眷属の夢 -familiar vision   作:アォン

9 / 16



ダンまちって回復魔法あったっけ。まあいいや……
GOWにもMPHPコンバートなんて無かったし……





フィルヴィス「タロスハダメデス」

 

 

 

探索の末に見つけたいかにも怪しい、重い鉄扉の向こうには、水浸しになった旧水路が広がっていた。区画整理の末に打ち棄てられた過去の遺物は、いよいよ設置された明かりも少なく、その構造は混迷に満ちているようにロキは感じた。

ここは、どれほど放置されてきたのだろうか。誰も立ち入らせず、誰からも省みられなかった壁面にびっしり生えた苔は、焼き付いた影のように見る者の目に映った。まるで異形の存在を象ったような……。

 

「はあ、こんなんも、ホンモノの迷宮に比べれば子供騙しっちゅうんやから、頼りになる『子供』が居て助かるわぁ」

 

脛を濡らして歩く二人の眷属。ロキは、ガレスに背負われて嘆息した。彼女の持つ魔石灯の光は、濃くなる闇の中で一層強く、導かれる者達の影を浮き上がらせる。かれらを包んで後方へと流れてゆく漆黒の水もろとも。

天界においても地上においても、かくのごとく陰鬱な空気に満ちた場所を探索した記憶など、ロキは持たなかった。それゆえの素直な賞賛だったが、ベートは仏頂面で、口を開いた。

 

「ったくよ。いい身分なもんだぜ」

 

「神様やし」

 

事も無げに言い返されて、ベートは増々憮然とした。ガレスが笑う。

 

「羨ましいならそう言えば、譲ってやるのにのう」

 

「そうなん!?ああでも、あかんわ~ベート、うちにはアイズたんがおるねんな~。気持ちは嬉しいけど……」

 

「殴るぞ!?」

 

尻尾の毛を逆立てて声を荒げながら、ベートはその残り香を辿って足を止めなかった。彼の嗅覚は、扉に残っていた何者かの落とし物が作る道を見逃さない。緩やかとはいえ、水流の絶えないこの場所での追跡を成すには、生まれ持った種族的特性のみでは到底不可能な芸当だった。

流れに逆らう足腰が、ほんの少しの疲労を覚え始めた頃、遂にベートはそのにおいを捉えた。

足を止める一行。かれらの眺める、水路の横っ腹に穿たれた大穴は、明らかに人の手で施された工事の結果ではなかった。そこから流れ出る黒い水と合わせて、幾分ばかりか陰惨な比喩表現を思い浮かべるロキだった。先日、前代未聞の凶事に飛び込んだ果て、その柔肌を刃で貫かれた可愛い『子供』の姿すら……。

物思いに耽る主を背にして、眷属同士、眼差しは濡れた刀身のように冷たく光っていた。

 

「当たりか」

 

「間違いねえ」

 

主語も無しに言葉をかわす両者は闘志を漲らせ、走った。巻き上げる白い飛沫を主に確認させる暇も与えぬ勢いで、幾つもの水路をぶち抜く開口を突き進んでいく。

ガレスの広い背に揺られるロキは、眷属の肩の奥にある闇が更に濃くなっていくように見えた。

やがて、水をかき分ける音が収まり、短い階段を上がったところで視界が開ける。

太い柱が物言わずに立ち並ぶ広大な空間は、薄暗い照明によって異様な圧迫感と歪な光陰の幾何学模様をつくり、光の届かない場所に潜む何かの存在をここに立つ者達に幻視させた。

それが、心のなかを支配しようと首をもたげる、恐怖という鎖の産物などではないという事を、誰もがすぐに知った。

 

「……とっとと決めるとするか。少し、隠れといてくれますかな」

 

「ムチャせんでな」

 

ロキは、各々得物を構える『子供』から離れ、入口付近まで身を退いた。

ベートの鼻が捉えた、水路に漂う微かな標……忘れもしない、怪物祭の日、眼前で嗅いだ、あの生臭い吐息の残り香。それは、一つの枝分かれもなく、この場所に通じていたのだ。

凶狼の異名を持つ戦士の双眸は、遂に闇より這い出た獲物の姿を認めた。

まだら模様を描いてささくれ立つ多層の表皮、太く長く伸び、撓り蠢いて石床を擦る全身。その先端部を見なければ、巨大な蛇かと錯覚させる影を持つ隠遁者は、貯水槽の遥か高い天蓋を以ても頭を垂れるほどの巨体を持ち上げ、追跡者達の前に立ちはだかった。

かつて、その二人が対峙した時と同じように、花冠を開いて咆哮を上げながら。

 

「オオオーーーーーーーーーオオオオ!!」

 

それを合図にしたかのように、幹の後ろから二本の鎌首が現れた。小さな餌を噛み千切るべく牙を見せて迫り来る大口を見て、眷属は遁走の選択を採らなかった。

 

「ッシ!」

 

ベートは倒れこむように両手を床に撞いて真正面から突っ込む巨大花の下に潜り、腕の反動を使って痛烈な蹴り上げを叩き込む。十把一絡げの怪物であれば脳天まで弾け飛ぶだろう蹴撃によるカウンターは、膨大な質量を持つ観葉植物の全身を大きく跳ね上げた。

衝撃は空を伝い、荒れ果てた大広間に散らばる砂利を巻き上げる。

 

「ぬ、うっ!!」

 

同じタイミングで、涎を垂らす醜怪な齶の片割れを迎え撃つガレスは、両脚を石床に押し付け、鉄塊の如く興り強張る右腕を以て、片刃の戦斧を振り上げた。刃は床と、毛先ほどの範囲だけ接触し、火花を生む。半月を描く軌道は、真正面から突っ込んできた花冠を、真っ二つに切り裂く。

半分以上の花弁ごと口腔部を切断された巨大花は、ドワーフの身体を逸れて貯水槽の分厚い壁に激突した。

 

「ハア゙ッシャアアーーーーーーーアア!!」

 

「いかんな。仕留め損ねた」

 

痛覚を持つのか定かではない巨体をのたうたせる様は、ガレスにとって少し不本意な結果だった。かつて同じ敵を打倒した経験から、切れ味と取り回しの良さを重視した得物による一撃必殺を期していた為に……。

重傷を負った苦悶の声と、土手っ腹を蹴り上げられて床に身を投げ出す轟音に構わず、ベートは腰元の鞘から緋色の短剣を抜いた。

炎の力を持つ、魔剣であった。

 

「逸るのお」

 

「しらふでやると、ダルイんだよっ」

 

ベートの判断もまた、ガレスのそれと根拠を同じくしていた。確かに、レベル5の実力であれば、然程の相手ではなかったが、何しろあの硬い皮に包まれた先端部分を潰すために何度も何度も蹴りつけるのはあまり愉快な記憶ではなかったのだ。

刀身はあてがわれた足甲に、灼熱の魔力を流し込む。あの日の騒動の後に行われた報告の場で明らかになった、巨大花の特筆すべき性質の事を、二人とも決して忘れてはいなかった。

打撃に強い。

魔法に弱い。

斬撃にも弱い。

核となる魔石は、口腔の奥にある。

そして……。

未だ傷もなく屹立する最後の一本が、明らかにベートの行動に対して反応した。

 

「あっ、ベート。魔石取っておいてくれん?」

 

広間の入り口から顔を出すロキが緊張感の無い頼み事を口にすると同時に、天から牙が迫った。

 

「ガレスに頼みなっ!!」

 

魔力に反応する性質は、ベートに蹴り倒されたもう一本の幹をも再び起き上がらせて、今一度、馬鹿正直な軌道を描いて獲物に襲い掛かろうと歯茎を剥く。

――――もう一人の戦士の存在を忘失した愚かさなど、ただの植物には省みることが出来ないのだ。

並のドワーフ二人分はある自重を物ともしないすさまじい跳躍力で、既にガレスは手負いの一本に肉薄していた。

 

「ふん!!」

 

斧を構えた砲弾は一片の躊躇もなく、巨大花を両断した。伐採された幹が傾き、すぐに床を揺らす衝撃が訪れる。次いで、ガレスの両足は大地に帰還した。

研ぎ澄まされた刃により鮮やかな切断面を晒した胴体が、もう一度だけ首を持ち上げようと、うねった。

 

「ボオオ、オオオ…………!」

 

「さて」

 

恨みがましく吐息を漏らす死に損ないを尻目にしなければならない案件は未だ存在した。斧を差し向ける先には、五つの花弁を床に激突させ押し広げる生き残りの姿があった。

その光景を見て、憎まれ口ばかり叩く後輩の不運な末路を連想するガレスではなかった。

 

「ありゃ!」

 

ロキは、驚嘆の声を上げる。

常人の目には影すら捉えさせないだろうファミリアきっての俊足は、上方より猛烈な加速度で来たる顎より、床を砕く一踏みで後方に跳び去って逃れていた。靴底の刻まれた床に顔面をぶつける巨大花は今、ベートの眼下にあった。

貯水槽の壁面……床から数えて己の身長の五倍近い高さに、地を蹴って得た運動エネルギーで張り付くというシークエンスを追うのは、地上にあってはただの人間に等しい肉体を持つ神の目には不可能であった。

入り口から首を捻って見上げる主の目を奪う、白熱する右脚。まるで、薄暗い天空を照らす、天狼星の輝きのように。

 

「雑草が!!」

 

壁を蹴った流星が、地を舐める巨大花の花冠に落ちる。爆炎が噴き上がった。花弁の一つも残さずに焼きつくす業火は、魔石もろとも砕け散った先端部を灰燼へと化させせしめていく。

生木を無理やり炭に変える熱は、大量の不純物を煙として撒き散らし、誰の手にも触れさせず朽ちゆくだけだった循環施設の天蓋を汚していった。

 

「何が起こったんか、半分もわからんかったわ」

 

「バカ、まだ残ってるだろ。入ってくんな」

 

貯水槽に足を踏み込む主に、ベートは眦を吊り上げたまま言い放つ。とはいえ、レベル6の斬撃で泣き別れした胴体の方はもう動かないし、頭部を半分失った方はその身悶えぶりから攻撃の意思を感じ取るのが難しい有り様だった。

 

「ガッ、バババッ、バッ、ハ……」

 

「こら、魔石も少しイッちゃってるんと違う?」

 

ぬらぬらした粘液と一緒に泡を吹く巨大花の対面側にある壁まで、一息で辿り着くロキ。物的証拠は多く確保出来るに越したことはないので、些細な危惧を口にする。未だ白く右脚を光らせて陽炎を纏うベートが、鼻で笑った。

 

「てめーの目で確かめてみりゃあ、いいだろが」

 

「ありゃあ、そーんな事言う。こんなか弱い乙女捕まえて、あんな気持ち悪い花に触れなんて、そんな趣味って知ったらアイズたんが何て言うやら……」

 

「アホか!」

 

すっかり、鉄火場は過ぎ去ったように、ガレスには思えた。用意しておいたもう一本の投斧は杞憂の産物だったかと、後輩の活躍に内心胸を撫で下ろす。

やいのやいのとじゃれ合う主従を置いて、いざ、苦しみ喘ぐ哀れな供物を屠ろうと、足を踏み出した。

瞬間。

 

 

 

 

それは、前触れ無く、かれらの前に姿を現したのだった。

 

 

 

 

「ボッギャアアアッッ!!!!」

 

