できない。

 ゆえに着想は聖杯であっても、内実は全く異なる何モノかに成り果てている。

 

 西洋世界において、神が七日間で世界を創造したとされるために七は完全な数とされている。冬木の聖杯戦争で呼ばれるサーヴァントが七騎であるのは、根源への到達を阻む抑止力を抑えるために必要な守護者の数が七であることと無関係ではない。

 

 されど、こちらは話が違う。この地において、七は西洋世界ほど尊ばれる数ではない。「九」鼎を満たすモノ。陰陽五行において奇数は陽数であり、かつ一桁で表せる最大の数は九。古来より九は皇帝の数字であり、永遠の久に通じるとされる吉兆の数である。

 

 本来九鼎の呼ぶ英霊は九騎、だったはずなのだが――元来の聖杯は七騎のサーヴァントしか呼ぶ力を持たず、九鼎システムもまた九騎召喚を成し遂げることができなかった。

 

 しかし、九鼎成就を目論んだうちのひとりはこう考えた。「一度に九騎すべてを召喚させる必要はない。一度で無理ならば、二度行えばいい」と。

 

 

 そう、此度の戦争は決して二回目の九鼎戦争などではない。

 未だ終わらぬ、十年前の続きである。

 

 

 

 

 

 

 

 徐家匯は、上海租界の南西に面した区域のことで、まだ共同租界やフランス租界ほどの開発がなされていない。よってそこは租界と違って人気が少なく、木立が茂っている。ただ阿片戦争以降、カトリックがこの地に教会を建てたため、それが名を知られている程度である。

 

 ――そのような場所に十年前、宮殿のごとき豪壮な屋敷ががひっそりと、しかし堂々と建てられていた。朱に塗られた塀に四方を囲まれた屋敷は、庭には築山がなされて海棠の木が植えられている。南面して構えられている屋敷はまさに綺楼傑閣というべき楼閣建築で、こちらも赤を基調として竜の意匠がそこここに施されたものだ。使用人、そして道術で使用する礼装やそのほかを全て収納するため、自然と広大になってしまったのだ。

 

 だがこの楼閣を知る者はごく少数で、上記の教会よりもはるかに知名度はなかった。その理由は屋敷から半径五百メートルの範囲に認識阻害の結界が張られており、それを看破できる力をもたない人間には認識されないからである。

 

 上海租界において都市伝説的に語られる「幽玄楼閣」――それが、十年前雷家が九鼎戦争に参加する為に拠点として用意した屋敷の正体である。

 

 

 そして今、その屋敷は混沌の渦中にあった。しかし混乱の中にはあったが、屋敷自体は人っ子ひとりいないかのごとく静まり返っていた。なぜなら、この広大な屋敷にはもう人は二人しかいないからだ。他の使用人、雷家の人間すべては殺されている。この屋敷にある講堂は、今も死臭と血にまみれている。今が冬だからまだいいが、それでもさらに日数を数えれば腐乱臭がそれらに代わり耐えがたい状態となるだろう。

 その屋敷一階、東端の一室。木張りの床は黒く塗りこめられ、薄暗い部屋をさらに暗く見せている。その中で、静かに怒りを込めた声を発するのは、一人の男だった。

 

「あの狗はまだか」

 

 短く刈り込んだ髪に、精悍な顔つきをした男であった。深い皺の刻まれた顔には疲労が窺えるが、その目は鋭さを失っていない。質のいい藍色の絹の功夫服を纏っているが、右腕は芯を失って椅子の背に垂れかかっている。

 名を雷建良――雷家の前代当主である。そして、前回の九鼎戦争の参加者でもある。

 

「そ、それが……昨日から指令自体は送っているのですが、何の返答もなく……」

 

 答えたのは、この雷家に仕える使用人の最後の一人である。しかしただの使用人ではなく、魔術の心得のある――雷家分家の人間だ。建良は本家の人間であり、代々の当主は本家から輩出される。分家のなすべきことは本家の補助――つまり、召使いであり奴隷である。

 

 建良は忌々しげに舌打ちをしたが、使用人の答えは予想の範疇ではあった。むしろそれは育て上げた狗が立派にこの戦争における走狗として活躍しうる性能を示すことであり、喜ぶべきことですらあったのだが――

 

 本当に、大丈夫なのか。

 

 元より、前回の九鼎戦争は不完全であり、今年の本番を経て九鼎は完全なものとなる。よって狗の成長も、今年を標準として合わせてきた。今年で十七の年になる。

 

 

