俺がこの世界で暮らすことに少しずつ慣れ始めた頃。レベルも25まで上がりなんとなく戦闘も出来るようになってきた。余裕ができたからか、毎晩の物音が気になるようになったのは。
宿の隣の部屋はキリトだ。
いつもみんなでクエストに出掛け、もしくは狩りをし夕飯を食べてその日を振り替えるとそれぞれの部屋に別れる。毎日かかる宿代に、家みたいなものはないのかと尋ねると、それは贅沢品で現状手にしているプレイヤーはほとんどいないとか。宿は安ければ1日100コル程度で泊まることができるが、プレイヤーホームとなると100万コルは下らないとか。桁の数が違いすぎて確かに今は検討する気にもならない。しかし、毎晩の騒音…と言う程でもないが、その音がするまでは眠れないぐらいには気になる。
音がするのは毎晩部屋に入ってから30分程した頃。まぁ、30分ぐらい眠れなくとも何の問題はないのだが、問題はそれが部屋を出ていく音と言うことだ。
毎晩、必ず、きっちり。
俺のレベルはギルドのメンバーとは段々詰まっている。しかしキリトとは詰まる気配を見せるどころか平行線だ。レベルの低い俺のレベルがどんどん上がるのはわかるが、高レベルのキリトのものがそうポンポン上がるはずはない。その秘密はどう考えてもこの外出にあるのだろう。
不平を言うつもりなどないが、その日は部屋に戻った振りをして、キリトの部屋の前でヤツが出てくるのを待つことにした。
昼に狩りをして、夜に出掛ける。この世界で生活して分かったことだが寝なくてもHPが減ったりするわけではない。食べなくても死にはしない。ただ純粋に精神が消耗する。心をすり減らしてまで何故出掛けるのか。半信半疑だがこのゲームが本当にデスゲームってやつならば、いつだって正常な判断が出来るように心は健康でいるべきだ。…それは一応戦争を生き抜いた俺の教訓。心の余裕がってのは大切だ。本物の軍人のディオやヒナですらそれがなくば判断を誤る。
キリトはこの世界での恩人だ。あいつがいなきゃ元の時代に帰るなんて夢物語どころか、ここに迷い込んだ時に死んでいた。家族と再会することなく、未来で雛と出会うこともなく。
だからこそ、俺で力になれることがあるのならキリトを助けたいと思うことは自然だろう。
バンッ
「っだぁっ!!!」
考えに耽っていると勢い良く開いた扉に弾き飛ばされた。
「アオバ!?」
痛みは感じないが衝撃は受ける。痛いと反応してしまうのは条件反射のようなものだ。目の前にいるのは扉の部屋の主、キリトだ。彼が出てくるのを待っていたわけだがオヤクソクのように扉にやられるとは思っていなかった。
「よぉ!」
右手を挙げ何事も無かったのように振る舞う俺にキリトは目を丸くして突っ立っていた。案の定キリトはフル武装。武器なんかは昼間よりも良いものを使っているんじゃないだろうか。
俺にアインくラッドの知識をくれたのは目の前にいるこいつだ。俺の目が間違っていなければ、強化され具合が昼間のものとは違うように見える。
顔を青くしたいのか赤くしたいのか微妙な顔色で、どんな表情を浮かべて良いのかも分からないような中途半端な表情で、キリトはむんずと俺の袖をひっつかんだ。そしてそのままズルズルと引き摺り宿の外に出た。
…階段も気にすることなくそのままズドンズドンと音を立てて引き摺るもんだから、これが現実なら俺の下半身は擦り傷とアオタンだらけに違いない。こんなことに慣れたら現実で痛い目にあいそうだ。
「何してんだよ!」
宿の外に出るとキリトは普段荒げることのない声を荒げた。やり方を間違ったか、尾行でもした方が良かったか。
「や、何してんのかなーって…」
「こっちが聞いてんだけど。」
まんま言葉を返すと、目を細めたキリトにじとりと睨まれてしまった。仕方ないので開き直ってしまう。
「俺の部屋、お前の隣だろ? 毎晩出掛けていく音が聞こえるんだよね。で、騒音公害を訴えに来た!」
「は?」