「!!」

 

巨躯は絶叫を上げ、広間の奥へ吹き飛んだ。首を引き千切って花冠部分を吹き飛ばす衝撃は、立ち並ぶ柱に叩き付けられてもなお収まらず、幾つもの石柱を砕いた末、壁に衝突することでそのエネルギーを使い果たす事が出来た。

ずん、と貯水槽が揺れて、荒れた天蓋から石片が落ちた。

 

「…………!」

 

ロキは、巨大花の寝ていた場所に舞う砂煙の中のシルエットに、得も言われぬ既視感を覚えた。手に持つ魔石灯の光では未だ曖昧にしか照らせない筈の、その姿。

似ていた。

姿かたちではない、もっと、根本的な、何かが……。

 

「コイツは……!?」

 

「下がってろッ!!」

 

薄い煙幕はすぐに晴れ、その存在は幽冥の帳より、天界の住民としもべの前に足を踏み出した。

斧を構える眷属を、更に一回り大きくした輪郭……鎧と見紛う頑強さを印象づける、筋肉の形を浮かせた太い手足と胸板。否、事実、それは確かに、青銅色の鎧を身に着けていた……その下の肌と、同じように薄明かりを反射する光沢を持つ、腰巻きと手甲、足甲のみを。

高い襟に囲まれる頭部は、はるか昔から既に使われなくなって久しいコリュス式の兜に似た形を持っていた。大きな鶏冠は、羽毛ではなく、鎧と同じ素材で鈍く輝いている。鼻当てによって刻まれた二本のスリットを満たす、禍々しく揺らめく黄金の光が、三つの人影を射抜いていた。

腹は、その中に渦巻く魔力の奔流を誇示するように、格子状に鉄棒が嵌め込まれた造りをしていた。

……造られて、いたのだ。

命を吹き込まれた戦士の像と形容すべき、未知の怪物。

両手で携えるは、その体長ほどもの尺を持つ大槌だった。ヘッド部分だけで持ち主の体躯の胴体部分の容積は持つだろう得物。それこそ巨大花を一撃で物言わぬ押し花へと変貌させた大いなる要因である事を、誰しもが看過出来るだろう。

バチリ、バチリ、と、『戦士像』は、まるで息遣いのように、腹より漏れ出すプラズマを弾けさせている。

大槌に纏う雷光とともに。

 

「とんだ大当たりやわ。コイツ、……闘技場に出たヤツらと、同類や!」

 

「根拠は!?」

 

「無い!!」

 

瞳孔を開いたロキの口走る推論は、彼女にしか理解出来ぬ独自の筋道を辿ったものであった。だが、どんな時も余裕の笑みを失う事の無かったその表情を青褪めさせる様は、長年付き従った眷属に対し充分すぎる説得力を与えていた。

あの日、そのどうしようもなく凶悪で、獰猛で、芥ほどもの慈悲も生まれ持たぬであろう性質を遺憾無く見せつけてくれた、誰しもの目に初めて姿を披露した怪物達。奴等の放つ威容と、いま眼前で闇を纏い佇む彫像のそれが全く同質の代物であると、あの時、あの場に居た全ての者であれば理解するに違いない。

 

(どーする?ここは……!?)

 

刹那の逡巡がロキを支配する。見える限りでは、現れたのは相対する一体だけだ。だがその実力は全くの未知。剣姫の技を寄せ付けない実力を上回らない保証など、誰が持つだろう?まして、あの時のように続々と増援を呼び出す可能性だって。

そこまで考えたところで、眷属の吶喊が生む光輝の跡が、彼女の顔をひきつらせる。

 

「ってぇ!?ちょ、ベートっ!?」

 

瞬きする間もなかった。バリスタから放たれた鏃のように、ベートの踏み込みは振れない直線を描いた。一気に視界を占有する鉄兜に対し、ベートは全身をひねる。決してその加速度を減衰させない、流れるように靭やかな動きだった。

 

「ッッらァッ!!」

 

車輪のように胴体を回転させる獣人の右脚が、『戦士像』の首の付根部分に振り下ろされた。常人になら残像も掴ませない豪速を、そのまま角速度に変換して叩き込む浴びせ蹴り。

爆炎。直撃である。

貯水槽に小規模のクレーターが生まれた。

大音響のなかに埋もれる重い音は短く、響いた。

中身の詰まった金属同士のぶつかる衝撃が、ベートの全身に伝わる。反作用が生む痛覚と振動に痺れた。

 

「――――ッ!!」

 

『戦士像』は、与えられたエネルギーで床を踏み砕いた以外、微動だにしなかった。手心など一片も無い渾身の一撃を入れた下手人は、白熱する足甲を右肩に乗せられて平然としている怪物の、兜の奥の光と目が合った。

揺らめき滾る、すべてを燃やし尽くさんと盛る炎のような、歪な光。

目を奪われた一瞬は、『戦士像』が腰を回して大槌を振りかぶるのを見逃させた。

 

(まず――――!)

 

最早全てが遅いと知ったベートは、敵の肩に乗せた右脚を支点にぶら下がっている姿勢のまま歯を食いしばり、両腕で頭部を庇う。

耐えられるだろうか?

あの巨大花を吹き飛ばした一撃を。

自らの問いに対して肯定出来るほど、彼は楽天家ではなかった。

息を止め、来たる負債の勘定を待ち受け――――

 

「ぬゥうんっっ!!」

 

それを阻んだのは、幼き頃からの彼を見守り続けてきた、歴戦の勇士の一撃。

振り下ろされた片手斧と、振り上げられる大槌のぶつかる衝撃波が、ベートの身体をふっ飛ばした。

巨大花の焼け跡に落ちて膝をつく眷属に、ロキが駆け寄る。

 

「この、きかん坊~……。聞いとったやろ、この前のは総員がかりの相打ち覚悟でやっと斃せたっちゅうに!」

 

「ッ……、……クソッ!」

 

炎の消えた右脚を抱えて、ベートは悪態をついた。迂闊な単独行動へと走らせた原因として、主の語る出来事が多分を占めている事を省みねばならなかった。

しかしそれでも、常に張り合い、肩を並べて高みを目指したいと焦がれる女に引け目を感じる在りようとは、彼が何をおいても忌避すべき生き方なのだ。

己が若さゆえの愚行のつけを他人に支払わせているという現状と等しく。

矛盾する衝動を持つ自分への怒りに顔を歪ませつつ、壮絶な押し合いを続ける一対の巨漢を見やる。

 

「ン、ンンぬぅぅぅ……!!!!」

 

ガレスは斧を握る右手に、左手を重ねた。目を真っ赤に血走らせ、髭に覆われている歯は万力よりも固く噛み締められている。額に青筋が浮かび、オラリオ一二を争う膂力を産む足腰の筋肉が唸りを上げた。

数秒の、間。

片手斧の刃と、大槌の柄の押し合いの結果は、はじめからわかりきったものだったと言えた。

 

「んん、んぬぉおっ……!?お、おおおお…………ッ!!」

 

「あ、ああ!?」

 

多少なりともロキ・ファミリアに縁を持つ者であれば……いや、この街で糧を得るべく生きる者全てが、目を疑うだろう光景が生まれる。

鍔迫り合いで押されているガレス・ランドロックの姿に、その主は口に右手を当てて戦慄いた。

大槌のヘッドが発する、電離する大気の焦げ臭いにおいが戦士の鼻をついた。

 

「ぬぅえいっっ!!」

 

ガレスは息を吐くと同時に、斧で押す力の反作用に身体を任せた。鉄靴が床を蹴るのと、彼の顔面など一撃で粉砕するだろう質量が鼻先を掠るのは同時の出来事だった。

紙一重で空振った大槌は、それに投げ飛ばされる形になったドワーフの巨躯に暴風を叩きつける。

千人のラキア王国兵もまとめて吹き飛ばす力を持つ超人が、木っ葉のごとく空を舞う。くるくると、ネコのように回転する巨体は、ロキからほど離れた地点に降り立った。

砲丸の落着を思わせる鈍い音。石床に小さく、二つの蜘蛛の巣を生み出して、ガレスの両膝は衝撃を吸収する。

角兜の下にある双眸が、眉間の皺も深く、敵を鋭く射抜いた。

 

「マジかい……」

 

『子供』の中でも随一の怪力自慢を相手に、この結果。ロキは、引き攣った顔で、胸中に浮かんだ感想をそのまま呟いた。

思い返すのは、『角の』相手に怒涛の剣閃を尽くいなされた金髪の少女の姿だ。だが、ここに居るのは、いくら英雄と褒めそやされようともまだ二十も歳を重ねていない小娘などではない。彼女の生まれる前から日々、血で血を洗う激闘に身を浸し、必ずそれを制してきた豪傑である。

ロキの知る人間の中でも、間違いなく五本の指に入る強さを持つ実力者がタイマン勝負で押し負ける光景は、今眼前に存在したのだとしても容易に受け入れがたいものだった。

だが、神の心に過る一抹の不安など刹那にかき消させる眷属の姿も等しく、存在を確かとしていたのだ。

 

「こりゃあ、ちと辛い、……かのう?」

 

口角を吊り上げて、白い歯を晒すガレス。腰を降ろした低い姿勢は、眦を縁取る闘志の形を一層険しく誇張させた。

彼は今、滾っていた。

大いに。

左手が、腰の得物をとる。正弦波で上下を挟んだような斧刃を持つ、貫通式の投斧だ。その柄の木目が軋む握力は、右脇腹の裏側まで振りかぶって張り詰める左腕の筋肉が生む、必然の結果に過ぎない。

 

「ふンァッッ!!」

 

風を割る重低音は刃を伴い、不均衡な重心の生む千鳥足のような軌道で標的に迫る。投擲物を迎え撃つべく大槌を構えた『戦士像』は、首の向きを変えずに全身をひねる。

芸術品じみた幾何学模様で飾られる六面体のヘッドが、巨大な稲妻のような残像を率いて振られた。それは確かに、飛来する投斧を寸分違わぬタイミングで捉えたものだった、が――――

 

「ウッソや!?」

 

目を剥くロキは、『戦士像』の目と鼻の先でその軌道を大きくしならせ、真横にカーブして飛んでいった投斧に視線を縫い止められる。

……ゆえに、自らが放った一撃を追って敵と肉薄する眷属の姿へ気付く事も無い。常人であれば振ることはおろか持ち上げる事も叶わぬだろう大槌を振り切った姿が、ガレスの夢見た機であった。

柄を握ったままの両手と、その胴体の右側面が晒す腹部――――漏れ出す魔力を封じ、山吹色に輝く格子――――を狙い澄ます。

 

「ゥラアッッ!!」

 

地を滑るような踏み込みとともに、胴打ちが決まる。離れて佇む主のもとまで届く衝撃は、得物を伝わりガレスの腕を痺れさせる。

……なんという頑強さだろうか。ロキはいよいよ、自分が異次元の物理法則を目撃してるのかと疑う。レベル6の冒険者の全力を打ち込まれた巨体は、傷を刻まれるどころか、その身を揺らす素振りも見せなかったのだ。

振り抜いた両腕はいざ引き戻されんと軋んで甲高い悲鳴を上げ、狩られるべき獲物を見下ろす邪悪な双眸はぎらりと揺らいだ。

ロキは、総毛立って手を伸ばした。それが、どれほど無意味な事か理解していたが、……『子供』に訪れる審判の時を、座して見守る理由など、彼女は持っていなかった。

 

