眷属の夢 -familiar vision   作:アォン

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なんでこんなに長くなるんでしょう?二度と集団戦なんか書かんぞ!




大乱闘スマッシュファミリア

 

 

ベルはヘスティアから影一つぶん離れて後ろを歩いていた。その距離がどれほど遠いのか、眷属の身に計り知れるものではなかった。

一つの言葉もなく、自然と二人は闘技場からの帰路についていた。尤も、既に都市全体に注意報が出ており、今年の祭りは意図せぬ災厄によって幕引きを迎えつつあった為、行く宛なく出歩いていてももう、かつての行楽気分は戻って来なかっただろう。

けれども自分が主の傍に行くことが出来ないのは、そんなちんけな理由なんかではないとベルは理解していた。激しい罪悪感……あの時手を離してしまった事はまだいくらでも取り返しなどついただろう。しかし、その後。あのおぞましい惨劇を目の当たりにした際の、心のどこかから突如芽生えて全身を支配した衝動。それは何をおいても優先すべき存在の事を一瞬で忘却の彼方へ追いやり、空白になった自分を戦場へ向かうように、耐え難く駆り立てたのだ。

 

(なんで……)

 

何であんな事に。どうして、こんな事に。ベルの頭を埋め尽くす何故、の渦。無意識のままホームへ向かう道を歩く最中、闘技場から広がっている騒ぎに踊る人々と何度もすれ違うが、その姿も、周りの光景も、何も目に入らなかった。

 

「……」

 

前を歩く少女の後ろ姿だけを見つめて足を動かす。ほんの少し前までの自分はその横に並んで歩いていたのだ。蘇るのは、屈託のない笑顔、未知の娯楽に驚く顔、立ち食いを口に含んで蕩けそうになっている顔……どれも、遥か遠い過去の出来事のように思えた。

かつ、かつ、かつ、と石畳を踏む音は、ベルの中の罪悪感と、もう一つの暗い感情をどんどん呼び起こしていく。彼の隣には誰も居ない。彼が心を開く相手は誰も居ない。彼を省みる者は誰も居ない……。

黒く絡みつく何かは、少年の心を着実に覆っていく。それは渇きを、飢えを、苦しみを呼び起こす。どんなに肉体を満たしても贖えない毒は、やがて少年の身体の動きを止めさせた。

 

「――――」

 

ベルの足音が止まったのを感じ取ったのか、ヘスティアも僅かに遅れてその歩みを止めた。期せず、二人の立つ場所は、かつてのベルがいつも目を奪われていたとある武具店のショーウィンドウの前だった。

 

「……神、様」

 

「…………」

 

強張る喉から漏れ出る呼び声は、ヘスティアの耳に届いたのだろうか?その中に込められた、深い懺悔と哀願の念も……。

背を向けたままじっと立ち尽くす主の姿を見るだけの時間はベルにとって永劫の長さににも感じられた。

やがて、ヘスティアは、振り向いた。

その瞬間のベルの心臓の稼働速度は、爆発しそうに高まった。恐怖に縛られた肉体は、粉々に砕かれてしまいそうになった。

しかし、予想と違う表情に、彼の肉体は緊張の逃がしどころを失った。

眷属にひどい侮りを受けた女神の表情は、怒りとも、悲しみとも違う、しかしそのいずれをも含んだものだった。困惑と、不安。

見覚えのある顔だった。それは、あの日の朝、主が出かけた夜の次の日の朝。

眷属の身に浮かび上がった運命を告げる時に、一言一言、絞りだすようにその刻印の文言を語った際に浮かべていた顔。

 

「やっぱり……駄目だな、ボクは。……こんな怖がりじゃ……いけないって、わかっているのに……」

 

「え……?」

 

どんな非難の言葉だってぶつけて欲しいと願っていたベルは、自嘲する主の口調で、更に戸惑う。ヘスティアの口はまた開いた。

 

「君が、ボクの知らない何処かへ行ってしまう気がしたんだ。さっき、あの怪物達の事だけを見ていた君の姿を見て」

 

「そ、れは」

 

主の危惧は寸分と違わない真実を言い当てているのをベルは知っていた。あの時、自分は確かに主のことを忘れていたのだ……。

矮小な人間の心など完全に見透かされていた事への畏怖が芽生え、それは彼に更なる罪悪感をもたらす。

 

「怖くて……たまらないんだよ。ボクは……あの刻印を見た時から、ずっと不安が離れないんだ。君はいつか、知らない何処かへ続く……一人きりでしかたどり着けない場所へ続く、今とは違う道を行って、そしてそのまま二度と、ボクの居る所に戻って来なくなるんじゃないか、って……」

 

「そっ……ん……!!」

 

乾いた喉が塞がれ、ベルは反駁を絞り出すことすら出来なかった。ベルは、本心をここで、都市の全ての者に伝えられるような大声で、叫びたかった。

 

そんな事は、絶対にない!!

 

必ず、絶対に、どんな戦地へ赴いたって、帰って来てみせる、自分の足で!!

 

彼の中で、それを妨げる何か皮膚の下で蠕動した。

それはヘスティアに、自分に示された運命の事を聞かされたあの時に、彼を絞め殺そうとしたもの。抑え難い力への渇望を生み出す――――恐怖。

 

 

『逃れられぬ運命へと導くだろう――――』

 

 

「……っ、…………!」

 

眼の奥に泥水を流し込まれたように、彼の視界が混濁する。黒く、赤く、白く、青く、その夢ははじめて、眠りの世界を超えて少年の前に現れた。

 

 

 

襲い来る闇。中に潜む無数の怪物の双眸が揺らめく。

倒せ、倒せ、倒せ……。

怪物どもが口を開けると、その牙から血が滴り落ちる。

殺せ、殺せ、殺せ……。

血は闇の中でも禍々しく赤く大地を染め上げ、それは彼の影を覆い尽くしていった。

自分の全て呑み込もうとする巨大な狂気。逃れられないのか。何処に居ても、どれほどの時を重ねようとも。

彼の身体が血と、闇に沈んだ時……彼は、遂に思い至るのだ。

 

――――ならば、全て滅ぼしてやる、と。

 

彼の目に、炎が宿る。

それは、全てを焼き尽くし、全てを混沌へと還す、無限の怒りだった――――。

 

 

 

「ベル君っ?」

 

「…………っ!!、……っは……あ……」

 

両腕を掴んで呼び掛ける主の声で、ベルは我に返る。汗で前髪が額に貼り付き、心音がうるさく高鳴っていた。この場所に存在しない幻影は、もう思い出せなかった。ただ、小さな手に抑えられてもなお細かく震える腕が、失われた記憶の概要を物語っているようだった。

荒い息を繰り返す少年の手をとるヘスティアには、彼を苛む何かの正体などわからない。けれども、尋常でないその様子は不思議な事に、先に闘技場で見せた姿とどこか似ていた。目に見えない何かに怯え震える姿と、一直線に敵を見据え進軍せんとする姿の、奇妙な陰影の一致……。

けれどもヘスティアは、蘇る不安を抑えつけた。そう、正体のわからない――――きっと、あの刻印に起因するものなのかもしれない――――恐怖を振り払えずにいるのは、自分だけではないのだ。神として怯え縮こまる眷属を守り、安らぎを与えるという義務感が、彼女を動かす。

震える手を包んで、それが収まるのをじっと待った。片時も、揺れる瞳から目を逸らさなかった。いつもの、少しあどけなく、優しい表情を少年が取り戻すまで。

 

「……大丈夫かい?」

 

「う……、……」

 

どうにか呼吸を落ち着かせたベル。弛緩した腕を主に預け、項垂れて息をつく。いやに身体が重く感じられた。

 

「……帰ろう。楽しんでた所で、急にあんなのを見せつけられたら、おかしくもなるよ。少し、疲れただけさ……」

 

血の海に沈むガネーシャの眷属の姿を思い出すベル。あの凄惨な光景が精神の平衡を乱したのだろうか。

どのみち、今日これ以上遊び歩けるようなコンディションではないのは明らかだった。両者とも……。

 

「最後はともかく、今日は楽しかったよ……素敵なプレゼントも貰えたし。それに、こうやって楽しめるのも、今日という日に限った事じゃないだろ?」

 

優しい声がベルの顔を上げさせた。労りを込めた微笑みが少年の心を少しだけ、軽くした。同時に、不甲斐なく思う。

 

(……こうして貰ってばかりだ、僕は)

 

事あれば怯懦を晒す事、そして自分の力で立ち上がれない事にも、ベルは悔しさを覚えた。大きな慈悲で包まれる事の安心と等しく。けれども、僅かな矜持を振りかざせる程の積み重ねも、彼は持っていないのだ。女神の優しさに抱かれる事を屈辱とする思い上がりすら許されない。弱きが故に。

そう思ってから、ぎゅっと目を瞑った。

 

