Summer/Shrine/Sweets   作:TTP

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幕外二/薄墨初美/コメットガールとイヴィルストーン・後

東京/全国高等学校麻雀大会選手権会場

 

 インターハイ個人戦初日、そのお昼休み。

 

 どうも調子に乗りきれない薄墨初美は、外の空気を吸おうと選手控え室を出た。小蒔を一人残していくのはできなかったが、随行していた巴が代わりに控え室に残ってくれた。霞と春は、まだ宿だろう。――結果、彼女は一人単独行動をとっていた。

 

 外に出ればうだるような暑さが襲いかかり、初美はすぐに屋内へと引っ込んだ。飲み物でも買って帰ろうかと自動販売機を探していたら、彼女は小さな人集りを見かけた。

 

 何事かと初美が背筋を目一杯伸ばして、人と人の隙間から覗き見る。

 

 げっ、と変な声が出た。

 

 そこにいたのは、旧知の仲の京太郎。それから――ふわっとした黄金色の髪が目を引く少女だった。彼女の身を包むワンピースタイプの白い制服は、この場に人間なら誰しも知っている、白糸台のもの。一昨日も鎬を削り合った相手――その大将、大星淡だった。

 

 彼女は、何やら京太郎に詰め寄っている様子だ。トラブルでもあったのだろうか、と初美に緊張が走る。そもそもどうしてこんな組み合わせが生まれたのか、初美には皆目検討がつかなかった。

 

 しかし、事情はすぐに理解出来た。

 

「私はキョータローが好きだよ?」

 

 要は、淡が京太郎に言い寄っているのだ。あの男まーた女の子を引っかけやがって、と思う一方、

 

「……あのな、淡。俺は、別に好きな人がいるんだ」

「え……」

「だから、お前とは結婚……いや、付き合えない」

 

 京太郎は誠実に断っており、初美は一安心する。良かった。

 

 しかし、大星淡は全く気にしなかった。なおも京太郎に迫っていく。これは不味い、大いに不味いと初美は慌てた。

 

 京太郎にその気がなくても、他の女の子と噂が流れればあの二人が悲しむ。彼女たちが苦しむのは、初美も嫌だ。さりとて現状を京太郎一人では打破できないだろう。彼が悪いのではない。相手が悪すぎる。

 

 考える時間はほとんどなかった。とにかく話を要約すれば、片想いの状況が良くないのだ。当然、彼女たちのいずれもこの場に連れて来ることはできない。

 

 ならば、と。

 

「待つのですよー!」

 

 初美は飛び出し、言った。

 

「私が京太郎の彼女なのですよー!」

 

 言ってから、後悔した。完全に、勢い任せだった。ろくに考えずに叫んでいた。京太郎までもが、しらっとした目付きでこちらを見ていた。

 

「……キョータローの彼女?」

 

 疑わしげに、淡が初美に近づいてくる。

 

「あんたが? ほんとに?」

「当然なのですよー!」

 

 ここまでくれば自棄だ。するりと淡の脇を抜け、京太郎の腕に絡みつく。

 

「は、はっちゃんっ? なにをっ」

「事情は大体分かったのですよー」

 

 そっと、素早く耳打ちする。

 

「私に話を合わせるのですよー」

 

 京太郎の返事を待たず、初美は淡に向き直った。彼女の表情をよく読み取らなくとも、不機嫌なのはすぐに分かった。

 

「キョータロー! キョータローはさっき付き合ってる人いないっていったじゃん!」

「それは京太郎の思い違いですねー」

 

 初美は人差し指を横に振る。淡はあからさまにむっとして、

 

「そもそもあんた、何? 永水って清澄と全然関係ない学校じゃん」

「そうですねー。でも、私と京太郎は違うのですよー」

 

 挑発するように、初美は京太郎の腕を引き寄せた。「おいっ」という彼の抗議は無視。

 

「八年前、私と京太郎はこの東京で運命的な出会いを果たしたのですよー」

 

 嘘は言っていない。

 

「私たちはすぐに仲良くなって、色んなところに遊びに行ったのですよー」

 

 嘘は言っていない。

 

「遠い遠い京太郎の家に遊びに行くくらい仲が良かったんですよー」

 

 嘘は言っていない。

 

「それから一時期疎遠になってしまったんですねー。でもこのインターハイで奇跡の再会を果たしたのですよー」

 

 嘘は言っていない。

 

「京太郎の気持ちはすぐに分かったのですよー。私もずっと同じ気持ちでしたからー」

 