「あかん……――――!?」

 

同時に、明後日の方向より『戦士像』に翔んで来た影を、やっと視界に入れることが出来たのだ。

 

「――――おおおおおおぉぉおッッ!!」

 

「――――!?、あ、アレっ??」

 

金属音は短く轟く。音を破る勢いで、その蹴りは今一度、巨体に叩き込まれた。大槌の質量と速度を受け止めて根を張る如く地を噛む左脚に、新たな力が加わる。ベートの足裏は頼りない光源に照らされた戦場にあって、標的の膝裏を寸分違わず打ち抜いていた。

その姿を見てようやく、ついさっきまで自分の後ろで跪いていたはずの眷属の目論見を理解したロキである。投斧を使った不意打ちは二重の激突を以て完遂させるという認識を、言葉もなく二人の『子供』は共有していたのだ。

強制的に膝関節を作動させられ、『戦士像』は遂に姿勢を崩した。

攻撃の手を止めさせたと見た判断は、二人の戦士に、躊躇の概念を消去させる。

一瞬で、かれらは破壊衝動に身を委ねた。

 

「せァアアアアアアアッ!!」

 

「ぬォアアアアーーーーーッッ!!」

 

充血した目を見開き、雄叫びをあげて二頭の獣が『戦士像』に全霊の追撃を加えていく。

斧が、伸ばされた右肘に。

踵が、締められた左肩に。

 

「フゥンッッ!!」

 

「っっだァッッ!!」

 

崩れた膝のせいで位置の下がった側頭部に。

その反対側に。

 

「ッッおォ!!」

 

「っっせェ!!」

 

渦巻く魔力の光を漏らす、脇腹に。

両側から叩き込まれたその一撃が、二人の演じた戦舞の幕だった。

 

「――――ァアアアア゙ィ!!」

 

「ッ!」

 

「ちぃ!!」

 

兜の下から咆哮が漏れ、『戦士像』は左脚を持ち上げて大槌を振るう。一流冒険者による壮絶な連打のダメージなど、まるで意に介していないかのような姿がそこにあった。

左手で柄の先端を握ったフルスイングは、取り囲む羽虫を打ち払うのに充分過ぎる破壊力と威を放った。瞬時の判断で飛び退った二人は、巨体の左後方から右後方までカバーする攻撃の生む突風にあおられる。

同時に、嘲笑った。

 

「オマケも、あるでな」

 

ガレスの不敵な笑みから捨て台詞が零れると同時に、空中に在る彼の身体の下を円盤が通り抜けた。

それが、最初の一手として、単なる目眩ましで放たれた筈の投斧であるとその眼に映ったとしても、誰が容易く受け入れられるものだろうか?

常人には想像もつかない質と量の練武を重ねてきた男は、碌に足を動かさない標的に対する時間差攻撃の布石を最初から打っていたのである。

 

「――――!!!!」

 

かつて自らの迎撃を逃れ、それから大きな円軌道を描いた末に再び正面より飛来する刃。脅威を打ち砕く為の大槌は、既に振り抜かれた後だった。

『戦士像』は、甘んじてその一撃を、脳天に喰らった。

恐ろしい硬度の金属がぶつかって生まれた低い音は、弾かれた投斧とともにガレスの手の中に戻ってくる。

距離をとって着地した二人の戦士は、かつてない強敵を挟んで眼差しを更に険しくした。

 

「お、おお……」

 

目まぐるしく攻守入れ替わる戦いは、きらびやかな街から遠く仄暗い地下壕で、一柱の神の驚嘆の声を漏らさせる。

そして、その口に恐悦を浮かべる眷属の顔に、呆れもするのだ。この、バトルジャンキーめ、と。

それでも念の為に、ある提案を行う。

 

「一旦退かへん?」

 

「有り得ねえな」

 

「見逃せば並の被害では済みそうもないし、のう」

 

わかり切った答えが返ってくるが、主は溜息をつかずにいられない。ガレスの言葉は正論だ。見た目と違わぬ鈍足とはいえ、レベル5とレベル6の戦士に袋叩きにされても悠然と佇んで……否、全身に滾らせる殺意を更に濃くして大槌を構える『戦士像』。広大な地下迷宮を使って逃れるのはいかにも容易い事に違いないだろうが、遺棄された旧水道が地上のどこに抜け穴を残しているのか、この場に居る者はまるで知らないのだ。獲物を求めて彷徨う怪物が街に迷い出た果て、顕れるだろう惨劇とは先の闘技場で起きたそれと比較にならないものとなるに違いない。

……そんな尤もらしい理屈など、『子供』にとって退かぬ根拠たるには二の次なのだろうと、ロキは知っていた。

戦士としての、挟持だった。かれらは、恐るべき存在を前にして逃走する事を、決して自らに許さなかったのだ。

 

「ホントにヤバい事んなったら逃げんで」

 

未だ『子供』達は、一撃も貰ってはいないのだ、幸いにして。対峙する存在もまた無傷そのものであるようにしか見えない事はさて置き、きちんと線引はしておきたいロキだった。

 

「との事じゃぞ、ベート」

 

「ジジイの冷や水を諌めてんだろーが、よッッ!!」

 

大声で皮肉を投げ返すや、ベートは地を蹴る。天まで届く柱のような威容を持つ背中目掛けて――――狙うは勿論、先と同じ箇所、その膝関節。

果たして彼の意図は標的と相対するガレスも理解していた。

低く身を屈め、頭から突っ込むように、ドワーフの戦士は駆ける。

振りかぶられる大槌に雷光が迸るのを見ながら。

 

「ふっん!」

 

むざむざ打ち返されてやる趣味など、ガレスには無い。ブレーキ代わりに振り下ろした右脚によって床が砕かれ、全身は宙を舞う。

大幅に減じられたスピードは、またしても『戦士像』の空振りを促した。吹き上がる突風も届かない高度にて、両手で斧の柄を握るガレス。

天を仰ぐ、揺らめく双眸。瞬間、巨体の後ろから追突する凶狼。その牙が今一度、左膝窩へと突き立てられていた。折れる脚。傾く上体。

 

「っっしゃあああーーーーーーーっ!!!!」

 

体勢を崩されて迎撃の手を封じられた相手に手心を加える者など、この場に居なかった。ガレスは全体重を乗せた断ち割りを『戦士像』の右肩へと叩き込んだ。

 

「――――――――!!!!」

 

二度目の、全く同じ戦術を許した愚かな彫像は、そのつけを払う事となった。はたまたそれは、幾度と無く刻まれた、か弱き者達による必死の抵抗の実りであったのかもしれない。全く効いていないようにしか見えなかった数々の攻撃はしかし、着実にその巨体の身体機能を低下させていたのだろうか?

与えられた凄まじい衝撃により『戦士像』は膝を屈するところで止まらず、遂にはそのまま地に背を投げ出したのだ。

 

「や、やった……!?」

 

さては遂に眷属が勝利を得たかと、ロキの声に喜色がまじる。

即座に腕を手について立ち上がろうとする『戦士像』を見下ろし、二人は仕上げとばかりに得物を振り上げる。

 

「どおォォっ!!」

 

「うらァァっ!!」

 

それは誰がどう見たって、勇気ある冒険者が恐るべき怪物を打倒する絵面そのものであったに違いない。

破壊力著しくはあっても大振りの攻撃しか能のない木偶の坊。戦士達は華麗な動きで傷一つ負わずに、絶妙なコンビネーションを以て確実なダメージを与え続け、遂にはその巨体を張り倒した。

哀れ鈍重な身体が災いした怪物は、雪崩のように降り注ぐ追い打ちに為す術もなく滅び去る――――

 

 

 

其のような英雄譚を残す優しさを、この怪物は持っていないのだ。

 

 

 

「!!がああぁっっ!!」

 

「ッッッッ!!!!」

 

「っ……!?」

 

何かの破裂するような乾いた音は、ロキの鼓膜を破りそうなほどに強く鳴った。同時に二人の『子供』の間に閃光が走り、注視していた主の瞼を閉じさせる。

反射的に手をかざしたロキが、網膜の焼け跡に眩みながら目を開けると、理解不能な光景がそこにあった。

悠々と立ち上がる『戦士像』と、その前後で跪いている眷属の姿が、そこにあった。

 

「う、ウソ!?ベート、ガレスッ!?」

 

一瞬で立場が入れ替わったような状況に目を疑う。よくよく見れば二人とも、その頬に火傷の痕が走っていた。稲妻の形を直接焼き付けられたかのような、鋭く折れ曲がった焦げ目……。

あの彫像の身より、恐ろしい量の火花放電が発生したのだ。かれらほどの力量の戦士を一撃で跪かせる……それは、迷宮の怪物であっても、容易ならざる事おびただしい難事であると、ロキは知っていた。

そして気付く。『戦士像』の様相の只ならぬ変化に。

 

「こ、い、つ、が……奥の手、かよ……くそ!?」

 

「これほど、とは……ぬかったわ……!」

 

惰弱な贄どもの呪詛を聞き流し、再び両脚を大地に屹立させた『戦士像』。その全身に漲り弾ける、異様な光。……天を切り裂く稲妻は今、怪物の五体を守護するヴェールとなって荒ぶり、何者をも寄せ付けない傲慢な意思を露わにしているようでもあった。

ロキは言葉を失う。そうだ、目の前のコイツが、闘技場のアイツ等と同質の存在であるならば、斯くの如く計り知れぬ異能を隠し持っていて当然ではないか。レベル6の腹心が居る事で己の迂闊さが浮き彫りになった現状に、ただ歯噛みするしかない。

 

「あかん!ここは増援を……!?」

 

「……ぐ、くっ、ソッ!!」

 

至近距離で稲光を浴びせられたダメージは、二人の皮膚と筋肉を焼き、目と耳を通じて脳を激しく揺らしていた。床を見て必死で呼吸を整える眷属の姿に、主は自分の提案の無意味さを知った。

そして、立ち上がるのも数秒の間を要する脆いいきものに対する慈悲など、『戦士像』は持たなかった。

ゆっくりと振り返る巨体の、燃える眼光がベートを射抜く。

弾けるプラズマによって陰影を瞬かせる怪物は、その緩慢な歩をひとつ、踏み出した。

ぞわり、と、獣人のうなじに悪寒が走る。

今、彼を支配しようと首をもたげたもの。

それは、恐怖と言った。

 

「ベートォ!!立て、立って退けェ!!!!」

 

「……ッ、ぐ、がッ、…………ッッ!!!!」

 

処刑人を挟んで反対側にある音源から発せられた怒声が、貯水槽を満たす。

流し込まれた電撃の余波で、手足の筋肉が震える。

 

(立て、立て、立て!!)

 

心が、屈する事を拒絶する。

歯を噛み締め、眦を吊り上げて敵を睨みつける。

ずしん、と、巨体の足音が手のひらに伝わる。

 

(畜生、立て、立て馬鹿野郎!!こんな所で…………!!)

 

死は間違いなく、ベートの眼前にあった。あと数歩の場所に。

その客観的事実が、彼の脳裏に、ある記憶を蘇らせる。

 

(……!!あの、灰かぶり野郎……、なんで、てめぇの事なんか、思い出させるんだよ……!!)