(……駄目だ。こんな事考えても……神様にこれ以上気を使わせる気か)

 

舌っ足らずなギルド職員の言葉を思い出す。足りぬ事を嘆くのではなく、今出来る事をするべきなのだ。それは、どんな事象においてもきっと通じる理屈に違いない。

ベルは、閉ざされた視界の中で、暖かく、眩しい記憶を探り出す。今日の出来事。期待に満ちた表情で神殿の扉を開く主の顔。甘ったるいお菓子で頬を零れ落ちそうにさせている顔、輪投げを盛大に外して地団駄を踏み悔しがる顔。

……指輪を抱き締めるように握り、目を閉じている穏やかな顔……。

目を開いた少年の顔は、ヘスティアのよく知る、穏やかな、荒事からは程遠そうに見える朴訥な少年そのものの様だった。

 

「はい……神様、ありがとうございました。今日は、僕も楽しかったです。また……」

 

ベルの口調は落ち着き払って、確かな活力があった。眷属の心はようやく平らかになる事が出来たと、ヘスティアは喜びを顔に浮かべた。

そう、不安なんて、いくらでもあって当たり前だ。だからこうして、二人で励まし合って、支え合えば良いだけの話じゃないか。

こんな事、なんて事はない。あんな刻印が何だ。何が運命だ。あんな、あやふやな妄言めいた注釈に振り回されてるから、この子も怯えてしまうんじゃないか。

そう思って、ヘスティアはベルの手を握った。

サイズの合わないリングの嵌った指に、自分とは違う体温を感じた。

 

「じゃ、帰ろっか」

 

「はい」

 

そうだ。今日はもう、帰ろう。

また明日からは、それぞれの戦いの日々だ。けど、今日のような潤いを忘れずにいれば、大した苦難では、ないのだ。

ヘスティアのその思いは、確かにベルと同調していた。

今この瞬間だけは、主従の思いは一つだった。

 

「……え?」

 

ショーウィンドウに映る大きな影の主が現れた瞬間まで。

 

「…………え?」

 

呆けた二人は、振り返った。

そこに降り立った巨大な、猿に似た生き物は、銀色の体毛を陽に反射させて、静かに佇んだ。ほんの少しの間だけ。

そして、それから、腕を振り上げた。

手枷から伸びた鎖が、不規則な金属音を鳴らした。

 

「………………!!」

 

ベルの運命はまだ、目覚めてはいなかった。

ただ、その時を待つだけだった。

遅かれ早かれ、それが必ずや訪れる事は、世界の初めから定められていたのだから。

神を超えた何者かによって。

 

 

 

--

 

 

レフィーヤは耳を貫く風の音で、瞼を開いた。そして、『手刀』の横に降り立つ金色の少女の姿に目を疑う。

 

「あ……!」

 

ヒュアキントスの放った矢は、ロキ・ファミリアの戦士を吹き飛ばそうとしていた砲弾を射抜いて、そのまま遥か観客席まで到達した後に微塵と消えていた。

それでもまだ彼女らを襲う生命の危機は、流星と紛う勢いで現れた一人の助っ人により、打ち払われる事となる。それは彼女達に限った事ではなかった。やっとこの場に駆けつけた増援達。観客席から取り囲んで弓矢を番える者の数は計十。舞台へ降り立ち、直接助太刀及び救出に向かう者が計十一。

 

(足りるか?)

 

レベル3という実力の持ち主であるヒュアキントスは、この怪物祭をぶち壊してくれた謎の闖入者達の危険度の程を薄々ながら理解していた。毎年ここでの主役を務めるには半端者のテイマーでは果たせないと知っていたから。その一人はもう、何も語る事なく血の海の中だ。

 

(……彼の神も、ただ人を増やすだけで対処しようという訳ではあるまい?)

 

舞台を見下ろす座から立ち上がって絶えず周囲に指示を送っている主催者をちらりと見る。ヒュアキントスがここに来たのは、完全な打算だ。この規模の催しの突然のアクシデント。その収拾をつけるのに恩を売っておくことは、何よりも焦がれる主にとって、少なくとも損にはなるまい、と。ギルド本部で耳にした、見たこともない怪物が現れ、ガネーシャの眷属があっという間に殺されたという報告が、戦士としての好奇心を刺激してもいた。

 

(いざとなれば……)

 

ひょう、と弦を弾く音を置いて、矢が『擲弾兵』目掛けて翔ぶ。それは、彼の狙いに違わず、亡者の黒い口腔を射抜いた。弓から与えられた力は尚も収まらずに、その身体を地へと引きずり倒す。的はそのまま、黒く崩れ消えた。

戦士として、眷属として、仕える主の畏怖を示すには充分な腕だ。しかしこの弓矢すら、彼にとって最も敵を滅ぼすのに適する得物ではない。そう、助っ人達や、ガネーシャの更なる策による戦況の変化如何によっては、ヒュアキントスもその力を振るう事を考える必要が出てくるはずだ。

第一射をとった光明神の眷属に続けとばかりに、観客席の射手達が、舞台の怪物達相手に弓を引く。いずれも狙いは『擲弾兵』だ。全身に突き刺さる矢弾は怪物を容易く屠っていった。

 

(……彼女が来ている以上、そんな危惧も無意味かもしれんが、……見知らぬ怪物共め、お前達が大人しく滅びねば、我が神の光で消し去ってくれる)

 

ヒュアキントスは引いた右手をまた離し次の矢を構えながら、刃を振るう剣姫の姿を見やる。

アイズは目いっぱいに腰を屈め、『手刀』のがら空きの胴体に瞬速の突きを叩き込んでいた。三発。真横からの、強烈な衝撃を伴う刺突で、『手刀』は濁った声を上げて吹き飛んだ。

 

「ア、アイズ!」

 

「アイズ、さん……!?」

 

「、ふ、うっ!」

 

ロキの眷属に迫る審判はまだ、終わっていない。返事もなく、アイズは一息で二人を飛び越え、ティオナの頭上まで達する。分身が見ているのは、アマゾネスの槍一本のみ。

ティオナが見たのは、紫色の影が、金色の光跡によって瞬きする間もなく脳天から一直線に切り裂かれる姿だった。唐竹割りを決めて跪くアイズが、顔を上げた。

 

「……大丈夫?」

 

振り返っていた二人も含めて三人分の双眸が丸くなり、アイズに向けられる。一瞬の間。それは、ティオネに破られた。

 

「ア、ア、アイズゥゥ~~ぃいぃい痛つつつっっ!!っつう!」

 

安堵と感動で、たまらず救世主に齧り付こうと足を踏み出した彼女は、最初の一歩で激痛に屈し、全身から冷や汗を吹き出してしゃがみ込んだ。目尻に光るものがあった。左足からの流血は未だに絶えていないのだ。

慌てて、ティオナが姉の傍に寄り、肩を貸した。一流の冒険者は、自分の成すべきことを既に悟っていた。周囲の状況の変化と合わせて。

 

「アイズ!ごめん、ちょっとだけ待ってて!レフィーヤの事頼むわ!」

 

「ま、待って、お礼くらい……痛」「馬ッ鹿!」

 

顔を青くしてもまだ戯ける姉を叱責してから無理やり負ぶさり、ティオナは観客席側へと走った。怪物達の格好の餌食も、それを数だけ増した小癪な人間共が阻んで毒牙を止めていた。

アイズは、未だ辛うじて背を地から離しただけのレフィーヤに手を差し出す。

 

「……」

 

情けなさで、その金色の目を見ることが出来ないレフィーヤ。自分の無様さを一番見て欲しくない存在がそこに居るのだ。生命を拾われた事への感謝よりも、無力感が上回っていた。

直々に教えられた後衛としての役目。それを果たせていたかどうかは、今しがた去ったアマゾネスの姉妹の姿が答えだ。拳を固く握る。背と腕に走る痛みが罰だというのなら幾らでも受け止められる。しかし、何よりも恐ろしいのは、憧れの彼女に失望される事だった。

……だから、レフィーヤは、その言葉で目を覚ます。

 

「ありがとう、二人の事、守ってくれて」

 

「……!……わ、私は」

 

感謝される資格など無いと反駁しようとするも、強く見つめてくる顔を見て、口を閉ざした。本心からの言葉と悟ったのだ。否定する事は出来なかった。自分の、つまらない虚栄心をこそ真に恥じるべきとレフィーヤは気付いた。

泣き言を垂れる暇など、今与えられていようか?自分はまだ、死地の只中に居るのだ。

レフィーヤは真っ直ぐにアイズを見返して、その手をとり立ち上がった。

 

「ティオナが戻るまで、お願い」

 

「はいっ」

 

戦士としての使命感が滾る。傷など浅い。至らぬ事を嘆く意味など、無い。まだ精神力の余裕を感じた。アイズの視線の先に居る、『角の』をレフィーヤもまた見つめる。周囲で怪物と激突している者達の声も姿も捨て置いて二人は意識を一点に集中させた。

既に、『手刀』の何体かは、新参の加勢もあって断末魔の叫びを上げている。流れは再び変わった。

 

「撃ちます!」

 

応と言う代わりにアイズは一直線に駆けた。彼女を先導する火の玉が、『角の』の仮面を焼き尽くそうと猛る。

――――着弾!しかし――――!

