本当にわたくしは情けない。慣れない優しさを向けられたのが逆にわたくしにとっては辛かった。
一夏さんへの恋心は本物で、宍戸さんへの気持ちはまだ分からない。彼がわたくしに下心を向けていたのならこんな気持ちを向けることもなかったのに。そんな言い訳ばかり浮かんでは自分を正当化しようとする。こんなわたくしを尊敬しているなんて言われるのは宍戸さんに申し訳ない。
(……今日はもう部屋に戻りましょう)
そう思い誰もいないシャワー室に入りノズルをひねる。お湯に切り替わる前にシャワーを浴びてサンオイルを洗い流す。この冷たさは宍戸さんの手を思い出す。冷たくて男性にしては小さな、私より少しだけ大きな宍戸さんの手を。
最初はただ宍戸さんの気持ちが気になっていただけだった。しかし知れば知るほど彼のことが分からなくなった。宍戸さんは他人の悪意を感じ取っていない、出会った時の印象は今でも残っている。優しさ、というよりは無知に近い気がする。
わたくしが自信がないと話しても、その弱さに漬け込むこともなかった。それどころか嫌われるはずはないと勇気づけてくれた、素敵な人だと。その言葉はわたくしにとって苦しくもどこかで望んでいた甘言だった。
知らない間にシャワーはお湯に変わっていた。シャワーを止めてかけておいたタオルで髪を乾かしていく。水滴を全て拭き取って戻った9人部屋は誰もいない空虚な空間だった。
(どうしたものかな……)
結局オルコットさんを追うこともできず僕はまた砂浜に戻っていた。日差しはフードで防げるが気温自体は下がっていないので暑い。これには先ほどのサンオイルの件も影響しているだろう。平静を装ってはいるが僕みたいな気の小さい人間は女性の涙を見せられたら落ち着かない。それがオルコットさんのような人のものともなればなおさらだ。
「なあ朔夜、セシリアどこ行ったか知らないか?」
「ああ、一夏君。オルコットさんなら多分部屋に戻ったと思うよ」
海に入ったのか若干濡れている一夏君に声をかけられて悶々とした思考から目が覚めた。
「そっか……。謝るついでにビーチバレーに誘おうと思ってたんだけど」
「今はそっとしておいた方がいいかもしれませんね」
オルコットさんもそんな気分にはなれないと思う。いや、もしかしたら一夏君に誘われたなら参加するかもしれないけど。
「おーい、おりむー。早くビーチバレーやろーよー」
「ああ、今行くよ」
「しどっちもおいでよー」
「シドッチ?イタリア人のカトリック司祭ですか?」
「ん~、ちょっとユーモアが足りないかな~」
結構辛口なんだな、布仏さんって。ということは『しどっち』っていうのは僕のあだ名ということか。あだ名をつけられるのはこの学園に入学してからは初めてだな、と思う。
「あと、お誘いは嬉しいんですけど僕はやめておきます」
「えー……。残念だなー」
僕も今日はあまり動きたくはない。しかし部屋に戻るのもなんだか味気ないのでここにいる。まあ初めから泳ぐ気はなかったし、幸いIS学園のみんなは各々が様々な遊び方をしているので見る分には退屈しない。
「そう言わずにさ、俺も男一人じゃやりづらいし頼むよ」
そんなことを言われても気分は変わらない。沈んだ気持ちは一緒にいる人たちにも影響を与えるから、気乗りしないときに遊んだりはしたくない。つまりは僕のわがままだ。
「ごめん。やっぱり気分じゃないからさ」
「そっか、分かった」
そう言うと一夏君は布仏さんの方に歩いて行った。和気藹々と行われるビーチバレーを眺めながら僕は自分の行動を振り返る。本当に考えが足りなくて自己嫌悪すら覚える。
――もういっそ、自分の気持ちを伝えるべきなのだろうか?その先にある未来が予想できないうちは動かない方がいいのだろうか?
