Summer/Shrine/Sweets   作:TTP

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二/新子憧/東京迷宮・後

東京/???

 

 

 新子憧の生家は神社である。しかしながら彼女自身、信心深い人間かと問われれば首を傾げざるを得ない。神事の手伝いや参拝客の案内などは進んで行うが、巫女服に袖を通す時間は短いし、家業の手伝い以上の意識はなかった。

 

 加えて歳の離れた姉が神社の実質的な跡継ぎであり、両親は憧に未来を強制するような言動はとらない。憧もまた、神職に就きたいという希望は今のところ持っていなかった。不遜を気取るつもりはないが、それが憧の率直な気持ちだった。

 

 そんな彼女も、跡目である姉を羨ましがるニュースが、夏期休暇を前にして飛び込んできた。

 

 何でも、東京で神職が集まりそれなりの規模の勉強会が開催されるという。地域活性化、観光誘致、祭事のクローズアップ――神社という施設に求められるものが増え続ける中、各地域の宮司が集まって意見交換するのが重要である、というお題目だ。企画者たちの目的の七割は神道科の同窓会らしいが、憧には関係のないこと。

 

 重要なのは、泊まりがけで東京に行けるという話だ。しかも四泊五日という大盤振る舞い。この旅に、神職に就くため修行を始めている姉が父と同行するのは自然な流れであった。父の監視役とも言う。

 

 正直羨ましい。

 でも、行けないのはしょうがない。

 

 無い物ねだりをするよりも、割り切って親友の穏乃と遊ぶほうが良い。そうスパッと切り替えられるのが憧の長所であった。

 

 しかし状況はころっと変わる。

 夏休みに入ってすぐ、姉が夏風邪をこじらせてしまったのだ。まともに立つこともできない有様で、旅行など到底無理であった。

 諸々の手配は二人分済んでおり、キャンセルするのも勿体ない。

 

 そんな事情から、憧にお鉢が回ってきた。

 

 姉の苦しそうな顔を見れば素直に喜べないものの、東京を観光できるのだ。穏乃には悪いが、憧に断る選択肢はなかった。

 

 久々に乗る新幹線で、憧は東京へ。

 

 野山に囲まれた土地とは違う環境。

 父に手を引かれるのは恥ずかしい、と可愛らしい反抗心を見せ。

 

 そして、見事に迷子となった。

 

 ――暗くなった空。勝手の知らない街。不安が渦巻く要素ばかりで、つい俯きそうになってしまう。

 

 そうならないのは、ひとえにここで見つけた仲間のおかげだった。

 

 憧の右にいるのは、白いワンピースに身を包んだ少女。ほっそりとした腕、その肌は染みや傷、焼けた後の一つもない。一目見たとき、思わず溜息を吐いてしまったくらい綺麗な子だった。まるでお伽噺から出てきたお姫様だ。こんな子は、奈良の学校中探したっていないだろう。憧がそう確信するのは速かった。

 

 彼女の名は、神代小蒔。

 

自分と比べればちょっと大人しすぎる気もするが、すぐに仲良くなれた。穏乃にも紹介したいぐらい良い子だ。

 

 憧は、彼女と並んでコンビニの軒先で雨宿りをしていた。

 降り出した雨は強く、冷たい。それでいて夏特有の湿度は憧の気分を滅入らせる。すぐにでも移動したいのはやまやまだが、これが地元ならまだしも、右も左も分からない街で闇雲に突っ走るわけにはいかなかった。まして隣の小蒔は見るからにお嬢様だ。彼女が自分の足に着いてこられるとは思えず、ほっぽり出すなんてもってのほかだった。

 

「――雨、止みそうにありませんね」

 

 ぽつりと、小蒔が小さな声で呟いた。ともすれば独り言に聞こえる。

 

「そだね」

「新子さん、そこ、濡れませんか? もっとこっちに寄って下さい」

「あ、うん」

 

 水滴が僅かに靴に当たっているのを、小蒔は見逃さなかったようだ。おっとりとしているようで、目聡く、そして心優しい。

 

 憧の肩が、小蒔の肩に触れる。反射的に憧が隣を見れば、小蒔は穏やかに笑っていた。それだけで、心の不安が小さくしぼんでいく。この広い街で、彼女に出会えたのは憧にとって僥倖以外の何物でもなかった。

 

 ――そしてそれから、もう一人。

 

「お待たせ。傘買ってきた」

 

 憧と同じ歳の少年、須賀京太郎。

 

 親とはぐれてしまった憧と小蒔に話しかけてきた男の子。見た目は腕白だが、憧が思った以上に思慮深く、前へ前へと先導してくれる。彼がいなかったら、もしかしたら自分はまだ地下鉄のホームに残っていたのかも知れない。憧はそう思う。

 

 彼は、クラスの男子とはどこか違って見える。何だかそれが癪で、気を抜けばすぐに憎まれ口を叩きそうになった。喧嘩をしている場合ではないと言うのに。

 

