亡き王女の為のセレナーデ
初夏の風が木々を揺らす中、紅の月が紅の館の上に浮かんでいた。
ピチャン、と水滴の跳ねる音が響く。それに呼応するように、水面の月が揺らいだ。水面に映るのは、無邪気に笑う紅魔の主、レミリア・スカーレットと彼だった。
「おいレミリア……やっぱり、いくら昼間に来れないからって、今日泳ぐ必要は無いんじゃないか?まだ寒いだろ」
彼が問いかける。
「私なら大丈夫。それに、今夜じゃなきゃいけないの。今夜じゃなくっちゃ、ね」
レミリアの見つめる先には、真紅の月が浮かんでいた。
「……こんなにも月が紅いから、だろ?」
「よく分かってるじゃない」
「そりゃあ付き合いも長いつもりだし、な」
二人の関係は別段友達と言うわけではない。かといって恋人、というのも違う。やはり、家族というのが一番近いだろうか。
「でも、今日は月は関係ないかな」
バシャバシャ。
「へー、珍しいな」
バシャバシャ。
「吸血鬼だからって、月で全てを決める訳じゃないもの」
バシャバシャ。
「え、そうなの?ずっとそうかと思ってた。」
バシャバシャ。
「付き合い長いつもりじゃなかったの?」
「まあそれはそのつもりだったが……あのさ、いい加減水かけるの、やめてくれない?」
「断る♪」
先程から、レミリアはずっと彼に水をかけていた。彼は波打ち際辺りで座ってレミリアを眺めているのだが、そこにレミリアが湖の中から水をかけて遊んでいる。
「嫌よ。アナタも入ってくるまでやめない」
悪戯な笑みを浮かべながらレミリアが答えた。
「この服濡らしたら咲夜さんに怒られそうなんだけどなぁ……」
「もう濡れてるんだから変わらないでしょう?」
「そういう問題じゃないだろ……」
はぁ、とため息をつく。いつの間にかレミリアは、沖の方まで泳いでいっていた。クロールのような平泳ぎのようなバタフライのような、何だかよく分からない泳ぎでよくそこまで行けるなぁ、と彼は少し感心していた。
「濡れなきゃいいの?」
「ん……まあな」
こちらを向いて泳ぎを止めるレミリアに答える。一応レミリアの足のつかない所の筈なのだが、もしかしたら水に浮かんでいるのかもしれない。
「うんしょっと」
どうやら浮かんでいたのは背中の羽をパタパタと動かしていたからのようだ。空中に浮かび上がったレミリアは、彼の方に向かってきた。
「ーーーーーー」
「……レミ?」
レミリアは彼の手に触れ、何かを念じているようだった。
「ーーーーはい、終わり」
「あのー……なにしてたの?」
「ふふん、おまじないかしら?」
おまじない、と聞いて彼は少し顔をしかめた。何かの妖術か?と。
「そんな顔しないでよ。別に悪いことじゃないのよ?ねえ、ちょっとジャンプしてみて」
「……こう?って、あれ!?」
「ね、すごいでしょう?」
ジャンプした彼は、そのまま空中に留まっていた。よくみると、背中にレミリアと同じ蝙蝠の羽のような物か生えていた。レミリアと違い、小ちゃい蝙蝠が集まって羽ばたいているようだったが。少し背中がくすぐったい。
「おお……なんか楽しいな」
「でしょ?それじゃあ、少し散歩に行かない?」
「ああ」
プカプカと浮き上がる感覚が少し不思議で戸惑っているようだったが、彼はレミリアの後に続いて飛んでいった
おぼつかない足取り(羽取り?)でレミリアの後ろをカルガモの子のように着いていく。レミリアもチラチラと振り向くあたり、気にしてはくれているみたいだったが…
「レミ……ちょっと速いよ……」
「これでも大分遅いつもりなのだけど……しょうがないわね」
そう言ってレミリアは少し速度を落として彼の隣に並んだ。そして横に手を差し伸べる。
「危なっかしくて見てられないから……ほら」
「え?」
「手、繋いでいきましょう?」
「……ああ」
差し出されたレミリアの左手の上に彼は右手を乗せ、指を絡めた。
「離れちゃダメだからね?」
「俺が離さないから大丈夫だよ」
「なら大丈夫ね、私も離さないから」
そう言って、少し握る手に力を込めた。離れないように、強く。
「……この辺でいいかな」
「レミ?どうした?」
レミリアが急に空中で立ち止まった。
「ねえ、ちょっとあっちを見てみて?」
「……ん?ああ」
彼はレミリアの指差す方向を向いた。
「おー……!」
彼とレミリアの視界の先には、紅魔館と、その屋上の時計台の天辺に乗るように浮かぶ、紅の月があった。
更に、それが湖に映り、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
「綺麗でしょう?」
「ああ……とっても」
「……それだけ?」
「え?何が?」
「もう……それじゃあ紳士とは呼べないわよ?」
「えーっと……れ、レミリアの方が綺麗だよ?」
「ふふっ、ありがとう」
月よりも館よりも湖よりも、彼にはレミリアの笑顔が一番輝いて見えた。
その時、不意に近づいてきたレミリアが彼の耳元で囁くようにいう。
「そろそろ貴方も、夜の世界で生きる決心は出来たかしら?」
「………」
返答はない。彼は何かを考え込む様に黙った。
「……レミリア・スカーレット」
「なんだ?」
そして、言う。自分の思いを。
「確かに、君の眷族になって共に生きるのも、悪くないのかもしれない。っていうかそうしたい。だけどさ――」
「だけど、なに?」
「時間が有限だからこそ、今を楽しめると思うんだよね人間は。それが無限になったら、なんか価値が無くなるっていうか興が冷めるっていうか……」
「…………」
「だから、俺は只の人間だけど、只の人間のままでお前と居るよ」
「……帰るわよ」
「へ?」
「なんかつまんなくなっちゃったわ。それなら、もっとやりたいことを楽しみたいじゃない?」
「……ああ、そうだな」
微笑みながら羽根を広げたレミリアを見て、彼はクスりと微笑んだのだった。