 多少の嘘には、目を瞑って欲しい。初美は思った。とにかくそれっぽく、頬を朱に染める演技をしておく。

 

「既に私たちの気持ちは通じ合っていたんですねー。ねー、京太郎? さっきの好きな人って私のことですよねー? 今から私たちが恋人同士なんですよねー?」

「え、あ、お、おう。そうだな、はっちゃんは俺の彼女! うん、そう!」

 

 ぎりぎりと京太郎の腕を締め上げ、初美は勝利を得る。どうだ、と勝ち誇った笑みを淡に向けると、彼女はぷるぷると肩を震わせていた。

 

「……認めない」

「んー?」

「あんたなんか、絶対認めない! キョータロー、なんでこんなちんちくりんが良いの! 私のほうがおっぱいもずっとおっきいのに!」

「ええー、いや、そりゃ俺も大きいほうが良い……あいたたたたギブギブギブ!」

 

 どこにそんな力が眠っているのか、初美の腕力に京太郎は悲鳴を上げる。色々な意味で、初美はそれ以上彼に喋らせるつもりはなかった。

 

 ――薄墨初美は、恋心を知らない。

 

 どうしてこんなに怒れるものかと首を捻りたくなるが、どもかく今はこの状況を打破しなければならない。

 

「分かってないですねー」

 

 やれやれ、と初美は肩をすくませた。

 

「その程度の理解で京太郎に告白したんですかー?」

「何が言いたいの、このちびっこ!」

「それなのですよー!」

 

 ぴしり、と初美は淡を指差す。

 差された淡は訳が分からず、目を白黒させる。

 

「ちびっこだから良いのです!」

「は、はぁ?」

「大星淡、残念でしたねー。あなたはこれ以上成長することはあっても、退行することはないのですよー。だから京太郎の好みには近づけないんですねー」

 

 おいまさか、と京太郎が突っ込むよりも早く。

 どゆこと、と淡の理解が追いつくよりも早く。

 

 初美は高らかに宣った。

 

 

「京太郎はロリコンさんなのですよー!」

 

 

 当然、衆人環視の中で。

 ――おそらく、この世で最も残酷な処罰の一つであった。

 

 

 ◇

 

 

 個人戦初日が終わって、夕暮れ時。

 初美は一人永水の輪から抜け出すと、約束の場所に向かった。指定されたのは、会場からほど遠くない喫茶店。

 

入口には、顔の青白い京太郎が立っていた。

 

「ご、ごめんなさいのですよー」

「あ、はっちゃん……」

 

 挨拶が謝罪となる。京太郎に覇気はない。

 

「京太郎が困っていたのでー、つい……」

「いや、ううん、はっちゃんは悪くない。はっちゃんは俺を助けてくれたんだもんな……」

「う、ううー。……あの子はまだ来てないのですかー?」

 

 話題を転換するため、初美は周囲を見回す。

 

 すると、走り込んでくる人影が一つ。髪を風になびかせ、現れたのは当然、大星淡だった。

 

「キョータローっ!」

「お、おいやめろばか!」

 

 彼女は笑顔で京太郎の胸に飛び込んだ。初美が呆気にとられていると、淡は飼い主にじゃれる猫のように京太郎へ頬ずりする。

 

「は、離れるのですよー!」

 

 初美は慌てて二人の間に割って入る。自分のことはさておいて、万が一にも彼女たちにこんな場面は見せられない。

 

「もう、邪魔しないでよ」

「か、彼女を目の前にしてよくそんなことできるものですねー」

「それ。私はまだ認めてないんだからね!」

 

 びしり、と淡は二人を指差す。

 

「やっぱりどう見たって二人が付き合ってるなんて考えられない! キョータローがロリコンなんて、信じられない!」

「事実は事実なのですよー」

「だったら証明して!」

 

 淡の声に、力が入る。

 

「恋人同士ってところ見せてよ! でないと絶対納得なんてしないんだから!」

 

 こめかみを押さえながら、京太郎が初美に囁いてくる。

 

「はっちゃん。俺、こういう展開何度か漫画で読んだことあるぞ」

「奇遇ですねー、私もですよー……」

 

 しかし――この話の進み方は、カップルを演じる二人が本当に両思いか、あるいは憎からず想い合っているべきではないだろうか。初美はそう考えるが、どのみち身から出た錆だ。受け入れるしかあるまい。京太郎自身も、迂闊な面があったと反省しているのか、これ以上逆らうつもりはなかったようだ。あるいは昼間に全ての体力を消耗したのかも知れない。

