その次の日の明朝。いや、朝日が昇る前。全ての城門の前に兵士が隊列を組んでいた。
隊列と言っても、弓矢と槍の混合部隊であり、隊列は細長い。基本篭城して対応するので交代で賊と抗戦して行くのだ。
「総員!今日を!今日の昼を乗り越えれば我らが盟主、曹操様の本体が到着し理性の無い賊共を全て狩りつくすだろう!
しかし!それまでの時間を我らで稼がなければならない!胆から力を振り絞れ!この街を好き勝手させるな!我々の矛で、駆けてくる野獣を突き刺してやれ!!」
「「「「「おおおおお!!!!」」」」」
夏候淵が鼓舞を行う。こうして兵士達の士気を上昇させて兵士の解体を防ぐのと同時に、やる気を高めるのだ。
「秋蘭様!お見事です!」
「うむ。ありがとう」
鼓舞が終わり各部隊それぞれの配置へ付き、許緒も北門の方へと兵を連れて配置へ付きに行った。
「夏候淵様。後方の兵士、全て配置に付きました」
「ご苦労様。楽進。…あまり無理しないように」
「は!お心遣いありがとうございます。しかし、じっとしているほうがもっと辛いので問題ありません」
後方の舞台は一晩寝て起きた楽進が指揮をしている。此れによって夏候淵は全体の状況を把握し逐一将へと連絡するだけになったので
夏候淵は楽進が動けることにかなり感謝している。この絶望的な状況を切り抜けるには猫の手も借りたいのだ。
「徐晃」
「分かってます…まぁ何時も通り狩り尽くすだけですよ…ふふ」
昨夜の事もあり、機嫌が良い徐晃。それもそのはず、様々な面白い事がこの世にはまだあるという自覚と、何事にも変えがたい殺し。
それが両立できる組織は軍を置いて他に無い。そして、まだまだ強い人間がいるということ。
趙雲の他にもまだいたか。と徐晃は歓喜に震えたのは記憶に新しい。
そして徐晃は念入りに手入れをした刀を鞘から引き抜いて、刀身を丁度昇ってきた太陽に照らす。
その抜き身の刃は太陽の光に反射して鈍く、しかし力強く輝いている。その刀身から光が失うことは無い。
例え賊の血を浴びたとしても、真っ赤な血液がキラキラと光に反射して光るから。
出した刀を納刀し、目をつぶる。
流石に以前見せたように賊が何時来るかはこの状況では分からない。何故徐晃は以前視界に入ってない賊が来ると分かったのか
それは森から飛び出た鳥達によって何か大きなものか集団の何かが森を騒がしていると思ったからだ。
もしあのまま賊が来なくても別にいいと思っていたが、全国を旅している徐晃は賊がどういった場所に拠点を作るかは大体察しが付くのだ。
「伝令!北門に賊が現れました!数は凡そ3000!」
「東門!同じく数は6000!!」
「西門!数は4000です!!」
太陽が地平線の彼方から完全に顔を出した明け方の時間に、北東西の方角から同時に伝令兵兼斥候兵士が夏候淵の元へ参じて報告をした。
「分かった、すぐに持ち場へ付き、火矢の警戒をしろ!民の資産は一つも燃やさせるな!!」
「「「「は!!」」」」
その報告を聞き、すぐに斥候隊を持ち場へ戻す。
そして徐晃の方へ体をむけ、その瞳を見る。その佇まいは凛としており、弓のように張り詰められている。
「徐晃……一刻後だ」
「了解。6000なぞ、物の数ではありません」
「……頼む。正直、お前がこの作戦の要だ。……死ぬなよ」
「ふふ…夏候淵さん。貴方は只私に命じれば良い。そう、簡単なことだよ」
凛とした瞳の中に徐晃を心配する影がちらつく夏候淵。しかし、徐晃はそんなものは必要ないと断じた。
6000
普通に考えれば自殺行為である。以前徐晃が3000の数の賊に挑もうとしたのは砦があり、その一室に篭り、死体が多くなってきたら移動してまた篭るという
いわばゲリラ的な戦法で駆逐しようとしていたのだ。しかし今回は平原でもろに6000の物量が徐晃に当たっていく。勿論逃げ場は無い。あるはずがない。
引くことも許されない。しかし、全員を生き残らせる可能性をより多くするには此れしかないのだ。徐晃が打って出ないと言うのは愚策だ。