 雷家は遠縁の女に概念を孕ませた。遥か太古の時代、あらゆるものを食らいつくした怪物の概念を。現代にはとうに消え失せたはずの幻想種を、崑崙山脈の奥地深くで見つけ出した――その化物の子が、雷家の走狗にして特攻兵器である。

 

 怪物は悪食にして貪欲にして貪れぬものはなく、それは形があろうとなかろうと変わらなかった。怪物は肉を食らい、財を食らい、概念を食らい、魔を食らう。魔の大敵。

 あれには幼少から雷家の術――強制洗脳をかけ、いつでも自由に操れるようにしていたが、年を重ねてその術を自力で解いている。本人は意識さえしていなだろう。

 あれに現代の魔術は通用しない。むしろ魔力を食われてしまう。今建良たちがあれを魔術で制御し操ろうとしても、あれは無意識のうちにはじいてしまう。

 

 ゆえにこちらから送る指令に何の反応も示さないのは喜ばしいが、逆に操りきれるのかという不安があった。

 

 とにもかくにも、その特攻兵器は昨日上海に到着している。最初はバンドに迎えに行く予定だったが、諸事情あって迎えに行けなかった。しかしあれには地図を渡しており、地図の指定場所――商務印書館にまで行けば、雷家の者がこの屋敷まで案内する手はずになっていた。

 しかし、あれはいつまでたっても商務印書館に姿を現さなかった。

 

 さて、諸事情あってと言うが、一体何があったのか。

 それは一昨日の一月二十日、雷家の正式なマスターである宇雷――建良の息子にして現当主が召喚の儀を行ったときにさかのぼる。

 

 

 

 あろうことか召喚された英霊は、召喚されるなり目の前にいた宇雷を殺したのだ。マスターとサーヴァント、契約の完了を見る時間さえなく突然に、唐突に。出来の悪い京劇でも見ているかのようだった。

 

 あれは常軌を逸している。思い出したくもない一昨日の夜の光景を、建良は思い出す。

 

 宇雷の絶叫と、あふれ出る鮮血。召喚の瞬間に立ち会おうと、雷家の召使いたちの多くが集まっていたあの場所で――悪鬼・サーヴァントアサシンはそれはそれは楽しそうに嗤っていた。

 

 男はどこまで紅かった。体の奥深くにあるような、ドス黒い血の色をしたマントと甲冑を纏い、抜かれていた剣も同じく紅い。人を斬って血に染まった、というよりは血そのものを煮詰めて叩き上げられたような剣。年の頃は三十の半ばといったところで、精悍さも垣間見える悪くない顔立ちの癖に――笑みが、どこまでも醜悪だった。

 

 

「――さて、消滅まで二時間から半日ってところか。アーチャーで呼んでくれればよかったものの」

 

 アサシンは殺して切り取った宇雷の両腕両足を小脇に抱え、周囲の人間を見回していた。それは、同じ人を見る目とは思えなかった。

 

 

「それまでに、無駄な人間を何人殺せるかね?ヒヒッ」

 

 

 血の気が引いた。この英霊、いや英霊ということさえ烏滸がましい悪鬼は、九鼎を巡る戦いに興味などなかった。ただ一時でも肉体を得て現界できる機会だけを求め、その瞬間に、できるかぎりの殺戮を繰り広げてそのまま消滅する気なのだ!

 他の陣営からすれば、勝手に現界して勝手に消えてくれるのだからむしろありがたいだけのサーヴァントだろう。だがこんなものを呼んでしまった雷家は冗談にならない。

 

 手始めに雷家全員を殺し、租界に打って出て神秘の秘匿も何もなく、宝具を展開して殺戮を繰り広げることだけを望んでいる。

 何故このようなモノを呼んでしまったのか、いや今はあれをどうにかしなければ――と建良が思考を必死で展開しようとしていた時、アサシンの動きが不自然に止まった。

 

「……ハァ?戦争に無関係な者を殺してはいけない?……いや、ここにいるのは関係者か。ならば――」

 

 

 血刀が膨れ上がり、部屋中が真っ赤に染まる様を幻視した。汚らわしくも雄雄しい声が行動に木霊して、終戦を告げる。

 

天生万物以養人、人無一物与天、(無用な人間を)殺殺殺殺殺殺殺(殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ)!!」

 

 

 アサシンは宝具さえ展開せずに――――世界を、血の海に変えた。使用人を、雷家の魔術師すべてを、マスターを、絶対の殺意を以て、分裂した赤黒い剣を以て、殺していった。悲鳴は聞こえているのか、飛び散る臓物は見えているのか、そもそも人を殺すとはどういうことなのか、お前は知っているのかと疑問を抱くも、それさえ打ち砕く圧倒的殺害だった。

 

 建良ができることなど何もなく、気付いたら既に周囲は骸の山となっていた。むしろ、何故自分が生きているのか不思議でならなかった。

 敢えて生かされているのだとわかったが、何のために――――?