 

(分身……!)

 

炎が飛び散る瞬間、『角の』を守るように現れる紫色の靄をレフィーヤは確かに見た。胸中で舌打ちする。当たったのは、身代わり。

だがアイズは躊躇せず、トップスピードを保ったまま、残存する熱波に突っ込み、『角の』に仕掛ける。抜き打ち――――

 

「!」

 

火花。弾かれた。最速の一撃を!

アイズが目を見開いたのは刹那の間にも満たない。地を割りそうになるほどに踏み止まり姿勢を整え、天秤刀を支える、剥き出しの右腕を狙う。逆袈裟――――

 

「!!」

 

甲高い音とともに、もう一方の天秤刀の曲線をなぞる刃。今一度アイズは驚嘆する。火花の反射した鉄仮面が冷たく光った。次こそ。身体をひねり、右足を軸にして回転する。目の向きは固定したまま。全身の感覚で、敵の方向を捉えたまま、腕を引き戻した。一回転と同時に、残像を纏う剣姫が、左足を踏み出して防御を許さない必殺剣を打ち出すべく、その短い詠唱をつぶやく。

 

「【目覚めよ】――――!」

 

魔法を纏った音速の突き――――!

 

「!!!」

 

それは、空を切った。下半身のボロ布をはためかせ、瞬時に間合いの外へ逃れた黒い残像がアイズの視界に映る。

そして『角の』は――――消えた。

 

「――――!!!!」

 

ぞわりと全身に怖気が駆け抜け、反射的に左に跳ぶ。

紫色の閃光が走った。それは、自分の真横をすり抜けていった。その事を認識した瞬間、右の脇腹に熱を感じた。

 

「アイズさんっ!!」

 

後輩の悲鳴で、取り落としそうになるレイピアを強く握りしめ、両足に力を込めて振り向く。ちょうど、レフィーヤとで挟まれる位置に立っている『角の』はもうこちらを見つめていた。鉄仮面の下に双眸があるのならば、だが……。

じわりと血が広がる感触。傷は、深くない。まだ。しかし……。

 

(強い……とてつもなく……!)

 

アイズは戦慄し、背を冷や汗で濡らす。必殺を期した剣戟の数々は、完全に見切られていた。剰え、その後の反撃である、目にも止まらない速度による一閃。

レベル5相当を上回る怪物である事は明白だった。それはどうやってか迷宮の不文律を蹂躙して今も地上に君臨している。

絶対にここで倒さなくてはならない存在だとアイズは確信した。そうでなくとも、自分以外の何者かに繋ぐことの出来る闘いをする必要が絶対にある。こいつを自由にさせれば、この都市の存在意義が揺らぐ事になるのだ。迷宮を封じ怪物を閉じ込めるという存在意義は。

それは、神に仕える身として何としても避けねばならない未来だ。自分ひとりだけの問題ではない。失敗すれば自分も、自分の所属するファミリアも、それを纏める神も、威信を失うのだ。かつて、斃すべき敵相手に壮絶な敗北を喫し、すべての権勢を失ったファミリアがあるということはアイズも知っていた。

そうでもなくとも……。

 

(街に出られたら、とんでもない事になる)

 

オラリオに溢れる人々。冒険者もあれば、商売人もある。この日であれば観光客だって。口下手で人付き合いが苦手ながらも、千の人には千の喜びと悲しみがあるとアイズは知っていた。彼らにとっての絶望をもたらす存在は、ここで食い止めなければならないのだ。

 

(――――彼も、)

 

白い髪の中から垂れる一筋の赤い血と、閉じられた目を跨ぐ傷跡を思い出す。……言い表す事が出来ない何かが、彼女の中に生まれる。

眷属としての責任感と、人間としての使命感、そして、それらとは別の何か、がアイズから力を奪わせない。

鋭く『角の』を睨めつける彼女は、レフィーヤの後方、観客席と舞台を阻む断崖から飛び降りたティオナの姿に気付くのにも少しの時間を要した。

 

「アイズッ……!……レフィーヤ、行くよっ!」

 

「ティオナさん……!待ってください、こいつは一人じゃ!」

 

間近で繰り広げられた刹那の攻防は、アイズを信奉するエルフの少女にとっては受け入れ難いものでもあった。あの、誰よりも強いと思っていたアイズ・ヴァレンシュタインの振る刃を完全に捌き切る怪物が存在するという、あり得ざる光景!

それでもレフィーヤは救助に来た先輩に具申する冷静さを失わなかった。彼女の中の生物的な本能が、目の前に佇む敵の危険さを大音量で警告し、憧れの戦士へ抱く勝手な幻想、それに基づく現実逃避――――それでもアイズ・ヴァレンシュタインならば!という希望――――を容易くかき消してしまったのだ。

しかし、それはティオナも同じ事だ。ただし、レフィーヤと違う点がある。

 

「ガネーシャ様がまだもう一手、用意してあるのよ!いいアイズ!?『その時』まで待って!ソイツはあんた一人じゃ絶対に勝てない!!」

 

「……っ」

 

意図せずに言い切らなかった言葉をハッキリと叫ばれて、レフィーヤの心臓が大きな音を立てる。絶対的な信頼を寄せていたものがひび割れる感覚。それは存在し得ない蜃気楼だったと突きつけられたようだった。ただ常人よりも強く、美しい。アイズはそれだけの、ただの人間の冒険者なのだった。それを、ティオナは知っているのだ……。

同時に、前段の言葉の意味も悟る。無策のまま、アイズを一人にするわけではないと、ティオナは言っているのだ。抗う意味は無かった。レフィーヤは是非もなく、ティオナの背に身を預ける。

 

「大丈夫!」

 

強く言い切るや、ティオナは降り注ぐ支援射撃も無視して再び観客席へ走り出す。その背で揺られるレフィーヤは一度だけ、肩越しにアイズのほうを見やる。角を生やした禍々しいシルエットの奥に居る少女はレイピアを構え、双眸険しく敵を見据えていた。

 

(どうか、無事で――――!)

 

レフィーヤがそう願った瞬間、事態をまたしても急変させる要素が、舞台に姿を現した。本来この場所の主役だった、手懐けられるために用意された怪物達が出入りする搬入口が音を立てて開く。

その奥から、猛々しい咆哮が幾つも入り混じり、舞台を揺らした。近づく地響きとともに。

 

「!?ティオナさん、あれは!」

 

「来たわね~っ!あとは上から援護頼むわよっレフィーヤ!誤射は勘弁よ!」

 

ぐっ、と、しがみつく背筋が強張ったと思うと、重力に逆らう感覚がレフィーヤを襲った。一飛びで観客席まで登頂したティオナが積み荷を優しく下ろす。駆け寄るギルド職員が応急処置とばかりの魔法薬を取り出したのをいくつか受け取ってから、ティオナはまた舞台に飛び降りて颯爽と走って行った。

 

「まだ支援出来ますか!?」

 

「はい!」

 

戦力を削がすのを避けたいという判断は、冒険者に少々の無理を強制させる事となる。それはレフィーヤの望む所だった。さっさと上着を脱ぎ捨てて傷を露わにする。外気に触れて再び熱が染み出すように感じた。

背中に魔法薬を塗られる所から少し離れた席に、寝かされたティオネが居た。

 

「あっいったいっ!!も、もちょっと優しいヤツ使って!!」

 

「効力優先です!」

 

なんとか止血させた脹脛の傷はまだ、痛ましく開いたままだ。塗りたくられる臙脂色の液体の感触でティオネが身体を跳ねさせている。それでもどうやら、命の危機を回避はしたらしい事に僅かな安堵を抱くレフィーヤ。

そこへ駆け寄る影。

 

「レフィーヤっ、ティオネっ!」

 

「ロキ様!」

 

観客席の中をたん、たん、と跳ねて越え、ロキは二人の間に降り立つ。肩を落として息をついた。

 

「はあ、間に合って良かったわ」

 

仲良く街をうろついているさなか、俄に騒ぐ闘技場の方角に引き寄せられたロキとアイズは、入り口の職員にその素性を一目で見抜かれて半ば泣きつかれる形でこの場にやって来たのだ。話半分で事情を聞いていたロキだが、何とまあそこに居たのは大ピンチの『子供』達なのだから、自分を引っ張って来てくれたアイズの判断に感謝していた。

 

「でもアイズさんが……!」

 