(いや、そもそも上手くいく可能性を考えてる方がおかしいのか……)
後ろ向きな考えばかり浮かんで溜息をついた。もうちょっとポジティブに生きられないものか、僕は。こんなことではオルコットさんに振り向いてもらえることなどあり得ない。
真上に昇った太陽を肌で感じながら僕は砂浜に腰を下ろした。
「オルコットさん」
自由時間が終わり夕食前の時間、僕は勇気を出してオルコットさんに声をかけた。緊張して声が震えているのが情けない。
「し、宍戸さん……。どうかしましたの?」
「忘れているわけではないですよね。次は広間で夕食を摂るんですから一夏君の隣の席を確保しましょう」
「ですけど……」
今の空気のまま顔を合わせればこうなることは分かっていた。だけどそんな理由で彼女への助力をやめるだなんて馬鹿馬鹿しい。
「僕が言ったことは嘘じゃありませんよ」
また伝えたいことだけを伝えてしまうが仕方ない。不器用なら不器用なりに無理を通すしかない。
「オルコットさんは魅力的です。そんな人が自分の気持ちが燻ぶっているのに目を背けているのは本意ではないでしょう」
「それは、……そうですけど」
「僕のことで悩むのは後でもいいでしょう。今そこにあるチャンスを掴む方が大切です」
まだ留まろうとするオルコットさんの手を掴んで早足に歩き始める。僕の歩調に初めはおぼつかない足取りで着いてきたが、すぐに慣れて隣に並んだ。
「宍戸さん、わたくしはまだ……」
「心の準備も後です。昼のことは一度忘れて、一夏君との距離を縮めないと」
「話を聞いてくださいな!」
オルコットさんの声で背筋が伸びる。振り返ると一度息を吸ってから僕を諭すように優しく話し始めた。
「宍戸さんのご厚意は嬉しいですわ。ですけど、今わたくしが一夏さんの所へ行っても満足に話せるとは思えませんわ……」
「たしかに、そうかもしれませんけど……」
「少し落ち着いてからしっかりとお話しした方が確実ではなくて?」
反論し難い正論に言葉が詰まる。気持ちが焦るあまり僕はオルコットさんのコンディションに気を配ってなかった。自分の行動を顧みて恥ずかしくなる。
「それで……、その、気になっていることがありますの」
「それは僕に関してですか?」
「もちろんですわ。あなたでなくては答えられませんわ」
ISのこと、ではないだろう。僕なんかじゃ答えるどころか聞く側になってしまう。ではいったいなんなのだろうか?
「わたくし、ずっと気になっていましたの。思い上がりかもしれませんけど、宍戸さんはわたくしに好意を抱いているのではなくて?」
もしかするととは思っていたけど気付かれてしまっていたようだ。こうなってしまっては仕方ない。それに僕が気がかりで積極的になれないのだから、ここでその疑問を解消しておくべきだろう。
「ええ、あなたのことが好きです。初めて会った時の憧れや尊敬がいつの間にか好意に変わっていました。ただ、オルコットさんが一夏君を好きになったのも知っていましたから自分の気持ちを隠すことにしたんです」
「わたくしのために自分の気持ちを偽ってくれていましたのね……。申し訳ありませんわ」
「いえ、僕の意思で決めたことですから。それにオルコットさんの力になれているような気がして嬉しかったですし」
思い返せば色々なことをしてきた。それらは苦痛に感じることも面倒に感じることもなかった。本当にやりたいことだったから、こう思えたと今なら言える。
「すごく楽しかったんですよ、僕は。オルコットさんのふとした時に出る歳相応の可憐さを一番近くで見れましたから。もちろんそのせいでこうして自分の気持ちを抑えられなくなっているんですけどね」
自嘲気味に笑う僕の言葉をオルコットさんは静かに聞いていた。返答がなく僕は視線を泳がせる。
「こんなことを言ってしまっては軽蔑されてしまうかもしれませんけど……」
やっと発せられたオルコットさんの言葉は自信がなく弱気なものだった。やっぱり彼女のこういう顔は見たくない。
「わたくしも宍戸さんに少しではありますけど気がありましたの。最初は父に似て弱い人だと嫌っていましたのに」
「オルコットさんのお父さんですか……」
それは意外だ。勝手な想像ではあるけどきっと作法や礼儀に厳しく女尊男卑社会でもそれなりに強く生きているものだと思っていた。
似ているから僕を嫌いになったということはコンプレックスでもあったのだろうか?