俺としては非常に端的に要件を述べたつもりだったがキリトにはあいにく伝わらなかったようだ。本音を言ってしまうのはやや恥ずかしいが仕方ない。思ったことを口にするのはもともとの性分でもある。
「…心配なんだよ。睡眠不足で集中力欠いて危険な目に遭うんじゃないかって。大体、そのレベル維持かなり無理してんじゃないの?」
キリトは強い。
この世界のことが少しずつ分かってきた今、こんな中層にいるプレイヤーじゃなく、本来は最前線レベルのプレイヤーじゃないかって思うくらいに。と言うより実際そうなんだろう。俺なりに色々情報収集もしてみた。俺みたいに途中から紛れ込んでしまったプレイヤーは他にいないか、とか。…ヒナはこの世界に迷い混んでいないか、とか。そうしているうちに妙な噂を耳にした。
《黒の剣士》、《ビーター》が前線から姿を消した。
聞けば聞くほどその特徴はキリトに似ている。黒いロングコートの黒ずくめの男。背は高くなく、容姿は線が細く中性的。真っ黒な髪にぐりぐりとした黒目。そして、恐ろしく強い。圧倒的なスキルを持っている。ただ違うのはその男がギルドには所属しておらず、ソロプレイヤーだと言うとこだった。
ただ、その男が何らかをきっかけに《月夜の黒猫団》に入ることになったとすると全て納得が行く。
キリトは元々攻略組だった。
それならば強さも、アイテムも全ての辻褄が合う。
「アオバで良かったと言うべきなのかな。」
「何が?」
「気付いてるんだろ。俺が攻略組だってことに。」
「まぁね。」
あっさりとゲロってくれたキリトはそのままスタスタ歩き出してしまった。
「お、おい!」
呼び止めるとくるりと首だけで振り返った。
「一緒に来いよ。睡眠時間減らしたくない。」
そしてさらりと俺の言ったことを気にしている。素直じゃないやつ。でも気持ちはどうやら伝わっているらしい。そのまま小走りにキリトの後を追いかける。
「いつも何してんだよ?」
「白々しいな、分かってんだろ。レベル上げ。」
どうりでキリトとのレベル差が詰まらないわけだ。キリトは恐らく今黒猫団のいる層ではほとんど経験値が得られないんだろう。でも中層で過ごすには十分すぎるレベル。なら何のために。
「お前、十分にレベル高いじゃんか。」
「…不安なんだ、周りから遅れていくのが。」
どんな経緯で彼があのギルドに入ったのかは聞いたことはなかった。仲間達に隠し続ける本当のステータス。前線のステータスへのこだわり。それでもあのギルドにいること。それぞれに別の思いがあるのかも知れない。
「前線には帰らないのか?」
「…分からない。」
帰らないとも帰りたいとも言わないのはケイタの望みとキリトの望みが一致しているからか。ケイタは今は中層にいるけど常々攻略組になりたいと言っている。きっとこのギルドのまま攻略組に戻るのが理想なのかもしれない。
「難しいと思うけどな…。」
呟いた声はキリトには聞こえなかったようで、そんな話をしているうちに転移門広場についた。いつもなら行くのは高くても20層程度。しかしキリトが口にしたのはほぼほぼ前線に近い層だった。話は途中なので慌てて後を追う。
いつもより高い層にやや緊張しながらキリトの後を追うと、キリトは慣れた様子で目的地を目指す。スタスタと迷いなく足早に歩かれ追うのが大変だ。ただでさえステータスが物を言うこの世界で差があると言うのに。
小高い丘の上に来たところでキリトはピタリと足を止め、口を開いた。
「アオバなら…ーーー」
しかしそれは風の音に消され、聞こえなかった。
「俺がなんだって?」
聞き返すもそれは肩越しに曖昧な笑顔で誤魔化される。
「ついでだから戦っていけよ。フォローしてやる。」
結局キリトが生き生きしているのは戦っているときだけなのだ。促されるままにキリトについて丘を駆け降りたがよく考えてみれば大丈夫なのか?ここは28層だ。
「おまっ! マジで見捨てんなよ!!」
昼間よりも明るい表情のキリト。ひとまずそこに安心して、戦闘に集中することにした。
次回はもう1つのが完結した辺りで