 

「で、俺たちは何をすればいいんだよ?」

「まずはこの喫茶店で、カップルジュースを飲んでみせて!」

 

 一つのカップに、湾曲した二本のストロー。当然形作るのはハート。

 なんだ、要求としては可愛らしいものではないか――初美は当初、そう思った。が、しかし、京太郎と向かい合って席に座り、いざジュースを間に置かれると体が硬直する。恋愛的な意味で好意を寄せていなくても、やはり相手は男の子。体付きもがっしりしているし、何も考えずにじゃれあっていた昔とは違うのだと意識させられる。

 

「じゃあ……いくぞ」

「は、はいなのですよー」

 

 ごくりと唾を飲み込み、初美は京太郎と同じタイミングでストローに口をつける。――想像以上に恥ずかしかった。店内全員が、自分たちを注目しているのではないか。いや自分なら絶対見る。そんな被害妄想に、初美は囚われる。

 

 ジュースの減りが、遅い。まともに喉が動かない。早く終わらせたいのに、終わる気配が全くなかった。

 

「――店員さん!」

 

 突然、京太郎の隣に座っていた淡が手を上げた。すわ何事かと見ていたら、

 

「ストロー、もう一本!」

 

 という謎の要求をしていた。まさか、と思っている内に、淡は受け取ったストローをカップに突き刺す。

 

「やっぱり私も飲む!」

「お、おう」

 

 困惑する京太郎をよそに、淡も懸命にストローを吸い始める。初美は思った。なにこれもう意味がわからない。

 

 店員に笑いを噛み殺されながら会計してもらったときは、初美は京太郎と一緒に泣きそうになった。一体これは何の罰ゲームだったのか。淡一人が、浮かれていた。

 

 喫茶店を出て、初美はすぐに訊ねた。

 

「こ、これで納得しましたかー?」

「まったくもって! 三人で飲んだんだからするわけないじゃん!」

 

 京太郎に肩を掴まれて、初美の衝動はなんとか抑えられる。

 

「次はねー、やっぱり恋人と言ったらスキンシップでしょ! こんな風に!」

 

 天下の往来だというのに、淡が再び京太郎に抱きついて、頬ずりし始める。「だから止めろ!」と京太郎が引き剥がしにかかるも、淡が甘い声を出した途端、彼女の肌に触れた京太郎の手から力が抜ける。

 

 ――男というのは全く……!

 

 怒りに燃える初美は、最早やけくそで、淡の反対側から京太郎に抱きついた。思い切り、頬と頬を重ね合わせる。三人揃って、既に何をやっているのか分からなくなっていた。

 

 次から次へと降りかかる淡の要求に、初美と京太郎は応えた。――大体淡も巻き込んで、三人でカップルめいた行為をとらされる。

 

 三十分経った頃には、罪悪感も合間って、初美は疲労困憊になっていた。それは京太郎も同じのようで、既に言葉数は少ない。

 

「もうそろそろ諦めたらどうですかー?」

 

 投げ槍に初美が訊ねると、

 

「じゃあ次が最後ね!」

 

 と、一人だけ元気が有り余っている淡は言った。彼女の場合、大好きな京太郎と触れ合っているだけで幸せなのだろう。

 

「恋人と言ったら、やっぱりキスでしょ!」

「……本気で言ってるのですかー?」

「本気も本気!」

 

 流石にその一線だけは超えられない。何が何でも超えてはいけない。だが、淡は一歩も引く気がないようだ。

 

「あれ、できないの? やっぱり嘘なんじゃないの?」

 

 にやにやと淡が笑う。

 

 初美は助けを求めるように京太郎を見上げ、彼は頷き返した。そして京太郎は、真正面から淡と向き合う。

 

「淡」

「んっ? どうしたのキョータローっ」

「まず一つ言わせてくれ。――俺はロリコンじゃない」

 

 初美は色々突っ込みたかったが、止めておいた。彼にとっては重要なことだ。

 

「……ってことは」

「ああ。俺とはっちゃんは恋人なんかじゃない。流れでとは言え、嘘ついて、悪かった。キスは勘弁してくれ」

 

 謝られながらも、淡の目が煌めく。

 

「良いよ、許してあげる! 安心した、これでキョータローは私と結婚できるね!」

「いいや」

 

 京太郎は、ゆっくりと首を横に振った。

 