「でも、宍戸さんと接していると分かってきましたの。父は弱い人ではなかったと。自分の意思を表に出さないこと、好きな人を近くで支えること。それは一種の強さでもあったのだと。そしてわたくしは一夏さんの男性としての理想的な強さに、宍戸さんの父なりの強さに惹かれてしまったのですわ」
「ということは親御さんとのわだかまりが解けたんですかね?なら良かったです」
腐っても親。血は鎖よりも強固に人を繋ぐものだ。親子の繋がりは円満であることが一番望ましい。僕もそうでありたかったから強くそう感じる。
「もっと早く気付けていればよかったのですけれど……」
「何か、あったんですか?」
余計な詮索とは思いながらも聞かずにはいられなかったので尋ねた。オルコットさんは渋るでもなくすぐに答えてくれた。
「わたくしが幼い頃に両親は他界してしまいましたの。ですから今更気付いても意味がありませんわ」
「遅くなんてありませんよ。まだ15歳の段階で気づけたんですから、これからどれだけ長く嫌わずに過ごせるかと考えればむしろ早いほうですよ」
「ふふっ、そうかもしれませんわね」
オルコットさんの楽しげな声を僕は久しぶりに聞いた気がした。ただ、1つ困ったことがある。僕の気持ちはもう気付かれているし、オルコットさんも悪く思ってはいない。ここまで聞いて男として何も言わずに話を進めていいのだろうか?
(良くはないんだろうね……)
そこまで腹をくくっていても足踏みしてしまうのは今までの僕の行動が首を絞めていたりする。ずっと応援していた人と僕が恋仲になろうとすることに躊躇いが生まれ言葉が喉を出かかって止まっている。
でも同時に相反する気持ちもある。ひと思いに告白してそこに待つ結果を望んでいる僕もいるのだ。
「そういえば宍戸さんはわたくしを呼びに来たのでしたわよね。それでは行きましょうか。わたくしのコンディションも元に戻りましたし」
「え、あ……はい」
悩んでいるうちに話が進んでしまい機を逃してしまった。気落ちする反面どこか安堵する僕がいた。
(そうだな……。とりあえず一夏君を超えてみることから始めよう。じゃなきゃ今告白してもオルコットさんを余計に悩ませてしまうだけだし)
自分の臆病さにそう理由を付けつつ、僕はオルコットさんの後ろを歩き始めた。
臨海学校というくらいなので楽しんで終わりというわけにもいかない。しっかりとISの実習も予定に入っていた。思えばこの臨海学校で初めて学園外でISを使うことになる人も少なくないはずだ。残念ながら僕は訓練機は使えないので今回の実習は見学するだけなのだけれど。
「では、これよりISの実習を始める。だがその前に――」
生徒の前に立ち説明を始めた織斑先生の言葉がそこで止まり、篠ノ之さんに視線を移した。いったい何だろうかと疑問に思っているとその声が響いた。
「やっほーーーーーーーーー!ちぃぃぃいいいいいいちゃぁぁああああん!!」
信じられない勢いで走ってきた人影は大きく跳躍すると織斑先生に肉薄した。そして当の織斑先生は冷静にその人影の頭部を鷲掴みにすると受け流すように体の向きを変えて衝撃を緩和した。その間にも手から力を抜かず、その細い指が闖入者のこめかみに食い込んでいた。
「やあやあ会いたかったよちぃちゃん!」
「うるさいぞ束……」
と、辟易とした様子で織斑先生がぼやくと先ほどから騒がしいその女性は軽やかに強力なアイアンクローから逃れるとその容貌をここにいる人間たちにさらした。
誰かなんてすぐに分かった。世界中の政府、並びにISの開発研究に関わる人間が何年間も捜索している人物、篠ノ之束その人であった。あまりに突然のことで声が出ずただただ驚くばかりだった。
「まったく……。こいつらが混乱しているだろう。束、自己紹介しろ」
「え~、面倒だなぁ。ま、いいや。私が天才の束さんだよ、ハロー終わり!」
怒涛の勢いで終わった自己紹介はさして意味は持たない。何しろこの地球上で彼女を知らない人間の方が少数派なのだから。もちろん僕もIS学園に来る前から彼女の名前と顔を知っている。そりゃあ歴史の教科書に満面の笑みでピースして載っているのだから覚えないわけがない。それを抜きにしてもこの若さでISをたった1人で開発したその功績があれば人々の記憶に残ることなど容易いだろう。
「あ!いっくんも久しぶりー」
「ど、どうも」
苦笑いをしながらそう答える一夏君はもしかして篠ノ之博士と接点があるのだろうか?本当にすごい人たちと友好な関係を築いているなと感心する。
