Summer/Shrine/Sweets   作:TTP

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幕間/高鴨穏乃/フローレス

東京/全国高等学校麻雀大会選手権会場

 

 

 白糸台、大星淡の和了をもって、インターハイ女子団体戦Aブロック準決勝は決着した。

 

 研ぎ澄まされていた高鴨穏乃の集中が、ゆっくりと解かれてゆく。――勝った、という実感が彼女を包み込んだ。すぐにでも走り出したい気持ちはひとまず置いておき、

 

「ありがとうございましたっ!」

 

 彼女は深く、対戦相手たちに頭を下げた。

 

「ありがとうございました」

 

 千里山と新道寺の大将も、悔しさを滲ませながら挨拶を交わす。いずれも実力は全国上位クラス。経験の差で言えば、間違いなく彼女たちに一日の長があった。もう一度戦えば、手も足も出せず負ける可能性だってあるだろう。

 

 だが、この場を凌ぎ、一位抜けという栄誉をもって決勝に駒を進めたのは穏乃たち阿知賀女子学院だ。

 

 対面の大星淡は肩を戦慄かせ、親の仇を見るかのように穏乃を睨み付けていた。戦いを終えたばかりだと言うのに、戦意は欠片も損なわれていないようだ。――構わない。どの道明後日には、再び相見える相手だ。

 

 いち早く席を離れ、たまらず穏乃は駆けだした。誇るべき戦果を、大切な仲間たちに持ち帰るために。

 

 控え室に戻ると、自分のジャージを着込んだ親友、憧が一番に迎え入れてくれた。

 

「わーはー!」

「いぇい!」

 

 両手をぱちん、と合わせる。――ああ、良かった。今はいつもの彼女だ。穏乃はほっとする。それを敏感に感じ取ったのだろう、憧は、

 

「だから大丈夫だって。昨日は心配かけたけど、中堅もプラス収支で終わらせたでしょ」

「なら、良いんだけど。その昨日が問題だったからなー。いつの間にかいなくなってたんだもんなー」

「うっ……だから、それは、ほんっとごめん」

 

 数少ない、穏乃が憧をやり込められる材料。正直なところ、全くもって笑えない事態だったが、そういうものこそ笑い飛ばしてしまえば良いのだと、穏乃は本能で知っていた。

 

 須賀京太郎に連れられて帰ってきた憧は、明るい顔を取り戻していた。

 

 だが、やはりまだ憧はどこか無理をしている気がする。疑惑ではない。長年の付き合いと、野生の勘がそう穏乃に告げていた。

 

 と言っても、昨夜憧は「インハイに全て集中する」とはっきり宣言した。だから少なくとも彼女は今、須賀京太郎の話題は出してこない。だから穏乃はそれに準ずることとした。他の仲間たちも、同じだった。

 

 決勝の舞台を確認し――赤土晴絵の決意を聞き届けて――宿への帰路に就こうとしたとき、見知った顔が穏乃たちの前に現れた。

 

「憧ちゃん、おめでとうございます!」

「ありがと小蒔っ」

 

 真っ先に駆け寄ってきた二つおさげの少女、神代小蒔が憧と抱き合う。小蒔の背後には、永水女子の四人が控えていた。

 

 彼女たちと憧が古い知り合いであったのが切欠となり、穏乃たちもここ数日あれやこれやと共に過ごす内にすっかり打ち解けてしまった。ひょっとすると、明後日決勝で戦うかも知れない相手ではある。しかしそんなことは関係なく、むしろそうであって欲しいと穏乃は望むくらいだった。――和だけじゃなくて、一緒に楽しく遊べる相手が増えたら嬉しい。彼女の思考はいつもシンプルで、前向きだ。

 

 彼女たちも明日の準決勝があるだろうに、遅くまで残って観戦してくれていた。賞賛と激励が飛び交う。

 

 憧の様子を窺っていて、微妙に出遅れてしまった穏乃も輪の中に入ろうとする。

 直前、彼女の足が止まった。

 

 永水女子の内の一人が、穏乃と同じく出遅れていた。赤土晴絵を除けば、この場で最も長身の女子。

 

 穏乃は、喜ぶ八人の脇をすり抜け、彼女の傍へと近寄った。ひっかかるものがあった。

 

