「……やっちゃった」
やってしまった。とりあえず生かしておかないといけないのに。
寝室に転がる死体。首の骨は折れて、顔には苦悶の表情。手には毒の付いたナイフがあって、他にも武器がたくさん吊り下げてあるから、なんの弁明の余地もなく死刑確定の暗殺者の成れの果て。
この際絨毯が血で汚れたことは無視したい。結構肌触り好きだったんだけど、まぁ取り換えだよね。あーあ、無視もできずに未練たらたら。
私は血なまぐささに少々吐き気を覚えたけれど、すぐに落ち着いた。別に死というものは遠い存在ではないし、トロデーンではそう発生しないものの、この世界にも飢餓があり、簡単に貴族ではない人間は死ぬということを理解していたから。
モノトリアの私がたとえ罪のない人を殺しても、それが少ないならばもみ消せるだろう。その程度の、人の命の重さなのだから。
とはいえ私は邪悪ではないので、今までの殺人はほぼ完全に正当防衛である。誰が寝室に忍び込んできた暗殺者に抵抗して殺してしまったことを非難するのか。私はこれでいっそう恐れられるだろうけど、軽蔑されることは絶対にない。
たまに死刑執行してたような気もするけど、モノトリアはシャルル=アンリ・サンソン的な家ではないので本業じゃないし。まぁそれも私がここで仕留めなかっただけの暗殺者なんだけどさぁ。
その点では平和そのものな前世より小気味よい世界だ。恥ではなく罪で裁かれるようなもの。
私は小さなベルを鳴らして、執事を呼んだ。深夜だけど、まぁ、朝までこんな部屋にいたことが父上にでもバレたら貴族としての心構えの足りなさについて少々お説教されることだろうし、母上は私のことを哀れんで女として生きるようにますます主張することだろう。
ベッドの上の剣を抱き寄せて、部屋を出る準備をしながら慌ただしい足音を聞いていた。
「如何なされましたか」
「暗殺者を、殺した」
「なんと! 護衛の者は何をしているのですか!
……お怪我はございませんか?」
「ないよ」
暗がりの死体にすぐには気づけなかった執事が取り乱して、その声を聞き付けた部屋の外にいるはずの護衛からなんのリアクションも返ってこないことからすべてを悟ったらしい。
なかなかの手練だった。私がただの貴族令嬢なら死んでいただろう。今日の護衛は亡くなったか、良くて毒か睡眠薬を盛られて意識がないのだろう。
「片付けて。父上の報告は朝でいいよ。ボクまだ寝たいから客間を整えさせて」
「かしこまりました。剣の手入れはどう致しましょうか」
枕元の適当な剣を投げて絶命させたんだっけ。別にお気に入りでも業物でもないし、実用性はあるけど飾りみたいなものだよね、それ。私には二回使えない程度の強度だし。
「下げ渡して。護衛たちの武器にするといい。気を抜くことがいかに致命的なことかが分かるでしょう。ドアの前の護衛については……沙汰は父上がお決めになることだが」
まぁ私、護衛部隊に恐れられていて、挨拶と命令の関係で愛着ないしなぁ。こんなんだから友達がエルトしかいないのかもね。それが普通なのに受け入れられないから。
「ボクとしては生きているなら三ヶ月の謹慎だな。せいぜい療養して、自らの血に役目を問い直させるといい。生きていたら、だけど」
私はただただ自分が悪いわけでもないのに頭を下げる執事をつまらなく思いながら、今日の執事の当番が私の性別を知る親しい人ではないことが良かったのか悪かったのか検討しつつ、愛剣を担ぐと寝間着のまま部屋を出た。
あーあ、彼はただ仕事してるだけなのに私はいけない子だ。
……目が冴えちゃった。
でも明日は揃って訓練の日だ。モノトリアとしての仕事はないし、寝ないとね。
私はメイドが急いでベッドメイクしたふかふかの布団に倒れ込んだ。硬質な剣の感触を心地よく思いながら。
「おはようエルト。寝癖ついてるよ」
「……はよ……」
「ねぇエルト、昨日何時に寝たの?」
「……」
だめだこれは。完全に意識が寝てる。
「起きてってば。朝ごはん食べたの?」
「食べた……」
「詰め込まれてたってのが正解だろ……」
ぼそっと言った君にもう少し事情を聞いてもいいかな。
「昨日なんかあったの?」
「はっ、深夜まで『くだらない活動』をしておりました」
「そう、猥談もいいけど、エルト朝弱いしほどほどに」
「わっ……」
「違ったかな、下世話だった?」
同い年はつまらない、というかつまらなくないといけない。私の立場と自分の立場をわかっている貴族の子息は私をそれこそ真綿に包むように丁重に扱う。
だから混ぜっ返しただけなのに、固まらないでよ。
私はここでは男のように振る舞わなきゃならないんだし、ここは兵舎だし。家から通っている私にもベッドが与えられているから、朝ごはんのあと鎧をのたのた着ているエルトをからかうにはちょうどいい。
「いいえそんなことは……」
「いやトウカ猥談とか君の口から言わないでよ、びっくりして目が覚めたよ!」
「ボクをなんだと思っているんだ」
なんだと思っているんだ。まぁその手の本は父上がなんとしてでもせき止めているらしくて話が入ってこないのだけど。前世も中学生どまりで頼りにならない。でも私は、結婚していて然るべき年齢だ。なんにも知らないっておかしくない?
