ラウラ・ボーデヴィッヒと名乗る少女は一体全体何なのか。
ほぼ一日をサボったセシリアは寮の自室で考える。幼少の頃から大事にしている継ぎ接ぎだらけの熊のぬいぐるみを抱きしめ頭を撫でまわしながら、いけ好かない女子生徒の顔を細部まで思い浮かべる。今のセシリアが見てきた顔の中には存在しない、全くの未知の生き物だった。初めて遭遇した人間だったのだ。
なんでか殺意がギンギンだぜ。原型を留めなくなるまでぶっ殺したくなるほど。
生理的嫌悪感を抱いたことなど一度もなかった。前世も今世も理由のない敵意を抱いたことがない。どんな時にも大なり小なり嫌うだけの理由があったはずだ。それなのに奴に対してはそれが見当たらない。惨殺を望むほどの大きな理由というものが。
前世のアタシがらみか。今世ではある程度大人しくしていた記憶があるために、理由があるとすればきっと前世の話になる。もしも、奴が前世に関係があるのならば、という言葉をつけなければならないのだが。
分からないことだらけだ。ぬいぐるみをギュッと胸元で抱きしめて、その頭部に顔を埋める。セシリアの理解の範疇を超えている。存在そのものを快く思っていないことだけしか理解ができない。
もやもやとして、セシリアはぬいぐるみをベッドの上にそっと置くと、靴を履いて窓から飛び出した。外を歩けば少しは気分が晴れるかもしれないと思ったのだ。外出時間も消灯時間も過ぎた後なのだが、セシリアは全く関係のないことだった。
寮の外は暗い。明日が今日に変わるか変わらないかの時間帯では、外を出歩くような人間もいないために外灯は必要最低限にしか灯っていない。
黒色のペンキで塗りたくった世界の中で、セシリアは当てもなく歩く。何処へ向かうかなど一切考えてはいなかった。とりあえず外気に当たろうとだけ考えていたのだ。
真っ暗闇の世界は踏みしめる地面も手の届かない空も等しく黒塗りだった。星も見えないつまらない空だ。
そのつまらない空を見上げて数秒ほど、セシリアは溜息を吐き出すと見上げることをやめた。
暫く歩みを進める。本当にやることがない。あえて目的を当てはめるとしたら散歩だろうか。頭の中にあるもやもやを晴らすための当てのない散歩。
「……ぶっ殺せればなぁ」
面倒だ。法律とか倫理とか。アタシの居た世界じゃあそんなもんは存在しなかったって言うのに。ま、生きるだけに必死でルール作りもまともに出来る状態じゃなかったからな。組織ごとのルールが多少あったけど、行動を極端に制限するようなものはなかった。
そうなると、この世界は平和を守るために苦労しているのかもしれない。アタシたちの世界では自分の身を守れるのは自分だけだったけど、この世界は法律や倫理が人々を守っている。ニュースを見てみると、時折ルールを破って殺人を犯す奴がいるけど、あれがちょっとうらやましく感じる。ルールを知覚してなければ、アタシだって知らずに快楽殺人者へと変貌していたかもしれない。
セシリアは途中で歩みを止める。気配を感じたからだ。ソイツは背後からゆっくりと近づいてくる。敵意はない。その証拠に向けられる視線には全くの悪意が感じられない。
近づいてくる気配は知っているものだ。慣れ親しんだ感じに、セシリアは背後を振り返る。
「お前はいつまでアタシのお守りをするつもりなんだ?」
黒ずくめの空間に真っ黒なスーツを着込んだ男が立っている。会社帰りのサラリーマンというには物々しい雰囲気を背負っているために、そこいらの一般人ではないことが一発で感じ取れる。
セシリアにとって黒スーツの男は見知った顔だった。両親が亡くなる前からオルコット家に仕え、両親が墓石の下に封じられた後も忠犬の如くチョロチョロとついて回って来る暇な男。 雇い主でもないセシリアに忠誠を誓うかのように日本までついてくる姿に、セシリアは呆れて問いかけてみた。
「私が仕える必要がないと感じた時までです。それまでは命がけでセシリア様のことを守らせていただきます」
黒スーツの男は感情を見せずに淡々と述べた。
「エドウィン。アタシは金出せねーぞ。親戚連中もアタシにはノータッチだからな。そっちにもせびれねー。金にならない仕事なんて得ないぞ」
「構いません。金でコロコロと態度を変えるようなボディーガードになるつもりいはありませんから。それに奥様がご存命の頃に、暫くは困らないほどの給金を頂いています」
淡々と返事を返したエドウィンは、ふぅん、とつまらなそうに背を向けて歩き出した主人の背中を一定の距離を保ちながら付いて行った。
背後から感じる悪くない気配に、セシリアは頭の中のもやもやが少しだけ消えた気がした。