ヴォークリンデに一際高く浮かぶ小島に、その少女はいた。赤い髪を風に揺らし、そこから見える風景をのんびりと眺めている。特に何かをするでもなく、じっと座っていた。
少女、レインはそのまましばらく身動き一つしなかったが、やがて小さくため息をついた。
「明日、か……」
ぽつりとつぶやく。それを聞く者は誰もいない。
明日はオーディションの日だ。アイドルを目指しているレインにとって大事な日である。故に歌の練習などやるべきことはあるのだろうが、緊張のあまり何をしても上手くいかず、ここに来てしまっている。誰かに会って気でも紛らわそうかとも思ったのだが、根本的な解決にはならない。明日までに、この緊張を少しは解さなければ間違いなく失敗してしまう。
しかし具体的な方法が思い浮かばず、せめて少しでも気晴らしになればとここに来ている。高すぎる高度のためかモンスターは近寄ってこないので、落ち着くにはちょうどいい。
ぴろん、と軽い音が鳴った。びくりと体を震わせたレインは、すぐにメニューを呼び出し、メッセージ画面を見る。
「キリト君……」
レインにメッセージを送ってきたのは、キリトだった。数ヶ月前、共にここ、スヴァルト・アールヴヘイムを攻略した仲間だ。レインは途中からの参加だったが、キリトたちにはとても良くしてもらった。レインの素性や秘密を知った後も変わらず接してくれる、大切な友人たちだ。
メッセージの内容は、今からダンジョンの攻略に行くけど行かないか、というお誘いだった。現在ログインしている知り合いに送ったのだろう。レインは少し考えた後、メッセージを返信する。
『ごめん。今日は用事があるんだ』
無論、用事などない。明日ならオーディションがあるが、今日は何もない。それでも、今彼らに、キリトに会うと弱音を吐いてしまいそうで、どうしても避けたかった。レインは返信を終えると、また景色へと視線を戻した。
どれぐらいの間そうしていただろうか。この浮島には主立ったものがない。特に用事がなければ誰も寄りつかない場所だ。それ故に一人で考え事をするにはいいのだが、時間の流れが分からなくなる。
ここにいても仕方がない。そろそろ落ちるべきかと思いながらも、視線は変わらず目の前の景色へ。ぼんやりとしていたがために、人が後ろに立ったことに気づかなかった。
「ここにいたのか、レイン」
「うひゃあ!」
突然肩を叩かれ、レインは跳び上がるほどに驚いた。慌てて振り返ると、目を白黒させているキリトがそこにいた。
「す、すまない。そんなに驚くとは思わなくて……」
「わ、わたしの方こそ、ごめん……」
申し訳なさそうにするキリトに、慌ててレインも謝る。そのままお互いに少し黙り、すぐにキリトが口を開いた。
「隣、いいかな?」
どうぞどうぞ、とおどけた口調で了承する。キリトは笑いながら、レインの隣に座った。
「レイン。こんなところでどうしたんだ?」
「キリト君がそれを言うかな? キリト君こそどうしたの?」
先述の通り、この浮島には普通のプレイヤーはまず訪れない。高度も高いので、ここにレインがいることなど誰も気づいていないはずだ。それなのにどうしてここに、と思ったのだが、
「いや、ちょっとレインを探してたんだよ」
「え? どうしてまた? あれ、そもそもダンジョンは? 行ったんじゃなかったの?」
「ダンジョンの攻略は、まあ中止だな。レインを探してた理由は、ちょっと心配だったからだよ」
レインの立て続けの質問に、キリトは苦笑しつつも丁寧に答えてくれる。その言葉にレインは首を傾げた。心配って何が、と聞くレインに、キリトは真面目な表情で言う。
「メッセージの文章からかな。なあ、レイン。何か悩んでないか?」
レインは思わず目を丸くした。まさかあの短いメッセージからそんなことを気にするとは思わなかった。しかしレインは、すぐに首を振った。これは一人で乗り越えるべき問題だ。レインはおどけた調子で言った。
「わたしに悩み事? やだなあ、キリト君。気にしすぎだよ。わたしはいつも通り元気だよ!」
「じゃあどうしてこんなところに、一人でいたんだ?」
「えっと、それは……。ほら! 女には一人で考えたいこととかあるんだよ!」
どうやらキリトは何かしら確信を持って来ているらしい。レインは何とか誤魔化そうと必死になるが、どうにも旗色は悪そうだ。キリトからじっと瞳をのぞき込まれ、レインは目を逸らしてしまった。
「なあ、レイン」
「な、なにかな?」
「レインの悩みは俺だと解決できないものなんだと思う。だからそんなに隠そうとしているんだろ?」
でも、とキリトは一拍おいて、続ける。
「話を聞くだけなら俺でもできるからさ。誰かに話せば楽になることってあるんじゃないか?」
真剣な眼差しでそう言われ、レインはしばらく口をもごもごさせて言い訳を考えた後、やがて諦めたようにため息をついた。恥ずかしそうに笑いながら、言う。
「あはは……。キリト君には敵わないなあ……。まあ、ちょっと悩みというか、緊張というかね……」
「緊張?」
「うん。明日オーディションがあるんだ」
そこからレインは、少しずつ話していく。明日のオーディション、それにとても緊張していること、それが原因かは分からないが、何をしても失敗ばかりしてしまうこと。キリトはそれを、ただ静かに聞いていてくれた。