すがる思いを主にぶつけようとするレフィーヤの口上が途切れたのは、舞台に現れた新たな闖入者による鬨を聞いたからだ。闘技場からオラリオ中にも轟き渡りそうな音量の声を上げる、本来の主役達が続々とその貌を晒していく。

先陣を切る巨体。人間の胴よりも太い腕は、突如現れた影に振り向く『手刀』に振り下ろされ、衝撃とともに周囲の地面に罅を走らせた。次いで、巨体の影から飛び出した四足獣は、靭やかな脚を軽やかに駆動させて、舞台を取り巻くように配置されている『擲弾兵』に猛然と頭突きを仕掛ける。頭部から伸びた角は鎧を貫く突撃槍にも等しく、一撃で標的の息の根を絶やしていく。

その後からも続々と、テイマー達の誘導に従って迷宮の住民が雪崩れ込む。舞台で戦っていた者達も、少々気圧され気味になるほどの光景だった。

 

「行け!!『人間と神』は傷つけるな!!他はすべて殺せ!!」

 

先頭のテイマーが怒声を張り上げる。深い絆で結ばれた同胞を惨殺された憤りが、彼らを突き動かしているのだ。その感情が使役される者達に伝わっているのかわからないが、怪物達の暴れぶりは、狂気すら感じられる。目を血走らせ涎を撒き散らす凶相。果たしてテイマーの言葉を守って身体を動かしている個体は居るのだろうか、と疑わしく思わせる姿だ。

 

「いやあ、ガネーシャもその『子供』も、ガンギレやな。こんな手まで使うとは……」

 

「う、うはあ。ちょっとロキ様、これ、中に居る人達のこと、考えてなくないですか?」

 

寝っ転がったまま首を上げるティオネ。彼女が思うのは勿論、戦場に舞い戻った妹と、あの強敵と対峙しているであろう少女の事だ。既に目敏い連中が必死の形相で舞台からよじ登っている姿が見られる。幸いにも、負傷者は粗方救出済みのようだ。妹と同じ判断を下した者の数は少なくなかったのだろう。

ロキは細い目を少しだけ広げて、舞台の中央付近を見つめる。周囲で人外の狂宴が繰り広げられるさなかにあっても、二人は一切の雑念を捨てて構えを崩さなかった。すべては、相対する『角の』の計り知れない実力ゆえに。

 

「……んなヤワな子らとは、思わんわ」

 

「……」

 

少し低まった声が、主が言葉に込めている真摯さを物語るようでもあった。ならば何も言うまい、とティオネは首を下げたが、レフィーヤはぐっと握り拳に力を込めた。落ち着け、落ち着け。傷ついた片腕を差し出して、巻かれる包帯を見ながら、逸る気持ちを抑えつけ、集中する。そう、まだだ。その時に合わせるために、今は……。

一方、ほど離れた所でこの大乱闘を見下ろしいるヒュアキントスは眉をひそめる。でかい図体の的が増え、狙うべき連中がどんどん吹き飛ばされていけば、狩人としてはあまり面白くもない展開ではあった。

……だが、もっとも興味をそそられる要件は未だに残ってくれている。ヒュアキントスはそこに照準を合わせて、冷や汗を一筋垂らした。

 

(……あのスピード……今射ったとしてもおそらく、仕留められまいが……)

 

『角の』は天秤刀を下げ、自分の周囲の喧騒が生み出す気流に任せボロ布を揺らしている。無防備そのものとしか思えないその姿をもう、ヒュアキントスが信用する事はない。あのアイズ・ヴァレンシュタインの剣を上回る技の持ち主である事を認めている者の一人としては。

ならば、と思う。

 

(機は……)

 

猛禽の目を象り、引き絞った右腕を固定したまま、ヒュアキントスは動きを止める。最低限の呼吸だけで姿勢を保ち、見据える先にある物から決して狙いを逸らさずに、その時を待つ。

相対する二人の戦士と考えが共通していたのは、彼ら上級冒険者が持つ戦術眼の奇妙な同調の結果に他ならない。

咆哮。

衝撃。

爆音。

悲鳴。

既にほとんどの人間が退場した舞台で、迷宮のしもべと人間のしもべが凄惨な殺し合いを演じる。脚部を切り刻まれても荒れ狂う巨人、砲弾で片角を折られても脚を止めない獣、砕けた牙で獲物を噛み千切る竜。

砕かれ、突かれ、射抜かれようとも次から次へと補充される『擲弾兵』に対して、『手刀』は一体、また一体と確実に数を減らしていく。斬られ、千切られ、潰され……後には何も残さずに。

そして、その時は、来た。激戦に加え、未熟な射手による流れ弾を喰らい血を流す巨人は、遂に、頭目と思しき、『角の』を見据え、その腕を振り上げる。咆哮が轟く。

 

(――――今!!)

 

ヒュアキントスが目を見開く。

レフィーヤの精神力が臨界に達する。

ティオナの両腕がはち切れそうに膨らむ。

アイズは、レイピアの切っ先を今一度、鉄仮面の中央に合わせた。

張り詰めた緊張の末に、汗がひとしずく垂れ落ち、地面にぶつかる。

同時に、その光景が生まれた。

 

「!!」「!!」「!!」「!!?」

 

叩きつけられる腕と、吹き上がる砂煙。トロールの一撃は、的確に『角の』の身体を寸分違わず捉えていた。

そう、確かに、その場所に振り下ろされたのだ……そうでないのならば、砂煙の晴れた後に、トロールの腕以外の何もそこに無いという光景など、生まれるだろうか?

その事を信じられないと思うのは、全ての人間の共通する思いだ。レベル5の剣士による連弾をいとも容易くいなした存在が、レベル3相当の怪物の一撃をまともに受け、そのまま散ったと?

 

「ウソ」

 

(有り得ない……)

 

零すティオナと、呆然とするアイズ。これで、終わりか?あれほどの強敵が、たった一撃。間違いなく自分を超えていた実力の持ち主が、『たかが』トロール一匹の手によって……。

拍子抜けどころか、失望の思いすら脳裏に生まれ――――瞬間、それに気付いた。

トロールの持ち上げられた腕。影の中に見える、大地の傷跡。黒い帳に包まれた、巨大な罅……そこに蠢く何か……。

彼女の全身の感覚が一気に研ぎ澄まされた。

その音に気付いたのだ。

使役されるしもべ達の声、屠られる怪物の声、テイマー達の掛け声……幾多もの音に混じって、その音は確かに存在した。何かを……削る音だ。

 

「っ!!」

 

ばっ、とアイズは周囲を見渡す。『手刀』の数は?

もう、居ない。

一体も残らず、消えている。その骸も残らずに。

舞台そこかしこに突き刺さる矢。血の跡。抉れた地面……それが作る、影。

 

「アイズ……すっっごい、嫌な予感がするんだけど、わたし……」

 

同じように、全方向に意識を張り巡らせているティオナが、顔をひきつらせている。彼女も、それに気付いたのだ。

 

「影が……」

 

「動いている……のか!?いや……!」

 

観客席に立つレフィーヤとヒュアキントスは、遂にそれを認めた。戦場に潜む影の正体。刃の擦れる不協和音を立てて、それは縦横無尽に駆け巡る。

全身を地面の下に潜行させ、血と錆でささくれた剣だけを闇の底から顕して盲滅法に動きまわる。地を這う者共の脚を切り刻もうと、無差別に荒れ狂っているのだ!

人間達が見抜いた闇の軌跡の数は三つ。そして、気付く。斃れずに姿をくらました『手刀』の生き残りが混じっているのだ。おそらく、『角の』と同じように、肉体を叩き潰されたとの欺瞞を纏って。

 

「コイツらっ、モグラじゃあるまいし!……ちっ!」

 

(地面を掘り進んでいるスピードじゃない!)

 

迫る刃をかわしたティオナが舌打ちする。地を削る丸鋸とも見紛うこの攻撃の実態が、単なる力技の産物であるとはアイズも思わない。そう、迷宮の怪物達が大なり小なり備える異能の一部と見るべきだ。その証拠に、『手刀』或いは『角の』の刃が通った後には何の痕跡も無い。

直後、刹那の推理を続ける彼女達の意識を引き戻す出来事が起こった。

 

「ヴヴォオッ!」

 

獣の悲鳴。血塗れた片角を掲げていたソードスタッグは、自らの蹄が、足首もろとも切断されたのを理解した。次いで、それを成さしめた骨の刃が刀身すべてを闇の底から曝け出し、その勢いで自分の胴体を刺し貫いた事も。

錐のように回転して飛び出した『手刀』の右腕はその先にある内蔵をズタズタに引き裂き、一撃で虫の息になった獲物をそのまま天高く掲げた。大量の血液が『手刀』の全身にかかる。

鬨とばかりに、おぞましい嗄れ声を発する『手刀』。死の化身と形容するのに相応しい姿だった。

 

「怪物の分際で、勝利に酔うというのか!」

 

隙だらけの有り様を見たヒュアキントスは憤怒を口から漏らし、矢を放った。既に十数体を無に帰した『擲弾兵』に向けたものと等しい、必殺の一矢。音よりも疾い一撃は、決して逃れる事を許さずに標的を仕留める筈だった。

けれどもそれは叶わない。瞬時に、再び土の下に潜り込む『手刀』。物言わぬ骸に矢が突き刺さる。ヒュアキントスも目を見張った。

 

(手を抜いていたとでも……!)