「やっほー、箒ちゃん!」
「こ、こんにちは……」
「もー、堅いなあ。姉妹なんだからもっと仲良くしてくれていいんだよ?」
なるほど。篠ノ之さんと姉妹関係という理由なら面識があってもおかしくない。幼馴染の姉妹となればそれなりに関りもあることだろう。
「それで例のものは……」
「ふっふっふー、安心してよ箒ちゃん。ちゃんと用意してるよー。さあ、大空をご覧あれ!」
大仰な仕草とともに叫んだ篠ノ之博士の視線を追うように空を見上げる。一拍遅れて風を切る音が響き不思議なシルエットの影が落ちてくる。
盛大な音を立てて地面に突き刺さったそれは一言で表すと、いや、まるっきりニンジンだった。それも絵本で見るようなデフォルメされたものだ。場違いなのは言うまでもない。
「げほっ!げほっ!」
土煙が上がり思わずむせこみ、手で粉塵を払いながら目を開くと先ほどのニンジンはなく代わりに見慣れぬISが鎮座していた。
その装甲は太陽の光さえも飲み込むほど紅く、どこか武士を思わせるようなフォルムは古風でありながら先進的なものだった。そして篠ノ之博士は両手を広げてそれが何かを高らかに宣言し始めた。
「これが箒ちゃん専用機、その名も『紅椿』!そのスペックは現行ISを上回る第四世代でパッケージのインストールは不要だよ!やったねー、箒ちゃん!」
「この馬鹿者が……。あれほどやりすぎるなと言っただろうが」
説明を聞いた織斑先生が眉間に皺を寄せる。だが、他の生徒や教員は驚愕ばかりで口を開く余裕もなかった。
第四世代型IS。未だ人類が到達しえなかった境地を軽々と踏破してみせた篠ノ之博士の頭脳に僕はただ慄いていた。圧倒的な才気とそれを惜しげもなく扱う異端さが彼女を彼女たらしめるものなのだろう。だからこその『天才』だと思い知らされる。
「さて、じゃあ初期設定と最適化を始めよっか。箒ちゃん、ちょっと乗ってくれるかな~」
「はい、分かりました」
「堅いなぁ、昔みたいに甘えてくれていいんだよ?」
姉妹、という割には仲はあまり良くないみたいだ。他人のことなので深入りはできないが複雑な事情があるに違いない。
そうこうしているうちにも作業は進んでいき、空間ウィンドウが開かれては閉じるを繰り返していた。その速さは目まぐるしく見ているだけで酔ってしまいそうだ。
「そういえば束さん。聞きたかったんですけど俺ってどうしてISに乗れるんですかね?」
実を言うと僕も気になっていたことを一夏君が尋ねてくれた。ISの開発者であればその謎も解けるかもしれないと思う。
「う~ん、それが私にも分かんないんだよねぇ。ま、ISは自己進化するように作ってあるしそういうこともあるのかな~」
しかし返ってきたのは予想していなかったほど曖昧な答えだった。しかし僕が聞いたところで答えてくれるはずもないので今はその答えで満足しておこう。
「あ、ナノ単位まで分解してみたら分かるかもしれないよ」
「いや、さすがに遠慮しときます……」
一瞬僕の方にも視線が及んだけど残念ながら承服できない。篠ノ之博士だと本気でやりそうな気がするからなおさら。
それに僕みたいな2人目も現れたしそのうち男でISが使える人も増えてくるだろう。それまで気長に待てばいいか。
「ほいっ、おーわり!それじゃあ箒ちゃん乗ってみて」
「はい」
赤い装甲の肩部分に手をかけて篠ノ之さんが紅椿に乗り込む。軽い音がして腕と足に密着するように隙間がなくなり完全に装着が完了する。
この時点で紅椿は篠ノ之さん専用機になった。彼女に適するように設定されてかなり使いやすくなっているはずだ。それが専用機というものだ。これから時間をかければもっと扱いやすくなる。まあ全部教科書の受け売りだけど。
「織斑先生!こちらをっ!」
そんな折、山田先生が血相を変えて走ってきた。そして何やら空中投影型のディスプレイを織斑先生に見せている。
「これは……」
「アメリカで極秘裏に開発されていたISが何者かにハッキングされたようで――」
「静かに、今は他の生徒もいる」
一通り手話でやり取りをした後で織斑先生は専用気持ち以外の生徒に今後のことを説明した。要約するとイレギュラーな事態が起こったので一旦実習は中止、自室で待機とのこと。
しかし何があったというのだろうか。そして何より専用機を持っているとはいえ篠ノ之さんまで残るのは引っかかる。次世代機とはいえ先ほど手に入れたばかりなのだ。それほど人員を集めなければならない事態なのだろうか?