その事は徐晃も理解している。だが陣中に引っ込んでいるつもりも無い。
何より、振るえば肉と骨の感触が脳に直接伝わるのだ。これ以上の舞台は無い。
尤も、強い人間が居ないのが徐晃にとってはそこが残念であった。まさに極度のバトルジャンキー具合なのだ。
そして、順調に防衛が出来ている中、漸く一刻の時が過ぎた。
「…徐晃。東門の外にて賊の迎撃を命じる」
「了解」
そうして、背を向けて東門へと移動する徐晃
「ちょっと待て」
その背を見つめて夏候淵は徐晃を呼び止めた。
振り向く徐晃の表情は逆光で窺い知る事は出来なかったが、夏候淵は想像することは出来た。
その事に小さく笑みを零した。
「知っていると思うが、私の名は姓は夏候、名は淵。字は妙才だ。……真名は秋蘭という」
「……うん、秋蘭。私の名前は姓は徐、名は晃。字は公明だよ。真名は甘菜」
その言葉と共に東門へと向けて歩き出す。
徐晃の表情は確かに満面の笑みであった。しかしそれは殺しに対する歓喜ではない
人との確かな繋がりを感じたときに覚える、熱い歓喜であった。
その背を見つめ夏候淵はポツリと呟く
「甘菜……死ぬなよ」
そうして凛とした瞳を携えて空を仰ぎ見た。
徐晃は東門へと歩いていき、于禁が兵士を鼓舞し、自身も剣を振るって賊を押し留めていた。
そして、切りかかってきた賊を神速の抜刀で両断し、于禁に切りかかろうとしている賊も抜刀した刀で首をはねる。
「わわ!?」
突然首が飛んだと錯覚させるほどの速さで斬ったお陰で于禁は若干驚いたように、大地に沈み行く賊の後ろから徐晃の姿を認識した。
その事に若干、む。とした感情が覚えていたが、それは今は余計なものである。すぐに切り替えた。
「此方の門から来る賊が多いという情報なので、私が門の外で敵を減らします」
「…でも外に出たら曹操様の軍が来るまで戻れないのー……いいのー?」
「ふふ、問題ないですよ」
そうして、やる気マンマンの徐晃を見る于禁。昨日は親友の楽進を怪我させた人物と快楽殺人者と自分で認めていたかなり危険な人物と断定していた。
事実、その認識は間違っていない。しかし、今目の前にいる徐晃を見ると、何とも頼もしく見えてしまう。…その狂気は筆舌に尽くしがたいが。
「まぁ、昨日の借りを返すと思ってください。貴方が気負う必要はありません」
「…わかったのー。それじゃあ、柵を一瞬どかすから、その隙に外へ駆けて欲しいのー」
「了解」
そうして、二振りの刀を抜刀して、柵が開くのを待つ。兵士が各々の地点について
「今なのー!!」
于禁がそう号令を発した瞬間に、柵がどけられた。
その隙間を縫って賊が門へと飛び込んできた
「はは!とうとう降参した」
しかし、その賊は全ての言葉を発するまもなく、首が飛ばされた。
音も無く徐晃が無数に殺到した賊を全て切り殺し、回し蹴りで蹴り飛ばし、後ろの賊も巻き込む。
その空間に、身を踊りだした。
「がんばってなのー!!」
柵が閉じる前に于禁の声が徐晃の耳に届いた。その瞬間、言い知れない力が徐晃の胆の底からわいてきた。
そして
「へへ…女が一人。こいつで時間稼ぎか?」
「だが、確かに此れでちょっとは俺たちの時間稼ぎは出来るな!」
「旨そうだぜ……」
賊が徐晃を取り囲みそう口々に罵り、性的な対象としてみる。
徐晃のスイッチが今までに無いほどの勢いで切り替わった
そして、音も無く刀を振るった。
「ぎゃああああ!?」
「ぎゃ!?」
「ああああ!?しぬうううう!?」
先ほど口々で罵っていた賊全ての体の一部を切断する。
「てめええええ!殺せ!」
「昨日の化け物か!?だが、こっちはまだ5000以上もいるぜ!殺せー!!!」
「「「「おおおおおおお!!」」」」
そうして四方八方から徐晃只一人に向けて槍や剣、矢が殺到する。
普通の人間ではこの状態で既に詰みである。しかし徐晃は一つ一つを冷静に見て、対応する。