 

 完全に棒立ちして動けない建良へ、アサシンはべちゃべちゃと血糊を踏み荒らしながら、千切れた手足を蹴り飛ばしながら近づいた。鮮血を浴びて、悪鬼そのものの姿であるアサシン。しかし何故か建良は、それを見て不思議な気持ちを抱いた。

 

 醜悪も醜悪、邪悪も邪悪だが――その顔に、人間という悪性、穢れを消した聖者の姿を幻視した。

 されどそれもつかの間、アサシンは建良に向かい、変わらぬ醜悪な顔で問うた。「魔術師の家はどこだ」

 

 

 結局そのあと、アサシンは建良を殺さずに外へと向かってしまった。元よりマスター不在のサーヴァント、半日と持たずに消えるはず。ただそれまでに何人が死ぬのか、わからない。しかし、それよりも今の状態に建良は頭を抱えた。

 一瞬にして雷家の人間が全滅させられてしまった。いや雷家の本家は揚州にあり、上海のこの拠点は戦争の為だけに造ったもののため、正真正銘の全滅ではない。だが雷家としても九鼎戦争は悲願成就の為に重要な儀式であるため、殆どの人間がここに来ていたのも事実。

 雷家の魔導は、深刻な打撃を受けたと言って差し支えない。

 

 全てが一瞬にして打ち砕かれた。壮年の建良はあまりの事態に茫然自失となり、一刻ほど動くことができなかった。しかしこの非常事態、揚州の本拠に連絡を入れこれからの方針を考えなければと動き始めたのだが、衝撃ですっかり特攻兵器のことを忘れ去ってしまっていた。

 何よりここで此度の九鼎戦争は終わったと考えてしまったことが大きかった。

 

 しかし次の日、昼もすぎて夕方になろうとしている頃、アサシンは平然とした顔で屋敷に戻ってきたのである。弱った様子もなく、屋敷を出てきたときと寸分変わらない姿で。建良を無視してあの惨劇の講堂へと平然と足を踏み入れ、触媒である髑髏を乗せた大理石の台の上に胡坐をかいて座った。血臭も死骸も、何の気にもならないようだ。

 

「忌々しいルーラーめ」

「……ル、ルーラー……?」

 

 此度の戦争でルーラーが召喚される話は、建良も知っている。九鼎戦争において他サーヴァントに対し優位な力を保持するルーラーを、我が陣営の味方にできないかとかんがえていた。しかしルーラーの現界自体数日前である。そしてルーラーに教会を通じて面会をも仕込んだが袖にされ続けており、まだその姿を見たことはない。

 

「ああ、あの皇帝は手前勝手に戦争に法を引いた。それに歯向かう者は例外なく死、だと。ああつまらんつまらん、魔術師しか殺せないなど――」

 

 矢鱈滅多に深紅の剣を振り回す姿はまるで幼児のようだ。どうやらルーラーはこのアサシンの殺戮を許すほど狂気に落ちている者ではないらしく、建良は胸をなでおろした。しかし何故アサシンは現界しつづけているのか。マスターたる宇雷はとっくに息絶えているはずなのに――。

 

「ア、アサシン。お前は何故消滅しない。マスターを殺したお前が、何故」

「ヒヒッ、何を申すか。俺がマスターを殺す?そんなことをするわけがない。マスターを殺せば俺は消えてしまうからな」

「……は?」

 

 意味が分からなかった。現界したその瞬間にマスターを殺してのけたサーヴァントが、一体何を。建良は場所も状況も忘れ、乾いた血の上を走って行動を飛び出した。殺された者を安置した暗室へ飛び込むと、忘れもしない己が息子の遺体を、両腕両足を失った達磨のような体を抱えて戻ってきた。

 

「……、これが、お前のマスターだ!お前が殺した、雷宇雷だ!」

 

 弱冠二十歳――自分から生まれたとは思えないほど優れた道士となった息子を、建良は心の底から誇りに思っていた。自分よりはるかに年若いが、十年前成し得なかった悲願を、続きを、必ず完成させてくれるだろうと思わせる息子であった。魔術師である以上、死は隣りあわせ。死は仕方がないが、目の前の悪鬼は殺したとすら思っていないとは――!