まあ何を言っても僕は待機側だからここにはいれないので自室に戻ることにした。
一応暇つぶし用の本を持ってきていてよかった。もちろん不必要なものは持ってこないように言われているけどその辺は結構見逃されている。カメラだったりトランプだったり意外とみんな持ってきている。ちなみに僕は男子ということもあって一夏君と2人の部屋だ。織斑先生に他の部屋に入ることは禁止と言われたので僕の部屋に来る人はいない。それはそれで退屈なもので小説がサクサク進む。
「はぁ……。それにしてもどうなったんだろ」
栞を挟んで本を閉じる。ちょうど章の区切りになったので一旦読書をやめて部屋の外を窺うように聞き耳を立てる。教員の気配がないので部屋から出る。廊下には誰もおらず静まり返っている。
(現状を知ってる人……専用機持ちの誰かに会えればいいんだけど)
足音を忍ばせて廊下を進んでいくと光が漏れる部屋の前に来た。隙間から中を覗くとそこには女性が1人座っている。長い髪の少女は横たわる少年を見つめていた。
「……誰だ?」
弱弱しい声で少女が語り掛ける。この声は間違いない、篠ノ之さんだ。
「僕です、宍戸です」
「お前か……。笑えるだろう、自信満々で敵に立ち向かっておいてこのざまだ。私が油断したばかりに一夏に怪我をさせてしまった」
全身打撲に火傷と裂傷、一目見るだけで一夏君は重症だと分かる。ISの絶対防御がありながらこの容体ということはシールドエネルギーの残量が少ない時に大きな攻撃を受けたのだろう。無茶をせずに撤退という手を取らなかったのは判断ミスと言える。
「篠ノ之さんだけの責任にはなりませんよ。戦闘を避けなかった一夏君にも非はあります」
「違う!私が油断をしたから……、私が力におぼれなければ一夏は……」
一夏君のことだ、そんな篠ノ之さんをかばった結果だろう。
「一度、外を歩きましょう。暗い顔をしていても事態は好転しませんから」
「そうだな……。少し、頭を冷やしてくるとしよう……」
力ない歩みの篠ノ之さんの体を支えながら、外に出ると真上にあった太陽が傾いていた。あと3時間もすれば夕暮れになるだろう。昨日とは違って誰もいないビーチは波音が寂しげに響いていた。
「篠ノ之さんは昨日泳ぎましたか?」
「……そういう気分ではなかったからな。人気のない所で海を眺めているだけだった」
それには専用機も関わっているのか、表情がわずかに歪んでいた。それは混じりっけのない悔しさからのものだった。大事な人を傷付けたという自責の念が篠ノ之さんを苦しめている。
「こんな所にいたのね」
そんな僕たちの元に姿を表したのは凰さんだった。会わせる顔がないというかのように目をそらした篠ノ之さんを気にせず彼女は続けた。
「一夏が怪我したの、あんたのせいらしいわね」
慰めに来た、というわけではないだろう。会ってそう時間は経っていないが彼女はそういう性格ではないことは分かっている。
「それで落ち込んでます、ってポーズ?馬鹿じゃないの?」
「……もう私は、ISには乗らない」
やっと口を開いた篠ノ之さんの言葉の直後に凰さんの平手打ちの音が響いた。気力をなくしていた篠ノ之さんは堪らずその場に転んだ。
「ふざけんじゃないわよ!私たち専用機持ちはそんなことで諦めていいほど甘くないのよ!それは代表候補生じゃなくたって同じなの!」
「……ならどうすればいいのだ!敵の位置も分からないのだぞ!」
「敵の位置が分かれば、やる気が出るの?」
不敵に笑う凰さんは後方に目をやった。
「奴の現在地が分かったぞ。ここから南西の方角に300kmで静止している」
「わたくしもパッケージのインストールが終わりましたわ。万全の状態でしてよ」