槍で攻撃してきた一団に槍を切断したと同時に一歩踏み込み、剣をやり過ごし、それと同時に賊を切断する。
血しぶきが舞う中、上体を反らして振るわれる横凪の剣を避けて、回転しながら周りの敵を切り殺し、矢を切断する。
しかし、流石に一度に襲ってきた数が多いのか、何本か矢が徐晃の体を掠めるが、それも計算済みである。
風、相手の呼吸。武器のリーチ、矢の数。
人間の域を越しているといっても過言ではない。今の徐晃は正にトランス状態である。
いや、此れほどまでのポテンシャルを秘めていたのだ。内なる力ではない。本来の力を出し切っているだけである。
徐晃は初めて兵士になったのだ。歪な兵士だが、その歪が徐晃である。
にやりと、笑い。肌が少し露出しているのも構わずに徐晃は前進した。
脳内のリミッターが外れたと思われるほどの動きで、剣閃を振るい、大気に鋭い軌跡を描く。
その軌跡通りにあらゆる物、人間、地面すらも切断されていく。
脳がフル回転し手に取るように相手の行動の一歩前先へ行き、神速の先制で空間を切り刻む
「ば、化け物がぁああああ!?」
「しね!しねえええええええええええええええ!!」
次々と殺される賊は怨念をもってして、徐晃へと切り込むが、その全てが彼女の刀の軌跡により拒まれる。
彼女中心に今まで見たこと無いような程激しい血風が舞い起こった。
徐晃は賊の無陣の中を縦横無尽に駆け巡り、血の華を咲かす。
「があああ!?」
「しねよ!しんでくれよおおおお!?」
まるでこの世のものではない。
対峙する賊は全てそう思った。歯をむき出しにするほどの笑みを浮かべながらその目は全てを吸い込むほど深い蒼を携えて、赤い軌跡が走る。
徐晃が刀を振るうたびに二人絶命していく。しかし、徐晃も雨のように降る矢を数本、体に突き刺さる。だがそれでも動く。
その矢は味方の筈の賊を巻き込みながら徐晃を射抜こうと殺到する。しかし、縦横無尽に、賊を盾に、死体を盾に、刀で、鞘で、その着物の袖で
致命的となる攻撃は全て打ち落としている。その間にも踊るように、血の軌跡を残しながら剣閃を振るう。
まるでこの世のものではない。
「ひ、ひるむなぁ!奴も血まみれだ!殺せ!殺せー!!」
「もう奴の血なのか、返り血なのか…俺にはわからん……」
真っ赤な軌跡。徐晃がその身を血で染め上げて全てを狩りつくす。
徐晃は敵を切り殺している最中、脳内で
(もっと、もっともっともっともっともっともっともっと)
「もっと!もっと!もっと!!」
そう叫びながら、歓喜の声を上げながら戦場を舞う。
その姿はさながら赤い姫
「血を!肉を!骨を!死を!!!私に!!!!」
誰に向かっても語っていない。誰かに向けても語っていない。全ては自分の内なる歓喜を吐き出しているだけだ。
「私にぃいいいい!!!」
目に血が入っても怯まない、足に槍がかすっても怯まない、腕に剣がかすっても、矢が刺さっても、彼女は怯まない。
アドレナリンが脳内を蹂躙し、痛覚は既に脳が受け付けていない。
いま彼女の脳が受け付けているのは腕から来る感触と目から、勘から入ってくる情報。それだけだ。
周りは全て敵。これほど死が濃い場所は他には無い。これ以上徐晃が喜ぶ殺しは他には無い。
「あは!あははははははははははははははははははははは!!!!」
着物の一部は裂かれてその素肌が惜しげもなく太陽の下晒されている。
そこに直ぐ血化粧が施され、その化粧を厚くする。
「う、うわああああ!?くるな!?くるなあああああ!?」
既に何人切ったかは徐晃にとっては関係なかった。
この手に伝わる甘美な感触、甘い断末魔。鼻をくすぐる肉の匂い、血の匂い。喉を潤す赤い血液。
それら全て徐晃の起爆剤となって、ギアを上げていく。
しかし、その中でも冷静に判断する理性は生きている。トランス状態だから。
厄介な弓矢を優先的に殲滅していき、既に東門に弓矢隊の姿は居ない。全て大地を彩る芸術となっている。