 

屈辱に臍を噛む。支援射撃に徹しながらも脇目に捉えていた『手刀』の動きは、確かに自分の矢から逃れられるようなものではなかった筈だというのに。さもなくば、あの攻撃こそ奴らが真に得意とする動きと見るべきだろう。安全地帯からの一方的な牽制攻撃を繰り返して消耗させ、必殺の一撃で供物の血肉をばら撒くという残虐かつ狡猾な戦術だ。

そして、また響く絶叫に、人間達は視線を奪われる。音を立てて地に倒れたトロールの足の裏は、花びらのように皮と肉を裂き開かされて骨まで覗く深手を負っていた。横向きになり激痛に身悶えるトロールは右手を地についた瞬間、更なる叫び声を上げる。否、それは断末魔だった。地に接する脇腹を貫いて体内に侵入した凶刃は、宿主の生命機能を司るあらゆる器官を蹂躙し、破壊し尽くす。声も途切れてただ断続的な痙攣をするだけになった巨体の臍を破って這い出す姿のおぞましさを形容するには、生命への冒涜に尽きる連想図を引き合いに出さねばならないだろう。

 

「【目覚めよ】!」

 

――――産声もなく、母体のはらわたと共に生まれ落ちた『角の』に躊躇せず吶喊するアイズ。鼻をつく血のにおいも、赤黒い内容物に塗れる怪物の姿も、今の彼女を恐怖で縛る事など出来ない。レイピアが鉄仮面の中央のスリットに迫る。今度こそ、逃げ場は無い。トロールの死骸に包まれたその立ち位置ならば、との算段が、彼女の決断を呼んだのだ。

しかし、それを阻む者を考慮しなかったのは、彼女の失敗だった。

 

「ッ!!」

 

突如立ちはだかる『手刀』。飛び散る血とはらわたで汚れた土に紛れ、『角の』を守るようにそこに潜って隠れていたのだ。双刃を振り上げ、剥き出しの歯とともに狂喜するかのように誇示する姿は、アイズの矜持をひどく刺激した!

 

(仕留めたつもりなら――――!!)

 

歯を食いしばり、限界まで瞼を剥く。彼女の従える風が荒び、地を蹴る全身に更なる加速度をもたらす。

待ち伏せに嵌った、だからなんだ。諸共、くたばれ!

 

「ググォッ!」

 

「ああああああああっ!!」

 

振り下ろされる両腕を遥かに超えたスピードで、アイズは『手刀』を貫く。突き出されたレイピアは怪物を串刺しにしたまま、真の標的を喰らわんと一直線に翔ぶ。

 

(構わない、どの道かわせは……!?)

 

『手刀』の身体がボロリと灰のように崩れ去り、視界が僅かに開けた先に、その姿が見えた。トロールの裂けた腹腔から這い出る複数の影――――分身!アイズは、己の浅慮を悟った。待ち伏せは二重……!

分身の振る腕から紫色の閃光が走る。人の足で五歩分は離れた距離から届くその攻撃を初めて彼女は見た。まだ手を隠し持っていたのか!?

アイズが息を呑むのと同時に、突然、眼前で発生した爆風が全身の軌道を変えた。

 

「ッが!」

 

吹き飛ばされる衝撃に息を吐くアイズ。自分の身の上を悟り、すぐに空中で体勢を直し、なんとか着地する。直角に近い、無理矢理の軌道修正。しかし、辛うじて命を拾ったのだ。そうさせたのは――――

 

「アイズさんっ……すみません!でも、私は!!」

 

観客席の上から、泣きそうな顔で悲痛な声を上げるレフィーヤがこちらを見ていた。アイズは、自分の愚かさを悟った。相手は、これまで刃を交えた者共全てとは格が違うのだ。僅かな隙を一人で突いて勝利をもぎ取ろうなどという傲慢さの代償は、死以外の何物でもなかった筈だ。それを力ずくで、あのエルフの少女が覆してくれたのだ……。

何たる無様さだろう。アイズは自らの思い上がりに対し、静かな怒りを燃やす。脇腹から染み出す血は既に下半身まで達していたが、今の彼女にそんな事を気にする余裕は無い。

 

「アイズっ、カムバーック!!」

 

「!!」

 

ティオナの叫び声は、アイズの身体を一気に跳躍させる。そう、同胞を残して単身突っ込んだ代償は、まだ全て贖ってなどいないのだ。

分身の放つ斬撃は、またしてもアマゾネスを切り刻むべく幾重にも連なって飛来していた。そう、それが姉に深手を負わせた刃の正体という事をティオナは今、理解した。

 

(生きてりゃ儲けモンかな!)

 

槍一本で防げる速度と量の攻撃とは思わない。アイズに分けたぶんを引いても、魔法薬はまだ残ってはいるが、縦しんば切り落とされた腕がくっつくまで待ってくれる優しさを持った相手だとも思わなかった。

そんな風に腹を括った彼女は、自分の前に立ちはだかって斬撃を受け止める人影に驚く。

 

「いッでぇ!」

 

「ちくしょっ、痛えな!」

 

「んな!」

 

重装備のテイマー二人組が毒づいた。僅かに散る血飛沫は背中越しにも見える。正面からまともに喰らってまだ立っていられるのは、彼らの鍛えぬかれた肉体と、積み重ねられた恩寵の力による。

なんで、とティオナは口にしようとした所で、それを遮った二人に顔を向けられた。

 

「俺らの祭りの不始末、ムチだけ振って、あとは女の子に任せて、これ以上ガネーシャ様の顔に泥塗れるかっての!!」

 

「色々と、腹が立ってしょうがねえのよ。仲間ブチ殺されて、苦労して手懐けた奴をこうも簡単にやられちゃな」

 

「……っ頼もしいっ!」

 

口角を上げるティオナだが、そこに馳せ参じたアイズの、強く歯を食いしばり思いつめた表情は、遠征におけるどんな強敵を前にした時よりも固い。やれやれと思い、その細い顎向けて指で輪を作り、弾く。

 

「っ」

 

「力試しの場所じゃない、でしょ?ここは一致団結よ」

 

もっと信頼してくれ、と言外に仄めかされたアイズは、ふううっ、と首を落とし深く息を吐いて、顔を上げた。いつもの平静さを保つ顔。少なくとも、表面上は……。

だが、ティオナにしてみれば、おっかないしかめっ面をしているよりもずっと、頼りになる顔だ。そう、今は観客席に立っているエルフの少女が憧れている、穏やかで、確かな熱を秘めた顔。

 

「って、レフィーヤ、あんた!」

 

その当人が、いつの間にか舞台に降りて走り寄って来る姿を晒しており、ティオナは面食らった。

 

「お願いです、外から見てるだけなんて……ここでなら、もっと戦えます!」

 

「……」

 

「ロキ・ファミリアにも、将来有望なのが居るじゃねえか」

 

ぎん、と一切の否定を退ける威を放たれると、事態が事態なだけに、誰も帰れなどと言えるはずもない。実際、彼女の真価を封じていた敵側の砲撃は、観客席から放たれる支援射撃と、未だ斃れずにテイマーに従うドラゴンによって封じられているのだ。

言葉は必要なかった。一様に頷くと、皆は決着をつけるべき相手へと向き直る。

祭りの終わりも見えてきたこの時、闘技場の頂にロキは居た。主催者に胡乱げな眼差しを向けている。

 

「もっと人よこしゃあ、こんな手間掛からんやろが」

 

「もともと舞台に降ろした面子は時間稼ぎと救出が目的だ。主力による矢の雨と、テイマーの突撃命令で終わらせるつもりだったんだがな……」

 

ガネーシャの誤算は何と言っても戦う相手の実力を測り間違えた事だ。尤もそれはこの場に居る遍く神も人も非難出来ない失敗だった。迷宮にあってはレベル3相当の住民を一方的に屠り、勇名轟かすレベル5の剣姫を子供扱いする輩が地上に現れるなど誰が予測できるというのか?