「お疲れ様です、石戸さん」

「……高鴨さん。おめでとう、大将戦、凄かったわ

 穏乃が声をかけた瞬間、霞は少し戸惑いを浮かべたものの、すぐに柔和な笑みを浮かべた。

 

「ありがとうございます。でも、私自身はマイナス収支でしたし、まだまだです」

「そんなことないわ。状況はかなり綱渡りだったもの。ゴールまできちんと辿り着けたのは、高鴨さんが正しく打ち回した結果よ」

 

 真正面から褒められて、穏乃も照れ臭くなってしまう。普段なら調子に乗って憧に突っ込みを入れられる場面であろうが、今日の穏乃は冷静だった。戦いの中で鋭敏になった感覚を、まだ引き摺っているのかも知れない。

 

「石戸さん、ちょっと」

「え?」

「少し、付き合って貰えませんか」

「……構わないけれど」

 

 なおも歓談を続ける少女たちを残し、二人はエントランスに出る。途中、霞が自動販売機でジュースを買ってくれた。恐縮しながら穏乃はそれを受け取る。

 

「それにしても、制服姿の高鴨さんも可愛かったわ」

「私としてはジャージのほうが落ち着くんですけどね。どうしても憧が制服着ていけって」

「憧ちゃんと、ほんとうに仲が良いのね」

「付き合い長いですからっ。中学のときとかは離れてましたけど、やっぱり一番の友達です」

「それじゃあ、憧ちゃんと、小蒔ちゃんと、……京太郎くんのこと、やっぱり気になる?」

 

 率直に霞から問われ、穏乃は頬をかく。

 

「あー、それは、まぁ」

 

 複雑極まった関係らしいが、事情はまだよく聞いていない。もしかしたら、憧自身もまだきちんと把握していないのかも知れない。関心が向くのは当然だ。

 

「確かに私は全部知っているけれど――」

「ああ、いえ、違うんです。そうじゃなくて」

 

 けれども、穏乃は首を振った。

 

「その話は、憧から聞きます。……私がここで聞いちゃうのは、なんとなく違う気がするんで」

「……そう。じゃあ、どうして私を呼んだの?」

「あー」

 

 穏乃は苦笑を深める。

 

 全くもって、余計なお世話だろう。それでも穏乃は、声をかけずにはいられなかった。

 

「涙の跡が、見えちゃったので」

 

 はっと、霞は目元に指を伸ばす。

 

「ちゃんと、隠したつもりだったのだけれど」

「あ、やっぱりそうだったんですね」

「……かまをかけたの?」

「ごめんなさい、でも、ちょっと様子が違うなって思って」

 

 ほんの僅かな違和感。出会って数日の相手だ、見落として当然のこと。だが、穏乃は見逃さなかった。そして、見過ごせなかった。

 

 霞は、大袈裟な苦笑を作る。

 

「一緒に卓を囲むときは気を付けないといけないわね」

「お手柔らかにお願いします」

「それはできない相談ね」

 

 霞の纏っていた空気が緩むのを、穏乃は感じ取った。

 

「ありがとう、高鴨さん。大分肩に力が入ってたみたい」

「わ、私はまだ何もしてませんよ」

「いいえ。対戦校の生徒にお節介を焼こうとするなんて、それだけでおかしくて笑ってしまうもの」

「……もしかして私今、馬鹿にされてます?」

「まさか」

 

 くすくす、と霞は笑う。もう、と穏乃は抗議の声を上げた。それを見た霞はさらに笑みを深める。

 

「本当に感謝してるし、本当に怖い相手だと思ってるもの」

「うーん、友達に怖いって言われるのも」

「友達……」

「あ、ごめんなさい、先輩に」

「いいえ。そう言って貰えて嬉しいわ」

 

 でも、と切り返しながら、霞は缶ジュースの縁を指でなぞる。

 

「今のままでは、私たちは相容れないかも知れないわね」

「……どうしてですか?」

 

 穏乃の認識としては、霞は既に友達だ。仲間の危機に共に手を取り合ったのだ、友達の友達だなんて遠い関係のつもりはない。こうして会いにきてくれたのだから、永水女子の彼女たちも同じだと、穏乃は信じていた。正直言って、ショックである。理由を訊ねずにはいられない。