その次に槍。リーチが長い彼らを優先的に殲滅していく。
足元に転がっている死体は彼女にとってなんら障害にもならなかった。
もともと一人で戦ってきた彼女はその死体すらも利用して生き残ってきたのだ。
そして何処を踏んでも関係ないのだ。
地面を陥没するほどの踏み込みと同時に死体を踏んでも、その贓物を全て踏み潰し、地面をへこませるだけ。
まとわり付いた死体は蹴り上げて賊に飛ばして戦う。正に狂気。
そしてその二振りの得物で目に見えている敵を切り刻む。
しかし、徐晃も人間である。
限界は何時か来る。
「おおおおおおお!!」
血風を起こしている徐晃へ向けて賊の一人が突貫し、その身が両断されながらも徐晃の体を押す。
その時、徐晃は態勢を崩し、一瞬だが死の暴風が止まる。
「おおおおお!」
「ああああ!!」
賊はその隙を逃さなかった。その槍は徐晃のわき腹を抉り、その剣は背中を深く切り込んだ。
「し、しん」
背中を斬った賊は言葉をつむぐ前にその首が飛ばされた。
槍で抉った賊も上半身と下半身が分かれて、絶命した。
「ふふ…」
しかし徐晃は立つ。笑いながらたっている。
囲んでいた賊は徐晃の間合いに踏み込めないでいた。その異様な雰囲気。血に濡れた体。その眼光。
そして、ありえない程の冷たい覇気。
最前列にいた賊は既にその雰囲気に負けている。呼吸は荒く、脂汗も止まらない。
そう、まだ絶対的な有利な筈の賊達がたった一人の女性のそれも死に掛けているはずの女性に対して一歩も踏み込めないのだ。
まるで死神。一歩でも動いたら、一言でも声を上げたら、その凶刃が確実に自身たちの命を奪うという確信に対する恐怖。
「あは…あはははは…」
血を流しながら、徐晃は笑う。
まだやれると。此れくらいの怪我は過去にもあったと。だから
「まだ、まだやれるよ?」
賊に優しく問いかける。
徐晃の呼吸は不思議と乱れていない。いや、乱れていたが直ぐにペースを取り戻したのだ。
まだ動く。そう体は慟哭をあげている。
まだ動く。そう頭は慟哭をあげている。
「ひ…ひぇ」
腰が抜けた賊が弱弱しい声を上げた途端に、その声を首を飛ばして命を摘む。
間合いは十二分に取っていた。普通の人間が動けばすぐさま対応できる距離であった。
にも関わらず誰も反応は出来なかった。全員が徐晃に注目していたのにも関わらず、誰も彼女を止めることが出来なかったのだ。
「まだやれるよ?」
微笑を携えながら徐晃は囲んでいた賊へと切り込んだ。
一人二人と切り殺し、徐晃にとっては反応が鈍い、されど賊達にとってはこれ以上無い程の動き。
されど徐晃の速さは彼らを圧倒的に上回る。
「まだ、まだあああああ!!」
敵勢の中を駆け回りながら、槍を携えている人間を肩口から股関節まで袈裟切りで断絶し
その両隣にいた賊を二振りの刀で両断し、徐晃は慟哭を上げながら駆け出した。
まだ動くと。
まだ殺せると。
まだ…守れると。
「ああああああああ!!」
最後の力を振り絞って目に付く賊をその絶技で全て切り殺していく。
一歩踏み込んで4人、二歩踏み込んで8人、三歩踏み込んで12人。
四歩五歩六歩七歩八歩九歩!十歩!!………徐晃は自身の限界まで踏み込み続けた。
徐晃は気付いたら立ち尽くしていた。全身真っ赤に染め上げ、その蒼かった髪の毛も今は真っ赤であった。
周りには賊が地に伏しているだけで、どこからか呻き声が上がっているだけである。
静かであった。10000以上もの賊が攻めてきているような光景ではけっしてない。
切れた槍、腕ごと地に刺さった剣。無数の矢。そして…大地を染め上げている紅い血。
その中心に彼女は立っていた。
そして徐晃は両の手から力がふっと抜け、二振りの相棒が手から零れ落ち
気で形を維持していた刀身が地面と接触した瞬間二つに折れ、徐晃の身も大地へと沈んでいく。
「甘菜ぁああああああああああああ!!」
どこか遠くから聞こえた誰かの声に答えるように小さく笑い。地に伏した。