 

脈絡のない幻影。それに対する理由のない怒りも、彼の手足を動かす力にはならない。

顔に刻まれた刺青は、万余の言葉でも表せない屈辱に歪んだ。

 

(糞…………これで、終わりかよッッ!!)

 

己への憤怒に満ちた心が、全ての幕を理解しようとした。

その瞬間。

 

「ぬおォオオオオオオオオオオオっっ!!!!」

 

「!!」

 

ドワーフの野太い掛け声が、『戦士像』の背にぶつけられる。

渾身の勢いで振り下ろされた斧と同時に。

冒険者としての年季の違いか、一足先に後輩よりも肉体の自由を取り戻したガレスの、必殺を期した不意打ち。

相も変わらず、その鈍重さを改めない彫像である。直撃は疑いようもなかった。

 

「ぐ――――ぅおッ!!??」

 

「――――!?!?」

 

だから、その結果は誰もが目を疑うのだ。

唖然とする一同。

何が起きた。音がした。何かが弾ける音。

攻撃を、弾いた……効く、効かないの話ではない。

跳ね返したのだ。

 

『戦士像』を覆う山吹色の障壁は、ガレスの攻撃を、クッションに弾かれたボールのようにそのまま跳ね返したのだ。彼の握り締める片手斧の刃を砕くとともに。

 

反動で肩を持ち上げられた戦士が呆然とする一瞬。

『戦士像』は、振り向いて、大槌をくるくると、棒切れのように弄び、掲げた。

まるで、勝鬨をあげる征服者のように。

 

「――――ッアアアアアア゙ィ!!!!」

 

その時、地の底にて、真の雷光が生まれた。

瞬時に弾けて消えるプラズマの断末魔とは違う、罪人を貫き磔にする神の雷霆が。

 

「ぐっがああああああああああああああァァァアァァァァァ!!!!」

 

『戦士像』の周囲に放出される轟雷が数秒間、死すべき者(mortal)に然るべき定めを負わせるべく荒れ狂った。

大気の絶縁を破壊しても尚有り余る猛烈な電位エネルギーは、血の詰まった一体の肉人形を容赦なく蹂躙する。

絶叫を上げるガレス・ランドロックの意識は、抗いようもなく絶たれた。細胞を焼き尽くすイオンの暴風に晒された当然の結果だった。

 

「…………――――ッッ!!!!」

 

見物人の眼球を襲う閃光が消える。それからややあって、黒く焼け焦げた塊が、どうと音を立てて倒れ伏した。

 

「……ガ、ガレス……!」

 

「ジジイっ!!」

 

悲痛な呼び声はすぐ、再び『戦士像』の全身から発せられる一瞬の放電でかき消された。大気を震わす破裂音とともに、巨体を覆う稲妻は霧散する。それは、捧げられた供物達にとってどれほどの慰めになるだろうか。

少なくとも、煙を上げて寝そべる者が喜んで起き上がるような事は決して無かった。

 

「そんな、……!」

 

朱色の瞳は今や完全に見開かれていた。大切な『子供』のかつてない危機は、自らの稚拙な判断によって呼び込まれたのだという絶望がロキの心を覆い尽くそうとする。

しかし、硬直するその身体を突き動かそうと足掻くのは、彼女自身の中にある残された希望そのものの姿だった。震える足腰を両手で叩く狼人が、琥珀色の眼光を狂おしく輝く月のようにぎらつかせる姿は、底の無い闇に囚われそうになった主の意思を呼び戻す。

 

「ベート……!」

 

「はやく、呼んでこい……!!誰でも良い、そのジジイを叩き起こせなきゃ、病室まで引きずっていける奴が来るまで――――ッッ!!」

 

言い終える暇も惜しむベートが遂に立ち上がると、息もつかずに飛びかかり、巨体の腰に回し蹴りを食らわせた。脊椎の無い、がらんどうの腰回りに嵌る格子へと。

左足の立方骨に伝わる衝撃は、電撃傷による浅くないダメージを残す全身に響き渡る。だが、止めるわけにはいかなかった。

怪物の双眸の先に、倒れ微動だにしないガレスの姿がある限り。

 

「ここで止めるしかねえんだよッ!!早く行け!!」

 

「…………!!」

 

果たして『戦士像』は、眼前で辛うじて虫の息を残すボロ屑へのトドメよりも、後ろでやかましく騒ぐ塵芥を消し去るのを優先して、ゆっくりと振り返る。ベートの狙いどおりに。

 

「……命令。死んだら、許さんかんな!!」

 

「おおおおォォォォーーーーーッッ!!」

 

毛を逆立て足を振りかぶる凶狼の咆哮を背に、主は地下水道へ消えた。膝まで浸かる水をかき分けて走る彼女は、闘技場の惨劇と、異例の事態を目の当たりにしながら即座に、数を揃えて迎撃するという対応を選択して被害を最小限に抑えた象頭の神を思い出していた。

情けない、オラリオが至高の神の片割れという称号は、今の自分の姿には到底値しないに違いない。

それでも、走るのだ。全力で。

失態の挽回だとか、至らぬ自分への怒りなど、そんな瑣末な感傷など投げ捨てて。

すべては、愛する『子供』を失わないために。

 

(頼む、持ちこたえといてくれや……!!)

 

はるか後方より聞こえる金属音の連打は、いっそう彼女の全身を急かすのだった。

仄かな光だけを頼りに、闇の小道の果て目指して。

 

 

 

--

 

 

 

 

「ッ!」

 

胸板に叩き込まれた一撃を物ともせず、『戦士像』は得物を振りかぶる。

ベートの身に着ける特注のメタルブーツの悲鳴は、これで何度目であろうか。彼は今、首の皮一枚を残して、己が命を刈り取らんと踊り狂う死の刃と対峙していた。

迅雷を象る速度のスイングは全く休む間を与えず繰り出される。それは掠っただけでも其の部位の骨を容易に砕く破壊力を秘めているだろうと、ベートは疑わない。

凄まじい質量を誇る大槌の乱舞を前に、なお喰らいついて攻撃の手を緩められない理由は、幾らでもあった。

横薙ぎを通り過ぎさせるべく、倒れるような角度のスライディングで『戦士像』の左腋の下に潜り込んでから、両手で床を撞き脚を振り上げる。長身の先端部にあるつま先の速度は、亜音速に達した。

 

「らアッ!!」

 

彫像の左後肩に与えられた衝撃はその全身に対し、虫の止まった草花ほどもの動揺も齎さない。

 

(くそったれめ)

 

もう一度両腕を屈伸させ、その反動で敵の懐から脱する。

着地した彼のすぐ後ろには、一言も発さずに地に伏す老兵が居た。

一瞬、唇を噛む。振り向く彫像を見ながら、ベートは牙を剥いた。

 

「、さっさと、起きろやボケジジイ……!」

 

巨体が足を踏み出すのを待たずに、ベートは地を蹴る。右脚に纏う長靴を振りながら。

 

(壊れるんなら、道連れにしてやる……恨むなよ)

 

肌に伝わる得物の声は彼に対し、逃れられぬ確かな未来図を思い描かせた。無惨に砕けた、ガレスの斧。あれと等しい結末を。だが、その事を憂う余裕など抱かせない状況は今、彼を取り巻く現実として在った。

金で贖える武器とは決して釣り合わないものが、今のベートの背負うものだった。

薄暗い孤独の中での彼の戦いは、まだ終わりそうもなかった。

 

 

あらゆる者を恐怖させる事を望む怪物の双眸は、瞳の無い金の炎として、一人の贄へと向けられていた。

 

 

 

 

--

 

 

 

「ディオニュソスッ!」

 

長い黒髪のエルフを連れた優男は、振り返った。見紛うはずもない、オラリオの頂に立つ女神の片割れがそこにおり、手を膝について盛大に、肩を上下させていた。

汗を流してぜえぜえと荒く息を整える姿に、自分の視神経の誤作動を疑う。あの、どんな時も余裕を忘れないトリックスターが、これほど切羽詰まった様相を晒したことなどあっただろうか、と。

何が、と口を開く前に、がしりと肩を掴まれた。

 

「頼む、手え貸して……この子も!!」

 

目を剥く顔には、有無を言わせぬ迫力があった。神の力とは違う、純粋な懇願。隣に立つフィルヴィスに対しても、それは等しく向けられていた。その意図するところは、あまりにも明白だった。

冒険者が必要な、緊急事態。

思い当たる節は大いにあった。

それは、並び立つ彼の『子供』もまた、同じだった。

 

「行くぞ!」

 

「……!、はい!」

 

「おおきに……!」

 

瞬時の判断は、決して零細とは言えぬ軍団を率いる首魁としての、利害への聡さもある。あのロキに恩を売れる機会を見逃す愚鈍さは、ディオニュソスに無かった。『子供』とともに、踵を返すロキに続く。

しかし、それ以上に彼を動かすのは、単純な情動だった。

レベル6の超戦士を抱える女神の顔を青褪めさせる危機は間違いなく、自分の想定する場所で起きており、それは或いは、この街をも即座に脅かしかねない災厄の呼び水なのではないかという、深い憂慮であった。

彼の眷属も抱くその推測は、赤色のポニーテールを揺らす後ろ姿を追って小さな路地へと飛び込んだ時に確信へと変わる。

 

「あの巨大花ですか!?」

 

「……もっと、ヤバイ!闘技場の、聞いとらん!?アレのお仲間や!」

 

小屋の中の螺旋階段を、飛ぶように駆け下りていくさなか、フィルヴィスは、ロキの言葉に生唾を呑んだ。ディオニュソス・ファミリアが最強の戦士、レベル3を誇る彼女なればこそ、剣姫すら深手を覚悟の連携攻撃に依らねば斃せなかったという強敵の存在には、話に聞くだけで戦慄を覚えたものだ。直接目にしたわけではないとはいえ……。

やがて降り立った薄暗い地下道において駆けて行く順路は、既知の道のりだった。ロキに話していないが、主の命によって広大な循環施設を探索し、あの醜悪な巨大植物との対峙をも果たしていたフィルヴィスである。

結局、恐るべき花冠に喰らわれた仲間の無念を果たす事は叶わなかったが、今自分が向かっている場所には、そんな苦々しい記憶など命ごと刈り取られかねない、強大な悪意が待ち構えているに違いない。生来の正義感と、後ろめたさの反動により、拳を握る力は強まる。

同じ末路を迎える者が増える事など、逝った家族達が望む筈がないと固く信じて。

 

「先に行きます!」

 

「ぶち抜かれた横穴や!辿った先の貯水槽に、二人が戦っとる……頼む、助けたって!」

 

矢も盾もたまらない思いが、エルフの全身を突き動かした。地上における神のそれとは比較にならない脚力は、フィルヴィスの背をあっという間に二柱の影から引き離す。

何をおいても時間が惜しいロキにとって、有り難い判断だった。地下から地上への全力疾走の末に掴まえた最初の相手が彼女とその主であった幸運に、深く感謝する。

爆発しそうに伸縮する肺と心臓は依然として、闇の浅瀬を走らせるのを止めさせなかった。

黒い水飛沫を上げる眷属を見送ったディオニュソスも、また。

 

 

 

--

 

 

 

