何をしても、怒られる事はなかった。
私と司令は、仲が良かったから。
信頼しあっていたから。
でも、踏み込みすぎた。
相手は司令官なんだ。
私は艦娘。
失礼だったよね。
「今後、ノックするというのを守れなければ、お前が執務室に出入りする事を禁止する」
そう言った時の司令の目は、怒りと言うより、呆れた顔をしていた。
鳳翔と作戦会議をしている司令に、謝ることも出来なくて、静かに、執務室を出てきた。
「はぁ…」
「比叡」
「お姉様…」
「どうした~?ため息なんてついて。比叡らしくないデース」
「実は…司令を怒らせてしまったんです…」
「提督を?それはまたどうしたのヨ」
お姉様に包み隠さず話した。
「なるほど~。でも、今更ネ」
「我慢していたのかも…」
「提督がそんな事で怒るとは思えないけどネ。他に何かしたんじゃないノ?」
「他ですか…?うーん…特にないけどなぁ…」
「っていうか、提督に謝ったノ?謝ってないなら、早く謝って、仲直りした方がイイヨ」
「でも…」
「ウジウジしてないで、早く行くデース!」
「は、はい…」
執務室の扉。
いつもは、軽く、開けていたけれど、今は、扉に手をかけるのも、躊躇してしまう。
「あ…ノック…」
扉をノックしようとした時、急に扉が開いた。
「あ…」
「鳳翔さん…」
「比叡さん?提督に御用ですか?」
「え…あ…な、なんでもないです!ごめんなさい~!」
「それで、帰ってきたという訳なのネ…」
「…」
「ま、時間が解決してくれるヨ。比叡も、しばらくは…じ…じ…自…重…した方がいいデース」
「はい…」
「…元気出しなヨ。そうデース!昨日、買って来てくれたお土産のお菓子、一緒に食べるヨ!ホラ、いい紅茶も」
「…ありがとうございます」
お姉様とお茶。
嬉しいはずなのに、どうしても、司令の事が引っかかる。
このまま、ずっと、仲直りできなかったらどうしよう。
そんなことばかりが気になって、お菓子も、紅茶も、味が分からなかった。
時間が解決してくれる。
お姉様はそういったけど、あれから、もう数日。
私は、司令と一言も口を利く事がなかった。
よくよく考えれば、今までずっと、私から一方的に、司令に話しかけていた。
他の艦娘は、司令を尊敬していたし、話しかけるなんておこがましいと聞いた事がある。
私は、そんな司令に、おこがましく話しかけ、失礼を働いた。
そりゃ、怒るよね。
少し考えれば分かる事なのに、どうして、あんな事してしまったんだろう。
後悔しか残らない。
悔いても悔いても、関係が回復する事なんか、なかった。
「ねえ、知ってる?司令官、違う鎮守府へ配属になるかも知れないんだって」
駆逐艦たちの話し声。
いつもなら、聞き流しているのに、今日に限って、ハッキリと、私の耳に届いた。
「そうなの?」
「うん。司令官の実績が認められて、もっと難しい海域に配属になるかもしれないって」
「あまり話したこと無いけど、ちょっと寂しくなるね」
嘘…。
司令が…この鎮守府を…?