「オルコットさん……」
自信に満ち溢れた、入学当初に何度か見た表情に僕は安心する。やはり彼女はこうでなくては。
「一応言っておきますけど織斑先生の許可を取っていないなら後で大目玉ですよ?」
「それくらいどうってことないわよ」
凰さんの意見に同意するように他の3人も頷いた。僕はそっと篠ノ之さんの背中を押す。
「行ってきてください。一夏君は僕に任せて」
数秒の逡巡の後、篠ノ之さんは水平線を睨みつけて言った。
「ああ。負けっぱなしでは気分が悪い」
「良い顔になったじゃない」
少女たちは飛んだ。ほんの一瞬で遠く彼方へと。その後ろ姿を無力な僕はまた見守ることしかできなかった。
「言い訳を聞こうか、宍戸」
「そりゃあバレますよね……」
みんなを見送った後、僕は織斑先生に首根っこを掴まれていた。目の前で命令違反を行ったところを見ていながら引き止めなかったのだから当然である。そもそも専用機は持ち主がどこにいるか分かるようになっているのだ。ここから離れればすぐに先生も飛んでくるというものだ。
「言い訳かどうか怪しいですけど、織斑先生が止めてもみんなは向かったと思いますよ」
「だろうな」
心底呆れた顔をする織斑先生はモニターに移るオルコットさんたちの姿を見つめていた。別の部屋で叱るのも面倒、とのことで僕もみんなが作戦会議で使っていた部屋に入れてもらえた。多分みんなが不安な僕を気にかけてくれたのだろうか。そういう素振りは全く見せないけどそういう事にしておいた方がいいのは確かだ。
「宍戸、今どんな気持ちだ」
嫌なことを聞いてくるものだ。どう見たって幸せではないのは分かるはずなのに。
「良い方ではないですね。ここ最近僕は何も出来ませんでしたから」
「無人機の襲撃、VTシステムによるボーデヴィッヒの暴走、そして銀の福音の無効化作戦。この短期間でここまで騒がしいのは今年くらいだ。力になれる方が少ないのが通例だがな」
そう。あくまでも通例では。今年の1年生は代表候補生が多いらしく、それには僕たち男のIS操縦者の登場も関係しているようだ。考えてみれば凰さんとデュノアさんとボーデヴィッヒさんは僕たち(主に一夏君)の在学が明らかになった時点で転入手続きを行ったのだから。それが災いしたのか福となったのか、イレギュラーが起きた時の対応は早い。一夏君は全てのそれから逃げずに戦った。対する僕は何1つ参加していない。
「私はISの第1回世界大会で優勝したが、それを成しえたのは相手の精神状態を把握出来たことも大きい。ISは普通の人間では得られないような情報も操縦者に伝えることができる。鼓動、表情の微妙な変化、発汗、体温、目の動きからある程度のことは分かってしまうからな」
「それを瞬時に判断する能力があれば、ですよね」
「その通りだ。そこで私はお前に1つの仮説を立てる。宍戸、さては力になりたい。そう考えてないか?」
完敗だ。見事に言い当てられた。
「IS学園はどの国家にも属さない。ゆえに教員も母国であろうと友好国であろうと贔屓にはしない」
僕の目の前に数十枚の紙の束が置かれる。左端に国名の書かれたそれは訳されてはいるが何とも読む気の起きない文体だった。
「以前お前の頬を張ったことがあったな。あの時の軟弱な精神を捨てるなら、自分の意思で選ぶがいい。私は一切の助言も誘導もしない。即断したところで今回は間に合わないから存分に考えることだな」
機体スペック、搭載されている武装、制作会社、搭乗するにあたって守らなければならない規約事項、契約期間、全てに目を通した。悩みに悩んで選んだ1枚に名前を書き朱肉に指を付けて拇印を押す。
「いい面構えになったな、宍戸」