ロキは憮然とした。

 

「はーん、ウチの『子供』は特攻用の捨て駒かいな?」

 

「うちのファミリアにアイズ・ヴァレンシュタインが十人も居れば、もう少し早く終わってたが……まあ、ここは高い利子つけて貸してくれ」

 

普段の豪胆さもなく平然とほざく象の頭を蹴っ飛ばしたくなるロキ。大規模のファミリアを率いるヤツというのはどいつもこいつも、こういう連中だった。それは彼女が指摘したって鼻毛の毛先程もの説得力も持たないのだけれども。

それに、戦術としては特に指摘する箇所も無い。全員外に出して大規模魔法で消し飛ばそうにも、そんな力のある冒険者なんてここに居ないし、一番最悪なのは敵がここから逃走する事だ。どうしたって下で引きつける要員が居なければならないのだ。

本当に本当の切り札には、自分達の神の力を解放するという手もあるが……。

ほんの僅かな思索の隙に、ガネーシャが職員と何か話すのを聞き逃したロキ。ちら、と視線を戻す。

 

「何やねん」

 

「地下から一匹、舞台に上がらなかった、未調教のヤツが消えた。追わせている」

 

ロキは細目を剥いた。

 

「……これが仕込みっちゅうんなら、マジモンの戦争でも起こす気かいな、そいつは?」

 

「さて」

 

ガネーシャは被り物の下で、舞台をじっと見つめる。この騒動が始まってから常に冷えた頭で最善手を打ってきたつもりの彼は、胸中でずっと収まらない感情を持て余していた。

大切な『子供』を、虫けらのように引き裂いて殺した怪物への、果てしない怒りを。

それに比べれば、祭りを台無しにされた事など、瑣末に過ぎる懸念だった。

もしもこれが何者かの謀りというのなら、決して許しはしないとも、強く思うのだった。

そこから遠く、対面側の観客席。

ヒュアキントスは雑魚散らしに徹する現状を苦々しく思う。敵の主力は僅かあと二体のみだが、相変わらず絶えない『擲弾兵』を無視する事は出来ないと知っている。

 

(不愉快極まるな)

 

それもあの一矢を防がれた屈辱感に端を発する。しかし挽回の機会はまだ訪れてはいない。撃ち漏らした獲物は刃を持つ影となって舞台を這い回っている。その軌跡を、光明神の『子供』は決して見逃さなかった。彼の主が見れば、流石自分の『子供』だとしたり顔になるかもしれない。狩人の本能を受け継ぐ寵児と……。

ともかく、いくら攻防一体の姿であるとはいえ、ああしているだけで致命傷を負ってくれるような輩はもう舞台には居ないのだ。焦りを抑える。必ず、もう一度そのチャンスは来るはずだ、と。

 

「!!」

 

「来るか!」

 

『角の』が動いた。ヒュアキントスのみならず、正面から注視していた面々に緊張が走る。トロールの血で黒くなった地面に溶けて消える姿を見て……。

やはり、と誰もが思う。正面から突っ込んで来てはくれまいという予測は的中する。

 

「あっちも手の内は全部見せてるって思いたいね!」

 

「同感!」

 

地中に潜った本体を捉えさせない為にか、分身達が一気に距離を詰めてくる。先走る二体と、後衛の一体。その魂胆を見抜くにはわかりやすすぎる陣形である。

その三体が、『角の』の作り出せる最大戦力と、舞台に立つ者達としては信じたい所だった。

 

「受けてやるから、ちゃんと仕留めてくれやっ!」

 

前衛同士がぶつかる。怪物との肉薄は、それを見世物に出来る程度には彼らの得意種目ではあった。多少の手傷を負う事など躊躇していられない。牽制のによる刃の打ち合いが一合。動作の図り辛い天秤刀を操り素早く身をくねらせて滑るように動く相手を釘付けにする事の難しさと、始終これを相手にしていたロキの眷属達の実力に肝を冷やすテイマー二人。

 

(おまけに!)

 

分身の後ろから、刃が飛んで来た。やはり……と思う。しかし、避ける訳には行かない。これが踏ん張りどころだ。相打ち上等、敵の頭数は少ない。腰を落とし、片腕で半身を塞ぐ。

 

「今だ!!」「やったれぇ!!」

 

それぞれ、腕と手首を貫く感覚と同時に、もう片方の腕に握る剣を振りかぶる。一気に踏み込んで、目一杯!

 

「ッ!」「やアァッ!!」

 

紙一重で空を切った!しかし、構わない。控えていた二人の少女が跳びかかり、紫色の亡霊は、剣と槍の切っ先に貫かれる。寸分違わず、胴体の中心部を。そしてそれが煙となって消えるよりも早く、灼熱が二人の間を通り過ぎる。レフィーヤの放った一発は、与えられていた詠唱時間のおかげで、先程までのものが豆鉄砲かと思える業火だ。赤い奔流は瞬時に後衛の分身の周囲を呑み込み、包まれた贄を燃やし尽くした。一切の容赦もない処刑方法を憐れむ者など居はしない。

汗を垂らすレフィーヤ。これで分身は消したが、視界が一瞬、霞がかったようにぼやける。魔法の源泉である精神力にも限界はある、尽きるのはまだ早いと目を凝らした。……覚醒する意識が、迫り来る危機を察知する。

地を這う刃の音が、振り向いたエルフの少女に食らい付こうとしていた。逆向きの牙を生やした影はたった一人の後衛を挟むように走る。

 

(……!避け、られ!)

 

刹那の判断。レフィーヤは及び腰の佇まいを改め、狙いを片方に絞る。脚の一本二本ならばくれてやる。けれども、必ずや代償はもぎ取ってくれると、戦士の双眸がぎらついた。来るなら来い、と。

しかし、突如そんな覚悟もろとも覆い尽くす巨体が現れた。咆哮とともに。

 

「グア゙オ゙オ゙オ゙オ゙オォォーーーッ!!」

 

「ひああ!?」

 

「失礼っ!」

 

見上げる高さの鎌首を振り下ろしたドラゴン。土を巻き上げて大地をえぐったその顎は、何かを銜えたまま再び天高く持ち上がった。彼が捕えたものを確認する間もなく、その主にレフィーヤは腕を引かれてアイズ達の元へ走る。獲物を喰らう機会を逸した刃はすぐに軌道を逸れて、あらぬ方向へと遁走した。そう、片割れを地面から引きずり出された牙は……。

無事、即席のパーティの陣列に帰還するレフィーヤ。アイズが真っ先に駆け寄って来た。魔法薬を一息で飲んでから、口を開く。

 

「エサにした。ごめん」

 

少し表情を翳らせての正直な告白だが、レフィーヤは失望など抱かない。彼女自身、後衛である自分がターゲットとして上位の優先順位となっているだろうと予測していた。

 

「いえっ、構いません。それで……」

 

「……」

 

ただ贖罪を求めるためだけに仲間の傍に来るような状況ではない事くらい、レフィーヤにもわかる。何らかの策を伝えに来たのだと察した。アイズがすう、と近づいて耳打ちする。目を見開くレフィーヤ。

 

「……!!」

 

「お願い、レフィーヤ」

 

視線が交わる。短い懇願に、激しい闘志と固い決意があった。真っ直ぐにその瞳で射抜かれれば、断ることなど出来なかった。レフィーヤはぎゅっと目を瞑って、そして開く。

 

「はい」

 

(あんまり悪巧みしてほしくないなー)

 

ティオナがあえて話に割り込まなかったのは、時間と意識を裂くのも惜しいからだ。レフィーヤにだけ話すのは、二人だけで完結する作戦だからなのに違いない。とはいえ一応、この場のケツ持ちのポジションの自覚はあったティオナは、心の中でため息をつくのだった。姉やリヴェリアがいつも味わう責任者の気苦労というものをほんの少し、理解した。

片や、テイマー達は、しもべの高い頭を見上げていた。

 

「あれが親玉なら、今日の大手柄は俺だが」

 

「あんなマズイもんをペットに食わせる気かよ、お前はっ!」

 

ドラゴンの閉じられた口からはみ出ている下半身だけでは、それが『角の』か『手刀』か判別出来ない。願わくば前者である事を祈るテイマー達。どちらにしても、為す術なくもがきはためくボロ布は、完全にそいつの命運を決した証明にも思えた。

だが、それはあまりにも、敵を見くびった判断だとすぐに見る者は知るのだ。

 

「ギッ、アア゙ア゙ァア゙ア゙、ア゙ア゙ーーーッ!!!!」

 

「ええぇ、ウソお!?」

 

「!!そうか、しまった!!」

 

ボロ布を口の中に完全に収めたと同時に、激しい苦悶の声を上げるドラゴン。長い首と尾を前後左右に振り回し、舞台に風を起こして荒れ狂う。やがて白目を剥き、大口開いて血を吐き散らしはじめた。どんな苦痛を与えられれば、生物はこれほどの絶叫を上げられるのだろうか?口腔に、喉頭に一対のささくれ立つ刃をねじ込んでそれを滅茶苦茶にかき回す事で、疑問の真実に到達出来るだろう。

