東京/東京大神宮
庭先で戯れた花火を手早く片付け終えると、子供たちは就寝の準備を進める。
神代小蒔、八歳。普段の鹿児島とは異なる環境、普段は触れない遊戯に、彼女は興奮冷めやらぬ様子でお風呂を出た。
――楽しかった。
いつも傍に控えてくれる霞、初美、巴、春。
彼女たちの存在はもちろん、ここで出会った二人の存在が、この東京旅行を鮮やかに彩ってくれた。
明日のことを、考えたくなかった。帰りたくなかった。いや、二人を霧島神境に連れて帰りたいと思った。子供らしい、叶わぬ望みであった。
昨日までなら、布団を敷き終えればすぐに眠るよう霞からの指示が飛んだ。守っていたかどうかは、さておいて。
しかし今日に至っては、霞も口を挟むことはなかった。彼女もまた、名残惜しいのだろう。結果、一同は各々の布団の上に座って、雑談に興じていた。
一際元気なのは、やはり憧と初美、それから京太郎だった。初美の冗談に大笑いする彼の横顔をそっと覗き見て、されど見つめ続けられず、小蒔は視線を自分の膝に落とす。先ほどからこれを繰り返していることに小蒔自身気付いていたが、どうしても止められなかった。そうしているだけで、充分胸が一杯になった。
一人小蒔が黙りこくっている内に、話題は別のものに移っていた。
「将来の夢、ねぇ」
ふんふむ、と霞が頷く。
「あんまり考えたことなかったわ。このまま霧島神境に残るつもりでいるもの」
それは、昨日小蒔が京太郎と二人きりで交わした会話と同じ類であった。なりたいもの、希望。彼との会話を思い出し、小蒔はどきりとする。
「霞ちゃんは寂しいですねー。もっと大きな野望を持つのですよー」
初美が挑発するように人差し指を振る。
「じゃあ、はっちゃんは何か夢があるの?」
「もちろんなのですよー!」
京太郎の問いに、初美は拳を握った。
「ないすばでぃな巫女さんになって、もっと霧島神境をアピールして盛り立てるのですよー! この世知辛い不景気な情勢、引きこもったままこれまで通りとはいかないのですよー。変わらないためには変わり続けるしかないのですねー」
「現実的なのか俗物的なのかよく分かりませんね」
初美の野望に巴が苦笑する。そんな彼女に向けて、今度は憧が訊ねた。
「巴さんは何かないの?」
「そうですね。将来の夢……とはちょっと違いますけど、世界中を旅して回ってみたいです。知識としては本を読んで貯め込んでいるつもりなんですけど、実体験してみたいですね」
「おー、なんだか大人な意見」
「はっちゃんとは違うな」
「聞き捨てならないのですよー、京太郎!」
初美に飛びかかられて、京太郎が布団に倒れ伏せる。じゃれあう二人の姿は最早見慣れていて、みんな笑っていた。
「じゃ、次……春は?」
「……ん」
しばしの間、春は考え込む素振りを見せて。
きらりと、目を輝かせ、答えた。これまでにない真剣な声色だった。
「究極の黒糖を、作る」
「…………つまり、お菓子メーカーに就職ってこと?」
「ん」
「ぶれないなぁ、春は」
初美を引き剥がし、京太郎が呆れたように、それでいて感心したように言った。春は全く意に介さず、自分の鞄から黒糖の袋を取り出そうとして、霞に手をはたき落とされた。お菓子を食べてはいけない時間だ。
「でも、京も気に入ったでしょ?」
「ああ、春のくれた黒糖ほんっと美味しかった! もっと食べたい!」
「なら、良かった」
春がゆったりと微笑む。あまり見せない彼女の表情の変化に、京太郎が見惚れているのが小蒔にも分かった。京太郎を挟んで隣に座る憧と共に、「むむ」と小蒔は小さく唸った。その声は、誰にも届かなかった。
「霞ちゃんはほんとに何もないのですかー?」
「そうねぇ……うーん、私はやっぱり、みんなの夢が叶えば良いわ。見守って、お手伝いできたらそれが一番」
「優等生すぎるのですよー」
口を尖らせる初美の頭を撫でながら、今度は霞が憧に訊いた。
「憧ちゃんはなにかあるの? 参考に聞いてみたいわ」
「夢、夢、夢ねー……。国語の授業でも作文を書けって言われて一番困ってるから。やりたいこととか、一杯あって決めきれないもん」
憧は苦笑する。
「でも、ちょっとした希望みたいなものは、あるかな」
「なになに?」
京太郎が身を乗り出し、憧は恥ずかしそうに少し俯く。
「……麻雀に、関われる仕事がいいかなって」
「あら、それはいいわね」
「具体的には何一つ決まってないんだけど」
「それじゃ、プロ希望だったり?」
「そこまで簡単になれるものじゃないわよ。たぶん、叶ってもきっと別の形になるかな」
頬をかきながら、憧は言う。小蒔は感心してしまった。漠然とした自分の夢よりも、ずっとしっかりしている気がした。
「京太郎はどうなの?」
「俺は、神社継ぐか、スポーツ選手かな」
その答えを、小蒔は既に聞いていた。自分だけが知っていること、なんて思い上がりはしていないつもりだったが、こうして周知されてしまうと彼女は何だかもの寂しくなる。正確に言えば、拗ねていた。
「どちらも素敵な夢ね」
霞が朗らかに言うが、京太郎は首を捻る。