僕を見て織斑先生は満足気に笑った。何だか晴れやかな気分だ。
「織斑先生!」
「お前ら!ここは立ち入り禁止と書いてあるだろうが!」
すぐさま表情を変えると織斑先生は部屋に入ってきた生徒に怒鳴った。この切り替えができなければ教師にはなれないのだろうか。
「織斑くんが、行っちゃったんです!」
「何だと……」
「目を覚ましたんだ、良かった……」
一時はどうなるかと思っていたが、飛び出す元気があるなら問題ないだろう。
「あいつらは帰ったら指導が必要だな」
心の中で合掌して、僕はモニターに映るみんなの無事を祈ったのであった。
「理解できませんわ……。どうして正座をして平気でいられますの……?」
織斑先生の説教(僕も含む)が終わった後、僕とオルコットさんは正座で足が痺れて立てなかった。
「夕食の時間までに治るといいんですけどね」
織斑先生とみんながいなくなってから数分間はこうして畳の上で横になって足を伸ばしている。
「日本人の宍戸さんまでこうなのですから、わたくしがこうなっても仕方ありませんわね」
微笑みながら僕を見る彼女にまた心が早鐘を打った。気恥ずかしくなって視線を天井へと移す。
「今日のこと、当たり前ですけど話したらいけないみたいですね」
「こうして関係者だけの場合でも盗聴されている可能性がありますもの。壁に耳あり障子に目ありですわ」
オルコットさんは銀の福音との戦いで翼状の武器の中で全方位射撃を受け、負傷している。絶対防御により大きな傷は負っていないが巻かれた包帯が痛々しい。
「宍戸さん、専用機をお決めになったのは本当ですの?」
「はい。もう見てるだけなのは嫌なので」
幼稚な理由だけど、それが全てだ。
「ISは兵器ですわ。傷を負い、辛い思いをすることもありますわ」
スポーツにしては参加人口は限られているし、現状地球最強の兵器というのは偽ることの出来ない事実だ。使用するだけで誰かを傷付けるリスクが生まれる。
「例えそれでも揺るぐことはありません。守りたい人ができましたから」
「映画みたいなことを言いますわね」
楽しげではあるが、オルコットさんは決して僕を馬鹿にしているようには見えない。
「分からないことがあればわたくしに何でも聞いてくださいな」
「お願いします。多分、分からないことだらけですから……」
オルコットさんは痺れる足を気遣うように立ち上がり僕を見て自信たっぷりに言った。
「わたくしの授業は厳しくてよ?」
「足がこんなに痺れてる状態で言われても説得力ないですよ?」
「な、何を言いますの!?ご覧なさい、わたくしはちゃんと立っていますわ!」
分かりやすいくらい無理をしている。こんなに足をもじもじさせていれば誰にだってバレてしまうのに。
「本当ですかね」
「痛っ……くなどありませんわ!もう平気ですから……」
冗談混じりに足を人差し指で突くとオルコットさんは大袈裟に片足を上げた。その様子が面白く、微笑ましくてつい笑ってしまう。
「わ、笑いましたわね!許しませんわよ!」
そう言ってオルコットさんはまだ治っていない僕の足を仕返しとばかりに突く。堪らず僕は身を縮めた。
「ふふふ……、無様ですわね。ですがこの程度ではわたくしの恨みは晴れませんわよ!」
「勘弁してくださいよ!こうなったら僕も抵抗しますから!」
互いの足を人差し指で刺激しあう奇っ怪な競技が始まり、いつの間にやら夢中になる。
低い姿勢の方が有利と判断したオルコットさんは先ほどまで誇っていた起立をやめ、四つん這いになって攻撃を仕掛けてくる。扇情的な体のラインに目を奪われた隙に猛攻を喰らい、バランスを崩してしまった。好機とばかりに勝ち誇った笑みを浮かべる彼女が仕掛けるより早く、部屋の襖が開いた。