 

「だって……高鴨さんの一番大切な友達は憧ちゃんでしょう?」

「そう言われると照れちゃうんですけど、でも玄さんも宥さんも灼さんも、みんな大切です」

「そうではなくて」

 

 霞は、首を横に振った。

 

「私たちと……もっと言えば、小蒔ちゃんと比べたら、という意味よ」

「……友達を比べるようなことは」

「でも、どちらかの味方をするなら、高鴨さんは憧ちゃんを味方するわよね」

 

 穏乃は黙り込む。

 霞の意図は分からなかったが、言わんとするところは、なんとなく理解出来た。

 

「どんな結果になろうとも、小蒔ちゃんがどんな結論を出そうとも……私はあの子の味方をするわ」

「それって……あの、須賀くんのことですか?」

「もちろん」

 

 憧の初恋の人。

 そして同時に、神代小蒔の想い人でもある男の子。

 

 穏乃は憧からの話を聞いたのと、少し見かけた程度の知識しかない。すらっとした長身でそれなりに女子受けしそうな顔つきだったが、穏乃はそのあたりとんと疎かった。

 

 けれども、憧の想いがどれだけ真剣なのか、どれだけ一途なのかは、穏乃もしっかり理解しているつもりだ。

 

「高鴨さんも、中立で、とはいかないでしょう?」

 

 霞に心中を言い当てられ、穏乃はどきりとした。

 

 神代小蒔を蔑ろにするつもりはない。だが、穏乃が出すべき結論は、やはり一つだった。

 

「――はい」

「ね。やっぱり私たちは敵同士」

「みたいですね」

 

 言葉とは裏腹に、二人の間には笑顔が零れる。

 

 穏乃は、右手を霞に差し出した。

 

「大将として、戦えることを祈っています」

 

 霞はその手に応じ、

 

「必ず会いに行くわ」

 

 はっきりと、頷いた。

 

 

 ◇

 

 

東京/阿知賀女子宿泊ホテル

 

 

「もーお腹いっぱいー。動けないー」

「こらシズ、ジャージのまま布団に入らない」

「ちょっとだけー」

「あんたそう言って眠っちゃうでしょ」

 

 憧に布団から引き剥がされ、穏乃は床に寝転がる。それから彼女は、憧に訊ねてみた。

 

「明日、和やみんなの試合見に行く?」

「……ん。あたしはホテルで観戦するから。晴絵にもそう言ってある」

「そっか」

 

 言外に込めた意味を、きっちり憧は汲み取ったようだ。

 穏乃は、目を伏せ、語りかけた。

 

「ねー、憧」

「なによもう。お風呂、先に入っちゃうわよ」

「私は憧の味方だからね」

 

 鞄の中に突っ込んでいた、憧の手が止まる。

 

「なにがあっても、味方だから」

「……いきなりどうしたのよ」

「どうもしてないよ」

「もう。変なこと、言わないでよ」

 

 萎んでいく、憧の声。穏乃が立ち上がり様子を窺うと、彼女の背中が、少し震えていた。

 

 ――ああ、もう。

 

 いてもたってもいられなくなり、穏乃はその肩に腕を回した。

 

「し、シズ?」

「大丈夫だよ、憧」

「大丈夫って、何の話よ」

「さぁ? 何の話だろ」

「あんたねー……」

「でも、大丈夫」

 

 理由も根拠もなく、穏乃は憧に囁いた。囁き続けた。

 

 自分にできることなんて、たかが知れている。穏乃はそう思う。

 けれどもこうして、ともにいることぐらいならできた。――そうしよう。自分は彼女の味方で在り続けよう。

 

「憧」

「なに?」

「明後日、みんなで遊ぼう。和と、神代さんたちと、――須賀くんと」

「……うん」

 

 二人はしばらくそのままで、それ以上一言も発さずに、室内は沈黙に支配された。

 

 

 ――最後の最後、その瞬間まで。

 私は憧の傍にいよう。

 

 瑕疵なき願いを胸に秘め、肩に回す腕の力を、穏乃はもう少しだけ強めた。

 

 

 




次回:十五/新子憧/残響

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