「純潔の騎士……?」
「OK、虫唾が走る。そう思うのはやめろよ。ど、の、へ、ん、が! そうなんだよ!」
「じゃあ聞くけどどんな異性が好みなの」
どんな異性ね。異性か。答えやすいね、嘘を誤魔化して無理やり本当のことを言わなくていいから。
「髪の毛がつやつやしていて綺麗な人は正直少し触らせて欲しくなるね」
「結構普通のこと言うね」
「だろう? 何が純潔だよ、ボクがまるで経験なしの腰抜けみたいにさあ」
まぁまるで経験なしの腰抜けなんだけどさぁ。貴族の令嬢としては純潔はそりゃ当たり前だけど、私は子息と思われている上に、別に近衛兵だから全員貴族出身じゃない。エルトは出身が不明だから例外中の例外だけど、わりと年上の人なら実力派の庶民の人もいる。
だから、まぁ、経験なしの腰抜けって扱いはね、そりゃあ、私にはされないんだけどさ。不敬罪になるよ。
……エルトいじめられたりしてない? 素朴なイケメンをリードするようないけないお姉さんとかいてないよね? 大丈夫だよね? 心配になってきた。エルトがどうとか知ったことじゃないんだけども。
「それから、そうだなぁ、ボクとは違う意味で強いひとに惹かれるな。戦闘力じゃなくていい。戦闘力も強かったらそれこそすぐ惚れちゃいそうだけど、想いの強さというのは尊いものなんだろうね」
「……うん、妥協ラインがそれらしい」
「何が妥協だよ、ボクは愛する人を選り好みできる立場じゃないけど、もし恋をして結婚できるなら……とか考えないわけじゃないのさ。たまには考えるよ、たまには」
ボクは夢みる乙女じゃいけない。だからきっと、どこかの貴族の子息を婿養子にして、結婚するのだろう。まだまだ先だけど。
でも、そうだなぁ、綺麗な髪の、優しい人がいいな。夢を見すぎだけど。
「こいつらがボクの命を狙いに来たって?」
「はい。幸い先に捉えることが出来ましたが」
「縛りが甘い。手首折っちゃっていいよ、それぐらいきつく縛って、見張りを増やしておいて……多分、昨晩のやつの仲間だ」
冷たい声を努めて出した。命を狙われて愉快なわけがなかった。しかも立て続けだ。
「私はモノトリア家長子、トウカ。あなたが何者の差し金で、どのような信念を持って私を殺そうと企んだのかは関係ないことだ。私は私の信念を持って、そしてこの家の家訓に従い、トロデーンの法に則ってあなたを処刑する。
それまで悔いろとは言わないが、末期の水くらいは飲ませてやろう。不敬には罪を、だが、苦痛を返すことはない」
私やエルトくらいの年の暗殺者は私を睨むこともなく、拘束を強くされても無言だった。私の死で、益がある貴族はもちろん多い。単純に気に食わないからってこともあるだろう。
私には慈悲はない。私は生きて、恩を返さなければならない。私は血筋という、自分では選べないことによって恵まれた環境にいるんだ。エルトとの差は血筋だけだ。ほかの孤児たちとの違いは何だ? 何もない。
だから私は努力するし、陛下と姫のためには命を差し出す誓いを立てている。
死ぬわけには行かない。
そして彼は口を開く。猿轡を噛ませることはしなかった。私は少し、言葉を交わすことにした。見下しているんじゃない。ただ、知るべきだと思ったから。父上に怒られてしまうな。
「お前がいなけりゃ、兄さんは死ななかった」
「私が死ぬ理由にはならない」
「依頼主の言葉に従わなければ結局は殺される」
「そう。私が死ぬ理由にはならない」
私は死にゆく少年に、罵倒をする権利はない。だから受け止める。ただ優しい言葉を返すのではないけれど。
「私が死ぬ時は、我が君主の盾となる時」
「いけすかない男だ」
「結構」
男じゃないとわざわざ知らせようとは思わない。私は牢のある部屋から出ようと思った。椅子から立ち上がると、力のない目で見返された。
「生きているだけで罪のくせに」
「弁えなさい、罪人よ」
そう思う人もいるでしょう、そう信じる人もいるでしょう。でも、今はあなたそのものが罪人なのに。
私は翌日、親しい執事に暗殺者の少年を処刑したことが伝えられた。拷問はしないし、尋問も形式的なものだったけれど、彼は依頼主のことを吐いたという。
私は彼なりの「弁え方」を受け止めて、非道な依頼主については国の名の元に然るべき償いがあるように取り計らった。
ただ平和に生きていられるのならば、それでよかった。でも、私には叶わない。
平穏の中生きることが出来るのなら、エルトの知らない冷徹な貴族ではなく、エルトの知っている変人の貴族ぐらいでいられるだろうか。