今でもハッキリと覚えている。
私が、初めて配属されたあの日の事を…。
「比叡です!」
「よろしく比叡。お前は我が鎮守府で初めての戦艦だ。期待しているぞ」
「はい!」
今思えば、司令は、私の機嫌を損ねないように、私のすることに怒らなかったのかな。
私が、初めての戦艦だったから。
もし、私が初めてじゃなかったら、今みたいな感じに、なっていたかも知れない。
初めてだから。
「比叡、食事にでも行こうか」
「比叡、良くやったな」
「比叡」
司令はいつも笑顔だった。
すべては、私の機嫌を、損ねないようにするため…。
初めてだから。
初めて…だから…。
「私は…純粋に…嬉しかったのに…。純粋に…司令と…仲良くしたかったのに…」
司令は、ずっと、私とは違って、気を遣っていただけだったんだ。
何一つ、司令にとって、楽しい事が無かったんだ。
私は…司令の大切な時間を…奪ったんだ…。
どんなに遠くに離れても、司令が生きてさえ居れば、それでよかった。
でも、死んでしまっては、会う事も、謝ることも、出来ない。
新たに配属される鎮守府は、激戦区だという。
もし、司令が死んでしまったら、私は、ずっと、この気持ちを、引きずり続け、生きて行く事になるだろう。
「さようなら、比叡」
司令が、遠くにある光の中に、消えて行く。
私は、手を伸ばして、司令を掴もうとしたけれど、もう遅く、完全に消えてしまった。
さようならも、言えなかった。
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
暗い闇の中、司令に届くわけも無いのに、ひたすら謝り続けた。
「はっ…!」
「大丈夫?魘されてたヨ?」
「…夢」
「…今日はお休みするデース。提督には、私から言っておくネ」
「…ごめんなさい」
このままではいけない。
ああなっては、もう遅い。
司令が遠くに行ってしまう前に、謝らなきゃ…。
執務室の扉をノックしようとしたとき、中から、司令と鳳翔の話し声が聞こえた。
「本当に、向こうの鎮守府へ?」
「ああ、戦闘が激化しているらしい。部隊をまとめる者が、足りないとの事だ」
「そうですか…。どうか、ご無事で…」
「ありがとう」
執務室の扉が開いた。
「比叡さん」
鳳翔は、私の顔を見ると、何かを察したように、私を扉の中へいれた。
「…比叡」
「司令…」
長い沈黙。
時計の針の音を、何度も何度も聞いた。
「…どうした?」
久しぶりの会話。
私に投げかけているものだと信じられず、数秒だけど、硬直した。
「…あの…移動に…なるって…」
「ああ…」
「…帰って…これない…の…ですか…?」
「…かも知れぬな」
司令の口から聞いて、やっと、実感が湧いた。
死んでしまうかもしれない。
その言葉が、私の中で、何度も何度も、響いた。
「…話はそれだけか?」
「…ヤダ」
「え?」
「ヤダ…」
謝るよりも先に出た言葉。
何度も、何度も、司令に言ってきた我が儘。
でも、これほど、妥協できないものは、今までになかった。
「行かないで…」
「比叡…」
「私…ちゃんとするから…もう…我が儘言わないし…ノックだってする…。だから…」
「もう決まったことだ…。今のは…次に来る新しい提督の為にするんだ…」
「ヤダ…!」
「比叡!」
司令の怒鳴り声を、初めて聞いた。
静かな執務室が、揺れた気がした。
「いい加減にしろ…!」
初めて、本気で怒られた。
この前のが、本気でないと、確信した。
でも、嬉しかった。
気を遣われてないんだって。
「比叡…」
「はい…」
「悪かったな…」
「え…?」
そう言うと、司令は、涙を流した。
それも、初めて見た。
「司令…?」
「この数日…私は…お前に対して…冷たい態度を取ってしまった…」
「それは…私が…ノックしなかったから…」
「違う…」
「え…?」
「そんな事は…どうでもよかった…。私は…イラついていたのだ…。お前が…私に…振り向いてくれない事に…」
「私が…司令に…?」
「お前は…私を友達か何かと思っているようだが…私はな…比叡…」
司令の目が、私を向いた。
涙のせいもあるけれど、とても、綺麗に見えた。
「お前を…女として…見ていたのだ…」
驚きで、何も返せなかった。
司令はずっと、司令と艦娘としてしか、見ていないと思っていた。
恋愛など、おこがましい。
そう、思っていると、思っていた。
「最後だから言おう。比叡、私はお前が好きだ」
「え…う…えと…」
なんだろう。
胸の方から、段々と、熱い何かがこみ上げてきて、顔を火照らせている。
恥ずかしい時と、似てはいるけれど、それとも違う。
「これで…悔いなく散る事が出来る。ありがとう。比叡」
「司令…」
「お土産…お守りにさせてもらうよ。最後に…話せてよかった…」
さっきとは違って、今度は、胸が締め付けられて、それが、段々と、顔の方まであがってきた。
「ヤダ…」
そして、また、同じように、その言葉を繰り返した。
