Summer/Shrine/Sweets   作:TTP

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幕外四/新子憧/続 献身と指先

 

 五月十七日、日曜日。

 

 この日――自分の誕生日を迎えるに当たって、新子憧は根回しを欠かさなかった。

 

 今更誕生会をやるような年齢でもない――もう十九になるのだ――のだが、穏乃あたりは企画してもおかしくない。玄も一緒になって乗りに乗るだろう。そうなれば宥や灼も巻き込まれる。最終的には、逃れられないところまで進んでしまう可能性は大いにあった。

 

 故に穏乃には強く言い聞かせた。「先約があるから、また別の機会に」と。実際には、先約などまだできていない状況で。穏乃にはにやにや笑われてしまったが、憧は気にしない。そんな余裕もなかった。

 

 四月の終わりから、彼に対してアピールはしておいた。もうすぐ五月ね、半ばに何かイベントはなかったかしら、十七という数字が好きなの――途中から露骨過ぎて思い返すと自分でもちょっと引くレベルであったが、ともかくとして、

 

「じゃあ、どこか美味いものでも食べに行くか」

 

 という言葉を引き出した。その日自室に帰ってから、憧は何度もガッツポーズを作った。

 

 ――誰に何を言われようが、好きなものは好きなのだ。もう仕方ないと、憧は割り切った。いつか冷めてしまうかと思いながら、しかしここまで来てしまった。恋敵兼親友とは、腹を割って話し合った。

 

 結果、憧は今、彼の傍にいる。

 そしてこの先は、願わくば彼女も共に、三人で。

 

 そんな、まだまだ遠い望みはともかくとして――誕生日くらいサービスしてもらっても罰は当たらないだろう、憧はそう考えた。

 

 加えて言えば、露払いの意図もあった。

 

 大学に進学して一ヶ月、しばらく女子校で過ごしていた憧にとって、男子の存在は空恐ろしかった。元々言い寄られることは多々あった。麻雀で全国の舞台に進出するようになってからは、さらにその傾向が顕著になっていた。通学途中でもよく声をかけられた。当然、一度も応えることはなかったが。

 

 大学でも、全国区のネームバリューと彼女の容姿は周囲の目を引いた。乱立する麻雀サークルはもとより、よく分からない部活からも勧誘があった。下心は透けて見え、対応に困っていたとき、助けてくれたのはいつも京太郎であった。

 

 しかし、京太郎は憧との仲を問われても、「幼馴染」と答えるばかり。結局、勧誘の時期が過ぎ去っても、憧は学内で見知らぬ男から声をかけられることが絶えない。形だけでも良いので「彼氏がいるアピール」をして、鬱陶しいこの状況を彼女は脱したかった。もちろんその彼氏役は、一人しか務まらない。この点については、京太郎と小蒔、二人からも同意を得た。

 

 それからもう一つ、問題があった。

 

 こちらは未だ小蒔に相談できていない、そして決して看過できない超重要事項である。緊急度でも危険度でも、前者よりも優先されるだろう。

 

 あの金髪の大将――いや、最後の夏は先鋒だったか。彼女が、わざわざ京太郎を追いかけて同じ大学に進学してきたのだ。プロのスカウトを蹴ってまで。これには憧も、開いた口が塞がらなかった。良いのか本当に。彼女が京太郎に特別な関心を寄せていることは、高校時代に既に知っていたが、まさかこれほどまでとは思わなかった。

 

「キョータロー、一緒に学食行こっ!」

「キョータロー、一緒にこの講義受けよっ!」

「キョータロー、一緒に図書館でレポート書こっ!」

「キョータロー、一緒に帰ろっ! え、もちろん私の家にだよっ!」

「キョータロー、一緒に……痛い痛い痛い、何するのアコー!」

 

 まさしく、目の上のたんこぶである。

 

 憧が彼の隣を歩いていても、平気で割って入ってくる。しかも、憧に勝ち誇った微笑みを向けて。――何て諦めの悪い娘だ。自分のことは棚上げし、憧は歯噛みする。

 

 彼女と憧の衝突は、既に幾度となく繰り広げられている。だが、決着はまだ着いていない。

 

 京太郎に正式に恋人ができたところで諦める玉とも思えなかったが、ともかくとして、何かしら楔を打っておく必要はあった。

 

 だからこその、彼とのデート。

 

 色々な目的が混じりに混じってしまったが、ともかくとして。

 

 ――目一杯お洒落して、目一杯楽しもう。

 

 十七日を目前にして、憧の気持ちの昂ぶりは、頂点に達した。

 

 

 ◇

 

 

 十六日、夜。

 新子憧は、季節外れの風邪を盛大にこじらせた。

 

 

 ◇

 

 

新子神社/新子憧・自室

 

 週の頭から、予兆はあった。こんこんと咳が出る。講義中いつの間にかぼうっとしている。爛漫娘との口喧嘩に覇気がなく、逆に心配される始末。――「大丈夫アコー?」。

 

 それでも、問題ないレベルと考えていた。わざわざ病院に行かなくても、市販の薬を飲んで眠れば元気になれると。

 