食道内から発せられる想像を絶する激痛は、もはやテイマーの意思など完全に無視してドラゴンの全身を我武者羅に突き動かした。薙ぎ払う尾が『擲弾兵』を壁に叩きつけ、健在の四肢は守る筈の冒険者達の居場所に振り下ろされる。

 

「オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙!!オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙!!!!」

 

「おいヤバイぞ!」

 

「ヤバイな!」

 

「畜生!!」

 

慌てて身を翻すテイマー三人が悪態をつく。うち二人は実はかなり重傷を負っていたりするのだが、大振りで無思慮なドラゴンの攻撃を避けるには支障の無いあたりが手練の所以である。しかしそんな事はどうでもいい、この状況の悪化は、まずい。残り一体は未だに影に紛れて何処かを這い回っている。この混乱に乗じて攻撃されればいよいよ致命傷を貰う者が現れるだろう、彼らとしてはそれは自分達が引き受けるべきだとも思っていた。

いい加減に回避を続ける陣列の足並みも乱れてくる。しかし、なればこそと、この状況に機を見出す者も居た。

 

「やるっきゃないか……恨まないで頂戴よ、アンタ!!……アイズ!レフィーヤ!野郎さん方!あと任せたわよっ!!」

 

ティオナが、槍を右肩に担いで腰を落とし、左手で照準を作る。暴れるドラゴンとの距離を測り、ひたすらもだえ苦しむ姿にも眉を動かさずに姿勢を崩さず……。

その構えで全てを悟った面々は、一撃を溜めるアマゾネスを囲んだ。うち、レフィーヤとアイズは刹那のアイコンタクトを行う。全ては、一瞬で決まるとの意思の共有。

振り抜かれた尾が頭上を掠めても、彼らは決して怯まずにその時を待つ。人間のせいで味わわされている凄まじい痛みに身体をのたうち回らせる者への憐憫を秘めながら。

砂が舞う。

気流は渦巻く。

大地は揺れる。

血と唾液が混じった反吐が飛び散る。

支援射撃をする者達も、この混沌の最中に合わせて必死で『擲弾兵』を潰していたのは、流石の手腕だった。しかし、ただ一人、舞台に立つ者達と思いを同じくする彼は、その呪文を口の中で紡ぎ続け、一心不乱に弓を引く。必ずその時は来ると信じつつ……。

そして。

 

「ア゙アア゙アア゙アオ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙ッッッッ…………!!!!」

 

ドラゴンが後脚を使って立ち上がり、天高く一直線に首を伸ばす。それは、天に坐す神々の王に慈悲を乞う信徒のような悲痛さを纏う姿だ。

ティオナの眦がつり上がる。見逃さなかった。ドラゴンの首、腹側の白い鱗の脈動。不自然に蠢くその場所を!

息を止め、右腕の筋肉を硬く張り詰めさせる!

 

「――――――――ッッッッッッ!!!!」

 

踏み出した左足が大地に罅を作り、その一投を成し遂げさせた。音の壁を突き破る勢いで放たれた槍は、鱗と筋肉と脂肪組織に守られた不可視の獲物を貫くためだけに風を切る。決して、逃れる事を許さない、打ち手の意思を宿して。

 

(当たれ、いや……当たる!!)

 

ティオナが歯を食い縛って目を見張る。

刹那の願いは、届いた。

穂先はその場所を確かに、穿った。

 

「ア゙ア゙ア゙…………ッ!」

 

凶刃の息の根を止める楔を、その喉笛に打ち込まれたドラゴンは、がくがくと震える。その槍は、確かにティオナの狙った点に突き刺さった。

しかし……浅い!そう、流れる一筋の血が映える鱗肌は未だ不規則な凹凸運動を見せて、その下でもがく怪物の健在さを示していた……否、それどころか、明らかに先程よりも激しく暴れ回っているだろう事は、外から見ても明白だ。まさかの狙撃を成さしめられた怒りが、その反応の根源に違いない。

収まらぬどころか更に増した激痛で、ドラゴンが再びその身をよじり、激しく地団駄を踏み始める。

 

(そんな……!?)

 

ティオナの顔が青くなる。武器を犠牲にした一投は仕損じた。となれば、もはや自分は戦力にはならない。この場に留まるのは危険だと即座に判断する。しかし、揺れ動く地面と、失敗した事へのショックは思いの他大きかったのか、足をうまく動かさせない。

動け、動け、はやく、ここを離れなければ、足手まといになるだけだ。

そう思っても焦りだけが募り、幾度もの二の足を踏む自分にティオナが真に絶望しかけた瞬間、その怒声が闘技場に轟き渡った。

 

「ヒュアキントスぅぅぅぅ!!!!今!!!!合、わ、せ、な、さあああああいっっっっ!!!!」

 

同時に、観客席の上で先の妹と全く同じ構えをしていたティオネは、閉じきっていない左足の傷から血を流しながら、全身全霊の一投を放ったのだった。

 

(言われずとも……顎で使われているようで、癪だが!!)

 

ヒュアキントスが弓を背に掛け、右腕を掲げる。矢を射つ一方で絶やさず口ずさんで来た詠唱呪文は既に、彼の中の魔力を放出寸前まで励起させていた。光は、太陽へ向けられた手のひらの上で高速で渦巻いていく。

これこそ彼の持つ最高の魔法。それでもレベル5の剣技をいなす超越者にまともに当てられるとまでは思わない用心深さによって、彼はこの機を掴んだのだと言えた。完全に無防備となり、必殺の一撃を叩き込む絶好の機は、今と確信するヒュアキントス。

上体を思い切り、ひねる。

 

(行け!!)

 

「【アル・ゼフュロス】ッ!!」

 

腰のバネが弾け、高速回転する光球は、突き刺さる標を目掛けて飛んだ。あまりの遠心力でそれは楕円状に歪む。

その円盤と同じ速度の投槍が別方向より迫る。

二本目の槍は今一度、蠢く刃を貫く。先の一投に引き続いて串刺しになった怪物が動きを止めるのと同時に痛みが引き、ドラゴンもその動きを止めた。

命運は決まった。

苦痛からの救済を理解したのか、彼は四肢を踏みしめ天を仰ぎ見ていた。

ヒュアキントスは、ぽつりと呟いた。

 

「……許せよ」

 

そして、直後に駄目押しの一撃がはじけた。鱗にぶつかり炸裂する円盤が小さな太陽を地上に作り出す。

粉砕された頸部に詰まっていた血と肉片が舞台に降り注いだ。その中に混じる、バラバラになった『手刀』の残骸を、アイズは見逃さなかった。2分の1の確率は外れだった。あれが『角の』ならば、勝負は決まったと見て良かったが……。

 

(来る……!)

 

『角の』は、必ず……と思う。ドラゴンの残骸が空を覆っている、このタイミングで!

直後、背を守るテイマー達が構えるのを感じ取った。

 

「懲りねえ野郎めっ!」

 

確信は的中した。倒れゆく巨体の陰から音もなく現れた分身が三体、囲うようにこちらに迫る。

そして、それは囮だ。奴の狙いをアイズは知っている。恐るべき刃の使い手。己などゆうに超越する腕を持つ、想像を絶する実力者……しかしその性根はどこまでも狡猾で、効率的。必ず、最もリスクに対する効果の大きい手を打ってくると、アイズは見抜いていたのだ。

今最も仕留めるのが容易い、脅威となる者を必ず狙ってくる、と。

そのターゲットもまたそれを理解していたからこそ、引きつった顔でその光景を見ていた。生臭い無数の欠片がスローモーションで落ちていく中、携える双刃を構えて、上半身を地中から乗り出させる鉄仮面……。

 

(今度こそヤバイかなあ~……)

 

丸腰ではどうしようもない。ティオナはまるで他人事のような感想を抱いた。ここまでどうにか無傷でやって来られたツケか、絶体絶命、というか絶対絶命の窮地に晒されている。

『角の』が、跳ねた。水面から飛び立つトビウオのような様だ。尤もトビウオは、刃を突き出して錐揉み回転しながら飛んだりはしないが……。

 

(ああ~っ、あれ絶対痛いよ。っていうか、死ぬでしょ……身体グチャグチャに吹っ飛ぶだろうし……)

 

鋭い切っ先に映る陽が乱反射するのが見えた。かつてない危機にあって高速で働くティオナの思考と五感が現状を分析するが、答えはどれも同じだった。

避けられる距離とスピードではなかった。気付くのが遅すぎたのだ。姉による尻拭いに見惚れた間抜けぶりの代償。そうでなくても、後ろで武器をとる者達の事を考えれば、この身一つで受け止めなければ、誰が彼らの背を守れるのかと思った。

 

(恋の一つでも、しとけば……)

 

詮無い事を思うティオナ。

けれども、彼女の運命の糸は、まだここで途切れなかった。

彼女が失念していたのは敵の存在だけではなかったのだ。

 

「――――【目覚めよ】ッ!」

 

割り込んだ金の影を認めた瞬間、甲高い金属音、そして、血肉を貫く濁った音が混ざってティオナの耳をうった。

 

「……あ、アイズ、あんた!!」

 

二つの刃を受けたレイピアは、いとも容易く根本から折れた。それでも柄から生える僅かな残滓が、『角の』の左手の天秤刀を噛んで止める。

そして、右手の天秤刀は……剣姫の腹を、深々と穿っていた。

それでもアイズの左手は、自分を貫く刃の根本を握り潰さんばかりに強く絞め上げている。全てを悟った『角の』は、そこから逃れる為に、鍔迫り合いから離れようと必死で腕を引く。しかし、それを決して許さない剛力をアイズの手のひらが発揮している。

血走った金色の目で、鼻先の触れそうになるほどの距離にある鉄仮面を睨みつけ、アイズはその名を呼んだ……腹から逆流する血を惜しまず吐きながら!