「スポーツ選手はともかく、神社を継ぐのは素敵かな」
「私からすればとても素敵よ。宮司さんって格好良いと思うし」
「それなら霞ちゃんは京太郎のお嫁さんになれば良いのですよー! 夢がないのなら丁度良いのですよー!」
初美が、名案と言わんばかりに膝を叩く。あらあら、と霞はおっとり笑って、憧があわあわと口を開閉させる。
――堪らず、と言った様子で。
ずっと黙っていた小蒔は、両手を胸に組んで目を閉じたまま、叫んでいた。
「だめですーっ!」
叫んでから、はっと小蒔は我に返る。
ぐるりと辺りを見渡せば、京太郎と憧はぽかんとして、六女仙たちは――春までもうっすらと――からかい混じりの笑みを浮かべていた。
かぁ、と顔が熱くなる。あの、その、この、と声が言葉にならない。
初美が、ゆっくりと問うてきた。
「それじゃあ姫様の夢は、なんなのですかー?」
「……………………っ」
答えられるはずもなかった。京太郎と二人きりのときでも、半分誤魔化したのだ。
そもそも、初美とは同じ会話をした記憶があった。そのときには、何も意識せず話していた覚えがある。分かっていて、訊いてきている。
追い詰められた小蒔は、
「お……」
その一音目を口にする。
「お?」
「お……お……おょ……」
ぐるりと視線に取り囲まれ、彼女は追い詰められ――
しかし、結局。
「……おやすみなさいーっ!」
がばりと布団の中に、小蒔は逃げ込んだ。暗闇の中で、耳と目を塞ぐ。心臓が痛いくらいに鼓動する。
あの流れで、正直に「お嫁さん」と宣言するのは至難の業であった。しかも、京太郎の目もある。翌日六女仙たちからは謝られるのだが、珍しく彼女はしばらく拗ねることになる。
それはともかくとして、小蒔ははっきりと自分の夢を自覚する。もちろん京太郎に語った話も嘘ではない。しかし、なりたいものと問われれば、やはりこちらであった。
しかも彼女の中では、自覚なく、「誰の」まで決まっていた。
布団の中で、小蒔は想像を巡らせる。
お嫁さんになったら、長野に住むことになるのだろうか。霧島神境は、父は許してくれるだろうか。
京くん、という呼び方は気に入っている。一番に心に出てきた言葉ではないが、充分しっくりきていた。
しかし大人になったら少し子供っぽすぎやしないだろうか。特に夫婦だとなおさら。京太郎様も京様も却下されている。ならば――京太郎さん、だろうか。自分で思い描く夢に、恥ずかしさから小蒔は布団の中で身悶える。
そっと耳を塞いでいた手を離すと、部屋の中は静かになっていた。どうやら他のみんなも床についたようだった。顔だけ布団から出すと、京太郎も既に横になっている。隣の憧と、小声で何やら話していた。
――ああ、もう。
小蒔はそろりと腕を、彼の布団へと伸ばした。
◇ ◇ ◇
東京/東京大神宮
髪に触れられる指の感触に、小蒔は目覚めた。
「あ……わり、起こしたか」
「いいえ……」
瞼を開けた視界に広がるのは、暗い室内。時刻は午前四時半。太陽はまだ完全に顔を見せていないようだった。
小蒔は体を起こして、隣の彼に微笑みかけた。
「――夢を、見ていました」
「夢? なんの?」
「はい。幼い頃の夢です。ここでみんなで、過ごした夢」
あのときに比べたら、色々と変わった。自分の体は大きくなった。彼の声は低くなった。心は――どうだろうか。いくらかは、成長できたのだろうか。
「あのときも、こうしてみんなで眠りましたね」
「そうだったっけか」
とぼける彼に、小蒔は追求する。
「もしかして、あまり眠れませんでした?」
「……だって、あのときから変わらず、みんな、同じ部屋だからな。そりゃ、緊張するよ。部屋は充分あるのに、これだもんな」
正直に答える彼に向けて、小蒔はくすくすと笑った。――みんなはまだ、静かな寝息を立てている。二人だけで悪巧みをしているみたいで、小蒔はどきどきした。とても緊張して、とても楽しくて。あの日、彼女たちが自分をからかった気持ちが、少しだけ分かった。
だからもう少しだけ、小蒔は大胆になる。悪戯を企む子供のように、大胆になった。夢の中の自分では、決してできかったこと。
これは、成長なのだろうか、変化なのだろうか。いずれにしても小蒔は止まらない。誰にも、止められない。
「京太郎さん」
「なんだ?」
「愛しています」
「知ってる」
二人は微笑み合って――
どちらからともなく、唇を重ねた。
神代小蒔は、夢の続きに夢を見る。
夢の続きに おわり
これにてSummer/Shrine/Sweets、全編終了です。
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感想、評価、コメントを頂き、本当にありがとうございました。
全てに返信できておらず心苦しくはありますが、
この場を借りてお礼申し上げます。
ここまでお付き合い頂いたこと、重ねてお礼申し上げます。
それではまたどこか別の機会にお目にかかれることを、
そして咲SSがもっと増えることを祈って。
2015/05/18 TTP