兜の側面を打ち据える上段蹴りは、やはり大槌の一撃を振り切らせた隙を狙った渾身の瞬閃であったが、『戦士像』がそれによるリアクションを起こす事は無かった。

比して、左脚のフロスヴィルトは、遂に悲鳴を上げる。

 

「……ッ!!」

 

亀裂の走る音は皮膚を伝ってベートの鼓膜まで届いた。

何発目だったか、彼は数えていなかった。互いに空を切り裂く勢いの一挙手一投足を以て作られる怒涛の戦舞は、いま稲妻を纏って突き出される巨大なヘッドを躱す演目へと移り変わる。

 

「しッ!!」

 

横にまろぶ勢いを右脚に乗せた振り下ろしは、伸ばされた太い右肘に叩き付けられ、全ての衝撃を吸収されて止まった。すぐに、全身のばねを弾けさせて、相手の間合いと紙一重の位置まで下がる。

汗が飛び、眼はまばたきも忘れて血走る。息継ぎも吹きかかる距離での肉弾戦で狼人の放つ技は尽く直撃し、そして彼自身の纏う一対の得物にも着実なダメージを与えていた。其の限界が、片方に訪れた。それだけなのである。

かくして、重傑の異名を賜るつわものによる斬撃でさえ、それだけでは決して揺らがず、怯まず、傷つかない謎の合金で造られた体躯に対し、レベル5の小童がくれてやった損害は如何許か。

ミスリルで覆われた両脚は、その非力さへの怒りに打ち震えるのを黙して堪えていた。

支払った労力の対価を見出だせない事による精神的な消耗は、彼の肉体や武装の負うそれよりも、ずっと深刻であると言えた。未だ目覚める様子のないドワーフを背にして、ベートの意思に翳りが差し始める。あと、どれだけ……と。

瞬間、その耳がぴくりと跳ねた。

 

「!」

 

そこに現れる闖入者が無ければ、鼻っ柱の強さにかけては譲る者の居ない狼人は己が挟持を守りぬいた末、その身体に二度と贖うことの出来ない敗北を刻まれることになっていただろう。

広大な面積で全てを呑み込む闇を生んでいるような地下壕へと飛び込んできたフィルヴィスは、切り倒された巨大花など目に入らぬ衝撃に見舞われる。自らの知識と経験の中に一切記されていない怪物と、それと対峙している第一級冒険者の姿を目の当たりにする事で。

殊に、倒れ動かない黒焦げの戦士の正体が、あのガレス・ランドロックだと気付けば、尚更である。

 

「これはっ……」

 

「てめえは見物に来たのかっ!?でなきゃさっさとこのジジイを退かせろ馬鹿エルフ!!」

 

初対面にして不遜極まる物言いを浴びせるベートは、脇目もふらずに『戦士像』の懐に突っ込み、そのスピードに全体重を乗じたローキックを打つ。踏み付け気味の一発は分厚い合金の詰まった脛を、髪の毛一本程度の細さは凹ませたかもしれない。

勿論、それを座して観覧する趣味を持たないフィルヴィスは、すぐに我に返ると全速力で倒れ伏す巨体に駆け寄り、肩に腕を回した。全身に掛かる重量は、彼の者の人事不省を雄弁に物語る。レベル6の眷属をここまで追い詰める敵の実在に、黒髪で覆われた首筋が粟立った。

はたして小さき者どもの涙ぐましい救出劇を、由来の知れぬ怪物が見逃す理由も無かった。踏み出される足腰によってひねられた上半身が、既に振りかぶられている大槌の間合いに、三体の肉人形を捉えていた。

消えない痺れを押し殺して立ちはだかる白銀の両脚は、か細い希望の灯火を絶やさせまいとする意思を顕すように、暗晦の中で危うく光る。

 

(さっさと来やがれ!!)

 

ベートは、犬歯の隙間から冷たい風を吸った。退かない。幾度にも渡り、紙一重でその激突をいなし切って来た。……今度は、違う。

――――狙うは一点。

 

「……っ!!」

 

真正面。迫り来る大槌の直撃する軌道に立つ愚行が、彼の目論見を完遂するために必要な代価だった。圧される空気が先走り、ベートの全身を縛り付けようと左半身に襲い掛かる。

だが、動かない。怯まない。

尋常の戦士を超越する動体視力はかつてなく研ぎ澄まされ、少しずつ視界を占有する死の招き手をコマ送りのように捉えていた。刹那もの遅延も早とちりも許されない、その一手を成功させるために。

 

「――――!」

 

来た。右に、倒れる。右手を床につく。全てが、ゆっくりに感じた。左耳は、その上を通り過ぎる巨大な質量により、一時的に聴覚を喪失する。

側転の姿をとるために横向きになった狼人の上を、大槌が掠めてゆく。

果たして、天へと向かうは、その両脚……。

 

「――――おッ!!」

 

しなる左脚は音速を超えていた。罅割れたメタルブーツが、空振ったヘッドの裏側の面へと叩き付けられる。『戦士像』の豪腕によるスイングスピードに、閃光の如き一撃を加えたのだ。絶技と形容すべきだった。

振り抜かれた大槌は、更に持ち主の身体を引っ張る。想定を上回るスイングの反動が、『戦士像』の全身のバランスを大きく崩した。

ガレスとの鍔迫り合いを制する力に対し、前からぶつかるのではなく後から押すという選択。それは得られる結果も明らかに異なっていたのだ。

柔を以てして、剛を砕く力をすり抜けたベートは、両手で床を支えながら、たたらを踏む彫像のがら空きの腹を強く、睨みつける。逆さまの双眸を、吊り上げて。

 

「――――らアアアッッ!!!!」

 

両肘を曲げ、手で踏み込みながら、其の一撃を打ち込んだ。長い右脚は全身のバネを受けて、弾けた鞭のように格子部分にぶつかる。

よろけた巨体は、渾身の力で激突したミスリルの長靴を黙して受け止める姿勢制御術など持たない。頼りない足元はまるで振り子の糸のように、上体を仰け反らせ――――

 

「ちっ!」

 

二歩、三歩と後退してから、『戦士像』は大槌を杖のように地面に立てて止まった。すさまじい重量を叩きつけられた石床が砕かれ、罅が走る。

失敗すれば確実な絶命が訪れていただろう、決死のカウンターで得られた結果がそれだった。

逆立ちからもとの体勢に戻ったベートは、舌打ちを一つした。暫し俯いてから持ち上がる兜と、目が合う。燃え盛る金の眼光は、激しい怒りと憎しみだけを湛えているように見えた。

左足に、じわりとした鈍痛がある事に気付いた。安くない代償は確かに、彼の身体に刻まれていた……いや、足の甲から発せられる信号ひとつが、ひとまずは窮地を脱したにあたっての対価と考えれば、彼の抱く苛立ちは傲慢に過ぎるとも言えただろう。

実際、刹那の攻防によって本懐を遂げることが出来たフィルヴィスは、仰向けにしたドワーフに魔法薬を塗りつつ、遠く離れた場所で対峙する二つの影への畏怖を否認しなかった。

 

(なんという……!)

 

そして今一度、まだ意識を取り戻さないガレスの身体を見やる。痛ましく刻まれた感電の痕は防具を外して露わに見える皮膚を焦がし、血を焼き、内部の筋組織まで切り裂いているのがわかる。倒れても尚手放さない斧がどれほどの業物であるのか、砕け散った刃を見ても推し量る事は出来ないが、それでも自分のファミリアの財政ではとても賄えない価値の武器であるのは間違いないだろう。

いま自分は、死すべき者の到達しうる至高の座をここまで蹂躙せしめ得る怪物の牙を前にしているのだ。

……彼女が思い起こすのは、卑劣な策略によって生み出された惨劇の過去。あの日以来、誰かの命を背負うことへの忌避感はへばり付いて離れない。

再び、かのごとき死地に半歩踏み入れている事実で細い肩を震わせそうになった瞬間、戦場の均衡は既に、此方側の有利に傾いていることを知った。貯水槽に飛び込んできた新たな影を見て。

 

「ベート!ガレス!」

 

「フィルヴィス……無事かっ!」

 

その命だけを案じて、二柱の神はそれぞれの眷属に呼びかける。

黒髪のエルフは、主の顔を見て、闇に呑まれそうだった意思に平衡を取り戻す。それを理解したディオニュソスもまた、可愛い『子供』の大事無い姿に、ため息を漏らしそうになった。

比してロキのおぼえた安堵の程と言ったら、闘技場でなんとか生き残っていた三人娘を見た時の比ではない。道具入れから魔法薬を取り出す。同時にこぼれ落ちる有象無象の品物は、彼女の心境を表現する光景だった。

焦げ固まった皮膚に、追加で緑色の液体が惜しげ無く浴びせられていく。もしもの備えについて、より高等な代物を持ってくるべきだったという悔恨は、無意味だ。どのみち、『戦士像』の重い脚から全力で逃げるのが、今自分達に与えられた命題なのであり、戦線に復帰させられるまでの治療をする必要など無いと、ロキは思っていた。

命題を成すには、真剣な眼差しを緩めずに治療を続ける黒髪のエルフの助力があれば、いとも容易いだろう、とも。

そうまで思ったところで、眷属の口髭が動くのを見た。瞼が、ゆっくりと開く。

 

「……ン……こ、ここが、ヴァルハラか、な?……フ、ハッ」

 

「ガレスぅ……」

 

破れた皮膚から見える赤黒い表情筋を動かして笑顔を作る『子供』の様は、絶えない危惧と不安で縛られていた主の心を一気にほぐした。

とはいえ、感動に打ち震えているような場合でもないのだ。どうにか、命を繋いてくれた助っ人への感謝さえも、後回しにせねばならない状況だった。

顔を上げて、叫ぶ。

 

「ベートっ、撤退!撤退や!」

 

切羽詰まった形相は、己が命に背かれることなど芥ほども想定していなかったものかと問われれば、虚である。

……ロキの悪い予感は、見事に的中していた。

 

「…………」

 

『戦士像』が、持ち上げた大槌を両手で携えていた。相対し、毛だらけの尾をピンと張ったまま、銀色の前髪の中の双眸を動かさない眷属の姿に、ロキは顔を歪めた。

 

「聞いとんのかアホタレ!!んなバケモン、今の戦力でどうにも出来んやろが!!さっさとここは逃げ――――」

 

「……出来んのよ、それが。なあ、ベート」

 

罵声の混じる主の命令を遮るガレスは、両手を床について、のったりと上体を起こした。

黒く稲妻の影が張り巡らされる彼の全身は明らかに戦いを続けられる容態ではないと、フィルヴィスは理解していた。

 

「!、駄目です、そんな傷で……!」

 

「…………申し訳ないですが、のお……。……性分、というやつ、ですな」

 

ガレスは、口角を吊り上げ女達を見やる。その動作の中に、彼の確かな意思表示があった。主を落胆させる、残酷な返答だった。

言葉を失うフィルヴィス。ロキは眉間に皺を刻んで、拳を握った。

 

「あれだけ散々ブチ込んで、ハナクソ程も効いとらんのに、どうやって倒すっちゅうねん!?」

 

それは、一見正鵠を射た指摘だ。かの彫像に対して行われた怒涛の攻勢の結果は、主の目には、青銅色の肌に薄い引っかき傷を与えた程度のものにしか映らないのだ。

……眷属達の認識は、違っていた。

 

「どんな巨木とて、倒れん道理なんぞ、ありゃあせんよ……それに、」

 

立ち上がるガレス。防具は着けない。それが命綱になるような相手ではないと、身を持って知っているから。

その目は、この機を引き寄せてくれた後輩の方に向けられている。

 

「ここまで持ち堪えたあいつが、勝算ありと見たんなら、そりゃ、黙って見てられん」

 

言葉には強い意思があった。幼子がこの時に至るまでの歩みを間近で見てきた者が抱ける、確かな信頼があった。欲目とか過信とも解釈させるのを拒む、戦士としての見立てと、等しく。

鋭い眼差しで、『戦士像』を見つめる。

 

(確かに、効いているはず……!)