「しどっちー、せっしー。楽しんでるとこ悪いけどみんなもう集まってるよ〜」
「そうでしたわ!」
「そうだった!」
焦って立ち上がろうとして2人してバランスを崩して転んでしまった。
「もしかしてまだ歩けないの〜?」
「一生の不覚ですわ……」
心底悔しそうなオルコットさんは恨めしそうに僕の方を見ていた。この2日間いろんな彼女を見てきたけど、また可愛いなんて思ってしまった。
「あの後いろいろあって全然回復してないんです。布仏さん、少し肩を借りていいですか?」
「うん、いいよ〜」
できるだけ刺激を与えないようにゆっくり歩こうとした僕たちを気にすることなく布仏さんはいつものペースで歩いていく。
「い、いたたっ!布仏さん!あなたいつもより歩く速度が速いのではなくて!?」
「えー、そんなことないよ〜。せっしーが遅いんだと思いまーす」
「わたくしが、遅い……」
途中、何度か布仏さんに足をつつかれながら僕らは賑やかに移動した。この時間が臨海学校で一番の思い出になったのは言うまでもない。
バスの中で僕はこれまで以上に真剣に悩んでいた。目の前には5本の割り箸。その中に僕の平穏が隠れている。
「「「王様だーれだ!」」」
2番。またしても絶対的安全圏である王様を引けなかった僕は苦虫を噛み潰すかの如く苦悶の声を漏らした。
「……すまん、誰か飲み物持ってないか?」
一夏君はまた反感を買ってしまったのか話しかけても無視されていた。
「じゃあ2番は王様のボウタイを結び直す」
「……かしこまりました」
「何で敬語なの?」
「相手が女王様ですから」
ふざけてないと平静が保てない。バスの中だけで何度恥しい思いをしたことか。
しかしみんな楽しんでいるのだからこれでもいいか。そう思って、王様改め女王様改め六花のボウタイを外す。それだけで周りのみんなのボルテージが上がっていた。なんで?
「キツくないですか?」
「大丈夫、平気だから」
力を込めすぎないように蝶結びにして王様ゲームの命令を遂行し終える。顔が近くて緊張した。
1つの山場を越えて脱力しているとバスが止まった。まだ休憩時間には早いはずだけど……?
「ごめんなさい、少しお邪魔するわ」
止まったバスに見慣れない女性が乗りこんで来た。見た目からして日本人でないことは確かだ。
「あなたが織斑一夏くんね」
「ええ、そうですけど……」
どうやら一夏君に用があったようだ。とりあえず展開が気になるのでその女性を見ていることにした。
「私はナターシャ・ファイルス。銀の福音の操縦者よ。今回はあなたたちに迷惑をかけた上に助けてもらって感謝してるわ」
「いえ、別に気にしてもらうようなことでは――」
後ろからだから見えづらいけどキスしているような気がする。いや、見間違いではなかった。専用機持ちの4人からオーラが放たれているから。
「それじゃあね、白いナイトさん」
台風一過、されど嵐の前の静けさ。停車中ということもあり4人は席を立ち上がり一夏君の元へと進軍していく。その背中はまるで戦場へ赴く英傑のようだ。
「随分と女にモテるな、一夏」
「本当に、女性との縁が絶えませんわね」
「すごく親しげだったよねぇ。いつから知り合ったのかな?」
「お前には私の嫁としての自覚がないようだな」
オルコットさんたちの声はいつも通りなのにすごく気圧される。これが恋する乙女の力なのだろうか。
今気付いたけどみんなその手には中身の入ったペットボトルを持っている。そしてそれを高く振り上げると
「「「はい、どうぞ!」」」
鈍い音を立てて投擲されたペットボトルが一夏君を襲った。僕はこの平和を神に感謝しながら、王様ゲームを再開した。
また気が向いたら書きます。それでは!