 

「……ッレ゙ッ、フィーヤッ!!」

 

全てはこの瞬間の為にあった。この手に掴む腕は、自分の力では決して上回る事は出来ない。……だがそんな事をせずとも、勝つ為に取れる手段など、幾らでもあった。

レフィーヤはドラゴンが暴れている時から続けていた詠唱を遂に完成させる。アイズの耳打ちが、蘇った。

 

『私が止める。私諸共、凍らせて……リヴェリアの、あの魔法で』

 

躊躇は、無かった。

この死地を切り抜けるのに、全てを託すと、レフィーヤは決めていたのだ。

 

「――――【ウィン・フィンブルヴェトル】!」

 

ロキ・ファミリアの副団長、オラリオ最強の魔道士たるエルフの女王の秘技を借りて、そこに顕現させた。全てを凍てつかせる猛吹雪がレフィーヤを元に解き放たれる。白銀の瀑布は一瞬で、組み合う人間と怪物を丸ごと呑み込んだ。

間一髪でそこから逃れたティオナは、アイズの愚行に臍を噛んだ。何故、こんな……自爆に等しい戦術だ。それを後輩に加担させるなんて、と。

しかし、直後、吹雪を貫き立ち昇る竜巻に目を剥き、アイズの目論見を真に理解した。

そしてやっぱり思った。馬鹿な事をする、と。

 

「…………ッッ……!!」

 

「グヴォォォォォッッ!!、ォ、ォ、ォ……ッ!!」

 

渦巻く冷気の中心でアイズは息を止め、両腕に渾身の力を込める。内蔵を引き裂こうとする『角の』の右手。剣の柄を必死で押し切ろうとする左手。極寒の世界に包まれ全身を凍てつかせていく最中で、もはやその怪物を突き動かすのは、自分より劣るはずの眼前の獲物に対し、まんまとしてやられた怒りをぶつけてやるという執念のみだった。

アイズの発動させた風魔法はレフィーヤの放つ氷魔法による急激な温度変化を周囲に受け流して肉体を守り、それは外部からは氷を吹き上げる竜巻となって観測されていた。そして彼女の目と鼻の先に居る怪物は、暴風による更なる極低温にモロに晒されていたのだ。

流れる血が固まり、まつ毛が凍り付いていくのをアイズは感じる。怪物の身体はどんどん白く彩られ、それでもなお両手に感じる凄まじい膂力は緩まない。

 

「ォ、オ、ォ、ォ、ォ、ォォ…………!」

 

鉄仮面の下から漏れる、恐ろしいうめき声は未だ収まらなかった。

肺を守るために固く気道を閉ざし、少しずつ暗くなる視界の中で、ぽつりと思う。そんなにも、殺したいのか……なんという執念だろうか、と。アイズは体だけでなく、心胆までも凍てつく思いだった。

組み付き、一つの彫像にもなったかのように、両者は風の中で凍り付いていった。

 

「…………っ、アイズッ、アイズーッ!!」

 

「……ハッ、ハアッ、ア、アイズ、さんっ……!」

 

竜巻が消え去ると同時にテイマー達が引き受けていた分身は消滅し、『擲弾兵』の増援も遂に打ち止めになった。それの意味する所を理解出来ない者など居なかった。あの最悪の敵が遂に打倒されたのだということを。

吹雪は晴れ、氷原の中に跪く少女目掛けてティオナとレフィーヤが全力疾走する。

滑って転びそうになるのを堪えてアイズのもとに辿り着いて二人は肩で息をした。ぼうっとした様子でアイズは、目の前の崩れた氷像を見つめている。

荒い息に気付き、アイズがゆっくり振り返った。髪の毛はところどころ凍り付いて、普段よりも更に真っ白な肌は雪よりも白く、唇から喉にかけてこびり付いた吐血の痕は凍り付いても尚赤く、それによって死人のような貌を晒していた。

二人と目が合う。

沈黙。

主が、職員や治療要員と一緒に観客席から飛び降りてくるのが見えた。

それをぼんやりと眺めて――――暫し。

アイズは、口を開いた。

 

「……寒い……」

 

「…………は?」「えっ」

 

それきりアイズの身体はぐらりと傾き、地面に突っ伏した。

 

「ア、アイズーーーーーーーーッッ!?」

 

「アイズさっ、あ、あ、い、ず、……さ……ん……?」

 

「ちょっ、レ、レフィーヤっ!?」

 

白目を剥いてぶっ倒れたアイズを見て狼狽するティオナに、レフィーヤが追い打ちをかけた。多大な精神力の浪費は、とっくに彼女の肉体の限界を超えていたのだった。

いきなり呂律を絡まらせたと思うと、そのまま倒れて人事不省に陥る後輩。寝っ転がる二人に挟まれて、ティオナが頭を抱えた。

 

「うわーーーーーっ!ロキ様ーーーーーーっ!どおしよおおおおおおっ!!」

 

「あーもう!ほんと無茶しよって!」

 

嘆く『子供』の呼び声に眉をしかめてロキは走った。観客席の上でも今頃、傷が開いたティオネが、治療係によるキレ気味の処置を受けて悶絶している事だろう。

まあ、そんなでも、どうにか命を繋いだままこの苦境を打ち破ってくれたのだから、良しとしたいところだが……。

 

(誰かの企みでなけりゃ、素直に喜びたいんやけどな……)

 

テイマー達が治療の手を押しのけ、乾いた血溜まりに駆け寄っていた。無惨に切り刻まれた同胞の遺体を見る目に、生き延びた喜びは見えなかった。

 

「ん……」

 

後ろからの気配に振り向けば、ガネーシャが走ってくる場面があった。逝った『子供』を送る時までふんぞり返っているような輩でもないという事だろう。

 

「……」

 

「……」

 

無言ですれ違う。しかし、思う所は一つのはずだ。

この騒動の元凶を探し当てようという意思は……。

 

「……ふ、う」

 

祭りの終わりを知ったヒュアキントスは踵を返し、ため息を一つついた。

濃い時間だったと思う。レベル5の冒険者達との共闘は、この場を呼び込んだ神に売った恩よりも大きな糧を得られたと思いたい。死力を尽くす事の意味とは、瞬時の状況判断と連携、戦術の組み立て等……明らかに自分達を上回る技量の敵を打ち破る為に、打てる手の全てを尽くす事だと、ヒュアキントスは知った。

 

(我が神に捧ぐ頂は……遠い、か。まだ……)

 

レベル3という称号にはいつまでも満足してはいられないと、彼の中に小さな熱が宿っていた。レベル5の冒険者であっても綱渡りに等しい戦いを強いられた苦境を見せつけられては、優男ぶるのが常の彼であっても、戦士としての本能が疼くのだった。

弓を降ろして後始末に奔走し始めるガネーシャの眷属達を尻目に、一人、闘技場を後にするアポロンの眷属を呼び止める者は、居なかった。

 

「……はあ、面倒臭い事の始まりでなければ、いいんだけどね……」

 

職員に担架で運ばれるティオネは一言こぼすと、どっと疲れが湧いてきた。楽しい休日の筈が、まさかこんな騒動に巻き込まれると、どうして予想出来ただろうか?

見たこともない怪物。それらの迷宮外での出現。レベル5を超える実力。全てが規格外の出来事だった。

それを乗り越えるにあたって得たものも無かったでは無いと思うが……と、妹や同輩、後輩の奮迅ぶりを思い返す。その辺りで観客席から通路に入り、陽が陰ると、急激に意識が薄らいでいった。

とにかく、疲れた。

 

(……団長に、なんて言おう……)

 

そうしてティオネは、眠りに落ちていった。

 

 

 




・弓を使うヒュアキントス
(6巻)ヒュアキントスがパリス役かーと思ったら全然弓使わねえでやんの!そのエンブレムは飾りか!?悲しいから捏造。

・凍らせて破壊
降誕の鳥退治以外で使う人は居るのでしょうか。


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