頬を伝う涙は、途切れなく流れ続けた。
「最後の我が儘は聞けない。次の提督に、私と同じように接しられたら、困るからな」
「司令…」
「楽しかったよ。さようなら、比叡」
あれから何年経っただろう。
私は、この鎮守府で一番の錬度となった。
礼儀もちゃんとしているし、秘書艦としても活躍できるようになった。
一日たりとも、司令を忘れたことはない。
あの人が帰る事を信じて、ずっと、頑張ってきた。
「比叡」
「お姉様」
「仕事の方は順調?」
「はい。ばっちりです!」
「…あまり頑張り過ぎるのも、体に良くないヨ?」
お姉様が心配しているのは、私の体なんかじゃない。
司令は帰ってくる。
そう信じている事に対しての言葉だ。
私の事を思って、司令を忘れるように、遠めに、心配してくれているんだ。
「大丈夫です!」
「そう…」
情報を手に入れようと動けば、司令の状況が分かるかも知れない。
でも、それが怖くて、出来なかった。
今の私は、司令の無事を信じて、生きる事しか出来なかった。
「私が…ですか…?」
「ああ、上からの命令でな。お前の活躍が上層部に届いたようでな。是非、秘書艦にしたいと言うんだ」
「はあ…。しかし…この鎮守府は…」
「それなら大丈夫デース」
「お姉様?」
「私は金剛型の一番艦だヨ?比叡に守られてばっかじゃ、一番艦の名が廃るってものヨ!」
「でも…」
「問題Nothing!心配には及ばないネ!」
「そう言うことだ。比叡、向こうでの活躍、期待しているぞ」
「はい」
「ひえ~…大きな鎮守府…。流石、上層部は違うなぁ…」
今まで居た鎮守府の何十倍と大きな敷地。
建造ドック、入渠ドック、何処を取っても、規模が違う。
「こんなところで秘書艦をするなんて…大変だ…」
でも、いつか司令にあった時、自慢してやるんだ。
ここまで頑張ったんだって。
きっと、司令、腰抜かすかも。
執務室の扉は、他のどの扉よりも、高級感ただよっていた。
ノックの音さえも、どこか高級だ。
「入れ」
「失礼します!」
緊張する。
扉に手をかけ、恐る恐る開けた。
執務室もまた、大きく、広かった。
奥に、これまた大きな机。
その奥に座る、立派な制服を着た、後姿の司令官。
「本日から配属になりました!比叡です!」
「ほう、ちゃんとノックを出来るようになったのか。挨拶もしっかりしている」
「え…?」
何度となく、繰り返し思い返していた、あの声。
その声が、目の前で聞こえる。
「立派になったな。比叡」
「…!」
驚き、固まった。
声にならない驚き。
「ハハハ、驚いたか?あの海域が終戦したのは知っているだろう?その後、功績を称えられ、ここに配属になったのだ」
「…」
「お前が活躍していると聞いてな。私が無理を言って、お前を秘書艦に連れてくるよう、頼んでおいたのだ」
「…」
「しかし、お前も立派になったな。………比叡?」
「うあああああああああ…!」
「うわ!?」
司令はさぞかし、驚いただろう。
急に、私が泣きだすものだから。
「どどど、どうした?」
「うああああああ…うああああああ…!」
色んな感情が、急に押し寄せてきて、静まる事が無かった。
ずっと、ずっと、我慢していた涙。
しっかりしようと、押さえつけていた本当の自分が、涙となって溢れだした。
「比叡…」
司令の胸の中で、声が枯れるくらい泣いた。
一生分の涙を流したんじゃないかってくらいに。
「ただいま…比叡…」
「司令~…映画~…映画行きたい~…」
「またあの映画か?もう何回見れば気が済むのだ…」
「10回は見たい…」
「10回?馬鹿言え」
「ぶー…」
「それより、ドックの管理状況はどうなっている?」
「全部空いてます」
「…何故だ?先ほど、赤城が中破で入渠しているはずだろう?」
「…」
「…バケツを使ったのか?」
「だって、早く映画に行きたくて…。赤城…遅いし…」
「はあ…お前な…」
「むぅ…」
「…分かった。今回だけだぞ」
「本当!?実はもう準備出来てるんですよー!」
「お前…」
「いい天気で良かったぁ~」
「そうだな」
「司令、映画まで時間あるし、ご飯食べましょう!」
「お昼には早いが…」
「美味しいから大丈夫!こっちこっち!」
「あ、こら、走るな!」
「あははは」
「全く…」
あの日と同じ。
いくら時間が経てど、鎮守府が変わっても、私達は変わらない。
ただ、一つ違う事がある。
「えへへ~」
「いつまでそうしてるんだ」
「司令は見なさ過ぎです!だって、これは愛の誓いの形ですよ!」
「カッコカリだがな」
「むぅ…冷めてますねぇ…」
「だが…」
「?」
「お前を好きな事にかわりはない」
「う、うん…は、恥ずかしい~…」
「ハハハ」
人間と艦娘。
いつか、私達は、その壁を越えることが出来るのだろうか。
「司令」
「ん?」
「ううん、なんでもありません。さ、早く食べて次に行きましょう!」
「ああ」
いつか、司令と…。
心から愛している、この人と…。