「ありがとうございます、須賀くん」

 

 小蒔が目を細めてお礼を言った。それを見た京太郎は、でれっと鼻の下を伸ばす。憧は何だかイラッとした。

 

「……須賀。傘、一本だけしか見えないんだけど」

「しょーがないだろ、金ないんだから。新子だって分かってただろ」

「そりゃあそうだけど」

 

 三人に残されたお小遣いをかき集めても、大した額にはならなかった。数時間前、無計画に買い食いした自分たちを恨む他ない。それでも目の前の降りしきる雨を見れば、心許なさが先行する。

 

 京太郎は、買ってきたばかりのビニール傘を憧に向けて突き出す。

 

「ん」

「なによ」

「新子が持って」

「なんであたしなの?」

「この中で一番小っこいだろ、新子が。真ん中担当な」

「……分かった」

 

 一度京太郎の頬を抓ってから、憧は傘をひったくるように奪い取った。痛い、という京太郎の抗議は無視した。

 

 ともかくとして、今度は憧が中心となって三人が並ぶ。右に京太郎、左に小蒔。小学生三人とは言え、傘一本では流石に手狭だ。できる限り憧は縮こまろうとする。

 

 そのとき、傘を持っていた右手に京太郎の指が触れた。一瞬びくりと憧の体が震え、彼女は文句をつけようとするが、京太郎は至って真面目な表情で今度は憧の左手を指差した。

 憧は小さく嘆息してから、傘を左手に持ち替える。

 

「この道を真っ直ぐだ。行こうぜ」

「はい」

「オッケー」

 

 京太郎の号令で、三人は出発する。そろそろこの迷宮のような街を脱出しなければならない。

 

 傘に雨粒が当たって弾けていく。雨の勢いが弱まる気配はなく、憧の手にもその衝撃が伝わってきた。

 

 道路に水溜まりが生まれ、車が通る度水しぶきが上がる。

 

「……ねぇ、別の道行かない?」

「でもこの地図細かい道まで載ってないんだよ」

「水かけられるのも嫌でしょ。大体の方向は分かってるんだから行けるって」

「ん……じゃあそうするか」

 

 憧の提案で、三人は裏路地に入る。

 ビルは横風を防いでくれた。風が強くなり始め、安物の傘は軋んでいたので幸運だった。これなら悠々と歩いて行ける。

 

 ――という予感は、すぐに打ち砕かれた。

 

「……迷った」

「……迷ったわね」

「……迷いましたね」

 

 三人揃って、愕然とする。

 

 交番の位置が分からない。元来た道が分からない。どこを進めば広い道に出られるのかも分からない。暗くなる一方の時間帯、雲に覆われて残された陽の光も届かない、岐路ばかりの裏路地。地図はとうの昔に役に立たなくなっている。

 

 土地勘のない子供が安易に入って良い場所ではなかった。

 

 またしても、憧は後悔する。

 

「あたしのせい」

 

 自らの迂闊な提案のせいで、事態を悪化させてしまった。責任感の強い彼女は、憧は自分を責める。二人に申し訳が立たなくて、傘を持つ手に自然に力が籠もった。

 

「あたしがこっちに進もうなんて言わなかったら――」

「それは違います」

 

 しっかりとした声で否定したのは、小蒔だった。憧が俯かせていた顔を上げる。小蒔は真摯な面持ちで、憧の瞳を見つめていた。

 

「新子さんだけのせいじゃありません。ずっと二人にばかり任せていた私にも責任があります。だから、そんな顔をしないで下さい」

「でも、京太郎は止めたのに」

「関係ねぇよ」

 

 食い下がろうとする憧の頭に、京太郎の手が置かれる。

 

「こんなになるなんて、俺も予想できなかった。ちゃんと考えてなかったんだ。だから、新子と神代さんだけの責任でもない。もっと言えば、俺が二人をさっさと起こしておけば良かったんだからさ」

「須賀……」

「だから泣くなって」

「な、泣いてなんかないっ」

 

 憧が京太郎の手を振り払う。その様子を見ながら、小蒔が優しく笑った。

 

「では、三人で三等分ということで」

「もう、それで良いわよ」

 

 ふん、と憧は鼻を鳴らす。

 

「とにかく、ここはもう破れかぶれでも歩くしかないでしょ」

「ええ、頑張りましょうっ」

 

 小蒔が握り拳を作る。そんな彼女の姿を見るだけで、萎れた元気が元に戻るようだった。気力を振り絞り十分余り歩き詰め、三人はどうにかこうにか路地を脱出する。

 そこから憧は地図を必死で読み込んだ。失態を取り戻すと言わんばかりに、集中力を発揮する。彼女は遠回りながらも、軌道修正を図った。

 

「あの銀行が地図のここだから……こっちね」

「了解」

 

 憧のナビゲートは的確だった。京太郎が先導していたときよりも、ぐんとペースが上がる。元々彼女は頭脳明晰で記憶力も良い。冷静になればこの程度、やってのけられないわけがなかった。