 

 しかしアサシンは、苦悶に満ちた宇雷の顔をまじまじと見たが、首を傾げるだけだった。

 

「誰だこやつは。知らん」

「――!!」

「しかし俺が現界を続けているということは、マスターはいるのだろう。どこにいるのかは知らんが」

 

 怒りと、悲しみと、身の危険と、全ての感情に押されながらも、建良はこの不可思議な現象を理解した。あまりにも怒涛の展開過ぎて聞き逃していたが、アサシンは「天生万物以養人、人無一物与天、(無用な人間を)殺殺殺殺殺殺殺(殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ)!!」と叫んでいたではないか。

 

 

 生前のアサシンは、部下に家族を皆殺しにするよう命じ、翌日家族を呼ぶも当然来ない――自分が殺したことすらもすっかり忘れているという人間だった。

 それと同じで――アサシンは、マスターを殺したことすら忘れている。アサシンにとって、マスターはまだ生きているのだ(・・・・・・・・・・・・・・)

 アサシンの宝具は、そういう宝具なのであろう。

 

「……ッ!!」

 

 ならばこれをどうしろというのだ。マスターがいなくても魔力供給と憑代の問題が解決されるならば、誰がこれを殺せるというのか。

 ルーラーの縛りで、アサシンは無差別一般人殺戮は行えない。しかし仮にこれからともに戦い勝ちぬけたとしても令呪がないため、雷家の悲願たる願いを叶えるためにアサシンに自害を命じられない。

 

 だが、そこで建良は狗――雷家の特攻兵器の存在を思い出した。あれを以てすれば、最後にアサシンを仕留めることができるかもしれない、と。

 アサシンは正気ではないが理性がある。ルーラーの存在で虐殺を制御し、特攻兵器と共にマスターを屠り、最後に兵器にアサシンを殺させる。これで九鼎を完成させることができる。

 

 まだ終わっていない。アサシンも狗も、操りがたき道具だが希望はある。準備段階である前回優れた結果を残せなかった己ではあるが、逆に言えば前回の経験がある。

 ゆえに不安に駆られながらも、建良はその狗を呼び寄せようとしているのだ。しかし昨日から呼び続けているが、今日一月二十二日に至っても無反応。

 

 指令には答えずとも、まだ居場所はわかる。建良はそばに控える使用人に、強い口調で命じた。

 

「お前、狗――剣英を迎えに行け」

 




★人外コンビ主人公陣営です。いや主人公とヒロインやで?????
剣英と女セイバーの濡れ場で18禁化の危機だったけど、誰も得しないし話長くなるしキンクリされました。左胸の矢傷は生前の死因(致命傷級のもそのまえにも一発)。
ダメ中年クソニートの印象が強い生前の女セイバーですが、皇帝業はサボってない、というかあんまり長安にいないで反乱鎮圧に出てたり匈奴をボコりに行ったり(逆にフルボッコにされる)、結構活動してるからやらなきゃあかんならやるって感じです。逆に言えば目的がない、危機に迫られないとなーんもしない、日がな酒飲んで博打して幸せ満足……ある意味主体性/zero。
一歩間違えればこのSS、生前李書文(ジジイ)出てくる

★アサシン当初と予定変更したんで、「至仁の皇帝」あたりのアサシン表現変えましたサーセン
雷家は触媒に偽物を掴まされたんでしょう。あんなん呼ぶ気ありませんでした。
バーサーカーは明るいマジキチ枠だけどアサシンは暗いマジキチ枠。飛び出してったアサシンは某潤華ちゃんを襲っています。男セイバーに追い払われてから街をさまよってるけど、一般人殺したらルーラーによるお仕置きタイム(ダンロン的な意味で)なので自重。
サーヴァント的にはめっちゃ強いというわけではない。人間殺しは最速かもしれないけど(アンリか)
バーサク宇宙大将軍の方が召喚早かったのでアサシンになっちゃいました(こなみ
スキルは精神汚染と加虐体質絶対ある
ちなみにFGO解析にいるという秦良玉タン(中国史で名前の残る女武将)の大敵でもある。

★日本史fateの方で「チャイナfate鯖でFGOの宝具カードだと何になる?」という細かい質問もらったので。FGO妄想マジとめどない

女セイバー:Arts
男セイバー:Buster
アーチャー:Buster
ランサー:Quick
ライダー:Quick
キャスター:Arts
アサシン:Buster
バーサーカー:Quick
ルーラー:Buster

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