「好きな人がいるってのは、本当だ」

「――」

 

 淡が、押し黙る。京太郎の瞳は、真摯な色を帯びていた。単なる昼間の繰り返しでは、なかった。

 

「付き合ってはいないけど。付き合えないけれど――でも、とても大切な子なんだ。だから、お前の気持ちには応えられない」

「……キョータローは、その子に告白するの?」

 

 問われ、京太郎は一瞬鼻白んだ。初美は彼の顔を見上げる。――答えに、悩んでいるようだった。京太郎が何も言えずにいると、

 

「ちゃんと告白しないと、ダメだよ?」

 

 淡は、少し寂しそうな笑顔と共に、言った。

 

「付き合えないとか、関係ないよ。自分の気持ちを正直に言わなくちゃ」

「でも」

「私はね」

 

 京太郎の反駁に、淡は声を被せて言った。

 

「初めてこんな気持ちを持ったけど、キョータローに好きって言うだけで幸せになるよ。言う度に体の奥があったかくなって、とっても嬉しいよ。こんな気持ちを閉じ込めておくなんて、ダメ。絶対にダメだよ」

 

 ――薄墨初美は、恋心を知らない。

 

 霧島神境の男性は大人ばかり。学校も女子校。同年代の男子で一番近しいのが、京太郎だ。その彼も、姫の懸想相手なのだから手は出せない。出す気もないが。とにかく、結果、淡の言う気持ちなんて知らないまま育った。

 

 なのに、彼女の言葉は、初美の心の中にすとんと落ちた。彼女がそう言うのならば、そうなのだろう。

 

 あーあ、と淡は伸びをする。

 

「キョータローがはっきりしない限り、私は結婚できないんだから。早くしてね。――待ってるから。ずっと、待ってるから」

 

 そんな言葉だけ、残して。

 

 未練一つ見せずに、淡はその場を立ち去ろうとする。

 思わず、初美はその背中に声をかけていた。

 

「待つのですよー!」

「ん? なに?」

「そ、その……振られて、辛くないのですか? 悲しくないのですかー?」

 

 そんな、当たり前のことを訊ねてしまう。何を問えば良いか、初美自身、整理がついていなかった。

 

「うん、悲しいよ?」

 

 淡はあっけらかんと答える。あまりの真っ直ぐさに、初美も京太郎も言葉を失った。

 

「でもね」

 

 彼女は、微笑んだ。

 

 

「振られちゃった悲しみよりも、キョータローに出会えて、好きになれた嬉しさのほうがずっとおっきい。それだけ」

 

 

 初美は何も言えなくなった。

 代わりに京太郎が、淡に言った。形だけではない、様々な感情が込められた声だった。

 

「淡」

「ん?」

「ありがとう」

「うん! 言っておくけど、諦めてなんかないからね! 私からもまた会いに行くよ!」

 

 大星淡の満面の笑みは、彼女の名前の通り星のように輝いていた。

 

 

 ◇

 

 

東京/永水女子宿泊施設

 

 京太郎と別れ、宿に戻ってきた初美は、温泉で一緒になった霞に今日の出来事を報告した。大半が、愚痴混じりであった。

 

「お疲れ様、初美ちゃん」

「ほんとうに疲れたのですよー。もう大星淡とは関わり合いになりたくないのですよー」

「その割には嬉しそうね、初美ちゃん」

「……そんなことないのですよー」

 

 湯船につかりながら、初美はむくれる。あんな頭のネジが緩んでいそうな少女に感心してしまった、なんて口が裂けても言えなかった。

 

「ところで初美ちゃん」

「どうしたのですかー?」

「京太郎くんと、頬ずりしたって……」

「ああ、こう私の左のほっぺたと――」

 

 初美が説明し始めると、霞の顔が寄せられた。初美の左頬と、霞の右頬が触れ合う。

 

「…………なにしてるのですかー? 私は京太郎じゃないですよー?」

「ご、ごめんなさい」

 

 霞は顔を赤くして、足早に湯船を出て行く。

 

 

 ――薄墨初美は、恋心を知らない。

 

 されど今日、少しだけ分かった気がする。近づけた気がする。

 

 ただし。

 今思うことは、たった一つ。

 

「どいつもこいつもめんどくさいのですよー……」

 

 やさぐれ気味に、初美は独り呟いた。

 

 

 

                   コメットガールとイヴィルストーン おわり




次回:幕外三/原村和/暮れ泥む

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