 

 そして、ついに三人の視界が交番の姿を捉える。

 

「やったっ!」

 

 憧が歓声を上げる。京太郎と小蒔も、ほっと胸を撫で下ろす。

 その気の緩みが、憧の足を滑らせた。本来そのようなドジを踏むタイプではないし、運動神経も良い彼女であったが、濡れた足元と二人に挟まれた状態が悪かった。

 

「いったぁ……」

「新子さんっ、大丈夫ですかっ。膝、擦りむいてますっ」

「ヘーキヘーキ、いつも山でこのくらい――」

「いけませんっ」

 

 ぴしゃりと小蒔は言い放ち、白いハンカチを取り出した。見るからに高級品のそれを、彼女は惜しげもなく憧の膝に巻き付ける。

 

「ひとまずは、これでなんとか」

「……うん。ありがと、神代さん」

「新子、立てるか」

「ん」

 

 傘を拾い上げていた京太郎が、憧に手を差し伸べる。憧は素直に掴み取ったが、

 

「痛っ」

 

 小さく悲鳴を上げた。

 すぐさま京太郎が憧の足首に手を添える。

 

「捻ったな、こりゃ。歩いちゃダメだ」

「こ、交番はすぐそこなんだから行けるわよ」

「バカ。捻挫舐めんな」

 

 バカとは何よバカとは――と、憧は言い返したかった。だが、できなかった。

 

「ほら」

 

 京太郎が、憧に背中を見せて腰を下ろしていた。

 

「早くしろ」

「……うん」

 

 京太郎は、軽々とまではいかないが、憧をおぶった。憧が軽いというのもあったが、元々年の割に彼は体格に恵まれていた。傍らの小蒔が傘を持つ。

 

「しっかり掴まってろよ」

「うん」

 

 ぎゅっと、憧は京太郎の首に手を回す。

 

 彼の背中はあれだけ雨に打たれていたのに、熱を帯びているかのように暖かい。

お互いの服はぐしょぐしょで気持ち悪いはずなのに、不思議と不快にならない。

 

 どくん、どくん、と憧の心臓が痛いくらいに強く鼓動をする。自分で自分を制御できない感覚が彼女を包む。

 

 ――あれ、なに、なにこれ?

 

 顔が熱い。目が潤む。呼吸が速くなる。

 

 隣に目を向ければ、小蒔が傘をさしてくれていた。目が合うと、彼女はにっこり笑った。それで少し、憧は落ち着きを取り戻した。

 

 進む速度は当然落ち、自分の足で歩けないもどかしさ。ここに来てまた足を引っ張ってしまった情けなさ。

 すぐにでも降ろしてもらいたい。京太郎に休んでもらいたい。

 

 それらは全部、憧の嘘偽りない気持ちだった。

 

 しかし一方で、彼女は――

 もっとずっと、こうしていたいと思っていた。

 

 自分がそんな益体もないことを望んでいると気付いて、憧はまた羞恥に見舞われる。

 

「新子、もっとちゃんと掴まってくれ。ずり落ちそうだ」

「ふきゅっ」

「新子?」

「わわわわわかってるわよっ」

 

 悲しくなるくらい狼狽して、腕が痛くなるくらい京太郎にくっついて。

 憧の口が、京太郎の耳元にかかる。

 

「…………アリガト」

「どういたし、ましてっ」

 

 憧を背負い直しながら、京太郎は笑った。小蒔はしっかりと、憧を濡らさぬよう傘を高く掲げる。それで自分が雨に晒されようとも、彼女が気にする素振りはなかった。

 

 

 かくして三人は交番に到着する。

 

 傷を負い雨に晒され服はぼろぼろ。そのあんまりな姿に駐在していた巡査は驚き、あれやこれやと世話を焼いてくれた。

 乾いたタオルで頭と体を拭いて、三人はようやく一息ついた。

 

 既に全員迷子としての情報は出回っていたようで、それぞれの保護者とも連絡がつき、すぐに迎えが来る運びとなった。

 

 その間京太郎たちは名前や住所の聞き取り調査を行われ、分かる情報は全て用紙に記入していったのだが――

 

「あれ?」

 

 巡査の一人が、首を捻った。

 

「君たち三人とも、今日初めてたまたま偶然出会ったんだよね。出身地もばらばらで、お互いのことは何も知らなかった。そうだよね」

「はい、そうですけど……なにか?」

「いや、それがね……」

 

 巡査が注目したのは、三人がそれぞれ書いた目的地名の欄。住所は分からなくとも、それだけは三人ともしっかり覚えていた。

 

 小蒔は年齢にそぐわないくらいの達筆で。

 憧は女の子らしい、丸みを帯びた文字で。

 京太郎は少し雑で読みづらい走り書きで。

 

 

「皆目的地が一緒って、どういうことだい?」

 

 

 同じ神社の名前が、踊っていた。

 

 

 

 

 




次回:三/神代小蒔/夜宴

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