 

自分にとって都合の良い願望と思わないのも、あの凶悪な放電攻撃を目の当たりにしたからこそだった。自分達の攻撃を真に寄せ付けない実力の隔たりがあるのならば、まとわり付く虫けらを払うのにあんな大層な技など見せるだろうか?

大槌の一発は、確かに受け切れない破壊力を持つだろう。生み出す雷は、今度こそ自分の魂まで焼き尽くすだろう。

だが、もはや相手は底知れぬ存在などではないはずだという推測は、長き戦いの日々を生きてきた老兵にとって、疑いの余地を挟ませ難かった。

 

「ああ、もお……!!」

 

眷属の目に宿る、この難局を打破する事への激しい渇望を知った時、もはやロキは、頭を抱えるしかなかった。

 

「仕方のない事、なのだろうな」

 

黙して会話劇を見ていたディオニュソスが、呟いた。ものわかりの良い風の台詞だった、他人事であるがゆえの。

言われずともロキだって、『子供』らの気持ちをわかっているつもりだ。戦士としての本能が、数を以て征すという単純な損得勘定を超越して彼らを突き動かしているのであろう事くらい。似たようなケースは、過去に幾度かあった。

それでも、あの怪物の得体の知れなさは、ファミリアの首魁として重ねてきた経験則をたやすく吹き飛ばす恐怖を呼び起こして止まないのである。闘技場で出会った時は、こちらの戦力もだいぶ違っていたから、薄まっていただけであって……。

恨みがましげな目は、自然と優男に向いた。

 

「すまんフィルヴィス、もう少しだけ、手を貸してやってくれ」

 

「私に出来る事なら……ですが……」

 

各々の視線は三角形を描いた。自分のもとに帰ってきた遠慮がちな眼差しに、ロキは俯いて髪をかき回し……顔を上げる。

これじゃあ、あのドチビの事を笑えない、と、一瞬だけ思った。

 

「ゴメン、ゴメンなあ、バカ男どもは、もうほんとに……イヤやったら、見捨てたってや……」

 

「いえ」

 

真実、こんな修羅場に巻き込む気など毛頭なかった女神の謝罪に対し、フィルヴィスはただ凛然としていた。ドワーフの横顔を見る。

 

「ヴァルキリヤの加護か、心強い事よ。……しかし、あのデカブツの前に放り出す訳にも、いかんなあ」

 

罅だらけの皮膚を割りつつ、ガレスは笑みを浮かべる。

 

「えぇ?あとはどうぞお任せします、ってか?おい、どう思うベート」

 

「うっせぇボケジジイ!!脳ミソまで焦げ付いてんならそのまま寝てろ!!」

 

大口開けて笑い、ガレスは構えた。討ち死にした片刃の斧を腰に下げ、投斧を両手で握り締める。

顔の向きを変えずに、呟いた。

 

「一発。思いっ切り溜めた、撃てる限りでの一番デカイのを、あの木偶の坊に叩き込んでくれんか。儂らの事は考えるな」

 

「……はい」

 

白いドレスは纏う者の決意を示すように、刹那、闇を払うきらめきを瞬かせた。死妖精と呼ばれ恐れられるエルフの姿はそこに無く、ただ、オラリオ最強の戦士達すら死の淵に追い込む凶悪な存在と対峙する、一人の戦士の貌のみがあった。

ディオニュソスにとっては、期せぬ奇貨と言うべき事態だった。勿論、とんでもない難事ではあろうが、これが、眷属の抱える苦悩が和らぐ一助になるのならば、悪い機会ではない、と。ロキにしてみればふざけんなボケとでも言いたくなるだろうが。

主の冷徹な計算など露ほども知らず、フィルヴィスはまぶたを閉じて詠唱をはじめる。地上の誰にも知れない危機が潰えるかどうかが自らの力に掛かっているという自覚は、思い上がりではなかった。

構えられた短杖は動かず、ただ持ち主の精神力の奔流を湛えていく。

 

「さあて、儂が寝てる間、小僧はどれくらいやってくれたやら?」

 

「死に損なった老いぼれがつつけばぶっ倒れるくらいは、くれてやったよ」

 

『戦士像』を挟んで、ゆっくりと、立ち位置を合わせていく。言葉のやり取りは使わなかった。巨大な地下壕の苔むす壁に、大きな影の動きがぼんやりと揺れていた。

入り口から一直線に、三つの影が並ぶ。膠着は、一呼吸の暇も与えない空隙だった。

固唾を呑んで見守る二柱の神にとって、長すぎる猶予が終わる時が来た。

 

「……!!」

 

青銅色の足が踏み出される。一歩一歩が、世界を揺るがす錯覚を与える。

二人の戦士は、示し合わせる事もしないで、同時に動いた。

誰もが、それは最後の演舞の幕開けであると知っていた。

 

「然らば……、トドメは、頂くぞ!!」

 

ドワーフの巨体は、骨の髄まで灼かれた重傷者とは思えない豪速で、巨壁の如き背中目掛け突進する。両手を右肩の後ろまで振りかぶりながら。

向かう先に居るのが、目が届かないだけで来るべき刃を看過するような相手ではないと知っているのなら、それはただのヤケクソの特攻にしか見えないだろう。

『戦士像』は、大槌を持つ両腕を軋ませつつ、左足を軸にして全身をひねった。振られる得物の軌道は、持ち主の全周囲を射程内に収めたものと化す。

振り向く金色の炎と視線がぶつかる瞬間、ガレスは、恐悦に口を歪ませた。

 

「ッ……は、ああああァァーーーーッッ!!」

 

掛け声とともに振り下ろす。背筋と、両腕の肩から手のひらに至るまでの筋繊維が、一気に律動した。

轟音と、衝撃が、貯水槽を揺るがした。神々は手を床につき、巨大花の骸は数度跳ねる。

凄まじい膂力の生んだ攻撃の反動は、オラリオ有数の鍛冶師が生んだ投斧の刃を、柄とともに粉砕していた。

惜しくはない成果と、引き換えに。

それは、彼の想定通り、標的を破壊したのだ。

目と鼻の先を通り抜ける死の一閃を振るった者の立つ、厚い、厚い石床――――その下に広がる岩盤もろとも。

 

「ッッ!!!!」

 

地下壕を引き裂かんと手を伸ばす巨大な地割れが『戦士像』の足をからめとる。空振りに持ち堪えようと踏ん張る下半身が、大きく揺らいだ。

眼前で跪くような姿勢を保つガレスは顔を上げて、笑う。

鉄兜の後ろから飛んで来る、白銀の流星を正面から見据えて。

 

「ウッッらあああああああっっ!!!!」

 

音は、長く響いた。打たれた金属が、振動を抑えられなかった事の証左だった。

それを成し遂げた左脚のメタルブーツもまた、青銅色の巨体と似た結果を享受した。決定的に違ったのは、その強度の差だった。右後頭部を踏み付けると同時にミスリルの長靴は砕け、破片を飛び散らせたのだ。

だがベートが悲嘆を抱く事は、無かった。

一気に怯んだ『戦士像』の上半身に対する追撃を、蹴りの反動で得た刹那の滞空時間で決断する。

足裏から返ってきた反動を使って全身を回転させ、長い右脚を思い切り、振る。

 

「でぇいッ!!」

 

同じ箇所を、もう一発。同じベクトルを向くように叩き込む。

どつかれた脳天に引っ張られて更に傾く上体。崩壊する床に足を取られながら喰らった必殺の二発は、いま再び『戦士像』を地へと倒そうと――――

 

「ァアァアアアア゙ィッッ!!」

 

しかし、小癪な企みを真っ向から打ち崩すだけの力は、なおもその四肢から失われていなかった。地の底に生まれる奈落への入り口は、はるかな深淵よりも暗き場所からやって来たその怪物に対し、芥ほどもの逡巡を与えない。

崩れかけの断崖を躊躇なく右足で踏みしめて、佇まいを持ち直す。左半身の後ろに隠された大槌は、両腕の力を受けて復路をたどる軌道を描いた。

狙うは、眼前にて地に手をつく、死に損ない。

二度目の追撃を成せぬまま地へと降り立とうとするベートは、頭上から見える光景に顔色を無くす。

 

「――――避け――――!」

 

その言葉を遮る雄叫びは、すぐにガレスの大口から搾り出された。

 

「――――るァァアアアアアアッッッッ!!!!」

 

疾風は、その抜打ちによって周囲に放たれた。砕けた刃を持つ片手斧は、電熱による不可逆変化が今も残るドワーフの腕の筋肉により、不本意な吶喊を強要された。

狼人の動体視力ですら残像の見えない右腕の動きは、圧倒的な質量差を笠に着た絶死の一撃に対して成せる、ガレスの最後の抵抗に他ならなかった。

 

「ッあ!!――――!!」

 

耳を劈く金属音。

その一瞬は、確かに観衆の目に、しかと焼き付けられた。

巨大花の胴体を千切り飛ばす鉄槌を、壊れかけの斧一本で受け止めた、刹那の光景は。

 

「――――――――!!!!」

 

両手で柄を握るガレス。目を見開き、髪と髭を逆立て、下った口端から一筋血を流す形相は、破裂寸前まで怒張した腕の中で粉砕する骨の痛みが生み出すものとは、違った。

一瞬。

得物同士がかち合う一瞬。

その一瞬で充分だったのだ。

ヘッドから溢れる稲妻が、か弱き、死すべき運命から逃れられぬ者の身体を蹂躙するのには。

手に持つ不具の斧から、必殺の衝撃と一緒に、覚えのある感触が逆流してくるのをガレスは理解した。

火花が、生まれた。

それは老兵の主観と、第三者の観測において共通する結果だった。

 

「ガ――――!!」

 

電流は、流し込まれる者の脳細胞の意思とまったく無関係に、その肉体に対し無秩序な運動信号を誤認させようと荒れ狂う。

床を踏む下半身は力を失い、両腕は即座に筋肉の緊張を消し去る。

今や巨躯を誇るだけとなった木偶人形は、『戦士像』のスイングに耐える事などできなかった。

 

「――――レ――――!!」

 

帯電する巨大なヘッドは、瞬きも与えぬ暇その加速度を確かに、ゼロまで減退させ……それから、即座に揺り戻させた。

大槌に縛り付けられた重傑は、掬い上げられたボールのように吹っ飛ぶ。

完全に破壊された斧を衝撃で放り出し、折れた両腕を風に揺らさせるのに任せて。

 

「――――――――ス……ッッ!!」

 

主の悲痛な呼びかけを遠くに感じながら、ガレスは思った。

 

(……あとは、……任せたぞ……)

 

眼下に残された二人の若人の姿を確認する事も出来ぬまま、地下壕の壁に叩きつけられて、ドワーフの戦士の意識は途切れた。

 