 誤算であったのは、重なったレポートの提出期限、所属する麻雀部の対外試合、家業の手伝い、その諸々の雑務の数々であった。前日の土曜日は入念に準備するために使い、当日の日曜日一日中フリーにする。その目標を達成するため、平日はこれでもかというくらい働いた。大学生とはこんなにも忙しいのかと思うくらいに。

 

 それがいけなかったのだろう。

 

 結局まともに休みをとることができず、ひき始めの風邪を放置した結果。

 

 憧は、ベッドの上でうんうんと唸っていた。

 

 頭が痛い。喉も痛い。体はだるく、指一本動かすのにも酷く疲れる。薬を飲んで無理矢理眠ろうとしても、あまりの息苦しさに何度も目覚めてしまう。結果ゆっくり休むこともままならず、疲労ばかりが蓄積する悪循環に陥っていた。

 

 カーテンの隙間から、陽の光が部屋に差し込む。

 

 ――十七日の、朝が来た。

 

 十九歳にもなって何をやっているんだろうか、と憧は自己嫌悪する。状況は、最悪だ。テーブルの上に姉が置いて行ってくれた水を、ごくりと飲む。潤いと同時に、喉に刺々しい痛みが走った。

 

 それから、憧はスマートフォンの画面を点灯させる。

 

 SNSのアプリを起動させ、彼の名前をタップする。開かれたメッセージウィンドウに一文字目を入力しようとして――憧の指は止まった。

 

 この状態で、外出などできるわけがない。自分の身が危ういし、何より京太郎や他の人に風邪をうつしてしまう可能性がある。本来なら、昨日中に彼へ謝罪して中止あるいは延期を申し出るべきだった。

 

 理屈の上では、憧はそう分かっていた。

 

 けれどもどうしても、彼女はその連絡をとれなかった。最後の最後まで、諦めたくなかった。自分がどれだけ恵まれた立場か分かっていても、それでも簡単には割り切れなかった。

 

 しかし、流石にもう引き延ばせない。京太郎も、そろそろ起床する時間であろう。「ごめん」から始まる文面は短く、されど憧には上手い言い回しが見つけられず、そのまま彼に送信した。

 

 ベッドに戻って、憧は布団を被る。

 

 怒っているだろうか、悲しんでいるだろうか。いずれにしても、彼からの返信を見たくなかった。

 

 思考が逃避に入ると、体も疲れを自覚したのか、憧の意識はふっと落ちた。

 

 次に目覚めたとき、まず刺激された五感は嗅覚だった。

 懐かしく、お腹を刺激する匂い。これは――

 

「卵……?」

「あ、起きたか」

 

 呟いた一言に返ってきたのは、低い、男性の声。この家にいる男と言えば、父親を除いて他にない。しかし、今の声は明らかに父と違った。

 

「え……」

 

 寝惚け眼でうっすらと見えた先にあったのは、

 

「きょ、京太郎っ?」

「ああ、寝てろ寝てろ。まだしんどいだろ」

 

 幼馴染の姿だった。

 

「なんでうちにっ?」

「なんでって、お前、風邪引いたって言ってきたじゃんか。だから見舞いに来てやったんだよ」

 

 ぶっきらぼうに言いながら、その声からは慈しみの色が感じ取られる。頭がはっきりしないまま、憧は上体だけを起こした。

 

「悪いな、勝手に入って。望さんには許可貰ったんだけど」

「う、ううん。そんなの、気にしなくて良いから」

 

 寝顔を見られたと思うと顔から火が出るほど恥ずかしいが、些末な話だ。――お見舞いに、来てくれた。心が小躍りしそうだった。予想していなかった展開に、心臓がばくばく鼓動している。

 

「もうお昼なんだけど、お腹空いてないか。昨日からろくに何にも食べてないんだろ」

「あ……う、うん」

 

 指摘されると、途端に空腹を感じた。体は正直に栄養を欲していた。

 

 京太郎はにやりと笑って、「だと思って用意しておいた」とテーブルからお盆に乗った鍋を取ってくる。

 

 匂いの正体は、これだった。

 

「卵粥」

「そ。結構出来良いだろ。自信作なんだぜ」

「これ、京太郎が作ったの?」

「ああ、台所借りてな。あんまりお粥は作る機会ないから不安だったんだけど、上手くいって良かったよ」

 

 相変わらず器用な男だと、憧は感心してしまう。小蒔に負けじと料理修行に勤しんできたつもりの憧であったが、京太郎も同等レベルであることを思い知らされた。これも例の、清澄の雑用で培われたスキルの一つだというのだろうか。

 

「……わざわざごめんね。あたしが色々無茶なお願いして予定空けて貰って、しかもその結果がこれで」

「何言ってんだよ、ばか。今更迷惑かけたって謝り合う仲でもないだろ」

 

 風邪で弱気になった憧の心を、京太郎は一笑に付した。

 

「それに昔さ。俺が倒れたときは、憧と小蒔ちゃんが看病してくれただろ」

「でもあれだって」

「俺、すっごく嬉しかったんだからな」

 