もともと単純な話だ。すぐに話し終えて、レインはキリトと視線を合わさずに、
「まあ、そんなわけですよ。もう完全にわたしの問題だからね。キリト君は気にしなくていいよ?」
「ああ……。うん。まあ確かに何もできないけど……」
聞き終えたキリトは、悩むように手をあごに当てて考え込む。真面目だなあ、とレインは笑う。その横顔を見ながら、レインは頬を緩めた。
キリトはおせっかいが過ぎる。無論、悪い意味ではない。勝手に心に入ってきて、しかしそれでいて乱していくわけではなく、むしろ落ち着かせてくれる。そんな彼だからこそ、惹かれてしまったりしているのだが。
――本当に、ズルいよ、キリト君……。
今もキリトは自分のことを考えてくれている。そのことを嬉しく思いながらも、同時に申し訳なくも思う。誰に対してかと言えば、当然アスナに対してだ。
叶わない恋に悲鳴を上げる自分の心は、全て無視して。
「だめだ、どうしてもその場しのぎだな……。なあ、レイン。逆にやってほしいこととかってないか?」
そんなキリトの言葉に、レインは少し考えて、
「じゃあさ、キリト君の勇気をちょっと分けてほしいな、なんて」
「ん? そんなに勇気があるわけじゃないけど……。どうやって?」
その問いにレインは黙り、周囲に誰もいないことを確認する。念のためフレンドリストも表示。珍しく、キリトとレイン以外はログインしていない。
「ねえ、キリト君。今日はアスナちゃんは?」
「実家の用事でログインできないらしい。アスナの方が良かったかな?」
「あ、ううん。そういうわけじゃなくてですね……」
口ごもり、うつむいてしまう。どうしたのかと首を傾げるキリトへ、レインは上目遣いに言う。
「その……。ちょっとだけ甘えてもいいですか、って聞いてみたり?」
「甘えるって……。よく分からないけど、いいぞ」
よく意味が分かっていないようだったが、キリトが頷いた。レインは、それじゃあお言葉に甘えまして、と前置きして。
キリトへと体を寄せた。
「れ、レイン?」
「ちょっとだけ……。ちょっとだけ、このままで」
頬を少しだけ染めながら、キリトへと体重を預ける。キリトは慌てているようだったが、特に拒否することはせずに、黙って受け入れてくれた。
キリトの温もりを感じながら、レインは薄く微笑んだ。思い出すのは、SAOのことだ。英雄キリトの名を知らない者は、あのゲームのプレイヤーにはいないだろう。常に最前線で戦ってきたトッププレイヤーの一人。ずっと命のやり取りをしていたはずだ。その緊張感は、レインのそれとは比較にならないだろう。
キリトはそれを乗り越えてここにいる。少なくとも、自分は命のやり取りではない。比較対象がおかしい気もするが、レインはそう思い込むことにした。そうすれば、少しは気が楽になる。
「レイン。その、ちょっと恥ずかしいと言うか……」
「もう少しこのままがいいなあ。だめ?」
上目遣いに聞いてみる。うぐ、と短く唸ると、分かったよと苦笑した。
「撫でてくれてもいいよ?」
「いや、それはさすがに……。えっと、こうか?」
遠慮がちにキリトの手が伸び、レインの頭を撫でていく。レインは少し驚きながらも、くすぐったそうに笑った。
「えへへ。やっぱりちょっと恥ずかしいね」
「全くだよ。誰かに見られたらどうするんだ」
「例えばアスナちゃんに?」
「やめてくれ……」
頬を引きつらせるキリトを見て笑うレイン。少し気が軽くなった。よし、とレインは立ち上がる。
「もういいのか?」
「うん。あ、もしかしてもっと撫でたかったとか? キリト君は変態ですなあ」
「な! お前なあ!」
冗談だよ、と笑うレイン。キリトも全く、と笑う。
「さてと! それじゃあキリト君。ダンジョンに行こっか!」
「え? いや、明日は大事なオーディションなんだろ?」
「いいのいいの! 気晴らしって大事だよ?」
それに今なら二人きりで行ける。流石にそんな本音は出さないが。
少し驚いたようだったが、キリトはすぐに肩をすくめて、笑った。
「よし、じゃあ行くか!」
「うん! がんばろう!」
そうして浮島を飛び立つ二人。
先導するキリトを追いながら、レインは胸にそっと手を当てて、柔らかく微笑んだ。
叶わない恋だと分かっている。ただそれでも、少しだけでも彼の側にいたい。
そう思いながら、レインは空を駆けた。
壁|w・)初めましてorお久しぶりです。
リリなののギフテッドなんて駄作を書いていた龍翠です。
ロストソングをようやっとクリアしたので、その記念にかきかきしました。
いや、レインがかわいくて。マジでお気に入り。強いですし。
棒読みだとかなんとか言われてるけど、慣れればあれがいいんじゃないか。
ねえ、そう思いませんか同志諸君。あ、思わない? そうですか。
キリト君に甘えているレインちゃんを書きたくて、仕事中に書きました。
アスナがいるのでキリト×レインはないのでしょうが、私はレインを支持します。
急ピッチで書いた超短編ですが、少しでもお楽しみいただければ幸いです。
誰かレインちゃん描こうぜ! あと攻略本早く! イラストもっと見たいよ!
そんな妙なテンションでお送りしました。
誤字脱字の報告、感想などいただければ嬉しいです。
ではでは。