「っ…………!!」

 

「おおおおああああああああ!!!!」

 

割れ目の真上で、狼人の咆哮が生まれていた。先達の生死を気に掛ける理由など、一つも無かった。今壁から剥がれて地に落ちた男がそれを期待している筈がないと知っていたから。

残された右のメタルブーツは執拗に、背中を晒す『戦士像』の無防備な脚部を打ち据える。

脹脛、膝裏、腿。

踏み込む左足の痛みなど、全開になった脳内物質の鎮痛効果の前には、猛り狂う一頭の獣の前には何の戒めにもならなかった。

渾身の一振りを終えた隙に叩き込まれる怒涛の連打。

そこには確かに、『家族』の仇討ちを望む、ベートの怒りがあった。

怒りは肉体を突き動かし、足から伝わる反動がさらに、強敵に対する執念を燃やす。

けれども、それをもってしても届かぬ境地があると、彼は知っていた。

 

「だッ!!」

 

「ッッ!!」

 

太い、青銅色の膝が折れた。それでも、地に臥させるには、足りない。すぐに片膝を起こそうとする『戦士像』。息をつく狼人は追撃を入れる事が出来ない。

まだ、あと一押しが足りないのだ。決定的な、もう一押し。レベル6の戦士に成せてレベル5の戦士に成せぬという冷酷な現実を突きつけられたのは、これで何度目だろうか。

貼りつく前髪が煩わしい。ベートは歯噛みする。一人の男が生命を捨てる覚悟で与えてくれたこの機を、絶対に逃すわけにはいかないのだ。

肉体と精神、そして残されたたった一つの得物さえも、蓄積した疲労は限界へと至ろうとしていた。

 

(糞……!)

 

一呼吸の間で姿勢を整え、振り向く死の化身。横顔に輝く金の炎。

戦いの終局を垣間見るベート。

己の、死を。

……それは、彼の持つ、尋常よりもやや肥大した自分本位ぶりのせいで勝手に陥った、錯覚に過ぎなかったのだ。

 

「――――【ディオ・テュルソス】!!」

 

ベートは、斜め後方にて生まれた光源で作られた自分の影を見た瞬間、一瞬で、頭を覆う霞を消し去った。

火花が大気を打ち破る音よりも早く、彼はその存在を掴んだ。

否、彼は、忘れていただけだったのだ。

遥かな神代すら遡る混沌と黎明の時において、何者かが残したその力のことを。

 

 

 

闇を照らす標、己の中に宿る、希望の灯火を。

 

 

 

 

(――――遅えんだよ、馬鹿エルフ)

 

『戦士像』目掛け一直線に迫る雷光。それをわざわざ目視することもせず、ベートは右脚を振りかぶった。

光源と怪物を結ぶ直線上に、その軌道が重なるように。

 

「!!」

 

胴を狙った中段蹴りが巨躯に触れる瞬間、フロスヴィルトから光が放たれる。

深き、憎しみと恨み、死と破壊の満ちるところからやって来た怪物を消し去らんと迸る聖なる雷は、ミスリルの長靴による直撃と完璧にシンクロしていた。

目が眩んだ瞬間、フィルヴィスは凄まじい轟音に脳を揺さぶられた。かつてない修羅場で高められた集中力で練り上げられた精神力の奔流は、彼女自身も知らぬ強大なエネルギーを内包していたのだ。

炸裂する轟雷のインパクトは今、手負いの凶狼の振るう最後の牙となって『戦士像』へと突き立てられる。

 

「~~~~~~~~……ッ!!」

 

反動で、全身が揺れる。視界がぶれる。蹴りを支えている素の左足が、みしみしと悲鳴を上げた。大音響と閃光は、生み出す側にさえ少なくない衝撃を齎していた。

だが、得られるものの大きさを考えれば、どれほど安いか知れない。

格子が覆う横っ腹に喰らった、黄金に輝くメタルブーツの一撃。それは、『戦士像』の巨体を一気によろめかせる。

 

(決める!!)

 

一歩、踏み込む。

 

「ベート!!」

 

主の声。

 

(わかってるよ……この、糞野郎が!!)

 

悪態を向ける相手は、地割れを挟んで両脚を床に撞き立てる。

両肩が広がり、天を仰ぐように兜は上げられた。

腹の中にある魔力の渦が溢れだす。

来る。

あの、全身に纏わせる稲妻の防壁を生み出す為の、刹那の放電――――隙だらけの姿を晒す、最大の機が。

 

「らァーーーーーーーッッ!!!!」

 

雷光が宿る右足が振り下ろされる。フロスヴィルトに込められた超高密度の魔力が解き放たれ、爆裂するプラズマは地雷のように罅割れた床を吹き飛ばした。

それは巨大花を消し飛ばした流星の衝突すらも凌駕する破壊力だった。ドワーフの戦士にこじ開けられた闇の入り口により大幅に強度を失っていた石床が、衝撃地点を囲う巨大な同心円を描いてささくれ立つ。

クレーターの中心に生まれる山吹色の鉄槌。余波を貯水槽の天井まで吹き上がらせるそれは、対峙する『戦士像』の放出する光も覆い隠し、鬨を上げようと胸板を張る身体を突き倒す。

巨体が仰向けに倒れる音は、踏み割られる岩盤の悲鳴でかき消された。

 

「…………!!」

 

成し遂げた悲願にベートは笑みなど浮かべない。右脚の激痛は、既にその筋繊維と骨が致命的なダメージを受けている事の証左であると理解していたから。

まだ、相手の息の根は止まっていないと、知っているから。

両拳から血が滴り、噛み合わされた歯が軋んだ。

砕けた床から右脚を抜き去る。禍々しく弾ける電撃の薄布を纏ったまま立ち上がる『戦士像』を、睨みつける。

戦いを終わらせる為の道筋は、この瞬間にしか開かれていなかった。

前へと、踏み出す。

 

「おらあ!!!!」

 

ハイキックが兜に炸裂する。

爆音、閃光。猛烈な電位を誇る金属同士の激突が、遥か地下通路の果てまでとどろき渡る。

立ち上がりかけていた巨体がまた怯んだ。大きく仰け反る上半身とともに後退する両足。

二者を繋ぐ直線上にある、貯水槽の出入り口目掛けて。

あと、数歩。

琥珀色の眼光は、右脚を輝かせる光を一方向に束ねたような芯の強さを湛える。

 

「ア゙アアアアアアイ゙ッッ!!」

 

踏みとどまって叫ぶ怪物。両手に握られた大槌が迫り来る。

何度も見た。

何度も躱した。

スピード、高さ、間合い。全ての予測が、狼人の身体を反射的に突き動かす。

この瞬間、ベートは完全に、果たし合いの支配者だった。

 

「――――!」

 

伸びた背すじの上にあった頭は、一瞬で地べたに顎を触れさせ、残像だけをスイングの軌道上に残した。

両脚に溜まった疲労も損傷も、今の彼を縛る錘にはならなかった。

ヘッド部分が四つ脚で屈んだ上を通り過ぎ、銀髪を数本、薙いで刈り取る。

次いでベートの両腕の筋肉が、鋼鉄よりも固く張り詰めた。まっすぐに伸ばされたそれは長駆を一気に振りかぶる。

 

「せえええっ!!!!」

 

巨大なスリングショットを象る回し蹴り。ミスリルの迅雷は、再びのカウンターとして『戦士像』の胴体の中心へ叩き込まれた。

 

「…………!!」

 

莫大な電磁気力の暴発は、遂に巨体を浸水部分まで押し切った。階段を踏み外し、浅瀬に落ちて飛沫を上げる『戦士像』。

造営物を焼く火花と鼓膜を破りそうな轟音は、それでも遠くで怪我人を囲む面々の顔を釘付けにしていた。

訪れる決着の時は、誰しもの脳裏に予感させた。

しかし。

 

「――――あ、マズイ!!……あかん、ベート!!」

 

稲妻の中で踊り狂う眷属の姿を固唾を呑んで見守っていたロキ。何をおいてもその無事を祈っていたからこそ、闇の奥へ突き落とされた影が見せた仕草に、声を上げずにいられなかった。

地を蹴って入り口へ飛び込もうとするベートの先にあって、神の目にはほんの一瞬しか映らなかったが、確かにそれは見えていた。

短い階段の下で立ち上がり、大槌を掲げる彫像の姿が。

 

(耐える。耐えられなきゃ、死ぬ。それだけだ!!)

 

主と同じ視覚情報を得ていたベートはそれでも、突撃する身体を止めなかった。

これから自分に襲い掛かる攻撃の正体を知っていても。

レベル6の戦士を一撃で半死状態にさせるプラズマの奔流。

彼が覚悟を決めてから刹那もの時も経ずに、それは放たれた。

 

「ァアアアァァアア゙イ゙ッッ!!!!」

 

「ああっ!!」「――――!!」「うおっ……!?」

 

闇の奥にあるずぶ濡れの大胸筋が雷光で照らされる瞬間、底抜けの絶望が女神の心を包んだ。

隣に座る二つの影も、網膜を潰すほどの光量に驚愕する。狼人が繰り出す打撃の余波すら霞む、桁外れの電圧が吹き荒れる様に心胆を震わせる。

撃ち出される雷霆は、大広間の出入り口を決壊させるほどに溢れ出していた。天地が横向きになったかのような凄まじい放電は、その中に在る遍く生命の死を確実視させて余りある光景だった。

 

「あ、あぁぁ…………!」

 

「ロキ、待て!」

 

熱波が過ぎ去り、ようやく目を開いたロキは青ざめる。稲妻によって粉砕され大幅に開口面積を広げられた出入り口と、貯水槽内にぶち撒けられた無数の瓦礫が、陰惨極まる予感を彼女に与えていた。

たまらず駆け出そうと立ち上がる手をディオニュソスが掴もうとしたが、寸でのところで空を切った。

信じたくない気持ちと、どんな結果でも受け入れねばならない気持ちを心のなかでぶつけ合いながら、舞い散る砂煙の中に突っ込む。

未だ健在であろう怪物の待つ場所へと単身足を踏み入れる愚行も、すべては『子供』の無事を願う思いが生む衝動が生むものだった。

 

「ベート――――……!?」

 

そして、刮目する。直立したまま佇む背を見て。

焼き尽くされた装いの下には、巨大な爪で掻きむしられたように黒く火傷が走っていた。

だがロキが驚愕したのは、その傷の痛ましさではない。ガレスを問答無用で昏倒させたあの電撃に、レベル5のベートが耐え切ったという事実こそが、真に主の言葉を失わせていた。

 

「…………バカ。危ねえだろが…………まだ、終わってねえんだよ……」

 

振り返らずに、かすれた声を紡ぐ狼人は、防具も無く焼け焦げた左足を踏み出す。

その先に立つ、黒く波打つ水面に囲まれた『戦士像』。下ろした大槌から、幾つもの水滴が落ちるのをロキは見た。

 

(…………!!水……!)

 

主は悟った。眷属はただ我武者羅に押し切る事を考えて怪物を水路に叩き落としたのではなかったという事を。

無謀としか思えない吶喊は、根拠の無い精神論に基づいたものなどではなかったという事を。

ガレスに対して今一度の応急処置を施しつつ、遠く壮絶な戦いぶりに目を奪われているフィルヴィスがその推理に思い至ったのも、同時だった。

 

(確かに、電気は濡れた身体を伝って水路へ向かう……けど、それを差し引いてもあの量の放電を、耐えられると踏むなんて……!?)