 京太郎は、憧に余計なことを言わせなかった。

 

「そばにいてくれて、安心した。美味しいお粥を食べさせてくれて、嬉しかった。あのときのお礼、まだちゃんとできていなかったからな。丁度良かったよ」

「京太郎……」

 

 卑怯な男だ、と憧は詰りたくなる。――何も、言い返せなくなるではないか。もう、胸が一杯になってしまうではないか。

 

「で、一応これ、あのとき作って貰ったお粥を再現したつもりなんだけど」

「分かった。あたしが直々に採点してあげるわ」

「あれ? あのとき憧が作ったんだっけ?」

「細かいことは気にしないの! ……ほら」

 

 追求を振り払い、憧は髪をかき分けほっそりと口を開く。

 

「え?」

「え、じゃないわよ。食べさせてくれないの?」

「え、そ、そういう流れなのか?」

「あんたのときは、食べさせてあげたでしょ」

 

 ――ああ、顔が熱い。だけど赤面していてもこれなら分からないな、風邪を引いていて良かったなと、憧は支離滅裂なことを思う。

 

 観念した京太郎はれんげを一掬いし、憧の口へと運ぶ。

 

 ぱくりと憧はかぶりつく。麻痺しているはずの舌から、ほのかな甘みが伝わってきた。

 

「美味しい」

「良かった。熱くないか?」

「大丈夫。もう一口」

「ん、ほら」

 

 こんなにも美味しいお粥は初めてで。

 憧は、あっという間に完食してしまった。つい先ほどまで風邪で苦しんでいたとは思えないくらい、旺盛な食欲だった。

 

 京太郎が食器を片付け、薬を持ってきてくれる。ちょっとだけ躊躇してから、憧は胃の中に風邪薬を流し込んだ。

 

 軽く京太郎と雑談し、やがて予想していた眠気が訪れる。

 

 もうちょっとこのままでいたい、という彼女の願いとは裏腹に、気付いた京太郎は「横になれ」と言ってきた。逆らう力は、残されていなかった。

 

「ね、京太郎」

「なんだ?」

「……まだ、帰らない?」

「……お前が残れって言うんなら。どうせ丸一日空けて来たんだ。最後まで付き合うよ」

「じゃあ、さ」

 

 憧は、布団の中から腕を伸ばす。

 

「手、握ってて、くれない?」

 

 我ながら、子供じみた要求だと思う。けれども、あの日あの場所で、手を握って一緒に眠ったことが忘れられなかった。ずっと、忘れられずにいた。

 

 嫌がられるだろうか、と京太郎の様子を窺うも、意外にもすぐに、

 

「ああ」

 

 と、応えてくれた。

 彼の指先と、憧の指先が重なり合う。昔とはすっかり変わった、ごつごつとした感触。でも、優しい感触。あの日と同じ、安心感。

 

 触れ合った手は暖かく。

 あっという間に憧を、午睡へと誘った。

 

 

 ◇

 

 

 次に憧が目覚めると、京太郎は布団に突っ伏して眠っていた。その寝顔は可愛らしくて、憧はくすりと笑ってしまった。

 

 もうちょっとこのままでいたいと思いつつも、時間が時間であったので、憧は彼を優しく起こした。

 

 少し心配を残しつつも、京太郎へ帰って行った。

 

 ほう、と一息吐く。嬉しいけれども、やっぱり緊張もする。

 それから憧は、触れ合っていた左手を見つめ、自然と相好を崩す。たぶん、人前では見せられない顔になっていただろう。

 

 散々な誕生日であった。同時に、最高の誕生日だった。意識のあった時間なんてさほどないだろうに、けれども彼女はそう思う。

 

 次に京太郎と顔を合わせるのが、恥ずかしくて少し不安ではあったが――些細なこと。第一悠長なことは言っていられない。あの天然抱きつき魔から京太郎を守らなければならないのだから、いつまでも風邪なんて引いてられない。

 

「憧ー? 入るわよー?」

「あれ、どうしたのお姉ちゃん」

 

 突然部屋に入ってきたのは、姉の望だった。

 彼女の手には、長方形と正方形の包みが一つずつ。どちらも綺麗な包装がされていた。

 

「誕生日プレゼントよ。京太郎くんが、渡すの忘れてたって」

 

 あいつ絶対に手渡すのに恥ずかしがったな、と憧は勘付く。しかし今は気になる点が、別にあった。

 

「なんで二つもあるの? そっちも、京太郎?」

 

 望は、微笑んで憧にプレゼントを渡す。

 

「もう一つは、神代さんから送られてきたものよ」

「……もう、小蒔ったら」

 

 電話で話したときも、そんな素振り一つ見せなかったと言うのに。自分よりも不意打ちがスマートだ。ずるい。

 

 後でお礼を言わなければ――憧は顔を綻ばせながら、二つのプレゼントを胸に抱く。

 なんだかまるで、また三人揃った気分だった。

 

 

 

                             続 献身と指先 おわり




誕生日ということで。

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