 

笑みを浮かべたまま気絶しているドワーフは、何も答えなかった。

迷宮における生死を賭けた凄絶な研鑽の日々を重ね続けた二人の戦士による戦術理論は、今、黄金色に輝くミスリルの長靴を持ち上げる青年の姿に宿り、定められた結論へ至ろうとしていた。

座して待つ事などしない敵も、それを迎え討とうと得物を持ち上げる。しかし――――

 

「うっ!?」

 

巨体を覆う稲妻の防護壁が弾けて消える音が、ロキの鼓膜を叩いた。その衝撃で『戦士像』の構えが緩む姿は、闇の奥で瞬き消える閃光とともに、彼女の目に確かに映っていた。

最も近い場所でぎらつく、琥珀色の双眸にも。

 

「――――お」

 

ベートを遮るものは、何もなかった。

左足で、煤塗れの床を蹴り砕く。同時に、全身をひねった。

崩れた階段の上から、銀色の影は弾丸のように撃ち出される。

無防備な巨体の中心と、彼の正中線が符合する。

 

「――――おおおおお――――!!」

 

長い左脚は、きらめくメタルブーツの軌道を、貯水槽と地下道の境目において、はっきりと輝かせていた。

 

口は耳まで裂けようと開かれ、濡れた牙が呼気を切り裂く。

 

声無き悲鳴を上げる体中の骨が、決して折れない意思によって統べられ、撓った。

 

凶狼の咆哮は、紛れも無い終幕の一撃とともに、雷鳴を思わせる怒号となって怪物に襲い掛かる。

 

(あ……)

 

目に映るものすべての動きがゆっくりと見えるロキは、あるものを思い出していた。

遥か旧い仲である、同郷の者達の中で、最も強大な力を持っていた知己。

比類なき剛勇。

怒れる戦士。

雷の化身。

 

 

 

……戦いの、神(god of war)。

 

 

 

 

(――――トール――――)

 

 

 

 

「――――ーーーーーーーーーーっっっっ!!!!」

 

 

 

 

 

振り抜かれた雷神の大槌は、『戦士像』の腹部に叩きつけられ――――格子を突き破り、中に渦巻く光を解き放つ。

同時に、フロスヴィルトに宿っていたエルフの雷霆は、遂に自らを封じていた容れ物を破壊し、荒れ狂った。

まるで星がそこに生まれたかのような光は廃道だけを照らしだすものだったがゆえに、貯水槽の中にとどまっていた一組の主従は直視する事を免れたが、『子供』を待つ女神は、そうも出来なかった。

水路を爆破解体するつもりかという衝撃波とともに吹っ飛んできた一つの影。両手を広げて、それを受け止める。眩む目を決して閉じぬまま……。

そのまま一緒に背中から倒れ、石床に皮をすり卸されそうなほどに引きずられて――――数秒。

 

(……大きくなりよって)

 

仰向けになったまま胸に抱かれる『子供』の重さに、ロキは、唐突な郷愁にかられた。

動くのをやめた視界には、高く薄暗い天井があった。

はあ、とため息をついた。

 

「この~、おおばか……」

 

焦げ目と煤で汚れた銀髪を見下ろし、つぶやく。

毛だらけの耳が、ぴくりと跳ねた。

 

「……わるかった、よ…………」

 

ベートの目は前髪に隠れ、その色を伺うことは誰にも出来なかった。

 

 

 

 

再びヴァルハラに片足を踏み込んでいたガレスが意識を取り戻したのは、それから少ししてからの事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

--

 

 

 

 

 

 

 

「ディオニュソス様、やはり私が……」

 

「い、いや、これくらい……あと、少しだからな、ははは……」

 

「申し訳ありませんなあ……」

 

長く入り組んだ旧水道を抜け、一行は下水道の通路まで戻って来ていた。その道程において、ガレス・ランドロックの巨体――――全ての武具を捨ててきたとはいえ――――を背負い歩き続けるというのは、ディオニュソスの身体能力から鑑みて驚異的な偉業と言うべきだった。

 

「ちょっと休もか。もうちょっと行ったら、階段昇らなあかんしな」

 

「ゔっ……」

 

ロキの提案は、ディオニュソスから最後の力を奪い去ったようだった。崩れ落ちる優男に、フィルヴィスが駆け寄る。

床に足をつけたガレスが、よっこらしょっと腰を上げた。

 

「そろそろ、自分で歩くとしますわい。これ以上世話を掛けられませんでな」

 

「……俺も降ろせよ」

 

不機嫌そうな声は、ロキの背中から発せられた。

死闘の末にぼろぼろになった狼人は、応急処置だけ施されて力なく主に背負われたまま帰りの途へとついていた。

眷属の懇願に、主は首を動かさずに、口を開いた。

 

「ダメー」

 

「……何でだよ」

 

「ダメなもんはダメー」

 

「…………降ろせ――――ッッ!!?!」

 

ベートが暴れたが、瞬間、全身に走る痛みに悶絶し、硬直する。

殊に右脚からの信号は強烈だった。間に合わせに巻かれた包帯を剥ぎ取れば、火傷を突き破って折れた骨が飛び出す無惨な脛と腿が見えるだろう。

 

「ダーメです。お馬鹿なベートはおウチまでこのまま~」

 

「……クソッ」

 

憮然として吐き捨てると、それきりベートは黙った。戦士としての自尊心を守った代償を甘んじて受け入れる物分りの良さは、さすがの彼も失っていないのだった。

大人しくなった眷属を背負って立ちっぱなしのロキ。その目は、出し抜けにディオニュソスが取り出した、歪な色の魔石を射抜いていた。

 

「……ヤツらは、あの巨大花と、……いや、迷宮の怪物達とすら、根本的に異なる存在なのだろうか?」

 

「ん……」

 

ヤツら。

闘技場と、そして今日、さっき、貯水槽で対峙した、途方も無い強さを持つ怪物達。その異質さとは、単に振りまく威や、突拍子もなく現れる無秩序さもあるが、それも巨大花が辛うじて保つ尋常さと比して明らかに際立つのだ。

 

「……魔石を、持たない…………ひょっとして、闘技場に現れた連中も、そうだったのですか……?」

 

「うん……なーんか引っ掛かってたけど、なんで気付かなかったんかな。……ギルド側も、わかっててしらばっくれたんかな」

 

遍く怪物の生命活動を司る器官を持たないという異常性は、同じ未知との遭遇ではあっても確かに魔石を隠し持っていた植物達とも違うのだと、この場にいる者達に否応なく理解させる。

 

「こら、根が深そうやなあ。アッタマ痛くなって来たわ」

 

「……また、アレの同類が現れたら……」

 

フィルヴィスの漏らした危惧は、更に場の空気を張り詰めさせる。レベル5の冒険者が生命を捨てる覚悟で挑まねば打倒せしめ得ぬ、強大な相手。

震えが、走る。迷宮に挑む者として、――――拭い切れない後ろ暗さを抱えてはいるが――――多少なりとも、場数の経験を自負出来る程度の力は持つと自覚する彼女。それでもあの彫像との戦いにおいては、決して一人で立ち向かえる気骨も根拠も持てなかった。

自らを苛む罪悪感とは決定的に違う、純粋な、暴虐極まる存在への恐怖が、ひとりのエルフに確かに刻まれていた。

 

「しかし、倒せない相手ではない、と。それで充分ではないか?」

 

あっけらかんとガレスは言い放ち、フィルヴィスは面食らった顔を晒す。

手に持つ灯りで照らされるドワーフは、火傷の走る顔に、無邪気な笑顔を浮かべていた。

 

「のう、お若いの。儂らみたいなバカ男の真似をしろとは言わんが――――」

 

あんたのおかげで、勝てたのだぞ。

その言葉は、フィルヴィスの胸の奥に、透き通るように響き渡っていった。

純粋な戦士としての賞賛と励ましの気持ちは、心に生まれた暗い淀みを、流れる下水に乗せて押し流していくようだった。

 

「はい――――」

 

口端が緩むのを感じた。

それを見ていた弄り好きの女神は、更に口角を吊り上げた。

 

「おや、おやおや~ガレス~なるほど、そんな若い娘が……リヴェリアが怒るでぇ~」

 

「えっ、ち、違います……私は!」

 

変な茶々を入れるロキと、慌てるフィルヴィス。ガレスは何も言い返さず、大口を開けて笑った。

 

「……そうか、フィルヴィス……いや、何も言うまい。『子供』の選んだ事はっ……!?」

 

「~~~~~!!!!」

 

軽くなった空気にあてられてかディオニュソスが神妙な顔で言を紡ごうとして、眷属の発する凄まじい怒気に遮られた。

 

「いや、待て、待ってくれ。今のは冗談」

 

「知りません!!!!」

 

向けられる懸想を知っておきながら茶化す主に対し、一瞬で激おこ状態と化すフィルヴィス。大股歩きで去っていくのを、ディオニュソスが慌てて追った。

愉快な主従を見送る形になったロキ・ファミリアの面々が、顔を見合わせ、笑う。

 

「まあ、生きててなんぼやな。……無事にやってくれて、ありがとな、二人とも」

 

「あの二方にも、改めて伝えておかねばなりませんな」

 

「……」

 

ガレスは、主から少し距離をとって、前を歩き出した。四つの靴音が、流れる水の上に乗って消えていく。

 

「な、ベート」

 

前を歩く『子供』に聞こえないくらいの小声で、ロキは呟いた。

 

「……んだよ」

 

主に負けないくらいにか細い返答。

視界が揺れる毎に、全身に鈍い痛みが走った。

命を繋いでいる証拠だった。

 

「今日、世界で一番カッコ良かったの、自分やかんな?」

 

振り向かずに、ロキは微笑みを浮かべていた。

 

「…………知るかよ……」

 

「んふふっ」

 

 

 

 

『子供』を背に乗せた女神が太陽の下に戻るまで、まだ時間が必要だった。

 

 

 

 

 

 

 







・エレメンタルタロス
戦士像。アセンションのタロス。炎氷雷の三種いるが、最強はどう考えても炎。アルキメデスの試練に出て来たらかなりのクソゲーになってたであろう。
本文での無敵モード突入と同時に転倒させる描写はゲーム中でも可能な半バグ技。ゲームだと弾き状態を保って通常の攻撃パターンが持続するようになる(弾かれない攻撃ならダメージを与えられる)が、話の都合って事で勘弁して。

・ディオニュソス
サテュロスの親玉。GOWシリーズでは散々プレイヤーを苦しめた報いを受けクレイトスに惨殺され……なかった。登場どころか、名前すら出なかった。そもそも存在しているのかどうかさえ謎。
ただ存在していた場合、ヒキコモラーなヘスティアに十二神の座を譲られたという原典のエピソードからして、オリュンポス崩壊に巻き込まれてお亡くなりになった可能性は限りなく高いと思われる……。

・カウンター
無印のチャレンジ最終ステージではこれ使わないと本当に地獄。使っても地獄か。
アセンションだと相手を一撃で気絶させられるが、しない奴も居る。しなくても、大きく怯んだりはする。でもダメージは無い。悲しいねえ。




▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。